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週2回、水曜日と金曜日の午後1時間半の訪問看護に行っているWさんのご家族から、緊急用携帯電話に連絡が入った。Wさんの息子さんから、入院先からの電話であった。「お父さんが入院した」とのこと。「お父さん」とはWさんの夫のこと。(訪問看護では、苗字で呼んでもご家族が皆同じ名前なので、ご家族での呼び方で話しかけることが多い。)夕べから嘔吐を繰り返し、今朝も嘔吐していたためかかりつけの大学病院に受診したところ胃潰瘍で吐血との診断で緊急入院されたとのこと。若い頃から胃潰瘍があり、昨年も1ヶ月ほど入院されていた。手術をした吻合部からの出血のため、輸血もしなくてはならないという。介護保険のサービスを利用していても在宅介護はご家族の負担が多い。気管切開をして、在宅酸素、胃ろうからの経管栄養、吸引、おむつ交換と介護量は多い。朝の痰の吸引、おむつ交換から始まって深夜1時のおむつ交換、吸引まで24時間介護が続く。この方が入院されていても処置は看護師二人で実施するに違いない。それを夫一人で頑張っている。処置が多い在宅患者さんのご家族はどこでどのようにしてご自分の健康管理をされているのだろうか。週2回の訪問看護のときでも、夫の協力は欠かせない。訪問時の体位交換にしても、おむつ交換にしても看護師一人ではとても難しい。ご家族のご苦労は想像に難くないが、介護負担を軽減できることは少ない。Wさんは3月1日に退院してやっと1ヶ月経ったばかり。とりあえず息子さんが仕事を休み介護をされるとのことだが、Wさんの入院を手配するつもりだという。在宅介護は圧倒的のご家族のご苦労があって成り立つ今の制度。なんとも言えずため息が出てしまう今日の出来事であった。医療や福祉、介護についてもっと国に責任を持ってほしい。
2010年03月31日
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砂を噛むような味気なさ、文字通りひどい欝の時には食欲不振がひどかった。今まで食べていたものも吐き気を催し、本当にざらざらとした舌触りだった。そんなことがあったなんて信じられないほど食欲は回復した。今では喉が渇いていれば東京との水道水だって美味しく感じてしまう。この2週間、ロキソニンとベゲタミンBを飲まないでやってきた。睡眠時間は短くなった。0時過ぎに寝つき、3時頃中途覚醒し、どうもパソコンをやったり、おやつを食べたりしているようす。自分では中途覚醒したときのことは覚えていないが朝起きてみると何やらその痕跡が目に付く。睡眠時間は短くなっても何とか仕事はできる。その代わり、休日は疲れきってしまうのか、引きこもりみたいにお部屋の中でジッとしていて時間が過ぎていく。自慢じゃないけれどかっては読書家だった。評論も小説も詩も何でも読んでいた。活字さえあれば何も要らないといってもいいくらいだったのに。今は集中力がない。困り困って仕事関係の本をぺラッとめくるくらい。もっと元気に生き生きと暮らしたい。仕事は他人の眼もあって、多分自営業だったら仕事はしていないと思うから、他人の眼が必要なのだと思うのだけれど、何とか仕事はしている。お点をつけるとしたら60点くらいかな。何とかやっているレベルだと思う。私生活になると何もしなくても良いので本当に何もしない。最低限の家事を何とかやっているくらいで自宅で心から楽しいことはしていない。TVとかPCとかラジオとか皆受身のものばかり。主治医の言うように東京との水道水が美味しく飲めるのなら欝ではないけれど、水が美味しく飲めても生活が美味しくなければ仕方がない。何のために生きているのかとも思ってしまう。ここ一年くらいはこんなことばかり先生に訴えていた。年のせいとも言われてもしっくりと来なかった。レメロンを飲んでみたのだけれど、睡眠の質は多少は改善したが読書する元気はまだ出てこない。やっとここ数年の私の思いが先生に通じたのか、先生のほうから「試しに飲んでみる?」というお話があった。エビリファイというお薬。3mgと少量だが、引きこもりだった方が元気になることも多く三日か四日服用すると効果が出てくるという。統合失調症の薬だそうだが欝の場合も効果があるとのこと。ちょっと迷ったが元気が出てくるというお話に魅力を感じてしまった。とりあえず2週間服用し、その結果をお話しすることになった。ちなみに食欲が出てくるお薬はアモキサンもパキシルもレメロンもそうだという。そうか、納得してしまったなぁ。食欲には完全に自信があるもえの。生ぬるい東京の水道水でも美味しく飲めてしまうもんね。「今日の治療薬」で調べてみると抗欝薬には体重増加の作用の強い薬は結構ある。食べすぎもお薬の性だと分かれば納得いく。毎日三度の食事が美味しければそれはそれで幸せだけれど、食欲だけあっても人間的な知的な歓びがない生活は寂しい。何でも薬に頼ればいいものではないが、元気になるんだったら飲んでみたい。抗欝薬には体重増加作用のない薬もあるので今度また相談してみよう。とりあえず、明後日から服用して生活の変化があるか試してみる気になった。安易といえば安易だけれど。休みのたびに引きこもりではね。
2010年03月30日
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レメロンを服用してから、朝の眠気が強くて困っていた。中途覚醒もあるし、明け方眠気は半端じゃないし。そこでレメロンを1錠にしてベゲタミンBを服用してみた。これが好調で中途覚醒が無い上に朝の目覚めはしっかりしている。今日は面たるクリニックの受診日なので主治医に相談してみようと思う。朝にしっかりまとまった時間が取れるのと、取れないのは大変違いですもの。今日はたまりにたまったゴミだしをしっかりしようと思う。要らなくなった洋服も捨てられれる。たまたま今日だけのことだったらどうしようかと思うが、明日からもこの調子で朝もしっかり起きられれば生活時間の使い方が使ってくるはず。三日坊主に終わらずに継続してみたい。
2010年03月30日
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呼吸療法認定士の直前講習の葉書が日総研から今日の昼に届いた。呼吸療法認定士の試験を受けるためには、学会主催の講習を受けることが条件なので、ネットで慌てて検索してみると来年度の受験用書類のダウンロードが締め切られていた。応募するための書類はダウンロードしておき、申し込み期限が始まったらすぐに送付しないと講習会を受けることはできない。例年4月になってもダウンロードが可能なので、来年度の要綱を隔年しないままでいた。昨年からこの試験は絶対受けると自分でも思い、職場にも宣言し勉強してきたのに、不覚。おっちょこちょいは小さいときから両親や祖母、兄姉から指摘されてきた私の性格だが今回ばかりはガッカリ。同僚にも宣言してきたので、格好悪いったらありゃしない。本当に、年度末に大失敗。来年、受けることにするしかない。今年の秋は骨折のあとの足関節を固定してあるボルトとプレートを除く手術を受ける予定なので、手術後リハビリが長引くと試験を受けられなくなることを考えると、来年の秋になってもまぁ良いのかもしれない。あれやこれやと興味がわくのだけれどなかなか物にならない。今度こそと思っていたのになぁ。今年は方向を変えてアロマセラピストの資格をとることにしようかなぁ。私がとりたい資格はみんなお金がかかることばかり。しっかり貯金して資格をとることにしよう。
2010年03月29日
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訪問看護の仕事をして3年目に入った。がん患者の方も多く、在宅医療を希望されて訪問診察や訪問看護を受けるようになる。ガンは早期発見さえできれば、風邪と同じように治る病気であり、現在は患者さん本人に病名や病状、余命などを伝えるのは当たり前になった。10数年前、診療所に勤めていた頃の話である。ご夫婦二人暮らしのお宅に往診と訪問看護で伺っていた。奥様には腰痛があり、痛み止めの注射と病状観察のために毎週一回訪問していた。子供たちを育て上げ夫婦二人の水入らずの生活をされていた。ガン医療のことも盛んにマスコミに取り上げられており「ガンになっても何の医療処置も施してほしくない」とのことがお二人の共通したお気持ちであった。定期的な血液検査で貧血が分かり、念のため胃の内視鏡をしたとことろ胃がんが発見された。往診で主治医からご本人と奥様に検査結果を説明した。手術をすれば助かる状態であることも伝えた。でもお気持ちは変わらずに、様子を見ていくことになった。何れ食べ物を食べられなくなり嘔吐や吐き気、腹痛などの症状が出てくることは予想された。時を経ず、食べられなくなり、自宅で点滴が始まった。その当時、在宅でできることは限られており、どちらかというと苦痛を除くことが主になってくる。食事が取れなくなったための点滴であったが、嘔吐を繰り返すようになった。このとき本人から聞かれた言葉は「先生は何もしてくれない。何とかしてほしい」であった。あんなに治療を拒んでいたのに苦痛には耐えられなくなっていた。奥様もご主人の状態が進むに従って自宅での看護が大変になってきた。結局入院され、手術を受けることになってしまった。ガンと一口に言っても、外来で内視鏡で切除してしまえば治るレベルから入院して手術して一週間くらいで退院できてしまったり、進行してくると化学療法や放射線療法を併用する場合など様々である。患者になった場合、医学の専門家ではないので、ご自分の病気や治療方法やその成果などできるだけ充分理解して治療に望むことが大事になる。たとえガン末期といっても様々な段階があり、症状に応じた薬物療法などがある。率直なコミュニケーションができることが大切だ。遠慮なく何でも医師に聞けるような人間関係を作ることができれば、とりあえず第一段階としては成功と思う。患者中心の医療を医師も心がけているので、自分の病状や治療方法、そのメリットやデメリット、どんなリスクがあるかなど、質問リストを作って一つ一つ確認していってほしい。どんな些細なことでもたずねていくことができればそれだけで治療を受けることが楽になると思う。医師は大変忙しいので生活の援助をする看護師に聞きたいことを伝えておき医師のスケジュールを調整してもらうのも一つの手段かもしれない。今ではガン専門看護師がいる病院も多くなってきた。残念ながら在宅医療の対象はガン末期の方だ。積極的な治療ができなくなったとき、緩和ケァ病棟やホスピス、自宅療養に切り換える時期になる。ガン末期の様々な症状を和らげできるだけ苦痛が少なく快適に過ごせるか、いわゆる緩和ケァも進んできた。私たちの訪問看護ステーションでもガンの末期の方をケァすることが多くなってきた。緩和ケアについて集中的に学べる講座が開かれることを知って申し込みをした。募集人数が東京地区で50名。募集開始とともに参加申し込みをFAXで送っていた。その結果がきのう郵便で届いた。申し込み番号3番で受付をしていただいた。参加費は6万円とお高いが、6日間なので一日1万円ならお手ごろ価格とも言える。春の洋服も変えなくなってしまったが、緩和ケァについて学びたいという気持ちは変わらない。冒頭紹介した胃がんで亡くなった方に対してももっと別のアプローチがあったのではないかとおもう。今までしてきたケアを見直すためにも勉強をしてきたい。第一回の講座は4月22日と23日。しっかり勉強してきたい。
2010年03月28日
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久々の土日の連休。同じ休みでも形態当番の休みはいつ電話がかかってくるこも知れないとすぐ自転車に乗って出かけられるように仕事服を着て休んでいる。電話の向こうで心配そうな声を聞くとすぐ飛び出していって、患者様のお宅に駆けつけて行きたい。昨日、今日は携帯当番ではないので心から休んでいられる。今月の土日の休みは久しぶり。いつも休みの前は、色々とやりたいリストを作るが、結局は何もしないで過ごすことが多い。昨日、今日もそうでお昼過ぎまで眠りゆっくりと珈琲を飲み、ぐずぐずしながら家事をする。2月始め以来のハイキングを計画していたのだが、体のだるさが取れないと同時に喉の痛みも続いておりキャンセルをしていただいた。来週はまた携帯当番なので、しばらくはフリーの休みは無いのだけれど。せっかくの休みをお家暮らしでぼんやりしているのはもったいないとは思いながら、何も考えずに休んでいられるのもまたいいかもしれない。働いていると昼間にお家にいられることも無いから。健康的ではないことの象徴かもしれないが、ときどき「もう、人生をやめてしまいたい」と思うことがある。一時よりその思いに引きずられなくなったが、今はちょこっと掠めるだけ。すぐ打ち消す言葉が内の中から出てくる。打ち消す言葉が出てこなかったらどうしようとも思うことがある。昨年の9月下旬、入院してから本当に半年が過ぎてしまった。入院中、車椅子に乗りながら白衣を着て働く人々が何気なく小走りしている姿が羨ましかった。今は平地なら平気で歩けるようになった。歩けることが目標だったのに怪我というものは治るもので普通に歩けるようになると歩けることがありがたいとも思わなくなってしまった。結構勝手なものである。歩けるようになったのだからしっかり歩く生活をすればいいものを。入院中は多分一日12時間は寝ていたと思う。食事後は眠気が襲い、朝寝、昼寝、リハ後には一眠り、入浴後は一眠り、一日なんかいものの、一眠り。そんな生活をしていたものだから、退院してきたもののそんな生活が続いていた。退院して5ヶ月、歩行許可から4ヶ月、復職から3ヶ月。春にもなり、そろそろ活動的な生活に戻らなければ。
2010年03月28日
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2週間の連続携帯当番が終わり、久々の土日の連休。昨日はなかなか眠れなかったが、明け方になって眠たくなり今日一日眠って過ごした。メリハリの無い時間のすごし方は、欝には良くないが体も心も動かないので仕方がないと諦めた。ダイエット宣言をしたのにお散歩にも行かなかった。こういう生活の仕方が肥満のもとと分かっているが、、、。自分のことだから、自分でコントロールしないといけないのだけど、何か疲れてしまって気持ちが沈んでしまう。明日の天気はあいにくの冬模様みたいだが、せめてお買いものくらいはお出かけしたい。気分の波が激しいので、またすぐ元気になりそうな気がするが。気持ちの建て直しをもっとうまくできるようになりたい。
2010年03月27日
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今日の私。午前2件、午後2件の訪問。3人の方は担ガン患者。もう一人は寝たきりの方。午前一番目の方は大腸がんの方。ストーマから腸が脱出していてなかなかお腹の中に戻せず。30分も格闘するもダメでご家族の帰宅を待って感応してもらった。一時間の訪問のところ2時間に。入浴介助もしたので汗をかき喉も渇いていたが、自販機による時間も無く2件目の方のお宅に。ここでも時間超過。事務所に戻ると1時を過ぎていた。急いでPCに入力し、午後の訪問に。午後の一番目の方は肺ガンのため予後半年か一年と言われている方。呼吸困難もあるので在宅酸素を使い酸素吸入もされている。今日は先週からお約束の入浴日。奥様は生活のためお仕事を続けながら介護をされている。酸素吸入を始めたのは先週の木曜日の深夜。急激に体力が低下しているので、入浴介助も訪問看護でしてほしいとのご希望。バイタルサインをチェックすると脈拍は多いが血圧は正常値。酸素飽和度も94%とまあまあ。今日は調子が悪く、「トイレに立ち上がるときとても辛い」と。ベッドは寝室においてあるのだが、本人はトイレが近い居間での生活を希望。床ずれもでき始めたためシープスキンを敷きお知りの痛みもなくなってきた。タバコはやめられないと酸素をはずして喫煙している。浴室までは5mほど歩かなければならない。何とか立ち上がれ歩くことができた。浴室に行くとご自分だシャワーを浴び浴槽に。背が高い方なので高さ60センチほどのよくそうをまたいで入ることができ、「お風呂はいいね、気持ちよい」と。酸素ははずしてしまっているので努力呼吸をしているが、気持ちは良さそう。ご自分で湯の温度を調節しながらお湯に使っている。どこで浴槽から出てもらうか気になったが、5分間ほどお湯に使っていただいてからお声をかけた。浴槽から立ち上がれず、少し介助をしただけで何とか立てた。シャワーチェアに座っていただいてシャンプーをし、背中を流す。もう手に力が入らず体を洗えないとの訴え。洗身後再度よくそうに入りたいという。脈拍は148だし、酸素もはずしているし、しばし迷うがご本人の希望を優先することにした。家具や手すりにつかまれば歩行可能ということだけを信じて再度浴槽に入っていただいた。ちょっとドキドキだった。安全を重視して短時間で済ますか、ご本人の希望を重視してゆっくり入っていただくか。これから早々入浴はできなくなることを考えると、今日だからゆっくり入っていただくことにした。いずれは体力が消耗してベッドとオムツの生活が控えていることを思うと今日の状態を信じて気持ちよく入浴することを選択した。入浴後、本人がポツリと言った。「もう、良くならないだろうか」と。しばし、答えに窮する。「まず、現状維持をしましょう、お風呂にはいれるたいりょくもあることだし」と答えたが、もっと違うコミュニケーションがあると帰る道々考え込んでしまった。ガンで余命6ヶ月か1年と言われていても生きる希望を失っていなかった。どんな答えをすることが良かったのだろうか。入浴介助に一生懸命で大切な心のケァについては用意が無かったことを反省した。日一日体力が低下し、食欲もなくなっている方に対してどんな言葉掛けが良かったのだろか。そんな場面があったせいか、今日は眠れない。
2010年03月26日
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ここ数週間、目覚まし時計のお世話になっている。深夜中途覚醒するようだが、朝になると睡眠が深くなるようでなかなか目覚めない。出勤時間ぎりぎりで起き出すと朝の支度の時間が無い。7時に目覚ましをかけて眠るのだが、どういうわけか朝の眠りが深くパッと起き出せない。目覚ましを止めてあと5分と思いつつまた眠る。けたたましい音でしつこく目覚ましが鳴る。どうしても起きたくない。そんなこんなしているうちに8時になってしまった。とにかくおきだし、洗面を済ませ出勤。朝、絶対しなくてはいけないことはお薬を飲むことと身支度。最低20分はかかる。職場が近くだからいいようなものの、遠距離通勤をしていない身分に感謝。欝がひどいときは目覚まし時計は一切使わなかった。睡眠が浅い上に早朝覚醒してそのまま二度寝もできずベッドの中で2時間以上ぐったりしている。起きようと思っても体が動かない。時間の歩みも遅い。ラジオ深夜便を聞きながら朝のニュースを聞き、6時半になったらTBSに変え7時の時報でやっと起きる。体は起きてもスイッチが入っていないのでボーっとしているうちに7時半になり、8時が来る。時計の針を見なくても朝のラジオは時間を教えてくれる。早朝からおきているので目覚まし時計を利用する必要は無かった。多分、欝が良くなってきているのだと思う。早朝の眠りが深い。目覚ましで起こされ、歯磨きをしながら結構元気になってきたんだと実感。起きてしまえば、ボーっとすることも無く行動できている。8時40分が始業なので8時になっていても行動できなければ毎日遅刻だから当たり前のことだが。欝が良くなってくると目覚めている時間の濃度や色が違うように思う。欝のときは意識はぼんやりして体もだるくって何もしたくなくって、ただ時間が経つことを待っているような感じ。おきていても頭も体も活動停止状態。色にたとえるとグレー。霧の中を漂っているような無機質の感じ。うまくたとえられないが、生き生きとした感情が無い。とりあえず生きているってだけ。今はそんな時間のすごし方について変えたいと思うようになった。そんなに早く切り換えられないが何かをしたくなった。朝も目覚ましのお陰で起きるけど、その後の行動は超速攻になった。時間ぎりぎりで起きるのでぐずぐずしてはいられないが。このときの気分が小学生の頃のものに似ているのに今朝気がつき笑ってしまった。やっと目覚まし時計にお世話になれるようになったのを喜んでばかりいられないが、しっかり眠れ仕事も同僚並にできるようになったのがとりあえず嬉しい。
2010年03月26日
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秋のメタボ検診の結果が返ってきた。高血圧症、脂質異常症(最近は高脂血症のことをこう言うそう)、脂肪肝、肥満(いちいち言われなくっても分かってるのに)。内科の医師には精神科にかかっていることは詳しく話していない。同僚が見るカルテに載るのに本当のことは言いたくないというのが本音。精神科の医師には内科のことは詳しく話している。思い返してみると、正月開けに飲み始めたレメロンが食欲亢進に寄与したみたいだ。睡眠も改善したけど、食欲も改善した。レメロンの添付文書に肥満注意と書いてあったような。確かに1月、2月と食べ過ぎた。お正月の餅つきに始まって、昼食を500Kcal に制限していたのに、いつの間にかコッペパンとサンドウィッチ。これで800Kcal になっていた。体重計にのるのが怖く、避けていた。温泉に行ったとき、鏡に映る自分の姿をみて愕然。恐る恐る体重計にのってみると、人生最高体重更新中。去年の冬より2キロも多い。どうりでズボンのウエストがきついはず。今日は8週間に一回の内科受診。骨折をしたとき整形の医師にはうつ病を治療中のことを伝えているのでカルテにもその記録が残っていると思う。一緒に仕事をしたことがない医師なのでまだ気分が違うが、同僚だったら絶対かからない。私のことをどのくらい知っているのか知らないのか分からないが、NHK今日の健康みたいなことを言われたってあまりピンと来ない。確かに肥満さえ改善すればおおよその私の健康問題は解決するわけで、「ハイ、ハイ」と返事はする。「ところで、あなた食事の勉強はした? 食事の注意はしている? 」とまで言われてしまって、栄養指導は受けたくないとまで宣言してしまった。減量するしかないじゃない。薬局でお薬をもらって駅の駐輪場まで歩いたらなんと股関節が痛み出した。腰も痛い。見栄ではないけれど(オオイに見栄?!)減量するしかない、と決断。帰宅したら、アマゾンから「カロリージャンプ」が届いたの連絡。消費カロリー計付きなわとびTANITA(タニタ) タニタ カロリージャンプ(ブルー) CJ-688-BL時間が無い人には縄跳びが良いかもしれない。これもやってみないと分からない。明日から実際やってみようと思う。あさっての高尾山、大丈夫だろうか。ちょっと不安になっている自分がいます。でも、高尾山にはケーブルカーがあるし、ネ。
2010年03月25日
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背を伸ばすと両脇にポコリとお肉が。春ものと夏ものを用意したとき昨年の夏のもの中で着れない物があった。体重を恐る恐る量ったらなんと人生最高体重。朝早く起きることもできそうだが、大きな公園まで15分は歩く。往復30分。着替えたりすることをあわせると1時間くらいかかりそう。ふと、消費カロリーつき縄跳びがあることを思い出し、購入決定。早速アマゾンで注文した。5分も歩かない近所の公園で縄跳びをいつでもできそう。鉄棒もあるので柔軟体操などもできるかもしれない。一日2単位(160Kcal)が目標。今度こそ頑張るぞ。
2010年03月24日
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超、ごおはようございます。今までのブログ名「うつ病とともに生きる、長い長い闇からの脱出」は最近調子がよくなっている私にとって、少し思う感じるようになりました。私は夏生まれ。七夕の終わった三日後の10日。その頃には露草が咲き、サトイモも大きくなり、葉についた露で七夕の短冊を書く。そんな季節を思い出し、露草日記とすることにしました。気分を一新し、またブログを書いていこうと思います。よろしくお願いします。
2010年03月24日
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もう23時だ。明日まで一時間。明日は24日。姉の家では妹の娘が大学生を卒業し、ダブルスクールに通いながら公認会計士を目指している。姉のほうは大学院がもう一年。一級建築士を目指している。長男は家庭を持てこの春二人目の男児が生まれた。家族4人の生活が始まった。私が看護学校を卒業するとしに姉たちは結婚したので、姉の子供たちが成長すると同時に自分の年も取っていく。3人の子供を眺めていると人生は廻りまわってまた元に戻ってくるようにも思う。来週からは4月だ。新入職員が新しいユニホームを身につけて登場してくる。若さはそれだけで職場に活力をもたらしてくれる。とうとう4月がやってくる。今週はお花見を仕事中ちゃっかりしようと思う。
2010年03月24日
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今日は二日目の研修なのに、朝起きたものの眠気が強く、夕方まで爆睡していた。台所には電気がついていて、ラジオも鳴っている。朝の森本さんの声ではない。テレビをつけたら夕方のニュース番組。はぁーっ。一日中爆睡?ここ2週間、眠剤を減らして早朝覚醒してもそのまま仕事に行きお昼寝もせず過ごしていたので疲れがたまっていたのかもしれない。でも、研修の日に何も眠たくならなくってもいいものを。いつの間にかこんなに眠れるようになったんだ。薬を間違えて飲むなんてことはないし。朝は7時にはおきたはずだし、着替えもしている。ちょっと眠るつもりが夕方までになってしまった。11時間連続睡眠なんて、もう、欝じゃないみたい。研修というと、眠ってしまう私。もう少しゆっくり過ごしたほうがいいようだ。今日は氷雨だったよう。明日も冬に逆戻りみたい。桜の花は大丈夫かな。眠ってしまったのは仕方ない。疲れは充分とれたので、明日は元気に仕事をしよう。
2010年03月24日
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今朝は早朝覚醒したみたいで。7時半に起きたときにはゴミが無かった。洗濯も仕上がっていた。今日、明日とお休みなので、無理やり起きて職場に携帯電話を届けに行った。9時過ぎに地下鉄に乗り、小川町で下りる。貸し会議場で研修が行われるのだが、いつもいつも道に迷う。何とか10時の開始には間にあう。最近はどんな研修でもパワーポイントを使う。会場が薄暗くなるので、自然と眠くなってしまう。講師は開業看護師。キャリアもあって、全国で講演をされておられる方。今日は入門コースのファーストコース。明日がセカンドコース。独自の理論でカリキュラムを編成しているようで、午前中の理論編はやや難解、かつ根拠が不明確。先日聞いたリンパドレナージとはまた趣旨が違う。自分の基礎知識が無いこともあり、眠気が襲ってきた。自費での研修とは言え、こういった態度はあまりほめられたものではない。昼休み、近くのコンビニに行き眠眠打破を飲み、午後の実技に備える。午後は二人一組で、実習を進める。講師によるデモンストレーションのあと、演習する。看護というとどちらかというと医師の診療介助のほうが、一般にはなじみやすいのではないかと思う。最たるものは注射や採血だと思う。看護独自の仕事とされているものは生活の援助だが、生活の援助については介護福祉士さんと同じ領域を扱う。現場では、健康状態が不安定な場合や介護度が高く医療的処置がある方は看護師が担当するように自然と役割分担が出来上がってきた。看護と介護をほぼ同じ意味で使う方も多いと思う。看護については保健師、助産師、看護師法という法律があって、看護師は高卒後3年間の教育で所定の単位を履修したものが国家試験を受け合格して初めて看護師として働くことができる。診療の介助といっても仕事の範囲が広く、診療科別に医療技術があり、看護の基礎を深く捉えると同時に各診療科の独自の医療技術をマスターするのも大変な面がある。私は今まで、神経内科、精神科、泌尿器科、放射線科、在宅医療、透析、診療所(内科、外科、小児科、整形外科)、ディケァ、訪問看護と様々な科に属してきた。そのたびにその科にふさわしい知識と技術を身につけなくてはならず、1、2年は初心者みたいに勉強しなくてはならない。中途半端と言えば言えなくも無い。一時は専門家にあこがれていたが、与えられえたところで精一杯望まれることをすることでよしとしていた。でも、職業生活があと10年も無い頃、再び専門志向となってきた。呼吸療法認定士の資格をとろうとしたのもそんな理由であった。看護師を30年しても何の専門知識や技術を身につけられなかったら悲しい。そんなわけで、在宅療養を受けておられる方の多くに浮腫で困っていることを知り、リンパドレナージに興味を持った。今日の講義と演習は自分の体調もあったが、消化不良であった。期待しただけに少し残念な結果となった。明日は、体調をよくして居眠りもせず、頑張りたい。
2010年03月23日
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長かった2週間の週末携帯当番が終了した。のどがまだ痛い。咳、くしゃみはないので、喉の痛みだけみたい。体調もまあまあ。この分なら研修に行けそう。この2週間は長かったなぁ。今日は気分転換してお出かけだい。待ちに待った研修なので、なんとしてでも行かなくっちゃ。今週は木、金と働いたら連休。さ、ゴミを出しにいってお部屋を掃除して、洗濯をして頑張りましょ。
2010年03月22日
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昨日は春の嵐で一日風が強い日でした。外に出ることも無く、一日中、携帯電話をぼけっとに入れて待機していたが、コールは無かった。土曜日の訪問で対処していたのが良かったのかもしれない。箪笥の入れ替えをし始めたら収集がつかなくなってしまってとりあえず、中断。処分品のリストをしっかり作り、整理することにする。処分品は、1.一年以上着ていないもの2.サイズが合わなくなってしまっているもの3.同じ種類のもので2年以上着て崩れや汚れの多いもの 以上1.~3.を処分することにする。今日は頑張ってやるぞ!昨日ぐっすり眠ったので、今日は何とかなりそう。のどの腫れも引いたようで今日はのどが痛くない。結構今日は一日快適に過ごせそうだ。明日からは2連休で研修に行く。テーマは「リンパ浮腫を軽減させるマッサージの技術演習」「浮腫軽減まーサージ技術演習」。高齢者の中にはむくみがある方が多く、マッサージの手技をしっかりと身につけてきたい。昨日一日ゆっくり休んだので連休はしっかり研修を受けてこられるはず。明日のことだけど、今から楽しみ。
2010年03月22日
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昨日は、疲れていた上に昼間のビールを楽しんだせいか、入眠剤を服用しなくても熟睡できた。今朝は春の嵐で眼が覚めたがまた眠りについた。9時過ぎ眼が覚めたら喉が痛い。のどのリンパ節も腫れている。とりあえずロキソニンを飲んでおくことにする。2週間連続勤務は結構きつい。今朝は起きても生あくびが止まらない。今日はポケットの事務所の携帯を入れながら、箪笥の洋服の入れ替えをする予定。本以上に洋服は処分しずらい。一枚一枚に思い出が詰まっている。もう、決して着ないと分かっていてもね。明日は午前中に一件の訪問予定がある。仕事の帰りに桜でも観にいこうかな。
2010年03月21日
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先週の月、火と二日連続して休んでしまったつけが今週末までもおよんだ。先週の土曜日は一日働き、しかも週末は携帯当番。今週も土日携帯当番。しかも二日休んだつけで今週の水曜日の休みは無くなったので、今週は久しぶりの5.5日勤務。今日は午前中に3件と午後1件の訪問。午後の方は胃がんの手術後、吻合部にガンが再発し自宅療養している方。ここ2週間ばかり経口摂取ができなくなっており、ご家族は自宅での点滴をご希望されていた。当のご本人は、入院中散々抗がん剤や採血を受けてきたことから点滴は拒絶されていた。主治医もご本人が望まないことはしないとの方針であった。某有名ながんセンターを退院して2週間。50年も住んでいるという自宅の今のソファで休んでおられた。高齢のご主人が夕食の準備をされており、全盲も長女がそばで話し相手になっていた。この方の訪問は木曜日であったが、ご本人から断られてしまい、訪問診察日と同じ日に訪問看護は保険請求上できないとのことで急遽土曜日の訪問になった。昨日も訪問診察時にはご家族全員がご本人を囲み医師の診察を待っていたという。ご家族の願いは、一日でもご本人に長生きをしてほしいということ。経口摂取ができなくなっていることを心配されており、口から食べられないなら点滴をしてほしい、ということらしい。ご家族の願いとは別に、本人はやはり点滴を断り、同居の長女も母親の考えに従ったとのこと。息子さんは点滴の抜き方を教えてもらうために、ご家族全員を招集したという。この母親を中心にご家族が結集しておられるという印象を受けた。訪問看護の日程について少しもめていたこともあり、緊張して訪問に出かけた。自己紹介すると、快く受け入れられた。ご本人のベッドサイドに座り、「脈拍をとらせていただいてもよろしいですか」と伺うとすぐ腕を差し出してくださった。手を握ると爪が伸びていることに気がついた。体温、血圧と測定し、正常範囲内であることをつげたあと、恐る恐る爪切りをしましょうか、と問うとすぐに娘さんが、「お母さん、切ってもらいなさいよ」と助け舟を出していただいた。手の爪を切り、爪にファイルをかけ、「足の爪もきりましょうか」と声を掛けると「足は自分では切れないからね」といいながら靴下を脱いでくださった。爪は厚く足浴をしてから爪を切らしてほしいとお願いすると了解してくださった。洗面器のお湯をはり両足をお湯につけていただくと「気持ちいい」と言ってもらえた。丁寧にマッサージをしながら足を洗っていくとお湯がにごってきた。その濁りにご本人が気がつき、お湯換えてほしいとのご希望であった。ついでに上半身の清拭もさせていただいて、来週は「お風呂に入りたい」との言葉も聞けた。保清という言葉は聞きなれない言葉と思うが、看護の世界では入浴介助や清拭、足浴など身体の清潔を保つケアを、保清とよんでいる。このケァができると患者との信頼関係も強まり、率直なコミュニケーションも可能となる。ずっと辛い治療を受けてきたこの方も足浴で気持ちがほぐれてきて、自分でベッドからはなれ洗面所に歩いていかれ、2週間ぶりという歯磨きをなさっていた。足浴とかマッサージとか、患者様が気持ちよくなるケアを私は仕事として好きである。さっぱりとしたお顔をしてご家族に囲まれニコニコしておられるようすをみて、ほっとしてしまう。来週はぜひとも自宅での入浴を実現したい。今日の仕事が終わったのは午後2時過ぎ。遅い昼食を蕎麦屋で食べた。生ビールは格別の味わいであった。
2010年03月20日
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昨年の9月、下山途中で転倒、骨折してもう半年たった。働き始めてから始めての3ヵ月半の休職。冬のボーナスもなく、冬山にも登らず、スキーもせず。無い無い尽くしの半年。あっという間に過ぎてしまった。怪我してから勉強しても遅いが、骨折のことや解剖生理についても学習しなおした。入院中は熱心にリハビリしたのに、復職したらすっかりリハビリのことを忘れ、怪我したこともずいぶん昔のような気がする。自転車や平地歩行は全く平気なのに、畳に正座していて立ち上がるとき左足関節がぎしぎし痛む。仕事中、患者様やご家族のお話をうかがうとき、今までの習慣で正座して背筋をまっすぐにした姿勢になると、なんとなく心をこめているような気がする。相手の目線と同じ高さにしたほうが自然な感じがして、フローリングでも、カーペットでも、洋間でも正座がしっくりする。お話を長い時間聞けば聞くほど、そのあと立ち上がってケアをするとき、思わず「どっこいしょ」と気合を入れたくなる。油断しているとヨロヨロしてしまう。患者様の前でヨロヨロはできない。うつ病には悪い、頑張ることをしてしまう。昨日久しぶりに訪問したお宅で、ご家族の方から「もう、大丈夫ですか」と声を掛けられた。私の入院のことは殆どの患者様にはお伝えしていないし、すっかり自分でも怪我したことを忘れていたので、びっくりしてしまった。もう、半年過ぎてしまったのだ。手術後ギプスをはずし、足関節を動かしたとき、関節の動きがとても良いので、執刀医もとても喜んでくださった。入院中はベッド生活だし、階段の上り下りはして無かったので、本当なら休職中もっとリハビリをすればよかったのだけど、すっかりお家暮らしの居心地のよさに負けて歩行訓練や階段歩行訓練をサボっていた。その付けが今頃になって出てきた。階段の下りが結構辛い。階段を下るとき、足関節が背屈したとき、全体重が足関節にかかる。このとき痛みを感じるのだ。手術後半年したら山登りも解禁と言われていたのだが、坂道を下るときの痛みを思うと、山登りを敬遠したくなる。休職中、職場には迷惑をかけていたので、土日の仕事を積極的に取るようなポーズをして山登りを避けている。一日働いたあと、地下のタイムカードを押すために階段を下りるのだが、このとき結構痛む。関節全体が硬くなってしまったようだ。4月にはスミレに会いにせめて高尾山くらいには行きたいので、この連休ゴロからまたリハビリを再開することにした。勿論、登山靴を履いて平地歩行と坂道歩行。自転車に乗らずバスにも頼らず徒歩で買物に出かける。エスカレーターも使わずにスーパーの階段を歩いてみよう。怪我から半年、もうソロソロ怪我をする前の生活に少しずつ戻っていこうと思う。
2010年03月19日
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今朝も目覚ましで起こされた。目覚ましを7時にセットしているので、7時まで熟睡しているらしい。昨日は0時過ぎまでおきていたことを覚えているので最低6時間は眠っていることになる。今日は午前も午後も訪問だったけど全く眠くならず、快適だった。私の睡眠は6時間で充分てこと?充分眠れているのか、きっとそうに違いない。不眠のままギンギンに活動しているってわけでもなく、仕事は極めてスムーズで自分でも感心してしまうくらい。自分で言うのも変だけど、午後の訪問なんて全く無駄な動きがないように滑らかに仕事ができた。こんな日がやってくるとは思わなかった。いつも鬱々していて、やるべきことを(これは仕事のことだけだけど)やるだけで精一杯な日々がなんて長かったことか。ずっと昔、仕事をしながら大学に通っている頃は昼休みはゼミの準備のために読書をしていたこともあった。ここ数年休み時間はただ休むためにだけ使っていた。今日は久しぶりに昼休みに読書ができた。読書といっても呼吸療法認定士のための受験本だけど。一日が一日として充実しているといった感じで小気味いい。仕事は定時で終わったけど、帰宅しても何かしたくなる感じで。元気過ぎない元気が戻ってきたみたいだ。必要な時間だけしっかり眠って、あとはしっかり活動する。そんな日々がやってきそうな感じがする。桜はまだだけど、私の心の中にも春が確実にやってきたように思える。ご心配かけた皆様、ありがとうございました。何とかやっていけそうに思えてきました。これからも無理をせず、ボチボチやっていきたいと思います。
2010年03月18日
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欝になる前は深夜一時頃眠り、朝7時半頃に目覚め過ごしてきた。ロヒブノールとべげたみんBを思い切り飲むのをやめたのだが、長短時間型睡眠導入剤を服用しても眠れない。二日続きだから少し心配になってきた。以前は夜更かしはいつもしていたので、そう心配していないので大丈夫と思うが。今日は眠るのを諦めて、新規訪問患者の訪問看護計画書を作成することにした。眠れるまでおきていようと思った。ロヒプノールをべげたみんBは減らせないかもしれない。行ったり、来たりを繰り返しながら良いほうへと向かっていくのだろうか。
2010年03月17日
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本日、外科外来を受診し、乳癌検診の結果の説明を受け、乳腺外来に受診するように指示を受けた。マンマグラフィーの結果両側乳房の奥に淡い不鮮明の陰影があり、大きさは8mm位。触診ではしこりはなく、鎖骨下も腋下リンパ節の腫脹もない。とりあえず専門外来を受診するようにとの話であった。至急という訳ではなく4月に入ってからでも大丈夫とのこと。今月はもう有給休暇がないので、来月早々受診することにして、紹介された大学病院に予約の電話を入れてみた。乳腺外来は月曜日から土曜日まで診療をしており、初診の場合は予約が不要だが待ち時間は長いことを了解してほしいとのこと。4月になったらそうそうに受診することにした。エイプリルフールはちょっと嫌なので4月二日にすることにした。急いで受診しなくても良いとの説明で安心した。都内には乳腺外来が沢山あるが、まだガンと決まったわけではないので区内の大学病院でも良いかと思う。手術が必要な場合は乳房温存療法を行っている医療機関を希望したいのでこれから乳癌のことについて勉強してみようと思う。50代になったので色々なガンにかかっても仕方ないので覚悟を決めるしかない。タバコも吸うので、あらゆるガンについては気をつけなくてはならない。来年くらいから年一回人間ドックなどを受けることも考えたほうが良いかもしれない。
2010年03月17日
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明日は、乳がん検診の結果「要精密検診」の結果を持って受診予定。勤める病院で一番腕が立つ先生にかかる予定で予約を入れた。私の勤めている病院にはマンモグラフィーの設備もマンもエコーの設備もないので乳腺外来を紹介してくださるか、生検といって組織にはりを刺し組織をとり悪性か良性かの診断をすること。自分で乳房を触ってもしこりがあるようなないようなはっきりしないような。東京都の乳がん罹患率は日本一とのこと。乳房の専門外来も沢山ありそうなので、乳房温存療法をしている医療機関に行きたいなぁ。まだ乳がんと決まったわけでもないのに患者となるとつ悪い方向の選択肢を考えてしまいますね。大丈夫といわれるのもちょっと不安があるし、確定診断が一日で終わるような病院を紹介してもらえるとありがたいな。今日は一昨日に続いて眠れない。乳がん検診のことがあるわけではないので、この一日おきの不眠はなんだろう。このまま朝まで元気になったら元気も本物。また朝も掃除や洗濯をしてみようかな。机の上を片付けるのも良いし。6時過ぎになったら行動開始だ。
2010年03月16日
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もう何年も欝と付き合っている。もともと気分の浮き沈みが多い私は、人見知りで臆病、しかも勝気ときている。欝になったことを自分で気がつき一人で精神科のクリニックを探して7年。欝の症状が強かったとき主治医から「できるだけだらだら過ごしなさい。勉強をしたいなんて若いこの思うことですよ」と諭された。できるだけだらだらすることに慣れてくるにしたがって食欲も出てきて、何かをしなくてはならないといった切羽詰った気分が少なくなってきた。この頃ふと思うことがある。何もしなくても良いことに慣れるにしたがって、だらだらが普通になってしまった。活発だったときもあったのに、嘘のようにだらだらが日常になってしまった。生活習慣として定着してしまったのだろうか。これが普通の私で、これ以外の自分がいなくなっていたらと不安になる。今日は2週間に一回の診察日。午後の2件目の方は初回訪問で肺がんの末期。予後告知までされ自宅で過ごされている。体力的に通院が困難になり在宅医療を希望されて診療所を紹介された方。診療所の紹介で訪問看護が始まったが、よくよく聞くと訪問看護で何をしてもらえるのか分からないまま訪問看護を受け入れてくださったようだ。数十年懇意にしていただいている医師にかかっていたが、あまりにも体重が減るので心配になり娘が働く病院にかかったところ大学病院を紹介されその結果、末期の肺がんと知らされたという。精神科にかかっている方は、私もそうだが、病気がコントロールされていたとしても、身体的に健康であるとは信ぜず、ガンについては多分人間ドックや検診を受けるようにしているに違いない。内科や外科にかかっていると、とりあえず持病についての治療を受けているに過ぎないのに、医師から指摘がないと持病以外には病気がないと信じてしまうだろう。それも若いときからずっとかかっていて、何でも相談できていた主治医だったとしたら。私の場合は、病気や怪我が多くなるにしたがってかかる科も多くなったきた。お財布の中には複数の診察券が入っている。臓器別に医師にかかっているといった感じだ。精神科のお薬にも副作用があるが、その副作用については内科で見てもらっている。複数の医師にかかっていても健康かどうかも心配なので検診も受けている。主治医とはなんであろうか。患者として思うことは、自分でも健康状態を自分なりにチェックしておくことは必要ということ。不眠も2週間以上続けば、うつ病の疑いがあり専門医の診察を受けるようにと啓蒙されている。身体の調子についても同様で同じ症状が一定期間続けて起こっていれば異常と考え診察を受けるべきであろう。本来ならかかりつけ医がしかるべき専門医を紹介してくださればいいのだが、なかなかこれがうまくいかないでいる。この春、桜が咲くというこの時期になって、末期がんと診断された方が何人も紹介されてきた。早期診断を受けるためにはどうすればよかったのであろうか。今日の方は、数十年かかっていた医師に対して怒りを表していた。予後告知も受けていて、半年か一年が生きられるかどうかという。どうしてこんな状態まで適切な医療を受けられなかったんだろう。精神科にかかっている私は、とりあえず自分の判断で主治医を決めている。決めているだけで主治医と契約を結んだわけではない。ゆるい医師と患者の関係かもしれない。でも主治医に言われていることは忘れない。精神科医に期待することは心の健康つくり。お薬に頼ることになるのだがそのさじ加減をお願いする。欝にかかっていると何年も同じ症状が続く。不眠と意欲減退。やる気の無さ。モチベーションの低さ。他者とかかわることが億劫なこと。出不精になること。でもこれらのことは打つとは関係なく自分本来のあり方としたら納得できるか。本来の自分とは思いたくない。闊達だった時期も数年あるので、その頃の自分をとり戻したい。その頃の自分が普通と思いたい。でも今の私は、普通の私像がつかめなくなっている。にこやかでもなく、闊達でもなく、明るく前向きでもなく。ただのんびりと過ごす人。主治医は普通の日もあるはずだからというのだが普通が分からなくなっている。欝にかかっている他の人はどうなのだろうか。今日主治医に「欝で過ごしていると、欝の自分が自分なのか分からなくなってしまう」と訴えたら「気分の変化が多いので普通と思える日もあるんじゃないか」というお答えであった。7年も欝になじんできてしまったら,欝が自分の性格になってしまったと思ってしまう。活発だった少女の頃が懐かしい。あの時代に戻れないのだから、前向きに行きなさいといわれるのが落ち。欝になじまなっか頃に戻りたい。 活発にも日を精力的に生きたい。几帳面に掃除や片づけをしたい。欝の自分になじまないで生きたい。
2010年03月16日
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Mさんは難病のためここ十年の間にあっという間に寝たきりになってしまった。元来はお話が好きでおしゃれも好きで人が好きで綺麗なものが好きで、優しい旦那様と美しい娘さんに恵まれご自分の意思も主張して生きてきた。それが病状が急速に進み、失禁をするようになり、手が震え、手足が硬くなり、呼吸困難になり気管切開を受け、嚥下機能も落ちて着てしまって。その上大腿骨頚部骨折も受傷。気管カニューレにスピーチバルブをつけておけばおしゃべりも相当できたのに、肺活量がなくなってきてお話をする筋肉も劣れえてきてとうとう好きなおしゃべりもできなくなってしまって。眼振もあり一点を見つめられない。文字盤も使えない。これがしたい、あれがしたい。生きていればささやかでも何かしたいという気持ちはわいてくる。その意思表明が今できなくなりつつあるのだ。右手は握れることはできるのでYES,NOについだけ手を握ってもらい把握している。今日は私が担当だったので、言葉をかけながらケアを進めていくのだが、反応を表情から読み取って勧めていく。彼女は私とはそう親しくはない。ずっと閉眼している。処置を終え布団をかけておくほうがいいか、YESなら握って下さるようにお願いした。そしたらそっと私の手を握り返してくださった。初めての握手。些細なことでも何かを託されるということは嬉しい。この方の意思伝達方法で脳波のアルファ波を使ったものが実現しているという。人と思いを分かち合いたい、自分の気持ちをわかってほしい、何万という人何千マンという人が真の気持ちを分かってもらいたいばっかりに努力している。この方にもこの方の機能にあった意思伝達装置がやってきてほしい。
2010年03月15日
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久々に眠れぬ夜が来た。机周りを整理し、資源ごみを分別してゴミ出しをしてきた。2月からの新聞だったので重たかった。段ボールも紐で縛り、本類もしこしだした。机の周りには読みかけの本が縦積みになりまたもとの木阿弥といったところ。ソロソロ春になり、もう一ヶ月も経つと服の入れ替えがある。それまでまた不要なものの片づけをしなければならない。シンプルライフを目指しているのだが、ネット通販にはまってまってつい余計な買物をしてしまう。やパリどんぶり勘定では家計管理できないよね。4月になったら家計簿をつけよう。これから洗濯物をして朝の家事は終了。朝早く眼が覚めれば色々なことが朝できてしまうことは大きい。
2010年03月15日
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昨日は午前中はラジオを聞きながら眠り、午後もうとうとと過ごしてしまった。いつものように9時過ぎにレメロンと他の薬を飲み、ベッドに入るが一考に眠くならない。仕方ないのでほんの片付けと資源ごみをまとめ提出した。新聞が2か月分も残っていたので大変だった。段ボールも大小3束あり、最近ネットつうはんしているけっかである。どういうわけが終わるとすぐに家に帰りたくなり、ネット販売で食料や炊事用具などを注文してしまう。買物に行かなくても家に食料が届けられるので楽でネット通販は私の不可欠な買いも荷になってしまった。昨日は一日中寝ていたのでその反動で今日は全く眠くらない。先週も4日も眠っているの今日は何とかなると思う。土日は携帯当番であったが、電話は一本もかかってこず、出かけることもなかった。さて、今週末も携帯当番なので無事一週間終わりますように。そしたら、リンパドレナージも研修。今週疲れすぎないように気をつけて今度の研修には絶対出席するぞ。
2010年03月14日
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仕事をしていると週末にはなんとなく疲れが出てくる。あれやこれやすることは沢山あるのだけど、体を休ませることを優先してしまう。今日も資源ごみだしがあったのだが、午睡をしていると気持ちよく夕方まで寝むってしまった。明日の朝、頑張ってごみを出しきろう。今週は新規の訪問の方が多い。春になったら新規申し込みが増えてきた。今週は仕事が忙しくなりそう。先週は良く眠れたので何とかやりすぎることができるだろう。もうすぐ、フレッシュマンとフレッシュウーマンが入職してくる。若者は気持ちよいので期待してしまう。若さはまぶしいほど輝いている。
2010年03月14日
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レメロンを30mgにしてから、過眠が増えてきたので思い切ってロヒプノールとベゲタミンBを中止してみた。レメロンで睡眠時間が延長し、睡眠も深くなってきたので週末を待たずに試した。中途覚醒はあるがすぐにまた寝付け、朝も目覚まし時計で起こされる。夕べも9時過ぎにレメロンをはじめ超短時間型睡眠導入剤を服用。多分10時過ぎには入眠。3時過ぎに眼が覚めたがまたすぐ眠れた。朝は7時に眼が覚めたがまだ眠くTBSのラジオを聞きながらまた眠ってしまった。いくらでも眠れるって感じだ。一時起床時肩が凝っていたり頭痛がしていたりしていたが全くそれがない。リラックスして眠れるという感じ。レメロンは15mgでもいいかもしれない。先週末からの4連休に眠って過ごしていたのもお薬のせいかもしれない。もう少し様子を見てみよう。
2010年03月14日
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Pさんは今度の日曜日で75歳になる。30代からのリュウマチで子供を一人もうけたが50代半ばから寝たきりに。手足の関節は変形し殆ど動かない状態で数年過ごしていた。リュウマチの内服薬は専門医から処方を受けているが、車椅子での外出を本人が嫌がりここ10年ほどは一度も診察を受けていない。反面、医師の診察を必要と思っている節もあって、半年に一回の血液検査う受けるために月に一度の訪問診察は近所の診療所にお願いしているようなのだ。訪問看護は週1回、30分。家族ができないことをしてほしいと、希望されていることはバイタルサインの測定(血圧、体温、脈拍、酸素飽和度)と、爪きり、耳垢除去だけ。よだれと食べこぼしでパジャマが汚れていても平気でいる。家庭では定年退職した家族が介護を一手に引き受けている。先週往診医から毎日訪問をするようにとの指示があった。聞くところのよると、左下腿に水泡ができているとのこと。急いで所長が訪問すると足は赤く腫れ水泡もあるが、なんと膝の下が骨折していた。入院は勿論希望せず、自宅で保存的治療を受けることになった。保存的治療といっても安静にしているだけだけど。毎日訪問しているうちに色々なことが明らかになってきた。どうも失禁しているようだが家族は気がついていず、尿器と便器を使っているという。でもお尻が痛いとの訴えがあり、静かに横を向いていただくとお尻に床ずれが出始めていた。失禁していることには気がつかず腰の下にゴミ袋が敷いてあった。せっかくエァマットを使っているのにこれでは床ずれを悪化させるようなものだ。今日の訪問で家族と一緒に床ずれの処置と陰部洗浄、おむつ交換を行った。横向きになるとき陰部にパットを当てたままにしておくとパットに排尿のあとがあった。それを家族にみていただき失禁していることを理解していただいた。腰の下のゴミ袋もはずしていただいた。体の向きを変えることやクッションなどを使いお尻を浮かすようなことをしていただきたかったが今日はゴミ袋をはずすことができただけで時間が来てしまった。心を閉じてしまった要に見える本人と家族。病気や障害のために寝たきりに近い状態になっても、社会へと進んでいく人も多い。反対に自己に閉じこもり外出も控え社会から遠ざかっていく人もいる。この違いはなんだろうか。内向的とか外交的とか、ご本人の性格もあるだろうが、介護を家族が全部抱えてしまっては本人が家族という閉鎖社会の中で症状が悪化してもそれに気がつかず見過ごされてしまう。この方はそれでも医師の診察を必要としている家族の希望があったから骨折や床ずれも発見できた。介護保険は当初介護の社会化が一番の成立理由だったはずだ。残念ながら当初の理念は影が薄くなってきた。国の介護負担を減らすために数年前から、同居している家族がいたり、近隣の家族が住んでいる場合でも生活支援が受けられなくなってしまった。また、要介護2までの方は特別に医師の意見書がなければ介護ベッドをレンタルできない。ケァマネージャーや主治医がその方の生活状況や介護状況を正確に理解していないととんでもない介護保険の利用になってしまう。介護という極めてプライベートな領域に家族以外の人が入ってくることに抵抗はあるだろうが、自分の生活そのものをオープンにしなければ良い介護は受けられない。自分のことを改めて考えてみると、自分の生活の中に他者が入り込んでくることにはとても抵抗がある。生きたいように生きればいいとも思う。でも、人間は一人であの世に向かっていくことはできない。日本人なら、最後は医師に見取られて死亡診断書を書いてもらわなければならない。人生を全うするためにも社会の助けをかりなければならない。至極当然のことだが、厳然とする事実だ。年を取ると自然にできるようになるかもしれないが、他者に自分を任せることを学んでいかないと安心して年も取れない。まだ、先のことだが、今日の訪問で考えさせられてしまった。
2010年03月13日
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職場ではがん検診とメタボ検診、成人検診もやっている。50歳過ぎて年に1回は必ず受けている。要精密検査を受けてもらいたいという結果であった。このとしになって色々な病気や怪我がやってきた。まだ50台半ばなのに入院3回、手術3回。これに乳がんが始まったらどうしよう。取り合えす外科を予約して現在の状況と将来の見通しを教えていただきこれから闘病生活に入る。半年後に再検査なのではっきりとした癌が見つかったわけでもなさそうだ。何とかなるだろうの精神で克服していきたい。
2010年03月12日
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今日の午前中は2件の訪問であったけど、1件目の方の訪問が終わったのが11時過ぎで、さらに移動に15分かかったため2件目のお宅を訪問したのはもう11時半前になってしまった。2件目の方は日中はお一人暮らし。朝は8時から1時間訪問介護のサービスを受け、朝食の介助とおむつ交換を受けた後、ラジオを聞きながらベッドで過ごしている。リュウマチのため寝たきりになり訪問入浴を受ける時間以外はベッドでの生活をしている。お昼は枕の横の菓子箱の飴やクッキーなどを召し上がっている。夕食はまた訪問介護で食事介助を受ける。週1回の訪問看護で内服薬のセットと排便管理、おむつ交換、スキンケアをしている。何種類の薬を飲んでいるので1週間分の薬を服薬カレンダーにセットするだけで15分くらいかかってしまう。ケァノートを見て1週間の状況を把握し、バイタルサインのチェックをし、おむつ交換などをしているとあっという間に1時間は過ぎてしまう。ケァに使った物品を整理し、洗面器などを元の場所に戻し、今日の訪問時の状態をケアノートに記録したらとりあえず訪問終了。最後に飲み物と食べ物の確認をしてお暇のご挨拶をして辞する。ノートを書いている間に午後一時の時報がラジオから流れてくる。このお宅から事務所に戻るのに15分かかるので、通り道のコンビニで菓子パンとサンドウィッチを買って自転車を走らす。急いでいるときに限って赤信号で止まる回数が多いような気がする。近頃は道の込み具合も分かるようになり、赤信号を無視しても大丈夫な場所も覚えてしまった。おまわりさんが自転車で走っていたり、パトカーが巡回しているのに気がつかず信号無視をして注意を受けたことも。事故っては仕方ないので今日はしっかり信号を守っていると事務所に戻ったときには1時半近くに。午前の記録をし、パソコンに入力しているうちに2時近くになってしまう。仕方ないので机に座りながらパンを食べ、急いで午後の訪問に出かける。急いで出かけたのに、なんと今日から1週間のショートステイで入院中であった。その連絡を受けたのは自分だったことに気がつき、そのまま事務所に戻り、掲示板を見たらやっぱり私の字で入院予定が記入されていた。午後2件目の訪問は3時半からだったので、ちょっとうたた寝をするつもりで机に顔を臥しているうちにお昼寝タイムになってしまった。目が覚めたら3時20分過ぎ。レメロンを飲んでいるせいかお昼寝ができてしまう。40分ほどのお昼寝は結構気持ちが良かった。お昼寝のせいか、慌てて事務所から飛び出したので訪問かばんを持たずに出かけてしまった。小さいときからおっちょこちょいで家族からとても心配をかけたが、今日もまた出てしまった。とりあえずもう一度事務所に戻り所定の場所を見たがバッグがない。ちょっとお部屋を見回してみるとなんと私の隣の椅子にバッグが置いてあった。やれやれである。今日から携帯当番。明日は土曜日だけど一日勤務。今週の月曜日と火曜日に休んだ振り替え出勤。どうしても欠勤発生はダメというので今週と来週は土曜日に出勤することになった。明日は春らしい暖かい一日になりそうなので楽しく自転車で廻れそうだ。
2010年03月12日
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Sさんは3月7日に老人保健施設を退所して自宅に戻られたが、次女さんが泊まって介護をされていたが急遽特別養護老人ホームの入所が決まった。三月下旬までのたった2週間、住み慣れた我が家で暮らすことに。一人での入浴も不安とのことで訪問看護を依頼された。書類上のことだがご本人のプロフィールの紹介では「頑固で怒りっぽい」と記載されている。あまりにも異口同音に頑固って記入されているのであきれてしまって、怒られても致し方ないと覚悟を決めて訪問した。挨拶すると人懐っこいえがおで挨拶を返してくださる。バイタルサインの測定も無事済み、今日行うケアについて説明するとすぐに了解してくださる。残念ながら自宅の浴槽はバランス釜で浴槽も高い。外廊下からの外気が直接浴室に入ってきて室温も低い。とても安全に入浴で来る条件はなく、ご家族の了承を受け清拭と足浴に切り換える。ご本人も今日はフロには入れない、と了解してくださる。ベッドに座っていただけますか、とお話しするとすぐお一人で起き上がりベッドの端から足を下げベッドに座っていただけた。座位姿勢も安定している。尿意もありご自分でポータブルトイレに移り排尿されていた。はくパンツをはいているが尿取りパットもご自分で当てている。 一人でベッドから起き上がりポータブルトイレに座り排尿もできズボンの上げ下げも一人でできる。受け答えもしっかりしている。ご自分の今の気持ちもはっきり表現できる。長い経過を知らないのでうかつに判断できないが、何とかサービスを組み合わせればお一人暮らしも可能ではないかと思われた。テーブルの上のポットから熱いお湯を洗面器に入れ、タオルをお湯で熱くし、さっと湯気を出して冷まして、頭から拭いていく。温かいタオルで頭をマッサージしていくと「気持ちいい」と仰ってくださる。体を拭きながら着替えをして、最後に足湯をして今日のケァは終了。どんな状況で頑固って言われてしまったか、初対面ではうかがえず、聞けば江戸っ子だという。後1回の訪問で終了してしまうこともあり今日は特別に触れもせずお暇のご挨拶をした。お年寄りに対して頑固といわれる方もいるが頑固で何が悪いと、開き直りたい気持ちがある。何十年とその人なりの生活の仕方で生きてきたのだから頑固でも良いのにと思う。怒りたいとき怒ったって、それで人生が変わるわけでもなく、怒りたいときに怒ればいいと思う。介護する側も利用者の怒りに対する用意をしていなければならない。誠意をこめて謝れば受け入れてくれない方はいないと思っている私は単純かもしれない。一対一で施設介護はできないので、一人ひとりの個性に応じての介護は難しいかも知れないけど、頑固の一語で片をつけてほしくない。たった一時間の訪問看護で理解できることは少ないと思うがSさんに対する「頑固」という言葉に対して、もやもやした感情が自分の中にわきあがってきた。人生は一度しかないのにその最後の時間あちこちの施設を行き来し、最後に自宅も明け渡し、施設に入所していく。なじんだ家具や思い出の数々。Sさんはあと2週間済みなれた我が家で娘さんと最後の自宅生活を送る。
2010年03月11日
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そういえば、二月の五日連休も寝込んでしまって、また4日間寝込んでしまった。今度は仕事の予定があったのにドタキャン。1月は休まず頑張れていたのに、3月になって崩れてしまった。特別頑張ったわけでもなく、時間外勤務をしたわけでもない。体力低下が一番原因かな。今月乗り越えれば何とかなれたのに、職業人になって初めて欠勤が発生してしまった。でも、これからは自分のために仕事をしたい。欠勤扱いになって降格されるわけでもなく、昇進が待っているわけでもなく、傷つく人もいない。機嫌悪そうにする所長の顔をスルーするしかないか。どういうわけか、私たちの職場の有休消化は100%が目標で、欠勤発生は0をよしとする。病欠以外の欠勤はほめられることではないが、発生してしまったものはしょうがない。来来週は二日間のリンパドレナージの講習がある。これははずせない。もう、研修費用も払ってしまったし、実技は自分で直接体で知ったほうが学びやすい。明日は所長にお小言を言われそうだがやっぱり欠勤扱いにしてもらおう。今週、来週と週末は携帯当番だけど、頑張って働いて休みを許してもらおう。今日は同僚のお子さんが朝から吐き気があって座薬を入れて児童館に行っていたという。お昼休み児童館に連絡してみると元気にお昼も食べているとのこと。安心して午後の仕事の取り掛かろうとしているとまた同僚宛に電話連絡がありお昼は食べずに眠っているという。働きながら子育てをしていると、風邪やインフルエンザやもろもろの子供がかかりやすい病気にかかったとき、本当に困る。職場の事情と家庭の事情が衝突する。特に家庭を持って子育てをしていると辛いことも多くなる。夜勤が頻繁にある病棟勤務は困難になる例も多い。それでも家族や近隣の友人、知人を味方につけて頑張っている看護師は多い。医師は忙しい当直をした次の日にも仕事がある。看護師は交替勤務だから良いようなもの小さな子供がいる時期は辛い日々のようである。訪問看護は夜勤がないので移動してくる職員もいるが、常勤からパート勤務になる方が多い。携帯当番が負担だという。みんな子育ての大変さは分かっているので、最大限協力して子供が病気になったときには助け合う。それで、今日は協力する人に私がなった。午後の訪問の1件を引き受けたが、なんと時間内に仕事が終われた。今日は元気があってよかった。仕事が増えても負担感が全くなかったのが良い。明日も同僚はお休みなので、明日は出勤したらすぐに訪問開始となる。
2010年03月10日
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レメロンを服用してから、朝の目覚めが遅くなった。昨日はロヒプノール、ベゲタアミンBを服用せずに眠ってみた。眠剤を服用してもなかなか眠れず、再度ハルシオンを2錠追加して就寝。今朝5時に眼が覚めたが、気持ちの良い目覚めですぐおきることができた。4日間も眠れば体調はすこぶる順調で朝洗濯をする余裕も生まれた。体がすっきりして頭痛や肩こりがないだけで気分が違う。昨日までの体の重さや鬱々とした気分がすっかり取れた。今日はどんな一日になるだろうか。国内、アメリカとともにオープン戦が始まった。今年もイチローには注目していきたい。西部の菊池もほろ苦いデビューになったが、高校生の頃よりしっかりとした顔立ちになって今シーズンの楽しみな選手だ。パリーグがどうも面白そう。ソロソロパラリンピックが始まる。パラリンピックのチェアスキーなど迫力があり、パラリンピックもしっかりとしたスポーツであり、見ごたえがありそう。とにかく元気になって、同僚には迷惑をかけたが今日は元気に仕事ができそうだ。いってきマース。
2010年03月10日
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一月、二月の調子のよさが嘘のように三月になったら調子が崩れてしまった。何もする気がなくぼんやりラジオを聞いている。仕事がやめられたらやめたくなってしまった。気分が落ちてきているのは確実なのでこんな思いから離れたほうが楽なのにと思う。気分が落ちているときはそのままにしておくのか、気分転換を図るのか。気分転換できないので気持ちが落ちてきているのだろうが。レメロンを飲み始めてちょっと元気になったのにね。明日こそ絶対仕事に出かけなくてはならない。本当にうっとうしい。明日こそ元気になっていますように。
2010年03月09日
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夕べは早めに眠剤を服用して眠った。のに、朝眼が覚めても体が重くって起き上がれない。職場には連絡しないといけないのに、携帯電話を職場に忘れてきて仕方なく職場の留守電に連絡をいれ休んだ。一日中どんよりと過ごしてしまった。二日間眠れたので元気になるかと思ったが今回はそうも行かなかった。何が原因だろう。仕事が原因といってしまえば働けなくなってしまう。他者と自分とをしっかり分けて考えなければと思う。自分の仕事の限界も見えてきてしまい、このままでいいのかとも思ってしまう。自分ひとりの力はしれているので考えてもどうしようもないことだが、何とかならない現実が多くて落ち込んでしまう。一瞬一瞬を大切にして生きればいいものをと思うのだがつい欲張りになってしまう。若いころにはとにかく勉強すればそれで何とかなっていたがこのとしになると学習能力も衰えてきてすぐには身につかない。別の生き方を選べばいいことなのだが頑固さが影響してまだ20代のころの生き方を手放せない。明日はなんとしてでも職場に行かなければならない。気が重いが仕方ない。ワクワクしながら職場に迎える日が早くやってきてほしい。
2010年03月08日
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先週の金曜日は昼休みに眠たくなり、久しぶりにお昼寝。午後の2件の訪問を済ませたところでおなかがすいていることに気がついて、サンドイッチを食べて珈琲を飲んだ。定時に仕事が終わり帰宅するも疲れていることに気がつき横になると自然に眠ってしまい土曜日の朝まで眠り続けてしまった。眠剤を服用しても眠れたので嬉しかった。でも朝起きられず、楽しみにしていた研修はキャンセルし一日中眠り続けた。これってうつ病が良くなっていることなのだろうか。今日になっても動く元気がわいてこず、NHKをずっとつけっぱなしにしたままうとうと眠っていた。夕方になってやっと起き出せた。明日からまた仕事。元気にならなければいけないのに、今日はちょっとかったるい。日曜日の夕方は楽しい番組が続く。中でもテレビ東京の「田舎に泊まろう」は大好きな番組。飛び入りで生きたい田舎に行ってお話しをしながら今夜泊まらせてもらう宿泊させていただけるお家をさがさなければならない。その交渉の経過が面白い。ちょっと笑わせてもらい、田舎の人の人情にも触れ、優しさに感動する。テレビだからこそできる番組でやらせはなさそうだが、有名人の普段の姿も分かってよい。9時にお薬を飲んでみた。今日はロヒプノールとベゲタミンBは服用を中止してみた。金曜日に眠剤を使わなくても眠れたので今日多分減薬できそうな気がしてきた。明日の朝には元気になっていてまた仕事に出かけられれば良いが。今週も5日勤務なので一週間頑張ろう。
2010年03月07日
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昨日の訪問は4件。午前の1件目の訪問でご家族の窮状をしり戸惑ってしまった。Tさんは94歳。ここ1ヶ月以上夜間不穏で深夜30分から1時間おきに家族を起こしているという。夕食を済ませて8時半くらいに眠剤を飲むが全く効かないと言う。娘さんの寝室は離れているので、インターホンをナースコールのように使ってボタンを押すと娘さんの寝室にコールがなるようにしてある。コールの音は結構大きく、コールがなるたびに娘さんはお母様の部屋まで起きていくという。足浴をするために台所のやかんのお湯をいただくときに娘さんと少しお話ができた。「夜起こされるのは覚悟しているが、こうしょっちゅうだと自分の神経がもたない。どうすればいいか。正直言って長生きをしてもらおうとは思っていない。介護殺人をする人の気持ちはわかる。時々殺してと母親に言われるが私の人生が終わってしまうからそれはできないと話している。」という。正直な思いだと思う。しばし、返答に窮する。一日24時間、365日介護に休みはない。「介護している家族でないとこの気持ちはわからない」とも。自分の親が介護が必要になったとき、一日一緒にいると介護の大変さが見えてくる。親だから大切にしたいと思うのは当然だが、介護者の睡眠が中断されたりすることが続くと身体的にも精神的にもまいってくる。月に一回1週間のショートスティを利用されているが慢性的な疲労は解消しない。ご本人は夜間眠れていなかったのでいびきをかいて眠っている。朝食はまだという。バイタルサインを測定してから、おむつ交換をしてご本人に起きて頂く。足浴をしているうちに眼が覚めてきて、簡単な体操をする頃にはすっかり眼が覚めてこられた。車椅子に座っていただき居間のテーブルに。最近むせることが多くなってこられお母様の食事は別に作っているという。訪問看護は1時間で終わるのでご家族のお話を聞くことしかできないが、何もしてあげられない。お薬で不穏状態が改善することもあるので診療所に状態を報告して次回の往診で検討していただくことをお願いする。記録を振り返ってみると1月中旬から娘さんの訴えがあった。それなりに対応していたのだが不十分であった。ケアつき住宅とか、ナイトホスピタルとか、家族の介護負担をなくすサービスが必要なのだと思う。この頃思うことは、サービスの種類や内容をもっと多様に柔軟なものが必要だということ。億万長者だったら何億円も使ってそんな施設を作り運営してみたい。
2010年03月06日
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Yさんは70代後半。自営業の工場を閉鎖後マンション経営をされ悠々自適の生活を送っていた。昨年11月までは海外旅行やネットで囲碁を楽しまれていたという。それが12月黄疸に気がついたときには既に末期がんの状態だったという。大学病院でも治療の手立てがないとのことで在宅療養のために自宅に帰られてきた。黄疸があるが痛みはなくトイレにもご自分で行かれている。現在は特に内服治療もなくご家族の介護を受け自宅で生活をしておられる。とても穏やかな紳士といった風情。自宅療養を続けるためにとりあえず居室に介護ベッドをレンタルして在宅療養が始まった。ご家族の希望は緩和ケア。現在は痛みもひどくなく、夜間「肋骨がきしむような痛みがあるがしばらくジッとしているとねむりにつける」という。食欲はなく、お粥をお茶碗半分くらいと果物を少量摂っているくらいの状況。トイレにもご自分で歩いていっている。今日は2回目の訪問であったが、ご家族の話では便秘を一番心配しているという。ご本人に直腸の状態を見させていただくために了解をしていただいて肛門診をしたところ硬い便が触れた。イチジク浣腸液を買ってきていただいて、浣腸と摘便をさせていただいた。痛みを我慢していただきながら摘便をするとなんと手のひらいっぱいの便が出てきた。意識がしっかりしておられる方なので取り出した便を失礼ながら見ていただいた。「すっきりとした。体が楽になった。」と微笑んでくださるYさん。便秘がとりあえず解消したので食欲が出てきてくだされば少しは元気になるかもしれない。 明日は定期診察日の日なので在宅支援診療所に今日の状態を報告した。適当な下剤を服用することでとりあえずご本人の便秘の心配はなくなると思う。健康に老後を過ごすためには、かかりつけ医を見つけて定期的な健康診察を受けることが必要と思う。腹部超音波検査や腹部CT、胃の内視鏡検査、便の潜血検査、子宮がん検診や乳がん検診、前立腺がん検診など上手に検査を受けると早期がんの発見は容易になってきている。親や兄弟にかかった病気やタバコの習慣などを知っていただき、一人ひとりのリスクファクターを知っていただけるかかりつけ医を見つけ、検査を定期的に受けていれば進行癌にならなくてすむのにと悔やまれる。職場検診ではいわゆる生活習慣病やがん検診がしっかり行われているので、退職したあとは地域で行われている検診を上手に受けて早期診断、早期治療に結び付けてほしいと思う。健康に長寿を楽しむためにも、全身の健康状態を管理していただけるかかりつけ医を味方につけていただきたいと思う。Yさんの帰り道、大型スーパーの前を通ると背骨が曲がった女性がシルバーカーを押しながら溌剌とした表情で歩いていた。元気に老後を迎えることが可能になった。寝たきりにもならず、癌にかかっても早期治療で長寿を迎えていくことができるのだ。年を取ってもやはり検診をこまめに受けていただきたいと思う。
2010年03月04日
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今日の午後の訪問の方は80代の夫が80代の妻を介護している。奥様は長年の間焼き鳥屋さんの女将さん。青森出身で客あしらいも穏やかで繁盛していたらしい。数年前から足腰が弱ってしまい、今ではご主人がその店を切り盛りしている。残念ながらアルツハイマー型の認知症と分かり、主治医の勧めで介護保険のサービスを利用し始めた。一週間に数回美容院の通いいつもお髪は綺麗に整えられている。でも靴下を脱ぐと足の爪は伸び放題、足も足浴をするとお湯がにごってしまうほど汚れている。お化粧は忘れずされるので、一見するとまさか足がこんな状態とは思いもしない。外来受診しても足までは見ないのでずっとこんな状態が続いていた。訪問初期は主治医の先生が心配されているので状態をみに参りました、というと受け入れてくださった。かれこれ20年以上おなじしゅじいに通っているので主治医唐とお話をすると安心して家の中に入れてくださった。ケァには思いのほか協力的で足浴をとても気に入って下さった。去年の秋引越しをされたのだがこの頃から足腰が弱ってきてしまった。心疾患もあるので無理をせず過ごすことを希望されていた。物忘れも進みお薬は一日1回の朝食後だけの物だけだったが飲み忘れが多く、訪問介護とディサービスと訪問看護でお薬を飲んでいただくようにしたところ、足がパンパンにむくんでいたのが嘘のように消えた。先週のこと、電気行火で低温やけどをしていたモヨウ。電気行火なので傷の大きさは15センチほど。結構大きい。まだ皮膚科受診していなかったので今朝電話をいれ皮膚科受診をするようにとお勧めの電話をした。ご主人は今日受診するつもりだった様子。毎週水曜日はお薬を服薬カレンダーにセットをする日。午後3時が約束の時間だがお宅を訪問すると不在。ご主人の携帯に電話すると思いのほか銀行で手間取ってしまったという。まつこと30分やっとお二人は帰っていらした。既に午後4時20分前。お二人とも相当疲れたご様子。ご本人は穏やかな方なので「どこも悪くないのよ」と落ち着いている。ご主人は疲れはれていてのどが渇いたといってビールを飲み始めた。だんだん体の不自由がましてくると介護サービスが必要になってくる。経済的負担も大きい。懸命に生きているお二人の姿を見ていると心配になってくる。この間も薬を飲み忘れていて足の浮腫がひどくなっていた。外来受診が厳しいならソロソロ往診を考えたほうが良いかもしれない。明日ケァマネージャーさんに相談してみようと思う。
2010年03月03日
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自分の性格のせいか、うつ病という病気のせいか、感情に起伏が激しい。ブログを読み直してみると一目瞭然。これが自分なのかもしれないと、少し開き直り。明日は明日の風が吹く、と思うことにした。今日過ぎ去ったことを色々考えても取り返しはできないし。過去と他人は変えられない、本当にそうだ。今日から個人用机がなくなり、私物は原則持ち込み禁止になった。文房具でも自分仕様が好きなのでちょっと不便。一日中デスクワークではないので慣れればなんでもなくなるかもしれないが、自分の机がない職場は初めてなので戸惑っている。私物のバッグのおき場所が定まらず、この際タウン用のザックにしようかと考えている。ザックなら椅子の後ろにかけておけるので便利かもしれない。その上、パソコンの椅子が座面を簡単に変えられないものになってしまった。入力時間は短いので身体的支障はないのだけれど姿勢が不自然になってしまってこれもちょっと不愉快。また、ジム机で食事はできなくなった。食事周りには4脚の椅子しかないのに。私は外食になりそう。今日は2週間に一回の診察日。レメロンについて主治医と話し合う機会があった。レメロン単独でも4割の方が8週間で症状が改善しているという。私の場合は、あまりにも期待感が強かったせいか、確かに睡眠は改善しているが、意欲的に生きるとか、活動的になるとかといった点はまだまだの気がする。また近々新薬が出るとのこと。ちょっと試しに飲んでみたくなる。お薬を飲み始めて7年にもなるのに、まだまだお薬から離れられない。主治医が言うには睡眠の質だけでも改善しているのだからまだ良いと方だとか。レメロンで睡眠が改善している方は多いという。私以上に不眠の程度のひどい方がレメロンを服用して3時間の睡眠が5時間ほどになったという。今の私は、7時間も眠っているのでその方と比較すると大分いいのかもしれない。先生の話からだけだが自分以上に不眠の方がいると聞くと気分が楽になった。今週の仕事もあと三日。三日辛抱すればお休みがやってくる。土曜日は緊急時の呼吸器疾患のケァについての研修がある。呼吸療法認定士の資格をとるための研修。気持ちを立て直してあと三日頑張ろう。レメロンに期待しすぎていたきらいがあるので、焦らず過ごして行こうと思うのだが、やっぱり期待してしまう。薬がすべてではないのだが、これから仕事が忙しくなりそうなのでトレドミンを再開していただいた。
2010年03月02日
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今朝は時間ぎりぎりに目覚め、アサシャンできずに洗面だけして出勤。昨日は研修ではつらつとしていたのに、今日はなんとなく虚しい気分。希望が見えない。というのも、今日の訪問は4件とも失敗。一件目は肺がんで末期の方。痰の切れが悪く、むくみもひどくなり、トイレにもいけず、ベッドに横にもなれず終日座って過ごしている。酸素飽和度などバイタルサインは問題ないが横になれないために体中が辛いという。ソフトなマッサージを全身にしてみるがあまり効果が無い。何もして差し上げられない、そういう自分と向き合うのは辛い。2件目の方はだんだん廃用症候群が進んでおられる方。何回も肺炎や尿路感染症を繰り返している。尿路感染症を防ぐためには排便コントロールをしたり、トイレで排泄ができることが肝心。でも、歩けなくなってきていて全介助に近い方法でトイレに連れ出すのだが、ご本人の気持ちを動かせない。無理やりなケアは好ましくないと思いつつ、半ば無理やりにトイレに。排泄がしっかりあったので、まあ悪くはないが。無理やりに近い形でしかケアができないことは自分の力不足と思う。気持ちはなんとなくブルーに。自分に虚しさを感じてしまう。どこをどのように変えていけばよいのか分からなくなる。ちょっと絶望。午後の1件目の方は既に寝たきりになり、胃ろうから食事をしている。体が硬くなってきているが、体に触られるのが不快のようで体温計をわきの下で測ろうと腕に触れただけで上肢の緊張が高まる。そっと右手で握手してみるとわずかに緊張が取れる。表情は固くアイコンタクトもない。トイレにも座れなくなっているので排泄はオムツ。便を出す力がなくなっているので摘便をしなければならない。ベテラン看護師に教わった方法でしてみると何とかスムーズに処置ができたが、なんと仙骨部に床ずれの始まりの発赤が。とりあえず保湿クリームでスキンケァして見る。体が硬くなってしまった方の緊張を取る方法はあるのだろうか。坂道を自転車で上がりながら考えてみるが、良いアイディアはない。4件目の方は難病の女性。この方も胃ろうから食事をしている。経管栄養の準備をし、薬をお湯で溶かしておいてから、健康状態を観察をしてから、やはりこの方も摘便。ご本人の表情は少しも緩まない。ずっと閉眼したまま。気管切開をして言葉はもはや発することができなくなっておられるので色々と世間話などをしてみるのだが反応がない。どういった対応をしたら良いのか分からなくなる。というわけで、今日の仕事は失敗。失敗を解決する方法も見出せない。ちょっと絶望的な気分。気持ちが落ち込んだまま帰宅する。こんな日もあるとは思うもの、努力の方向性が見えないのが辛い。今日は今日で仕方がないので、明日からまた元気を出して仕事をするしかないのだが。
2010年03月01日
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