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ワンポッチを待っております。 こうした世の中でも駿府の信虎の謀略はなおも続いていた。 駿府城では今川義元が三河の情勢の落ち着きで満足の体でいる。最大の脅威であった、宿敵の織田信秀の急死で尾張は内乱の最中にある。彼は領内治世に没頭できる機会を得たのだ、領内を整備し戦備を整え始めた。 これに寄与した者は云うまでもなく今川の軍師太原雪斎である。 さらに信虎から要請のあった武田家との婚儀を執り行う事とした。 この年の十一月に、武田晴信の嫡男である義信(よしのぶ)のもとに義元の娘が嫁いで行った。これにより以前にも増して武田家と今川家は強固に結びついた。 この時期、相模の北条氏康(うじやす)の活躍は目覚しく武蔵を平定し、更に上野(こうずけ)の地に居座る関東管領(かんれい)の上杉憲政(のりまさ)の家臣をを調略し、平井城から憲政を追放した。上杉憲政は越後に逃れ長尾影虎の庇護を受けることになる、こうして関東全土を視野に入れた、北条家の版図拡張政策が本格的になるのだ。 今川家の懸念材料は北条対策となった、こうした関東のきな臭い動きの中での武田家との強固な同盟関係は、必要不可欠なものであった。 年が明け天文二十二年(一五五三年)躑躅ケ崎館で晴信と勘助が、膳部を前に和やかに新年を祝っていた。「御屋形、今年こそは村上義清と決着をつけましょう」「そうじゃの、悪戯に小者相手をしておる時期ではないの」 晴信も信濃一国の戦いから、京の情勢や今川家、北条家さらに越後の長尾家と視野を広げて見れるまでに成長していた。「左様にございます、今川家は北から北条勢に狙われております。もし万が一にも北条勢が今川家に攻め寄せたらいかが為されます」「富士川に沿って兵を進めねばなるまいな」 晴信が魁偉な顔で断言した。「駿府城の背後はすぐ相模にございます、我ら武田家は今川殿のためにそう致さねばなりません」 勘助が柔和に言ってのけた。「面白いものじゃの、我らは秘かに駿河を狙っておる。それを助けるとはの」 晴信が髭跡を青々とさせ白い歯をみせた。「御屋形、甲斐も信濃も山国、それに引きかえ駿河も相模も海を持っております、皮肉なものに御座いますな。だが駿河は北条に渡してはなりません、武田が貰い受けねばなりませぬ」 珍しく晴信が哄笑した。「信濃を取り美濃に向かうとまた山国じゃな」「肥沃の土地の兵は弱い者です。我が武田家や美濃の斉藤家の兵は強者ぞろい、まして我等は騎馬が主力、今に山国から戦に適した平野に討って出ます」「それまでは我慢いたせと申すか?」 勘助は答えずに杯を干した。最早なにも言う事はない、晴信がそれに気づいていることが嬉しかった。「御屋形、山国にも有利な点がござる、それは金山です甲斐には黒川金山があります。まだまだある筈」 「信濃にもあるかの」「御座いましょう、金山開発で兵と領民を養いましょう」「金山開発か軍資金には事かかぬな。しかし勘助、そちはどこでそのように事を学んだ」 「拙者にも判りませぬ、突然にひらめきます」「己自身でも判らぬか」 くっくっと晴信が小さな笑い声を発した。「ところで村上義清は何時攻めます?」 唐突に勘助が話題を変えた。「急くな、周囲をよくよく眺めて時を決する。性急に攻めると皆が越後に逃げる」「小笠原長時、関東管領もしかりにござるな」「あまり越後の若造を刺激しては面倒じゃ」 勘助は安堵した、そこまで先が読めるとは、晴信の成長が頼もしく感じられた。「お麻は元気で育っておるか?」 「はい、もう一人で歩きます」「歩くか?・・・前にも申したが、余は妹のように思える大切に育てよ」 だんだんと母親のお弓殿に似てくる、一度、逢いたいものじゃ。勘助は胸裡のなかでお弓を想いだしていた。武田家二代の野望(1)へ
Sep 30, 2007
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ワンポッチを待っております。 半刻後に信繁は主殿から去った。 「気の早い奴じゃ」 晴信が大杯を持って信繁の後姿を見つめた。勘助が傍らの近従に命じた。「戦奉行に一刻後に出陣の太鼓を打ち鳴らすよう伝えよ」「はっ」 近従が小腰をかがめ主殿をあとにした。一刻後に躑躅ケ崎館から大太鼓の音が轟き渡った。 「すわ合戦じゃ」 続々と武田家の武将連が主殿に集まってきた、いずれの武将連も落ち着いた物腰である。「敵は小笠原長時じゃ、今度は息のねを止める。皆供励め」 「はっー」「陣触れ、部署割りは既に定めたとおりといたします。武田の陣法は今宵から詳細は述べませぬ、日頃からの定めどおりといたします」 晴信の下知が済むや、勘助が仁王立ちとなって陣法と戦術を述べた。 武田家の陣法は晴信と勘助が練りに練って作り上げ完成していたのだ、よほどの大戦でない限り定めどおりに出陣する。「棒道を伝い一気に諏訪に向かいます、そこから小諸に押し出します。諏訪、佐久の守将へは狼煙で伝えますので我等より先に向かう筈、方々の奮戦を期待いたします」 電光石火の勢いで武田勢二万が翌朝の未明に古府中を出陣した。 天文二十一年六月、小諸城の小笠原勢は鬨の声で眼を覚まし愕然とした。 諏訪法性の御旗と孫子の御旗が城の前方に翻り、武田勢の大軍が山のように動かず無言の圧迫感をみせ静まっている。 城の周囲は十重二十重に包囲され、盛んに母衣武者が駆けている。赤備と黒備の騎馬武者が整然と本陣前に並び旗指物が見事である。 隊の前で鹿角兜に緋縅の鎧の武将が朱槍を抱え、ゆったりと輪乗りを始め、さらに黒糸嚇しの鎧に半月の前立兜をかむった武将が黒塗りの槍を抱えて現われた。黒駒がいななき前脚をかいている。 ざっざっと足音がし鉄砲足軽が散開した、その数五百と見られる。 城の望楼(ぼうろう)にあがった小笠原長時と武将連が眼を見張った。「見事じゃ」 流石に小笠原長時も戦国武者である。 武田勢はすきのない陣形で静まり返っている、彼等の目前に長柄槍隊が現われた、総勢二千名の槍隊が鉄砲隊の背後に移動した。「これでは戦にならぬ」 小笠原長時が傍らの重臣小畑長門守をふり向き小さく呟いた。 「我等の終りにござるか」 「悪戯に突撃しても全滅するだけじゃ」「降参いたすと申されますか?」 小笠原長時はそれに答えず武田勢を見つめている。胸中に無念の想いが広がっている。 武田の本陣から隻眼の武者がゆったりとした馬足で城門に近づいてきた。「あ奴が武田の軍師山本勘助じゃな」 初めて近くから異相な勘助を見たのだ。「拙者、武田家の山本勘助にござる。開城なされ小笠原一門はこの信濃から他国に出て行かれませ、さらば我等は攻撃いたさぬ」 朗々とした声であった。「その口上に違背なきか?」 「御座らん」 「城と兵共は?」「我等、武田家がお与りいたす、弓矢八幡にかけてお誓い申す」 「無念じゃ」「我等の勢は二万五千、水も洩らさぬ包囲をいたしてござる。ご返答はいかに」 勘助の問いには有無を言わせない威圧感が含まれていた。「ご使者の用むきは判り申した。だが我等も武門の者、おめおめ降ってはご先祖さまに申し訳が立ち申さぬ。弓矢を合わせる覚悟にござる、掛かって参られよ」 小笠原長時が血走った眼(まなこ)を勘助に向け戦いを宣言した。「愚かなり」 勘助の片手があがった。武田の鉄砲が火を噴いた、百雷が落ちたような轟音につつまれ城が震えた。「わーっ」 二万五千名の兵の雄叫びが揚がり、城方は完全に戦意を消失した。「開城いたす」 声と同時に城門が十文字に開いた。 再び、武田勢より歓声が沸きあがり、城内外が一斉に静まった。 憔悴した小笠原長時と股肱の臣が騎馬で姿を現した。馬蹄の音を響かせ武田勢の中を進んでいる。 「兵の安堵をお願いいたす」 小笠原長時が勘助を見つめながら声をかけた。「ご安堵なされ」 勘助が静かに応じた。 ここに名門、小笠原家は事実上滅亡したのだ。信濃守護であった小笠原長時は落魄(らくはく)の身を越後の長尾影虎に委ねる事になった。これにより北信濃では武田家に敵対する武将は、村上義清ただ一人となった。しかし彼は孤城の葛尾城に籠もり、最後の一戦に儚(はかな)い望みを抱いていたのだ。武田家二代の野望(1)へ
Sep 29, 2007
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ワンポッチを待っております。 勘助が供の者と屋敷に戻ったのは、珍しく陽の高い刻限であった。「ご主人、あれは赤子ではありませぬか?」 「なんとー」 勘助が隻眼を細めた。 「綺麗な産着じゃな」 と呟きながら勘助は了解した、お弓殿と大殿とのお子じゃな。 「女の赤子にございます」 家来が恐るおそる腫れ物を触るように抱きかかえてきた。「わしに見せよ」 勘助が覗き込んだ。「・・・-これは美人になるの」 お麻はすやすやと眠っている。「この赤子に見当でも御座いますのか?」 「わしの子じゃ」 勘助は物陰にひそむお弓に聞かせるように答えた。家来が目を剥いている。「乳母を探して参れ、わしは屋敷におる」 家来が慌てて駆け去った。 勘助はお麻を抱きかかえ暫く門前に佇んだ、何処かでお弓が見ておるだろうと思ったのだ。 「勘助殿、お頼みいたしましたぞ」 お弓がそっと姿を消した。 こうして勘助は突然に父親となった。この噂は古府中にたちまち広まった。 館では晴信に揶揄われた。 「勘助、そちに赤子が出来たそうじゃな、その歳で女子と交合が出来るとは思わなんだ」 晴信が可笑しそうに頬をくずした。「なんの、拙者もまだまだ女子の一人や二人は出来申す、しかし城取りと違って難しゆうござる」 晴信が珍しく笑い声をあげ尋ねた。 「名はなんと申す」「はい、お麻と申します」 「勘助、余に年の違った妹が出来たような気がいたす。大切に育てよ」 「はっ」 勘助は晴信の己に寄せる信頼と同時に因縁を感じた、お麻は間違いなく晴信にとり腹の違う妹である。 廊下で飯富兵部とすれ違った。「山本殿、お子が出来たそうで祝着に存ずる」「これは、お恥ずかしい」 実直な飯富兵部に云われ勘助が照れた。「流石は武田の軍師殿じゃ」 原虎胤が現われしわがれ声を発した。「やる事が早い、帷幄の内に策をめぐらすも軍師殿の努めじゃが、閨での事も早い、わしなんぞは胤が尽き申した」 散々に揶揄われ、勘助はほうほうの体で屋敷に戻った。しかし嬉しかった、自分の子のように可愛く感じられる。それは矢張りお弓を抱いたからに違いない、そう思うと最後に抱いたお弓の姿態が瞼に蘇った。彼女の願いどおり武田家の忍びの、女頭領として育ててやろうと改めて決意した。すでに勘助は甲賀の忍び者を数名雇っている、それもお弓の力添えであった。その中に一人風の五兵衛という男に眼をつけ、彼を武田家の士分として召抱えてある。彼は名を河野晋作と変え辣腕を奮っていた。 彼には全ての経緯を語ってあった、彼は喜んでお麻を頭領として迎えてくれるだろう。それまで生き延びねばと勘助は、己の余命に思いを馳せていた。 勘助のもとに小笠原勢の情報がもたらされた、小諸城に軍勢を集めているという。勘助は躑躅ケ崎館を訪れ主殿にむかった、座所で晴信が退屈そうな顔つきで脇息に身をもたせていた。「勘助、つまらぬ話は聞きとうない」 素早く先手をうっている。「同感にござる、そろそろ潮時が参りましたので伺いました」 「・・・-」「小笠原長時が小諸城に居る事が判明いたしました」「遣るか?」 晴信の一言に勘助が無言で肯いた。「勘助、今宵は一献酌もう」 晴信が傍らの鈴を鳴らし近従に酒肴の用意と、信繁を呼ぶように命じた。 二人が大杯を口にしていると直ぐに信繁が現れた。「これは軍師もご一緒か」 勘助が形を改め辞儀をした。「信繁、今夜は蒸し暑い、暑気払いで一献と思い誘いを遣わした」「御屋形、有り難い事です」 「無礼講の席じゃ、御屋形なんぞと申すな」「判りました、兄上」 信繁が柔和な笑顔をみせた。 三人は無言のうちで飲んでいる、近従の者が杯を干すと直ぐに酌をする。 突然に晴信が口を開いた。 「信繁、明朝に出陣いたす」「なんと、用意いたさねば」 「祝い酒じゃ、半刻ほど付き合え」「判りました、敵は小笠原ですな」 「何故に判った?」「祝い酒ならまずは小笠原長時かと」 信繁が簡潔に答えた。「信繁さま、奴が小諸城に籠もっておるとの知らせが参りました。この度の一戦で小笠原長時とは、けりをつけたく思います」 勘助が隻眼を光らせ異相な顔が乾いてみえる。「長うございましたな」 信繁が感無量な顔をしている。「残るは村上義清、これも早々に始末をつける」 晴信が顔を染め言い切った。武田家二代の野望(1)へ
Sep 28, 2007
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ワンポッチを待っております。 彼の狙いは太原雪斎のみとなった。しかし、これほど危険きわまる謀略はない、同じ駿府に住む今川家随一の知恵者の命を狙うのである。「正直、わしも弱った」 終日、信虎は日当たりの良い部屋で独り言を呟いていた。 「大殿さま」 襖ごしより小十郎の声がした。 「入れ」 無言のまま音もたてず、何時もの風采の小柄な小十郎が姿をみせた。「尾張の様子はどうじゃ?」 「信秀さまの葬儀で一悶着あったと聞きました」 「何じゃ、一悶着とは」 信虎の魁偉な顔に興味の色が浮かんだ。「葬儀は万松寺に執り行われた由、その際の信長さまの異様な振る舞いが評判との事にございます」 相変わらず抑揚のない声である。 「何をいたした」「葬儀に現れた信長さまの風体と態度に、織田家中の者が驚き呆れたと聞いて参りました」 「風体と態度とな」「袴も付けず、まるで百姓の風体に茶せん髪で現れた信長さまは、弔いもせずに抹香を仏前に投げつけたと、専(もっぱ)らの評判にございます」「尾張のおおたわけ、うつけ者と評判は聞いておるが本性かの?」「いま暫く見ないと判別はつきませぬ」 低く答え小十郎は黙した。「評判どおりの男なら今川か斉藤が尾張を制するの、じゃが美濃の斉藤道三だけには尾張を盗(と)られてはならぬ」 信虎は今川家を利用し甲斐武田家の道ならしを画策していたのだ、その為に駿府へ来たのだ。それが瓦解する事は何としても阻止せねばと思った。「そちに命ずる、尾張と美濃に忍びを放て」 信虎が砂金の皮袋を投げだした。「特に信長の行動を仔細に探るのじゃ、評判どおりの男か興味がある。変わった気配があれば何でも知らせよ。ところで甲斐じゃが特別な事はなかったか?」「村上義清懲りもせず小笠原長時と兵を起こし、深志城攻略を策し申したが武田勢に破れております」 「戸石城で晴信め痛い思いをしたが立ち直ったか」「左様、これも山本勘助さまのお蔭と噂されております」「あの、ちんばか」 信虎の脳裡に異相な勘助の風貌がよぎった。「小十郎、お弓が戻って参らぬが何か知っておるか?」「いや、相変わらず甲斐の情報は知らせて参られます」 「一度、戻るように申せ」 「はっ」 小十郎は表情も変えず答えた。 信虎は一人となって考え込んだ。最近の晴信の動きが気にくわないのだ、まだ小笠原や村上を一掃できずに小競り合いを繰り返している。今年で三十才となった筈である。早く信濃を平定いたせ、次なる標的はこの駿河じゃ。 その為にも信虎は為すべき策がある、それをお弓が戻ったら実行する積りであった。その前に十四才となった孫の義信(よしのぶ)に義元の娘を正室として甲斐に迎える、これで武田家と今川家は強固な姻戚関係となる。これは意義ぶかいものである。今川は東の三河を織田家に侵食され、更に南からは美濃、北からは関東の覇者北条家に狙われている。一方の甲斐は背後の今川家の存在が邪魔で本格的な越後進攻がままならない、今こそ両家が磐石に結びつけばその脅威から逃れる事が出来る。まず、この話をもどき殿に了解してもらう、 この一点に的を絞っていた。信虎は五十七才となり、駿河に来て丁度、十年を迎えていたが、体力気力も充実し往年の猛将の面影を色濃く残していた。 わしはまだ老いぬ、晴信よ、わしの眼の黒いうちに駿河を平定いたせ。 夜毎、彼は口中で同じ言葉を繰り返すようになった。 そんな彼はこの歳でも三日に一度は腰元と閨を共にしていた、最近は愛妾が出来た。まだ十九才の女子であったが、何度抱いても子を成さなかった。(わしも子種が尽きたか) これが淋しく感じられた。 そんな信虎の子種が産声をあげていようとは彼は露知らずにいる。 お弓は甲斐で信虎の子を産み落としていたのだ、女の子であった。お弓は勘助と約束したように、名前をお麻と名付けた。 三ヶ月ちかく自分で育て綺麗な産着に包み、勘助の屋敷の門前にそっと置いて物陰から窺がっていた。武田家二代の野望(1)へ
Sep 27, 2007
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ワンポッチを待っております。 山中の戦いは益々烈しさを増している様子である。戸石勢は城を空にして武田の殿軍に立ち向かっている。 「押せ、押せ。突き崩すのじゃ」 彼等は斜面を利して遮二無二襲いかかっている。 「武田は終りじゃ」 武田勢の情況は彼等にも判っている、城を包囲している武田勢を打ち破れば村上は勝てる。山県勢が真っ先にそのあおりを受けた、山県三郎兵衛が先頭で兵を督励し崩れを建てなおしている。「破れ目は二陣で塞げ、二陣が敗れたら三陣、四陣ぞ。決して後退してはならぬ」 三郎兵衛の自慢の陣太刀が敵の将を討ち取った。 馬場勢も混戦となっている、味方の兵が突き崩され斜面を転がり落ちてゆく。「ここが勝負時じゃ」 馬場信春が大身槍を振り回し奮戦している。 武田勢は甚大な損害を出しているが、両将の猛烈な奮戦で辛うじて支えている。各所で組打ちが始まり、芋を洗うような肉弾戦となっていた。 一方、山裾では晴信と勘助が合戦の帰趨(きすう)を眺めている。「御屋形さま、敵が引き出しましたな」 「うむー」 騎馬武者を固めた効果が見えはじめた、一団となって縦横に村上勢を翻弄している。 遂に支えきれず村上勢が浮き足たち後退をはじめた。「勝った」 「勝鬨をあげよ」 本陣からの下知で鬨の声があがった。 背後の戦いは徐々に下に移っているようだ、怒声と悲鳴が乱れて聞こえる。「勘助、鉄砲隊を援軍として差し向けよ」 晴信が眉庇より鋭く戦線を眺め下知した。 「はっ」 勘助が足を引きずり肩をゆすって本陣から消えた。 暫くすると山腹を震わすような銃声が轟いた。 「勘助、やったな」 本陣の晴信が正面の戦いを見据え胸裡で呟いた。 銃声が規則正しい間隔で聞こえてくる。大人数の足音が地鳴りとなって聞こえ、馬場信春を先頭に続々と将兵が下山して来る、いずれも凄まじい姿である。 馬場信春は徒歩で大身槍を杖として本陣に姿をみせた。自慢の具足がずたずたに切り裂かれている、いかに烈しい戦闘をしたのか偲ばれる姿であった。「馬場、大事はないか」 「最後と覚悟いたしましたが、軍師殿のお蔭で助かりました」 将兵も全員が血塗れである。 「山県は無事か?」「判りませぬ、凄まじい働きをしておりましたが顧(かえり)みる余裕がございませんでした」 「早う傷の手当をいたせ」 その晴信に信春が髯面を崩した。「それがしは怪我を負ってはおりませぬ、まずは兵等からお願いいたします」 この馬場信春は武田の重要な合戦に全て出陣し、四十年間一度も負傷した事がない稀有な武将であった。 まだ山中から銃声が轟いている、勘助めどうやら殿軍を務める積りじゃな。 晴信が背後の山腹を見つめたが、ただ白煙のみが眼に入った。「御屋形さま、村上勢はいかがなりました」「勘助の一人働きで我等の勝ち戦じゃ」 「それはおめでとう存じます」 二人が語り合っていると山県勢も下山して来た、彼等も馬場勢同様凄まじい形(なり)をしている。 「三郎兵衛、ご苦労」 晴信が一言声をかけた。「御屋形、我等の損害は大にございます。討ち取られし者と手傷を負った者は千名ほど、完敗にございます」 「なんと。・・-千名もか?」 晴信は己の策の誤りを悟った。三郎兵衛の陣太刀は刃がぼろほろに欠け曲がっている。 「勘助はどういたした」 「鉄砲隊を指揮いたし我等の助けを為されておられます」 「そうか、奮発いたしおるか」 戸石城の将兵は援軍の後退を眼にし一斉に兵を引き城に籠もった。「無念じゃ」 勘助が焔硝の煤(すす)で顔を黒く染め隻眼で戸石城を仰ぎみた。 敵勢は城門を閉じ静まりかえっている、旗指物が整然と風に靡いている。 それが勘助には無念であった。 勘助は将兵に撤退を命じ下山した、続々と兵等が彼のまわりを包み込むように続いていた。この戦いは後に『武田の戸石崩れ』と言われ、晴信の数少ない敗戦の記録に含まれるのである。こうして武田家は念願の北信濃の村上義清を駆逐できず年を越すことになった。 (お麻誕生) 天文二十年の三月。突然に駿府の信虎を落胆におとしめる事件が起こった。 尾張の暴れ者の織田信秀が流行病(はやりやまい)で急死したのだ。 この男は甲斐にとり、はなはだ重宝な存在であった。三河を侵略し今川家を翻弄し、時には美濃を襲う。隣国の駿河、美濃と国境を接する武田家にとり、直接対決のない貴重な武将であった。 跡目を継いだ嫡男はまだ若輩で、尾張のおおたわけと異名をとる織田信長で、領国統一が先で隣国に討ってでる器量は無に等しい男である。 信虎の謀略の矛先が方向を失ったのだ。武田家二代の野望(1)へ
Sep 26, 2007
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ワンポッチを待っております。 山々の中腹に布陣した武田の各陣から、朝の炊飯の煙が立ち昇っている。「ご覧下され、我等はあのように兵が散らばっております。一刻も早いご決断をお願いいたします」 勘助が指を差し晴信に決断を迫った。「分かった。無念じゃが兵を引こう、じゃが途中で村上義清の援軍と遭遇する危険がある。それに城からの攻撃に備え馬場、山県勢の四千名は残してゆく」 晴信の魁偉な風貌が引き締まり、無念そうに山頂を仰ぎ見ている。「さらば戦闘態勢で引きあげます、板垣勢、甘利勢を先鋒として下山させます」「勘助、村上勢と遭遇したら戦うか?」「戦いまする。我等は中腹、彼等は下から攻め上って参ります。当然、我等が有利にございます」 「残留の二隊は難戦となろうな」「御意に、しかし凌(しの)いでくれましょう」 伝令が各陣営に駆け陣触れが秘かに行われた、馬場信春と山県三郎兵衛の二人が本陣に現れた。勘助が手短に現状を説明し、晴信が口を開いた。「役目大儀、我等はこれより下山いたす。山頂からの攻撃は侮れぬ、決して破られるな」 「はっ」 二人の猛将が不敵な面魂をみせ拝跪(はいき)した。「我等が下山いたしたら知らせる、かまえて討死などするな」 「はっ」 二人が草摺りの音を響かせ本陣を辞していった。「伝令」 百足衆が細い山道を器用に馬をあやつり本陣に着いた。「村上勢およそ五千、一刻半(三時間)ほどで山裾に現われます」「来たか」 晴信の巨眼が輝いた。「御屋形さま我等は六千、敵は五千、互角の勝負となりますな」「百足衆、板垣、甘利の二隊は直ちに陣払いをいたすように申し伝えよ。また鉄砲隊は火縄に点火し行軍するようにな」 晴信が直接に下知した。「御屋形さま、勘助も先陣に参ります。いずれにせよ村上勢とは山裾で一戦せねばなりませぬ、二陣は飯富殿、原虎胤殿、三陣は典厩信繁さまと御屋形さまの旗本衆でお願いつかまつる」 「勘助、後詰はないの」「ございませぬ、これで手一杯」 「分かった、勘助死ぬなよ」「下山速度が問題、村上勢の現われる前に陣形を整えれば勝ちにござる」 武田の総勢が山裾に陣形を整えたのは、下山開始から一刻後の事であった。 晴信の本陣は静まり返っている。「各隊の鉄砲隊は全て先陣に集めよ、敵勢き騎馬で襲って参ろう。射ちしろめよ」 勘助が仁王立ちとなって下知を下している。微かに地鳴りが始まった。「来たな」 各勢の武将連に緊張が奔った。「御屋形さま騎馬武者も各隊より引き抜きます。それで一千騎となります、纏めねば戦力となりませぬ」 「臨機応変の策か?」 晴信が微かに笑みをみせた。 武田家はじまって以来の変則的な陣形である。 村上勢の騎馬が視野に入ってきた、一団となって中央を狙っている。 勘助の異相に笑みが刷かれた。 「勝てるー」 声が風にのって各隊の兵士に届いた。 「おうー」 一斉に雄叫びが沸きあがった。「鉄砲隊は合図と同時に射ち放て、ついで長柄槍隊が突っ込む」 馬蹄の音と雄叫びの声が雑じり、敵の騎馬武者が突撃してくる。刀槍が煌き旗指物がはっきりと見えてきた。「撃つなよ、まだじゃ」 勘助が呪文のように呟いている。 騎馬武者の顔がまじかに見えてきた。 「構えよ」 鉄砲足軽が銃口を向け構えたが、まだ射撃の合図がない、全員に恐怖感が奔りぬけている。「かかれー」 敵兵の声が目前に聞こえた。 「放てー」 武田勢の全ての火縄銃が火を噴いた、兵馬の悲鳴が阿鼻叫喚となって聞こえる。 百騎以上の騎馬武者が射抜かれ倒れている。死にきれぬ馬がもがいている。「槍隊ー、突っ込め」 「おうー」 長柄槍隊が猛然と敵勢に突入し一斉に槍を突き出し混戦となった。 「鉄砲隊っ前進」 感助の下知が飛んだ。 弾込めを終えた鉄砲隊が粛々と前進を開始した、武田勢の持つ三百挺の鉄砲である。敵も態勢を建て直し騎馬武者と足軽が、怒声をあげ攻勢に出てきた。「放てー」 轟音が轟き白煙で戦場が一瞬闇となった。「鉄砲隊、下がれ。・・-槍隊前へ」 勘助の声が戦を楽しんでいるように聞こえてくる。 「奴め、一人で戦をしておるは」 本陣の晴信が苦笑を浮かべた。「法螺貝を吹き鳴らせ」 晴信の下知で本陣から炯々と法螺貝が吹き鳴らされた。 「騎馬隊、斬り込みます」 武田家の誇る騎馬隊が一斉に押し出した。「板垣勢、仕掛けます」 「甘利勢、仕掛けます」 先鋒の赤備と黒備の騎馬武者が雄叫びをあげ、村上勢の中央に突撃を開始した。「本陣を進めよ」 晴信の下知で武田勢が態勢を保ち粛々と前進をはじめた。「御屋形さま、我等の勝ち戦ですな」何時の間にか勘助が傍らに寄り添っていた。背後の山腹から喚声と銃声が轟いた。「いよいよ正念場です。村上の援軍は引きましょうが、山腹は混戦となりましょう」 勘助が彼我の陣形を確かめている。武田家二代の野望(1)へ
Sep 25, 2007
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「小説ランキング6位、歴史・時代小説1位」ポッチをお願い。 そんな彼のまわりを兵が、おめき声をあげて駆けぬけて行く。「さて、物見をいたすか」 勘助が愛馬に跨り城の大手門へと駆けた。 赤備の板垣勢と黒備の甘利勢が猛烈な攻撃を行っていた、これは簡単にけりがつくな、そう思った矢先、城門が十文字に開かれどっと騎馬武者の一団が突出した、まるで黒雲のような固まりである。そのまま板垣勢と激突した。刀槍が煌き血潮が飛沫、凄まじい肉弾戦となった。猛烈な抵抗で板垣勢に裂け目ができた。見逃さず小笠原勢が、一塊となって突撃した。「あれは小笠原長時じゃ、逃すな」 勘助が大声で叫んだ。 小笠原勢の旗本が長時を庇(かば)って逃走に移った。 「逃すな」 再び叫んだが声がかすれた、勘助は朱槍を構え単騎で敵勢に駆け込んだ、ざくっと肉を絶つ感触がしたが、かまわず追い討ちをかけた。「我等にお任せを」 甘利昌忠の若々しい声がした。 「逃すでないぞ」 声を振り絞って叱咤した、小笠原勢は一塊となって逃走している。 勘助が鐙(あぶみ)から足をすべらし落馬した、むっとする草の臭いに包まれた。(勝ったが逃したか) あとは馬場勢に賭けるまでじゃな、そう思いつつ草叢で太い息を吐き出した。わしも老いた、勘助はこの合戦で己の年を知らされた。「山本さま、お怪我でも為されましたか」 見あげると山県三郎兵衛が見事な甲冑姿で心配そうに見つめていた。 「いや、年でござるよ」 勘助は槍を杖として立ち上がった、少し眩暈(めまい)を感じたが素知らぬ体で愛馬に騎乗した。 「小笠原長時、逃れましたか?」「まだ判らぬがしぶとい、だが林城は我等が占拠いたした。城内の探索は充分に願いますぞ」 山県三郎兵衛に後事を託し本陣に戻った。「奴め、逃れおったか?」 晴信が真っ先に訊ねた。「まだ判りませぬ、御屋形さまこのまま軍を進めて下され、奴には深志城しか残っておりませぬ。籠城したとて援軍のない戦い、長くは保ちませぬ」「使い番を二名だせ、一人は馬場信春にじゃ。万一、長時を逃したならば、小笠原長時に加勢いたした豪族共を攻めよと伝えよ。いま一人は真田幸隆に使いをいたし、村上義清の動きを封じろと命じよ。我等は暫く様子を見るために、ここに滞陣いたす」 晴信が落ち着いた口調で下知した。「直ぐに手配いたします」 勘助が隻眼をほころばし肯いた。 小笠原長時は勘助の危惧した通り、巧に馬場勢の裏をかき深志城に逃げ戻った。この一帯の地形を熟知した結果であった。 馬場信春は、この雪辱を晴らさんと軍勢を付近の豪族に向け、小笠原勢に加担した各地の支城を陥し盛んに調略の手を伸ばしていた。 晴信は林城に留まり盛んに軍勢を動かしている、深志城の包囲網もほぼ完璧に終えた。この一帯の豪族たちは武田家に恭順し、深志城は完全に孤立した。 六月末、形勢不利と悟った小笠原長時は夜半に逃走を図った。彼は数十騎の股肱の臣を従い、村上義清の葛尾城に落ち延びて行った。ここに信濃の名家である小笠原家は衰亡の一途を辿ったのであるが、彼はまだ虎視眈々と失地回復の機会を窺がっていた。 晴信は一万の大軍で小県郡に進攻し、村上義清の支城である戸石城を包囲した。時は九月となっていた。戸石城は要害堅固で知られた山城で戸石勢の戦意は旺盛で武田勢は攻めあぐんでいた。 村上義清は五千名の兵を率い、直ちに戸石城の援軍として葛尾城を発した。この知らせは真っ先に勘助にもたらされた、これを知らせた者は信虎の忍びの小十郎であった。 すでに九月末となり山岳地帯の戸石城には秋風が吹き、朝晩の冷え込みが激しさをましていた。勘助は厚い綿入れの陣羽織をまとい本陣を訪れた。「おう、勘助かいかがいたした」 若い晴信も甲冑を脱ぎ熊の毛皮の陣羽織をまとい寒そうな顔つきをしている。「御屋形さま五千の援軍が発ったと、昨夜知らせが参りました」「村上義清か?」 晴信の問いに勘助は無言で肯いた。「このような小城、この大軍で陥せぬのか」 晴信が無念そうに呟いた。 目前の山頂に戸石城が武田勢を見下ろすように紅葉の間に聳え立っている。「なんせ攻め口が一本、大軍で揉み潰すは難事にござる。ここは一旦、兵を引き来春に陥すべきかと進言つかまつります」「策はないのか、余は父上と約束した。・・・-そうじゃの勘助」「はい、大殿の忍びとも拙者も約束いたしました。だが、このまま滞陣いたしておりましては、腹背から挟撃をうけ大怪我を被ります」「・・・-」 晴信が太い腕を組んで考え込んだ。武田家二代の野望(1)へ
Sep 24, 2007
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「小説ランキング6位、歴史・時代小説1位」ポッチをお願い。 翌朝の未明、武田勢が動きだした。先鋒は赤備の板垣勢と黒備の甘利勢二隊で、馬蹄の音を忍ばせ繰りだした。 第二陣は武田典厩信繁、小山田信茂、山県三郎兵衛の三将に率いられた七千名が後続し、武田家の二流の御旗を先頭に晴信の本陣も動きだした。 紺地に金文字の孫子の御旗と、白地に赤の諏訪法性の御旗が風に靡いている。晴信は伝来の諏訪法性の兜をかむり、緋縅の大鎧をまとって黒鹿毛の愛馬に騎乗している。その傍らに勘助が従っていた。 彼は愛用の黒糸嚇しの鎧に、大角の脇立て兜のなりで朱槍を小脇に抱えている。 「勘助、その兜少し重そうだの、機敏に動けまいな」 晴信が可笑しそうに揶揄った。 「動けなくなったら死にまする」 兜の眉庇より隻眼を光らせ面白くもないという顔つきをしている。後続する秋山信友が覚えず吹きだした。 「秋山殿、なにが可笑しい」 すかさず勘助が怒声を発し、秋山信友が驚きのあまり馬脚をゆるめた。 新緑の緑に覆われた山並みの小道を延々と武田勢が進んでいる。旗指物が風に煽られ、二陣には武田の誇る騎馬武者の群れが足並みを揃いている。 壮観な眺めである。 「勘助、そろそろ敵の勢力圏に入るの」「心配はご無用にございます。馬場殿が先払いつかまっておられます」「馬場信春は二千名で城を包囲いたしておるのか?」 「いや昨晩、使いを差は向けました」 「余に相談もせずにか」「よう、お眠りのご様子で独断にて事を成しましてござる」 「・・-・」 晴信が不審そうに勘助をみつめ、兜を脱ぎひたいの汗を拭っている。「馬場殿は林城と深志城の中間地点で伏兵として潜(ひそ)んでおられます」「勘助、遣るのう」 晴信が勘助の意図を察し誉めあげた。 林城からの逃亡者を待ち伏せると同時に、深志城からの援軍を足止めさせる一石二鳥の謀である。 「お太鼓奉行、そろそろ待機いたせ」 勘助の下知で大太鼓を背負った馬が本陣に引かれ、ばちを手にした太鼓係りの武者が数名現れた。 「百足衆、二名先駆けて物見をいたせ」 「はっ」 物凄い勢いで二騎が疾走して行く、背の百足の指物が折れるようにしなっている。暫くして全軍が小休止した。「御屋形さま、お先に参ります」 勘助が隻眼を細め晴信に挨拶し馬腹を蹴った。砂埃をあげ勘助は器用に馬を操り、軍勢の脇をすり抜け前衛に向かった。 目前に林城が樹海の中に埋まってみえる、勘助はなおも進み先鋒の板垣勢に雑じった。 「これは山本さま」 板垣信里が馬を寄せてきた。「敵の様子はどうかの?」 「いまだ気づいてはおりませぬ」 甘利昌忠も黒糸嚇しの具足をまとって姿を見せた。「板垣勢は右手から、甘利勢は左手から悟られずに城を包囲して下され」 赤備と黒備の両勢が音を忍ばせ樹木の中に消えて行った。 「百足衆」 先駆けの二騎が寄ってきた。 「一人は直ぐに本陣に戻るのじゃ、喚声があがったら総攻撃にうつる大太鼓の乱れ打ちじゃ、そのように報告いたせ」 素早く蹄(ひづめ)の音を消し後方に去った。「お主は二陣の信繁さまに同じ事をお伝えいたせ、ただし本陣の大太鼓に従うようにと申すのじゃ」 「判りました」 残った一人も巧に馬を操り後方に退いた。「山本さま、包囲は終りました」 赤具足と黒具足の武者が現われ包囲網の完了を告げた。 「拙者が鉄砲を放つ、それを合図に総攻めいたせ」 「はっ」 二人が左右に散って樹海に消えた。勘助が鞍つぼの横から火縄銃を取り出し、火皿を開け導火薬をそそいだ、火縄からかすかな煙が漂っている。 今が潮時じゃ彼の勘がそう囁いた、銃口を空にむけ引き金に指をそえ引き絞った。凄まじい銃声が山並みに木霊(こだま)した。城の周囲から喚声が沸きあがり、銃声が耳を聾するばかりに轟き、本陣からも大太鼓の乱れ打ちが聞こえはじめた。大地が音をたてて揺れ、騎馬武者が勘助の脇を疾走して行く。「軍師殿、ご苦労に存ずる」 武田信繁が若やいだ声をかけ、騎馬武者に囲まれ突撃していった。 城内からは反撃の様子がない、小笠原長時め慌ておるな。 勘助が隻眼を光らせ林城を眺めた、火矢が盛んに射ち込まれている。兜を跳ねあげ上空を見上げた、雲ひとつない青空が広がっている。このようにしみじみと青空を愛でる事はなかった、勘助は初めて合戦場でその事に気づいた。武田家二代の野望(1)へ
Sep 23, 2007
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「小説ランキング6位、歴史・時代小説1位」ポッチをお願い。 「御屋形さま、この勘助も承知いたして御座るが先日、駿府の大殿の忍びと会い申した」 「なにっー」 「大殿はご立腹のよし」 「何をお怒りじゃ」 晴信の顔つきが厳しくなった。 「遅いとお怒りだそうです」 勘助の脳裡にお弓の狂態が蘇った。 「遅いと申されたのか?」「今川家は岡崎衆を完全に掌握いたしましたな、それは御屋形さまも承知の筈。駿河、遠江、三河の三国を版図といたしました、我等が手間取れば今川が先をこします」 「・・・して、忍びはほかに何か申したのか?」「大殿は今川の軍師、太原雪斎殿の毒殺を謀っておるとのことに御座います」「父上も年を取られ、些か焦っておられるな。雪斎毒殺とは思いきった事を成される」 晴信の若々しい顔が曇った。「大殿の性格なれば必ずやり遂げましょう、発覚が恐う御座います」「駿府に数名の忍びを入れよ、父上に万一の事あればお助けせずばなるまい」「はっ、早速にも手配つかまつります」 (戸石崩れ) 五月二十三日、武田の主力部隊が諏訪の上原城に集結を終えていた。城内では戦評定がはじまっていた。晴信の傍らに勘助が床几に座り、隻眼を一座の武将連に注いでいる。晴信が魁偉な風貌をみせ若々しい声で口火をきった。「明朝に軍を発し一気に林城を包囲いたし力攻めでこれを攻め落とす。余の存念は勘助に申し聞かせてある、者共励め」「おうー」 一座の猛将連から力強い雄叫びの声があがった。 大机の上に林城の絵図が広げられてある、勘助が立ちあがり机の脇に近づいた。手には青竹の小枝が握られている。「部署わりをお伝え申す、先鋒右備は板垣信里殿の二千」 「はっ」「先鋒左備は甘利昌忠殿の二千にお願いつかまつる、赤備、黒備の二隊でご奮発あれ。総攻めの合図は常の如く大太鼓の乱れ打ちに御座る」 次々と勘助が指示を与えている、晴信は瞑目(めいもく)し口を閉じ聞き入っている。 「本陣は旗本衆と原昌胤(まさたね)殿の五百名と百足衆といたす」 勘助が口を閉じ廊下を見つめた、騒がしい音と共に一人の武将が現れた。「遅参いたしまして申し訳御座いませぬ」「おう、秋山信友(のぶとも)か」 晴信がすかさず声をかけた。 秋山伯耆守(ほうきのかみ)信友は高遠城の守将を受け賜っておる猛将で聞こえた人物である。 「拙者、こたびの小笠原攻めに指を銜(くわ)えて見ておる事ができず、勝手に参陣つかまつりました」 野太い声に相応しい体躯の武将である。 「何名お連れに成られた?」 勘助が厳しい声を発した。「一千名を引き連れ申した」 「本陣を固められよ」「なにとぞ先陣をお願いつかまつる」 血気に逸っている。「成りませぬ、貴殿は軍律違反を犯された。本来ならば直ちに城にお帰り願うところじゃが、この度のみは許しましょう」「秋山、余を守れ」 「はっー」 晴信の一言で決した。(このような軍律違反は許せん) 勘助は胸の中で怒りを押さえていた。「最後の後備にござる。飯富兵部殿ならびに原虎胤殿の四千でお願いいたす」「これは異な事を申される、わしは常に先陣か二陣でござった」 原虎胤がしわがれ声で抗議をした。「原殿、お怒りは重々判り申すが堪えて下され、これからは若い武将たちの時代となります。戦働きも場数が必要で御座る、武田の為に堪えて下され」「虎胤、余の背後に隠れる事が不服か」 「滅相な」 一座に哄笑が湧いた。「勘助の申すとおり以後の合戦からは若い者に任せようと考えておる、これからの武田を強くするには合戦の経験が物を言う。これは余の存念じゃ」 晴信の言葉が終るを待って勘助が声を張りあげた。「戦評定はこれにて終ります。明朝はこの陣形にてご出陣願います」 勘助がゆっくりと己の座に据わった。 「勘助、ご苦労」 晴信が労(いた)わりの言葉をかけた。 「何の生き甲斐にございます」 何時になく勘助の声が荒れて聞こえる。 「軍師殿」 秋山信友が寄ってきた。「今後は軍律を乱すような事は致しませぬ、今日の勝手をお赦し下され」 それを聞き、勘助の異相が妙にひきった、こうした率直な詫びが苦手なのだ。「勘助、信友も悪いと承知いたしておる、許してつかわせ」「こたびの合戦には貴殿の軍律違反は問題御座らんが、後顧に憂いがある場合は武田家が滅びます。御屋形さまの口添えもあり何も申しませぬがご注意を」 肩を左右にゆすり勘助は戻って行った。武田家二代の野望(1)へ
Sep 22, 2007
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「小説ランキング6位、歴史・時代小説1位」ポッチをお願い。 「さて戦評定にござる、方々の忌憚(きたん)のない意見を拝聴いたしたい」 山本勘助が隻眼を光らせ口火をきった。「御屋形さまは総勢と申されたが、いかほどの兵力にござるか?」「各支城の兵は出陣いたす、だが諏訪の高島城に上原城、桑原城の三城の兵は守兵をのぞき全て出陣いたします。よって甲斐からは総勢を発します」「さすればおよそ一万八千余の大軍にござるな」 「左様」「原虎胤、お訊ねいたす。村上義清は出ては参らぬか?」「衰えたと云えども村上勢、乾坤一擲の好機として出馬の危惧はござる。それ故に真田幸隆殿に押さえをお願いしてござる」 「それは重畳」「軍師殿にお伺いいたす。我等の陣構えはいかようになります」 馬場信春が髯面の顔をみせ鋭く訊ね、山本勘助が破顔した。「別動隊として馬場殿の兵二千は十九日に出陣をお願い申す」 「行き先は?」「佐久の小県郡まで先行願いたい」 「これは嬉しい、受け賜わる」「棒道を急行いたせば本軍到着まえに林城近くに進出できましょうな」「御屋形さまの本軍は諏訪に向かいますな」「左様、諏訪で陣触れを方々にお下知なされる」 馬場信春が何事か悟ったようだ。「皆の者に異存はないの」 晴信がゆったりとした口調で一座を眺めた。「ございませぬ」 一同を代表し典厩信繁が答えた。「よし、本軍は余と山本勘助が率い先行いたす。二陣は板垣信里、三陣は飯富兵部、主力部隊は信繁と原虎胤ならびに甘利昌忠じゃ。後備えは小山田信茂と山県三郎兵衛が務めよ」 それぞれ読み上げられた武将連が確認の声を発している。「皆に異存がなければ戦評定は終りといたす。我が武田家念願の戦いじゃ」 晴信が座所から降り主殿の中央に腰を据え、武将連も威儀を正した。「我等念願の敵、小笠原長時を討ち平らげます。御旗、楯無しご照覧を」 晴信の声が朗々と響き武将連も唱和した。ここに甲斐武田の軍議が決した。それぞれの武将連が笑い声をあげながら主殿を去って行く、勘助も例の如く肩をゆすりながら退席した。 十九日、馬場信春率いる別動隊が粛然と古府中の躑躅ケ崎館から旌旗を靡かせ出陣した。先頭は武田産馬の黒馬に跨った馬場信春で桃形兜と黒糸嚇しの具足をまとい、右手を大きく突き上げ見守る山本勘助に合図を送っている。 勘助は満足の笑みを浮かべ腰を屈めた。彼の目前を堂々と二千の軍勢が通り過ぎている。 「見事じゃ」 先頭の五十挺の鉄砲足軽が一際異彩を放っている。後尾が館の角に消えるまで見送り、勘助は足を引きずり館を目指した。 馬場勢は韮崎(にらざき)に出て佐久往還道(おうかんどう)に入り、野辺山を越え千曲川に沿って北上する筈である。そこには武田の誇る軍事道路の棒道が佐久盆地まで伸びている、明日には規定どおり林城の近くに陣を構えるだろう。 勘助は主殿に向かった、晴信に会い雑談を交わしたかった。「勘助、馬場は発ったな」 青々とした髭跡をみせ晴信が待ち受けていた。「明日は我等の出番にございます」 勘助の異相が和んでみえる。「よう辛抱した」 主殿の庭に赤紅葉の葉が真っ赤に色づいている。「御屋形さま、武田は信濃への二つの道を確保いたしました、この戦いから頻繁に使う事になりましょう」 「諏訪口と佐久口じゃな」「左様、諏訪口は地形がよろしゅうございます。北進すれば北信濃、南進すれば伊那、木曽に向かいます。いずれは木曽も武田が貰いうけます」「美濃が窺がえるの、しかし佐久口は良い。上田から一気に北信濃に出られる」「この度は小笠原勢の息の根を止めますが、余勢をかって村上義清の戸石城だけは叩きたいものですな」 「珍しい、そちが勇むとは」 晴信が興味深げに勘助の隻眼を覗きみた。「拙者は一日も早く駿河に討って出たいのです」 「・・・・」「駿河は肥沃の地、しかも京への道と塩の道が確保できます。そこで水軍を作りましょう」 「急くな、駿府には父上が居られる」 晴信にも勘助の思いは判る。「良いか、我等は北信濃の村上勢を叩き信濃全土を得る。そこから越後勢との長い戦いが待っておる、それを制せねば京に向かうは無理と言うものじゃ」武田家二代の野望(1)へ
Sep 21, 2007
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「小説ランキング6位、歴史・時代小説1位」ポッチをお願い。 お弓の指が勘助の悪い方の太腿をなぞっている。「矢張り片方は細いのじゃな」 「仕方があるまいて」 二人の呼吸が平静にもどり躯を離した。囲炉裏端でお弓が全裸の躯のまま愛をしそうに勘助の股間に手を這わせている、勘助が豊満な乳房を見つめた。小さめな乳首が隆起している、視線が下腹部にうつり勘助は不審に思った。「お弓殿、そなた孕(はら)んでおるのか?」 下腹部がぽっちゃりして見えたのだ。 「あい」 お弓がそっとお腹を撫でさすった。 「誰の子じゃ?」「駿河の大殿のお胤じゃ」 「何と-」 勘助が仰天して叫び声を洩らした。「この事は内緒じゃ、わたしは大殿に内緒でややを産みます」 流石の勘助も言葉を失った。「勘助殿、忍びのわたしも女子じゃな、今宵は燃えましたぞ」 お弓が微笑んだ、ぞっとする色気が滲みでている。「お願いがありますぞ、わたしの産んだややを武田家の忍者の頭領に育てて下され」 「・・・」 「甲斐の御屋形さまの良き忍びになりますぞ、甲斐には何度も参ります、ややが産まれたら知らせます。お頼みいたします」 「判り申した」 勘助の声が驚きでかすれている。 「お酒をくだされ」 勘助は囲炉裏に粗朶を足し、お弓の湯呑みに酒を注いだ。 「美味しい」 また屋外から木枯らしの音がした。「勘助殿、貴方にお願いじゃ。わたしのややは貴方の子として育てて下され」 切れ長な目で見つめられ勘助を肯いた、肯いたというよりも肯かざるをえないお弓の目の色であった。 「良かった」 嬉しそうな声が聞こえたが、物に動ぜぬ勘助も完全に気が動転し返す言葉を失い、沈黙の世界で二人は酒を酌み交わした。ふっと気づくと二人とも全裸のままである。 「寒くはないかの」「忍者が寒さに弱くては務まりませぬ」 お弓がにっと笑みを浮かべた。 判らぬ女子とは、まして忍びとなると全く勘助の理解を超えていた。「勘助殿、今夜は何度でも抱いて下され」 お弓が再び勘助に挑んできた。「おう、何度でも抱いてやろう」 二人は獣のようにお互いの躯を求めあった。傷ついた者の同士が慰めあうような優しい愛撫から、相手をむさぼり合うような烈しい求めあいが、延々と続いた。まどろみ覚めては求め、明け方近く二人は、獣の皮にくるまって泥のように眠った。 勘助が目を覚ました、気だるく心地よい疲れが身内に宿っている。傍らに目を転じ愕然とした、お弓の姿が消え、脇差と書状が残されていた。『勘殿参る。昨夜は女の身を知らされました、勘殿とは肌が合うようです。女忍者から、ただの女子として燃えました。これも勘殿のお蔭じゃ、ややが産まれたら知らせます。女子ならお麻、男子なら勘兵衛と名付けて下され。またお逢い出来た時には、口吸いましょう。 お弓 』 勘助は呆然となった、烈しいお弓の息遣いが今も聞こえるようであるし、乳房の感触もまだ生々しく手に残っていた。 天文十九年(一五五〇)五月、甲斐は新緑につつまれていた。続々と重臣たちが館の主殿に集まり、定めの円座に腰を据えた。 一段高い座所に、やや肥満気味の晴信が眼を細め静かに座している。 右手上座には武田典厩(てんきゅう)信繁が、左上座には飯富兵部が座り重臣たちが左右に居並んでいる。晴信が右脇に脇息を引きよせ躯をもたせかけた。 開け放たれた廊下越しより、小鳥のさえずりが心地よく聞こえてくる。 山本勘助は一人晴信と対面するように、重臣たちの後ろに腰を降ろしていた。「いよいよ機が熟した。我が武田は総力を挙げ、五月二十日に躑躅ケ崎館を出陣いたす。目指すは小笠原長時の籠もる林城と深志城の二城じゃ、この合戦後は再び小笠原勢と戦う事はなきものと知れ」 晴信の下知が響いた。「おうー」 全ての重臣たちが雄叫びをあげた。 晴信がこれほど明確な作戦命令を発したのは、初めての事であった。武田家二代の野望(1)へ
Sep 20, 2007
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「小説ランキング6位、歴史・時代小説1位」ポッチをお願い。 (女忍の膚) 甲斐は冬を迎え、躑躅ケ崎館も城下も雪におおわれ静まりかえっていた。 そんな宵に山本勘助の屋敷に、お弓が漂然(ひょうぜん)と訪れてきた。 勘助は人払いをし、囲炉裏ばたで密談を交わしている。「駿河の大殿さまは、きついお怒りじゃ」 お弓が囲炉裏の粗朶(そだ)の炎を見つめ信虎の言葉を伝えていた。炎に照らされたお弓は別人のように勘助には見えた。 「お弓殿、また一段と美しくなられたの」「勘助殿のお口の上手なこと、わたしは女忍者じゃ。どのようにも化けられます」 勘助の躯に欲情が湧いた、己にも判らぬ唐突な感情であった。 「昔、一度そなたを抱いた。今宵はどうじゃな」「抱かれても良いが、わたしの問いに答えて下され」 お弓が妖艶な笑みを浮かべ、勘助の怪異な異相を見つめた。「甲斐は前にもまして力を蓄(たくわ)えた。来年、田植えが終ったら小笠原長時を攻め滅ぼしますと伝えて下され」「林城、深志城も陥すと言われますのか?」 「左様じゃ」「御屋形さまの晴信さまは、今年で二十八才となられましたな」「頼もしき御大将に成長為されました。これも大殿にお伝え下され」 囲炉裏の粗朶がはぜ、屋外から風音が室内まで聞こえてくる。「真にございますな」 「山本勘助、嘘は言わぬ」 「法螺吹き勘助と異名をとった貴方がな」 お弓がけたたましい笑い声をあげた。「拙者も今は武田の軍師じゃ、御屋形さまの信任もあつい約束いたす」「あい、判りましたぞ、そのように大殿にお伝えいたしましょう。じゃが板垣さま、甘利さまを亡くされ武将のお方は大丈夫ですか?」「若い武将が数多く育っております、ご安心下され」 「本当ですか?」「軍制を変えたのじゃ。御親類衆に武田信繁さま、葛山信貞(かずらやまのぶさだ)さま、御譜代衆には飯富兵部殿、原虎胤殿、小山田信茂殿、馬場信春殿、若手では板垣信里殿、甘利昌忠殿、山県三郎兵衛殿、更に豪族のなかで真田幸隆殿も我等の味方じゃ。その下にも有能な将が育っておる」 「・・・・」 珍しく勘助が饒舌である。 「鉄砲隊も作りましたぞ」 お弓の眸が輝いて見える。 「お弓殿、どうじゃな」 「騎馬武者は?」「黒馬を育てておる、まだまだ増やす。お弓殿、飲みながら語ろう」 勘助が自ら立ち上がり肩を左右にふり、足を引きずって戸棚から大徳利と湯呑みを取り出し、なみなみと注ぎ勧めた。「ああ、美味しい」 お弓が舌鼓をうった。「武田は兵だけでわない領民も一丸じゃ。それは御屋形さまの治世のお蔭じゃ」「勘助殿もう良いは、わたしもこの目で見て参った、暫く飲みましょう」 お弓が挑発するように艶然と微笑み、勘助の背筋がぞくりと粟だった。矢張り女忍者じゃ、正体が何処にあるのか判らぬ。何時の間にか、お弓がしどけない格好で勘助の躯に身をあずけ湯呑みを啜っている。暖かく柔らかな女の肉体の感触が勘助の頭脳を狂わした。 「勘助殿、口移しで飲ませて下され」 外の木枯らし同様に勘助が獣となった、完全に理性が麻痺し口移しでお弓の口中に酒を注ぎ込んだ。 お弓が襟元をはだけた、豊満な乳房が炎に照らされ青い静脈が勘助の隻眼を射抜いた。覚えず唇を這わせ、お弓が微かに呻き声をあげた。「お弓殿、そなたに頼みがござる」 「わたしに出来ますか?」 答えつつお弓の手が勘助の股間をさすった、そこは怒張している。「拙者は武田に忍び集団を置きたいと考えておる」 勘助の声がうわずった。 お弓が衣装を脱ぎ捨て全裸となり、勘助の命のもとを愛撫しながら訊ねた。「わたしに何が望みです」 二人は睦言(むつごと)を交わし愛撫の手を休めずに低い声で囁きあっている。「まずは駿府じゃ、太原雪斎が大いに邪魔になる存在じゃ」「それは駿河の大殿に任されませ」 お弓の躯が蛇のように勘助にまとわりついた。勘助が思わず呻いた、手が勝手にお弓の下腹部で蠢いている。「そこじゃ、・・・いいっー」 お弓が顔を大きく振った、さらさらと長く乾いた黒髪が勘助の太腿に流れた。「大殿に申しあげよ、信濃平定後の甲斐の次なる獲物は駿河じゃ、京への道が何としても欲しい」 勘助の躯がお弓に重なり二人が繋がった。 「あっー」 お弓の白い腕が勘助の首に巻かれ腰が微妙にうねった。 「話は後にして・・・いいよー」 二人は快感のなかで果てた。武田家二代の野望(1)へ
Sep 19, 2007
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「小説ランキング9位、歴史・時代小説1位」ポッチをお願い。 「洩れたな」 太原雪斎は敵城の変化で瞬時に悟ったが、我が勢は大軍である。本陣から大太鼓が打ち鳴らされ、法螺貝が炯々と響きわたった。 打ち合わせどうりの攻撃の合図である、矢が唸りをあげ城内に射ち込まれた。 手ぐすねを引いて待ち受けていた織田勢が果敢に大手門から突撃してくる。 黒鹿毛に跨った織田信広が先頭で突きかけてきた。血潮が飛沫(しぶき)血戦が繰り広げられた、今川勢は数を頼りとしてひた押しに押している。「勢が鋭い」 本陣の雪斎は織田勢の猛烈な攻勢を見て伝令を駆けさせた。「無理押しはならぬ、押してきたら流れに任せよ」 彼我入り乱れた血戦が続いたが、寡兵(かへい)の織田勢は出血を強いられ城内に退いた。合戦は膠着状態を迎えた。 雪斎は武将の一人、吉田城主の伊東元実(もとざね)に五千の兵を授け桶狭間に軍の展開を命じた。織田勢の救援部隊を阻止する計である。 案の定、織田信秀は加勢の勢を率い討って出たが、伊東勢に阻止され駆けつける事が出来ない。両軍は膠着したまま一ヶ月あまり睨みあいが続いた。 今川勢の本陣で戦評定が開かれている。太原雪斎は法衣を纏い床几に腰掛け、屈強な旗本衆が厳重な警戒を行っている。「このままでは出血を強いられる、甲斐の古狸の申すよう明朝軍使を遣わす」「雪斎殿、使者は拙者にお任せ下され」 猛将で聞こえる朝比奈泰能である。「どなたを使者に為さる?」 「我が倅の元智(もとちか)を遣わします」「うってつけに御座るな」 雪斉の眼が柔和となった。 今川勢の基本方針が決まった。翌朝、鉄丸兜に黒糸嚇しの大鎧の朝比奈元智が軍使として安祥城の城門に白旗を差し出向いた。「今川家、家臣朝比奈元智と申す。使者の口上を申しあげる、織田殿は開城し、降伏恭順いたされよ。兵の命は保証いたし国許への帰還をさし許す、さもなくば数日後に甲斐より援軍到着いたし、我等は力攻めでもって城を磨り潰す、半刻後にしかるべきご返答をお聞かせあれ」「ご使者の口上、しかとお聞きいたした。ご返答は後刻必ず申しあげる」 織田信元が城壁より見下ろし返答した。 「さらば半刻後に罷りこします」 今川勢の本陣はじって安祥城の変化の始まりを見守っている。今に異変が生じる筈である。 「雪斎殿、城に火の手があがり申した」 黒雲が城内の裏手から一筋、二筋と立ちのぼり始めた。城内から怒声が聞こえて来る。大手門が開き、織田信元の姿が現れた、背後に一人の小男が槍を信元背にあてがっている。 「あの男が信虎さまの言われた忍び者じゃ」「馬引け」 太原雪斎が騎乗しゆったりと軍の先陣に向かった。「汚し、今川勢」 織田信元が顔面を染め喚いた。「我等が汚しとは聞き捨てならぬ」 「そこもとは?」「今川の軍師、太原雪斎じゃ」 「我等に開城を勧めながら内応を謀るとは今川家に、その人ありと聞こえた雪斎殿にしては汚し」 太原雪斎が小男に声をかけた。 「そなたの名はなんと言う」「小十郎と申します」 返答し槍の穂先を信元の背にあてがい慎重に辺りを見廻している。相変わらず抑揚のない声である。「信元殿、約束どうり兵等の命は保証いたす。降伏なされ、これも戦国のならえ」「誓って約定は守って頂けるな」 信元が無念の形相で訊ねた。「ご心配めさるな、我等も武門の者にござる。小十郎とやら、お連れいたせ」 織田信元が今川勢の本陣に着くと安祥城から、続々と籠城兵が織田領に引きあげを開始した。ここに約一ヶ月半余の攻防戦が終焉したのだ。 ただ驚いた事に、今川の武将連が気づいた時には小十郎の姿は忽然と消えうせていた。ここに信虎の策が成った、彼は今川家の兵士と軍資金の損耗を望んでいたのだ。微々たる事だが、これにより甲斐は一層強力となる。(晴信よ、今後のわしの標的は雪斎じゃ、奴が死ねば義元をけしかけ上洛を進言する積りじゃ) 信虎は胸裡に呟いていた。 今川勢の戦勝の知らせが早馬で駿府城に、もたらされたのは十一月上旬であった。義元は上機嫌で信虎を呼び出した。「信元を捕らえ申した、流石は舅殿じゃ」 笑顔のおはぐろが禍々(まがまが)しい。 「義元殿、早う人質の交換をなされ」「今頃は雪斎は織田信秀と交渉しておりましょう」 義元が確信ある態度で語った。ほどなく雪斎からの早馬が駆けつけてきた。 織田信秀は安祥城を織田の城とする条件で人質交換に応じた。雪斎は了解した、ここに織田信元と松平竹千代の交換が無事に済んだ。 今川家の目的は、飽くまでも松平竹千代であったのだ。 十一月二十七日、松平竹千代(家康)が人質として駿府城に入った。これで今川は磐石な態勢となった。竹千代は十二年間の長きに渡り人質生活を駿府で送り、その間、岡崎城は主人不在のまま三河一帯の要として今川家の属国となるのであった。武田家二代の野望(1)へ
Sep 18, 2007
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「小説ランキング8位、歴史・時代小説1位」 「三河の岡崎衆を手の内にいれ、今川の先鋒とせねばなりませんな」「なんの先年より岡崎城には我等の兵が詰めておりますぞ」 三浦成常が今更何をという顔つきをしている。「この戦国乱世、何が起こっても不思議ではござらん。内応という手もござる」「岡崎衆が内応いたすと申されるか?」 三浦成常が声を荒げた。「わしは何が起こっても可笑しくないと申したまでじゃ」 信虎の眼が細まり、戦場往来の武将の迫力が身内から湧きのぼった。「左様じゃ、戸田康光の件もござればな」 雪斎と信虎の視線が絡みあった。(この男、戸田康光の謀反のもとがわしと疑っておるな)と、瞬時に悟った。「わしなれば安祥城を攻めますな」 信虎が義元に視線を移し断言した。「織田の最前線、守将は信秀の倅にござるな、そこを攻めますか」「倅の信広を生かして捕虜といたす」「信広と織田に人質となっておる松平竹千代と交換いたしますか?」 太原雪斎が小さく呟きみずから肯いた。 「雪斎、竹千代が手に入れば駿府の人質といたせるの、岡崎の者共は竹千代がここにおれば我等に反旗を翻せぬな」 義元の眼が輝いた。 「拙僧もそう考えておりましたが、なかなか決しかねておりました」「舅殿は隅におけませぬな、だが内応者が居なくては事はならぬ」 駿府の四人が黙した。 「この信虎にお任せ下さるか?」 四人が顔を見合わせた。 「このように暢気な暮らしが出来るのも義元殿のお蔭。老骨ながら今川家のお役にはたてましょう」 信虎が背筋を伸ばし野太い声を発した。「何か策がおありか?」 信虎が雪斎にむかって破顔した。「昔日の事にござるが、わしがご当家と敵対関係にあった時期に岡崎城に忍びを入れておきました。これが役立ちましょう」「なんとー、忍び者を」 「左様」 「雪斎、直ちに大軍で押し出せ」 流石は今川義元、凡庸の器ではない決断が早い。「信虎さま、忍び者との連絡方法はいかに?」「城を包囲し城兵の命と交換で信広を虜囚(りょしゅう)となされるか、忍び者を使うかは、雪斎殿のお考え次第。もし忍び者を使われるならば、甲斐よりの援軍が近いと城内に知らせなされ、必ず内応いたす者が居る筈にござる」「舅殿を駿府にお招きいたし助かったの、晴信殿ではこうはゆくまい」 義元の言葉に信虎が苦笑で応じた。「ところで舅殿、晴信殿一向に動きませぬな」「倅の奴、女色に溺れ戦を忘れた模様にござる。面目もござらん」「子作りも兵事じゃ、そこのところが余には恐い」「信濃平定まであと一歩で足踏みを致してござる」「いやいや、国内の地盤を固めて居ると余のもとに知らせがござる。すえ恐ろしい武将と成られましょう」 今川が三河に大軍を向けたのは九月半ばの時期であった。藤枝から大井川を渡河し、掛川(かけがわ)城に着いたのが翌日の夕刻である。 総勢一万五千名、総大将は太原雪斎、副将は朝比奈泰能である。 更に軍勢を進め天龍川を越え引馬城で一泊し、浜名湖を右手に見て吉田城に軍を止め兵の士気を高めた。翌日、一気に豊川を渡り岡崎城に着陣したのは四日後である。ここで兵の部署割りを行った。 岡崎城からは安祥城は目と鼻の先である、早朝に総攻撃と決した。 陣中で太原雪斉と朝比奈泰能が戦術を練っている。「雪斎殿、古狸の申したとおりの戦を為さいますか?」「いや、我等は大軍じゃ。秘かに軍勢を発し安祥城を十重二十重に包囲いたす。城内に乱れが見えれば、兵の命と引きかえに信広の身柄を拘束いたす」 今川勢一万五千が足音を殺し、矢作(やはぎ)川を通過し夜明け前に城を包囲した。併し、城方は今川の攻撃を察知していた、ここにも信虎の謀略が施されていたのだ。小十郎は城に忍びこみ今川勢進攻の情報を城内に洩らしたのだ。 夜が明け染め包囲した今川勢が息を飲み込んだ、城には旌旗(せいき)がへんぽんと翻り、どっと喚声が沸きあがったのだ。武田家二代の野望(1)へ
Sep 17, 2007
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「小説ランキング7位、歴史・時代小説1位」 翌日、信虎は朝の茶を喫していた。甲斐と違い茶所の駿河の茶はことのほかうまい、飲むたびに感心する。「さて、もどき殿を唆(そそのか)し早う上洛させねばな」 と低く独語した。 最近はそればかりが頭から去らない、その時がきたら織田に味方をいたし、もどき殿の首を織田信秀に授ける。信虎は遠大なる計画を練っていたのだ。 信虎は最近、義元をもどき殿と陰口をたたくようになった。訳は簡単な事であった。義元が何時も烏帽子、直垂を着用し歯をおはぐろに染め公卿衆の真似をしている姿を、揶揄(やゆ)した言葉であった。 蹴鞠(けまり)を楽しみ武技を疎む義元が肥沃(ひよく)の駿河、遠江、三河の太守として東海一の弓取りと称している事に耐えられないのだ。 今にこの地は晴信が手にする、甲斐は海を得るのだ。これが夢となっていた。「小十郎に御座います」 唐突に信虎は夢を破られた、庭先から低い声がした。 「お弓に雇われた忍び者じゃな」 信虎は気さくに濡れ縁に足を運んだ。 庭先に風采のあがらぬ小柄な男がひざまずいていた。「わしが信虎じゃ」 「存じております」 信虎が不審そうな顔をした。「御屋形さまとお弓殿の閨ごとしかと拝見いたしました」「なにっー、見ておったのか?」 小十郎と名乗る小男が表情も変えずに肯いた。信虎の眼が細まり頬がひくっいた。 「お弓に悟られなんだの」 声に怒気が含まれている。 「知れたら殺されます」 全く抑揚のない声の男である、信虎が暫く凝視し哄笑をあげた。「そちに仕事を命ずる、安祥城(あんじょうじょう)に潜りこめ」 「何をいたします」「近々、今川勢が安祥城に攻寄せよう。守将は織田信秀の長男の信広(のぶひろ)じゃ、城が陥る前に織田信広を虜(とりこ)といたせ。殺すでない」「して信広殿はいかが計らいます」「今川の総大将は太原雪斎とみる、わしからの手土産と申して引き渡せ」「判り申した」 「これからは、わしの元で働くのじゃ、じゃがお弓を抱いてはならぬ」 「はっ」 小十郎は抑揚のない声を残し庭先から去った。 織田信長は正室から生まれ織田家の嫡男となったが、信広は側室の生まれであった。随分と年の離れた兄弟であるが、勇猛果敢な猛将として聞こえていた。 父の信秀は彼を信頼し、三河の最前線の安祥城を任せていた。「さて、わしの出番は暫くない。もどき殿に面会して焚きつけるか」 信虎は着替え駿府城の奥に向かった。小姓の川田弥五郎が信虎の愛刀の三尺余の兼光を携え従っていた。 「弥五郎、麻衣とは睦まじくしておるか?」「はい」 川田弥五郎が顔を染めている。「早う子を為せ、わしが晴信に推挙してやろう」「大殿さま、拙者は何時までもお供つかまつる所存。我が子も大殿さまにお仕えさせます」 それを聞いた信虎の魁偉な顔が歪んだ。「わしはそれまでは生きてはおられまい」 信虎は五十五才となっていた。「弥五郎、そちの心根嬉しい。甲斐の武田が天下を奪う、仕えるのは晴信じゃ」 大広間では義元と太原雪斎に二人の重臣が待ち受けていた。朝比奈泰能と三浦成常(しげつね)の宿老の二人であった。 「ご免こうむりますぞ」「舅殿、相変わらずご壮健の体、義元安堵いたしました」 相変わらず居城に居っても義元は、烏帽子、直垂を着用しおはぐろで歯を染めている。 「何時もながら身形を整えられ感服いたす」 信虎は定めの座に腰を据えた。小姓の弥五郎は廊下に控えている。「織田が何かとうるさい、信虎さまに良き思案はござらんか?」 雪斎が桜色の顔をみせ柔和に語りかけた。「織田と斉藤が手を結んだと耳にいたした、厄介な事にござるな。この爺にもいささか考えがござる」 「なかなかと素早い事にございますな」 三浦成常の声にとげがある、彼はなかなかの策謀家で知られていた。「舅殿、その考えとやらをお聞かせ下され」 義元が興味を示している。「甲斐の古狸の言葉なんぞ信じて戴けますかな」「いやいや信虎さまは甲斐を統一された戦巧者、是非ともお聞かせ下さい」 朝比奈泰能が戦場焼けした顔で膝を乗り出した。武田家二代の野望(1)へ
Sep 16, 2007
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「小説ランキング10位、歴史・時代小説1位」 翌年の天文十八年、さらに不気味な出来事が起こった。 三河松平家の主、松平広忠(ひろただ)が家臣の岩松八弥により殺害されるという事件が起こった。駿河の今川家は直ちに岡崎に大軍を発し岡崎城に入城した。この事件から主人不在のため岡崎城は今川家の属城となり、三河衆の長い苦闘の日々が続く事になるのだ。 甲斐の武田家は前年の瑕(きず)を癒しつつ静まっている。来るべき信濃の小笠原長時ほ屠(ほふ)る策を秘かに練っていた、その一環として信濃各地の豪族をさかんに調略していたのだ。 小笠原、村上方の豪族たちは武田の威勢のまえに、続々とよしみを通じ武田の軍門に降っていた。 晴信と勘助は軍勢の再編に乗り出し、若き将の育成に意を注いでいた。 急速に武田家の傷は回復し、何時でも信濃に討って出られる態勢が整ったが、国主の晴信は動こうとはしなかった、彼は女人に興味を示し人質の美貌な女子を次々と側室として子を為していたのだ。特に諏訪の息女に執着し頻繁に出向いていた、傍からみるとまるで戦を忘れたように見えるが。勘助は満足の笑みを浮かべていた。 これからの武田家は血統を絶やさぬためにもお子は何人でもいる。特にご息女は、今後を予見すれば何人でも必要であった。各地の大名と姻戚関係を結ぶ事こそ、戦略的にみても必要であった。 今の御屋形さまは種馬である、それでいいのだ。ここ一年は動いてはならぬ。領内治世に意を注ぎ強力な地盤を作りあげねばならない。 宿老たちは一様に「山本殿、御屋形さまは女に現っを抜かされたか」と苦言を呈するが、勘助は無視を決め込んでいた。「今に動かれる。武田家の御旗どうりにな、疾きこと風の如くでござるよ」 勘助一人が嬉しそうにしていた。 (三河荒れる)「お弓、そちのここはなかなか良いの」「大殿さまも年のわりには元気者じゃ」 駿府の隠居所の寝所で信虎はお弓の熟した躯を抱きしめ、語りあっている。今も信虎の猛々しい一物はお弓の躯に埋め込まれている。 「大殿さま、口吸いましょうか」 お弓が信虎の舌に舌を絡め喘いだ。「今度はわたしを何処に行かせようとお考えですか?」 お弓も心得ている。 信虎が抱いてくれると必ず仕事が待っている。「甲斐と信濃じゃ、晴信すこし悠長すぎる。いまだに小笠原なんぞに振り回されておる、そちの推挙した山本勘助も同じじゃ」 「どういたせと仰せじゃ」「勘助とそちの間に隠し事はないか?」 「大殿さまは妬いておられますのか」 お弓が信虎の乳首に舌を這わせ媚びた痴態をみせた。「馬鹿め、何でわしが妬かねばならぬ」 信虎が荒々しく腰を突きあげ、お弓が歓喜の声をあげ信虎の腰の動きに合わせている。 「第一の目的は晴信の諏訪の側室を労咳(ろうがい)に似せて殺すのじゃ。晴信の奴め女に現っをぬかし戦いに身が入らぬ」 「あい」「勘助にも申せ、小笠原、村上なんぞ早う始末いたせとな」 「・・・良いぞ」 「こうかい」 お弓が秘所を小刻みに収縮させたのだ。 くノ一とはこうした手管にも長けていた。 信虎が果てた。「お弓よ、今申した事は忘れるでないぞ、さて刈谷城で雇った忍びは何処におる」「わたしの配下で小十郎と申します。一度わたしと抱きおうた。・・・勘助殿ともたった一度じゃが寝た」 お弓が濡れぬれとした眸で信虎を見あげた。「そちは誰とでも寝るのか?」 信虎が魁偉な眼を剥いた。「あい、仕事ならば何でもしますぞ」「先ずは諏訪の女に毒を盛れ、後で小十郎とやらをわしの元に来させえ」 暫くすると信虎は太い鼾をかいて寝込んだ、お弓がそっと起き上がり寝顔を見つめた。 「わたしが好いたお方」 女忍びは信虎を愛していたのだ。 愛情があるが故に信虎を慕い甲斐から駿河に来たのだ、しかし務めとなれば誰にでも肌を許した。げに魔訶不思議な女忍びの感情の在り様である。 その日を境とし、お弓は駿府から姿を消し去った。武田家二代の野望(1)へ
Sep 15, 2007
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「小説ランキング10位、歴史・時代小説1位」 甲斐の四月、早咲きの桜が人々を楽しませる時節となった。二月に上田原の合戦に手痛い打撃をうけた武田の居館、躑躅ケ崎館の主殿で晴信と勘助の二人が語りあっていた、心地よい風が吹きぬけている。「勘助、余は慢心しておった。そのために板垣信方と虎泰を死なせてしまった」「御屋形さま、拙者も軍師の資格がございません。板垣さまが申された時に、お諌めいたしておれば武田はこのような犠牲を出さずに済みました」「申すまい、今後じゃが信濃の動きを勘助はどう見る」 晴信が異相な顔つきの勘助に冴えない顔色で訊ねた。「村上義清は最早、独力では立てませぬ。だが暫くは信濃は荒れましょう」 勘助の隻眼が遠くをみる眼差しをしている。 「荒れる?」「小笠原長時が蠢動(しゅんどう)いたしましょうな」「あの山猿、またもや反抗いたすと申すか?」 「また諏訪を狙いましょう」「板垣信里では心もとないか?」 「いや、あの激戦で父を討たれながら隊を纏(まと)めたるは非凡。しかし小笠原長時はそうは思いませぬ」「組し易(やす)しとみて諏訪を狙うか」「今度は生かしてはおけませぬ、ところで御屋形さま武田の軍制を改めねばなりませぬな」 「どのように改める」 初めて晴信に興味の色が浮かんだ。「戦は若い者の遣る事にございます。駿河におわす大殿と戦って参った武将連はすべて年老いました、これからの合戦は若い武将に任せましょう」 これは勘助の念願でもあった。 「合戦はそのように簡単なものではない」「その為に武田独自の軍制を作らねばなりません、それが御屋形さまの務めにございます。新しき武器、新しき戦術、新しき情報網、これらは武田家棟梁の御屋形さまが作りあげねばなりません」 勘助の血潮が躍り、晴信は無言で勘助の次ぎの言葉を待ったいた。「敵を知り己を知れば百戦危うからず、古来よりの言葉にございます。相手を知るには敵地に潜り込まねば成りません」「勘助、判った。諸国に間者を出そう、誰よりも早く各地の動きを知る、これをせよと申すのであろう」 「御意に、軍制もしかりにございますぞ」 この会談から晴信は積極的に軍制の改革に乗り出したのだ。 勘助の案じたとおり、夏の暑い日に諏訪より早馬が駆けつけてきた。 小笠原長時が突然諏訪に軍勢を向けたのだ。七月十一日、晴信は武田勢の総力をあげ躑躅ケ崎館を出陣した。板垣信里の抵抗にあい小笠原勢が塩尻峠に滞陣中との知らせをうけ、騎馬武者を主力とし秘かに攻撃の機会をうかがっていた。武田勢が一気な塩尻峠の小笠原勢を強襲した、長時は勝弦峠(かつつるとうげ)で態勢を建て直し武田勢に当たったが、晴信の巧みな用兵で防ぎきれずに敗走した。武田勢は追い討ちをかけ、小笠原長時は懸命に防戦しつつ居城の林城に逃げ戻り篭城した。晴信は力攻めを避け再び武田家が信濃の主導権を取り戻した事に満足し兵を引いた。 この年は武田家にとっても各地の大名にとっても激動期に入る、前兆を示す年であった。織田家は二月に小豆坂(あずきざか)で今川勢に二度目の戦いを挑み、太原雪斎に完膚なく敗れた。尾張領内に不穏な動きを抱えていた信秀は戦略転換に迫られ、秋に美濃の斎藤道三と講和を結んだ。美濃にも斎藤道三を快く思わない美濃三人衆が寝返り、領内平定を急いでいた道三にとり織田家との講和は望むところであった。 こうした両家の思惑の一致で織田信長と斎藤帰蝶(濃姫)との婚儀が執り行われた。この織田家の動きは駿府の義元にとり脅威であった。本格的に織田勢が三河攻略を示す動きと看破(かんぱ)した太原雪斎は、翌年に大軍を三河に進攻させる準備を秘かに始めていたのだ。 さらに晴信にとり恐るべき男が権力を握る事となった。それは越後の虎、長尾影虎(かげとら)である。彼は年の暮れに関東守護上杉定実(さだざね)の調停により、兄の晴景(はるかげ)の養子となり春日山城で長尾家の家督を継いだ。 影虎十九才で越後一国の棟梁となった。ここに戦国大名として稀有な(けう)な武将の誕生をみたのだ。武田家二代の野望(1)へ
Sep 14, 2007
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「小説ランキング10位、歴史・時代小説1位」 村上勢は丘陵を巧に利用しながら雲霞(うんか)のように殺到してくる。 銃声が轟き一瞬、あたりが硝煙に覆われた。喚声が沸きあがり板垣勢が突撃を開始した。先頭には何時ものように板垣信方が愛用の大身槍を突き出している。敵味方が激突した。 「強いー」 勘助が唸った。 村上勢はせいぜい百名か二百名の騎馬武者の一団であるが、板垣勢は十倍する勢で三段に構え信方を頂点として突き進んでいる。当たるや敵の騎馬武者が馬上から落馬している。しかし、村上勢もしぶとく蟻が群るように小集団で襲いかかっている。二陣の甘利勢も仕掛けた。 赤備えと黒備えの一団が敵を突き崩し、彼方の丘陵に消えた。喚声と怒号と馬のいななきが聞こえるのみであった。 勘助の胸中に形容できない不安な念がわいた、今まで経験のないものである。 前方に今まで見た事もない騎馬集団が現われ、本陣めがけ押し寄せてくる。 刀槍の煌きがはっきりと見える。「板垣と甘利はいかがいたした?」 晴信が不審そうな声をあげた。 前方より母衣武者が駆けよってきた。 「板垣さま、甘利さまお討死ー」叫ぶと同時に落馬した。 「なんとー」 勘助が仁王立ちとなり晴信に視線を廻した。 「二陣を固めよ」 床几に座った晴信がすかさず下知を下している。 百足衆が指物を翻し本陣より駆けだした、二陣も異変を察知し隊刑を整えている。真っ先に飯富兵部の勢が動き出し、原虎胤も負けずと前進をはじめた。 左右の武田信繁と小山田信茂の勢も鶴翼の陣刑を崩さず押し出した。二陣は三段構えである。味方が態勢を整えた時、敵勢は目前に迫っていた。 先頭に大兵の武将が大身槍を抱えている姿が映った、村上義清である。 火のでるような猛烈ないきおいでどっと飯富勢に突きかかった。兵の怒号と悲鳴、さらに軍馬のいななきが湧きあがっている。 彼方の敵も徐々に合流し、小さな一団から大きな軍勢に変化させ迫りつつある。 「敵ながら天晴れじゃ」 勘助が本陣から隻眼を光らせ呟いた。 練りに練った戦術としれる、村上勢は脇目もふらず正面から飯富勢を裂こうと猛烈果敢に襲いかかっている。「勘助、勝てるか?」 「勝てまする、我等には後詰の兵が居ります、今に戦機が変わりましょう」 「板垣勢、戻って参ります」 本陣の百足衆が声をあげた。 遥か彼方に赤備えの一団が現われ怒涛の反撃をはじめている。「あれは信方さまの倅の弥次郎信里(のぶさと)殿じゃな」「甘利勢も戻って参ります」 百足衆に喜びの声があふれている。「矢張り倅の昌忠殿か」 勘助の隻眼にも黒備えの一団が見えた。 顕かに村上勢に焦りとほころびが見えはじめたが、飽くまでも頑強である。 遮二無二味方の本陣を突こうとしている。飯富勢が割れた。 雄叫びをあげ村上勢が本陣めがけ殺到してくる。「御屋形さま、お引き下され」 「いいや、余はここで一戦いたす」「何のための後詰にござるか」 「勘助、山県勢を敵の横腹に喰らいつかせ」「はっ」 勘助は騎乗し後方に駆け下知を下した。「百足衆、敵が崩れを見せたら後詰の二隊は総攻撃に移るよう伝えよ」 山県勢の五百騎が猛烈な勢いで村上勢の横腹を襲った。今一歩というところで形勢が逆転した。あおりで村上義清が孤立した、どっと山県勢が殺到したが旗本の一団が義清を囲み、風のように戦場を引きあげて行った。 武田晴信は初めて大敗をきっした、それも武田家の重鎮である二人の宿老を失い、千名ちかくの犠牲者をだし晴信自身も軽い手傷を負ったのだ。 戦いは申(さる)ノ刻(午後四時)頃にすべて終った。 板垣信方と甘利虎泰の最後の様子がもたらされた。板垣信方は先鋒として先頭で敵を蹴散らしていたが、敵の挟撃(きょうげき)を受け隊を分断された。「父上、お引き下さい」 信里が手勢を引きつれ駆けつけた。「信里、隊をまとめ本陣に駆けつけよ。わしは村上義清を捜す」「無理にございます」 信里の声を無視し兜の眉庇より不敵な笑みをみせ、黒雲のような敵勢の中に躍り込み、三名の騎馬武者を槍先で突き落とした。 流石は板垣信方である、凄まじい膂力(りょりょく)を見せ付けたのだ。 その時、敵勢の足軽が信方の騎馬の腹を突き刺し、馬が暴れ鐙(あぶみ)から足を滑らし体勢を崩した、見逃さず二本の槍が深々と板垣信方の躯を突き抜けた。気力で柄を斬り捨てたが信方の力はそこで尽きた、かっと何かを叫ぶような素振りをみせ仰向けに地面に転がった。壮烈な最期であった。一方の甘利虎泰は先頭を駆けている最中に、銃弾を眉間にうけ最後を遂げた。武田の誇る両将は死を覚悟しての出陣であった、晴信の驕りを諫止するための討死であった。武田勢は悄然と板垣信方、甘利虎泰の遺骸と共に諏訪に戻り、盛大な供養を執り行い、高島城を板垣信里に治めさせ躑躅ケ崎館に戻った。 この戦いで武田の威信が落ち、再び領地回復の為に小笠原長時が動きだすのであった。武田家二代の野望(1)へ
Sep 13, 2007
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「小説ランキング9位、歴史・時代小説1位」 晴信と諸将が城内の大広間に集まり、明日の軍議を行っていた。床に上田原の大絵図が広げられている。「申しあげます。我等は上田原の地形に疎(うと)うございます、拙者に兵百名をお授け願います」 甘利昌忠(まちただ)である。彼は甘利虎泰の息子で使い番頭として軍中にあった。 「百名の兵でなにをいたす」「はっ、これより城を出て上田原の地形を探ります。我等の陣立ての箇所と村上勢の本陣を確かめたく存じます」「昌忠、こたびは無用じゃ」 晴信の声が大広間に響いた。「御屋形さま、信方も物見の必要を感じます。なにとぞ昌忠に兵をお与え下され」「板垣、臆したか。余は上田原の入口に本陣を構える物見は無用じゃ」 晴信は数々の戦に勝ち、知らぬ間に驕(おご)りが生じていたのだ。「日頃の御屋形さまらしくございませぬぞ、村上義清は必死にござる。地形も判らぬ土地での戦はなりません」 板垣信方が宿老らしく眼光を強め諌めた。「板垣、余は村上との決戦を念願しておった、これ以上の口出しはならぬ」 晴信は己の考えのままで村上義清との戦に決着をつけたかったのだ。「はっ」 平伏しつつ信方は過去の合戦を思い浮かべていた。この戦は難戦となろう、そんな予感がしていた。(御屋形さまは慢心なされておられる、誰が諫言しても耳を貸されぬであろう) 板垣信方は秘かに死を決した、明日の戦いで村上義清と刺し違える。 信方は廊下を伝って部屋に歩を進めている、少し遅れて甘利虎泰が続いていた。 「甘利殿、我等の死に場所は上田原かも知れぬな」「死んでなろうか」 甘利虎泰が声を強めた。「甘利殿、どちらが死のうと悲しむまいぞ」 信方が不敵な面構えを見せた。「板垣殿、貴殿は死ぬ気か?」 甘利にも板垣の心中は手にとるように判る。「わしにも夢がある、武田家の将来が見たいものじゃ」 二人の宿老は胸裡に思いを秘め黙々と歩を進めた。 翌朝、諏訪を発し大門峠を越え北佐久郡の小県(ちいさがた)郡を抜けた武田勢一万五千名は、予定戦場の上田原に陣を張った。 一方の村上義清も葛尾城、戸石城の精兵七千名を率い上田原に姿を現した。 武田勢の陣刑は第一陣の先鋒、板垣信方の二千と甘利虎泰の二千が先陣を受けもった。二陣は飯富兵部、原虎胤、武田信繁、小山田信茂率いる四千五百が本陣の前に鶴翼(かくよく)の陣で展開を終えていた。 本陣は山県三郎兵衛の騎馬武者五百騎と旗本で固められた。 武田勢は常に後詰を重要視していた。前衛が破られた時の予備兵力として、また決戦兵力としての二つの任務をもっていた。 その任には馬場信春、内藤昌豊(まさとよ)の二将で騎馬武者を主力とした二千である。残りの兵は山本勘助の命であらゆる間道を押さえていた。 地形を熟知した村上義清の奇襲を恐れての陣刑である。「勘助っ、刻限は?」 「辰(たつ)ノ刻(午前九時)になりましょう」 晴信は床几に腰を据え諏訪法性の兜を深くかむり前方を凝視している。 赤備えの板垣信方と黒備えの甘利虎泰の二将が、ゆったりと本陣に姿をみせた。二人とも戦場往来の猛将の気迫を漲らせている。「御屋形さま、先鋒を受け賜ります」 晴信が無言で肯いた。 二人は拝跪(はいき)し草摺りの音を響かせ本陣を離れた。二人に肩を揺すった山本勘助が近づいた。「御屋形さまいささか慢心気味、ご両所死なれるな。武田の戦はこれからにござる。越後との勝負が待ち受けてござる」 勘助の隻眼が炎のように燃えている。 「そちも死ぬなよ、武田の旗を京に立てるまで生き延びよ」 板垣信方が勘助の肩を軽くたたき馬腹を蹴った。「敵勢、現れました」 百足衆の組頭が冷静な声で告げた。 広大な上田原の丘陵に点々と騎馬武者の一群が姿を見せ始めた。「貝を吹け」 本陣から士気を鼓舞する法螺貝が鳴り響いた。「御屋形さま、村上勢は決戦を挑んで参りますな。あれは捨て身の攻撃体勢です」 勘助は村上勢の進撃を見つめ、初めて胴震いを感じた。 続々と二百騎前後の騎馬武者が何十もの集団となって押し寄せてくる。 ようやく馬蹄の音が聞こえはじめた。武田家二代の野望(1)へ
Sep 12, 2007
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小説ランキング9位、歴史・時代小説1位ポッチ下さい。 この時期、織田信秀は越前の朝倉勢と呼応(こおう)し、二万の大軍で美濃を攻撃した。原因は美濃の蝮斎藤道三が、最近、しきりと織田、朝倉領を侵略しだした事にある。これに業を煮やしての事であった。 無類の戦巧者の道三は小勢で城から討ってでて織田、朝倉勢を翻弄した。 連合軍は数百名を失い、敗走の途中追撃され木曽川で二千名ちかくの溺死者をだした。散々たる敗北であった。 この戦いから尾張と美濃は宿敵となり、織田信秀は近隣諸国をすべて敵に廻すはめとなった。これが為に織田は三河に手がまわらなくなり今川は領内治世に傾注できる態勢となった、うまうまと雪斎の謀が成功を見たのだ。 (諫死) 躑躅ケ崎館の主殿で晴信と三人の重臣が戦評定をしている。「御屋形さま、ここ数年よく我慢なされましたな」 声の主は山本勘助である。「ようやく小笠原長時の林城と深志城が我等の手のうちとなりましたな」 宿老の板垣信方が感無量な顔つきをしている。「いよいよ北信濃攻略が出来ますな」 甘利虎泰がしわがれ声で応じた。「そうじゃの、村上義清との勝負をつける時が参ったの」 晴信が肯いた。彼もこの天文十七年で二十七才となり、髭跡も青々とした良い武者面となっていた。「まずは戸石城、さらに進み村上義清の居城葛尾城(かつらおじょう)を陥せば武田の敵は信濃からほとんど駆逐できますな。ところで御屋形さま信州の松尾城主真田幸隆(ゆきたか)殿、なかなかの知将、我が家に与力いたしたいと申し出ております」 勘助が隻眼を細め晴信に報告した。「真田幸隆とは村上方の豪族の筈じゃ」 甘利虎泰が不審げな声をあげた。「もし真田が我等に加担いたしたいなら、良き拾い物じゃ、さし許す後日直々に余が会おう」 「早速のお赦し祝着、勘助より御礼申しあげます」「勘助っ、真田は無類の戦上手と聞く、お主とどちらが上じゃ」「板垣さま、そのような事にはお答えできませぬな、後日、遺恨の種となりましょう。しかし武田の軍師は拙者一人、そうお考え下され」「勘助、よう申した」 晴信がすかさず誉めあげた。「ところで棒道は何処まで通じた?」 晴信の顔が引き締まった。「信方、申し上げます。八ケ岳から海ノ口更に北佐久郡近くまで完成をみております」 「そうか、まず村上勢と顔を合わせる地点は上田原近郊となるの」「左様にございましょうな」 勘助が嬉しそうに答えた、己の考えと晴信の考えがぴったりと一致したのが嬉しいのだ。 天文十二年二月、古府中の躑躅ケ崎館から二流の御旗を先頭に、緋縅の鎧に諏訪法性の兜をかむった晴信が黒鹿毛に跨り出陣した。 傍らには黒糸縅の鎧に大角の脇立て兜で山本勘助が騎馬を駆っていた。本陣は七名の百足衆と警護の旗本衆で固められている。続々と各武将連に率いられた部隊が姿を現した。 先頭の背負い太鼓が軽快に打ち鳴らされ士気を鼓舞している。「板垣勢、先行いたす」 二千名の赤備えの勢が一気に駆けぬけた。「甘利勢、先行いたす」 黒備えの二千名も砂埃をあげ駆け去った。 武田家の猛将二人が先陣をきったのだ。直属部隊とし山県三郎兵衛率いる五百の騎馬武者が轡を並べている。 「見事じゃ」 旗指物が数えきれないほど風に翻り、母衣(ほろ)武者が連絡のために引きもきらず駆け廻っている。直ぐに棒道に入った、武田の誇る軍事道路である。 道の両側には枯れ木が並び、一直線の道が続いている。兵士と馬の息が白煙となって吐き出されている。甲斐の二月は殊のほか冷えるのだ。 総勢一万五千名となった軍勢は小淵沢(こぶちざわ)を抜け北上して行く。 今宵の宿営地は諏訪の高島城である、日暮れ前に全軍は高島城に止まった。武田家二代の野望(1)へ
Sep 11, 2007
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小説ランキング9位、歴史・時代小説1位ポッチ下さい。 駿府城で義元と太原雪斎が対策を練っている。義元は相変わらず烏帽子、直垂の公卿姿である。 「御屋形、織田信秀にやられましたな」「三河の最前線は豊川までとなったの」 義元が苦い顔をした。「水野忠政の急死には、毒殺説が飛び交っております」 「なにっー」「忍び者の知らせにございますがな」 雪斎が艶のよい顔で義元を凝視した。「織田か倅の信元か判らぬか?」 「そこは判りかねますが、いずれも利がございます」 流石の雪斎も足元の信虎の謀略とは思いせぬことであった。「雪斎、駿河、遠江(とおとうみ)は磐石じゃが弱点は三河じゃ。豊川の西の田原城、吉田城、野田城までは余も心配しておらぬがの」 「左様に、矢作川(やはぎがわ)の岡崎城が孤立しましたな。そこの松平家の動きが心配にございますな」「松平広忠(ひろただ)いささか腺が細い、この度の水野信元との手切れでせっかく水野から輿入れした妻女を返したというが本当か?」「真にござる。人質として取り押さえるが戦国のならい、それを離縁したとは理解し難い事にございます」 「これで水野は心おきなく織田と同盟できるの」「御屋形、尾張の信秀いささかうるそうございます。独断にて謀(はかりごと)を仕かけ申した」 太原雪斎の血色のよい顔色を眺め、義元のふっくらした顔に興味の色が浮かんだ。 「美濃の蝮(まむし)をけし掛け申した」 「斎藤道三にか?」 「左様、我が策にのってくれれば儲けもの、織田信秀め美濃にも備えずばなりません。我等への矛先が鈍れば助かります」「流石は雪斎じゃ」 義元がおはぐろを見せ満足そうに破顔した。 「だが甲斐の古狸の倅はやりますな」 雪斎が珍しく汚い言葉を吐いた。「そうじゃな、先年は念願の諏訪を手に入れたの」「今年は動かず領内の治世に意を注いでおります。年若なれど侮れませぬな」「その為に思うように北条が動けぬのじや、感謝せねばな」 二人の哄笑が湧いた。 一方、隠居所では信虎とお弓が語らっていた、信虎は昼から大杯をあおっている。 「お弓、水野の件はご苦労じやった。・・・田原城をなんとかいたせ」 お弓の切れ長な眼が魁偉な信虎に注がれた。「何とかせいと申されましても、大殿の指図がなくば動けませぬぞ」「許せ」 信虎が皮袋を投げ出した、ずしっと鈍い音がした。「砂金じゃ。それで気のきいた忍びを雇いいれよ」 「何をなされます?」「田原城主の戸田康光(やすみつ)強欲と聞く、織田方に寝返らせよ。三河が静かになっては晴信が困るであろう」「あい、判り申したぞ、躯が疼いて堪りませぬ、今宵は伽(とぎ)をいたしますぞ」「淫乱な女子じゃ」 信虎が淫蕩な顔をしたお弓を見つめ苦笑した。 駿府城から岡崎に抜けるには、浜名湖の東の豊川との中間の吉田城を通らねばならない。守るは今川家股肱の将である伊東元実(もとざね)であった。 その吉田城の西南に渥美半島があり、三河湾を見下ろす絶好の地に田原城がある。その城主の戸田康光の寝返りを信虎は策したのだ。 この地が織田に寝返れば駿府城と岡崎城は、緊密な連携がとれなくなる。単純な考えであったが、この策が思いもせぬ効果をあげようとは信虎も予期せぬ事であった。 度々、織田信秀の襲撃に松平家は疲れ果て、今川家に救援の使者を遣わした。これは今川家にとって願ってもない事であった、三河に直接兵を入れる口実が出来たのだ。義元はその見返りとして広忠の倅の竹千代(家康)を駿府に人質として差し出すよう要求した。その竹千代が駿府に送られる途中の浜名湖畔で織田に寝返った戸田康光に身柄を拘束され、尾張の熱田に送られたのだ。 これ以後、竹千代は二年間、熱田で織田家の人質として過ごす事になった。この時期に信長と運命の出会いをするのである。 信虎は、まさかこのような事態になろうとは思わず、戸田康光の裏切りをお弓に命じたのだ。調略には時間がかかる、その一点で早めに仕かけたのが功をそうしたのだ。武田家二代の野望(1)へ
Sep 10, 2007
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天文十一年(一五四二)七月、山本勘助が数名の屈強な家臣を引き連れ東光寺に姿を見せた。 「諏訪頼重さまをお連れいたせ」 勘助は無表情に命じ、寺の佇まいに隻眼を這わせて待った。 頼重が姿を現した。既に勘助の訪れた用件を悟っている顔つきである。「山本勘助、我が命もらいに参ったか?」 「御意に」「余はそちに謀られたのじゃな」 諏訪頼重は顔色も変えずに言い放った。「名門、諏訪さまにしては女々しきお言葉を吐かれる。いずれ再び我等に叛かれましょうな」 「・・・・」 頼重は言葉を失った。「その訳を申し述べる必要もございませぬな」 先日の夜に寺から忍びでた男を勘助の手の者が捕らえていた、予想どおり高遠頼継の間者であった。「武田家は上洛が悲願にござる、それには信濃の平定が必要。なれど諏訪さまは何度欺(あざむ)かれる、このままでは信濃平定はならず、ここに自害を勧めに参りました」 山本勘助が非情ともとれる言葉を浴びせた。「貴方さまのご側室(小笠原長時の家臣、小見某の娘)がお生みなされたご息女は武田家が貰いうけます。名門諏訪氏のお血筋はいずれ甲斐源氏と交わり永遠に残ります、この山本勘助が請負まする」「生まれた子が男子なら殺すか?」 頼重の顔色が心持ち青白くみえる。「武田と諏訪の結束の賜物、良き御大将にお育て申す」 「よう判った」 ここに諏訪頼重は自刃して果てた、享年二十八才であった。『おのずから 枯れ果てにけり草の葉の 主あらばこそ又も結ばめ』 これが諏訪頼重の辞世の句である。 この一件は瞬く間に信濃全土に知れ渡り、諏訪郡の宮川の西を制した高遠頼継は、武田家の力に恐怖し戦備を整いだした。 これを武田晴信は待っていた。九月を迎えると高遠勢は俄(にわ)かに決起し、武田の守る上原城に進攻した。 「勘助、餌に喰らいついたな」「これで諏訪郡は武田家の版図となりましたな、直ちに高遠城に攻め上りましょう」 「上原城はどういたす」 「小城ながら守りは堅うございます」 武田勢と高遠勢の両軍は宮川をはさんで対陣した。甲斐一国を支配した武田勢は大軍であり、合戦の火蓋は武田勢がきった。 先鋒板垣信方率いる二千は猛烈果敢に宮川を渡河し、高遠勢の先陣を突破しその勢いのまま本陣に突撃した。まさに鬼神のような働きである。「緒戦の強さは見事なものですな」 本陣から晴信と勘助が板垣勢の働きを見守っている。この攻勢に堪えきれず高遠勢が潰走し、高遠頼継は居城である高遠城に逃げ戻った。 ここに武田家は念願の諏訪全土を手中に治め、信濃進攻の橋頭堡としたのだ。こうして晴信と勘助はいよいよ諏訪湖の北方の信濃守護職である小笠原長時の林城、深志(ふかし)城を次ぎなる標的とした。 晴信は甲斐の治世にも意を配り、この年には暴れ川と異名をとる釜無川の洪水防止の堤防工事に手をそめ、さらに佐久郡までの棒道工事にも手を入れたのだ。これは機動力を重視した軍事道路で後に、信玄の棒道として北方諸豪族の恐怖の的となるのだ。 武田家は甲斐と新しく得た諏訪の経営に意をそそぎ、合戦は小康状態を迎えていた。この時期に晴信は諏訪頼重の息女を側室とした。後年、諏訪御料人と言われ、勝頼を生む事になる。 更に駒ケ岳山麓に大牧場をもうけ騎馬隊の充実策として黒馬の繁殖に乗りだし、各支城に狼煙台(のろしだい)を設置し、情報網を構築しだした。 天文十三年の七月に刈谷城主、水野忠政(ただまさ)が急死した。 信虎の謀略が効をそうしたのだ、まんまとお弓は毒殺に成功した。 九月に新しく刈谷城主となった倅の水野信元(のぶもと)は、父の死を契機とし駿河の今川家から離脱し、尾張の織田信秀(のぶひで)に属した。武田家二代の野望(1)へ
Sep 8, 2007
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上原城の搦め手の大扉がひらいた。 「敵勢、退きますな」 真っ先に騎乗した諏訪頼重の姿が見えた。諏訪勢は頼重を囲むように一団となって退いてゆく。 百騎あまりの騎馬武者が、颯(さっ)と横合いから猛烈な攻撃を仕掛けた。 先頭には武田の若き猛将山県三郎兵衛が、自慢の大身槍を旋回させている。 芋を洗う混戦の中、諏訪勢の騎馬武者が次々と突きふせられ馬上から落馬している。諏訪頼重が数十騎の武者に守られ、樹木の翳に見えなくなった。「退(の)き鉦(がね)じゃ」 勘助の冷静な声で戦場に勝鬨があがった。 敵の戦死者五百余名、負傷者数知れず、ここに上原城は落城した。生き残りの諏訪勢は北方の桑原城に逃げ込んだ。ここに信濃の名門、諏訪家の終焉が訪れようとしていた。 桑原城の大手門に、大角のわき立て兜をかむった騎馬武者が白旗を掲げ近づいて来た。隻眼を光らせ異相な顔つきをした山本勘助である。「開門。拙者は武田家の家臣山本勘助にござる、我が主人の名代として罷りこした」 「暫時(ざんじ)待たれよ」 勘助は兜の眉庇から油断なく隻眼を光らせ輪乗りをつづけている。城門がきしみ音をあげ開かれた、数人の武者がどっと勘助の周りを取り囲んだ。 篝火が夜空を焦がしている。 「ご使者のご用向きを伺いたい」 偉丈夫(いじょうぶ)な体躯の武者が厳しい声をあげた。「我が主人の名代として参ったからには、諏訪頼重さま以外の方に申し上げる訳には参らぬ。あれをご覧あれ」 勘助が四方を指した、桑原城の周囲はおびただしい松明で覆われている。「我が武田勢は総力をあげこの城を包囲してござる。重ねてお取次ぎをお願い申す」 「驕(おご)るな。我等はこの城を枕に討死と覚悟しておる」 殺気が漲った。「待て待て。余が諏訪頼重じゃ、ご使者のおもむき奥で聞こう」 山本勘助は青竹にすがり、肩を左右にゆすり奥に導かれた。主殿の板敷きの一段上に頼重が腰を据え、勘助の異相な面構えを眺め口をきった。「晴信殿の口上を述べられよ」 「はっ」 勘助が威儀を正した。左右には諏訪家の重臣連が無言で控え居並んでいる。「申し上げます。我が主人の申すには既に諏訪さまの命運極まった。このうえの殺戮(さつりく)は好まぬ、よって諏訪さまは甲斐の東光寺にて謹慎。ご家来衆には何のお咎めもなしとのお言葉にございます」「何をもって証明なされる?」 先刻の武者が声を強めた、勘助の隻眼が凄味をました。 「諏訪の名門の血脈を絶っても武門の意地を通されるか、ならぱ拙者の命を奪われよ」 「山本殿と申されたな、余が小笠原に騙されたのじゃ。義弟として浅はかであった、余は晴信殿の申し出に従う。家来たちの命はよしなにと晴信殿に申し上げてくれ」 「殿ー」 「勝敗は時の運じゃ、武門に生きる者として嘆くまいぞ」 かくして諏訪頼重を伴って武田勢は一斉に軍を返し古府中に戻った。 諏訪頼重は東光寺にあずけられ謹慎生活に入った。 躑躅ケ崎館で晴信と勘助が密談している、晴信は勘助の並々ならぬ力量を知らされ、改めて加増し武田の軍師とした。この合戦で諏訪郡は宮川を境とし西を高遠頼継が、東が武田家が支配する事となった。「勘助、諏訪頼重をどういたす?」 「お斬りになされませ」 勘助が事もなげに言い切った。「後味が悪いの、・・・して名門諏訪の血はいかがいたす?」「頼重殿に嫁いだねねさまには虎王丸さまが居られます。諏訪の血を継いでおられます」 「うむー」 晴信が太い腕を組んで考えこんだ。「恩赦いたせば、また御屋形さまに楯をつきましょう」 晴信にも判っている事であった。 「話は違うが高遠頼継をいかがいたす?」「信濃攻略が武田の悲願、既に策はうってございます」「策はあると申すか?」 晴信の若々しい顔が桜色に染まった。「高遠頼継殿は強欲で聞こえております。日ならず諏訪全土を手中にせんと戦を仕掛けて参りましょう」 「後ろ盾は信濃守護の小笠原長時じゃな」「御意、両家も攻め滅ぼします」 勘助が当然といった顔つきで答えた。武田家二代の野望(1)へ
Sep 7, 2007
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「勘助、その先をどのようにみる」 信虎の眼光が炯々と輝いた。「越後の長尾家、下手をうてば甲斐は終りにござる。国主の影虎殿、稀有の器量をもっております」 勘助の言葉を信虎は無言で聞いた。「武田家は上洛の望みありと推量いたしました、それには駿河支配が必要です。その布石として貴方さまは駿河に参られましたな、・・・太原雪斎殿、大いに邪魔者となりましょうな」 勘助が言葉を区切りながら低く囁いた。「山本勘助、それ以上もの申すな」 「はっ」 信虎は初めて背筋に悪寒がはしった、恐ろしきかな山本勘助。目前の異相な顔つきに気おくれがした、じゃがこの男使える瞬時に判断した。 「推薦状、書こう」 声が擦(か)すれた。 「有り難き幸せに存じます」「浮かれるな、そちはわしの配下として晴信に仕えるのじゃ。それを忘れるな」「心得ておりまする」 暫く雑談をかわし山本勘助は辞去した、どっと疲れを感じ信虎は脇息に身をもたせた。晴信の奴は勘助を使うか、案外と気に入るかもな、倅の晴信の心中を読みきっていた。 甲斐は今まで国主の器量で生き延びてきた。将にはことかかぬが、帷幄(いあく)の内に策をめぐらす軍師に欠けていた。あの男ならやるだろう、信虎はそう考えた。「御屋形さま、明りも点けずにいかがなされました」 小姓の川田弥五郎の声で我を取り戻した。 「弥五郎、酒を頼む」「はっ」 「ところで腰元の麻衣は気に入ったか?」「はい」 弥五郎が顔を染めすっ飛んで行った。 「初心な若者じゃ」 信虎が一瞬顔をゆるめたが、にやりとほくそ笑んだ。これから面白い見せ物が見られる、三河が再び騒々しくなるのだ。 信虎は大杯を手に思案している。晴信は諏訪攻めを始めような、山本勘助め奴は晴信をどう御する。久しぶりに信虎は血の滾りを感じていた。 山本勘助の仕官がなった知らせが信虎にもたらされたのは、年明けの天文十一年であった。禄は百貫と聞かされた。 (諏訪平定) この年の六月、晴信は高遠頼継と同盟をむすび二万の大軍で諏訪に進攻した。諏訪頼重(よりしげ)は寡兵(かへい)のため上原城に籠もって防戦した。 武田の本陣には諏訪法性と孫子の、二流の御旗が風に靡いている。「勘助、力攻めにいたすか?」 晴信が新参の軍師を揶揄うように尋ねた。「御屋形さま、小勢とは申せ敵は城に籠もっております。一服の絵を見るようにご覧下され」 「洒落た戯言(たわごと)を申すは」 勘助は思案していた、もう一ヶ月も包囲したまま日が経っている。このままでは兵の士気が緩む。「御屋形さま、諏訪口の高遠さまの兵をお引き願います」 勘助の具申に晴信が不審そうな顔をした。「敵は焦りから絶望感に取り付かれております、一方の退(の)き口が空になれば死を恐れます」 「判ったぞ勘助、わざと逃すか?」「左様、退きぎわを騎馬で叩きまする、若い将にお命じなされ」「そちは時々、判らぬ事を申すな」 「戦の経験が将と兵を強くいたします。その機会を与える事が武田の強くなる秘訣にございます」「さらば、山県三郎兵衛に命じよう」 晴信が素早く反応した。「百足衆(むかでしゅう)、急ぎ山県に余の命を伝えよ」 「うけたまわります」 百足衆とは武勇に優れた七名の使番を言う、全員が百足の旗印を背負っているところから、この名前の由来があった。「狼煙(のろし)をあげ合図をいたせ、高遠勢の引き上げを確認したら力攻めにかかる」 城内の様子がなんとなく慌しくなって見える、策に喰らいついたな。 勘助の隻眼が鋭く瞬いた。 「板垣信方さまに仕掛けよと申せ」 先陣の板垣勢が鬨の声をあげ進撃を開始した。青貝摺りの愛用の大身槍を振り廻し板垣信方が真っ先に馬腹を蹴った。「甘利勢も仕掛けよ」 「甘利虎泰、仕掛けます」 二陣の甘利勢も猛烈な勢いで押し出した。 「わあー」と喚声があがり武田家自慢の騎馬武者が突撃して行く。炯々と法螺貝が城方より吹き鳴らされ、矢が雨のように降り注いでいる。「城内に矢を放て」 晴信の下知で太鼓の乱れ打ちが始まり、武田の弓隊が弦を引き絞り放った。ざざっと不気味な飛翔音を響かせ城内に矢が打ちこまれた。 板垣勢が城門に取り付いたようだ、勘助が仁王立ちとなり城を睨んでいる。武田家二代の野望(1)へ
Sep 6, 2007
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「さすれば甲斐は諏訪に進攻いたしますか?」「念願でござった諏訪攻めでござる、晴信は我が子ながらしぶとい」「成程」 朝比奈泰能が得心の面持ちで信虎の魁偉な顔を見つめた。「今日の富士のお山は見事にござるな。甲斐から見るのも良いが駿河からは一段と趣がござる」 信虎が話の腰を折るように真っ青な空に聳えたつ富士を誉めあげた。甲斐の地と異なり、この大広間からは駿河の肥沃の土地が広がり眼を転ずると青々とした駿河湾が一望できる。(今に甲斐がこの駿河を手にする) 信虎は無言で胸中で呟いていた。 信虎の言葉が現実となった、晴信は韮崎で小笠原、諏訪の連合軍を破り信濃に駆逐したのだ。その知らせが駿府にもたらされたのは、二日後の事であった。 こうして天文十年は暮れようとしていた。 一方の今川家も慌しい一年であった。当面の敵は三河をめぐる織田信秀(のぶひで)との戦いである。八月には義元率いる今川勢が小豆坂(あずきざか)で完膚なく叩かれ敗れたのだ。その後は小康状態を保っているが、いつ織田勢が三河に現われるか判らぬ情況であった。 そんな時に今川家にとり、憂いるべき変事の知らせが届いた。 尾張知多の豪族、水野忠政(ただまさ)の病が著しくないとの知らせであった。 水野忠政は初め織田に属し、岡崎城の支城安祥城(あんじょうじょう)を落城させ織田の先鋒をを務めたが、その後、今川と和睦をし三河の守将として刈谷城で織田勢に睨みをきかせてきた。しかし、嫡男の水野信元(のぶもと)は大の織田びいきで知られ、万一、忠政の身に不幸が起これば再び三河の脅威は増大する。その頃、信虎は隠居所でお弓と密談を交わしていた。「三河が面白くなって参った。そちは刈谷城(かりやじょう)に赴き忠政に毒を盛って参れ」 「刈谷と申せば水野の殿ですか?」 「うむ。・・・出来るか?」 にっとお弓が笑みをみせ肯いた目元に妖艶な色香が浮かんでいる。「さらば甲斐に里帰りと申して早速にも発て」「あい、したが御屋形さま、わたしの留守中に余り腰元を可愛がっては成りませんぞ」 「馬鹿な」 信虎が苦笑した。「お願いがありますぞ」 「何じゃ」 信虎が不審顔をしてお弓を見つめた。「山本勘助と申すお人に会って下され」 「何者じゃ」「参州牛窪の浪人、城取り築城に長けたお人で隻眼でびっこの男じゃ」「この隠居になにゆえ推挙いたす?」 お弓の切れ長な眸(ひとみ)に真剣な色が刷かれている。 「甲斐の軍師としてお仕えしたい、その仲介をお願いします」「そちは何ゆえ知っておる?」 「わたしの命の恩人じゃ」 「・・・・」「御屋形さま、お弓は刈谷に参ります。今宵、勘助殿が忍んで参ります、会って人物を確かめて下され。気に入りましたなら晴信さまに推挙願いますぞ」 お弓が足音を消し部屋から去った。信虎は黙然と庭先に視線を這わせた、遥か先に遠州灘が見通せる。冬というのに青空が広がっている、肥沃の土地じゃ。 晴信っ、早う信濃を平定いたせ、次なる獲物はこの駿河じゃ。信虎は無言で胸裡の晴信に語りかけていた。「御屋形さま、山本勘助なる浪人がお目通りを願っております」 小林兵左衛門が敷居ぎわより声をかけた。 「通せ」 どのような男じゃ、信虎はお弓の言葉からおおよその想像を描いていた。 小林兵左衛門の案内で大きく肩を左右に傾けながら歩んでくる異相の男が見えた。 「まずは座れ」 「はっ、山本勘助にございます」 信虎の想像をこえた人物が目前にいる、隻眼の奥に凄味が感じられ人の心を吸い込むような光を宿している。「甲斐の倅に推挙せよと申すか?」 「はっ」 その男が平伏した。「軍学に長じておると聴いたが、誰に仕えて参った」「何方にもお仕えしてはおりませぬ」 「かたり者か?」 信虎の眼が細まり声に威圧がこもった。「拙者の眼がねにかのうお方が居られませんでした」「何故に晴信に眼をつけた」 勘助の頬が崩れ隻眼に愛嬌が湧いた。 信虎は瞬間、人代わりした他の男が目前にいるかのような錯覚を覚えた。「大殿と晴信さまの生き方に感じ入りました」 勘助が語りつつ周囲に眼を配った。 「三河は荒れましょうな、織田信秀殿なかなかの仕事人。刈谷城をめぐる駆け引きが面白く感じられますな」 「なにっー」 信虎は声が出ない、わしの策略を見破っておるのか。勘助は構わず言葉を続けた。「甲斐は一刻も早く信濃を平定せねばなりませぬ、その為には諏訪、高遠郡、さらに進んで北信濃を治めねばなりますまい」武田家二代の野望(1)へ
Sep 5, 2007
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下帯ひとつにされ白練の寝巻きが肩先にかけられた。寝所は仄暗く女の匂いがさらに強まった。慣れた感じで下帯が解かれ、女の躯が信虎の逞しい躯にまとわりついた。 「お弓か?」 「あい」 女忍者のお弓であった。 彼女とは何度も同衾した間柄である、暖かい掌が信虎のふぐりを包み込んだ。「お弓、わしは三人の腰元も抱くが悋気(りんき)をおこすなよ」 途端に信虎の躯が宙に浮き寝具の上に放り投げられた、流石は忍びだけある。大の字となった信虎の躯に馬乗りとなり、お弓が腰を浮かせ素早く濡れた秘所に信虎の猛々しい命を埋め込んだ。 信虎の背筋に快感が奔り、思わず太い呻き声を洩らした。お弓の長い黒髪が信虎の胸の上を這い、豊かで柔らかい腰に手を添い上下にゆすりあげた。 彼女の背が弓なりに反り、秘所が微妙に蠢いた。お弓の喘ぎ声が悲鳴に変わり、太腿が微かに震え信虎の逞しい躯に女体が絡みついた。 快楽の熱い迸りを胎内で感じお弓が果てた。荒々しい呼吸が鎮まった。「御屋形さま、わたしを忘れたら許しませんよ」 「忘れはせぬ」「ならば、あの女子どもを抱く事は許してさしあげます」「そちのここが一番じゃ」 「あっー」 お弓が悲鳴をあげた。 信虎がお弓の胎内でぴくっと蠢いたのだ。 駿府城の大広間に甲斐から忍び者が駆けつけて来た。上座の義元が顔を引きしめている。左右には太原雪斎と今川家の重臣朝比奈泰能(やすよし)が忍び者の報告を聞いている。「晴信さまが家督宣言を成された五日後に、はや信濃守護小笠原長時さまと諏訪頼重さまが、手を握られ韮崎(にらざき)に押し寄せております」「して武田勢はいかがいたしておる?」 朝比奈泰能が尋ねた。「はっ、晴信さま八千の大軍を発し躑躅ケ崎館を出陣され韮崎に急行中にございます」 「判った、下がれ」 雪斎が常の如く柔和な声で命じた。「雪斎、そちがほどこした策じゃな」 「御意」 「どのような手じゃ」「簡単な策にございます。武田晴信、父の信虎を追放いたし国主となったが、未だ国人衆は晴信に心を寄せておらぬ。今のうちに甲斐を攻めねば、信濃は甲斐の属国となろう。このような噂を流し申した」「成程な、まんまと信濃守護の小笠原長時が乗ったか。しかし諏訪勢が加担いたすとは合点が参らぬ」 義元が思慮している。「諏訪頼重は信虎殿を恐れ、小県郡に兵を出しましたが、晴信殿は若輩。まだ甲斐全土を掌握されてないと思っての反抗かと推測いたします」「甲斐は勝てるか?」 義元が興味深く雪斎を見つめた。「我が家に救援の要請がないのは、勝てると踏んでの事でありましょう」「一度、舅殿に聞いてみたいの、お呼びいたせ」 義元の命で近従の者が小腰をかがめ大広間を去った。「信虎、罷りこしました」 大広間に巨体を現し三人に深々と辞儀をした。「舅殿、こちらへ、甲斐が荒れておりますぞ」 義元の言葉に信虎が目を細めた。雪斎が現状を説明し、 義元と朝比奈が興味深く信虎を眺めている。「それは何時の事にござる?」 「三日前と報告を受けております」「ほう。・・・・ならば決着はついておると考えますな」 信虎が魁偉な容貌をみせ断言した。 「甲斐は無事にござるか?」 朝比奈泰能である。「勿論、信濃の豪族が甲斐に進攻いたせば国人衆、晴信に命をあずけましょう。それもわしの悪逆非道がもと、これで甲斐は晴信の下に固まり申した。悪運の強い奴じゃ」 信虎の顔が紅潮している。「その後の見通しはいかがかな?」 雪斎が柔和な声で問うた。「諏訪の縁戚に高遠城(たかとうじょう)の高遠頼継(よりつぐ)と申す曲者が居ります。わしが諏訪の舅となっておった時は温和しゅうしておりましたが、奴が動きだしましょうな。諏訪本家を狙って晴信に接近いたすと読みます。双方とも利害が一致いたしますでな」 信虎が澱みなく説明した。武田家二代の野望(1)へ
Sep 4, 2007
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信虎一行が駿府城に到着した。義元以下今川家の重臣連が大手門まで出迎えた。これは異例の出来事であった、義元は義父としての処遇を見せたのだ。「これは恐縮に存ずる、落ちぶれ果てた老人にこのような晴れがましいお出迎えは汗顔のいたりにござる」「なんの、我が舅殿が参られるとお聞きいたし喜びひとしおに存ずる」 義元は信虎の手をとり客殿まで案内(あない)した。(この若造なかなかの食わせ者じゃな) 信虎は胸裡で呟き客殿の定めの席に腰をおろした。 「舅殿、我家の軍師を紹介いたす」「これはご丁寧な」 「信虎さま、拙僧が太原崇孚にございます」「おう、ご貴殿が有名な雪斎殿か、今後お世話になり申す」 信虎の魁偉な容貌と崇孚の柔和な風貌が、対照的に義元の眼に映った。 早速、宴会が始まった。信虎等四人の膳部に海の幸がこぼれんばかりに盛られてある。 「ささ遠慮のう食されませ、家来たちもじゃ」 義元が満面の笑顔で勧めた。 信虎が真っ先に鰹の刺身を口にして覚えず舌鼓をうった。 「これは美味い」 「今の季節が旬でござる」「駿河は豊かですな、それに引きかえ甲斐は貧しい」 信虎の本心であった。 四人が酒を忘れ海の幸をほうばっている。「これは何でござる?」 「鮑(あわび)の蒸し煮にござる」 義元が屈託ない態度で信虎を眺めているが、信虎、間違いなく古狸じゃ。太原崇孚が鋭く見つめていた。「ところで我が家人(けにん)を紹介つかまつる」 信虎が三人を紹介した。「余が義元じゃ、舅殿の恩義にむくいよく駿河まで参ったの。礼を申すぞ」「勿体ないお言葉身に染みまする」 小林兵左衛門が代表し礼を述べた。「義元殿に無心がござる」 「はて、何事にござるかな」「この女子は腰元のお弓と申す、女子の身で甲斐に未練がござる。時々里帰りなんぞさせてやりたいと存ずるが、宜しゆうござるか?」「そのような些事。余に相談せず舅殿の気ままに成され」 「かたじけない」「お疲れにござろう。隠居所を用意いたしてござる、お引取り頂きご家来衆と気儘(きまま)になされよ」 今川家の用人に案内され信虎一行が下がって行った。足音が途絶え、待っていたかのように雪斎が口をひらいた。「御屋形、あのお弓と申す腰元は忍びにござるぞ」 「余も気づいておった」「あのような事を気儘に受けられては困りますな」 「四人で余の首を狙うか?」「いや、我が家の機密が甲斐に洩れるが恐いと申しあげます」「雪斎、その逆もあるぞ」 義元が笑いおはぐろが黒くちらりと覗いた。「これは恐れいりました。詭計(きけい)で事を制しますか、御屋形も隅におけませぬな」 二人が声を殺し含み笑いをあげた。 信虎は案内された隠居所をみて驚いた。「これは豪気な、甲斐を追われたわしにこのような立派な館を下されたか。戻り義元殿に、この舅が喜びに咽んでおったとお知らせ申して下され」「畏まりました、ご用を致す者たちをお目どうりたいたさせます」 用人が手を叩くと信虎の前に腰元五人が、豪華な衣装姿で平伏した。いずれも目が覚めるような美貌の女たちである、小者も十名ほど手配りされていた。「いずれも、舅さまの勝手にとの仰せにございました」 信虎は国を追われた我が身の境遇を忘れた。「兵左衛門、酒の用意をいたさせよ。今宵は気のむくまで飲もう」 信虎と小林兵左衛門は腰元たちに囲まれ、今までの憂さを晴らした。二人は強かに酔った。 「そちの名はなんと申す」 「はい、麻衣と申します」「良き名前じゃ、年はいくつじゃな」 「十六才となります」 切れ長の目をした美女であった。 「そちはわしの小姓の川田弥五郎の世話をいたせ」 麻衣は肯いて去った。 「次ぎは兵左衛門じゃな」 「何事にございます?」 信虎の魁偉な顔が崩れた。 「この駿府に我等は骨を埋める事になろう。女子なしでは淋しい、好きな女子を連れて行け」 小林兵左衛門が酒の酔いで赤らめた顔を更に赤らめ、狼狽している。「遠慮は無用じゃ、あとはわしが気儘にいたす」 「あの者が気に入りました」 見ると腰元の方も満更でない素振りをしている。「兵左衛門、わしは床につく、女子を伴って消えよ」 信虎はゆらりと酔った躯を起こし、奥の寝所に向かった。豪華な寝具が敷かれている。彼は兼光の大刀を枕元の刀掛に立てかけ、水差しを手にし直に飲干し、「ふっー」と大きく酒臭い息を吐き出した、微かに襖のひらく音がした。「着替える」 野太い声で命じた。微かな化粧の匂いが鼻梁に漂い、柔らかい手の感触が腰のあたりに感じられ、袴と着物を脱がされた。武田家二代の野望(1)へ
Sep 3, 2007
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新緑に覆われた両側の山裾に騎馬武者の群れが現われ、一行を見守るように二筋の流れとなって進んでいる。「おう、板垣信方か原虎胤も居るの、左手は甘利虎泰じゃな見事じゃ」 信虎が眩しそうに眼を細め眺めた。 「晴信、甲斐は騎馬軍にいたせ」 父子は無言で進んだ。騎馬武者の先頭に三騎が進みで片手を突き上げている。三人の重臣の訣別の合図であろう。「今生の別れじゃ。二度と会えぬじゃろうが健吾に過ごせ」 「父上も」 初めて心を通わせた時が別れであった。 甲駿(こうすん)国境から一軍が姿を現し、一騎の騎馬武者が駆け寄ってきた。「そこにおわすは武田晴信さまのご一行とお見うけいたす、拙者は今川の家臣大井美濃守にござる。お迎えにまかりこしました」「余が武田晴信じゃ。出迎えご苦労、父信虎さまをお引渡しいたす」「晴信、さらばじゃ」 信虎が馬腹を蹴った、数十名の家臣が追走している。「甲斐はこの晴信が治めます」 晴信が声を張り上げた。「これが己の父に対する仕打ちか、親不孝者め。わしは一生そなたを憎む」 信虎の野太い声が切れぎれに聞こえてくる。父上は最後まで今川を欺(あざむ)かれるのか、晴信は父が国境の山並みに消え去るまで見送った。 馬首を返すと板垣信方、甘利虎泰、原虎胤の三将が控えていた。 ここに甲斐源氏武田家十七代国主が誕生したのだ。 武田大膳太夫晴信二十一才の時であった。 信虎は己を慕ってきた家臣を甲斐にもどした、最早、扶持(ふち)する力もないし彼等の将来を案じての事であった。だが三名の者だけは信虎の傍らを離れる事はなかった、直臣の小林兵左衛門、小姓の川田弥五郎に信虎の腰元お弓であった。このお弓は信虎が信頼する女忍び、いわゆるくノ一であったが、時には信虎の閨の相手もした。彼等一行は駿河の山岳地帯をぬけ一路、海ぎわにある駿府城を目差した。 (女忍びと勘助) 駿府城では義元と太原崇孚が膝を交え語りあっていた。崇孚は雪斎と号し、今は義元の軍師を務めているが。彼は河東第一の伽藍とうたわれた禅宗寺の善得寺で修行をし、のちに京に上り建仁寺で禅の修業を行い剃髪した。二十七才の時に乞われて今川氏親の四男義元の養育係りとなり、義元が家督を継ぐと軍師として仕えるようになった。太原なしでは今川家は成り立たないと言われた逸材である。彼はこの年四十五才となり義元は二十二才となっていた。「雪斎、明日には甲斐の古狸が参るであろうな」 烏帽子、直垂姿の義元は歯をおはぐろに染め、胴長、短足が特徴である。「御屋形、なんと申しても舅にござるぞ言葉を慎みなされ。併し、晴信殿を頼むと言われた時は驚きました」「そうじゃの、晴信殿は若い。古狸が甲斐に居座っては当家にとって何事も油断がならぬ、そういう意味では僥倖(ぎょうこう)かの」「左様、なれど信虎殿は歴戦の猛者(もさ)、この駿府で何を画策されるか判りませぬ、ご用心のほど」 雪斎の柔和な顔が桜色に輝いているが、眼だけは笑いを忘れたように底光りしている。「余は東海一の弓取りじゃ、古狸の使い方今から考えてある」 「いかが成されます」 雪斎の顔に興味の色が浮かんだ。「すでに城の近くに隠居所をしつらえてある、酒と女子を与え様子をみる。いざとなれば一手の将として我が今川の先手として遣こうてやる積りじゃ」「それも良きかな、剛勇で鳴らしたお方で御座いますからな」「それにしても武田晴信、なかなかの男じゃの。古狸の子飼いの武将連を全て手のうちに入れたと聞く」 「中心で動いた武将は板垣信方、飯富兵部等と聞き及びます。これも信虎殿の悪逆非道のなせる所為、今後は諏訪殿の動きが微妙になると思うております」「諏訪頼重、先年に古狸の三女を嫁にもろうたと聞いておる。果たして動くかの」 義元が雪斎に問いかけ、雪斎が微妙な顔つきを見せた。「すでに手は打ってございます。近々には武田家に背きましょうな」「流石は余の師じゃ、晴信殿の器量がはかれるの」「だが余り甲斐を混乱に巻き込みますと、我が今川の三河攻略に差し障りがございます。その時には援軍を差し向けます」「うむ、甲駿同盟を強固にせずばの」「北条が動けば、元も子もなくなります」 二人の密談は更に続いていた。武田家二代の野望(1)へ
Sep 1, 2007
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