全28件 (28件中 1-28件目)
1

思うことがありご協力のポッチを下さい あとは己の問題である。御屋形がどう仰せになろうとも、来る合戦を機に世間から消えなくてはならない。これは信虎との暗黙の了解ごとであった。「討死いたせ」 これは、わしの跡を継ぎ甲斐の捨石となれとの信虎の伝言であった。武田の御旗を京に翻すには、謀略につぐ謀略が必要であった。 身を斬られるよりも淋しい事であるが、己以外それを遣れる者は居ない。 信玄公と別れる辛さが身を苛んでいた、それが数ヶ月後と知ると心が震えた。 勘助は秘かに影武者の用意も調え、来るべき合戦で討死を偽装する計画を練っていたのだ。 「あと二ヶ月か三ヶ月後か」 勘助が隻眼を瞬かせ低く呟いた。 関東管領の名跡を継いだ上杉政虎率いる、一万七千名が春日山城を出たとの知らせが、海津城代の高坂弾正昌信にもたらされたのは七月の末である。 直ちにその知らせは躑躅ケ崎館に狼煙でもって伝えられた。「出おったか、越後のいくさ気狂い」 信玄は馬場美濃守信春、飯富兵部小輔虎昌の二将を先鋒として差し向けた。 これは勘助と以前より話し合った結論であった。海津城に武田家の誇る名将三名が詰めた事になる。本隊が不測の事態で遅延しても、なんら心配のない態勢をとった訳である。 八月下旬に越後勢は新井宿からと富倉峠を越え、善光寺に着陣し、兵の部署割りを行っている。この越後勢の動きは、逐一、武田の忍びの頭領河野晋作より古府中の躑躅ケ崎館に知らされてきた。「いつも同じ手口じゃな」 信玄の顔に皮肉な笑みが浮かんだ。 勘助は彼我の兵力に思いを馳せていた。多分、我等は総勢二万余であろう、敵に対し圧倒的な兵力と海津城がある。既に馬場勢と飯富勢五千が入城を果たし、総勢八千名が満を持して籠城している。「御屋形、いっそ海津城のみで越後勢と戦いますか」 勘助が自信の冗談を言っている。「それも面白いの」 信玄にもその気持ちがあるようだ。 越後勢の大軍に八千の籠城兵、一度戦ってみたい誘惑にかられていた。「毘沙門天の化身と武田家の名将三名の合戦はいかがなりますかな」「余も一度、見たいものじゃ」 「さぞ猛烈な戦となりましょうな」 勘助が異相な顔で信玄の肉太い顔を見つめた。「じゃが駄目じゃ、この度の合戦は有無の一戦じゃ。余と政虎でなければならぬ」 信玄、この時四十一才であった。 (第四回川中島合戦) 永禄四年八月十三日、上杉勢は善光寺に五千の後詰めと大小の荷駄を残し、一万二千の大軍を擁し北国街道に入り南進を開始した。 上杉勢動くの知らせが高坂弾正昌信より伝えられ、受けて信玄は十八日に出陣した。本陣の先頭に諏訪法性と孫子の二流の御旗が夏空に靡き、武田菱の旌旗が林のように立ち並び見事な威容である。 信玄は黒糸縅の鎧の上に緋の法衣を羽織り、諏訪法性の兜をかむり駿馬に跨り、躑躅ケ崎館を出た。従うは武田典厩信繁、武田信廉(のぶやす)、武田義信、穴山信良(のぶよし)等のお身内衆と、更に猛将で鳴る赤備えの山県三郎兵衛昌景、内藤修理亮昌豊、陣場奉行の原隼人等の諸将に率いられた部隊が続々と出陣して行った。総勢一万二千名の大軍であった。 勘助は数名の軽兵を率い先駆けていた、一刻も早く海津城に入り越後勢の動きが知りたかった。それと共に秘かな企てのお膳立てもしたかった。 勘助は十六日の早朝に海津城に着いた。「これは軍師殿、早いお着きじゃ」 守将の高坂弾正に飯富兵部、馬場信春が驚き顔で出迎えた。「越後勢の動きは?」 「北国街道から犀川に向かっております」「動きが素早いの」 「夕刻前には、城を包囲するものと思われます」 高坂弾正が浅黄縅の甲冑姿で越後勢の動きを伝えた。この高坂弾正は長年にわたり、北信濃攻略の総大将として任務についていたが、今は海津城代である。彼の勢は全て黄色備えの具足をまとっている。 母衣武者が砂埃をあげ疾走したきた。 「申しあげます」「いかがした」 「越後勢、犀川の雨宮の渡しを渡河中にございます」「ご苦労、下がった休め」 高坂弾正が寂びた声をかけた。「今日中に襲って参りますかな」 飯富兵部がしおから声で勘助に訊ねた。「さて、上杉政虎ひとすじ縄の武将ではござらん、対岸の千曲川に陣を布くのが常道じゃ」 「御屋形の着陣前に攻め寄せますかな」 馬場信春が不敵な顔つきで訊ねた、彼も武田家では名将で鳴らした武将である。 「我等は城に籠もり、防戦あるのみ」 勘助が簡潔に答えた。にほんブログ村 小説ブログ武田家二代の野望(1)へ
Oct 31, 2007
コメント(9)

思うことがありご協力のポッチを下さい「この度の越後勢との合戦は、双方とも今後の戦略転換をはかる重要な戦いとなりましょう。我等は勝利し早い時期に駿河に討って出たい、一方、越後勢は本格的な関東出兵が狙いとなりましょう」 勘助が言わなくても信玄自身が充分に判っている事である。「勘助、この合戦是が非でも勝たねばならぬな。じゃが越後のいくさ気狂いは強い、我等が完勝する事は不可能じゃな」「左様、乾坤一擲の勝負を挑んで参りましょう」「・・・-」 勘助の言葉に信玄が無言で肯いた。「我等は八分の勝利が必要となります、さすれば北信濃の豪族共は我等に靡きましょう。後顧の憂いを絶って上洛するには、これなくば出来ませぬ」「八分の勝利で、父上はそちをいかが為される」 信玄の眼光が鋭く勘助に向けられた。「矢張り、死ねと仰せにられましょう」 「何故じゃ?」「いずれにせよ、拙者は川中島で討死仕ります」「馬鹿な、・・・余が困る」 信玄が呆れ顔をした。 勘助はしばし無言で庭先に隻眼を這わせ、再び口をひらいた。「いずれ、御屋形もご理解できましょう。まずは越後勢、奴等は五分の勝利でも関東制圧に全力を傾けましょう。最早、我等に構っておる余裕はございませぬ」「そちの申す事が判らぬが、この話はあとで再度話し合おう」 信玄にも何か思うところがあるようだ。「話が違うが、今川氏真殿をそちはどう見る」 勘助が居ずまいを正した。氏真は信虎の娘孫であり、信玄には従弟となる。「御屋形、まことの事を喋っても宜しゅうござるか」 「許す」「亡くなられた義元さまに似ぬ腰抜け、忍びの知らせでは弔い合戦の気もなく、毎日蹴鞠に現(うつつ)を抜かし、夜は酒と女に溺れておるそうにございます」「余にも聞こえておる、このままでは父上の身に危険が迫ろう」「いかが為されます?」 勘助が信玄の髭跡の濃い顔を仰ぎみた。「京に隠遁を勧めるつもりじゃ、そちに考えがあるか」「我等と駿河の関係が悪化いたせば、大殿が真っ先に狙われますな」「そうじゃ、京は父上の夢であった。公家とも親しいお方も居られる」 信玄が扇子で肩を叩いて答えた。「拙者が手をうちまする」 「遣ってくれるか?」「今のうちから手をうてば、大殿は安全に駿河から退去できます」「策は?」 「武田の忍びも力をつけました、彼等を使いまする」「うむ、手段はそちに任せる」 信玄が満足そうに肯いた。「御屋形、お耳の痛い話にございますが、聞いて頂けますか」「なんじゃ」 信玄が不審そうな眼差しをした。「板垣信里殿の事にございます」 「信里がいかがいたした」「亡き信方さまには申し訳ありませぬが、信里殿には将器が欠けております」「そちも心配しておったか」 「御屋形もご存じでしたか」 「・・・-」「きたる大戦を控え赤備えの将としては心許なく感じておりました。出来ますれば山県殿に赤備えの将を命じられ、信里殿は国許の郡代に推挙申します」「将器なき者が将では兵の不幸、余から信里に申しておく」「有り難き仰せにございます」 勘助は信玄の成長に感激した、すでに堂々たる武将である。これで心置きなく越後勢と戦える。暫く二人は今後の相談をし、勘助は館を辞し屋敷にもどった。 屋敷にはお弓の姿は消えていた、勘助の登城を見送り旅発ったという。「さても、早きことじゃ」 勘助は昨夜のお弓の膚の感触を思いだしながら自室に籠もった。今の勘助には思案する事がいくらでもある。 先刻、御屋形に語った越後勢との勝負は、五分でよいと勘助は見極めていた。 政虎の置かれた情況を冷静に判断すれば、彼等には勝敗を度外視した名聞が必要であった。我等は負けない戦いで充分である、この一戦を機に上杉家は本格的な関東攻めを始めるとよんでいた。 信里の件もしかりである。彼は今まで赤備えを率い無難にこなしてきたが、この度の合戦では信里の勢から味方が崩れる、そんな予感がしていたのだ。 幸いにも信里は領内の治世なれば安心して任せられる。そこに着目した進言であった。にほんブログ村 小説ブログ武田家二代の野望(1)へ
Oct 30, 2007
コメント(7)

思うことがありご協力のポッチを下さい「万が一、拙者が討死いたしたら、お麻を引き取って下されよ」「縁起でもない事を申されますな」 お弓が眉をひそめた。「この度の合戦は、武田家の総力をあげた戦いとなろう。何か起これば軍師としての拙者の落ち度、それ故にお願いをいたしておる」「判りましたぞ、じゃが念願の上洛を果たすまでは死んではなりませぬぞ」「拙者とて武田家の二流の御旗が京に翻るさまを見たい」 勘助が遠くをみる眼差しで呟いた、そんな勘助にお弓が話題を変えた。「駿河の大殿が死ねと仰せられた訳はなんでございます?」「いずれ、判ろう」 勘助の声が乾いて聞こえ、お弓は胸騒ぎを覚えた。「勘殿は死ぬ気ですか?」 「悪鬼となっても御屋形の上洛がみたい」 勘助の歯切れの悪い言葉に気づかず、お弓が微笑んだ。「そのお言葉で安堵いたしましたぞ」「お弓殿、今宵は屋敷に泊まり、お麻と心置きなく語られよ。拙者も名残惜しい」「勘殿、昔のように可愛がってくれますか?」 勘助が言葉に窮している、そんな勘助を揶揄いつつお弓が隻眼の奥を見つめた。 「それなれば一晩、厄介になりますぞ」 お弓が挑発するように、勘助の細い方の太腿をさすった。 その晩、皆が寝静まった頃、勘助はお弓の寝所を足音を殺し訪れていた。明りを細めた寝所で勘助は獣と化し、お弓の豊満な肉体に溺れ堪能した。「女子とは良いものじゃな、心が和む」 大きく息を弾ませ勘助が吐息をついた。「勘殿も昔と少しも変わっておりませぬぞ、二人は膚が合うのかも知れませぬな」 お弓が、勘助の胸に顔を埋めながら男の乳首をしゃぶった。「もう駄目じゃ、女子はそなたが最後のようじゃ」 勘助が名残り惜しそうに、お弓の乳房を愛撫した。「まだまだ元気じゃ、もう一度、抱いて下され」 お弓が眸を光らせて勘助の股間をさすった。「そうさのう、合戦が済んでからじゃな」 「いま一度じゃ。勘殿が討死なんぞしたら、もう二度とこんな事はできませぬ」 お弓の顔半分が長い黒髪に覆われ、切れ長の目が雌豹のように挑んでいる。「口吸いましょうか」 勘助が苦笑を浮かべた瞬間、素早くお弓の舌がねっとりと絡みつき、股間が熱く燃え滾った。勘助の物がお弓の胎内で執拗に翻弄され、何度、燃え尽きても残り火が再び燃え盛り、二人は絡み合って夜明けを迎えた。 この女子を今一度抱ける日がわしに来るのかな、勘助は胸中で呟いていた。 登城の刻限となり、勘助は供の者を従い屋敷の門前を出た。お弓とお麻の二人が玄関から見送ってくれた、矢張り親子じゃ。 勘助は二人の笑顔を隻眼におさめ、肩を左右に揺すり足を引きずっていた。 躑躅ケ崎館で重臣たちと今後の話し合いを終え、勘助が信玄を見つめた。「勘助、余に話があるようじゃな」 素早く察した信玄が庭に誘った。涼しい風が新緑の匂いを運び初夏の花々が咲き誇っている。信玄が庭石に腰を据え、勘助が傍らに片膝をついた。「何が起こった?」 信玄が青々とした髭跡をみせ簡潔に聞いた。 勘助はお弓が屋敷に居ることを告げ、信虎の言付けを伝えた。「父上も海津城の築城を考えられておられたか」「はい、これを知られたら、さぞお喜びになられましょう」 勘助が頬を崩した。「勘助、城はいつ完成いたす?」 「すでに十日もあれば充分かと」「高坂弾正に伝えよ。近々に余が海津城の検分に参るとな」「さぞ喜ばれましょう、高坂殿は北信濃の守りと同時に普請奉行も兼ねられ懸命なお働きでございました。・・・-」 勘助が何事か言わんとして口ごもった。「勘助、申す事があれば遠慮のう申せ」 信玄が視線を庭の小鳥に移し、不審そうな声を浴びせた。「この度の合戦は武田家の命運をかけたものになりまする。もし、失敗したら、拙者に死ぬとのお言葉がございました」「死ねと仰せられたか、そちは父上のお言葉の意味が判るのか?」 信玄が相貌を厳しくさせ、勘助の異相な隻眼を見据えた。 勘助は無言で信玄を仰ぎ見て、それとは違ったことを喋りだした。にほんブログ村 小説ブログ武田家二代の野望(1)へ
Oct 29, 2007
コメント(7)

面白い思われましたらご協力下さい 越後勢の不穏な動きが河野晋作より、信玄と勘助の許にもたらされた。 越後勢の進攻は多分、八月と二人の意見は一致した。その為に海津城の築城を急いだ。西北から千曲川が流れ、その南の丘陵に海津城が位置している。 更に目を北方に転ずると犀川と千曲川が合流し、そこに広大な平野が開けている。いわゆる川中島である。やや西南に妻女山が見え、犀川を越え妻女山と茶臼山の中間に北国街道がはしっている、景観このうえもない城である。 勘助はこの城が好きであった。ここに武田の軍勢を籠もらせ、主力を八幡原に展開させる、絶対に勝てると確信していた。 既に守将は高坂弾正昌信(まさのぶ)の勢、三千名と決めていたのだ。 この永禄四年(一五六一年)の六月に、お弓が甲斐の躑躅ケ崎の城下に姿を見せた。 「甲斐の城下も立派になったものじゃ」 彼女は新緑の眩い町並みを見回し、迷うことなく山本勘助の屋敷に向かった。 勘殿は居られるかな、そんな思いで門前に佇んだ。屋敷から子犬が駆け出し、それを追って少女がお弓の目前に現われたのだ、それは突然の出会いであった。少女は門前のお弓を不思議そうに見つめた、お麻じゃなと瞬時に悟った。 可愛く成長した我が娘との思いもせぬ再会に、お弓は言葉を失い惚れぼれと見つめた。 「小母さまは父のお知り合いですか?」 健(すこ)やかな少女に育ったお麻は、可憐な声で躊躇いも見せずに訊ねた。 お弓は、お麻の視線が眩しくて覚えず面(おもて)を伏せた。「父は珍しく居られます、お入り下さい」 「お手数をかけますな」 お弓がお麻の案内で屋敷に導かれた。 「おう、これは珍しい」 勘助が隻眼をほころばし肩を左右に傾けながら出迎えた。「勘助殿もお元気そうでなによりです」 「そなたもな」 「もう婆となりましたぞ」 「なんの、まだまだ若い。娘のお麻にござる」 勘助が紹介した。 「お麻殿は、おいくつになられました」「十才にございます」 「もう、そのような年に成られましたか」「小母さまは、わたくしを知っておられますのか」 お麻の顔に好奇心が浮かんでいる。 「早いものですね、あの赤子が」 お弓が笑みを浮かべ肯いた。「お麻、酒肴の用意をいたせと奥の者に申して参れ」「はい、小母さま失礼いたします」 お麻の小さな足音が途絶えた。「勘殿、十年もお世話になって礼を申しますぞ」「何の、礼を申すのは拙者の方じゃ。こんな化け物にも生き甲斐が出来申した」 二人が語りあっていると膳部が運ばれてきた。 「まず、一献参られえ」 勘助とお弓は暫く庭先の紫陽花を見つめ、黙然と杯を干した。「お弓殿、大殿も念願を果たされましたな」 勘助がお弓に視線を移した。「勘殿、大殿のお言葉をお伝いいたします」 「・・・-」「一刻も早く駿河を支配いたせとの仰せにございます」 勘助の異相に苦笑が湧いた。 「我等はその前に遣らねばならぬ戦がござる、それは上杉政虎との決着にござる」 勘助の隻眼が鋭く瞬いた。「大きゅうなられましたな、最早、叶いませぬ」 お弓が勘助の杯を満たした。「こうして何度も飲みましたな、あの頃が懐かしく想いだされます」「お弓殿、まだ大殿は何かを申された筈じゃ」 お弓が信虎の言葉を借り北信濃に対する築城の必要を語った。 それを聞き、勘助の顔が和んだ。「拙者の狙いと一致いたした。我等は大殿の申された地に城を築いております、海津城と申すがの、もう完成まじかにござる。正面に千曲川、さらにその先には八幡原が拓けてござる。越後勢との合戦はその八幡原と睨んでござる」 お弓が勘助の隻眼を凝視した、昔とたがわず眸が濡れぬれと輝いている。「大殿はいまひとつ拙者に申されたであろう」 勘助の視線を受け、お弓が言葉をつまらせている。 「隠されるな、全ては見通してござる」 「・・-」「ならば拙者から申そう、越後勢と決着が付かねば拙者に死ねと仰せられた筈」「・・・-なぜお判りじゃ」 お弓の声がかすれた。「それが判らずして武田家の軍師は務まらぬ」 「この合戦、勝てますか?」「上杉政虎なにを策すか、拙者にも判らぬ」 ふっと勘助の隻眼に憂愁の念が奔りぬけた。 「きっと勝って下され」「勝敗は時の運と申すが、必ず決着はつけます。その後は・・・・」 勘助が言葉を濁した。 「何か心配事でもございますのか?」 お弓の脳裡に不吉な思いが過ぎった。にほんブログ村 小説ブログ武田家二代の野望(1)へ
Oct 27, 2007
コメント(9)

ボッチを宜しくお願いします。「義元、討死の知らせが駿府城に届いた。 「父上がお亡くなりになられた」 倅の氏真(うじざね)が蒼白となった、上洛時の軍勢の威容が思いだされる。 その後の知らせでは、今川勢は織田勢と弔い合戦もせず、寡兵の織田勢を恐れ一斉に軍を引いたという。 「父上は四十二才であられた」 氏真は打つ手も思いつかず、ただ狼狽えるのみであった。 信虎にも義元討死の知らせが届いていた、知らせを持って訪れたのは小十郎であった。 「ご苦労じゃった、とうとうもどき殿は冥途に参ったか」 信虎のしわ深い顔に会心の色が浮かんだが、ほんの一瞬であった。謀略に明け暮れた人生を送った老人は、全てを韜晦(とうかい)する術(すべ)を身につけていた。 「さて孫の氏真殿をお慰めに参上いたすか」 信虎は駿府城を訪れ義元の悔みを述べた。「爺殿、余はいかがいたしたら良いのじゃ、教えて下され」「武将として為すことは弔い合戦にござる」 「織田を討てと申されるか?」「父上がお亡くなりなったとは言っても、氏真殿は駿河、遠江、三河の大守にござるぞ。東海の弓取りとして弔い合戦は当然至極」 「・・-・」「早うせねば、お味方の豪族ども離反いたしますぞ」 現に義元の死を知った上洛の豪族たちは尾張に攻め込まず、己の領内に逃げ戻っている。氏真では弔い合戦は無理じゃ。信虎は先をよんでいるが、宿老の朝比奈泰能や三浦成常等の思惑を考えての忠告であった。「氏真殿、今後は宿老たちの意見を聞いて身を処す事じゃ、この爺の言いたい事はそれだけにござる」 信虎は弔い合戦を進言し隠居所に戻った。 さて岡崎に残った松平元康、いかがいたすかな。わしは自立すると見るが、奴め盛んにもどき殿の弔い合戦を主張しておると聞く、一度、本心を糺(ただ)さねばなるまいな。信虎が再び謀略の先を思案し始めている。「大殿、一大事にござる」 小林兵左衛門が顔をみせた。 「なんじゃ」「岡崎城代の山田新右衛門殿が帰国なされましたぞ」 「岡崎城を捨ててか」「そのようにございます、岡崎城の駿河衆すべてがご一緒にございます」「しゃあー・・・馬鹿な」 信虎の顔が怒りで真っ赤となった。 これで松平元康は三河に留まろう、じゃが奴の動きを止める手立てはある。 駿府には奴の女房と倅の竹千代に亀姫が残っておる、これで奴を封ずる。 何故、これほどまでに信虎が元康を警戒するのか、それには訳があった。 義元亡き後に乗じて駿河、遠江、三河を武田家が支配する、これが信虎の考えであったが、越後の長尾家が関東で思うままに暴れまわり、北条氏康は手を焼き信玄に救援を求めている事が原因のひとつであった。 信玄も三国同盟堅持を重要視し、何度となく関東に兵を繰り出していた。 この為に今川領は手付かずとなり、元康一人の獲物に化してしまう。これを信虎は恐れたのだ、更に織田信長と同盟関係でも結ばれるような事があれば、岡崎の力は倍増する。そうなった暁には、武田家念願の上洛に支障がでる。 案の定、信虎の危惧が現実となった。松平元康が空城となった岡崎城に入城を果たしたのだ、ここは松平家の居城であった。ここで長年に渡る今川家の人質から解放された元康は、戦国大名の道を突き進む事になるのだ。 (海津城) 越後の長尾影虎は上杉憲政(のりまさ)の要請で、彼と関東で北条氏康と烈しい戦いを繰り広げていた。影虎は上杉憲政の代理として関東の諸豪族を率い北条の居城である小田原城を包囲したが、北条勢の守りも堅く一時鎌倉に兵を引いた。そんな彼は三月に関東管領の名跡を譲られ上杉政虎と改名し、本格的に関東制圧に乗り出した。だが政虎の心配は武田信玄の動きにあった、信玄が義元の死で弱体化した駿河を狙う事は自明の理であり、それを阻止するには関東出兵が、上杉家の最大の課題となっていた。これにより武田勢を関東に引きずり込む、いわゆる甲相同盟を逆手にとる策が必要であった。 これが効をそうし武田家は、何度となく関東に出馬していた。だが信玄も強かであった、越後勢が西関東に兵を進めると、すかさず北信濃から越後の国境に進攻する、まるで空き巣泥棒のような振る舞いである。業を煮やした政虎は信玄との直接対決を、秘かに練り始めていた。 これが川中島合戦で最大の激戦となる、第四回の川中島合戦の伏線であった。にほんブログ村 小説ブログ武田家二代の野望(1)へ
Oct 26, 2007
コメント(7)

ボッチを宜しくお願いします。「者共、敵は田楽狭間じゃ、功名をあげよ。狙うはただ一人、義元の首じゃ」 信長が馬腹を蹴って風の中を駆け、二千の織田勢がそれに続いた。 「雨じゃ」 一滴のしたたりが突然、横殴りの大雨と変わった。「天佑(てんゆう)じゃ」 信長が空を仰ぎ甲高い声を発した。彼の口に干天の慈雨のような雨粒が流れこんだ。 この頃、義元の本陣は大騒ぎとなっていた、突然に暴風が襲いかかったのだ。 砂礫(されき)が舞い眼も開けれない状態となった。弁当どころではない、それぞれが近くの大木の翳に避難し、雨を凌いでいる。義元も塗輿に逃げ込んだ。 織田勢は足音を消すこともなく猛進した、周囲の大木がしなり風雨で深緑の葉が、ざわざわと沸騰している。 敵城である鳴海城の南をすり抜け桶狭間に着き、なおも険しい道を前進し今、織田勢二千は、田楽狭間を見下ろす太子ケ根に着いた。 眼下には今川の本陣が見渡せる。全軍が散り散りとなって雨を凌いでいる。 流石に義元の乗った塗輿の周囲には、騎馬武者がびっしりと槍ぶすまで守りを固めている。信長は雨が容赦なく全身を流れるにまかせ、兜の目庇から鋭く眼下を眺め、 「あの輿に義元が居るー」と鞭をあげて叫んだ。 二千の軍勢が暴風の中を泳ぐように散開を始めた、田楽狭間を一周しょうとする作戦である。「わしの合図を待て。義元を討ち取るには旗本同士の戦いとなろう、抜かるな」 信長の端正な顔に勝利を確信した色が浮かんでいる。 雨足がゆるくなり視界が利き始めた。 「全軍、仕掛けよー」 信長が鞭を振り騎馬をあおった。 「おうー」 織田勢の総兵力が一斉におめき声をあげ、山を駆け下り今川勢の本陣に殺到した。「何事じゃ」 塗輿の中の義元が不審な声をあげた。「喧嘩かも知れませぬな」 関口一左衛門が答えた、まさか織田の総兵力の攻撃とは夢にも思わなかった。 「見て参れ」「はっ」 関口一左衛門が槍を小脇に抱え一、二歩騎馬を歩ませ愕然となった。すでに周囲は兵で充満している、それも思いもせぬ織田勢である。「敵じゃー」 「何っー」 周囲の旗本が身構えた。どっと織田勢の人馬が殺到し刀槍が襲いかかった。油断した護衛の騎馬武者が次々と落馬し、泥土に血潮を吸わせている。 「御輿(みこし)を担ぎ出すのじゃ」 関口一左衛門が襲いくる騎馬武者を叩き伏せ叫んだ。運の悪い時は全てが狂うもので、輿を担ぐ雑兵たちが付近に一人も居ない情況となっいた。「御屋形さま、馬にお乗り下され」 替え馬の手綱を持った瞬間、強かに脇腹に槍を受けた。 「下郎ー」 関口一左衛門が太刀を引き抜き袈裟に斬り伏せたが、そこで力尽きた。 塗輿から肥満した義元が太刀を持って転がり出た。「今川殿じゃ」 どっと織田勢が集まった。雨と汗で白粉が剥がれおちた義元の肥満した躯が敏捷に動き、雑兵が血飛沫をあげ地面に転がった。「糞っ」 義元が血走った目で周囲を見回した、最早、絶望的な戦いとなっている。東海の覇者の己が、このような地で敵に首を授けると思うと無念であった。「今川の御屋形、推参」 服部小平太が真っ先に槍を突き出した。「下郎、さがれ」 おはぐろの黒い歯をみせ服部小平太の槍の柄を斬り落とした。義元の胸に憤りの炎が燃え盛っている、尾張の小童にして遣られるとは。 代った毛利新助に怒りの刃を浴びせた義元の肥満した体躯に、服部小平太がしがみついた。振り解こうともがいた瞬間、地面に叩きふせられた。 えたりと毛利新助が義元の首筋に脇差をあてがった、かっと歯を剥いた義元が新助の人差指を噛み切った。そこまでが義元の最後の抵抗であった。 こうして今川義元は、上洛の途中で雄図虚しく命を失った。 織田信長は、こうして乾坤一擲の合戦を制し、美濃、伊勢と勢力を伸ばし天下統一の足掛かりとし、今川家は衰亡の一途をたどる事になる。 言うなれば旧勢力と新勢力の画期的な合戦であった。今川家の諸将は思わぬ敗戦で、織田勢と戦火を交えることもなく争って領内に逃げ戻ったのだ。にほんブログ村 小説ブログ武田家二代の野望(1)へ
Oct 25, 2007
コメント(12)

ボッチを宜しくお願いします。 傍らに付き添う柴田勝家が驚き顔をして、信長の横顔を見つめた。兜を跳ね上げた信長が端正な相貌をみせ、何度も同じ歌を繰り返している。 五月の烈日が容赦なく降り注ぐ。 「暑い」 人馬は汗だくとなり行軍している、暑気が織田勢を襲っている。 「殿ー」 「猿か」 木下藤吉郎が信長の騎馬の横を駆けていた。「武田信虎さまより、今川の本陣の位置を知らせるとの連絡が参っております」「猿っ、それを信じよと申すか?」 信長が木で鼻をくくったような顔をした。「はい、武田も駿河が欲しゆうございましょう、そのうちに吉報が届きます」 信長はしばし思案をめぐらせた。我等が今川義元の首級をあげるならば、武田家は駿河が手に入る、悪い取引ではない。「猿っ、物見を桶狭間に放て」 信長は下知をくだし一心に騎馬を急がせた。「殿っ、雨になりますな」 髭面の柴田勝家が指をさした。 三河方面の空に真っ黒な黒雲が湧き、急速な広がりを見せはじめている。 雨ならば助かる、信長は胸裡で念じた。兵等の疲労も癒され敵勢からも発見される恐れもない。 「吉兆ぞ、皆ども急げ」 信長が甲高い声をあげた。 その頃、今川義元は上機嫌で塗輿に乗っていた。すでに丸根砦と鷲津砦は先鋒隊の攻撃で陥落し、守将の佐久間盛重、織田壱岐守、飯尾近江守の首級が届けられていた。さらに鳴海方面からの敵勢三百名の殲滅の知らせと首がもたらされていたのだ。沿道には今川勢の勝ち戦を祝って近くの禰宜(ねぎ)、僧侶が酒肴を運んで祝いの言葉を述べに来ていた。「関口っ」 「はっー」 旗本の関口一左衛門が騎馬を寄せてた。「折角のご馳走じゃ、早いがお昼の弁当をつかう。本陣の場所を定めよ」「御屋形さま、丁度良き場所がございます」 「涼しいところが良いぞ」「この先に田楽狭間の地が御座います、松林に囲まれた絶好の地」「敵勢の備えに不足はないか?」 義元が首筋の汗を拭っている。「何も心配はございませぬ。前方には先鋒隊が進んでおりますし、本陣の後ろには本隊が居ります」 関口一左衛門が自信ある顔つきで答えた。「よし、輿をその地に入れよ。余も腰が疲れた」 巳ノ刻前、今川義元の本陣が運命の地、田楽狭間に足を踏み入れた。 松林に囲まれた涼しい場所に、急ごしらいの休憩場が作られ幔幕が巡らされた。 「なかなかと風流な場所じゃな」 義元が肥満した躯を輿より降ろし、満足そうに定めの場に足を運んだ。「かかった」 百姓姿に身をやつした小十郎が、松の大木の翳から見つめていた。幔幕の内から義元の声が聞こえてくる、小十郎の小柄な躯が西に向け疾走した。 なるほど桶狭間の地に盆地があるとはな、川田さまは良く調べられたものじゃ。低い丘陵を伝い確認しておいた古寺に音を忍ばせ近づいた。「猿」 中から低い声がした。 「虎じゃ」 小十郎が素早く寺に身を入れた。内に貧相な小男がうずくまっていた。 「梁田四郎兵衛殿の乱波か?」「そうじゃ、勝蔵という」 まるで双子じゃ、二人は暫し相手の顔を見つめあった。それほど二人は似ていたのだ。「義元が田楽狭間の盆地に入り、昼弁当をつこうておる」 「勢力は?」「護衛の旗本が五百名ほどじゃ」 「なんとそのような小勢でか?」「織田勢が攻め寄せるとは考えておらぬのよ」 ぴかっと稲光が奔った。「降ってきそうじゃ」 勝蔵が低く呟いた、何となく風も強まって感じられる。「ここなれば勝てる」 勝蔵の顔がはじめて緩んだ。「ところで、われの名前を聞こう」 「小十郎じゃ」 「小十郎、礼を申す」「礼なぞいらぬ、直ぐに知らせるのじゃ」「いずれ会うこともあろう」 声を残し勝蔵が木立の翳に姿を消した。「勝蔵、われの生まれは何処じゃ」 「判らぬ、天涯孤独じゃ」 風の音に混じり切れ切れに聞こえてきた。小十郎は不思議な感覚に陥ったが、貧相な姿を樹木のなかに隠した。 梁田四郎左衛門は二人の配下を連れて物見として先行していた。ここは己の領地である。 「殿、天候荒れますな」 「うむー」 彼は騎馬で注意深く桶狭間の丘陵を進んでいた。「梁田さま」 突然に馬前に小柄な男が転がり出た。「なんじゃ、勝蔵か。このような場所でなにをいたしておる」「今川義元、旗本衆五百騎と田楽狭間で弁当をつこうてござる」 「まことか?」「武田の忍びの知らせにございます」 梁田四郎左衛門の眼光が鋭く瞬いた。「織田の殿も、この地に近づいておられる。勝蔵共をいたせ」 梁田が馬首を返し、勝蔵も負けずと駆けた。 「流石は乱波じゃ」 勝蔵の小柄な躯が一気に騎馬を抜き木立に消えて行った。「まるで化け物じゃ」 梁田四郎左衛門が眼を剥き馬足を早めた。 知らせが信長にもたらされた。 「間違いないな」 信長が天を仰いだ。 突然、雷鳴が駆け抜け強風が松の大木を揺るがした。にほんブログ村 小説ブログ武田家二代の野望(1)へ
Oct 24, 2007
コメント(10)

ボッチを宜しくお願いします。「梁田(やなだ)四郎左衛門と申す、沓掛(くつかつ)村の豪族の配下で勝蔵と言う」「して、その男との連絡方法は?」 「合言葉じゃ、主は虎。奴は猿じゃ」「猿・・・?」 川田弥五郎が愉快そうに小十郎に告げた。「桶狭間の北に古寺がある、そこで会うことになる」 「それは何時にござる」「義元が、我等の策にのり田楽狭間に休息した時じゃ」「それを確認し猿に伝えますのか?・・・織田勢は一気に押し寄せますか」「そうでなければ勝てぬ」 川田弥五郎の顔つきが引き締まった。「その務めはそれがしが遣ります。貴方さまは岡崎城で存分な働きを為されませ」 小十郎が常の如く抑揚のない声で囁いた。「任せるが田楽狭間の地形を己の眼でしかと確かめよ」「判ってござる」 「今川義元、今頃は引馬城あたりじゃな」「あの短足胴長では馬にも乗れません」 小十郎がはじめて頬を崩した。 事実、義元は馬を好まず、塗輿に乗って進攻していたのだ。東海の覇者と言われた武将も、公卿の真似をして蹴鞠なんぞで躯が鈍っていた。 併し、煌びやかな軍装を身にまとっていた。鎧の上から唐織の陣羽織をはおり、黄金の八龍の前立兜をかむり、累代の陣太刀を佩びた勇姿であった。 今川勢の本隊三万が岡崎城に着陣したのは五月十六日である。直ちに軍議が開かれ部署割が発表され、翌十七日には知立城を経て十八日には前線基地の沓掛城に入城した。ここで最後の軍議が開かれ、翌十九日の夜明けと同時に戦端をきると決した。この沓掛城から見ると桶狭間を越えた位置に丸根砦が、その奥に鷲津砦があり、この両砦が織田の前衛基地である。丸根砦の守将は織田家で聞こえた猛将、佐久間盛重(もりしげ)で兵数約三百名が籠もっていた。 鷲津砦には織田隠岐守(おきのかみ)と飯尾(いのお)近江守が籠もっている。「松平元康、そちは二千名の手勢で丸根砦を陥せ」 十九才となった松平元康が頬を紅潮させ平伏した。「鷲津砦は朝比奈泰朝、井伊直盛が兵にて揉みつぶせ」 義元が常のごとく公卿姿で下知を下した。「両砦を陥し先鋒隊は合流の上、朝比奈泰朝を大将として尾張の熱田方面に進出いたせ」 こうして今川勢の基本戦略が固まった。 深夜を利し五千の先鋒隊が沓掛城から出陣し、境川から尾張領へと侵入し早朝とともに一斉攻撃が開始された。 一方、清須城の信長に今川勢迫り来るの知らせがもたらされたのは、十九日の未明であった。 「来たかー」 信長は湯漬けをかき込み、敦盛を舞った。 『人間五十年、下天のうちにくらぶれば 夢幻の如くなり』 重臣たちは籠城を勧めたが、 「合戦すべき節を失い、死すべき処を逃れなんぞしたら自滅ぞ」と、一蹴し決死の覚悟で単騎出陣した。 従う者は七、八騎のみ、柴田勝家、林通勝等が手勢を率い跡をしたった。「行き先は熱田神宮じゃ」 信長が甲高い声をあげ疾走して行く。 こうして織田勢は熱田神宮で軍勢を整え、戦勝祈願を行い一気に鳴海城方面を目差した。その頃には一千ほどの兵が集まっていた。 夜明けとともに前方に二筋の黒煙が望見された。 「丸根、鷲津砦陥ちたか」信長は騎乗で悟った、彼は熱田から丹下(たんげ)砦、さらに善照寺砦へと兵を進め休息した。ここで最後の攻撃準備を整えた、兵数は約二千と膨れている。 彼は前線におびただしい物見を放った、敵の今川義元の所在が知りたい、その一念で一杯である、既に鷲津砦、丸根砦の陥落の知らせは、血塗れの伝令より信長に届いている。 「者共、敵に向かって駆けよ」 「おうー」 織田勢は一丸となった。今の信長には何も策がない、ただ今川勢に立ち向かうのみである。中島砦を迂回した時、またもや敗報がもたらされた。 鳴海方面を進んでいた織田勢の佐々政次と千秋季忠の兵が、今川勢の先鋒と鉢合わせし殲滅されたとの知らせである。 「全滅か」 馬上で信長が独り言を呟いた、刻限は巳ノ刻半(午前十一時)をまわっている。 以前として今川勢の本隊は不明のままであるが、信長はまだ諦めていない。 兵を率い馬上で鼻歌を低く歌っている。「死なうは一定、しのび草には何をしょうぞ、一定語りおこすのよ」にほんブログ村 小説ブログ武田家二代の野望(1)へ
Oct 23, 2007
コメント(10)

ボッチを宜しくお願いします。 「小十郎、弥五郎に伝えよ。今川の上洛が失敗に期したら、迷わずに松平元康のもとに仕えよと申せ。今から武田の隠れ忍びとなって信玄を助けよと申すのじゃ、そちも武田の忍び衆なるぞ忘れるな」 信虎が驚くべき事を述べた。 小十郎が無言で皮袋を懐にしまっている、それは了解したとの意志表示である。 「わしの話は終った。暫くは世間の動きを楽しむ、お弓っ」 「あい」「そちは明日にでも甲斐に発て、河野、その方も一緒に甲斐に向かえ」「はっ」 信虎の謀略の凄さに河野の脇の下から冷たい汗が滴った。「さて先刻、勘助が川中島付近で城を築くと申したが、どの辺りじゃ」 信虎が河野晋作に眼を転じた。「山本さまは何もあかされず、拙者ごときには判りかねます」「あの辺りの地形が瞼の裏に浮かんで参るは」 信虎が懐かしそうに目蓋を閉じた。最近は頬にたるみが現われ、年を感じさせるようになっていたが、時折、見せる凄味が往年の武将の面影を彷彿させる。「城を築くには妻女山の麓(ふもと)の東、千曲川の前面が良い。それも北方に八幡原が見通せる箇所じゃ。合戦は八幡原と予測いたす、そこに堅固な城を築けと勘助に申せ」 「何故、お判りになられます?」「わしの狙いも越後であった、一日も早くその地に城を築かねばな」 (桶狭間合戦) 永禄三年(一五六0年)五月八日、今川義元は念願の三河守に任じられた。 これを待って十日に上洛軍先鋒隊の井伊直盛(なおもり)と松平元康が三千の兵を率い出陣した。東海の覇者、今川義元の天下制圧の門出である。 先鋒隊は大井川と天竜川の中間点の掛川城で朝比奈泰朝(やすとも)の二千を加え、岡崎城に進出する予定であった。二日遅れの十二日に義元本隊が駿府城を出陣した、義元は塗輿に乗っての出陣であった。 行軍速度は緩やかで、夕刻には藤枝に着陣し軍勢を整え、翌日には大井川を渡河し掛川城に入った。 「尻が痛いは」 義元は二日の行程で音をあげた。「何を仰せにござる、京まで何日かかると思われます。今から泣き言は聞こえませぬぞ」 宿老の三浦成常が声を強めたしなめた。それほどまでに義元は肥満していた。併し、今川勢の軍装は煌びやかで旗指物を風に靡かせ、南に海を見つめ堂々の行軍であった。 十四日には天竜川を越え浜名湖を目前とした地にある、引馬城に入城し、その夜は盛大な宴会を催した。 「尾張の様子はどうじゃ」 義元が大杯を手に上機嫌で尋ねた。 「未だ気づいた様子はございません」「うむ、岡崎を過ぎたら厳重に見張りをたてよ」「御屋形さま、我等は遠江の地でございます。尾張の小童が知る訳がございません」 宿老の一人朝比奈泰能も上機嫌で答えていた。「そうよな明日は吉田城じゃな、井伊谷城、長篠城、田原城の兵も集結いたしておろう。余はそれが楽しみじゃ」 「左様、我が勢は一気に倍になりましょう」「駿府を出た時は一万じゃが、明日には二万を超すか」「いや、二万五千は下りませぬ」 「部署割は大事ないの」「抜かりはございません」 こうして十四日の夜が暮れていった。 その頃、小十郎は岡崎城に忍び込み川田弥五郎と密談を交わしていた。「川田さま、桶狭間は大殿の言われたような地形にござるか?」「桶狭間ではなく、その東の田楽狭間とみた」 「訳がござるのか」「松林に囲まれた盆地じゃが、本陣の休息場としてはもってこいの地形じゃ。恐らく義元はそこで昼弁当をつかう筈じゃ」 「何故、そのように思われます」「拙者は何度となく三河と尾張の国境の地形を見た。大殿の申される如く道は狭い、恐らく先鋒隊の戦果を確かめるまでは、今川の本陣は動かぬ」「本陣を固める兵力は?」 珍しく小十郎が真剣な顔をしている。「休息できる盆地は、旗本の騎馬武者が五百騎も入れば一杯じゃ」「あとの大軍は盆地の外と申されか」「左様、あまりに大軍がひしめいては、何か大事が起こったら動けぬ」「決まりましたな。織田の間者との連絡はついておりますか?」「織田の乱波(らっぱ)の一人と知り合った。奴は中島砦におる」「名はなんと申す」 小十郎の細い眼が鋭く輝いた。にほんブログ村 小説ブログ武田家二代の野望(1)へ
Oct 22, 2007
コメント(6)

ボッチを宜しくお願いします。 「そうなされ、さて義元殿は甲斐の事をなにか申されなんだかの?」「その件にございますが、舅殿の折角の仰せながら辞退いたすと申されました」「なんと、・・・辞退されると申されたか」 信虎が呆然と一左衛門をみつめた。「今の関東を見渡せば北条殿の苦戦、見逃せぬ。ならば越後を攻めて頂けとのお言葉にございました」「流石じゃ。天下を狙われる義元殿なればのお言葉、信虎、感服つかまったとお伝え願いたい」 こうして口上を終えた関口一左衛門は戻って行った。「我が策、万全じゃ」 思わず独り言が口をついて出た。 その夜、ひっそりと二人の男が隠居所を訪れた。一人は武田の忍びの頭領、河田晋作とお弓の配下の小十郎であった。 四人を前にして信虎が今川家の上洛の件を語っている、一人、小十郎のみが壁際に身を寄せ聞き入っている。「大殿、今川義元殿はこの度の遠征で最後を遂げられますか?」 河野晋作が眼を細め忍び声で訊ねた。 「万にひとつも助からぬ」「さすれば駿河は甲斐が支配できますな」 信虎の巨眼が河野の注がれた。「倅の氏真(うじざね)は器量不足、早う越後との戦に決着をつけ三河、駿河、遠江を攻め取れと信玄に伝えよ。ところで北条より使者が参ったと聞くが本当か」 「越後国境に出兵を促す要請をもって訪れました」「信玄はいかがいたす」 「山本さまの策を取られるものと心得ます」「勘助の」 「近年中に越後勢と最後の決戦が起こると山本さまは見ておられます、その為に川中島付近に城を築くお積りにございます」「・・・-、北条氏康への援軍はせぬと言うことか?」「その代わりとし石山本願寺の顕如さまを動かし、加賀、越中の一向門徒衆に一揆を起こさせる腹積もりにございます」「ちんば遣るは」 信虎が口汚く罵った。「我が軍勢を出さずとも、結果は同じにございます」「どうも策が多い、お弓、そちは河野と共に甲斐に参り勘助に会って参れ」「何を聞いて参ります」 燭台の明りがお弓の横顔を照らしだしている。「勘助の本心じゃ。それに今度の越後勢との合戦は必ず勝てと申して参れ、もし決着がつかねば討死いたせと申して参れ」「勘助殿に命を絶てと仰せか」 「そうじゃ、役たたずが」「大殿は気が狂われたましたか」 「わしは正気じゃ、そう申せば判る」 燭台の炎に照らされた信虎の容貌が凶暴に見える。「甲斐の件は終りじゃ。さて小十郎」 「はっー」 相変わらず抑揚のない声である。 「今川の陣構えが明確となったら弥五郎に知らせる。今のところ知りえた陣形と総兵力の絵図じゃ、これを弥五郎に渡せ」 信虎が皮袋を取り出した。 「これは当座の資金じゃ」「何をいたせと申されます」 小十郎が顔つきも変えずに訊ねた。「そちは岡崎城に入り弥五郎のもとで足軽として仕えよ、義元が討死いたせば」 信虎が言葉を止め燭台を見つめた。重苦しい沈黙が続いた。「大殿は、何が仰せになりたいのじゃ」 焦れたお弓が訊ねた。「松平元康と岡崎衆は恐い存在となろうな」 と、小声で呟いた。「松平元康は岡崎城に留まり、今川家と手切れをいたしますな」「流石は河野じゃ。奴が三河に留まると武田家にとり面倒な存在となろう」 一座が沈黙し信虎の言葉を待った。「織田信長と必ず手を握る」 「我が武田家の敵となると仰せか?」「そうじゃ、武田にとり駿河、遠江は簡単に手に入るが、三河が元康の支配となると難儀な事じゃ」 信虎が野太い声をあげた。「さすれば武田の敵は駿河の今川家と三河の松平家と言うことにございますか?」 「しかし、今川家が眼を瞑るとは思いませぬぞ」「お弓、氏真では駄目じゃ。わしが元康なれば自立いたす。信長が三河に色気を示せば別じゃが、織田は美濃に目が向いておる。奴等が手を握ることも考えずばなるまい」 お弓と河野晋作が顔を見つめあった。 恐ろしいお方じゃ、こと謀略にかけては山本さまよりも上手じゃ。心胆、河野晋作は信虎を恐れた。にほんブログ村 小説ブログ武田家二代の野望(1)へ
Oct 21, 2007
コメント(5)

ボッチを宜しくお願いします。 「余の考えも舅殿と同様じゃ、我が今川家が総力をあげての上洛じゃ。誰に遠慮がいるものか」 義元がおはぐろをみせ嘯いた。「義元殿、軍勢の数と上洛の武将の方々は決まりましたか?」 「それが?」「この隠居にも考えがござる、聞いて頂けますかな」「お待ち下され」 しわがれ声をあげたのは宿老の三浦成常である。「この上洛は今川家の念願にございました。しかるにこの重要なる軍議を何故に武田の舅さまにお訊ねある。この三浦は納得が参りませぬ」 大広間が凍りついたように静寂した。「これは失礼をいたした、三浦殿のお言葉耳に痛うござる。義元殿、わしはこれにて下がらせて頂きましょう」 「舅殿」 義元が腰をあげようとした。 信虎は魁偉な風貌を和ませ手で制した。「軍議の席をお騒がせし申し訳ござらん、もし万一、倅にご用があれば後日お聞きいたす」 信虎は義元に頭をさげ大広間から立ち去った。「お弓、酒じゃ。祝い酒をもて」 戻るや信虎が声を張り上げた。 腰元がお弓の指図で酒肴の用意を整えている。信虎はお弓の介添えで衣装を着替え、先刻の城内の出来事を語って聞かせた。「ようやく上洛いたしますか、大殿、長いあいだご苦労に存じました」「うむ、すぐに河野晋作と尾張に潜入しておる小十郎を呼び出すのじや。それに岡崎城の弥五郎には特に念入りに申し聞かせるのじゃ」「あい」 お弓が素早く部屋から去った。 信虎が書院にもどると酒肴の用意が整っていた。どかっと座布団に腰を据え、「その方どもは下がり、わしを一人にいたせ」 腰元に命じ大杯を満たし酒の泡立ちを眺めた。長かった、これが今の信虎の心境であった。 この為に数々の謀略を続けてきたのだ、甲斐の山河が脳裡をかすめた。 静かな足とりでお弓が信虎の前に座った。 「知らせたか?」「あい、この度は鳩を使いました。明日には全員が揃いましょう」「そちも飲め、今日の良き日を祝おう」 信虎の魁偉な容貌が心なしか、もの悲しそうにお弓には見えた。黙して杯を口にしつつ二人は静寂のなかで過去を振り返っていた。信虎の六十六才の時であった。「お弓、わしは己の意志で甲斐を捨て十九年にもなる、駿河を甲斐の領土とする夢が叶のじゃ」 「わたしも四十ちかくになりましたぞ」「もう、そのような歳になるか、良くわしにつくしてくれた」 翌日、駿府城から関口一左衛門が使者として隠居所を訪れてきた。彼は今川一門の関口氏広の縁戚にあたる若者で、義元の小姓を務め、今は旗本として義元を警護している。彼は義元の口上をもっての訪れであった。「関口殿、ご苦労に存ずる」 「御屋形さまの口上を申しあげます」「義元殿が?・・・-わしに何の口上にござる」 信虎が一左衛門を見据えた。「昨日は城内で失礼いたしたとの御屋形さまのお言葉にございます」「なんの、わしが出すぎたまでじゃ」「上洛の陣構えが決まりました。出陣は五月十日との事にございます」「・・・-あと三ヶ月か」 信虎が低く呟いた。「先鋒は井伊直盛さま、松平元康さまと決まりましたが、掛川城主の朝比奈泰朝(やすとも)さまも途中で加わり総勢五千の勢で、本隊に先駆け出陣いたします」「いずれも強兵じゃ」 「信虎さまに異存なきや」 「異存なんぞござらん」「前備え左右備えは岡崎城の道筋の城主が務めますが、その勢は約二万で進み本隊が後続いたします」 「本隊の勢力はいかがじゃ?」「駿府よりは五千名を引きつれ、後備えといたし高天神城の小笠原氏興さまと二俣城主の松井宗信さまの兵力五千が加わります」「総勢、三万五千にござるか?」 「左様」 「尾張攻撃の部署ぎめは何処で為される積りか?」 「さだかで判りませぬが、岡崎城かと推測いたします」「さすれば今川家の軍勢は大高道を進攻されるか」 信虎の眼が燃えた。「拙者も左様心得ます。たかだか二、三千の尾張勢、先鋒隊で片がつきましょう」 関口一左衛門が不敵な面をみせた。「以前に義元殿に忠告いたしたが、先鋒隊と本隊の間隔を空けるようにとな」「何故にございます?」 関口一左衛門が不審顔で訊ねた。「三河から尾張に抜ける街道は丘陵地帯で道が狭い、万一の事があれば大軍の進退に影響いたす。まずは丸根砦、鷲津砦をつぶすまでは本隊は首尾を眺め、一気に尾張領に進撃いたすが賢明にござる」 信虎が吹き込むように語った。 「三河、尾張の街道はそのように狭うございますか?」「出陣まで日時がござる、自分の眼で確かめられよ」「有り難い忠告、拙者がじかに物見をいたしましょう」にほんブログ村 小説ブログ武田家二代の野望(1)へ
Oct 20, 2007
コメント(10)

ボッチを宜しくお願いします。 春日山城に逃れた上杉憲政は、影虎の力で管領の返り咲きを画策したが、影虎は将軍足利義輝の信任が厚く、再度の上洛などで関東進攻がままならない情況となっていた。 永禄二年二月足利義輝は影虎に上洛を促し、一方では武田晴信を信濃守護職に任じ、影虎の上洛中は越後の地を侵さないよう命じてきた。 ここに晴信は念願の甲斐、信濃二国の守護職となった。 長尾影虎はこの月、五千名の精兵を率い上洛した。彼は五ヶ月間、京に留まり三好、松永勢を牽制し将軍に献身した。将軍義輝が三好、松永を討てと命じたなら彼は迷う事なく討伐する覚悟で駐屯していたが、義輝は躊躇し命ずる事がなかった。この為に後年、義輝は謀反を受け命を落す羽目となる。 晴信は足利幕府に何の権威もない事を知っていた、ただ古い権威の象徴として受け止めていた。今の世は力のみ力だけが物を言う、一方の影虎は幕府に対する畏怖と尊敬をもっていた、それ故に将軍義輝には特別の感情を持っていたのだ。そう言う意味では影虎の上洛は絶好の好機であった、晴信は将軍の意を無視し、大軍を高井郡に出兵させ諸城を陥し、影虎との和睦で返還した高梨城をも陥とした。武田勢はその勢いで怒涛の如く越後国境まで進攻した。 春日山城の留守を任されていた長尾政景(まさかげ)は、兵を繰り出し防戦に努め、その勢いに押され、晴信は一旦、兵を信濃に引いた。 まさに権謀術数の渦巻く世の中となったのだ。 この年に晴信は剃髪し信玄と号し、山本勘助も入道道鬼(どうき)と称するようになった。長尾影虎は十月に帰国し、直ちに信濃への出陣を命じたが、越中の豪族、神保良春(じんぼよしはる)が、信玄と誼(よしみ)を通じておると知り出兵を諦めた。こうして永禄二年は波乱にとんだ乱世を予見させつつ暮れたのだ。 翌、三年はまさに乱世となるのである、三月を迎え越後勢が越中に進攻し、神保良春の富山城を囲み、力攻めで陥し城主の良春を追放した。まさに影虎らしい素早い攻撃を信玄に見せ付けたのだ。 信玄は積雪のために救援軍を差し向ける事が出来ず、神保良春を見殺しとした。越後勢は余勢をかって関東管領の上杉憲政を擁し、大軍で三国峠を越え関東に乱入した。真っ先に上野の沼田城を陥し厩橋城(うまやばしじょう)に入城した。迎え撃つ北条氏康も大軍を発し、武蔵の国の松山まで進出し対陣した。いよいよ関東の雲行きも怪しくなってきた。 上杉憲政は各地の豪族に下知を下した、我等の味方となれば管領に逆らった罪は許そう。この策には北条勢も参った、次々と脱落者が出て北条勢に反旗をひるがえした。流石の氏康も応えた。この上は武田家に頼み、越後への出兵を願おう。そうなれば越後勢、うかうかと関東に居座り長対陣は出来ぬ。 今こそ甲相同盟を利用する好機、氏康の命で武田家に使者が向かった。 こうした関東の騒ぎを横目で今川家は慌しい時期を迎えていた。各地の諸城に伝令が駆けて行く、兵糧や武器弾薬が列をつくって駿府城に運び込まれている。 「すわ、合戦じゃ」 「御屋形さまが上洛なさるそうじゃ」 人々が集まれば、その話でもちきりとなっている。 隠居所で信虎が北訴叟笑(ほくそえ)んでいる。「お弓よ遂にもどき殿が動きだしよった」 「そのようにございますな」 二人が語り合っていると駿府城より使いの者が訪れてきた。「御屋形さまが、お城にお出で願いたいとの仰せにございます」「義元殿が、すぐにお伺いいたすとお伝え下され」 信虎は衣装を改め直ちに城にのぼった、城内の大広間には今川家の重臣はじめ武将連が左右に居並んでいる。信虎が大広間の入口に姿をみせた。「舅殿、待ちかねましたぞ」 烏帽子直垂姿の義元が威厳をこめた笑みを浮かべ待っていた。 「何事にござる」 「そこは遠い前にござれ」「ご免」 信虎が小腰を屈め一座の前を進み、指さされた席に腰を据えた。「尾張の小童、三河に侵入いたし煩わしい」 「尾張攻めにござるか?」「上洛いたす。その際に尾張の織田家を殲滅いたし京を目指す」「これは目出度い、尾張なんぞ一蹴いたし上洛を為されませ」「武田の舅殿は気楽に申されるが、そんなに簡単な事ではござらん」 宿老の朝比奈泰能が渋い声を発した。 「何か問題でもござるか?」「上洛するにはそれなりの筋がござる。先ずは畿内の大名、豪族に通達いたし、将軍家はじめ朝廷にも、それなりのお許しを得ねばなりませぬ」「将軍の義輝なんぞでくでござる。畿内の三好、松永なんぞの輩は先年五千の兵で上洛いたした、長尾影虎にびくついた腰抜け、何の遠慮がいり申す」 信虎の背筋が、しゃきっと伸びきっている。にほんブログ村 小説ブログ武田家二代の野望(1)へ
Oct 19, 2007
コメント(7)

ボッチを宜しくお願いします。 信虎は己の生きざまを振り返った、何の為の人生だった。少なくとも己の半生を甲斐の繁栄に捧げようと考え、倅の晴信をそそのかし、駿河へ追放されたように見せ掛け、謀略の限りを尽くしてきた筈であった。 今川の軍師の太原雪斎を毒殺し、義元をたきつけ上洛の決意をさせたのに、この無常感はいったいなんなのだ。その為に晴信は己の手の届かぬ程に大きく成長している、これが武将としての嫉妬である事に気付かずにいた。「お弓、わしの苦労はなんであったのじゃ」 信虎がぽつりと問いかけた。「大殿は甲斐の為に精一杯働かれました、それにより晴信さまは大きうなられました」 「そうじゃ倅の晴信の為にの、じゃがもどき殿を篭絡いたしたと思ったらわしには遣るべき目的が失せてしもうた。心の張りも一緒じゃ」「まだ仕事は終ってはおりませぬぞ、義元さまが生きておるうちは」 信虎が顔をあげお弓を凝視した、お弓も負けずと信虎の巨眼を見つめた。「・・・-そうよな。そちの申す通り、わしが間違うておった」 信虎の魁偉な顔面に血がさし往年の面影に戻っていた。「わしも耄碌したものじゃ、まだまだ為すべき事が山ほどある」「大殿、越後と北条にも策をもち得ねば成りませぬぞ」「判った、最早、愚痴は申さぬ」 いったん奈落の底に身を落とした老虎が再び首をもたげたのだ。 (乱世) 四月を迎え越後勢が牙を剥き出した。影虎を先頭に越後の強兵が雪を掻き分け善光寺平に姿をみせたのだ。この一戦で雌雄を決する、これが影虎の決意であった。戦うこと二度、いずれも晴信のいいようにあしらわれ木曽まで軍門に降った。この度も武田の馬場信春により、葛山衆を討たれ戸隠まで進攻を許してしまったのだ。影虎現われるの知らせが、狼煙で古府中の晴信に知らされた。 武田勢は上田から大軍を発し川中島に陣を張ったが、晴信自身は姿を見せず長対陣となった。これは山本勘助の戦略であった。 関東では北条氏康が関東管領の上杉憲政と烈しく争っていた。いずれ憲政より影虎に援軍の要請があると見こしての戦略であった。 勘助の思惑どおり、上杉憲政は影虎に救援の使者を遣わし、またもや越後勢は決戦の戦機を見いだせぬままに、八月中旬に軍勢を引いた。 武田家の戦術の勝利であった。この武田家の強敵の影虎ほど何度も名前を変えた武将はいないであろう、幼名が虎千代で元服し影虎と称し、後年には関東管領の上杉家の名跡を継いで政虎と改名し、その年の暮れには将軍義輝(よしてる)の偏諱(へんい)を受け輝虎と名乗り、元亀元年に謙信と号する。これは全て彼の義侠心の現われと見ることが出来る。 十一月二日、尾張にも異変が起こった。八月に織田信長は弟の信行の居城を囲んだが、母親の土田御前の斡旋で和議を結んだ。しかし、信行は十一月に岩倉城主の織田信安と手を握り、信長に反旗を翻したのだ。 この情報を洩らした者が柴田勝家であった、もともと柴田勝家は信行を尾張当主とすべく画策し、信長と争ってきたが信行に疎まれ、この挙兵を信長に密告したのだ。信長は一計をこうじ、明日ほも知れぬ重病と称し信行を清須城に誘い出した。 信長は刀を持って寝床に横たわり信行の見舞いを受け、油断した信行をその場で殺害し、一気に末森城を襲い家督争いに終止符をうった。 これを契機とし信長は尾張統一に向け大きく前進したのだ。 このように肉親相争う闘いが各地で起こった弘治三年は、この年で終り、永禄元年(一五五八年)を迎えるのであった。 この年に尾張は信長の手により織田家の統一が実現するのである。これにより信長は美濃と三河に進攻する事となり、必然的に駿河の今川家との確執に繋がり、義元は上洛の名目を得て桶狭間の合戦へと進んで行くことになる。 関東も北条家の勢いが益々盛んとなり、関東管領の上杉憲政は烈しく北条勢と争っていたが、北条氏康の猛攻をうけ河越城を陥され、更に上野(こうずけ)の平井城も支えきれず、越後の長尾家を頼り春日山城に庇護を求めた。 こうして一時、関東から管領が姿を消す事となった。この永禄時代は古き権威である、足利将軍をはじめ守護、管領に取って代る戦国大名が各地に台頭する時代となったのだ。にほんブログ村 小説ブログ武田家二代の野望(1)へ
Oct 18, 2007
コメント(11)

ボッチを宜しくお願いします。 駿府城で義元と宿老の朝比奈泰能(やすよし)が激論を交わしていた。「何故に甲斐の古狸なんぞに相談為された」 泰能の口調が厳しい。「余は舅殿の魂胆を試したのじゃ、だが行軍の陣構えは奴の言うとおりじゃ」「何を仰せにござる。先鋒隊の後ろに本陣を配するなんぞ聞いた事はありませぬ」 「待たぬか泰能、この度の遠征は京までの長旅ぞ」「遠征ゆえに申しあげております。本陣は陣の中央こそ安全な陣構えにござる」「それでは先鋒の様子が判らぬ」 義元の顔に嗤いが湧いた。「御屋形さまは、我等が信じられないと申されますのか?」「尾張の小童に何が出来よう、せいぜいかき集めても三千に満たない兵であろう。何を恐れる」 「窮鼠猫を咬むと申すこともございますぞ」「泰能、念願の上洛で初めて干戈(かんか)を交える敵が尾張勢じゃ。鎧袖一触とせすば京に今川の旗を立てるは無理じゃ」 朝比奈泰能にも義元の言い分は判る、併し、先鋒隊との距離をあけずぎる策には、あくまでも反対であった。御屋形さまが陣頭に立つのは京の入口で良い、それ迄は慎重の上にも慎重であるべきと思った。 「御屋形さま、論議は止めましょう。まだ先の事にござる、軍議は諸将を加え充分、皆の意見でもって決めましょう」 「そうじゃな、許せ余も興奮した」「上洛し天下に号令をするは武人の本懐、これで興奮せぬほうが可笑しゅうござる」 朝比奈泰能は楽観していた、まだ三年も先の事である。だが義元の脳裡には信虎の言葉が鮮明に刻みついていたのだ。 岡崎衆を先鋒にすれば今川の本隊の損害は少ない、それだけ岡崎の兵は強かったのだ。この考えが彼の命取りとなろうとは、今の義元には及びもつかない事であった。こうして弘治三年の年賀が明けた。 信虎に武田家の動きがもたらされたのは三月であった。使いは深夜に信虎の寝所に現れた。 「誰じゃ」 傍らのお弓の声で目覚めた。「甲斐からの使いにございます」 声の主は部屋の隅にうずくまっていた。「甲斐に変事でもあったか?」 信虎が野太い声を発した。「馬場信春さま六千の軍勢で葛山城を陥し、城主の落合備中守は討死、付近一帯の豪族は争って武田に降っておりまする」 「晴信の奴やったか」「上水内郡は、ほぼ武田の勢力圏となり、馬場さまは戸隠まで兵を進めておられます」 「越後勢の様子はいかがじゃ」「越後は大雪で未だ軍勢を進める事叶わず、来襲は四月頃。これは御屋形さまのお考えにございます」 「晴信はいかがいたしおる」「信濃各地の兵を上田に集められ、ご自身は古府中で能をご覧になったり宴会を催されておられます」 「晴信動かぬか」 奴め大きくなりおった。信虎は心から唸った。 「使者、ご苦労。もどり河野に信虎満足いたしたと伝えよ」「はっー」 声と同時に気配が消え去った。「大殿、時代が変わりましたな」 「お弓、わしの出番がなくなったようじゃ」「今川家の上洛は三年後、越後勢とそれまで片がつきましょうか?」「片をつけねばならぬ」 「大殿、そろそろ温和しゅう為されませ」 お弓の声が暖かく聞こえた。 「そうじゃな、わしは謀略の日々を送り過ぎたようじゃ」 何時になく信虎の声が途切れがちである。「寒くはございませぬか」 お弓がそっと信虎の躯を抱きしめた、温もりを感じ信虎のしわ深い頬に涙が滴った。わしの努めは終ったのか、そう思うと無性に淋しさがつのった。 「わたしは甲斐に参ります」 「甲斐で何を探って参る」「晴信さまの様子を見て参ります。勘助殿にも逢いますが、妬きませぬか?」「馬鹿者」 信虎が苦笑とともに嗤いを浮かべた。「今川家の上洛の時期をお知らせいたしますのじゃ」「良いか、三年までに越後の長尾影虎を倒せと申して参れ」「判っております。間に合わねば今川が天下を取ると申して参りましょう」 お弓が、そっと信虎の頬に口付けした。「いらぬ詮索は止せ、今のわしはそれが一番に堪える」 何故か信虎は人の情けと暖かさが無性に腹立たしいのだ。にほんブログ村 小説ブログ武田家二代の野望(1)へ
Oct 17, 2007
コメント(8)

ボッチを宜しくお願いします。 「弥五郎、控えの場にもどれ、余は舅殿といま少し話がある」 義元が弥五郎に控えの場に下がるよう命じ、信虎を見つめた。「この老人に何か相談がござるか?」 「岡崎の人質の事で知恵をお貸し下され」 「松平元康殿(竹千代)の事にござるか」「左様、上洛の際には岡崎衆を先鋒といたしたい。その布石でござるが元康は当年で十六才となる、元服をさせ我が一門の娘を嫁にと考えてござる」「今川家のご一門にと申されますか」 義元はそれに答えず話を続けた。「六才年上じゃが、関口氏広(うじひろ)が娘の瀬名姫を与える積りにござる」「これは破格の仰せじゃ、婚儀整えば元康殿はご一門となられる訳ですな」「舅殿は、余の考えをどう思われる」 義元の問いに信虎は暫し思案し一気に己の考えを述べた。「上洛の道筋を考えますと岡崎城から、知立(ちりゅう)城までは義元殿の領土。しかし、桶狭間から西に向かうと織田の丸根砦、鷲津砦が控えておりますな。そこを過ぎると北の鳴海(なるみ)城、南の大高城の二城は今川家の支配城」「舅殿の仰せのとおりじゃ、一番の危険地帯を松平元康に任せようと考えおる」「その為にも一門に取り込んでおくと言われますかな」 「左様」「上洛までにはお子も産まれましょうな。妻子が駿府に居れば元康殿は裏切りも出来ず、岡崎衆は随分と働きましょうな」 義元がにやりとおはぐろを見せた。「義元殿、わしでもそのようにいたす」 「舅殿も賛同いたされるか」「じゃがひとつ心配事がござる」 「・・-」 義元が不審顔をした。「元康殿は織田信長と旧知の仲と聞いてござる。その為には先鋒と本陣との距離をあける事が肝要かと心得る」 「どういう意味かな」「先鋒には丸根砦と鷲津砦を攻略させます。砦とは申せ二、三百名の守備兵、何ほどの事もござらん、そのふたつの砦を陥せば尾張領にござる。そこに取り付き合戦が終るまでは本陣は、桶狭間近郊に待機いたした方が安全と考えますな」 「何故に、そのような手緩い策がいり申す」「万一、元康殿に織田の調略の手が伸びておっても大事ありませぬ」「成程、岡崎衆の働きを見届けるまで本陣は動くなと仰せかな」 「左様に」「余も海道一の弓取りと言われる男じゃ。戦機みる眼は持ってござる、舅殿の言葉は肝に命じておきましょう」 「恐れおおい事を申しましたな」「いやいや、大いに参考になりましたぞ」 義元が鷹揚に答え信虎が頭を下げた。半刻ほど雑談を交わし信虎は主殿を下がった。(馬鹿め、軍と軍の間隔をあける陣構えなんぞ古今あった例(ためし)はないわ) 信虎は胸裡で毒づいていた。我が策なった、これが信虎の心境であった。 これで今川家は衰亡する。義元の嫡男の氏真(うじざね)は腺病質の男で、とても駿河、遠江、三河の三国を治める器量はない。義元の命さえなければ、たなぼた同様に駿河は晴信の手に入るだろう。調略するなら三河の岡崎衆と尾張の織田信長であろう、そう考えが纏まった。 信虎の書院で四人のささやかな宴席が催されていた。今宵の信虎は上機嫌である、年賀の席で偽計を義元に囁いてきた。愚かにも義元は信虎の餌に喰らいついたのだ、それが信虎を上機嫌にさせていた。「大殿、今宵は少し変ですよ」 お弓が心配顔で訊ねた。「弥五郎の仕官が決まったのじゃ、これを喜ばずにおれようか」「何処に決まりました?」 「岡崎城じゃ、そこでわしの為に働くのじゃ」「大殿に皆さま方、長年に渡るご厚情この弥五郎決して忘れませぬ。この上は大殿のお指図どおり働く所存にございます」 弥五郎が感極まっている。「岡崎に着いたら、目立っ行動は控えるのじゃ。そちは甲斐を追放された者として振舞うのじゃ、憎きは甲斐の武田晴信とな」「弥五郎殿、妻子もご一緒と聞き安堵しましたぞ、いずれ、わたしも訪れる時がありましょう」 お弓の声も湿っている。この四人だけが甲斐を離れ、十五年余も苦労を共にしてきたのだ。「最後に申しておく、桶狭間の地形を己の物とせよ。あとはおって連絡いたす」 こうして川田弥五郎は駿府から岡崎に発った。にほんブログ村 小説ブログ武田家二代の野望(1)へ
Oct 16, 2007
コメント(11)

ボッチを宜しくお願いします。 勘助が信繁に向き直った。勘助の隻眼が何時もとは違う穏やかな輝きを見せていた、そんな姿を座所から晴信が見守っている。「信繁さま、武田家は上洛が悲願にございます。それまでは我慢も必要にございます、関東で北条殿が暴れますれば越後勢、悪戯に信濃に止まる訳には参りませぬ」 「大熊、申しあげます。ただ今の軍師殿のお考え妥当と感じまする」 武田に降った大熊朝秀が声をあげた。「影虎に仕えて参った、そちも考えは同じか?」 晴信が訊ねた。「越後勢は、毎年三国峠を越えて関東に出兵いたしたおります」 「毎年とな」 晴信が驚いたふうに声をかけた。「はい、信濃から陣を払い、三国峠より関東に北条勢牽制の軍を発します」「・・・-」 一座の武将連が声を飲み込んだ、越後勢の強さの秘密が判ったのだ。 「たえず合戦をしておるか、それにしても軍用金が大変じゃな」「御屋形さま、越後には佐渡がございます。そこからは金が産出いたします」「佐渡かー」 晴信が魁偉な顔で呟き座所から立ち上がった。「皆の者に申し渡す。二月を迎えたら六千の軍勢でもって葛山城を攻撃いたす。総大将は馬場信春に命ずる」 「はっ、有り難き幸せに存じまする」 馬場信春が嬉しそうに破顔した。 「ついでに命ずる、大熊朝秀」「はっー」 「そちも同道いたし、越後勢の戦ぶりを馬場に伝えよ」「畏まりました」 大熊朝秀が物静かに応じた。「長尾影虎、毎年雪解けを待っての出陣じゃ。余はそれまで古府中より動かぬ」 御屋形は一段と成長なされた、越後勢強いと申しても動かぬほうが世間への聞こえが良い。勘助が思わず頬を崩した。「勘助、そちの一人笑いは気味が悪い」 晴信の揶揄いで一座から哄笑が湧きあがった。 「これは、・・・拙者の素顔にござる」 勘助が面白くもないといった顔つきをしている、こうして武田家の新年は明けた。 (無聊(ぶりょう)な日々)「弥五郎、もどき殿にご挨拶に参る、供をいたせ」 信虎に急かされた川田弥五郎が、慌てて新年に相応しい衣装に着替えた。 信虎も袴姿に形を変えて駿府城の主殿に向かった。陽光が春の日差しのように降り注いでいる。 「年賀と申すに雪も風もない気候じゃな」「駿河とは良き地にございますな」 弥五郎は信虎の愛刀である兼光の大太刀を携えて従っていた。「おう、これは舅殿、さっそくの年賀のお祝いに参られたか痛みいる」 真新しい烏帽子直垂姿の今川義元が、大広間の座所から声をかけた。「新年お目出度う存ずる」 「舅殿もな」 義元が肉付きの良い顔をほころばした。 信虎には義元のおはぐろの歯がおぞましく見えた。「今年で六十三才となり申した」 「なんの益々、お元気そうじゃ」「無聊な日々が時々、疎(うと)ましく感じられますぞ」「余も今年で三十九才となった」 「そろそろ上洛をお考えなされ」「ここ三年の内と決め申した」 義元が肥満した躯を脇息にもたせ告げた。「ご決心なされたか重畳しごくじゃ」 信虎の魁偉な風貌に笑みが湧いた。「我が今川の版図も落ち着き、国力も充実いたした。雪斎が生きておればなんと申したか、聞きたいものよ」 義元の顔に翳がさした。 「雪斎殿も喜んでおられましょう」 (死んだ者はなも言わぬ) 平然と信虎は答えた。 「舅殿、余の上洛の暁には甲斐の軍勢も与力願いたいものじゃ」 肥満した義元が探るような眼差しで信虎を見据えた。「晴信も喜びましょう。武田家とは縁戚の間柄、精兵五千名に騎馬武者五百騎はお味方に馳せ参じましょうな」 「それは豪勢じゃ」「義元殿が天下に号令なされば、武田家は真っ先にお味方仕りますぞ」「それは頼もしきお言葉じゃ」 「本日は義元殿に、お願いの儀がござってな」 信虎の言葉に義元が信虎の巨眼を見つめた。「そこに控えおります、川田弥五郎をお取立て願いまいかと存じましての」「舅殿の小姓でござったの」 義元がじっと弥五郎を見つめた。「左様、直臣の小林兵左衛門は可哀想に十数年も飼い殺し同様で、今では武者働きもままならぬ、せめて川田弥五郎だけは武者として武名を挙げる機会をと思いましてな」 「川田弥五郎、近こう寄れ」 「はっー」 弥五郎が信虎の愛刀をそっと置き、小腰を屈めするすると上座に近づき平伏した。「逞しい体躯じゃ、なにか武芸をいたしておるか?」「わしの兼光を素振いてござる」 かわって信虎が答えた。「その三尺の大業物をかの?」 「毎日、二百回が日課にござる」「舅殿、余の家臣といたそう」 「これは嬉しきかな弥五郎、お礼を述べよ」「本日から今川の家臣じゃ、何か望みはあるかの」「有り難きお言葉、身に染みまする。出来る事なれば三河の最前線にお勤めをお願いいたしまする」 川田弥五郎が畳みに額をつけ平伏した。「川田を余が貰うては、舅殿はご不便ござらんか?」「老人には腰元がおれば不自由いたさぬ、今宵だけは弥五郎をお貸し下され。送別の宴なぞいたして遣りたく存ずる」「それは良い。弥五郎、そちを岡崎城勤めといたすが、異存はないか」「三河の地は今川家の最前線、大いに励みまする」にほんブログ村 小説ブログ武田家二代の野望(1)へ
Oct 15, 2007
コメント(9)

ボッチを宜しくお願いします。 美濃では弘治二年四月二十日、斉藤道三と倅の義竜が長良川河畔で対陣していた。鷺山城から出兵した道三の総勢は三千名と少なく、対する義竜は一万八千の大軍を擁し兵力に大きな隔たりがあり、道三は最後を悟っての出陣であった。戦いの原因は色々と憶測されているが、義竜は実の父親が土岐頼芸(よりなり)と知らされての反逆であった。頼芸が己の愛妾であった深芳野(みよしの)を道三に下げ渡した時には、すでに深芳野は頼芸の胤を宿しており、生まれた男子が義竜であったと云われているが、その根拠はない。 朝靄でかすむ早朝に両軍は戦端をひらいた、海千山千の道三の果敢な指揮で鷺山勢は奮戦したが、圧倒的な大軍の前に四散した。 斉藤道三は、もと家人の小真木源太に首を授け波乱の生涯を閉じた。 この戦いから美濃、尾張同盟は破れ、織田信長の美濃攻略に弾みがつくのであった。 こうした激動期のなかで武田の宿敵である、越後の国主長尾影虎は苦悩の日々を過ごしていた。武田家との熾烈な戦いの決着がつかないおり、領内の豪族たちは些細な領土争いを繰り返し、影虎の仲裁で治まったかと思えば直ぐに調停に不服な者が争いを始める有様で、影虎は隠遁し高野山に籠もろうと考え引退を宣言をした。これは姉の夫である長尾政景(まさかげ)の説得で思い止まったものの、彼は毘沙門堂に籠もり祈祷の日々を過ごす事が多くなった。 そんな時期に山本勘助の調略が功をそうしたのだ。越後の有力な武将で財務官僚として名高い、大熊朝秀が一門を引き連れ武田方に寝返ったのだ。 これも領土紛争から端を発した事であった。影虎の隠退を引きとめようと長尾政景は春日山城に諸将の連署と人質を要求し、家臣団の団結と影虎への忠節を謀ろうした。これが大熊朝秀には不服であった。彼は一族と共に越中まで逃走したが、長尾勢の追撃にあって西頚城郡(にしくびきぐん)の駒帰(こまがえり)で戦いとなり敗れて船で逃走した。 これは影虎にとり打撃であった、大熊朝秀は越後勢の陣法を知り尽くしている、これが武田家に筒抜けとなる。急遽、新しい陣法に改める必要に迫られた。 大熊朝秀は甲斐に逃げのび、武田の武将として仕える事となった。 この頃、尾張でも骨肉の争いが始まっていた。信長の弟である信行(のぶゆき)擁立を謀った柴田勝家、林秀貞の軍勢二千と信長勢が、稲生付近にある小田井川で激戦となり、信長方が勝利した。信行は居城の末森城(すいもりじょう)に籠もったが、母親の土田御前の取り成しで二人は和睦した。 こうして尾張も国主の座をめぐって嫡男と次男の争いが始まり、故信秀の股肱の重臣を巻き込んだ戦いとなっていたのだ。織田の内戦は翌年を持って終るが武田晴信と長尾影虎との戦いは、まだまだ続くのであった。 弘治三年(一五五七年)となった。古府中の躑躅ケ崎館では盛大な新年の祝いが催されていた。新たに武田家の武将となった大熊朝秀も招かれていた。「勘助、今年の戦初めはいつ頃と考えておる?」 晴信が上機嫌に訊ねた。「越後はまれにみる豪雪と聞いておりますれば、二月には初戦と考えております」 勘助が隻眼で一座を眺め廻した。「早いのう、二月か何処に向かう」 晴信が杯を手にし勘助を見つめた。 一座の武将連も勘助に視線を移した。 「皆さまの視線がきつうござるな」 勘助が杯を干し、「葛山衆の葛山城を襲いまする」「善光寺北方の山岳地帯じゃな」 飯富兵部が訝(いぶか)しげに訊ねた。「二年前に失いました犀川以北の回復策とお考え下され」「今川殿の調停で越後勢に加担いたした北信濃の豪族共に与えた一帯ですな」 真田幸隆が感心の面持ちで勘助の異相な顔をみつめた。「左様、葛山城の落合備中守を倒せば、上水内郡は全て武田の勢力圏となります」 「また、越後勢出て参るの」 老将の原虎胤である。「雪を掻き分け善光寺に現われる頃には、全て終える積りにございます」「でわ、越後勢とは戦わぬと仰せか?」 馬場信春である。「御屋形と拙者の考えは一致いたしております。越後の若造、常に有無の一戦で臨んで参ります、下手をうてば我等は大怪我を被ります。勝てると踏むまでは石橋を叩いて臨む覚悟」「悪戯に越後勢とかかずっては、我が武田家の威信に傷がつく」 珍しく武田典厩信繁が声を高めた。にほんブログ村 小説ブログ武田家二代の野望(1)へ
Oct 13, 2007
コメント(14)

ボッチを宜しくお願いします。 信虎は口を閉ざし、暫し思案し弥五郎を見つめた。「弥五郎、そちにも来年から仕事について貰うことにいたそう」「大殿、待ちくたびれましたぞ」 弥五郎の顔が喜びに染まった。「わしは、そちを岡崎城に推挙しょうと思っておる。そこでもどき殿の上洛の道筋を探りだすのじゃ、小勢で大軍を襲うに適した絶好地をな」「何度も大殿のお考えをお聞きいたし考えましたが、矢張り己の眼で確かめねば納得が参りませぬ」 「尾張と三河の国境沿いの好地を探るのじゃ」「赴任の暁には心いたし探索いたします」 それを聞き河野晋作が驚いた。「大殿は義元さまに上洛を勧め、その道筋を信長に知らせるお積りにございますか?」 「そうじゃ、わしは甲斐のためなら何でも遣る」 信虎がぐびっと大杯を飲み下した。 「深謀遠慮な計りごとにごさいますな」「何事も小さな事から始めねばならぬ」 信虎がたるんだ頬を崩し嘯いた。「我が御屋形さまもご承知にございますか?」「晴信は知らぬが山本勘助は承知いたしておる」 武田の忍びの頭領の河野晋作が、魔性をみるような顔をした。「大殿、これからのわたしの努めは?」 お弓が眼を輝かして訊ねた。「暫く休んで、わしの傍に居るのじゃ」 「伽(とぎ)だけせよと申されますか」「馬鹿め、わしには女子は不要じゃ」 信虎の顔に複雑な色が刷かれた。「大殿は男を捨てられましたか」 「そのような問題ではない、もう出来ぬのじゃ」 心なしか、信虎の顔色が優れなくなっている。「今宵は、わたしが慰めてやりましょう」 お弓の眸が輝き媚薬に似た色がみえた。 「もう、わしに構うな」 信虎の顔が火照った。 わしの願いは武田の御旗を京に立てる事じゃ、己が六十一才の老人となった実感を改めて悟ったのだ。二人の会話を無表情に聞いていた、河野晋作が信虎に声をかけた。 「大殿、美濃が騒々しいと聞いております」「美濃、・・・斉藤道三がどうかいたしたか?」 「確たる答えは出来かねますが、なんとのうきな臭い」 「美濃の蝮も耄碌いたしたか」「左様な風聞が聞こえて参ります」 「倅の義竜(よしたつ)では美濃は無理じゃ」「矢張り織田ですか、我等が総力をあげて探索いたします」 「そういたせ、お弓、酌をせい」 信虎が大杯を差し出した、お弓が信虎の躯にすり寄り酌をした。しっとりした肉付きが衣装ごしに感じられるが、信虎の躯にはなんの反応も起こる気配はなかった。「お弓、そちをわしの傍に置くのには訳がある。もどき殿の様子が知りたい、そちなれば忍び込むのに造作もあるまい」 「殺しますのか?」「それは成らぬ。奴は信長の手で冥途に行ってもらう」 信虎の顔が魁偉に歪んだ。 「誰に殺されようと同じではありませぬか」「万一、事がばれたら今川家が武田の敵となろう、それは避けねばならぬ」「判りませぬ」 「熟した柿が落ちるように駿河は武田家が受け継ぐのじゃ。そうせねば武田は上洛できぬ」 お弓が怪訝な顔をした。「所詮、女子には判らぬ。親類として武田家は今川家を助け、乾いた土に水が染み入るように駿河を手に入れる。それには時がかかるのじゃ」 小林兵左衛門が顔を赤らめ居眠りをはじめた、この地に来てなんの武者働きもさせず過ごさせた所為じゃ。信虎は胸裡で詫びた。「誰ぞ、兵左衛門を寝室に連れてゆけ」 川田弥五郎と河野晋作が引き下がって行った。 「大殿、今夜はわたしが添い寝をいたしますぞ」「お弓よ、無用じゃ」 思わず信虎が苦笑を洩らした。「わたしは大殿が好きじゃ。ですからご一緒に眠りたい」「困った女子じゃ、そちは勘助が好きであろう」 「あい、あのお方からは女子の喜びを教えられましたが、心から好きな方は大殿じゃ」 判らぬ女子の心と躯は。 「もう少しわしは飲みたい、そちは好きなようにいたせ」 信虎は信濃平定を祝い、一人で喜びに浸りたかったのだ。 この弘治の年代は三年で終るが、この時代は勘助の思惑どおり尾張と美濃で大きな時代のうねりが生じ始めていた。武田家二代の野望(1)へ
Oct 12, 2007
コメント(13)

ボッチを宜しくお願いします。 七月十九日、甲越両軍は犀川をはさんで対陣した。対岸の越後勢は旗指物が翻り、堂々たる陣形をみせている。 「矢張り見事な陣構えじゃ」 勘助は犀川の岸辺に馬を寄せ越後勢の全容を眺めていた。 本陣と思われる場所に大将旗の「毘」大旗が風に靡(なび)いている。 勘助の作戦どおり越後勢は、背後の旭山城の存在が邪魔で動けず、河畔での小競り合いに終始した。 影虎は矛先を変えて旭山城に攻撃をしかけたが、武田勢には鉄砲、弓隊が充分に籠もっており、越後勢の攻撃は難戦を極めた。さらに守将の真田幸隆の巧みな采配で越後勢は近寄る事も出来ず、影虎は切歯扼腕していた。 対陣すること一ヶ月、武田本陣に馬場信春、内藤昌豊、原昌胤等が集まっていた。床几には緋の陣羽織を纏った晴信が座り、傍らに勘助が控えていた。「いよいよ木曽攻めに懸かります」 勘助が晴信に伝えた。「勘助、そちの思うがままにいたせ」 晴信が表情も動かさずに短く言葉を発した。 「遅くなり申し訳ございませぬ」 横田高松と望月甚八郎の両将が姿を現した。 「今より軍議を行います」 勘助が立ち上がり、「馬場殿、ご貴殿が大将となり兵卒五千名を率い福島城を包囲願いたい。決して攻城戦はなりません、御屋形が本隊を率い参陣するまで蟻一匹とも逃さないよう心がけて下され」 「はっ、畏まりました」 馬場信春以下の武将が不敵な面魂をみせ拝跪した。こうして越後勢に悟られる事もなく武田の先鋒隊が福島城に向かい、たちまちの内に城を包囲した。 完全に木曽勢は裏をかかれた、まさか川中島で越後勢と対陣している武田勢が押し寄せて来ようとは、考えてもいなかったのだ。 明けて八月二十一日、晴信率いる武田の本隊が鳥居峠を越えて福島城に現われた。諏訪法性と孫子の御旗が靡き母衣武者が縦横に駆けている。 木曽義康はこの大軍をみて抗戦を諦め開城、投降したのだ。ここに木曽義仲以来の名門は没落し、武田家に臣従するのであった。これにより義康は娘を人質として古府中に送り、義昌は晴信の娘を娶る事になった。 晴信と勘助の策は見事に成功し、武田勢は軍勢を返し越後勢に対した。 当然、影虎にも木曽攻略の知らせはもたらされているが、戦局打開のないまま睨みあいが続いた。勘助の許から忍び者が駿河に向かった。 今川義元に調停を依頼するために信虎の許に向かったのである。 既に信虎から聞いていた義元は、直ちに長尾影虎に周旋の使者を遣わした。 影虎の要求は、北信濃の豪族、高梨政頼と井上清政の旧領回復と旭山城の破却の二条件であった。晴信はそれを飲み和睦が成立した。 武田は旭山城を打ち壊し古府中に軍勢を返し、影虎も越後に帰国した。 これが第二次川中島の合戦であるが、影虎はまんまと武田家に木曽を制圧されたのだ。こうしてみると武田の戦略の巧さがきわだって見える。 駿河の隠居所である。信虎を上座として小林兵左衛門、川田弥五郎にお弓と武田家の忍びの頭領の河野晋作が加わって酒宴が開かれていた。 信虎は常の如く大杯を呷っている。彼の魁偉の容貌が今夜は和んで見える。 武田の信濃制圧を河野晋作から知らされた日に、今川家の至宝とも言うべき太原崇孚の死の知らせがもたらされた。とうとう我が策がなったか、その思いが念頭をよぎった。お弓の手柄であった。 閏十月十日に崇孚は六十才で長慶寺で没したのだ。その五日後の十五日に武田家は長尾家と和睦を結んだ。「今年は良き年が越せそうじゃ」 「大殿、わたしの手柄ですぞ」 お弓が美味しそうに酒を啜り念を押している。「判っておる、そちが勘助に言われた事じゃが、織田信長と斉藤義竜の二人には注意を注がねばならぬな」「あい、ですが小十郎が見張っておりますぞ、何かあったら知らせが参ります」「そうじゃな、ところで河野」 信虎の声に河野晋作が無表情な顔をあげた。「越後の豪族たちの調略は進んでおるか?」「はい、越後とは面白き国にございます。未だに豪族共は領土紛争に明け暮れております、来年には必ず一人くらいは武田家に寝返らせる積りにございます」「わしも気張らずばな、雪斎亡き今が絶好期じゃ。もどき殿をけしかけ上洛を勧めてやる、今の今川家の勢力は以前に増して大きくなった。今は尾張の国境まで勢力を拡大いたしておる」「そうでございますな、鳴海城、大高城も勢力圏にございますな」 河野晋作が老醜の滲みでた信虎の顔をみつめた。武田家二代の野望(1)へ
Oct 11, 2007
コメント(9)

ボッチを宜しくお願いします。 (乱世の序曲) 年号が改まり弘治元年(一五五五年)となった。勘助の思惑どおり尾張は織田一族の内乱状態となっていた。前年の七月に尾張守護の斯波義統(しばよしむね)の居城である清須城を守護代の織田信友が襲い、義統は自刃して果てた。 彼の嫡男義銀(よしかね)は那古野城(なごやじょう)の信長に助けを求めた。 信長は守山城主の叔父の信光(のぶみつ)と共謀し、清須城の守護代織田信友を攻め滅ぼした。信光を守護代とし尾張下四郡を任せるという約束を交わしての攻略であったが、信長はそれを反故として自らが尾張の中心地である、清須城を居城として本格的に尾張統一をめざし始めた。時に信長二十二才で未だ頭角を現す前の出来事であった。 四月、突然、武田家の武将連は晴信から躑躅ケ崎館に参集を命じられた。 主殿に呼び出された武将連が左右に居並んでいる。 晴信が魁偉な風貌ながら、涼やかな目をみせ座所に現れた。彼は三十五才となり、徐々に体躯に肉がつき貫禄が一段と増していた。「さて今回の参集には特別の意味がある」 声にも自信があふれ武将連は沈黙し晴信の次ぎの言葉を待った。「越後の長尾影虎、三月二十三日に秘かに春日山城を出陣したとの事じゃ」「またもや越後勢、我等に牙を剥きますか」 原虎胤が凄味のある声を発した。「今後の武田の戦略は勘助から述べさせる、皆も意見があれば申せ」 晴信が勘助を見つめ策を述べるように促した。「方々に申しあげます、今年一年は合戦の絶える時はありませぬ。ただいま御屋形の申し述べられた通り、越後の精兵八千名が善光寺に向かい富倉峠の飯山口から南進いたしております」 勘助が隻眼を光らせ一同を眺め廻した。「矢張り決戦は川中島かな?」 宿老筆頭の飯富兵部がおもむろに訊ねた。「我等は決戦を避けます」 「なんと合戦をせぬと申すか?」「飯富さま、善光寺西北の越後勢の最先端、旭山城が我等に内通いたしました。そこに精兵三千を籠め、越後勢の犀川渡河を阻止いたします」「旭山城が我等に降ったとは真の事か?」 典厩信繁が静かな口調で訊ねた。「真の事にございます。善光寺の別当、栗田寛明を調略いたしました」「これは驚きじゃ」 一座の武将連がざわめいた。「我等は古府中の本軍と信濃各地の兵と上田にて合流いたし、犀川河畔に陣を構えます。総勢一万二千名と見積もってございます」「軍師殿、越後勢の兵力も同じかとみますが決戦は避けられますか?」 馬場信春が疑問を呈した。 「それ故に旭山城に三千の兵を籠めます」「犀川を渡河しょうとすれば腹背から我等の攻撃を受ける事になりますな」 馬場信春が合点し頬を崩した。「方々、御屋形の真の狙いは他にございます。戦線は膠着いたし睨みあいとなりましょう、我等はその時を狙い、軍勢を割き秘かに本隊を木曽に向けます」「なんと木曽に本隊を向けますのか」 甘利昌忠が驚きの声をあげた。 一座の武将連も驚いた。対戦相手はあの越後の龍、長尾影虎である。「左様、我が武田の各地の兵をかき集め木曽義康、義昌父子の守る福島城を攻略いたす」 「驚いた戦略じゃ」 さしもの真田幸隆も驚いている。「越後勢とは小競り合いの戦いとなりましょうが、影虎はしぶとい。長引けば駿河の今川義元さまに調停を願う積りにございます」「今川は受けますか?」 板垣信里がすかさず尋ねた。「駿府の大殿にお願いしたら快諾を頂いた。それに三国同盟もござる、ご安心下され」 「軍師殿は、駿府の大殿までも味方につけられましたか」「大殿はもと国主であられた、みすみす甲斐が敗れる事を見逃される訳がない」 一同は声なく勘助の異相な顔を見つめた。晴信が口を開いた。「余は今年で信濃を平定いたす積りじゃ、従って勘助の策にのってみる。我等が木曽攻め中は、越後勢に対する大将を信繁に申し渡す。構えて決戦は避けよ」 「はっ、心得申した」 武田典厩信繁の端正な顔が紅潮した。「出陣は今月の二十日といたす、者共、抜かるな」 晴信の声が凛と響いた。 上田に武田勢が結集したのは桜咲く四月末であった。既に先鋒として三千が真田幸隆を総大将とし、副将、山県三郎兵衛と共に旭山城に向かっていた。 この籠城兵には鉄砲隊三百名、弓隊八百名が含まれていた。これは飽く迄も籠城戦を想定しての備えであった。武田家二代の野望(1)へ
Oct 10, 2007
コメント(10)

ボッチを宜しくお願いします。 お弓が嬉しそうに笑顔をみせ、勘助が居ずまいをただした。「今後の武田家の方針をお伝いいたす、全力をあげ越後勢と戦い、更に木曽を攻め取る」 勘助の異相な顔つきが厳しくみえた。「木曽の福島城ですね、木曽義康(よしやす)殿は強かと聞いておりますぞ」「木曽を攻略いたせば信濃平定は終りじゃ。あとは越後の長尾影虎のみ」「これも、勘助殿のお蔭ですね」 「駿府の太原雪斎はいかがじゃ?」 勘助が声を低めた。 「年内いっぱいは保たないでしょう」「左様か、今川家も危うくなるの」 勘助がお弓の眸を覗きこんだ。「もどき殿はなかなかの御大将じゃ、余り侮(あなど)ると失敗りますぞ」「心に留めおきましょう。これは拙者の老婆心じゃが、尾張のたわけ殿は恐い存在となろう。今は領内統一に追われているが目を離さぬようにな」「信長殿が尾張国主となると言われますか?」 「拙者の勘じゃ」「勘助殿も恐いお人じゃ、肝に命じておきます」 お弓の眸が濡れぬれと輝いている。 「酔われたのか?」 「いいえ、勘殿に酔ったのじゃ」 お弓の言葉に勘助が苦笑いで応じ、火鉢の粗朶(そだ)がはじけた。「まだまだ話す事がござる。美濃じゃが数年で斉藤道三の時代は終りましょう。倅の義竜(よしたつ)に討たれてな」 「何故、そのような事が起こります」「義竜は道三の実子ではないとの噂が飛びかっておる、前国主の土岐頼芸(ときよりなり)の子胤とな。尾張のたわけ殿が漁夫の利を占めるかもしれぬ。大殿に拙者がそれを恐れておっとお伝え下され」「あい、判りましたぞ」 二人は暫く黙して杯を干した。「勘殿、わたしを抱いてくれますか?」 突然にお弓が一匹の雌と化した。「抱きとうて身が焦がれるようじゃ」 勘助の声も擦れていた。「本当ですか、わたしも歳じゃ。勘殿に嫌われる前に女として抱かれたいのじゃ。・・・-今なら自信もありますぞ」「拙者も歳じゃ、何時まで女子を抱けるかの」 勘助が自嘲気味に天を仰いだ。「駿府の大殿も元気で居られる、勘殿なればこれからじゃ」 お弓がするすると衣装を脱いだ、見事な裸身である。「綺麗じゃ」 勘助にはお弓が天女にみえた、鍛えた躯には贅肉ひとつなく華奢に見えるが、豊満な乳房と腰のくびれが勘助を魅了してやまない。 お弓が勘助の組んだ膝の上に躯をあずけ、二人の唇が合わされ舌が絡まり、武骨で厳つい手で乳房を揉まれた。「勘殿、濡れてどうしょうもない、早う抱いて下され」 お弓が勘助の指を秘所に導いた。 「きつくて届かぬのよ」 熱く火照っている狭間に指が届かないのだ。 切なそうに喘ぎお弓が身を揉んで狭間をゆるめた。 ぬらりとした感触を感じ勘助の指がお弓の胎内に差し込まれた。 こんなにも濡れるものか、そう感じた瞬間に勘助も獣となった。何時の間にか袴をはぎ取られ下半身が晒されていた、舌が絡まりお弓が馬乗りとなって勘助のいきり立った物を狭間に導き大きく腰をおとした。 勘助の物がお弓の胎内に吸い込まれ締め付けられた。 「勘殿。いいーっ」 お弓も一匹の雌と化して快感を追い求め腰を蠢かしている。 勘助に限界がおとずれ大きく腰を突き上げた。二人の荒々しい呼吸が平静にもどった。熱く燃えた女体の温もりを愛しく感じ、お弓の耳元に勘助が囁いた。「お弓殿、お麻はもう五才となった。躑躅ケ崎の拙者の屋敷におる」「・・・-」 「逢って行かれい」 お弓が繋がった勘助の躯から離れた。「あの子は勘殿の子じゃ。いずれ逢う時もありましょう」 「そうか」 勘助はそれ以上は勧めなかった、お弓の気持ちが何となく判る気がしたのだ。「これで信濃まで来たかいがありましたぞ、何処ぞでお逢いしましょう。勘殿、躯を愛うて下され」 お弓が身繕いを済ませにっと笑みを見せた。「行かれるか?」 「あい」 瞬間、お弓の躯が宙に浮き屋根裏に音もなく消え去った。武田家二代の野望(1)へ
Oct 9, 2007
コメント(12)

ボッチを宜しくお願いします。 山本勘助は葛尾城に籠もって冬を過ごしていた。彼の念頭にあるのは越後勢の異様な陣構えであった、行軍体勢から素早く攻撃に移れる陣形ははじめてみた。あの若輩者の影虎に作れるものか疑問に感じていた。 併し現実に越後勢は目を見張る素晴らしい陣構えを勘助に見せ付けた。 影虎は黒鹿毛の駿馬で常に陣頭で指揮を執っていた。あの男の一挙一動で越後勢は整然と進退した、勘助の脳裡に越後勢の陣形が蘇っている。(判ったぞ、越後には異能の軍師が居ると聞いた。枇杷島(びわじま)城主宇佐見定満、奴じゃ) ようやく合点がいった。 勘助の頭脳は対抗手段とし武田家の陣形に思いをめぐらせた。外は吹雪いているようだ、風の音がびょうびょうと聞こえてくる。 武田はやはり孫子の御旗どおり、動かざること山の如くで臨む。鶴翼の陣こそ武田の陣構え、これは武田の武将連が最も得意とする戦法である。最後の勝負は後詰の陣に任せる、『疾きこと風の如く、侵略すること火の如く』これが我等の戦術、武田家の誇る騎馬武者の役目じゃ。勘助の考えがまとまった。 ことり、と畳の上に何かが転がり落ちた、勘助が隻眼を光らせ暗がりに眼を移した。背後に人の気配を感じ、大刀を掴み敏捷に躯を反転させた。部屋の隅に人影がうずくまっている、勘助が大刀を抜き打たんと身構えた。「勘助殿、わたしです」 聞きなれた声がした。 「お弓殿か?」「あい」 勘助が言葉を失った。「勘助殿に逢いとうて駿河から参りましたぞ」 音もたてず人影が明りの前に進みでて覆面姿のお弓が素顔を見せた。さらさらと長い黒髪が勘助の隻眼を射抜きにっと笑みを浮かべたお弓が、勘助の胸の中に飛び込んできた。 しっとりとした女体の感触が勘助を惑わした。 「勘殿、口吸いましょか」 声と同時に勘助の舌にお弓の舌がねっとりと絡みついた。一瞬、恍惚となった勘助の躯からするりと身をかわし、懐かしそう勘助を見つめ忍び装束を脱ぎ捨てた。 「まことに、お弓殿か?」 「あい、勘助殿は少し老けましたな」「もう、五年になるが、そなたは変わらぬな」 「忍びは歳を知りませぬ」「寒うはないか火鉢がある、暖まりなされ」 「矢張り昔と変わらず優しいお人じゃな」 お弓が火鉢に手をかざした。 勘助は宿直(とのい)の士を呼び出した。 「何か御用にございますか」「簡単な酒肴を用意いたせ」 「この真夜中に酒肴にございますか」「ご苦労じゃが頼む」 宿直の士が酒肴を持参し仰天した。 部屋に勘助と美貌な女人が居るではないか。 「これは何事にございます」「駿府の大殿のお使いじゃ、心配はいらぬ」 「して宿直は?」「内密な話がある、宿直は無用にいたせ」 お弓は火鉢の前で微笑んでいる。「寒いなかご苦労にござった、ささ一献参れよ」 勘助の酌をうけ美味しそうに飲干した。 「もう良い、さがって休め」 勘助が手をふった。 呆然と見つめていた宿直の士が、慌てて引き下がって行った。「さて、大殿のお言葉をお聞きいたす」 勘助が燭台を引き寄せ訊ねた。「ふたつありますぞ、まずは越中の本願寺と手を握ること。これは難しいが、越後の豪族たちは未だに領土争いをしていると聞く、本当なれば彼等の調略を急いで行いとの仰せにございました」 語り終わりお弓が形のよい唇に杯を運んでいる。 「お弓殿、一向門徒衆の件は遅うござった」 「何故にございます」 お弓の視線には勘助の隻眼が物憂げに見えた。「影虎は我等と川中島で戦い、その後に上洛を果たし申した。その際、後奈良天皇さまより綸旨(りんじ)を受けております、それで本願寺と手を結んだと知らせがもたらされてござる」 「それは本当ですか?」「我等が攻略いたした高梨城の隣接地に笠原と申す地がござる。そこに本誓寺という一向門徒の寺がござるが、そこの住職の超賢(ちょうけん)と影虎が手を結んだとの事にござる」 「遅かったと申されますか?」「左様、あの越後の若造なかなか遣る、じゃが、一向門徒衆の件は引き続き手を打ちます。第二の件でござるが、既に我等のみで越後各地に手を入れてござる」 勘助が、ぐびっと咽喉を鳴らし杯を干した。 「詳しく聞かせて下され」 灯に照らされ、陰影が出来たお弓の顔が一際美しく感じられる。「三人ほど調略いたした。一人は佐橋ノ荘の北条におる北条丹後守高広、さらに財務官僚の大熊備前守朝秀、それに城織部(じょうおりべ)正資(まさすけ)の三名」 併し、北条高広はこの年の十二月に善根(よしね)で兵をあげたが、影虎の手で鎮圧される事になるが、今の勘助とお弓には知る由もない。「北条高広と大熊朝秀の二人は大殿も名指しで申されました」 お弓の眸が輝きを増している。 「どうじゃ、御屋形も大きう成られたであろう」「ほんになあ、駿府の大殿も満足為されましょうな」武田家二代の野望(1)へ
Oct 8, 2007
コメント(11)

ご協力願うと励みになります。 その夜は隠居所で信虎を中心に、甲斐から付き添った者たちが車座となって信虎の還暦を祝っていた。直臣の小林兵左衛門、小姓であった川田弥五郎に腰元のお弓である。いまだ屋外は薄暮に覆われ、甲斐と比べると温暖な夜である。 「今更、祝ってもらっても嬉しくもないが、こうして皆と飲むのも良かろう。兵左衛門は何才となった」 「はい、四十八才となりましてございます」「そうか、苦労をかけたの」 「恐れおおい事にございます」 彼はますます実直となっている。 「大殿、弥五郎は二十七才となりました」「まだ前髪姿であった少年がな、逞しくなりおったは」 信虎が魁偉な顔を和ませ往事(おうじ)を偲ぶ眼差しで弥五郎に視線を移した。「大殿、一献」 お弓の酌を大杯で受けた信虎がまじまじと見つめた。「お弓、そちだけは変わらぬな何才となった」 信虎から見ても益々女らしく美貌に輝きが増している。 「女子に年を問うのはお止め下され」 四人は久しぶりに昔話に花を咲かせ、憂さを晴らした。宴の終りに信虎が弥五郎に語りかけた。 「弥五郎、そなたに聞きたい事がある」「何事にございます」 「その前に訊ねる、妻子を捨てる覚悟はあるか?」「拙者も武士、日頃から覚悟はいたしております」 毅然とした口調であった。 惜しい男じゃが捨て殺しになるやも知れぬな、信虎は内心で感じた。「何をお命じです」 「義元の首を信長に渡す日も近かろう」 信虎が声を低め弥五郎の精悍な顔に血がのぼった、一座の者は信虎の考えを全て知っている。「お弓の首尾しだいじゃが、もどき殿に上洛を勧めておる。そちはわしの推挙で三河に赴いてもらう、そこで上洛の道筋を探りだすのじゃ。わしは桶狭間と睨んでおる」 「承(うけたまわ)ります」 川田弥五郎の顔が輝いた。「お弓、そちは太原雪斎を毒殺いたせ、奴が居ると上洛の妨(さまた)げになる。奴は最近躯を悪くしておる、判るな、わしの心が」 「あい、何時でも命じなされ」「雪斎が居らねば、宿老の朝比奈や三浦なんぞ恐れる事はない」「大殿、拙者は何をすれば宜しゅうござる」 信虎の容貌に笑みが浮いた。「兵左衛門、その方には無理な努めじゃ、わしの傍を離れるな」「拙者は何も出来ませぬか」 「わしも歳じゃ、皆が去ると淋しい」 「判りました」 小林兵左衛門は信虎の心情を理解したのだ。「武田は益々強くなる。晴信の器量は並ではない、わしは命をかけて武田に天下を取らせる積りじゃ」 一座の三人は信虎の執念を感じとった。「お弓、そちは甲斐に行け。山本勘助にわしの言葉を伝えよ」 お弓が信虎を見つめた、切れ長な目に媚が滲んでいる。「越中の本願寺と武田は手を握るのじゃ。長尾家は先代の為景(ためかげ)の時代から門徒衆に嫌われておる、北陸の一向門徒衆を味方につけるのじゃ。もう一件ある。影虎の財務官僚の大熊朝秀(ともひで)と申す豪族がおる、領土紛争で影虎の仕置きに嫌気がさしておる男じゃ。奴が武田に寝返るように工夫いたせと申せ、それに北条(きたじょう)高広と申す豪族もじゃ」 「判りましたぞ」「良いの影虎という男は潔癖すぎる、奴を内心嫌悪しておる豪族を探れと申せ。越後を内部崩壊させる事も軍師の努めじゃと勘助をたきつけるのじゃ」 三人が唖然とする謀略を信虎は胸裡に秘めていたのだ。 翌朝、お弓は雪深い甲斐に向かった。 昨夜は常の如く信虎に抱かれ、陶酔の一夜を過ごした。まだまだ大殿は元気者じゃ、信虎は六十とは思われない体力をお弓の胎内に残したのだ。武田家二代の野望(1)へ
Oct 6, 2007
コメント(9)

ご協力願うと励みになります。 「申しあげます」 書院の外から声がした。 「何事じゃ」 三浦成常が尋ねた。「武田のご舅さまがおなりにございます」 「老狸が参ったか、通っていただけ」 暫くして廊下に太い足音がし、魁偉な風貌の信虎が顔を現した。「これは悪い所に参上つかまったようじゃ」 信虎が書院の中を見回し詫びた。「いやいや、大人衆と年賀を祝っておりました。ささ、お座り下され」 促され信虎は末席に腰を据えた。 「まずは一献」 朝比奈泰能が瓶子をもち信虎の大杯に祝い酒を注いだ。「遠慮のう頂戴いたす」 信虎が豪快に飲干した。「相変わらず見事な飲みっぷりには感服いたす」 義元が世辞を言った。「なんの今年で六十となりました、年々と躯が弱り長うはござらぬ」「駿府に参られもう十二年にもなりますか」「何のお返しも出来ず恐縮に存ずる」「晴信殿、先年はお働きにござったな」 雪斎が柔和に信虎に語りかけた。「何とか北信濃を平定いしたが手緩い」 信虎の背がしゃきっと伸びた。「舅殿にお訊ねいたす」 「ほう、この老人に何事にござる」「我が今川家と武田家、さらに関東の北条をいかが見ますかな?」 義元の問いに暫く瞑目した信虎が、かっと眼を見開いた。「越後の長尾家のために関東の動きが烈しくなりましょうな」 「烈しくとな」「晴信と越後勢、信濃を巡り烈しさを増しましょう。それにより北条は関東制覇を狙い、この駿河にも眼をつけましょうな」「矢張り、我等と同じお考えか」 三浦成常が大きく肯いた。「左様、じゃがわしには別な思惑がござる」 信虎が野太い声で答えた。「信虎さま、そのお考えお聞かせ願いませぬか」 雪斎が信虎を凝視し訊ねた。「今川家の軍師殿が何を仰せにござる」 「舅殿、余もお聞きしたい」 義元が興味を示し肥満した体躯を乗り出した。「このままでは三国とも動きがとれなくなりましょうな、今川家は上洛、武田家は信濃平定が当面の目標、一方の北条は関東の制圧。じゃが厄介な若造が越後に居ります、奴を封じ込めねば三国とも動きがとれません」 「どういたせと申される」「三国が同盟いたす。武田に越後勢が攻め寄せれば北条は東北関東に兵を進めます。越後勢が関東に進出いたせば、武田が越後に攻め寄せます、その隙を突いて尾張、美濃が甲斐を侵略するなら、今川家が美濃、尾張に兵をだします」 信虎が語り終わり義元を見つめた。「成程、三国が協同でお互いの利益を守るか、面白いな雪斎はいかが見る」「恐ろしいお方にございますな信虎さま、早速、拙僧が根回しをいたします」「さすれば我が今川家は上洛の道が開けまするな」 朝比奈泰能と三浦成常が、興奮で顔を赤らめた。 ここに太原雪斎が奔走し、婚姻関係による三国同盟が駿河の古刹である善得寺で成立を見るのである。戦国時代の有名な武田信玄、今川義元、北条氏康の三人が、初めて会見したのである。 この会合は「善得寺(ぜんとくじ)の会盟」と云われ太原崇孚の功績とうたわれる一事であった。この会盟により北条氏康の娘は今川氏真のもとに嫁ぎ、晴信の娘の黄梅院は北条氏政のもとに嫁(か)したのだ。 武田家と今川家は二年前に、晴信の嫡男の義信に義元の娘が嫁(か)していた。ここに甲駿相(こうすんそう)三国同盟が成立したのだ。それぞれが思惑を秘して後顧の憂いを絶つ事が出来る条件が揃ったのだ。武田家二代の野望(1)へ
Oct 5, 2007
コメント(9)

この情勢となったら万事休すである、越後勢は九月半ばに軍を返した。 こうして第一回川中島合戦は睨み合いで終りをつげた。ここにも信虎の暗躍がものをいったのだ。 年の暮れが近づいた頃、久しぶりに晴信と勘助は古府中の館で顔を合わせた。外は深々たる雪化粧に変わっている、二人は火鉢を挟んで語らっている。「御屋形、越後勢の陣立てをいかに見ました」 眼帯を替えた勘助が隻眼を瞬かせ訊ねた、既に勘助も老境に入り、めっきりとしわ深い顔となっている。「行軍態勢から何時でも攻勢に移れる陣形とみたが、そちはどうじゃ?」「拙者も同感にござる。各陣形を整える手数が省けますな」「我等も真似るか」 「あれは天才の陣形にござる」 晴信が嫌な顔をした。「御屋形も天才、猿真似では勝てませぬ」 勘助が遠慮容赦もなく答えた。「我等は我等の陣形で戦(いくさ)をせよと申すか?」「左様、武田の軍法は鶴翼の陣、後詰にて勝負を決する陣形にござる」「・・・-、それにしても厄介な男を敵にしたものじゃ」「損得ぬきで戦を好む武将であったとは、拙者にも考えが及びませんでした」 勘助の隻眼が曇り、晴信が暫し火鉢に手をかざした。「この度は父上のお力沿いで助かった。忍びの体制は出来ておるか?」「はい、河野晋作を頭領として越後、相模、駿河に潜り込んでおります」「勘助、まず越後の豪族たちの寝返りを策すのじゃ。さらに越中の本願寺一向門徒衆と手を握る、長尾影虎と言う男は何度でも信濃に出て参るとみた」「勘助の考えも同じにござる、出てくれば何度でも背後を脅かす。これが奴の弱点と見もうした」「ついでに影虎は若造じゃ、いくら強くても領内治世に弱点があろう。探るのじゃ」 勘助は晴信の言葉を心地よく聞いていた。「御屋形は一段と大きうなられた、それが何よりも嬉しい事であった。 (三国同盟) 年が明け駿府城は年賀の喜びにひたっている。大広間には義元と太原雪斎、宿老の朝比奈泰能、三浦成常等が集っている。 今年は珍しく三河、遠江の守将連も参賀に招かれていた。これは織田の進攻が途絶えた所為で、当面の敵は関東の覇者、相模の北条勢のみとなっていた。 三河の最前線の吉田城主の伊東定実が祝いの言葉を述べている。 義元は烏帽子直垂姿で大様に肯き祝辞をうけ口を開いた。「伊東、三河は暫く静かになろう。じゃが織田のたわけ者食わせ者と見る、先年には美濃の蝮の娘を娶った事が証拠じゃ。構えて抜かるでない」 一座の者はそれぞれの祝いの酒肴に心地よく酔っている。「竹千代、そちは今年で十二才となったの、そろそろ元服じゃ。そうなれば今川一門の娘を嫁につかわす」 末座の松平竹千代が顔を赤らめ平伏した。 宴たけなわとなった時、義元は己の書院に向かった。従うは雪斎と宿老の二人と相模の備え葛山城主の葛山氏元の四人であった。「葛山、北条勢の動きはどうじゃ」 義元が肥満した躯を脇息に保たせ訊ねた。「はっ、北条氏康なかなかの働き者にございます、伊豆も完全に勢力圏に入れ申した。今年あたりは本格的な動きを示すと思われます」「我等、駿府の背後じゃ」 義元の眼光が鋭くなった。「幸いにも我が海賊衆の三人が控えておりますれば、迂闊には進攻は叶わぬと見ております」 「雪斎、そちの考えはどうじゃ」「先年、越後の長尾影虎、信濃に進攻いたし武田と事を起こしましたな、それ故に長尾勢の関東進出は困難になりました。それだけに北条勢は動き易い情勢となったと考えます」 太原雪斎が常の如く柔和に関東の情勢を説明した。「幸いにも武田家とは強固な同盟関係を維持いたしておる。武田は越後に討って出るか?」 再び雪斎が義元の質問に答えた。「念願の信濃をほぼ平定いたした武田家は、虎視眈々と越後を狙いましょうな」「雪斎、そちは最近顔色が優れぬが体調でも悪くいたしたか?」 義元が心配そうに雪斉の顔色の悪さを気にしている。「御屋形さま、拙僧も今年で五十九才となりました歳には勝てませぬ」「今川家にとって重要な局面を迎えておる、躯を愛うてくれよ」「勿体無いお言葉、身に沁みまする」 太原雪斎が軽く低頭した。「武田殿が温和しゅういたせば、北条勢ますます勢いが増しますな」 朝比奈泰能が厳しい武者面で義元を見つめた。「それぞれに利がある、それにとやかくは申せまい」 義元が太った躯を脇息から起こした。武田家二代の野望(1)へ
Oct 4, 2007
コメント(8)

「小説ブログランキング四位」 「お弓、越後に忍びを入れねばならぬな」 信虎も不思議な胸騒ぎを覚えた。「小十郎に命じなされ、武田の忍びの頭領は風の五兵衛。士分として河野晋作と名を変えております、その男を頼り越後の様子を探りなされ」「お弓、そちはそこまで探って参ったのか?」 「あい」 お弓の顔色が酒のせいか色っぽく変身している。見つめられた信虎は背筋にぞくっとする色香を感じた。「大殿、今宵はご褒美をいただきますぞ、乳も大きうなりました」 お弓が襟元を緩め乳房を顕にした。かっての乳房よりも豊満となって肩の辺りの膚もしっとりと脂が乗りきっている、思わず信虎が唾を飲み込んだ。 最近、勘助は諏訪の上原城に籠もりきっている。河野晋作から越後の情勢がもたらされ、眼の離せない情況となっていたのだ。 そんな時期に真田幸隆からの早馬が駆け込んできた。長尾影虎率いる越後勢五千名が兵を集めながら、新井宿からと富倉峠を越え善光寺に向かっているとの知らせであった。とうとう越後勢動きだしたか、いずれは衝突する運命であるが余りにも早い。矢張り義戦の武将か、勘助は初めて胴震いを覚えた。 彼をしても欲得を離れた影虎の魂胆が見抜けないのだ。合戦予定地は海野平か川中島となろう、そんな予感がした。 勘助の使者が古府中の晴信のもとに、越後勢迫るの知らせをもたらしたのは天文二十二年八月の初めであった。これより十二年間両雄は五回にわたり凌ぎを削ることにるのだ。 晴信の出陣も素早かった、館から大太鼓が轟き法螺貝が出陣を促している。 前線からは刻々と越後勢の動きが狼煙で伝わってくる。既に善光寺の手前まで進出してきている。長尾影虎、凡庸の器ではない、武田家は恐ろしい男を敵とした訳である。常のごとく諏訪法性の御旗と孫子の御旗を靡かせ、古府中から八千余の軍勢が出撃した。小淵沢(こぶちざわ)から武田の誇る棒道を辿り武田本隊は急行した。晴信は越後勢との予定戦場を川中島と想定しており、諸将には参集の地を千曲川手前と定めた。川中島は千曲川と犀川(さいかわ)に挟まれた一帯で幅約二里半、長さ約八里ほどの地であった。 武田勢一万五千、長尾勢一万が初めて対陣したのだ。はじめから越後勢は不利な情況にある、兵数からしても不利であり武田の勢力圏に踏み込んでの戦いのために補給線が伸びきっていた。 併し長尾影虎は己を毘沙門天の生まれ変わりと信じている天才的な武将で、配下将兵もそれを信じ、彼の手足のような動きを示すのである。 一方の武田勢は己の領土内での戦いのために補給の難もなく長期戦に耐えられ、また歴戦の将を数多く持っていた。こうして第一次川中島の戦いは膠着情況となり、局地的な小競り合いで終始し一ヶ月ほど経過した。 夜間に勘助が本陣を訪れてきた、大篝火が焚かれ火の粉が夜空を舞っている。 「御屋形、吉報にござる」 「なんじゃ、勘助」「駿府の大殿からの密書が届きました」 「父上の密書とな」「長尾影虎には上洛計画が進んでおるそうにござる」 「なんと上洛とな」「左様、九月中に上洛を果たさんとの計画との事、さすれば我等は長期戦で挑み奴等を足止めいたせば、長尾影虎、焦りましょうな」「あの若造が上洛となー」 顕かに晴信の顔に憤りの色が浮かんでいる。「更に、大殿は越中の本願寺門徒衆をたき付け、一揆を起こさせ影虎の背後を脅かす策を行っておる最中との事にござる」 篝火を背後とした勘助が影法師のように見える。 「長尾影虎は本願寺と争っておるのか?」「はっ、先代の為景(ためかげ)から絶えず一向宗と争っておる、越後の弱点との事にございます」 「父上も相変わらずじゃな」「今回は越後勢の強さを目の当たりにいしました、矢張り恐るべき力を備えております。駿府の大殿の申されますよう主力戦を避け、影虎の様子を見ましょう」 こうして両軍は千曲川を挟んで睨みあいとなった。「汚し、武田晴信」 影虎が怒りにかられ挑発するが武田勢は山のように動かずにいる。そうした最中に越中の一向門徒衆の一揆が北陸一帯に広がりをみせ始めた。 武田家二代の野望(1)へ
Oct 3, 2007
コメント(7)

ワンポッチを待っております。 「恐れながら申しあげます」 真田幸隆が膝をついて声をかけた。「真田殿、何か思案でもござるか?」 すかさず勘助が尋ねた。「この度の一戦は村上義清殿お一人が狙いかと推測いたします。城内の豪族たちとは拙者、面識がございます。使者の役目を仰せつけ下されませ」「我等に降るか?」 かわって晴信が訊ねた。「すでに勝敗定まっております、村上殿を越後に追放いたせば、彼らは武田家に恭順いたしましょう」「行け。無事に事が治まれば上田の地を与える」 晴信が凛とした声で命じた。「有り難き仰せ、直ちに罷りこします」 真田幸隆が拝跪(はいき)し城に向かった。一刻ほどの間、包囲する武田勢は声を殺し粛然と葛尾城を見つめている。 真田幸隆が城門から姿を現し並足で本陣に駆け寄ってきた。「申しあげます、村上義清殿了解いたしました。ただし鴨ケ嶽城の高梨政頼殿に井上城の井上清政殿も、ご一緒に越後に向かいたいとの事にございます」「高梨政頼殿の室は長尾影虎の叔母にござったの」 勘助が隻眼を光らした。「左様」 「許す。直ちにその旨を先方に知らせよ」 晴信が断を下した。真田幸隆が葛尾城にむかって大きく手を振った。「善光寺に向かう道を空けよ」 勘助がすかさず下知を下した。 前方の武田本軍がさっと左右に移動し、細い道が大軍の間に現れた。 葛尾城の大手門から村上義清と二名の武将が姿をみせ、股肱の臣下が五十名ほど従っている。義清が馬上から武田の本陣を見据えおもむろに頭を下げた。晴信は床几に座り、無言で宿敵であった村上義清を凝視している。「落ち延びられよ」 山本勘助の声に誘われ、村上義清が軽く馬腹を蹴った。 ここに長年にわたり北信濃で威勢をはった村上義清は越後に逃れて行った。こしうして武田家念願の信濃平定は終決をみた、残るは木曽であるが今の武田にとり直接の脅威ではない。まずは信濃の経営を行う、これは晴信も勘助も同意見であった。今後の敵は越後の長尾影虎である。「御屋形、越後勢は北信濃の豪族どもの要請で必ず姿を見せましょう、その為にも信濃の安定が望まれます」 「判っておる」 晴信は信濃の諸城に守将を定め、上田城の真田幸隆を郡代として古府中に軍を返した。 信虎の隠居所に、お弓が戻ったのは七月の半ば頃であった。「大殿、長い間留守にいたしました」 「何処に居った?」「甲斐と信濃に居りましたが、最後の地は葛尾城にございました」「なに、葛尾城に忍び込んだと申すか」 豪胆な信虎が驚いている。いかに忍びとは云っても女の身である。「今頃は村上義清は討ち果たされたか、越後に逃れたかどちらかでございましょう」 「晴信が北信濃を手に入れたと申すか?」 お弓が黙して肯いた。「奴め、わしに出来なんだ事を遣り遂げたか」 信虎の躯に喜びが湧いていた。「大殿、わたしの留守中に愛妾が出来たと耳にいたしましたが、本当ですか?」 突然、冷や水を浴びせられ、信虎が苦虫を噛みつぶした顔をした。「本当ならば殺しますぞ」 お弓が平然と恐ろしい言葉を口にした。「待て、わしは淋しかったのじゃ。許せ」 上目づかいでお弓をみつめ信虎は内心驚いた。長旅の所為か、いくぶん肌が焼けているが以前よりも肌がきめ細かく熟した女になっている。胸元の隆起も盛り上がって見える。「お弓、そちも男と契ったな」 「あい、男なしでは身がもちませぬ故な」「馬鹿者、わしだけを責めるな」 信虎が嫉妬に似た感情で罵声を浴びせた。「わたしは大殿の命で命懸けで行って参ったが、大殿は違いまするぞ」「責めるな、わしが悪かった」 とうとう信虎が根負けした。 こんな大殿がわたしは好きなのじゃ、勘助殿は女の喜びを与えて下された。だから、内緒で赤子を産み託してきたのじゃ。お弓は内心で呟いていた。「お弓、いかがいたした」 信虎が魁偉な眼を細め不審そうに訊ねた。「大殿、まだ重要なお話がございますぞ、その前にささを下され」「酒か?」 「あい」 お弓が独酌しながら信虎に越後の情勢を語っている。「越後の長尾影虎と申す武将をご存じか?」 「詳しくは知らぬ」「まだ十八才の年若なれど、初陣から負知らず。噂では毘沙門天の生まれ代わりと云われる武将じゃ」 信虎が初めて聞くことであった。「領土欲なく女も近づけず、戦と酒だけを生き甲斐とされるお方と聞いております」 「その長尾影虎がいかがいたしたのじゃ」「関東管領の上杉憲政さま、信濃守護小笠原長時、村上義清殿を庇護しておられるが、この度、信濃に討って出られるとの噂があります。義理で戦をなさるお方は恐ろしい存在じゃ」 信虎にもお弓の恐れる訳は判る、欲のない者こそこの世のなかで恐ろしい者はない。「武田家は、これから越後勢と戦わねばならぬと申すか?」「あい、わたしは何やら恐ろしくてなりません」武田家二代の野望(1)へ
Oct 2, 2007
コメント(9)

ワンポッチを待っております。 「歴史・時代小説」1位。「小説ランキング」5位です。 (第一次川中島合戦)「武田家の忍びの頭領、河野殿か?」 「そうじゃ」「お弓と言います、駿河の大殿さまに仕える忍び者じゃ」 屋根裏の闇の中での会話である。 「お弓殿か?・・・ 山本さまから聞いてござる」「そうかい、義清は八月に兵を起こしますぞ」 「確かでござるか?」「甲賀の風の五兵衛と言われた忍びが、わたしを信用できぬと申されますか」 これは気の強い女子じゃ、さぞ山本さまも手こずった事じゃろう。覆面のなかで河野晋作が苦笑いを浮かべた。 「何を笑っておられる」「これは失礼いたした、山本さまからの言付けです。お麻さまは元気に育っておられる、心配なさるな」 一瞬、お弓が声を飲み込んだ。 「これで消えるが、間違いなく村上挙兵の時期を山本さまにお伝えいたす」「河野殿、お麻を武田の忍びの頭領として育てて下され。お願いしますぞ」「承知にござる。一度、山本さまにお逢いなされ」 その言葉を残し気配を絶った。屋根裏の太柱に身を隠していたお弓が音もなく立ち上がった。 今の河野晋作の囁きが耳から離れなかった、お麻にも逢いたかったし、勘助にも抱かれたかった。 (忍び者が未練じゃ) お弓もすぐに姿を消した。 古府中の屋敷の一室で勘助は河野晋作の報告を聞いていた。「村上義清、八月に兵を起こすか?」 「お弓殿がそのように申されました」「お弓殿に会ったのか?」 「葛尾城(かずらおじょう)の屋根裏でございました」「そうか」 一瞬、勘助の異相な顔が曇った。「お麻さまの事もお伝えしました。必ず忍びの頭領にと念を押されました」「ご苦労であった」 「まだ信濃に潜伏されておられましょう」「逢いたくなったら姿を見せるであろう」 甲斐盆地は、そよとも風がない蒸し暑い夜であった。古府中の館から粛々と軍勢が吐き出されている、夜間の出陣は武田勢にとり初の経験であった。「行き先は何処じゃ」 足軽どもが囁きあっている。 「黙らぬか」 すかさず組頭の叱責がとぶ。本陣には晴信の姿はなく、代って信繁が陣取っている。これは異例の出来事である、すでに晴信は数日前に諏訪の上原城に入っていた。今度こそ村上義清の息の根を止める、晴信の覚悟の知れる戦略であった。諏訪郡と佐久郡の諸城からも夜間になるとひっそりと軍勢が出陣している。 昔日の威光を失った村上勢は、ただひとつ残った葛尾城に籠城し最後の一戦を策していた。総勢三千も満たない兵数である。 晴信は一兵も逃さず村上勢を叩き、義清を信濃から駆逐する覚悟であった。 それ故に隠密に軍勢を葛尾城に向けていたのだ。我らの出陣が洩れると村上勢は霧散(むさん)するであろう、それを恐れての作戦であった。 古府中より大軍発するの知らせが葛尾城にもたらされた時、村上義清は臍(ほぞ)を噛んだ。何時の間にか城は完全に包囲されていたのだ。「これはどうした訳じゃ」 籠もっていた将兵等は仰天した、完全に袋の鼠である。 「御屋形、策がなりましたな」 勘助が隻眼を細め呟いた。「そちの考えどおりに策は進んでおる」 魁偉な晴信の眸が輝いている。「城方の兵ども死を覚悟いたしましたな、だが本軍が現われましたら彼等の士気は一気に萎(な)えましょう」 「そうよな、そこで勘助一流の降伏勧告を致せば流れは我等に傾く」 「御意に」 晴信が笑い声をあげ、勘助も頬を崩した。「村上義清、手こずらせたが終りじゃな」 「殺しますか?」「余の考えは変わった、殺さずに越後に逃してやる」「御屋形は、越後の長尾影虎と事を構えまするか?」「奴は義戦を好むと聞く、いずれは戦わねばならぬ相手じゃ。今のうちに叩いておくのも悪くはなかろう」 晴信の体躯から満々たる闘志が湧いていた。「どのような戦をいたす武将か見たいものにございますな」 二人が語りあっていた。翌朝、武田の本軍一万三千が旌旗をはためかせ葛尾城の前面に現れた。 「御屋形、遅うなりました」 「信繁、大儀であった」 武田信繁が愛用の鎧姿で本陣に現われ、続々と武田の誇る猛将連が草摺りの音を響かせ姿を見せた。先発の武将も全て兵を部署し集まってきた。 馬場信春、山県三郎兵衛、秋山信友等である。「おう、真田幸隆殿もおいでか」 勘助が見逃さず声をかけた。 小柄な躯の中年の武将であるが、彼の調略のお蔭で戸石城は降伏したのだ。「この度は武田のために苦労をかけた」 晴信もすかさず声をかけている。「皆の者、北信濃の戦は今日で終りといたす」 晴信が宣言した。武田家二代の野望(1)へ
Oct 1, 2007
コメント(9)
全28件 (28件中 1-28件目)
1