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ハワイの風景が見える音楽〜リリウオカラニ女王とアロハ・オエハワイ王国の最後の君主となったリリウオカラニ女王は1838年9月2日生れ。今年は生誕179年目を迎えます。1891年1月、兄のカラカウア王がサンフランシスコで客死した後、第一王位継承者だった妹のリリウオカラニが、即位しますが、益々強くなる反体制派の白人勢力を抑える事は、もはや、できませんでした。1893年1月16日、ハワイ革命が起こり、王制廃止宣言と臨時政府の樹立、また、1895年2月27日、かつての王国の政治の中心だったイオラニ宮殿で行われた裁判では、反乱に加担したということで、5,000ドルの罰金と5年間の重労働の判決を受け、その後、イオラニ宮殿で半年間の幽閉生活を送る事になります。イオラニ宮殿を訪ねる度に、栄華と崩壊、ハワイ王国の様々な歴史のシーンを垣間みた、リウオカラニ女王の心中を考えると、熱いものがこみ上げてきます。リリウオカラニ女王は、生涯を通じて、160曲以上の楽曲を作ったと言われ、その中でも「アロハ・オエ」は彼女の代表的な作品です。1878年、オアフ島の東側ウィンドワード側にあるMAUNAWILIで、リリウオカラニが出会った将校とローカルの女性の悲恋物語を歌っていると言われていますが、その後に、ハワイ王国崩壊の陰で、ハワイの民衆を愛し、王政復興を夢見たリリウオカラニ女王の心情が、歌詞の最後のくだりである「UNTIL WE MEET AGAIN」と重なり、印象深くなる言霊を秘めている様な気がします。没後100年経っても、ハワイの代名詞的な曲として、多くの人達に愛され続けているのはリリウオカラニ女王の魂が今でもこの曲に息づいているからではないでしょうか? イオラニ宮殿庭にあるリリウオカラニ女王像 参考文献 Hawaii-TV ペレ・レイコ さんの記事※スタジオ・リム・ハワイ代表。ラジオDJ、ディレクター、MCとしてハワイにある自身のスタジオから日本に向けて様々な情報を発信。ライターやイベント・プロデューサーとしても活動する。ハワイ・エンタメ界の豊富なネット・ワークを持っており、ミュージシャンの友人も多い。ハワイ在住14年。※ 私のHAWAII での最高で大事な大事なお友達なのです。
2017.08.26
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ALOHA☆今日のお話は、溶岩の上に最初に芽吹く植物は・・・、です。 キラウエア火山から噴き出すマグマによって、今も刻々と新しい溶岩大地が生み出されているハワイ島。車を走らせると、あちらこちらで、真っ黒でごつごつとした岩だらけの大地を目の当たりにします。 この荒涼とした溶岩大地の上は、一見、何の生命も生きられそうもなく、ましてや植物が生えて来るなどとは想像もできません。ところが自然の力は私たちの想像よりもはるかにパワフル。実際のところ、溶岩が冷え固まったその数ヶ月後にはもう小さな生命が芽吹き始めるのです。 最初に溶岩台地に芽吹くのがハワイ固有のシダの一種、クプクプ。日本語ではタマシダと呼ばれる種類で、葉が末広がりにならずしっかりとした単葉のシダです。そして、ビッグアイランドを象徴する花・レフアを咲かせるオヒアの樹も時を置かずして溶岩大地に根付きます。その他、オヘロやプキアヴェ、アアリイなど溶岩台地で最初に見かける植物はハワイ固有種のものが多いのです。さすがハワイ育ちの植物、火山の女神ペレのお膝元でしっかりと生き続けるすべを身につけているのでしょう。 これらの植物は、火山国立公園の溶岩大地の上で沢山見かけることができます。 参考文献 allhawaii (オールハワイ) 三谷 かおり さんの記事※ハワイ島在住メディア・パーソナリティ。ハワイ島を中心に、ネイバーアイランドの自然や歴史、アクティビティ、フード、カルチャーなど多彩な知識と経験を活かし、マルチな分野で活躍中。 ハワイ在住15年。
2017.08.19
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今晩は「五山の送り火」です。■ 「大文字焼き」ではなく、「送り火」なんです。夏の風物詩として有名な「大文字の送り火」ですが、「大文字焼き」と言われることがあります。しかし京都の人は「大文字焼き」とは言いません。それは、先祖を送るために『灯す』厳かな火であって、決して『山焼き』ではないということだからです。京都の人のなかには「大文字焼き」という言葉が、織田信長の比叡山の焼き討ちを連想させるため、決して「焼き」とは言わないという人もいるそうです。また見物するものではなく、再び彼岸へ帰るお精霊さん(おしょらいさん)をお送りするために、手をあわせて拝むものです。さて、実は送り火の起源や由来は、不思議と謎に包まれています。長らく都であった平安京では、ほとんどの行事や風物は公式な記録が残っていますが、大文字の送り火については公式記録がなく、誰が何のためにいつごろ始めたのかは謎のまま。ただ、庶民も含めた年中行事として定着するようになるのは、室町時代から江戸時代以後のことであるといわれています。なぜ公式な記録がないのかについては、送り火はお盆の先祖供養の一般信仰と結びついたもので、あくまでも民衆による自発的な行為だったために、朝廷によって記録されなかったともいわれています。しかし、昔は大々的に京都周辺のほとんどの山々で送り火が燃やされていた時期もあるとも伝えられていて、朝廷の許可なく行われていたとは考え難いのですが。祇園祭とともに京都の夏を代表する風物詩のひとつとして、現在にも残っていることだけは確かです。■ 純粋な宗教行事であって、イベントではありません。送り火は、東山如意ケ嶽の「大文字」がもっともよく知られています。ほかに金閣寺大北山(大文字山)の「左大文字」、松ヶ崎西山(万灯籠山)・東山(大黒天山)の「妙法」、西賀茂船山の「船形」、そして嵯峨曼荼羅山の「鳥居形」があり、これらを「大文字五山送り火」とよんでいます。「妙法」とは南無妙法蓮華経のお題目の字で、守寺である涌泉寺が日像上人によって、天台宗から法華宗に改宗された時に、西山に妙の字を書いて点火したことが起源とされています。この涌泉寺では、送り火前夜と当日夜に日本最古の盆踊りとされる「題目踊り」が行なわれます。次に「船形」ですが、西方寺を開祖した円仁(えんにん)が、唐留学の帰路に暴風雨に遭った時に、南無阿弥陀仏と唱えたところ暴風雨が治まり、無事帰国できたことから「船」が採用されたとか。この船は精霊船ともいわれ、舳先は西方浄土を指しているそうです。「鳥居」は、火の神で有名な愛宕山の登り口にあり、愛宕神社参道を示す一の鳥居に由来していると伝えられています。しかし、「大」の字の由来についてははっきりしていません。近代に入って色々と諸説が唱えられていますが、大の字は星形で、この星は陰陽道でいう魔除けの五芒星のことを指しているとも。ほかにも弘法大師が人体になぞらえて大の字形に護摩壇を作り、病魔退散や五穀豊穣などを祈願したという説など、さまざまな説があるそうです。ただそれぞれの意味を知れば、「五山の送り火」は純粋な宗教行事であって、イベントではないことがわかります。今年はお精霊さんを送る気持ちで、火が灯るのを楽しまれてはいかがでしょうか。美しい古都に思いを馳せつつ、はんなりとした時間を過ごしてみませんか。
2017.08.16
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ALOHA☆ ハワイ最後のパラダイス?ラナイ島について。マウイ島の西約15kmに位置するラナイ島は、別名パイナップルアイランドと呼ばれている様に、広大なパイナップル畑が広がる素朴な島だったのです。近年になって大規模なリゾートホテルとゴルフコースが造られ、近い将来には一大リゾートアイランドとして生まれ変わってしまいそうです。 だが、島はまだまだ未開拓の原野がほとんどです。野生の七面鳥や鹿、豚等が生息してまだまだ自然も残されています。ラナイ島はハワイ 最後のパラダイスと称賛され自然豊かなハワイが残された島です。では、又、A Hui Hou!(じゃまたね!) MAHALO~!!!
2017.08.12
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「ちょっと言いたくなる京都通」として奥深い京都の良さや京都の人も知らない情報などをおりまぜながら、わかりやすく紐解いていきたいと思います。ぜひ身近に京都を感じてください。今回のテーマは京都は上京区にある、ゑんま様が本尊の『千本閻魔堂(せんぼんゑんまどう)』をご紹介します。■ ゑんま様のイメージアップどすえ。訪れる人を清々しいおりんの音で迎えてくれる千本閻魔堂。「ゑんま様」と聞くと、ちょっと恐いイメージがあるかもしれません。しかし、こちらにはそれを払拭するかのように、お優しくにこやかな表情の女性の住職様がいらっしゃいます。 地元の人々から「庵主さん、庵主さん」と親しまれている戸田妙昭様。私たちの知らないゑんま様の本当の教えについてお話をうかがいました。「千本閻魔堂というのは通称名。正式名は引接寺(いんじょうじ)と言います。引接というのは、引接来迎(いんじょうらいごう)という仏教語に由来します。『引導を渡す』という意味で、次の世界を決めていただくこと。 それが決まらないと、生きていく上で迷いが多くふらふらしてしまい、目的もみつかりません。 自分の歩む道をどの方向に行けば良いのか、迷わずに導いていただくことは大切なことです。ゑんま様も亡くなった人をどこへ送るか導いてくださいます。ゑんま様は決して地獄の鬼の大将ではありません。地獄だけでなく、極楽へ行くことも決めてくださいます。皆さん、ゑんま様は恐い表情で地獄へ送る方と思ってらっしゃいますが、それは違います。 ゑんま様は、怖がらせて何か聞き出そうとしているのではありません。 たとえば、我が子が悪の道へ走ったら、お父さんはゑんま顔になり、お母さんは阿修羅となって怒るでしょう。それは、それだけ愛情が深いからです。ゑんま様も三悪道に絶対落とさしめてはならない、という強い気持ちをお持ちなんです。三悪道とは、地獄道、餓鬼道、畜生道のことで、悪行を重ねた人間が死後に赴く3つの世界。そのような地獄へ誰も落としたくない。けれども中には、地獄を見せ、ワンステップ踏まないと上にあがれない者もいます。 そういう時は仕方なく地獄へ落としますが、それはゑんま様にはあまりにも悲しくおつらいこと。あまりの悲しさに怒りがワーッとこみ上げてくる…ゑんま様のあの表情は深い愛情から湧き上がった悲しみゆえ。慈悲のお顔なんです。決して怖がらすためのものではないんですよ。私はゑんま様のイメージ破壊をしているんです」現在こちらに奉安されている閻魔法王は、高さ2.4メートルものダイナミックな御像。応仁の乱で京の都が火の海と化したために一度焼失しましたが、長享2年に再現されました。 鋭く光る瞳は焼失を逃れた琥珀で、今なお力強い眼力を放っています。ゑんま様の前には全てを見通されるような美しい水晶が置かれ、そこに立つと心が澄んだ状態になり、清らかで研ぎ澄まされた気持ちになります。■ あの世とこの世を結んでいたお方がいはったんえ。千本閻魔堂の開基は、京都の役人であった小野篁(おののたかむら)卿。百人一首で知られる平安朝の歌人でもあった小野篁卿は、今で言うエリート高官でした。彼には、不思議な力があったと言われ、数々のミステリアスな伝説を残しています。篁卿は、死後の世界と現世を往来する神通力を持っており、昼は宮中に、夜は閻魔之廰(ゑんまのちょう)に仕えたと言われています。 当時、千本通りは朱雀大路と呼ばれる、平安朝の中心道路でした。京都は神様の都で、お公家様や神主様の都。そしてお隣の奈良は仏教の都と言われていました。その時代は、皇族、お公家様たちが亡くなられると、葬儀の儀式があり墓所も造られましたが、それ以外の一般平民が亡くなれば、亡きがらはそのまま道ばたに置かれました。それが原因でさらに、伝染病などが蔓延し、毎日、人がバタバタと倒れ、人の塚があちこちにできるという、大変なあり様でした。天下の朱雀大路が見るも無惨な姿となったため、そこをきれいに一掃するようおおせられたのが小野篁卿でした。 今の厚生大臣のような仕事だと、庵主様は語ります。「篁卿は、なんとかしなければいけないが、さてどうしたものかと思案をめぐらしました。神様のことを考えるといろいろと忠告してくる人がいる。仏教のことを言うと、宗教戦争になってしまう。そこで、自分の持っているあの世とこの世を往復する神通力を使ったんです。夜、あの世へ行ってゑんま様に会って相談しました。ゑんま様は仏教と神道の中間の教えである儒教・道教の考えを持ち、中でも十王思想という教えをお持ちでした。地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道…の5番目にあたる人間道の王様がゑんま様。 亡くなった方の次の世界を決める役目であり、十王の中でもとてもメジャーな方なんです。そのゑんま様の教えを受けた篁卿は、アイデアをしぼりました。京の都を中心にすると、鬼門は比叡山と八幡を結ぶ方向。その逆方向の西北と東南にゑんま様をお祀りし、関所としてあの世とこの世のわかれ道を造りました。それが、朱雀大路頭にあたる所です。それ以降、都人は人が亡くなると、そのわかれ道まで棺を持って行き、あの世へとお送りするようになりました。棺を地下へ埋めて石を積み、お地蔵様を置くという、現世浄化の法儀の由来です。この辺りは、お地蔵様だらけ。地域に根ざした信仰の表れです。 地蔵信仰を広めたのは篁卿といっても過言ではありません」 こちらに奉安されている篁卿の像は、立像で袖がふわっと羽のように上がっています。これは、とても珍しいものです。まるで飛んでいるかのようなお姿は、あの世とこの世を忙しく奔走したお姿を表しているのでしょう。風に乗ってあの世からこの世へと舞うように駆け抜けた篁卿の伝説を偲んで、毎年7月に「風祭り」が行われます。風となった篁卿のお姿は見えずとも、風の調べとお香の薫りを感じながら、平安朝へと想いを馳せる風流なひととき。香道の難しい作法は気にせず、誰もが楽しめる雅やかなお香の会です。「風祭り」期間中は夜のライトアップが美しい中、夜間拝観ができます。 また7月7日の七夕様は、「梶の葉祈願」という、古式ゆかしい恋の祈願をしてくれます。 笹に短冊を吊るす七夕飾りになる前は、梶の葉に墨で恋歌を書き、小たらいに浮かべて月を映すと、その恋は成就すると伝えられていました。こちらでは今でも梶の葉に恋の願いを書いて祈願し、祈祷していただける古来の恋愛成就法が息づいています。■ 紫式部の供養塔もあるんどす。篁卿が亡くなられた200年後に京の都に生まれたのが紫式部です。紫式部は篁卿の大変なファンだったと言われています。式部は京都の歴史やしきたりを調べるにあたり、篁卿についての数々の業績や伝説を知り、すっかり魅せられたと言います。そして源氏物語にも篁卿の功績を随所に書いています。千本閻魔堂には、紫式部の供養塔もあります。「不思議なことに、紫式部、シェークスピア、小野篁…この3人のお墓は、いまだにどこにあるのか定かでないと言われています」と庵主様。 「なぜ、こちらに紫式部の供養塔が造られたかと言いますと…お寺の初期の住職であった円阿上人が、ある時夢を見られました。それは、紫式部が地獄で苦しんでいるお姿だったそうです。どうしてあの源氏物語という大作を書いた才女が、そのように苦しんでいるのかと驚き、ゑんま様に問いかけました。すると、源氏物語の執筆にあたり、作品を創作する上で、不殺生(不殺生)、不偸盗(ふちゅうとう)、不邪淫(ふじゃいん)という3つの犯してはならない罪を犯したと言われたのです。それは物語をおもしろく、ドラマティックに創造していくためにしたことですが、その罪をつぐなうために地獄で苦しんでいるということでした。 どうすればよいか尋ねると、供養塔を造り供養しなさい…と告げられたのです。そこで円阿上人が式部の供養塔を建立しました。これは紫式部の偉大さを証明するようなエピソードです。また、裏返せば千年経った今も色褪せずに、いっそう輝きを増す素晴らしい式部の作品『源氏物語』の影には、円阿上人をはじめ多くの人の力が働いていると言えます。供養をしてきたという礎(いしずえ)があればこそ、今なお光輝くのではないでしょうか」今年は源氏物語千年紀。このような歴史の重みを感じながら、式部の供養塔をお参りしてみるのもよい機会でしょう。 「千本閻魔堂がある西陣は、多くの古典文化・芸能が生まれた発祥の地。 京の歴史を語る上では、西の文化はなくてはなりません。文化が東へ東へと流れゆく中、西の文化を途絶えさせないよう、原点に立ち返ってここで生まれた源流をいつまでも見守り、活性させていきたいですね」そのように熱く語られる庵主様は、長らく忘れられていた「西陣音頭」も半世紀ぶりに見事に復活させました。西陣出身の都はるみさんがレコーディング。今年も8月24日に「お地蔵さんの盆踊り」が行われ、元気な「西陣音頭」が鳴り響く中、地元の人々は夏の名残りを楽しみます。庵主様のお話に心がなごみ癒されるひととき。毎月16日は「ゑんま様の日」その日はゑんま様の御開扉、ご祈祷、またお優しい庵主様の法話も拝聴できます。 昔は8月16日のみ、ゑんま様の御開扉が行われていましたが、現在は、日に関わらず、本堂まで上がってお参りする人には、いつでも本尊のゑんま様が御開扉されます。迫力あるゑんま様の眼光に何を感じるでしょうか。あまりの悲しみに苦悩し憤る…ゑんま様を通して、日頃、心配してくれる家族がいることに、ありがたいと改めて感謝の気持がわいてきました。※この夏使用した後に風鈴が傷んでしまって処分したい・・・? もともと魔除けの法具だった風鈴。こちらでは、使用されずに埋もれてしまった、または、壊れている風鈴の供養をしていだけます。今年の風鈴供養会は残念ながら7月に終わりましたが、不要の風鈴は随時奉納できます。郵送も可能。ご希望の方はお問い合わせください。取材協力:千本閻魔堂(引接寺)京都市上京区千本通寺之内上る閻魔前34番地電話 (075)462-3332
2017.08.09
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陰暦7月の節。陽暦の8月7日か8日で、秋立つ日。実際には最も暑い時期ですが、朝夕はなんとはなしに秋の気配が感じられる、という日なのです。立秋とは、秋に入る日のことを言います。この日から「暑中見舞い」は「残暑見舞い」に変わります。暦の上では秋に入ると言う事ですが、まだまだ暑さが続くこの頃は、全国高校野球もたけなわの時期です。即ち本当の意味の盛夏なのですが・・・。また、このようなときに近畿地方は台風5号の最接近となります。今日開幕の高校野球も残念ながら順延となりました。台風が過ぎ去っても、まだまだ暑さはこれからです、夏バテをしないように、健康で明るく楽しい日々を送れますように体調には十分気をつけてお過ごし下さい。
2017.08.07
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ALOHA! 🌴見るだけで心が癒されるハワイの絶景 🌴今日の絶景はハワイ島のアカカ滝です。落差約134mの滝はとても力強く、迫力があります。アカカ滝を見に行くアカカ滝州立公園のハイキングコースは下記リンクより動画でもご覧いただけますよ 😊http://bit.ly/2sFPFw0 参考文献 ハワイ州観光協会 go-hawaii allhawaii (オールハワイ)
2017.08.05
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常夏の楽園・ハワイ。アメリカ合衆国のハワイ州に属するハワイ諸島はハワイ島、マウイ島、ラナイ島、オアフ島、カウアイ島などの8島に加え、約124の小島から成り立っています。 美しい自然と伝統文化が息づくハワイの島々。ハワイ通21回の今回は冬のハワイの醍醐味ホエールウォッチングの魅力をどうぞ!!!年間を通して温暖な気候が楽しめるハワイですが、冬にだけ体験できる、とっておきの楽しみがあります。それが、ホエールウォッチング!今回はその魅力をご案内します。マウイ島のラハイナ沖はホエールウオッチングの聖地です 例年1月~4月頃にハワイの海で楽しめるホエールウォッチング。この時期にハワイにやってくるザトウクジラは、平均的な個体で体長13m~14m※となる大型のクジラです。特に、マウイ島の西部や南部の沖合は、北太平洋に生息するザトウクジラの過半数がやってくるというクジラたちの聖域。※出典『 世界動物大図鑑』(ネコ・パブリッシング)穏やかで、浅く、天敵のいないこの海域は、子育てや出産のためにアラスカからやってくるザトウクジラにとって絶好のロケーションなのだそう。かつて19世紀に捕鯨基地として栄えたマウイ島の古都ラハイナは、世界有数のホエールウォッチングの名所として知られる場所。ラハイナ・ハーバーからはさまざまな種類の船が就航し、多くの旅人たちがホエールウォッチングを楽しみます。熟練の船長たちがクジラの近くへと案内してくれるので、ブリーチングしたり、尾びれをのぞかせたり、潮を吹いたりするザトウクジラたちのダイナミックな姿を楽しめるはず。また、数多くのクジラが訪れる海域だけに、海辺や見晴らしの良いドライブルートからクジラの姿を確認できることも。この時期にラハイナ周辺の海でシュノーケリングを楽しめば、水中でクジラたちが謳う歌を聴ける可能性もあります。捕鯨基地時代の面影を随所に残すラハイナの目抜き通り「フロント・ストリート」を散策するのもおすすめです。マウイ島以外でももちろんホエールウオッチングを楽しめます。 ホエールウォッチングを楽しめる場所は、もちろんマウイ島だけではありません。たとえばカウアイ島発のホエールウォッチングツアーに参加すれば、断崖絶壁が続く秘境ナ・パリ・コーストとともにクジラたちの雄姿を観察することも可能。また、オアフ島からも数多くのホエールウォッチング船が出港し、なかには船内でフラダンスやウクレレのレッスンなど、ハワイ文化を楽しめる盛りだくさんなツアーもあります。さらに、ホエールウォッチング船に乗らなくても、カウアイ島のキラウエア展望台やオアフ島のマカプウ岬などから、眼下の美しい海を泳ぐクジラたちを望める可能性も。それぞれの旅のスタイルに合わせて、ホエールウォッチングを楽しんでみてはいかがでしょうか。クジラゆかりのスポットを楽しむのもおすすめです 冬のハワイを訪れ、クジラたちとの出合いを楽しむ旅。ホエールウォッチング船や展望台からクジラたちの姿を眺めたら、クジラの生態や文化について学んでみるのもおすすめです。たとえば、マウイ島のマアラエアに位置する「マウイ・オーシャン・センター」は、ハワイの島々に点在する水族館のなかでも、大きな規模を誇る施設。クジラの模型をはじめ、ハワイ近郊の魚の生態についての展示が豊富です。また、マウイ島西部の一大リゾート・カアナパリにある「ホエーラーズ・ビレッジ」は、大規模なショッピングセンターとクジラの博物館が一体となったマウイ島らしい施設。リゾートやお買い物の間にミュージアムを訪れるのも面白いのではないでしょうか。クジラの骨に彫刻を施した工芸品「スクリムショウ」の美しさを楽しんでみるのも、マウイらしい旅の楽しみかもしれません。というわけで、今、この時期にしか楽しめないホエールウォッチングの魅力をご紹介しました。実際に、目の前で目にするクジラは、息を飲むほどのスケール感なので、感動すること間違いなし!お正月旅行でハワイを訪れた際などには、ぜひぜひホエールウォッチングを楽しんで見てください! ホエールウォッチング三昧を楽しむなら、やっぱりマウイ島のラハイナを訪れるのが一番!かつてハワイ王国の王朝が置かれたラハイナは、古都ならではの美しい風情を楽しめる場所。カラフルな建物を利用したショップやレストランがずらりと並ぶ「フロント・ストリート」を散策したり、美しい夕陽を眺めたり、カアナパリに泊まってリゾートライフを楽しんだり・・・。ホエールウォッチング以外にも旅の楽しみいっぱいの場所ですよ。
2017.08.02
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