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昨日、仕事を終え地下への階段を下りるとき、外踝周囲が嫌に傷むことに気がついた。やっぱり整形外科で診てもらわなきゃぁだめかなぁと思う。連休中の状況報告に事務所を訪れるとみんながお疲れ様とねぎらってくださる。朝礼に参加した後整形外科を受診。診察室に呼ばれると、担当の医師から自己紹介をしてくださる。何かお説教されちゃうかなぁと心配していた気持ちがほぐれ正直に経過を簡単に説明。外踝のどこが痛むかを確認し、すぐにレントゲンの指示をいただく。レントゲン室までは歩いていったのに、写真を2枚撮った後、放射線技師さんが「車椅子が必要」と仰る。「しまった、骨折だ」もう観念するしかない。車椅子に乗り整形外科の待合室まで戻る。待つこと一時間再度診察室に呼ばれる。診察室のPCに映る私の足首。一目で骨折と分かる。しかも受傷後12日もたっているので隙間がある。化骨も少し生成している。手術が必要とのこと。それも全治3ヶ月。できれば今日入院をとのこと。今日の今日は無理なので明日に延ばしていただく。私の勤める病院は整形外科の病棟はないので診察をしてくださったY先生の病院に明日入院することになる。シーネ固定をしていただき、会計を済ませ事務所に戻る。所長がまだ事務所にいて、骨折で入院することになったことを報告。今朝まで歩いていたのに松葉杖姿に、お昼事務所に戻ってきた仲間が驚きの声を上げる。怪我した後ずっと働いていたから無理もない。私ときたら、「風呂に入れないが困る」とか「入院中にダイエットしたい」などと見当違いの発言をするものだからあきれられてしまった。労務報告書など病欠するための事務作業を済ませ松葉杖姿で事務所を出る。松葉杖で自宅に戻る。自転車で5分の距離を松葉杖では15分もかかる。左足に荷重しないように松葉杖を使うことも難しい。松葉杖姿は目立つらしく、交差点で青信号をわたる左折する車が待ってくださる。青信号のついている時間、やっと交差点を渡りきる。足が不自由なことを実感。インターネットで足関節外踝骨折を検索すると、2003年の記事だが約6ヶ月の闘病記録があった。普通に歩けるまで6ヶ月。スポーツができるまではもっとかかるそう。今年の紅葉を山で愛でるのは難しそうだ。年内一杯は仕事の復帰もできない。正月休みの山も無理。来年のゴールデンウィークも登山はお預け。下山中のちょっとした不注意がこんなにも長いブランクをつくってしまうのだ。和名倉山から戻ってきてすぐに整形外科に行かなかったことを反省。テーピングで歩きやすくなって仕事を普通にしていたし、正座をしてしまったし。改めて捻挫について調べても早めに診察を受けるように書いてある。当たり前のことを失念していた。捻挫するたびに救急外来を受診すると、整形外科の医師が面倒くさそうに診察をしてくださる。その記憶が受診を遅らせていた。本当に反省。入院する病院は健康長寿医療センター。65歳以上の方が利用する病院だが入院を許された。今度で入院は3回目。10年に一度のジンクスが当たってしまった。半年間、怪我と向き合って鬱病も治してしまおう。と、いうことでしばらくブログは休止します。多分、長い入院にはならないと思いますが、ブログ開始からお立ち寄りくださった皆様ありがとうございました。
2009年09月24日
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今日でシルバーウィークは終了。何とか無事終わることができそうだ。今日の訪問は6件。患者様に無理をお願いして、9時から訪問をさせていただいた。おかげでお昼寝もでき午後も快調に仕事ができた。訪問が終わり、連休中に状態が変化された患者さまの診療所への申し送りを作成し、6時半には業務終了。長い5日間であった。後は今晩何事もなく終わることを祈るのみ。帰宅してラジオをつけたら巨人がリーグ優勝していた。イチローもさよならホームラン。今年の巨人軍は若手の坂本や亀井などが活躍してくれてちょっと新鮮な気分で野球を見れた。原監督「全力、死力を尽くす」と仰っていたが、そういいきれる若さがすばらしい。鬱病の私にはとうの昔に消え去った言葉だ。
2009年09月23日
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物言わぬ看護師でよいのか。ただケァをしていればよいのか。在宅療養されている方が快適な生活を送れるには、快適なんて言葉はそぐわないと思われているご家族や患者様は多いだろう。現在ある制度の中でご家族が懸命の思いを掛けて介護されている。現実の悲惨さを改善するために当事者として力を尽くす。でも、それだけでは駄目だ。何をしたら良いのだろうか。そんなことを考えていたら眠れなくなってしまった。今日も眠剤の助けをかりて眠りに入る、入ってほしい。明日があるのだから。
2009年09月22日
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シルバーウィークとあって、いつも混雑している中山道もびゅんびゅん車が走っている。仕事車は少なく、自家用車が多い。どういうわけか、おまわりさんに午前も午後も会ってしまった。派手な黄色の電動自転車なので信号無視もできず、今日はのんびり走る。本日の訪問看護は6件。朝一番に出発する。Kさん宅はのんびりしておられて早く行っても、遅くても苦情は言われたことがない。今日は11時から訪問入浴なので、その前に健康状態を確認して、ストーマの交換をして入浴に備える。患者さんご本人は「おなかがすいた。何かたべさせて」とベッド柵をガタガタ言わせてご主人に要求する。ご主人は「今、ご飯を炊いているからね」とやさしく答える。ご主人が朝食の用意をしている間に処置をする。処置がちょうど終わった頃朝食の準備が整う。たらの焼き物と熱々のご飯。骨を丁寧に除き奥様に食べさせている。奥様もニコニコしながらご飯を食べている。むせはない。ちょっと安心して辞する。2件目の方は小児麻痺で身体が変形し、50年もずっとご両親が介護を続けていらした。2年前に父親が他界し、その後は母親一人で頑張ってこられた。この間、買い物の帰りに転倒し左肩を脱臼した。そのため、お嬢さんは一時的に入院され、お母様の安静を保つことにした。ずっとお一人で頑張ってこられたからか、毎日お見舞いに来られ入院されたのに、病棟でケァをされていた。そんなこともあり、早々に退院を希望されご自宅に帰られた。お母様はもう70台半ば、高血圧症、狭心症等の薬も飲んでおられる。腰痛もあり、足もつれやすい。退院翌日、訪問したときには足がつって動けない状態であった。こんなこともあり、少しだけどケァを私たち看護師にさせていただけるようになった。私たちも、お母様の方法を尊重し、お母様の指導を受けながらすこしづつこの方の看護を学んでいる最中である。今日は便を出す日。浣腸をし、摘便する。和布団に寝ておられるので、かがんだ姿勢にならないとできない。股関節も変形しているので側臥位になれない。仰向けの姿勢のまま摘便をする。お母様はすぐさまあきらめ、私にケァをさせていただけた。首尾よく処置ができみんなでほっとする。ご本人もニコニコされている。体力的にもう和布団での介護は無理とのこと。ベッドを導入したいとのご希望であった。身長は130センチくらい。できれば、小児用ベッドが適切かと思う。介護保険が始まり成人用の福祉用具は随分発達してきたけれど、障害児用の福祉用具はどうなのだろうか。休み明けに早速お母様から福祉事務所の担当者に連絡を入れていただけるようにお願いする。この方のように、ご家族が介護に当たっていると福祉サービスの利用が進まない。介護保険と違って、介護保険も様々な制約があって利用者のニードに即応し切れていないのだけど、福祉用具の選択の幅が狭い。一人ひとりの障害の状態に応じた支援が保障されるような時代になってほしい。今日は排泄介助の方が多く、三件目の方も浣腸、摘便。便秘薬を処方どおりに服用されてなく、その性で摘便はスムースであった。12時前に午前中の仕事が終わって事務所に戻ると、診療所の看護師がまっていた。98歳の女性が昨日からのどが詰まるような自覚症状があり、吸引機を持参し訪問されたとのこと。夜間救急受診し点滴で少し症状が軽快したが今日も状態が悪く救急受診されているとのこと。夕方ご家族が疲れた顔をしながら事務所によってくださった。脱水のため本日入院されたという。20数年前、私どもが訪問看護を始めたころは人海戦術しかなかったように思う。身近にあるものを改良して看護に当たっていた。その頃と比べると、高齢社会の到来とも関連しているのだけど、保険制度は別として在宅療養のための資源は格段に進歩している。反対に所得制限は当たり前になり、介護保険のようにその人がその人らしく暮らしていくためにサービスを使えなくなってしまった。一番重度の要介護5の方でひとり暮らしの方が自宅で生活するためには、サービスの量は圧倒的に少ない。毎日排便があるのは普通の方なら当たり前なのにその方は排便困難もあり週2回の排便とケァープランで決められている。入浴はディケァで週一回だけだ。夕方5時には就寝してしまう。こんな生活が人間らしい生活といえるだろうか。北欧では障害があっても自宅での生活が可能だ。福祉用具も人的サービスを行き届いている。同じ地球人なのに生まれた国によって人生のあり方があまりに違ってしまう。戦争なんかにお金を使っている余裕なんかないものだと思うのだけれど。
2009年09月22日
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今日も早朝覚醒。夕べ「おくりびと」をTBSで観ていたが、主人公がチェリストからおくりびとになり始まる頃で眠ってしまったよう。目が覚めたのが、深夜2時過ぎ。とりあえず、ハルシオンを飲んだのだが、眠気は襲ってこない。約4時間以上眠ったから大丈夫かとも思うが。職場のデスクの上に目覚まし時計があるので、お昼寝もできるし。眠かったら「眠眠打破」もあるし。後二日働けば、4連休。 今日は朝起きられるように目覚まし時計をセットして眠ろう。ま、なんとかなるだろうしね。
2009年09月21日
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シルバーウィーク中は一人勤務。今日の訪問は5件。お二人は土曜日と日曜日に訪問しているので、状況はなんとなくつかめる。一番最初に訪問したのは障害者手帳一級の方。脊髄腫瘍のため下半身麻痺で膀胱直腸障害もあり、膀胱に留置カテーテルをしている。徐々に上肢の筋力も低下してきており、ベッドから車椅子、車椅子からベッドの移乗も不安定になっている。入浴は自宅の浴槽で介護福祉士の援助を受けシャワーチェアから浴槽に渡してあるバスボードに移乗して浴槽に入る。先日、バスボードからシャワーチェアに移乗する際、シャワーチェアのストパーが外れていたため前のめりに転落、前歯を折ってしまった。慎重75cm、体重80kgの大柄な方。訪問看護で入浴介助を医師より指示されたが、安全上お断りした。体重80kgの方を小柄な看護師が介助はできない。リフトを設置することを提案したが、経済的な理由でまだ設置していない。障害者自立支援法の詳細は分からないのだけど、安全より、どの位サービスを削っていくしか考えていないように思える。連休明け、福祉事務所や保健所に相談してみようと思う。環境整備さえすれば、自宅で生活できる方が、環境不備で怪我をされてしまうのはどうしても納得できない。二人目の方は、夕べストーマの処置で訪問した方。便の調子もよく、食事も良く取れ、ご主人と仲良くTVを見ておられた。血圧や脈拍などを測定して状態が安定していることを確認して辞する。自宅療養の良さはこのような平安な時間が取れることだと思う。ストーマの処置がいつまで持つか不安だが、水曜日呼ばれないことを祈ってしまう。午前中の訪問は11時半に終了し、早めの昼食をとり目覚ましをかけ、お昼寝。ジャスト1時には覚醒。目覚ましの力をかりずにおきれた。午後1時半には事務所を出発。午後の一人目はターミナルの方。ご自身の意思が明確で何を看護師に頼むかをきちんと考えておられる。おむつ交換、床ずれの処置、座薬の挿入がご希望だった。昨日の夕方麻薬系の鎮痛剤を増やしたせいか、ペインスコアも7から4から5に減少している。床ずれの痛みが一番辛いようだ。腹部痛もあり、右側臥位が安楽な体位で左を向くと腹痛がひどくなり、つい右側臥位になってしまう。エアーマットも使っているのだが、床ずれは悪化するばかり。麻薬を使うと便秘は必発なのだが、水溶性便が続いている。その性で肛門の痛みも増している。痛みがそここことありとても辛そうだ。「いたいよ~!いたいよ~!」と叫ばれる力も弱い。本人を励ましながらケァを行うのだが、ご本人はもっと手早くしてほしいのだ。一段落ついて本人の表情も少し和らいだ。お口の中も汚れているので、「今日は口腔ケァをしませんか。」と持ちかけるとご本人の了解を得られた。ソフトに小さな柔らかめの歯ブラシでブラッシングして、スポンジブラシでぬぐう。多少は口腔内が清潔になった。ご本人もすっきりされたようだった。午後の2件目の方は難病で寝返りも一人ではできず、気管カニューレで呼吸をし、食事は胃ろうから、尿は膀胱留置カテーテルで管理している。看護師はどうしても処置を優先しがち。その点、訪問介護士さんやマッサージの方は話しかけがとても上手で本人から笑顔を導き出している。一人の患者さんにいろいろな方がかかわってチームでケァをするよさがあると思う。今日は状態が落ち着いていてほっとしながら事務所に帰った。明日は、午前3件、午後3件の訪問。少し早めに出勤してあまり遅くならないように仕事を終わりたい。
2009年09月21日
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最近、熟睡気味だったのに今日は眠れない。昨日、午後まで眠り続けたためこんばんは眠れなくても仕方がないことかもしれないが、本当に久しぶりだ。アロマをたいたり努力しても努力するだけ眠れなくなる。そんなこと分かっているつもりだが、眠らなければならないという焦りが出てくる。TBSのラジオも放送終了され、各局TVも放送終了。4時になってやっと日テレのニュースが始まる。今日はもう眠ることを忘れることにした。一日眠れなくても何とかなるだろうと思う。私の欝は不眠から始まったので、少々不安がある。でもそのころは、連日不眠でアモバンを飲んで数時間の睡眠をとっていた。その頃に比べるならば一日8時間は眠っているし、今回に関しては病状が悪化しないという自信はある。今日は仕事なので、「眠眠打破」でも服用して一日何とか過ごしたい。きっと、帰宅したらすぐ眠りこけてしまうだろう。主治医が言うには、不眠症の方は「疲れても眠れない」そうだ。疲れたら眠れるだろうという自分に対する見通しは鬱病が軽快している証拠かもしれない。もう、5時が過ぎた。昨日まとめたダンボールや新聞など資源ごみを出して、珈琲を飲んで仕事に出かけよう。
2009年09月21日
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シルバーウィークは昨日から始まったのだけれど、予想が当たりっぱなし。今日も午後5時過ぎ、携帯電話がなる。「便がもれているので変えてほしい」と夕方のヘルパーさんからの電話。先週の木曜日、パウチとフランジを替えたのは私。3日間しか持たなかったことになる。せめて4日間は持つような方法を取れなかったかと反省。急いで訪問すると、ストーマの周囲はきれいになっており、ヘルパーさんに感謝。お湯とボディシャンプーを使い、極めてソフトにストーマとストーマ周囲の皮膚を洗浄。皮膚保護剤でフランジの固定部位の発赤は軽減していた。ご主人がそばにいらしたので、ご本人はとても穏やか。やっぱり、ご家族の力は大きいものだと実感。丁寧にストーマ周囲を洗浄した後、皮膚保護剤をソフトに塗布し、乾いたところでフランジを貼る。今日は処置中、ご本人はじっとしておられる。パウチを装着しオムツを交換して終了。この処置に約一時間かかってしまった。ストーマの管理はまだ慣れていなくて築地間が過ぎてしまう。次の訪問は明日と木曜日。明日は便漏れは大丈夫だと思うが木曜日まで持ってくれるかどうか。ちょっと心配だ。
2009年09月20日
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昨日の夕方、ターミナルの方に呼ばれた。「床ずれを痛がっている。処置をしてほしい」と。 訪問してみると、鎮痛剤が医師の処方と通りに貼っていない。72時間に一回の張替え時間は過ぎている。増量するべきところが増量していない。ゆるい便が少量ずつ出続けているので肛門がただれている。床ずれも大きくなっている。何れはオムツになるかもしれませんよ、と一週間前にご本人にお話したところ「もう、そんなことは恥ずかしくなくなったから」と仰っていた。家族も介護に困っているらしいのだが、何が困ることなのかを、衰弱の進みが早くて言葉にできないようなのだ。オムツの変える方法、床ずれの処置の方法、寝たままで水分をとる方法、と細かなことをお話し、実際にデモンストレーションしてきた。お話をすると「そんな方法もあるんですね」と仰るがどうもあまりよく分かっていない様子。介護保険は同居の家族がいるだけで、サービスが制限されてしまう。訪問看護は医療保険で行っているのだけれど、介護保険を使って一日数回訪問したほうが良いように思う。シルバーウィークはご家族が休みなので、何とか切り抜けれるかもしれないが、その後の生活が心配だ。たった1時間あまりの訪問だったがすっかり疲れてしまった。自分たちも見通しが甘かったかもしれない。余命いくばくもない方が、床ずれの痛みでもだえ苦しんでいる。鎮痛剤の変更もこの休みのために金曜日まで待たなくてはならない。気の重い訪問だった。そのためか、今日は昼過ぎまで寝てしまった。明日からは三日間仕事だ。今日のうちに疲れをとり、元気を取り戻さなければならない。臨床の力をもっとたかめなくては患者さんが救われない。
2009年09月20日
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シルバーウィークは携帯当番だ。お正月、ゴールデンウィークとお休みをいただいたので、お約束のお仕事。在宅療養している方や家族の要請があれば訪問看護を24時間いつでも行う、携帯当番。今気になる方が何人かおられる。昨日訪問診察時の状況をうかがって心積もりはした。いつ呼び出されても良いようにお出かけスタイルで自宅で休養を取っている。休み休み洗濯や掃除、新聞読みなどをする。 月曜日から水曜日まではお仕事。朝から夕方まで仕事が入っている。癌のターミナルの方がお二人。一人は大腸がんでストーマ管理をしている方。最近は便の形状がゆるくなっているためにストーマに取り付けている袋をほぼ毎日取り替えている。休み中も毎日訪問になりそうだ。もう一方は床ずれがひどくなっている。もう寝返りもご自分でできずエァーマットで体位交換をしている。麻薬系の貼るタイプの鎮痛剤も増えた。鎮痛剤で床ずれの痛みが緩和することを祈るのみだが。休み中はご家族がそばに折られるのでその点は少し安心だ。他の方は、内服薬の管理で、内服カレンダーにお薬をセットしたり、インスリンの注射を詰めたりする方々。そして、排便コントロールの方々。体調に休日もウィークディもなく看護が必要なのだ。今、私の勤めるステーションには看護師が8人いるが、常勤は3名。この常勤で携帯当番や休日勤務をする。ゴールデンウィークや今回のシルバーウィークなどは交替で相談して休みをとる。 月に10日は携帯当番なので、土日も仕事のことが月2回はある。休みのようで休みではない携帯当番。この五日間が無事に終わることを祈る。
2009年09月19日
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秋の夜長といわれても、自分の使える時間は変えられないので、秋の夜長の楽しみは知らない。サラリーマンは季節によって出勤、退勤時間がかわらないので、自分が自由に使える時間は一年中変わらない。しいて言えば、6時前には夕闇が迫ってくるので、帰りやすい、飲食店にも入りやすい、お酒を飲みだす時間が早くなる。 秋になって、熟眠できるようになった。数年ぶりに目覚まし時計のお世話になる。今日も目覚まし時計に音に「何か」と思っていると、ぼんやりした頭が次第に目覚め7時過ぎていることに気がつく。しつこく鳴る時計だったので7時にアラームをセットしていたが眼が覚めたのは7時15分過ぎ。目覚まし時計をセットしておいてよかった、今日はそう素直にそう思えた。体調は着実に改善してきているようだ。この分だと、しばらくためらっていたお薬を減らすことができるかもしれない。熟眠できるので、眠剤をまず減らしてみよう。 朝は忙しい。起床、身支度、バッグの中身確認、朝食、お薬の服用等々。一日の始まりのために雑事が多い。あっという間に時間が過ぎる。ぼんやりしていると、8時はすぐにやってきてしまう。自転車通勤なので、8時半に家を出ると何とか始業時間の8時40分には到着するのだけれど、少し早く出勤し、テーブルを拭いたりお仕事が始まる前にウォーミングアップのようなことをすることで仕事モードにチェインジできやすい。 職場での私の朝は、まず鍵を開け、ポットのお湯を準備し、洗面台のゴミを片付け、ゴミ箱をきれいにし、テーブルを拭く。窓を開け空気の入れ替えをする。これだけのことをする内にお仕事モードに切り替わっていく。本日訪問予定の患者さんのカルテを出し準備は終了。そんなこんなをしているうちに職場のメンバーが出勤しにぎやかな職場に変わっていく。 午前中2、3件の訪問をするとお昼に。お昼寝をしたいので、手早く午前中の訪問の整理をし、簡単にお昼を済ませてお昼寝。最近眠気が強く30分くらいは眠れる。眠気はどうもパキシルのためらしいのだが、お薬をやめる自信がなく、とりあえず飲み続けている。午後2時か訪問開始時間なので、午前中の訪問が早く終わると1時間以上のお休み時間がある。この時間のおかげで何とか仕事ができている。時には1時過ぎに戻り、お昼寝もできず午後の仕事に入ることもあるのだけれどこんな日は週2,3回というところ。 お昼休みは1時間なのだけれどちょっと多めにとっている。職場のメンバーも黙認してくれる。結構いい加減に仕事をしているのだ。いい加減といえば、私の薬の飲み方も結構いい加減で朝はしっかり飲むのだが、お昼はつい忘れがち、夕食後は飲むのだが最近はすぐ眠たくなってしまい眠剤をのむのが遅れてしまう。午前一時過ぎに眼がさめることが多いので短時間作用型の眠剤しか飲めない。お薬を減らしても7時過ぎまで眠れるので眠剤をそろそろ減らしても良いかもしれない。
2009年09月18日
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私の精神科の定期受診日は隔週の火曜日。先週受診したとき、次回はシルバーウィークで診察は休みになるので、来週もう一度受診するように言われていた。それをすっかり忘れていた。今日は木曜日、内科の薬がもう無くなってきたので受診したとき、ふと精神科はいつだったけ、と自問。今週は捻挫に気を取られていて、すっかりお薬のことを忘れていたことにやっと気がつく。明日は一日仕事だし、夜間外来は火曜日のだし、土曜日受診するしかない。最近は、体調が良くなってきたこともあり、受診をたびたび忘れる。お薬の残量を数えて診察日を過ぎていたことを思い出す。寝込んだとき、薬を飲むのも億劫で飲まなかった分が多少残っていて何とかなったこともあったが、今回はその分もない。土曜日はやっと整形外科を受診しようと思っていたので、2科を受診するのは面倒だな、という気持ちがよぎる。受付の方から、来られないときには電話をくださいね、といわれていたこともあわせて思い出す。明日クリニックに電話して予約を取り直さなければならない。処方された薬をしっかり飲み続けることがいかに難しいかをこのころ気がつくようになってきた。自分が元気だった頃、患者さんのところに行くと、薬ビンに薬が雑然とおかれていて、残薬数も合わず、ポットに雑然とおいてあるさまに、これでは処方どおりに飲むことも無理に違いないと判断。薬局に1包化をお願いしたこともあった。大事なお薬を処方通り飲めないのは何なんだろうと思ったものだが患者経験が重なるとなかなかそうも行かないことがいくつかある。医師の処方通りにしっかり飲むのは無理に近いと思う。 難しい思うこともたびたび。食事がおくれたりすると忘れてしまう。そんなこんなを繰り返していると。沢山の薬を飲むののが億劫になってしまう。 定期処方通りにしっかり飲めないのだ。仕事中の薬も忙しさに追われているとついうっかりになってしまう。内科の薬も精神科の薬も結構残っているので、処方通り飲んでいないかで薬箱を観ると一目瞭然、。良くなりたい、薬は減らしたいと思っているのにのみ忘れがあるのだ。しっかり飲んでいるのは降圧剤。睡眠剤は残り気味。どういうわけか、一日一回のリバロやチラージンがを飲み忘れるのはなぜか。とりあえず土曜日は精神科と整形科を受診して、決着をつける。薬が無いより、あったほうが安心感になるしね。
2009年09月17日
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土曜日に山中で左足捻挫。なかなか受診をためらっていたが、本日やっと仕事帰りに行きつけの整骨院を受診。患部の腫脹がひどく、優しい口調でもっと早く受診したほうが良かった言われる。テーピングしていただき歩いてみるとなんと歩行もスムーズなのだ。恐る恐る「早めに受診したほうがよかったですか?」とたずねると、足関節は荷重関節なので早めの受診のほうが良かったとのこと。月曜日、なんとなく億劫でやり過ごしていたことを反省。テーピングの方法もいろいろあるようで腫脹のある私の場合は、足関節をぐるりと巻く方法ではだめらしい。弾性包帯も使わないで、腫脹が収まるまで毎日受診しても良いとのこと。今回で捻挫は最後にしたいが発症時のテーピングの方法などについても教えていただこうと思う。とりあえず何とかなりそうで安心した。帰ってきたらどうも疲れていたようで眠ってしまっていた。やっと今午前一時前に目が覚めたら新閣僚の記者会見をしていた。医療・介護問題にも頑張っていただきたいと思った。眠剤を服用して眠ろう。
2009年09月16日
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今週は五連休の後なので、何か調子がよい。三日働いたら土曜日休み、それから怒涛の4連続勤務。もう秋めいてきて、夜はムシの合唱。残暑ももうやってこないだろう。今朝は早起き、モーニングコーヒーがおいしい。体調が大分良くなってきたので、数年休部していた山岳会にもこの秋には復活したい。テント山行はまだ無理そうだが、また、仲間と登山できると思うとうれしくなる。今週の木曜日には例会があるので参加するつもり。少しずつ元の生活にギアチェンジだ。シルバーウィークに働くと、この後の祭日はお休みできる。早く足首を直してまた山に行きたい。これからは紅葉、黄葉の季節ですもの。栗、くるみ、なし、リンゴ、きのこ、おいしいものも目白押しだ。ぼちぼち頑張ろう。
2009年09月16日
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私の職場は、給与資料は15日〆、28日支給。9月5日、退勤時間のタイムカードを12時38分に打刻。正規の出勤時間は8時40分から12時40分。この日は、患者さんの都合で7時40分には出社。8時から訪問したので、40分は時間外勤務。でも、自己判断で出社時間を早めたので、時間外勤務の深刻はせず。身につけている時計が5分進んでいるので、不注意にも12時38分に退社の打刻。この2分で早退届になってしまった。いつも10分、20分のサービス残業はしている。出社も20分は早くしている。たった2分で前後の勤務状況も無視して早退届を提出せよという上司に、理不尽さを感じる。敵がそういう態度で臨むならこれからは2分でも、5分でも時間外勤務届けを出そう、などと子供じみた思いに駆られる。でも、規則は規則。こちらも規則を盾にして届出を出そうという気持ちになってしまった。あーぁ、大人気ない私。でも、少しむかついている。出社時間過ぎて職場に到着し、朝ごはんを食べ、歯磨きをしている職員もいる。上司も時々勤務開始時間過ぎて歯磨きをしている。勤務時間中に歯磨きはないだろうと思う。敵がそういう態度なら、こちらだって対抗手段を考えていまうぞ、なんてやっぱり大人気ないか。でも、少々怒りが収まらない私でした。
2009年09月15日
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★特価★ ドーム キネシオロジーテープ 38mm朝、まだ左足関節が痛み、もう一日安静が必要かも知れないと思い、上司に休み希望の電話伺いをしたところ無理だとの話。病むを得ず出勤。自分の不注意から発生した怪我なので自業自得。階段は手すりを使っており、自転車に恐る恐る乗ってみるとペダルは無難に踏める。平地歩行が困難。つい足を引きずってしまう。午後お休みをいただけることになる。午前中は訪問3件。一件はリハビリが主。足を引きずってリハビリもないよな、と思いつついつものメニューを実施。患者さんには気が疲れずに済んだ。痛みは大分楽になった。だってロキソニンを通常一錠飲むところを4錠飲んだので当たり前かも。外くるぶしと内くるぶしの周囲、アキレス腱に内出血の痕が。ラクールシップを足関節の周囲に張り巡らし、山用のソックスで固定しショートカットの山靴を履いて出勤。何とか動けるものの足関節がコリコリ言う。どうも足関節がゆるくなったみたいでとても変な感触だ。今回の捻挫で4回目となる。中でも一番重症。捻挫の後リハビリをしっかりしないと繰り返す頻度が増え、何れは下垂足になって歩くのも不自由になるといわれている。故にこれ以上捻挫を繰り返すわけには行かない。痛みがなくなったら、整骨院通いが始まる。テーピングの方法も覚えなければならない。今回の捻挫になったとき履いていた靴はわざわざ捻挫を防ぐためにしっかりと足首を保護してくれるよな頑丈なもの。ハイカットの靴でも捻挫を防げないのであればその対処方法も考え直さなければならない。4回目の捻挫がまさか山中で発生するとは思っていなかった。不注意、自業自得、注意散漫、疲労の軽視等々、自分の中で非難ごうごう。これって欝特有の思考回路かもしれない。まずい、まずい、せっかく欝は治ってきているのにたかが捻挫で元に戻せない。これを機会にネガティブ思考から脱却する方法を身につけるのも手かも知れない。とりあえず、接骨院に連絡をとってみよう。それにしても、自由に歩けないのは不自由だ。通勤途上、青年が某会社へ走りこんでいった。ダッシュもできないのは返す返すも残念。早く、痛みよ消えてくれ。
2009年09月15日
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一昨日から、眠り虫に取り付かれていた。何時間眠ったことだろう。すっかり元気になってしまった。時々こんなことがある。睡眠薬を飲んでも眠れない日もあり、飲まなくても眠くて仕方がない日がある。ちょっとした怪我をした場合でも眠たくなる。今回の眠りは捻挫のために相違ない。痛みが楽になってきたら眠気も覚めてきた。何をするのでもなくぼんやりしている。自分の越し方、行く末、どちらも明確なイメージがわかない。今日一日だってどんな風になるのやら、正直のところ分からないのでこれも致し方ないか。つい二日前の和名倉山でさえ遠いことのように思う。
2009年09月15日
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左足の腫れは自己判断で捻挫と判定。整形外科に行くのも面倒でシップを替えながら一日寝ていた。夕方になって腫れが多少は引いてきた。歩くことはゆっくりだが何とかできる、正座もやっとできるようになった。昨日何種類か経皮吸収型消炎鎮痛剤を購入してきたが、貼って気持ちよいのはラクールシップだった。まだ、受傷直後のためか、患部に熱感があり冷やすタイプのシップのほうが心地よい。安静にしていれば痛みはない。内出血の痕もあり、治るのには一週間くらいかかるかもしれない。シルバ^-ウィークはお仕事なので何とかなってほしい、何とかなってくれないと困る。手持ちの鎮痛剤を飲んではいるのだが、お医者さんに行ってもお説教されそうで心が進まず、体も動かず。今までの経験に過ぎないのだが、どういうわけか整形外科のお医者様で患者に優しく対応してくださる方は数人しか知らない。極めて個人的な感想に過ぎないのだが、自分で何とかなりそうならかかりたくない。自由に歩けないのはとても不便。左足で一歩進むとき、足の置き方を慎重に見極めながら体重の掛け方をじわじわと行う。この足の運びを下山時にしていればと少々後悔。心の病も億劫だが、体の故障も厄介だ。たった一箇所の障害で自分の体が自由にならない。服を着替え、階段を下り、自転車に乗り病院まで行く。診察時怪我のいきさつや経過を医師に話さなければならない。それが面倒で気が重く体が動かない。痛みが続くようなら整骨院に行ってテーピングの方法やリハビリの方法を聞いてきたい。シルバーウィークが終わればまた休みになる。何とか21日まで無事に過ごせるように祈るしかない。 平日の休みも悪くはない。TV朝日で「相棒」の再放送をやっていた。
2009年09月14日
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昨日山から帰ってくる途中、マツモトキヨシで湿布薬を買い込んだ。足首全体に湿布薬を張り巡らし足を上げて就寝。今朝9時過ぎまで爆睡。湿布薬がはがれないように固定のためにゆるい靴下を履いて寝たのだが、一晩たって恐る恐る靴下をぬき湿布をはがしてみると左足全体がむくんでいる。今まで何回も左足首は捻挫をしているが今回が一番ひどいかもしれない。正座は痛くてとてもできない。歩くとまだ痛む。内くるぶし、外くるぶしの周りが痛い。今日午後整形外科に行く予定なのだけど、どのくらいで治るかそれが気にかかる。明日はもう仕事なので、何とか痛みが治まってほしい。ちょっとした不注意で怪我をしてしまうのは、中高年登山者の特徴といわれているが、私もその一人。お休みの日の寝たきり生活を改善しないと山にもいけなくなってしまう。
2009年09月14日
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久々の5連休、11日から本日まで山旅をしてきました。初日の11日は4時間コース、6月の雨の中歩んだ将監峠まで。空き色に染まり始めた木々と青空が素敵だった。今回初めて泊まる将監小屋は私たち二人の貸しきり状態。まきストーブの煙が郷愁を誘う。幼年時代薪で風呂を沸かしたり台所の釜も蒔き用だった。蒔き火の温かさはからだの芯まで温めてくれる。生後4ヶ月のシェパードの「いち」も歓迎してくれた。夕食を早めにとり7時過ぎには就寝。12日には3時半に起床。おにぎりの朝ごはんを食べ、4時半にはヘッドランプをつけ出発。朝早くの出発だったので、朝の空の刻一刻変化する。デジカメで写真を取りまくる。2万5千分の一の地図を手がかりに歩を進める。コンパスで現在地を確認する作業も楽しい。曇りのち雨の天気予報どおり、8時前には雨が降り始める。レインウェアを着て稜線を歩く。石楠花のトンネルがあったり、ちょっとした岩稜帯があったり、楽しいコースだった。ハイライトは岳カンバの林床に群生する野菊だった。ガスがかかる中で白い野菊が浮き上がりこの時期だけの景観。山で野菊が群生するさまは始めての経験だった。和名倉山はまだ道標が整備されていず赤や黄色のテープでルートが分かる。読図でハイキングする楽しみがあってもやっぱりテープを頼りにする。ところどころに伐採地があり景観が広がると読図の勘が鈍る。次第に現在地の特定が難しくなる。わずかな道標を手がかりに登る。奥秩父は静かな山でこの日の登山者は私たち二人だけ。苔むした林床は美しい。コケには詳しくないがざっと見ただけで5,6種類はある。緑の苔にさく白い野菊は可憐だった。程なく和名倉山の山頂に到着。針葉樹の森の中の静かな幻想的な山頂だった。三等三角点を入れて記念写真。到着は11時ちょっと前。のんびりしすぎたため、3時間コースを二倍の6時間弱かかってしまった。帰りはテープを頼りにどんどん歩を進める。雨脚も強くなり、休憩をとらず下山。疲れていたのだろうか、木の根に足を取られ転倒。左足首に痛みも走る。一瞬、骨折?捻挫?と頭をよぎる。足関節を動かしてみると痛みはそれほどでもない。ダブルストックを使い、慎重に歩を進める。安全登山、たとえゆっくりでも怪我をするととたんに歩みが遅くなる。小屋に着いたのは3時半過ぎ、小屋のご主人がストーブに火をいれ心配してくださっていた。登山靴を脱ぐと足首がはれていた。左足に体重を荷重すると痛みがひどくなる。シップをして足を高くしストーブの横で休む。同行した姉は心配顔。身の回りの世話をしてくださる。冷え切ったからだが少しずつ温かくなってくる。夕食は5時過ぎ。11時間の山旅でお腹がすきまくっていた。どんぶり飯を平らげてしまう。副食はまいたけ、馬肉とたまねぎの炒め物、トマト、きゅうりの塩漬け。シメジとキャベツの炒め物。山では汗をかくせいか塩味がとてもおいしい。山小屋ではのメニューで「おいしいね」の連発。味噌汁もお茶もおいしい。翌日の8時間コースは変更。エスケープルートで三ノ瀬に下りることにする。車でも40分のコース。捻挫した足ではどの位かかるやら。姉が山小屋のご主人にタクシーが来るところまで車で送っていただけるか交渉してくださる。こういう話は怪我をした本人から頼みにくい。今朝は空が明るくなる6時過ぎまで熟睡。ご主人が足の状態を心配して部屋までやってきてくださる。左足首が晴れ上がり平地歩行ども足が痛む。車で送っていただきたいとお願いすると快諾。タクシーの予約もしてくださる。帰り際、「これに懲りず、天気の良いときのまた来て」と温かい言葉。来年は石楠花の咲くころの6月上旬また来たいと思う。久々の捻挫だったが、痛みのため動きが制限されるのは辛い。歩行スピードも普段の5倍くらいかかる。電車の乗り降りの混雑も怖い。帰宅途中、マツモトキヨシによってシップ薬等を購入してタクシーで帰宅。足首全体が腫れ上げっている。シップで足首を多い足を高くして横になる。疲れたせいか、夕方まで熟睡。怪我をして思うこと。他者の親切が身にしみる。自由に歩けないことがいかに不便か実感。今回は登山の準備が押せ押せになり、ゆとりを持った準備ができなかった。だって早朝のコンビニで買った行動食を眠気の性で電車に置き忘れたり、地図の準備が不十分だったり。反省することは沢山。同行してくださった姉の山旅も予定通りに行かなかった。山中の怪我は命取りにもなる。何とか下山できてよかったけれど。明日は休みだが、午前中に整形外科に受診。とりあえず、骨折を否定していただいて消炎鎮痛剤の処方を受けたい。後一日休めば火曜日には仕事ができそうだ。そしてシルバーウィークのお仕事。また、現実生活に突入する。怪我をしたおかげで、痛みに苦しむ患者さんの辛さに少しは心が近づけるような気がする。ポジティブに考えると経験して良かったかもしれない。
2009年09月13日
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欝がひどいときより随分身体、精神の状態が良くなった。良くなったというのも最悪の日々との比較なので普通の生活に戻るにはまだ時間が必要だ。お薬を飲み、眠り、食事をし、仕事に出かけていく。家事は休みの日に休み休み洗濯とごみ出しの準備。お掃除は後回し。掃除をするには部屋の片づけをしなければならない。新聞、雑誌のかたづけ。ダイレクトメールの整理。新聞をかたづけはじめると記事が気になり呼んでします。あっという間に午前は終わる。洗濯物をほし、片付け。そんな一日があっという間に過ぎていく。今日はウィークディの休み。自立支援の書類を書くだけなのに休みつつ、ついには4時を過ぎてしまう。指定薬局の住所、電話番号を控えていなかった。104で聞くだけなのに行動が速やかにできない。何とはなしに面倒なのだ。億劫ほどでもないが、行動が遅い。てきぱきと事務作業ができない。家のことになると余計この傾向に加速がかかる。暮らしていくことを大事にしていないのだと思う。何回も行った場所なのに迷ってしまう。保健所に到着したのは4時半。何とか間に合った。一度で良いから準備万端、後は天の助けを待つのみという経験をしたいものだ。明日から山への気持ちもトーンダウンしてくる。二日目雨模様と聞いてテンションが下がる。9時になった今も準備をしたくならない。明日、朝早く起きてやるしかない。自分が欝なのか、単なる怠け者かも分からない。ぐずぐずとした時間をもてあましている。目標に向かってまっしぐらに突き進むあのエネルギーはどこに行ってしまったんだろうか。
2009年09月10日
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うつ病のお薬を飲み始めて6年。今まで、お薬を追加したことはあったが、お薬をそろそろ減らしてみてはどうか、といわれたのは初めて。確かに体調は良くなった。頭痛、肩こり、首のこり、腰痛は激減した。通いまくったマッサージにはこのところすっかりご無沙汰。一日朝、昼と飲みまくった鎮痛剤とも縁がなくなった。朝の目覚めは気持ち良い。もっと眠っていたいほど。寝つきも良いし、中途覚醒もなくなった。睡眠時間は9時間を越える。どの薬から減らしていけばよいか。睡眠が改善してきているのだから眠剤から減らしていくのが順当か。現在、就寝前の薬はベゲタミンB、デパス1mg、マイスリー10mg、あもばん7.5mg2錠、ハルシオン0.25mg2錠、ロヒプノール2mg。ベゲタミンBは作用時間が10時間ほどあるそうで朝起きれないことを防ぐため夕食後に服用している。抗欝剤はアモキサンカプセル25mg6錠、デパス5mg3錠を毎食後、朝と夕食後にパキシル20mg、トレドミン25mg2錠を飲んでいる。自分の感覚としては、トレドミンを服用してから格段に体調が改善した。集中力はいま一つで、読書やレポート作成はまだまだできない。抑うつ症状はなくなり、焦燥感もない。気分としては落ち着いている。自分の暮らしをどこまで取り戻すか、目標を持つことが必要かもしれないが、6年以上も欝になっていると、自分がこれから何を目標にしていけばよいかすぐには思いつかない。ずっと、仕事に行けていけば良い、と医師には言われていたし、自分もそれで由と思っていた。やりたいことは何か、これもすぐには出てこない。年齢から言えば、仕事を終えるじきも至近距離にある。あと8年間。仕事のキャリアとしては、勤務年数だけ数えればベテランといわれてしまう世代。後輩の目標となるような器ではないし、分からないことは年々増えるばかりだし。分からないことをあまり追求しなくても、そこそこ仕事ができてしまうのは経験の賜物だが。何か、自分の中に真理を探究しようという気持ちがなくなってきたことが歯がゆい。患者さんにとってベストのことは何か、追求しなくなってきたように思う。今日から5連休に入ったわけだが、昨日帰り際所長から「お休みの間何か気になることはありませんか」とたずねられた。今一番気になっているのは癌のターミナルの患者さんだが、症状が患者さんご自信の想定より進んでいる。懸念した床ずれが出始めている。寝返りができないほど痛みも増強してきている。それでも鎮痛剤を使いたくないとの患者さんのご意思。苦痛緩和を図って行きたいが、患者さんご自身に納得をしていただければ治療はすぐに開始できるのだが、患者さんを含めてカンファレンスができていない。その旨を再度所長に話した。医学が専門分化してきているように、看護も専門分化してきており、専門看護師も増えてきた。その専門性の発達に自分がついていけなくなってきているのは事実。看護師としてどこまで成長していくか、そのことが明確になっていない自分。そろそろ仕事に行くだけのスタンスを突き抜けて行く時期かもしれない。目の前の患者さんを心地よい状態にする手助ができるような看護師になりたい。そのためには、勉強を重ねるしかない。睡眠と食事とで占められた時間の使い方をそろそろ軌道修正していく時期なのだ。
2009年09月10日
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8月は、自分から言うのもおこがましいが、働きましたよ。働いているうちに、夏は去り秋日和になってきました。明日はたまりにたまったゴミ片付けに掃除。新聞を2紙取っているのであっという間に新聞がたまってしまう。月曜日が資源ごみの出す日。机の上は新聞と雑誌とノートと読みたい本がガチャガチャに積み重なっている。この山を片付けないと、地図の用意ができない。11日から奥秩父の和名倉山に行くので、2万5千分の一の地図に磁北線を引きA3にコピーして持参する。この作業に10分ほどかかる。コンビニのフルカラーコピー機でコピーして地図の準備は終了。小屋止まり2泊などで行動食の買出しも必要。山に行く前に周到な準備をしておくと思ったより楽チン山行になる。デジカメの充電もしておき、山写真を記録に残るように撮って来たい。一日目は遊びながら登っても4時間の行動時間、天気がよければお昼寝を将監峠でしたい。二日目はどうも曇りから雨模様。今回の山行ではハイライトなのに少し心配だ。富士山が見れたらラッキーだろう。山小屋からのピストンなので時間的余裕はある。二次林の自然林もあるらしいので楽しみだ。三日めは将監峠からお祭りまで8時間コース。朝早く小屋を出て山行の〆に温泉に入って来たい。後連休が終わった後のシルバーウィークは残念ながらお仕事。ハードな4連続勤務が待っているので、今度の5連休はゆっくり楽しみ気分転換を図ろう。
2009年09月09日
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高齢者世帯が増えて、老人が老人を介護し、認知症の方が認知症の方を介護するということも珍しくなくなってきた。Pさん夫妻はまさしくそんな家族。奥様は週3回4時間の透析を受け、要介護1。認知症も大分進んできており、薬を飲み間違いすることもざら。ヘルパーさんに週3回家事援助で来ていただいているが、お惣菜を作っていただいているも全く手をつけていない。食事はコンビニエンスストアで買ってくるコッペパンやサンドイッチで済ませている。タクシーで通院しているが、病院の帰り自宅の近所でタクシーを降りると自宅がどこか迷ってしまう。お金のしまい忘れもある。バッグがいくつかあり、それぞれのバッグに分散してしまってあり、どこに入れているかも分からなくなっている。Pさんの病状はあまりよくない。糖尿病が悪化して腎不全になり、週3回透析を受けているのだが、先日は心筋梗塞になりステントを植え込んだ。足の指も切断している。そのPさんが、要介護4の夫の介護に当たっている。夫のDさんは脳梗塞になり右片麻痺である。着替え、トイレ、車椅子への乗り移り、排泄といった生活全般に介護が必要である。妻は週3回透析に出かけるので、その間に介護する人は居ない。それで、ディサービスに週4回出かけている。透析回数より、ディサービスの回数が多いのは妻の休息をとるため。日中は何とか生活できている。問題は夜間である。夜間夫が尿意を催すと、妻を起こす。まだオムツを使わなくても済んでいるので、尿瓶を使っている。右片麻痺なので、夫は一人では尿器を使えない。年取ると、日中より夜間のほうが尿量が多くなる。夫がベッドサイドに立位になり、妻が尿瓶をあてがう。こんなことが夜間2、3回はあるという。妻は睡眠を中断させられるので体が辛い。透析がない日は洗濯を済ませ、後はボーっとしていることが多い。妻は透析を受けているものの、歩行は自立であり、認知症があるが日常生活は遅れているので要介護1のままである。同居の家族があるとのことで夫のDさんには家事援助はわずかしか入らない。夜間の過ごし方が今解決すべき課題であるのだが、夜間のみはくタイプのオムツを使っていくという手段があるが、オムツになってしまうとトイレに行く習慣がなくなってしまう。常時オムツを使うことになるとまた妻の負担が増えてしまう。短時間の訪問介護で夫のトイレ介助のサービスが入れば何とかなるのかもしれないが。尿意、便意のタイミングと会わなければ意味はないし。あーぁ、頭が痛い。 排便のときは重いポータブルトイレをベッドサイドにまで運び、トイレにたたせ、ズボンや下着を下げトイレに座らせ、トイレ後の後始末をする。便意があってトイレを準備しても空振りにあることもあり、今は排泄介助が妻の一番のストレスになっている。
2009年09月08日
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今朝、朝礼が終わり、訪問の準備をしていると福祉事務所から電話があった。Kさんがご自宅で亡くなられていたという。「今朝、ヘルパーさんが訪問したところ、瞳孔が開き息も止まっていた。警察の連絡をし死亡確認をしたところです。司法解剖するかはこれから判断するところです。」と。Kさんは私と同じ年。結婚され娘さんもいらっしゃるそうだが、難病の進行とともに日常生活動作も低下し、その時期と対応し離婚された。週1回の訪問だが、看護師に何をしてほしいかがいつも明確で要領を得ている。無口だが無愛想ではない。話しかけるとぼそぼそとご自分のことも話してくださる。格闘技が好きで、内藤大作のファンだった。年末も紅白歌合戦は見ずに格闘技で盛り上がったらしい。先月母上が老人保健施設で最後を迎えられ、「天涯孤独になってしまった。心の支えがなくなってしまって、ぼんやりとしている。」と。四十九日もまだで、お骨が部屋の隅においてあった。最後の訪問看護をしたのは先週の金曜日。「食欲はないけど、ヘルパーさんが握ってくれたおにぎり一個は食べているよ。副食はほとんど食べられない。箸を使えなくなったのでスプーンを使っているけど食べにくいね。」残した副食はビニール袋に二重に包み部屋の隅においてある。生ゴミのゴミ箱に捨てるのをナースに頼まれる。最近はその重みも増してきた。血圧や脈拍、体温、酸素飽和度はいつもとかわりなかった。リハビリは下肢筋力の低下が如実に現れていた。立位保持はもうできず、いざっての異動だ。もちろんトイレにもいけない。尿器で採尿し便はポータブルトイレ。入浴はヘルパーさん介助で週1回。テレビとエァコンは買い換えたばかりだ。本人はこんなに早く召されるとは思っていなかったに違いない。お母様が旅立って後を追ったのだろうか。ご冥福をお祈りするしかない。合掌。 欝にはこういった日常の中の非日常がダメージを与える。今日一日はなんとなくぼんやりしていて元気が出ない。お薬があるので、眠れそうだが、Kさんのことは今しばらく尾を引きそうだ。
2009年09月07日
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先週の金曜日から携帯当番。土日呼ばれるかと心積もりだけはしていたが、何事もなく終了しそう。パンツのポケットの携帯を入れておいたがとうとう一回もならずに終わりそうだ。昨日はだらだらうたた寝をしながら洗濯をし、掃除をし、まとまりのない日だった。今週は木曜日から5連休などで、月、過、水と3日間働けばよいだけ。金、土、日と2泊三日で奥秩父の和名倉山に行く。天気にさえめぐられれば快適な山散歩だ。
2009年09月06日
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私は10年に一度位入院が必要な病気にかかっている。30代には急性肝炎(A型)になった。食欲がなく、倦怠感が強く、夜幻覚に悩まされた。その頃も訪問看護の仕事をしていた。患者さんが急変し、緊急入院となった。その日に病棟にお見舞いに行き、帰りにナースステションに立ち寄ったら黄疸を指摘された。そういえばだるさや食欲がない日々に思い至った。まさか入院になるとは思わず、仕事が終わってから夜間外来を受診した。血液検査の結果、GOTやGPTが1000を超えていて医師から緊急入院しなさいとの言葉。絶句した。それでも医師に「自宅療養ではだめですか?」と念押しをする始末。「自宅で死んでいたらどうするの?」と聞き返され、しぶしぶ入院した。入院したら、気持ちの張りがなくなったせいか急に体が動かなかった。トイレに行くのにも億劫になり、三度の食事も汗をかきながら食べていた。主治医は外来で診察をしてくださった医師で、毎日の血液検査の結果を、夜データを直接ベッドサイドまで持ってきてくださって説明していただいた。急性肝炎には完治するA型、慢性肝炎や肝がんに移行するおそれのあるB型やC型などがある。入院後3日目にA型であることが分かりほっとした。仕事が仕事なので、慢性肝炎に移行するC型肝炎の恐れもあった。B型肝炎はワクチン接種で抗体をつけておいていたので検査結果を待つまでもなく否定できた。その頃C型肝炎のことはまだあまりよく分かっていなくて、感染後20年くらいで肝がんになるとも言われていた。ひょっとして「私の寿命は50才くらいかなぁ」などとぼんやり思っていたが、だるさが強く食事とトイレ以外はこれでもかと思うくらい眠り続けた。すぐ先の死ではなく20年後という時間の長さがそうさせたのかもしれない。A型と分かったとき、これで生きられると思った。安静と食事療法で快方に向かい、検査結果も3桁に改善し、退院となった。 実家には知らせなかったが、退院したら両親の顔を見に行きたくなって帰省した。ちょうど新緑の季節で緑がきれいだった。縁側で両親としみじみとお茶を飲んだ。急に帰ってきた娘に両親は何も尋ねなかった。健康だけには自信があったのに、急性肝炎は意外だったが治る病気なので病後も精神的なダメージはなくまた日常生活に戻っていった。45歳のとき卵巣嚢腫になった。ある日、下腹部に可動性のある腫瘤に気がついた。膝を立てて腹部に緊張を除いて触ると10センチ大の瘤が動く。婦人科に行かなければと思いつつ、仕事が忙しい時期で受診は年末になってしまった。医師から厳しい表情で新年早々血液検査を受けに来るように言い渡された。その年の年末年始は所属する山岳会の合宿で槍ヶ岳に登ることになっていて病気のことを気にしながら冬山に向かったが体調が今一歩で散々だった。年明け後もぐずぐず受診を引き伸ばして2月になってようやく血液検査を受けに行った。受診後二日目の仕事中、クリニックから電話があり夜でも良いので早くに診察に来いとの話。「腫瘍マーカーの値が高く、手術しなければ悪性か良性か分からない。術中診断で悪性と分かれば、手術の範囲が広くなるので大学病院を早々受診しなさい」とのこと。医師は優しく、その場で大学病院に予約を取ってくださった。悪性腫瘍の可能性があるとの話に少々パニックになった。クリニックの帰りファミリーレストランによりさめざめと泣いた。これからどうすれば良いかすぐには判断できなかった。とりあえず、大学病院を受診。再度腹部超音波診断を受けた結果、卵巣脳腫の場合手術中の病理診断で悪性と判明すれば広範囲切除手術に切り替えるので大学病院で手術を受けることを勧められる。悪性の場合は引き続き1年間くらい化学療法を受けなければならないのでその点を考慮に入れ職場の調整をしなさいと言われる。また、入院まで上部消化管内視鏡と骨盤CTを自分の病院で受けておくようにとの指示。手術日が決まれば電話で連絡する旨を言い渡される。婦人科疾患の知識はなかったので大学病院の帰り神保町の三省堂により看護学や医学の本を立ち読みする。卵巣腫瘍については楽観視できるような記事はなかった。悪性であればたとえ化学療法を受けても予後不良とのこと。覚悟を決めるしかなかった。予後1年という期間が切実のものとなった。社会復帰するめどははっきりしなかったので、仕事も整理する必要があった。きわめて個人的なことなのに、病気となれば自分の社会的存在を実感。職場に病状説明をし、最悪の場合は社会復帰に1年以上かかる可能性を話した。職責もしていたので、降格を申し出た。入院した日には桜が咲いていた。今年は花見もせずに春を過ごすことになる、ひょっとしてもう花見はできないかとも思った。入院して手術に備えてMRI等の検査を受ける。病室は6人部屋。卵巣腫瘍で化学療法を受けている方もいらした。自分は何をしてきたのだろうか。何一つ社会に貢献するようなことをしてこなかったという後悔の念に駆られた。この思いが、将来うつ病の原因になるとは思いもしなかった。(つづく)
2009年09月05日
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9月から26歳の看護師Hさんが異動してきた。ここ1ヶ月はオリエンテーション期間なので同行訪問をしていく。今日は私の担当で一日一緒に過ごした。卒業して6年目なので基本技術はマスターしており、個々の利用者さんの家庭の物品の置き場とか仕事の手順、ゴミの置き場など伝えていく。まだ20台なのですがすがしい。動作もきびきびしていて一度伝えるとすぐマスターしていく。頼もしいスタッフが異動してきた。今日の訪問は4件。最初の方は神経難病の方。立つことができなくなりつつあり、いざって室内は移動されている。主治医からのリハビリメニューがあり一緒にコールを掛けて体を動かしていく。20台からの発病だったので、利用者さんのほうがよく心得ていて教えてくださる。糖尿病も合ったのだけれど自然やせてきて現在は血統コントロールは良好。しかし、体力は落ちてきてからだの切れがいまひとつ。おにぎり1個とおかずを少々召し上げるだけという。少しずつやせてきている。ヘルパーさんが作られた副食のほとんどは残されている。空腹感がないと言う。一ヶ月前に母上をなくされ天涯孤独の身になった。心の支えがなくなったので、寂しいという。2件目の方は、日中独居の方。朝息子さんが7時前に出かけられ夕方8時くらいに帰宅されている。ラジオの文化放送を聞きながら一日過ごしている。関節リウマチの方でこのかたはベッドの上が生活の場所だ。体の向きを変えることはできるが、立てず、歩けず。排泄はオムツを使用している。ここ2ヶ月あまりでん部に水泡が出てきて、皮膚の状態が芳しくない。ご本人に伺うとそれほど痛みはないとのことであった。おむつ交換をして、皮膚のケァをして、手浴と足浴をし、水虫の薬をつけ、内服薬を1週間分セットして、ベッドサイドにお茶や水、クッキー等をつまめるように置いて帰ってくる。認知機能は明確なので、ご自分のやってほしいことは明確に伝えることができる。三件目は1時間半掛けて、全身清拭、関節可動行き訓練、浣腸、摘便、更衣、おむつ交換、口腔ケァをご主人と一緒に行う。この方の一番の課題は便通コントロール。うまく排泄されないと、嘔吐してしまい、それが肺炎の元になってしまう。先週から便の量が少なく、今日出なかったら腸閉塞の疑いを否定しておく必要がある。浣腸して1時間あまり、腹部マッサージしても反応が悪い。ご主人もあきらめ顔で、「今夜おれがやるからいいよ」とおっしゃってくださる。でも、ご主人一人では2時間もかかるケァなのだ。延々と腹部マッサージを続けても効果がない。ご主人も私たちもあきらめオムツや衣類を整え、訪問終了時の呼吸音や酸素飽和度を確認するとき、ほのかに便臭がするのでオムツをあけたところ多量の便。「よかったねぇ」と看護師二人で声を掛け合い、サイドおむつ交換をする。この方の居室は2階。体重は55kgあり、入院のときはご主人が奥様を背負って階下に連れて行くそうだ。今年で在宅療養は7年目になる。良く一人で頑張ってこられたと思う。ケァの中で大変なのが排泄なので、夜遅くにご主人が一人でおむつ交換をしていると思うと胸が痛む。訪問看護のとき、便を出し切れば多少はご主人の介護負担を軽減できるのだが。とにかく便が出てよかった。事務所に帰ってきても、「便はどうだった?」ときかれ「たっっぷりでた」と報告するとみないっせいに「よかったね。」とほほが緩む。4件目の方は頚椎損傷の方で、膀胱に直接管を入れ尿を出している。管がつまり気味なので、週一回は膀胱洗浄をしている。ご本人も奥様も手技は承知しているのでスムースに仕事が終わる。今、看護師不足はひどい。特に病棟勤務は過密労働で日勤の看護師が退勤する時間は早くて6時、7時、8時はざらだ。結婚して、普通に家族を持とうとすると看護師本人はもちろん家族の負担は大きい。夜勤もある。一般の家庭で母親が夜居ないというのは考えられないと思う。看護師の家族はそれが当たり前なのだ。子育てを期に退職する看護師も多い。夜間の保育体制を一般の保育園でも普通に行ってくれるような世の中になってほしい。
2009年09月04日
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久しぶりに、ぷりぷりと怒ってしまった。爆睡した後だから余計目が覚めてしまう。要は連携をうまく取れるようにどうしていくこがこの方に生き生きとした穏やかな時間を提供できるかということだと思う。ご家族、ご本人、医師、看護師、ケァマネージャー、訪問介護士さん。後いくばくもない命の輝きのために、一致団結していかなければこの方の暮らしは守れない。今年の4月に余命3ヶ月と告げられ在宅生活を選ばれた。介護の方法についてもご家族はあまり分かっていない様子が見受けられる。訪問介護が入って生活がどのように変化していくかまずみていこう。医師の考えや治療方針を再確認し、訪問看護できる日を増やせないか所長に頼んでみよう。そして、近いうちに担当者会議をケァマネージャーさんに頼んでみよう。 家族と交わす交換日記に各サービス担当者がその日の出来事を記入し夕方帰ってくる家族に大事な情報が伝えられるように使用。もちろん、医師にも必ず書いてもらう。とにかくこのことを診療所の看護師長に相談してみよう。h
2009年09月03日
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Dさんは肺がん末期で、一日500mlも水分を取れない。もちろんトイレにも行けない。ポータブルトイレがベッドサイドに設置されてある。お風呂にももう5ヶ月も入っていない。もともと色白の方なのに垢が皮膚に付着して茶色になっている。衰弱もひどくて体を拭くとか爪を切るとかのケァも負担になりよほど調子がよくないと受け入れていただけない。歯磨きも一人ではできないので、お口の中も汚い。同居のご家族もいらっしゃるのだが、仕事のために朝6時には出かけ帰宅は早くて午後2時過ぎである。日中一人になる6時から2時までの8時間、お一人で家で過ごされる時間帯がご家族にとっては心配なことである。介護保険の在宅サービスの中でも訪問介護については縛りが多い。この方の日中お一人になる時間帯にサービスに入れても1時間が限度という。ケァマネージャーさんは介護畑の人のようである。8時間お一人の生活なので、その時間帯せめて2時間くらいは見守る人がついてほしいのであるが、どうもそれはできないようなのである。ポータブルトイレの処理も家事援助なので、同居の家族が居るので、できないという。あまりにも杓子定規の対応にしばし絶句。人的サービスについては厳しく適応を考えておられるケァマネージャーさんだが、福祉用具のレンタルや購入についてはこちら(訪問看護)の要請にすばやく対応していただいている。福祉用具のサービスも担当している業者さんなのでありがたいのだが。癌の末期の患者さんのケァプランについて一般に病状の進行が早く対応が遅れがちと言われている。お口のケァをするために、口をあけているのも辛いという方に対して、実際のケア時間が少なければ30分にせざるを得ないという。ここで怒り心頭になる。さすがに、怒っていますとは言えなかったが。そのくせ、日中何かあったら訪問してくれるかとおっしゃる。この方の訪問看護は医療保険を使って行っているのだが、訪問診察(往診)がある日に訪問しても医療保険は適応できない制度になっている。医師の業務と看護の業務は全く別なものなのに、何を考えているんだ!と言いたい。怒ってばかりいてもしょうがないので、明日にでもカンファレンスで相談してみようと思う。
2009年09月03日
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今日は、仕事としては最悪だった。月曜日、Sさん訪問中に往診があり、口頭で塩分注入量の指示ががあった。一日塩分量2gから6gへの変更であった。一日2回塩分を注入しているので、塩分量は3倍になるはずだった。一包1gのものを2gと誤解して、4g入れたと思い込んでしまった。一包1gなので、3包必要だったのだ。昨日には間違いが発見され対処できているようなので少しは安心できたが。昨日はお休みだったので、今朝出勤したら机の上にメモ書きが貼っており、私の誤りを正す文面だった。一気にトーンダウン。しばらくミスはしてこなかったがこの間に2件。アクシデントレポートを提出しなければならない。医師とのやり取りとして口頭指示は原則として受けないというのがある。口頭指示を受けたことも間違いであった。指示から2日めに誤りが発見できたのは良かったが。午前中の訪問は2件、午後2件と時間内に収まる件数。朝のこともありなんとなくパットしない。その上、雨模様。レインウエアを着るべきか迷ったが、軽い霧雨だったので着ることなく出発。一件目は床ずれの処置。足浴をしてから軟膏処置をする。下半身麻痺があり、糖尿病抹消神経障害もあるので完治までは半年以上といわれている。傷は思ったよりきれいになっており、浸出液も少ない。3ヶ月入院をし一日2回処置を受けただけのことはある。そのことをお伝えするとご本人も少し安心したみたいであった。2件目はちゃきちゃきの江戸っ子。88歳になる女性の方だが、お話がとても上手。思わずお話の世界に引き込まれてしまう。処置とリハビリをして終了。午前勤務は12時前に終了。午後1件目は66歳の寝たきりの方。ご主人と一緒にケァを進めていく。一番のポイントは排便コントロール。週2回訪問看護で排便の処置をしている。8月になってから便の量が少ない。スタッフもご主人も気にしている。今日こそはと出かけていったのだが、ほんの少ししか出ない。イレウス症状はない。あさって訪問なので、下剤の量の調整についてご主人に提案して退室する。午後2件目の方は透析をうけている。目の見え具合も悪くなってきていて、内服薬のセットとインスリンを自己注射しているので、インスリンを医師の指示通りに注射器につめてくる。きょうは飲み残しも使用済みのインスリンの注射器の本数も間違ってなかった。透析後のためか、血圧も低くだるそうな様子が気になったが、ご本人に聞くと透析後はいつもそうとのこと。様子を見ることにする。定時には業務終了し、来週の受診日までには自立支援医療費の診断書を書いていただきたいので、帰宅時にクリニックによる。今日の業務はもう終わっていたが、ドアが開き診断書を届けてきた。今日一日の気分は曇天という感じか。仕事としては淡々として終わったのだけど。今日みたいな日は「生きた」という実感はない。「生かされている」でもなく、「行きたい」「生きよう」でもない。ぼちぼち仕事をこなしてきたが、「生きる」ことは少し横においていたようだ。まっ、こんな日もあるんだよね。
2009年09月02日
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昼間の自宅は荒れ放題。いつも朝早く、出勤し夕方帰宅しTVをつけPCで遊んでいるので、自宅の混乱振りは目からはずしていた。日中、自宅を見回すと縦積みの本の山と机の上には山用に地図が乱雑に積まれている。PCスペースだけは落ち着いている。日中この有様を見ていると、体が自然に動く。とりあえず不用品をごみ出しに、新聞はさっと目を通し廃棄処分に。こんなこんなをしていると、あっという間に午後3時に。急いで着替え、元気に自転車に乗る。中仙道から高島通りまでは下り坂。爽快であった。程なく保健所に到着。窓口の職員の対応は親切丁寧であった。帰りは上り坂。普段仕事では電動アシスト自転車に乗っているのでこの坂道はちょっとしんどかった。坂の上には八百屋さんが。幸水に目が留まり、白桃にも目が留まる。間髪いれず購入。しばらく野菜を買っていなかったので、トマト、きゅうり、なす、キャベツも購入。時間は5時10分前。課税証明書も取りに行くことにする。何とか時間に間に合い書類は診断書と申請書の記入だけ。9月末日には間に合いそうもないが、こんな短時間で済むならもっと早く対処すべきだった。自立支援の更新は今回が3回目。パキシルを40mg使うことから、主治医のお勧めもあって申請することになった。経済的には助かっている。抗欝剤を飲むようになって抑うつ症状は軽減してきた。一番辛かったのは、食欲不振。砂をかむような味気なさは忘れられない。「自分は生きていく価値がない」「このまま消えてなくなりたい」「いっそ交通事故が自然災害にあいたい」「生まれて来なければ良かった」。仕事を終え、お薬を飲み、翌朝ぐずぐずと起き上がり、やっと仕事に行く。そんな生活を3年あまり続けていた。自殺を思いとどめたのは両親の存在だった。私が生まれたのは、1955年だったので、父は東京に働きに行っていた。その6年後水害にあった。父も肺結核で倒れた。その間の母の苦労姿は目に焼きついている。そんな両親の姿が私を思いとどめさせたのだと思う。今は生まれてきたのだから生きき続けると思えるようになった。今の希望は朗らかに暮らして生きることだ。もともとテンションがすくないので努力は必要だが。
2009年09月01日
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もう9月。自立支援医療受給者証(精神通院)の更新の時期が迫ってきた。公費負担は1割なので、パキシルを使っている私には経済的にはこの制度はありがたい。先週の金曜日寝込んでしまったし、次の受診日は来週の火曜日なので今日しかない。今日は月に一回の生理休暇で休み(女性のみ月一回有給で保障されている。)現在パキシル20mmgを一日2錠飲んでいるのでお薬代は1割負担で1600円前後。つき2回の受診なので、診察料金を含むと月5千円。他に高血圧症、高脂血症、甲状腺機能低下症の薬を飲んでいるので医療費は高い。内科は3割負担なので診察料は1000円、8週ぶんでお薬代7500円位。年間10万円以上医療費がかかっていることになる。勤めている職場は医療機関なので、共済組合の制度で法人内の医療機関にかかった場合は申告すると1ヵ月後に医療費が戻ってくる。今まで、職員にメンタルクリニックにかかっていることは上司にしか話していなかったが、6年もたってしまうと誰に知られてもいいや、て気分になってきた。自立支援受給者証に記載されている医療機関でないと適応されないので、次回は法人内の薬局を申請することにしたい。年間6万円の医療費が帰ってくると思うと同僚に欝と知られてもいい。先日、定期受診日は丁度指定薬局がお盆休みだったので、法人内の薬局に処方箋を出した。内科の薬を薬剤師から渡されるときは副作用など確認を受けることが多いのだが、メンタルクリニックの処方を受け取るときは特にコメントなかった。精神科系の薬もしっかり置いてあることが分かったので来月からは薬局を変えることにした。三日間寝て過ごしたので今週は快調に過ごせそうだ。今日は先日予定したお買い物にも行ってこよう。
2009年09月01日
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