全33件 (33件中 1-33件目)
1

Sさんは91歳。誤嚥性肺炎で去年の9月から今年の8月までの約1年間に5回の入退院を繰り返している。その都度入院をして自宅に戻っていらした。一昨日訪問すると前回の看護師と違うことに驚いていた。両耳とも難聴で、耳元で大きな声でゆっくりと話すとよくわかってくれた。体温を測り結果をお知らせすると、大きな声で「ありがとう!」と言ってくださる。幸いにお熱もなく、血圧は少し高めだけれど正常範囲内で、自覚症状も特別ない。「食べ物の飲み込みをよくするために体を動かしていきましょう」とお誘いするとすぐに起き上り椅子に座る。起居動作も自立しており、動きもスムーズ。嚥下体操は飲み込みに必要な29の筋肉を動かす体操。舌を出したり、ほほを膨らませたり、「パ、タ、カ、ラ」と発音を繰り返したり、ちょっとこ恥ずかしい。そんな体操を胸を張ってしっかりしてくださる。足腰の筋力を増強する体操、呼吸を楽にする体操などおよそ40分。途中、「疲れた、、、。」とおっしゃるので、おしゃべりをする。77歳までJTBに勤め、日本全国、世界中を旅してきたという。「英語も堪能なんですね」と言うと「Thank you,I love you.」と笑顔。この間行ってきた青森の旅行のことを話すと「青森なら十和田湖だよ」と。「秋田ならどこですか?」と訊ねると「それは男鹿半島でしょう」と即座に答えてくださる。「サラリーマンには難しいけど各駅停車のたびはいいねぇ。そんな旅をしなさいね」と。この方の病歴は分からないし、検査データもない。しょうがなく入院した病院に問い合わせると、夕方病棟で受け持っていた主治医から連絡が入った。「誤嚥性肺炎の事については説明し、食事形態の工夫もご家族、ご本人にもお勧めしているが、食べたり飲んだりしたいというご希望は変わりなく、今でも普通に食事をし、お酒も飲み、タバコもすっている。」とのこと。嚥下障害の検査も、脳のCTなどの検査もしていず、嚥下障害の原因については特定できていない様子。近いうちに診療情報提供所を送ってくださると約束していただけた。肺炎を繰り返すたびに認知症も進み、ADLも低下してきたとのこと。あんなに一生懸命体操をしてくださるのも、生きたいと思っていらっしゃるからだろうか。1時間程接する分には認知症ははっきり分からない。難聴だけど、明るい前向きな方って印象だ。お酒を飲み食事をすることを楽しみにしておられるので、嚥下体操をご家族にも覚えていただき食事前必ず行うことでこの冬、肺炎にならないようにご家族にもお話をしていきたい。まだまだ朝顔は健在。明日はもう10月だけどまだ咲いているだろうか。
2010年09月30日
コメント(16)

今朝は早くに目が覚めて、3時50分からの日テレニュースをみていたらとっても素敵な朝焼け。西が丘に行けば朝焼けに出会えるかもしれないと5時過ぎに家を出る。まだ月が出ている。下弦の月。交差点の上の歩道橋に陣取って朝日を待つが朝焼けはなし。西が丘から桐が丘に散歩をしてみる。途中住宅街に入ってみるとマンジュシャゲがひっそり咲いている。コンクリートの傍なので何とはなしにひ弱な感じがするが。 ふと後ろを振り返ると野良猫とアイコンタクトをしてしまった。どうも定期的にご飯をいただけているよう。今年生まれた子だろうか。そんなこんなで朝をのんびりと過ごし、朝食も食べ、主治医から勧められてデパスも飲んで出勤。ハイテンションな同僚の言葉尻にイライラするが言葉に出さずに済んだ。午前3件の訪問も無事にすぎお昼ごはん。午後、新規の方の診療情報が、「摂食嚥下障害」の6字。これではどうしたって訪問は出来ないと入院していた病院の地域連携室に連絡して退院時サマリーをお願いしたところ、病棟で担当していた主治医より電話があった。お忙しいのにいろいろと質問に答えていただき、わからない点についてはまた調べて連絡をくださった。看護計画も立てられ、何とか無事に一日を終えられた。こんな風に一日が終われば安心。 ひょうきん表情のかわいらしい花。夏スミレ?ではなく トレニアだそうです。昨日載せたコムラサキシキブの花が散ったばかりの状態に出会った。あんなに目立つ実なのに花はとっても地味。
2010年09月29日
コメント(26)

最近の私、今までとは違い行動的。旅行から帰ってきたら同僚に別人みたいと指摘された。自分でもそんなものかな、と思っていたが一昨日、昨日と疲れてしまい起きられなかった。もしや、軽躁状態? 思い当たること多々あり。急に旅行に出かけたり、職場の同僚の言動にイライラしたり。御金遣いがあらくなったり。そのくせ読書は出来ないし、考えもまとまらない。軽躁状態かもしれない。今日はメンタルクリニックの定期診察日なのでさっそく主治医に相談してみた。食欲は普通、睡眠も眠りすぎるきらいがあることも報告。「何か都合が悪いことがある?」と。気分的には楽になった感じがあるが、行け行けゴーゴーで活動しているときにはいいがその反動で疲れ切ってしまうので、バランスがとれていない感じがする。平均的に過ごせるようになりたい。かといってあまりにもタンタンしすぎていると面白くないし。自分のことなのに微妙。主治医は少し考え込み、サインバルタ20mg 3capを 2capに減量し、イライラするときにはデパス1mgで様子を見るようにしたらどうかと提案があった。これこそやってみないとわからない。さっそく今晩から内服薬の調整をしてみたい。安定した自己とは何か。私らしい私とは何か。元来おっちょこちょいと言われてきた私。気まじめなのにそそっかしく不器用。口下手だし、人付き合いも苦手。かといって人間嫌いなわけではないし、、、。簡単に答えは見つからないが、じっくり考えてみたい。さ来週はまた入院だし、10月いっぱいはおやすみだし。今更この私をどうこう出来はしないだろうが、今がチャンスかもしれない。 東京は昨日は11月下旬の陽気。今日は雷で大荒れ。明日はまた夏日だという。そんな中でも健気に咲いている朝顔。今年はもうこれが最後だろうけど。
2010年09月28日
コメント(34)

旅の疲れが出てきたのか、一昨日は午前に2件の訪問が終わった後お昼をたべて帰ってきたら眠気に襲われ、ずっと眠っていた。日曜日になってもまだ眠く、またまた眠りに付き一日中眠っていた。こんなに眠れちゃうなんて嘘みたい。うつともサヨナラなのか、うつとの戦いもこれまでか。すんなりとうつとさようなら出来るのだろうか。かってそうだったように、毎日を元気に過ごせるのだろうか。昨日は家事を徹底的に済ます日だった。でも家事をする気にならずにずっと眠っていた。旅の疲れか、仕事の疲れか。朝になっても今度はだるさが襲ってきて起きられず仕方なく職場に連絡をいれ休ませてもらうことにした。今日は寒いくらいの秋冷え。明日は何としてでも出勤しなくっちゃ。コムラサキシキブ:萌芽月さんより
2010年09月26日
コメント(29)

下北駅に8時55分に到着し、霊場恐山行バスは9時。間に合うかと心配だったが駅前にバス停があり、ほぼ満席。さっきまでは晴れていたのに、曇ってきて雨模様に。一人旅の方も多い。バスの中では観光案内がされていたが、うとうと眠ってしまった。もったないことをした。途中、冷水で休憩。不老水だという。みんなが降りるので私もおり、一杯飲むと10年長生きでき、2杯飲むと20年、3杯飲むと死ぬまで長生きできるという水を3杯飲む。バスだと40分で霊場恐山についてしまい、参拝の趣は少ないがここの雰囲気はちょっと参拝気分を味わせてくれる。お参りするにはやはり歩くのが基本だろう。観光気分で恐山に行くとよいことがないとも言われている。うーん、困った。10時前には恐山総門前のバス停に到着。お土産屋さんが2軒、食堂が一軒、バス停の前に休憩所が一か所。帰りのバスは2時半。約4時間あればゆっくりお参りも出来、温泉にも入れそうだ。3千円で観光ガイドを頼めるそうだが、自分なりにゆっくり見て回ることにして、ちょっと迷ったが一人でお参りをすることにした。雨もやみ入山料500円を払いいざ恐山。境内全体にゴミ一つ落ちていず清潔ですっきりとしたお寺だった。いたこの口寄せはあまりにも有名だが大祭と10月のお祭りのときだけ境内にいらっしゃるそうだ。車いすでも参拝できるようにスロープが設置してあった。境内は広々としている。寺務所で御朱印帳に記帳していただき、山門をくぐり地蔵さま、不動明王さまなどのお参りを済ませる。 不動明王様への道々後ろを振り返ると境内全体が眺められる。地獄めぐりの中でこの景色と極楽浜が美しかった。恐山で唯一の花。磯躑躅 ジュラ2591さんより。紅葉の兆しも。宇曾利湖の浜は白く、極楽浜と呼ばれていた。お参りをしてお祈りを繰り返しさせていただいて最期が極楽浜というのはよい。ちょっと救われた気がした。恐山の境内には温泉があり、4つの湯小屋がある。男湯2か所、女湯1か所、混浴1か所。お参りを済ませて女湯に入る。白濁して硫黄泉。温泉につかるとすぐに身体全体が温まり、気持ちよい。誰もいなかったが、着替えをしていると大阪からオートバイで来たという方が入っていらした。全国からお参りに来ていらっしゃるのだ。お参りの最後に温泉があるというのはよい。心も体もすっきりし、何か新しい一歩を歩めそうな気がしてきた。下北には33か所の観音様を奉ったお寺があるという。温泉も沢山あるし、お寺もある。いつか温泉を巡る旅をしてみたい。バス停前の休憩所は原子力発電にかかわる交付金で整備されていた。こんなところまで原子力発電関係の交付金が使われているのだ。ちょっと考えてしまった。2時半のバスで下北駅に戻ると駅前の花壇でサルビアが咲き誇っていた。
2010年09月25日
コメント(22)

青森の旅二日目は、恐山の往復。八戸から東北本線上り各駅停車で野辺地へ。始発列車に乗る。運転手さんと車掌さんの二人。ワンマンのときもあるようで、ドアの開け閉めはボタンで行う。昨日夕食を、回転寿司とせんべい汁と多めに食べたせいか、おなかは全くすかずお茶一杯飲み列車に乗る。ホテルメッツ八戸は駅中のホテルなので、始発列車に乗るのは便利。約1時間で野辺地に着く。乗り継ぎの「むつはななすライン」大湊行きの列車を待つ間、朝食をとることにして改札口を出る。野辺地駅の外には食べられる店も見当たらず、立食蕎麦屋さんで「芽かぶそば」を食べる。そばの味は普通。芽かぶが新鮮だった。駅売店で南部せんべい2枚組一袋を、リンゴ味とほたて味の二つを買い、お茶を飲みながら食べる。下北から大湊行き列車は7時58分。空も晴れてきて、青空が見える。 下北駅1番線。先頭車両の一番前、運転手さんの隣の立ち見席。一番良い大好きな場所。今日はラッキーだ。コスモスも咲いていた。6歳の初夏、梅雨明け前に大雨が降りそのために水害が起こった。洪水の後、河原に咲き誇っていたコスモス。父が空き地にコスモスの種をまいてくれたのだ。懐かしい思い出のコスモス。いよいよ出発だ。目の前の景色がドンドン変わる。普通列車の旅のだいご味。運転手さんの様子をちらちら見ながら景色を堪能する。野辺地から下北まで約1時間。車窓の旅ならぬ先頭車両の旅になった。下北半島らしく、風力発電も見えた。陸奥湾も見えた。こんな景色が見えるとは思ってもいなかった。朝早かったせいか青い海を見ることができた。超ご機嫌な旅だ。そうこうするうちに下北駅に到着。いよいよ恐山だ。
2010年09月24日
コメント(27)

種差海岸天然芝生地。海辺に近づき海を堪能。いくら見ても見続けても飽きない。お昼過ぎたせいか潮風が優しく、ずっと海を見ていたくなった。天然芝生地は広い。家族連れがボール投げをしたり、散策を楽しんでいた。海岸線の近くまで芝生が広がる。岩肌の美しい海岸線。天然芝生地には小川もあった。とってもきれいな水。天然芝生地からキャンプ場をこえ、淀の松原を歩く。所々ぬかるんでいるところがあるが、スニーカーさえ履いていれば大丈夫。私はショートブーツだったが足元は安全で、多少の登り下りはあるものの、右手にずっと海が見えて快適な散歩道。天気が晴れていたら鮫駅まで歩いても良かったかも。曇っていたこともあり、松原の中は薄暗くきれいな写真をとれず。コンデジなので夜景モードで撮れば良かったのかと帰ってきてから気が付くがとってみないとわからない。深久保漁港が近付くとハマギクが咲いている。海辺の花はみんなたくましいのだろうか。厳しい自然の中で行きぬいている力強さがみなぎっている。深久保漁港が近付くと白岩が見える。深久保漁港は小さな港。続く白岩漁港もやはり小さな港。人影はない。白浜漁港の近くには公衆トイレも整備されていて大変助かった。陸奥白浜海岸駅が近くになり、今回の散歩はここで終了。無人駅で50分ほど列車を待つ。2両編成の可愛い列車がやってきた。約2時間の海岸散歩を楽しんだ午後だった。八戸駅に戻り、駅近の回転寿司屋さんで軽く生ビールとイカやマグロのお寿司を食べた後、ホテルへ。朝早かったので第一日目の旅はこれで終了。明日は八戸から野辺地を経て下北まで各駅列車の旅。そして恐山の参拝。
2010年09月23日
コメント(11)

葦毛崎には露草も咲いていた。露草って儚げだがなかなかたくましい。こんなに海風が強いところにも沢山姿を見せていた。ハマナスの実もついていた。海風が強いせいかハマナスの葉は厚く、実もいかにも丈夫そう。この実を土に埋めたら芽が出るのだろうか。アザミも鮮やかだった。キラキラとして宝石のよう。葦毛崎から白浜を左に見ながら、種差海岸駅近くの天然芝生地まで。ここでタクシーの運転手さんとはサヨナラ。丁度お昼時だったので、散歩をする前に腹ごしらえをすることにした。旅のお昼はやっぱ、ビールでしょう。お昼はいちご煮定食にした。すまし汁にウニが浮いている。いちご煮という命名のようにウニが甘くおいしい。流石は漁港が近くの店。ウニがなま臭くない。ウニの煮ものとは豪勢。ウニが新鮮なら軍艦巻きのほうがいいのかも。ご飯が終わったら早速目の前の天然芝生地から白浜を目指すことに。芝生の上にウミネコがよちよち歩いていた。表情豊かで愛らしい。近づくとちょこちょこと逃げていく。ちょこまか動くけど、カメラで初めて鳥をとった。天然芝生地は広く、海岸線もきれい。白浜までの5kmほどを散歩することにした。海辺には花は多くはなかったがいくつか咲いていた。海がとってもきれいだった。
2010年09月22日
コメント(25)

八戸港から鮫町の蕪島神社へ。蕪島は「弁天様のおつかい」といわれるウミネコの繁殖地としても有名だ。一般にウミネコの繁殖地は人を寄せ付けない断崖絶壁や離島であることが多いというが、この蕪島だけは間近で巣の様子を観察できる国内唯一の繁殖地だとのこと。春の彼岸のころに南方からウミネコが飛来し産卵を始める。その数は三万とも四万ともいわれ、島に菜の花(蕪の花)が咲くころ卵が孵り、親鳥たちは雛鳥に飛び方を教え、短い夏の終わりとともにまた南方に帰っていくという。今では留鳥として一年中蕪島で過ごす鳥もいるという。赤い鳥居が目にも鮮やかに小さな島に聳え立つ。最初の鳥居から階段を上がりきるとまた赤い鳥居がある。「ひょうたん」と「かぶあがり」の像(?)どちらも縁起物で、かぶあがりの絵馬もあり、500円だが商売繁盛と、学業成就を祈ってきた。商売繁盛といっても勤めている法人が一円でも黒字になってほしいというささやかな願い。学業成就は来年こそ呼吸療法認定士の資格取得をすること。絵馬に書くとか、お祈りをするという行為は自分が普段あまり意識しない心を明らかにし、言葉にすることで認識や自覚が明確になることがよいのだと思う。非日常の世界で自分の心のあり方を見つめる機会にもなる。神社から八戸港を眺めるととっても気持ちよい。雲っていたので残念だが、晴れていたらさぞかしと思えた。蕪島神社を後にして種差海岸線を「葦毛崎展望台」に。 運転手さんの話では「地球が丸いってことがはっきりわかる眺め」だという。確かに海と空の境がほんの僅かに曲線になっている。岩肌が美しく、寄せる波も太平洋らしく明るくたくましい。タクシーの運転手さんが待っていると思うとのんびりもしていられず、次回来る時は八戸線鮫町でおり、種差海岸約13kmを歩いてみたい。展望台に行く道の傍らにハマナスの花が咲いていた。初めて見るが厳しい自然の中でたくましく美しい花。
2010年09月22日
コメント(22)

日本地図で青森を見てみると、東京からはとっても遠い。最初は各駅停車で太平洋岸をめぐって八戸まで行こうと思ったが、朝一番で出発しても日帰りではとても行けそうもなく、三日間しか休みがないので往復は新幹線を使い青森での滞在時間を長くすることにした。仙台には3回、盛岡に1回。盛岡以北初めて。東北新幹線は大宮も通っているので赤羽から宇都宮線に乗り大宮に出て、大宮から新幹線。田舎者なので何も大宮を回らずダイレクトに東北に向かえばいいように思うが、なぜか東北新幹線なのに埼玉を通過するのが不思議。約7時半前に大宮を出発し、八戸には10時半には到着。新幹線「はやて」は全席指定なので座れないこともなく駅弁を食べたりコーヒーを飲んだりうとうとしているうちに八戸に到着。地図で見るとあんなに距離があるのについてしまえば早い。「はやて」の顔はオラウータンみたいに鼻のしたが長い。列車の形にさほど興味があるわけではないが俄か鉄道ファンになってしまった。18日に出発予定だったのに、一日遅れで八戸到着。車内で駅弁を食べたのでさっそく八戸観光協会により八戸の観光パンフレットをいただく。観光タクシーは予約というのでパンフレットの一番上のタクシー会社に連絡すると、駅前で待っているタクシーに乗れば大丈夫との話。タクシー乗り場にはタクシーがざっと20台以上は待っている。タクシーの運転手さんはすぐに理解してくださり、おおよそ8000円くらいかかるという話。ガイドブックとほぼ同じ料金。昼ごはん2週間分だが久しぶりの旅行、思い切って乗ってみることにした。八戸駅は市街地から離れているので、駅から中心街に出て八戸港から海岸線に沿って種差海岸の天然芝生地まで。八戸港には市場が3か所あり、全国から漁船が集まっているという。11時前という時間が時間だけあって市場は森閑としていたが港に停泊している漁船が見事だった。巻き上げ漁船をみるのは初めて、その迫力に感動してしまった。一人では漁港まで入ってこなかったかもしれない。私の生まれ、育ちは海なし県の山梨。お寿司やお刺身は好きだが漁業については全く知らず。操業している船の実物を見るのは初めて。今はサバの季節だという。日曜日の朝市の賑わいはものすごいという。一日早く青森に来ていれば見れたのの全く残念。でも、来ないより来たほうがよい。今度はリュック背負って平日に青森入りをして日曜日の朝市を3時からのぞいてみよう。八戸港を後にしてウミネコで有名な蕪島。「かぶが上がる」という意味で今人気沸騰だという。明日は蕪島を紹介します。
2010年09月21日
コメント(16)
昨日は10時半過ぎに八戸に到着。ちょっと豪華にタクシー観光。八戸駅から種差海岸まで。久しぶりの海を眺めながら散歩をした。ハマナスを見たり、ウミネコをまじかで見たり。早めに八戸駅に戻ってきて回転寿司屋さんでお寿司を食べた。もちろん生ビールも。20日の天気は雨模様。雨の中を三陸海岸もないかなとふと思い、恐山を往復することに決定。朝一番の列車で八戸を出発すると、何とか夕方には八戸に戻ってこれることが分かった。それで、結局一泊二日種差海岸、恐山の旅になった。八戸線、大湊線と各駅停車の旅も楽しめた。30年ずっと心の片隅にあった恐山をクリアしてなんかすっきりした。明日からは旅の様子を報告します。
2010年09月20日
コメント(16)
昨日一日爆睡した結果か、今朝は3時きっかりに目が覚めた。今日は旅行大丈夫そう。一泊二日の旅はもったいないが、なんか出かけてみたい気分になってきた。よし、行ってきます。
2010年09月18日
コメント(11)
昨日は、仕事終了後、関節可動域訓練の実技講習会。9月から新しく入った同僚Iさんのための講習会。外科病棟6年の経験後結婚のためしばらく看護師の仕事を辞めていた方。在宅看護ではリハビリは意外と多い。関節の拘縮を防ぐためにいわゆる寝たきりの方に対しては誰にでも関節可動域訓練をしている。ごくごく基本的な看護ケアであるが、慣れないとなかなかできにくいようである。まず、看護師が患者役になり、私とIさんがが左右で行い、患者としてどこをどうしてもらいたいか感想を述べるといった手順で行った。どんなケアでもケア提供者がリラックスしていることが肝心。関節可動域訓練は看護師の体を使い直接患者の体の触れケアするので看護師が緊張しているとすぐに患者に伝わる。Iさんはとっても一生懸命に毎日の仕事をしている。まだ慣れの時期で同行訪問をしながら訪問看護の仕事を覚えてもらっている。見学が主の訪問の後、先輩看護師の見守りを受けながら主としてケアしていく。このことを繰り返しているのだけれど、どうも緊張しすぎているらしい。普通にできたことができなくなっているようで、本人もブランクがあったことを気にかけている。身体全体をリレックスしながらケアができるようになったのはいつごろからだろうか。自分もひどい緊張をしながら今の職場に慣れてきた。毎日、毎日のケアの繰り返しで少しずつ身についたのだと思う。そんなことで講習が終わったのが19時過ぎ。それから銀行により、クリーニング店により、夕食を食べていたら21時になってしまっていた。目覚ましを4時にかけて眠ったが、4時に目覚ましで起こされたが起きられず、ずるずると寝続け6時。アーァ。始発電車にはもう乗れない、と思うと気持ちが緩みその後もずるずると爆睡し、お昼。宿泊のキャンセルの電話をし、また爆睡。よく眠れるものだ。恐山行は完全の中止となった。明日は朝早く起きられれば八戸までは行かれる。今日は早く寝て明日決行するか、迷っている。携帯当番の翌週は寝不足もあってなかなか計画を実行できない。爆睡できるということは鬱がよくなっている証拠だけれど、自分の楽しみをキャンセルしてしまうのは寂しい。明日、4時に起きれば赤羽発5時51分の宇都宮線に乗れる。一泊二日の旅に変更だが起きられるか、ちょっと不安・・・。
2010年09月18日
コメント(3)
経済再策を第一にしたいとの発言。社会保障については後回しらしい、要注意。日本の世界での役割について明確にしたいという。地域主権も目指すらしい。こんな小さな国で地域主権になったらバラバラな福祉政策になりやすい。うーん、期待できないかも。主相会見の顔が暗いのが気になる。素人の感想にすぎないが中途半端な感じがしないわけでもない。
2010年09月17日
コメント(8)

午前の訪問を済ませて帰ってきたら、看護部長が面接をしたいと言っているって。どうも入院の件で診断書を出せって言っているよう。今年度になって夏休みをどうとるか、職場の話し合いをしたときから、10月には再入院して手術を受けることを宣言してきた。一ヶ月くらいのお休みになるので、お休み中の体制について配慮していただきたいので事前事前に上司にお伝えしてきたのに。自分の病院に入院するわけではないし、診断書を出せって言われたって急には出来ない。主治医の外来は月曜日しかやっていないし、受診するとなると一日かかりだし。診断書が必要なら早く行ってくれれば、先日の外来受診のときに診断書を書いていただいたのに。次回の受診日は10月4日。それでは遅いという。部長は高圧的な方で押しが強い。私が苦手とするタイプ。面接は嫌だったので電話で済ませた。捨て台詞がすごい。「○○さんは余分なスタッフでいるわけじゃないからね」だって。春には安定していた看護体制が妊娠する人や退職した方が相次いでこの夏から急に不安定になったので管理者にとっては頭が痛い案件なんだろうけど。来週の月曜日受診せよ、とまでも。残念、休日でした。直属の上司に「苦手なの?」と聞かれたので、「超苦手」と返事した。たった1分くらいの会話なのに疲れてしまった。明日、一日働けばお休みだし、まぁ、いいか。
2010年09月16日
コメント(22)

唐突ですが、今度の3連休、青森・下北半島の恐山に行くことにしました。3連休の土曜日だとあって八戸も青森も下北もネットで調べても空き室がなく、恐山の宿坊に連絡したところ宿泊可能ということで急遽恐山に行くことになりました。20代のころ、恐山に行きたかったこともあり、思い立った時が吉日、行くことを決めました。お寺だから早起きだろうと7時過ぎにお電話したら。朝のお勤めがあるので8時過ぎにしてほしいとのこと。電話の声はとってもまじめそうな感じ。宿坊泊まりは初めて。小学校に入学する前の年、実家が水害にあい半壊状態になったときお寺の母屋に泊らせていただいた。なんか懐かしい感じがする。お昼休み電話を入れると宿泊可能ということで、お泊り決定。朝6時前に東京を出発するともう夕方には恐山。各駅停車の旅は今回は中止。青森での滞在時間を長くすることにした。一人旅に出るのはもう10年ぶりかも。鬱になってから実家に帰るか、山に行く位で遠出はしたことがなかったから、本当に元気になった証拠かもしれない。
2010年09月15日
コメント(39)

Jupiter (平原綾香)は、どなたもご存じの曲だろう。音楽音痴の私は日テレの24時間TVの演奏を聴いてすっかりファンになってしまった。本箱のCDコーナーを探したら何と我が家にもあった。さっそく、リピート機能を利用して朝も夜もずっと聴いている。曲も素敵だけれど、詩がすごく良い。孤独にさいなまれている方もこの曲を聴けばきっと勇気がわいてくると思う。まだ聴いたことがない方はYou Tube でぜひ聴いてみてください。詩はちょっと違うけれども本田美奈子のJpiterも素敵です。土曜日まで三日しかないというのに旅の支度が全くしていない。お宿も全く決まっていない。旅行代理店に行こうとしたが今日はメンタルクリニックの定期通院日だった。通りでお薬が少なくなってきたと思った。8月初旬よりアモキサンをやめ、日中のデパスを飲まなくなっても平気で過ごしている。休日は寝たきりのことが多いし、家事はメチャメチャだめだけど仕事はどうにかこうにかこなしている。4月以来有休を全く使わず、突然休むこともなく働いてこれた。先生に言わせると「とりあえず仕事が出来ればね、良しとしようね。薬はすっきりしてきたし、眠剤も減ってきているので、このまま元気でね」と。机に座っていると全く気がつかないけれど、ちょっと立ってお部屋を見回すとすごいことになっている。マッ、気にしないで元気にしていこう。そのうちに家事もしたくなってくることを祈って。
2010年09月14日
コメント(25)

携帯当番の土日、何もなく経過。今日は午前中、学生さんと訪問2件。朝一番の方は78歳の女性。大腸がんで横行結腸に人工肛門が造設されて1年。昨年の7月に手術を受け、帰宅したのは12月の末。人工肛門のケアが不十分で皮膚がただれし入院した。そして退院したのが今年の2月初め。入浴介助と人工肛門の管理のために訪問看護が始まった。高血圧症、不整脈など内科の持病も多い。この時代の女性なのに4年生大学を卒業し一流企業に勤めた経験があり、お話もとっても楽しい。1時間半の訪問があっという間に過ぎてしまう。半年前から関節のこわばりと痛みがあり、血液検査を受けたらリューマチらしいことが分かった。胃薬と消炎鎮痛剤が処方され服薬したところ痛みは嘘のように治ってしまった。ところがどうも胃腸の潰瘍が再発してしまったようで、先週の水曜日入浴後意識消失した。月・水・金と週3回訪問しているが金曜日は入浴をせず、清拭に変更し様子を見ていた。もちろん消炎鎮痛剤は服用中止。体調に自信がない時はちょっとしたことについても不安がある。昨日、今日と報道された谷啓の訃報の知らせはショックだったようで「あの方は私と同じ年なのよ。ショックだわ」と。自宅で転倒後、脳挫傷で死亡という事もショックを大きくした原因のようだ。ご本人はこの間の意識消失がとても不安だったようで今日の入浴はどうしたものか迷っていらした。消炎鎮痛剤を服用中止し5日目であり、血圧などが正常なので入浴をしていただくことになった。短時間にさっと終わらせベッドの戻ることを肝に銘じ浴室へ。本当を言えばまた意識消失したらどうしようかと迷ったが、この暑さの中短時間の入浴なら可能というあまり根拠のない判断で実行。さりげなく世間話をしながら手足はササッと動かし、眼はつぶさに状態観察をし、意識を失いそうになったら全身で受け止めることを覚悟しながらケア。歳の候というのはこういうときに役立つ。あまりくどくどと説明しなくても患者さんがついてきてくれるからありがたい。無事にケアが終わったときは内心ホッとした。入浴時間は10分。前後更衣などに15分ほど。身体を温めれば血管が拡張し出血を促進する。何分なら危険かという具体的なデータはないが、人工肛門から飛び出している腸の粘膜の潰瘍が消失しているということから入浴に踏み切った。これが正しい判断かどうかは正直自信がない。在宅看護は時にヒヤっとすることがある。それにしても谷啓氏の訃報。釣りバカ日誌の気まじめで少し滑稽な課長さんの姿が懐かしい。ご冥福をお祈り申し上げます。合掌。携帯当番の月曜日なのに、何となく飲みたくなって軽く中瓶のビールと冷やし中華。
2010年09月13日
コメント(12)

後、五日働いたら三連休になるというのに、予定がまだ立っていない。沖縄か青森。またはカメラ教室か。青森までは各駅停車の旅で、下北半島を一周して帰りは青森新幹線で東京に戻る。または飛行機で沖縄に行き、青い海を楽しんで、夜は泡盛を飲んでサンシンを聴いてのんびり。もしくは三日間、カメラ教室でコンデジを使いこなせるようになるか。どれもこれも魅力的で、お部屋暮らしよりお出かけをしたいな。山は姉が膝を痛めており、一人の山旅をする元気が今一つなく、今回は山はお預け。そうなると10月13日には再手術なので、来春までは山は登れないかも。と、考えると行き慣れた雲取などはどうかとも思うが。三日間というのが中途半端で出来れば後一日お休みがほしい。 百日紅のシベ、優雅にダンスをしているよう。街路樹の中でもこの花だけは元気に咲いている。
2010年09月12日
コメント(24)

昨日からまたまた携帯当番。先週は患者さんたちの状態が落ち着いていたので呼ばれることはないと思いつつも、落ち着かない。今朝は早朝散歩に久しぶりに西が丘に行ってみたけど、夏の猛暑のためかお花は少なく緑も疲れている。この夏は本当に暑かった。ゆっくり散歩したので5時過ぎに出かけ、7時前に帰ってきた。今朝は朝焼けが見事だったようで、朝焼けの終わりころ空が広い交差点に行きついた。もう少し早く出かければオレンジ色の朝焼けに会えたかもしれない。今朝見たいろいろな花。ハイビスカスをこんな風に撮ってみた。カメラって肉眼以上に物を見る目があるように思う。お花の芯からまっすぐにシベが伸びていた。これもマンデビラ。今年はよくであった花。露草が一輪、健気に咲いていた。群生していつことが多いがこんな風に一輪だけ咲いているとこの花の雰囲気にぴったりとはまる。ゴーヤの花も元気だった。オオベニダテ?ガウラ。ブログで見させていただいて形の美しさで覚えていました。初めての出会。お花が少なくても街を歩いてみるといろいろな花に出会えます。お散歩は止められない。
2010年09月12日
コメント(15)

Hさんは脳梗塞後に進行した大腸がんが見つかり、人工肛門をつくった。去年の3月から訪問を始めた。そのころは元気があり、脳梗塞のためと思われる認知症もあり、看護師の髪を引っ張ったり顔を殴ったりということもあった。ベッド上に寝たきりで、昼と夜は訪問介護で食事介助が行われている。車いすの乗り全介助で食事をしている。この春から少しずつ食事量が減ってきて最近はお粥も食べなくなってきているという。ヘルパーさんの食事記録を見てみると一日500Kcalくらいしか食べていない。元気もなくなってきた。日によっては全く会話もしない日もあるようだ。今日は久しぶりにお昼前にHさんを訪問。人工肛門に使う便をためる袋を交換するためとおむつ交換。HさんはTVを見ていた。しっかり目が覚めていて、私のことを娘さんか誰かと見間違えているようで「大きくなったわね」と何度も声をかけてくださる。最初は何の事だか分らなかったが「おかげさまで何とか大きくなりました」と返答するとニッコリ笑っていた。処置の手順をお話、協力をお願いするとジッとしていてくださった。処置が終わって片づけものを済ませて、退室の挨拶をすると何か言いたげな表情。少し涙ぐみながら「私、もうお墓に入っちゃうんだよ」とポツリ。Hさん、ご自分の状況を察していらっしゃるんだ。認知症があるからということで訪問診察でも病状説明をベッドサイドでしていたことを思い出す。「今日は血圧も100/60あって、お熱もなくって脈拍もしっかりしていましたよ。胸の音もきれいでした。体の状態は落ち着いているようですよ。すこし、たべますか?」と答えると「おなかがすいた」とHさん。もう訪問時間は終了だけど、ゼリー飲料と巨峰のブドウをむせもなく食べていただいた。「またお邪魔させてくださいね。もうすぐヘルパーさんが来ますよ。」と言いながら握手をするとそっと握り返してくださった。そして右手を振ってくださった。ここ1カ月ほどHさんは少しずつ衰弱してきて血圧なども低くなって来ている。主治医からご主人に「いつ何があってもおかしくない状態なので、状態が変化したときには診療所に連絡をしてください」と説明されているそうだ。Hさん、死を予感していらっしゃる。気持ちがしっかりしているときにご本人にも状態について話をしていかなければならないが、タイミングが難しい。認知症があるということでご本人に説明をしてこなかったような気もする。ご主人は最後までご自宅で看取りたいと考えており、そのつもりでケアをしていたがご本人の気持ちは察することが難しく今まで触れてこなかった。来週の診療所とのカンファレンスで今日の様子を伝えておこうと思う。
2010年09月11日
コメント(17)

今日は夕方に忙しい。5時半に歯科クリニックに行き、そのあと6時半から診療所の所長の還暦祝いのパーティ。N先生のお誕生日は8月23日。フットワークが軽く、患者さんの状態を報告して臨時往診をお願いするとすぐに出かけてくださる。今まで断られたことがない。消化器外科が専門で肝臓切除や食道がんの手術も得意だったと聞く。外科医は一定の年齢になると視力の衰えがあり外科の一線から引いていく。N先生もそうだった。いつ頃か忘れたけれど麻酔科の資格をとったり、訪問診察専門の往診診療所の所長となった。患者さんの中には「N先生に死に水をとってほしい」と願っている方も多い。看護師には厳しい面も多いけれど患者さんにはとっても慕われている。歯科の診察は1時間かかるので時間には間に合いそうもないが急いで駆け付けようと思う。でもパーティの場所は遠くって事務所からタクシーで30分はかかりそう。それが面倒だけど、還暦祝いには喜んで参加します。今日から携帯当番なので週末は出勤なので飲みすぎないよう気をつけよう。朝6時ころの朝顔。まだ開ききっていない。8時過ぎに通ると開いているけれど通勤途上なので自転車から降りて写真をとっていない。9月になって朝顔、あちらこちらで全開です。
2010年09月10日
コメント(24)

今日は平日のお休み。休みの日は寝てしまうことが多いが、今日も早起きできて早朝散歩に出かけた。いつものOLYNPUS SP 800UZ を持って写真を撮り始めた。このカメラはコンデジだけれども撮影条件がいろいろ変えられてカメラのことをよく知ればいろいろな写真がとれるそうだ。適当に撮影条件を変えて撮ったらこんな写真が撮れた。マクロはマクロだけれどピントがとっても良く合う。鮮明な画像になっていてびっくりした。取扱説明書をきちんと読んでみようと思った。久しぶりに元気に過ごせそうなお休みなのでゆっくり片づけものでもしようと思う。音楽を聞き、読書をし、コーヒーを飲みそういうのんびりとした一日もたまにはいいものだ。
2010年09月09日
コメント(34)

今週から看護学生さんの「在宅看護論」の研修の受け入れが始まった。3年生なので、2月の国家試験まで半年もない。学生のYさんとは今日が2回目の訪問。担当の患者さんはレスピレーターをつけている方。病状としては安定しているが、24時間の観察とケアが必要で、30代の息子さんが仕事を辞め介護をしている。訪問看護は月曜日と木曜日の週2回。レスピレーターの管理というお仕事もあるが、主なケアは身体の清潔保持(清拭、更衣)、体位交換、排便コントロール(浣腸・摘便)、膀胱留置カテーテルの管理でどちらかというと排泄ケアが多い。基本的看護が主ともいえる。仕事内容としては地味な仕事だ。学生さんは何を思ったのか、患者さんのケアをする場面で突然「病棟勤務でなくて訪問看護を選んだのはなぜですか?」と訊ねてきた。患者さんの前でそんな質問をしてくることに驚いたが、「じっくりと患者さんとかかわれるところが魅力ですよ」ととりあえず答えた。午後3件の訪問を終えて自転車で帰ってくる道々、学生さんの質問がよみがえってきた。答えが間違っていたと思った。自分がこの仕事を選んだのは、ご自宅で療養する方のために広くいって健康管理ができる看護師の働きが大事であると思っているからだ。病気が安定しても医療処置が多いとご自宅で療養することをためらわれる患者さんが多く、また家族の介護負担もある。そんな状況でも介護の方法や健康管理について身近に相談できる看護師の訪問があると自宅療養を長く続けられる。往診は月1回でも訪問看護には毎日来てほしいという方もおられる。確かに病棟と違って一人の方にまとめて1時間のケアが保障されているというのは、看護師にとって天国のような環境でもある。今日のような雨の日はちょっとつらいが。病棟の仕事も外来の仕事もやりがいがあるが、最終的に訪問看護の仕事を選んだのは在宅療養を支えたいと思ったからだ。もう3年もたってしまったが、学生さんの質問をきっかけにして、自分の原点に戻れた気がする。経済的に余裕がある生活が出来、健康が保障されるならいずれはボランティアで訪問看護をしたいと考えていた自分を思い出した。PCの学習を始めたのもそんなことがきっかけだったのに。すっかり忘れていた。
2010年09月08日
コメント(10)

お昼の時間、午前中に訪問した方の記録をしていると診療所の看護師のOさんが息せきって入っていらした。「Wさんが9月4日の未明にご家族に見守られてお亡くなりになった、最後は呼吸困難なためにお話もできなくなった。お孫さんとお子さんが来るまで待って、とご本人にお伝えしたら、お子さんたちが駆け付けるまで意識があり最期のご挨拶もされた」とのことだった。緩和ケア病棟に入院して四日目だった。最期大事なお子さんやお孫さんに見送られて旅だったと聞いて胸が熱くなった。ご自宅で頑張れるだけ頑張られたんだなあ、見事なご最期だった。Wさんは尊敬できる人生の大先輩。お会いできて本当に自分の人生が豊かになあった感じがする。Wさんのご冥福をお祈りします。
2010年09月07日
コメント(24)

二日休んだら、現金なものでちょっと元気になってきて、また普通に戻ったような気持ちになってきた。今朝は4時過ぎに目が覚め、22時ころお薬を飲むので丁度ここの時間に目が覚めることになっている。9/1に散歩に行ったきりになっていたので、今朝は久しぶりに早朝散歩に出かけた。朝焼けが美しかったが、なかなか自分のカメラでは上手く撮れない。設定の問題か。カメラは自己流であったのでコンパクトデジカメの教室がないか探したら、流石東京すぐ見つかった。広い工事現場の向こうには朝日に輝くビル群があった。東京に来たばかりのときはビルばかりの景色に何か心がすさんでいくような気もちがあったが、今は一つ一つのビルにも温かな人々が住んでいると思うようになり、勝手に比べればビルに親しみを持つようになった。7月からずっと咲いている百日紅。今週は元気に過ごせそうな気がする。調子が良い時はそのぶり返しが来るので、無理をしないように用心しながら来週末を楽しく迎えられるように気をつけよう。
2010年09月07日
コメント(14)

昨日、一昨日は死んだように眠っていたのに、昨夜から少しずつ元気になって今日は普通の元気に。無事一日の仕事を終え、整骨院にも通って。整骨院ではマッサージと鍼を受け、左手を後ろのポケットにも入れらるようになり、ちょっと元気に。体のどこかにいたいところがあるだけで気持ちが凹む。今週から看護学生さんの研修が始まり、私も学生担当に。マイペースなのであまり学生さんのことは気にならずに訪問を終えたが、もっと丁寧に教えてあげたらよかったのにと反省。自分も余裕がないので教えながら働くってすごく負担に感じてしまう。先日お話したTさん。再入院の予定が決まった。9/16から一時的に2週間入院。あと10日間自宅でご本人もご家族も頑張れば一息つける。奥様のお話では在宅看護は1カ月が限度という。この気持ちを診療所の主治医や病棟の主治医も分かってほしいものだ。今週は木曜日が定休日。金曜日からまた携帯当番。来週は土、日、月と3連休。また寝込むか、山に行くか、旅に出るか、まだ決めていないが出来ればお出かけをしたいものだ。
2010年09月06日
コメント(10)

連休二日目。今日も何となく体がだるく、何もする気がない。今一つ元気が出ない。うつのもどり?今年はずっと調子がよかったから、もううつともさようならと思っていたが、さにあらず。8月に頑張ったから?それなら休養をとればまた元気になれるはず。ぼちぼちするしかないのだけれどちょっと憂鬱。
2010年09月05日
コメント(28)
今日は土曜日。今日、明日と2連休。ここ最近、疲れやすく連休なのに何の予定も入れずいたのが良かったのか、朝目が覚めたのに、その後延々眠り続け夕方に。さらに眠り続け夜に。そういえば今日は何も食べず。やっと起きる元気が出てきて冷麦をゆでて食べる。映画を見に行きたいのに起きれない。仕事だと何とか起きるのにお休みだと気が緩んでしまうのか起きない。「ローカル線の旅 青森~新潟」をTV東京でやっていて旅心がくすぐられた。青森、行きたいなぁ。
2010年09月04日
コメント(11)

やっと金曜日が来た。せっかくの金、度、日の3連休を寝て過ごした今週。結構元気に過ごしてきたけどやはり疲れのせいか50肩になってしまって。とりあえず仕事が出来るけど、ズボンを上げる時など左腕を後ろに回すような動きがあると左肩が痛む。早くお家に帰りたかったけど、行きつけの整骨院に行くことにした。肩も大分こっていたし、痛みが続くようなら鍼を受けたいとも思った。「痛い時は無理をして動かさないように」といわれてしまった。昨日の整形外科の見立てとはちょっと違うが痛みがなくなることを祈って、しばらくは整骨院通いをしようと思う。マッサージと鍼を受けたら少し痛みがひいてきた。痛みで困ったときには整骨院かも。
2010年09月03日
コメント(17)

Tさんはまだ70代。数年前に脳出血を患い寝たきりとなった。一時呼吸停止になりY大学病院に救急搬送され気管切開を受けた。口から食事をとれないために胃ろうを作り経管栄養が始まり、その上に膀胱にも管が入っている。軽い床ずれもあり、なんだか踏んだり蹴ったりって感じだ。何もここまで一人の方に病が集中しなくっても良いのにと思う。8月16日に晴れて自宅に退院され、在宅看護が始まった。訪問看護は週3回。昨日は私の当番であった。退院され2週間が過ぎたので、ケア終了後この間どうであったかうかがってみた。奥様の一日の生活はこんな様子。朝5時半に起床し、おむつを換え、便の処理をし、尿量をたしかめ、痰を吸引し、経管栄養の前にお薬を注入し、ここまで1時間かかる。そして6時半には経管栄養を開始し8時半までに終了する。終了前から痰が気管カニューレから吹上、吸引でずっと午前中は終わるそうだ。トイレに行きたくても、痰が上がってくる音がするとまず吸引に走り、一時でも安心できない。呼吸が不安定になると不安で不安で仕方がないという。ご主人が退院してからお家から一歩も出ていないという。そういえば訪問看護のときもずっとそばにいてケアを一緒にやってくださる。看護師としてはそのほうが楽だけれども、トイレも我慢してしまうような家族看護は改善しなくてはいけない。睡眠時間は4時間がやっとという。睡眠不足はミスを発生させるもとになるだろうし。とりあえず訪問看護のときには外出の用事があればお出かけしていただく事を提案した。ご家族が一人でなさっていることを看護師も一人でしていかなくては。状態を改善して安定した病状にしていく必要がある。訪問看護でもケアをすることに気をとられていて奥様の健康状態を確認してこなかった。訪問のときには爽やかで明るく、ご主人にもとても優しくって奥様がこんなにも疲れていたとは想像もしていなかった。介護保険は介護サービスを限度額いっぱい利用してもこんなにも在宅看護は厳しいのだ。家族がこんなにも頑張らないと在宅看護は成り立たないのだ。ここしばらくは楽に介護ができる方法について一緒に考え工夫していかなくては。奥様のお気持ちをじっくり聞く場も設けないと。介護用品についても検討が必要かな。奥様が倒れる前に何とかしなくてはいけない。明日の朝のカンファレンスで提案してみよう。 帰り際「ここまで来たのなら、もう後悔しないでとことん頑張りたい」とおっしゃった。今こそこのご家族をしっかり支えて行くときなのだ。
2010年09月02日
コメント(24)

午前中時間をいただいて整形外科にかかった。左手を後ろに回すと左肩が痛む。2,3か月前からあったがだんだん頻度が増してきた。両手は上がるので軽症とは思ったが、早いうちに診ていただいたほうがよいと思って受診。ひょっとして肩に注射をしてもらえるかと期待もあったが、鎮痛剤の頓服で様子を見るように言われ拍子抜けした。医師の診断なのでとりあえず様子をみることに。この先生に10月、手術をしていただく。それまでに50肩(60肩)が悪化しませんように。
2010年09月02日
コメント(6)

昨日はメンタルクリニックの定期診察日。18時の予約診察だったが、月のまとめがあったのでぎりぎり18時まで働き、18時20分にはクリニックに到着。何とか診察をしていただけた。金、土、日と寝て過ごしたことを伝えると、「エビリファイはのんでいたの?」と訊かれてしまった。金曜日は朝起きられなくってとうとう朝の薬をのまず延々と寝ていたことを話すと、「朝のお薬は飲んでね」と念を押されてしまった。 先日は朝起きることも面倒くさく、起き上ってお薬を飲むなんてもってのほかだった。10時から研修が始まるので、研修を休ませていただくことをやっとの思いで電話し、また寝入ってしまった。自分でもまた始まったとわかるものの体が動かないので仕方がない。三日も休むと流石に元気になるもので、昨日は帰りの地下鉄で階段をびゅんびゅうん駆け上った。2駅で101段。好調だった。この分なら山にも行けそうな気分になった。その勢いで今朝も早くから目が覚め早朝散歩に出かけた。今年の8月は113年ぶりの暑さだったという。暑さのせいかお花が少ない。それでもヒマワリは元気そうに咲いていた。朝から元気だったのは良いけれど、昨日に残した仕事を終わらせるために8時前に出勤したら処方箋を出し忘れてしまった。飲み残しの薬が1日分くらいあるので今日は何とかなるが明日こそ出さなければ。今日は午前も午後も忙しく夕方になったら疲れてしまい、終業時刻になったので早々と帰ってきた。朝3時過ぎから起きていたのでは夕方疲れても当たり前だ。これで疲れなかったら躁転確実。このところ病院通いが続いているが、明日は左肩が痛むので整形外科、土曜日は活字が見えずらくなったので眼科受診。歳をとるとこういうことになるものと一人で納得している。
2010年09月01日
コメント(22)
全33件 (33件中 1-33件目)
1


