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こんな愚にもつかないオバサンブログ「くろすけブログに何が起きた?!」普段が500~800アクセス位のご訪問であるのに誰かの仕業?誰かのおかげ?か何気に見ればこの日のアクセス数3200越え!!記念にデジカメ写真撮影してしまった。 私のアクセスランキングはこんな位置に来る事なんて絶対あるわけないのになぁ・・・8位だって・・・どんな裏工作があったかのかは分からないけれど無駄に長文ばかりの我がブログに日々訪れて下さる方々には本当に本当に、感謝申し上げます。
2015年11月27日

週に1度1週間分の食材の買い出しをするのだけれど以前の様に買い込んでしまうと、無駄が多くなって捨てるものが多くなる。(特に野菜類は食べたくて購入してもダメにしてしまう)転職してからというものまともに家で食事を作ることが困難になったからで勤務時間が長すぎて食事を作る時間なんてとてもじゃないけど無いッ!(夕方~翌日の9時勤務なんてザラだったりする)おまけに体力・立ち仕事だったりするので、家に帰ってまで台所に立つ気力が無いッ!息子達に以前の様に食事を作ってやれないのも母心がチクチク痛む。(同居していると母としての義務感が消えない)せめて休日くらいは・・・とか思いながらも休日くらいは自分の好きなことをしたい願望が先立ったりするし。一般的に考えれば、息子達だってとっくに自立している年令なんだし、(私の歳もトシなんだから自分優先に考えたって罰は当らないでしょ)まぁ、いいかぁ~とか自分を納得させつつ、私の勤務日は各々自炊するなりして貰い、買出しの量は今までより4割減食事の仕度はできる場合のみにした。はてさて、最近は会社の休みともなれば長男と買い物がてら外食だ。二人で基本2千円を意識しつつ3千円以内で収まる食事にしている。このところ二人が好きなラーメンか回転寿司が殆んどだったけれど長男が都会に出て大好きなラーメン探訪ができる様になったこともあり、普段と違った店に出向く様になってきた。今お気に入りになりつつあるのが 大 戸 屋 ごはん処 家庭的な和定食を中心に全国チェーン展開をされている大戸屋。存在は知りつつもこの半世紀生きてきて来店した覚えがあるのはただ一度だけ・・・食したものは記憶にはない。おそらくこれまで和食は自分でいくらでも作れるということで利用する必要が殆んどなかったからだと思うのだな清潔感のあるなかなか素敵な店内。 最近、週に1、2度は食べていた魚料理すら食せなくなったので体が欲したのではないであろうか。久しぶりに来店したこの日に注文したのは・・・ 沖目鯛の醤油麹漬け炭火焼定食こちらの素晴らしいのは御飯の大盛りが無料ということだ。普通盛り180gが大盛り350gになる♪しかし、大食漢オバサンでも大盛りはいささか多いので「ちょい大盛りにできます?」と聞けば調節可能であった。今時、御飯が大盛り無料にならない店なんて流行らないと思うのだな。おまけに白米かもちもち五穀御飯か選べるのも嬉しいものだ。税込72円プラスでとろろのかかった御飯にもなる。味噌汁・小鉢・漬物もついて、普通に頼めば税込988円 沖目鯛の醤油麹漬け 沖目鯛なんて魚はスーパーで見た事がない。魚図鑑を見れば食用としては認知度の低い、知っていたら学者級で☆4つの美味しさの魚と記してある。鯛の親戚かと思い珍しモン好きの私が食してみるが全く違う。淡白でクセもあまりなく脂ものって食べ易い、好みを言えば醤油麹に漬け込む時間がもうちょい欲しい。 四元豚ロースの味噌かつ煮定食長男、一度名古屋旅行をしてから八丁味噌を使った料理が忘れられないらしい。 四元豚ロースの味噌かつ煮 トンカツにキャベツ・ゴボウ・こんにゃくが煮込まれて半熟卵が落とされまるでどこぞの旅館の食事か?!と思える器が贅沢感も加えてくれる。で、次の週もまた出向いてみる。 四元豚ひれかつの卵とじ御飯 私がカツ丼を食すことは滅多にない。10年に1度あるかないかだ。こういった肉らしい肉はあまり食べないのだけれどひれかつで脂身と肉の臭みが無さそうなので頼んでみた欲求的には単に<カツ無し卵とじ丼>で良かったくらいなのだが注文するからにはそうもいかない。実のところ肉を抜いてカツの抜け殻の衣で作る<カツの衣卵とじ丼>が好物なのだ。ますます注文できない・・・だろう?!幼少のみぎり、我が故郷では冠婚葬祭があると決まってお持ち帰り豪華弁当が手土産だった。その弁当には必ず衣厚めのトンカツが入っていて、電子レンジが無かった当時は、冷えたトンカツを卵とじにするのが常だった。それを肉抜きして食べるのがこの上なく美味で楽しみだった私・・・貧乏臭いなぁ(肉は親に食べて貰った) 生姜醤油漬け炭火焼牛タン定食 炭火焼ならもうひと炙りして頂いても良い。焦げ香ばし感が欲しいところだ。長男が幼少の頃から好きなのがこの牛タンというヤツ・・・ホントは塩焼きでレモン汁が好きなのかもしれん。青唐辛子がきいたピリカラ味噌を付けて頂く。梅あんの茶碗蒸し・おから・味噌汁付 で、今週・・・ さばの炭火焼き定食税込858円 カボチャコロッケ デザートは卵ぷりん・・・バニラビーンズが入ってる♪濃厚卵のなめらかプリンはほろにがカラメルソースをたっぷりかけて頂く。これが安くて美味いのだ♪3週続けて食した。税込216円 たまごぷりん 野菜や魚が食べたくなったらココを利用しようかと。健康的な食材が多いのが魅力的。鮪丼やら手作り豆腐、鍋ものまである♪次は何食べようかなぁ
2015年11月23日

子供の頃からさつま芋は好きだった。倹約家庭でもあった群馬の実家には、自宅で食べるだけの作物を作る為の田畑が何故か3ヶ所も有り、自宅横の畑では野菜類、1km離れた辺りに二毛作用の田んぼ、村の外れに流れる河原の近くにさつま芋を作る畑が存在した。収穫時期の休日ともなると家族での畑作仕事が常。子供心に田畑の仕事は義務と考えていた気がする。田植え、稲刈りも嫌いではなかったし、一番好きだったのは芋掘りだった。『芋蔓式』という言も葉ある様に、さつま芋・じゃが芋・里芋あたりの芋堀りをするのは1本の苗やら芋種から大小混ざった芋が繋がって沢山収穫できるのが楽しくて仕方なかったものだ。たいがい実家での食べ方は蒸し芋、外で焚き火をしての焼き芋残った芋で作る祖母製の干し芋だったりした。さつま芋の旬は、収穫時期の9月~11月頃と収穫後2ヶ月程貯蔵させた頃(水分を飛ばし甘さが増す)の旬が2度あるという話だからまだまだ旬なんだなぁ~ てなことで、いつも出かけている店で遭遇したさつま芋系のデザートをいくつか食してみたのだが、普段見かける紅あずまや鳴門金時など、ノーマルなさつま芋の他に、今やあの色が毒々しくも刺激的に感じた紫芋が普通に洋菓子や市販の菓子に使われる様になっている中で最近は何故か安納芋と呼ばれる味も香りも個性たっぷりのさつま芋が幅をきかせてきていた。そもそも安納芋は種子島の特産として知られるさつま芋で、特に<安納紅>と<安納こがね>という品種は登録品種苗として種子島でのみ栽培制限が平成25年まであったそうだ。しかし現在それも無くなり各地での栽培も可能となった。安納芋が幅をきかせてきてもおかしくない状況だ。てな塩梅で最近出くわした安納芋が登場する。回転寿司スシローの期間限定デザート糖度の高い鹿児島県種子島の安納芋とろっと濃厚でなめらかな舌触りの安納芋のプリン シャトレーゼは和菓子も美味い♪かりんとう饅頭のさつま芋は絶賛するほど大好だったのだけれど期間限定で今は無く、その代わり?!に登場したのが白州名水饅頭 安納芋となると金時のかりんとう饅頭 (税込118 円)種子島産安納芋と徳島県産なると金時芋のダイスを使用した自家炊きさつまいも餡を黒糖入りの生地で包み、香ばしく風味の良い米油で揚げたかりんとう饅頭。極上な甘みとねっとりした食感が特徴の黄金色の安納芋とホクホク食感のなると金時の味わいが口の中いっぱいに広がる焼き芋のような味わい(シャトレーゼHPより抜粋)驚きはかの有名なガリガリ君まで・・・ガリガリ君リッチ 紫芋×安納芋あんを登場させていた。 紫いもキャンディーの中に、ガリガリっとした食感が特徴の濃厚な紫いも味カキ氷さらに安納芋ソースが入ったアイスキャンディー色鮮やかな品種アヤムラサキを使用することで、着色料を使わずに濃い紫いもの色を出す。隠し味にはちみつや脱脂練乳を使用し、焼き芋を食べた時のようなコクとまろやかな甘さを表現 (赤城乳業HPより抜粋) まった~りして甘々の安納芋独特の香りと味わいどれもすべて安納芋の個性が強く出たものとなっていた。美味しいんだけど、個人的にはまだ安納芋のネットリ感と甘すぎる感には慣れていないトコロがあるけどあの香りは好きなんだな♪
2015年11月17日
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コンビニの駐車場で久しぶりに落ちている硬貨を見つけた。最近は車での移動が多くて道を歩く事が少ないので下を見て歩く距離は非常に短くなった。なのに、車に乗り込もうとする足元に100円硬貨の桜が咲いていた。(イメージ画像)心がちょいと弾んで何故か辺りを見回し拾う。辺りを見回してしまうのは、心の中で(「ラッキー♪」交番に届ける程のお金じゃないし、このままインマイポケットしても大丈夫だろうけど、100円玉拾ったトコ他人に見られたらどう思われるかな)なんて気持ちが働いちゃうのだと思う。『100円玉を拾う』という行為で思い出すのが遠い昔・・・当時は桜の硬貨じゃなくて100円銀貨だったかな。祖母と群馬県太田市にある呑龍様<詳名=義重山大光院新田寺、通称=子育て呑龍(どんりゅう)>にお参りに行った時、境内でビニール袋に入った300円を拾った。(祖母が『呑龍様がお小遣いをくれた』ということにしたのかどうかは定かではないが)当時だと子供にとってはけっこうな額だった気がする。だってその後、私の記憶が確かなら300円は3冊の絵本に化けてしまったものなぁ・・・(300円拾った時の呑龍さまでの記念写真)そう、そう、拾うと言えば我が故郷群馬の田舎の葬式に【ジャランポン】と呼ばれる催し事があった。お寺の境内に村中の人を集め<竹で編んだ籠に硬貨を入れて撒く>のだけれど今思えば亡くなった方には申し訳ないが、子供心には葬式=お小遣い稼ぎみたいになっていたんじゃないであろうか。子供ならずとも大人も夢中になって小銭拾いをしていた。撒かれた小銭を拾うと縁起が良い、長生きする=寿命の分与という意味があるらしい。なんて話とか、ネットの風水関連の情報だと小銭を拾うというのは金運上昇のきっかけになるのだとか小銭は差別なく5円でも1円でも落ちていたら拾ってあげて綺麗にして流通の場に戻してあげるのがいいのだろうな。「1円を笑うものは1円に泣く」なんて誰かに聞いたことがある。そんな小銭がらみの話を知ると、我が夫に金運が無くなったのはきっと若い頃から50円以下の小銭をそこいらじゅうにほうりっ放しにしていたのがいけなかったのではないかと思い当るのである。ひたすら集めて瓶・缶に集めていたのは私だし・・・トホホである
2015年11月13日
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自分が着用する服はリサイクルショップで購入する。洋服に金銭をかける程、若くもないしオシャレでもない、ゆえにブランドや流行なんて全く関心ない。だからじゃないけど他人が着た洋服のお下がりでも全く気にならない。一般女性であれば、「やだぁ、どこの誰が着た服だかわからないのに そんなの着れないわ」というのがザラでありましょうが私は古着を手に取って見ると「この服どんな人が着てたんだろう?!」なんて想像するのが楽しみだったりする。子供の頃から長女に生まれつつもお下がりが大好きで、親戚のお姉さんから自分の身丈よりも大きめのワンピースや七五三の着物がダンボールで送られて来ると嬉しくて仕方なかったものだ。(お下がりの着物に喜ぶ当時の姿)生まれたのが倹約主義の自給自足の家だったこともあり滅多やたらに洋服なんて買い与えて貰えることもあまり無く、旅行・遠足・入学式とか特別な日がある時だけ洋服が増えたものだった。結婚してからは会社経営していた姑がオシャレと体裁に煩くて「あなたは洋服のセンスが無いし、我が家に合った服を選べないんだから 私が選んだものを着て頂戴」なんて言われつつタンスいっぱいに洋服や着物、挙句の果ては下着まで買い与えられて、ヘタに自分で買ったものなんて着たら文句を言われた。20代は黒・茶系の色が着たかったのに、ピンク・赤色に花柄・レース付なんて服をチョイスされてうんざりしていた時代もあった。最近は、リサイクルショップのおかげで着たい服が着きれない程あるのが幸せなことだと思う。リサイクルショップは私の巨大クローゼットって気分にもなる。衣替えの時季になったら、行けば季節に合った服が山ほど並んで選びたい放題である。ブランドの中古でなければ冬ものコートなんて500円から買える。 500円コート 因みにこのダブルのコート500円。新品同様。ダウンみたいなモコモコは嫌いだし、一般的な黒・紺・ベージュは着たくない。車の移動ばかりだし分厚くなくて、会社での着替えにロッカーに納まるものと探したら良い塩梅に発見。元々の値段は数千円~数万円した服が、状態もさほど損なわれず1着200円~1000円価格になったものなので着古したり、着られなくなったり、気に入らなくなったりしたら資源ゴミの日に出せばよろしいのである。お高くて質の良いものを大事に着て長持ちさせるのも素晴らしいがこんなのもアリなんだろうな。(ブックオフ広告より拝借)ブックオフではこんなセールもやっている。200円だからってお馬鹿にできない!機会があったらやってみたい詰め放題♪
2015年11月12日

自分の主人を夫だと思えなくなって何年経っただろう。長男が小学校にあがる前、30代にして夫婦としての関係なんて無くなっていた。その時点で既に夫と離婚できる理由は成立しているらしい。最初の離婚を考えたのは次男が生まれて1年経った頃だろうか・・・二度目に考えたのも、三度目もすべて嫁ぎ先の環境に馴染めない姑との確執というか、姑の一方的な押し付けと嫌味や悪態に私の心が病んでしまった時だった。ハナから姑と上手くやれるなんて思っていなかったし、自信がなかった。同居するなんて絶対無理だし、だいいち姑と上手くやるなんていう前に家族で会社経営している家に嫁ごうなんて大それた事、思いもしていなかった。そんなことを考え始めると、これまでの選択の間違えに後悔ばかりが湧き出てくる。ひと昔前に、タモリ氏がストーリーテラーだったフジテレビ『if もしも』というオムニバスドラマをよく思い出すが選択ミスで今の人生に辿り着いた気になる。一番の間違いは私が今は無き職業タイピスト学校なんかに入学したのがいけない。我が父に「高校卒業後どうするか」を話す時、候補がいくつかあった。第一の候補に看護婦学校(父の希望で姉妹二人のうちどちらかを看護婦にしたかった・・・生死を分ける様な大病で入院した時お世話になったお礼のつもりだった様だ。念願叶って妹が看護婦になった)第二は栄養士専門学校(「調理師学校に行きたい」と言ったら高卒なら「栄養士学校だ!」「カロリー計算なんてしたくない!」で却下)第三はタイピスト専門学校(当時はまだまだ需要があった和文タイプを打つ仕事=事務仕事・・・実は絵の勉強をしたかったのだが「絵じゃメシは食えない!」の父の意見で却下。誰の提案か忘れたがタイピスト)この時、せめて栄養士か看護婦にしておけば現在の職業需要にも対応できたのになぁ・・・手に職無しの私は工場労働者で、タイピスト学校が就職を希望する生徒に会社紹介をしてくれた。が、生徒に会社を選ばせるのでなく、先生が会社を選んで生徒に紹介した。私がこの時紹介されたのが主人の両親が経営する会社だ・・・断れば良かったなぁで、事務員として入社したが為に、この会社のひとり息子に惚れられた。押しに弱い私は、日々の息子からのアプローチに負けて双方の両親には内緒で交際を始めたが、交際半年も経たずにバレた。(この時息子には交際歴4年の彼女がいた)双方の親から反対されたので「別れようか」と私が言い出せば、「嫌だ」の返事・・・否が応でも別れておけば良かったなぁで、ふたり駆け落ちする話になってしまうのだ。if もしも・・・人が皆、孤独な旅人であるとしたら、貴方はやがてある二股の分かれ道に突き当たるのです。右に行くべきか左に行くべきか貴方は大いに迷う。或いはうっかり気づかなくて通り過ぎてしまう。かくして現在の貴方があるわけですが、ひょっとして別の道を選んでいたほうが幸せになれたかもしれないのです。もしも、こっちを選んでいたら・・・if もしも・・・(フジテレビ『if もしも』からWikipediaより抜粋)「お嫁さんの代わりなんていくらでもいる」「あんたなんかに子育てなんて任せられない」「〇〇さん(主人の元カノ)がお嫁さんなら良かったのに」暗示の様に事あるごとに言われ続け、自己嫌悪のかたまりになって経済力のある主人の実家に息子二人を置いて最悪な母親となろうとも離婚をしようと決意し、三度目に実家に戻った時姑が初めて私を迎えに来た。絶対帰らないつもりだった。「私には身を切られる思いだから話したくなかった」というあんな事実を聞くまでは・・・「〇〇(主人の名前)は私が産んだ子ではないの。 〇〇にはまだ本当の事は話していない。 お墓まで隠して持っていくつもりだったんだけれど 孫達に〇〇と同じ思いをさせてはいけないと思って」卑怯だと思った。こんな状況に陥った時にそんな話は聞きたくなかった。そんな大変なことを主人にはひとことも告げず私に話し離婚の決意を覆させようなんて・・・結局、息子達と一緒にいたいと思った。この時、血は大事だと思えたから。結局、生きてきた半世紀過ぎの中に数知れない分岐点があった。離婚に関する分岐点はこれだけじゃない。「今まで一緒にいてやっただけでもありがたい話だろう」長男がそう言う。確かにそうなんだろうけど、ヘンに孤独な主人に同情している自分がそこにいた。しかし考えたら広い日本のどこかに主人に血を分けた両親がいるはず、兄弟姉妹だっているかもしれない。これから関わることはしないでも、自分の為にも、息子達のルーツを知る為にも探すべきなのに探す努力もしない。ヤツは孤独でも平気なのかもしれないと思った。 挙句の果てに先日の長男に訴えるかの様に語った「お前達(息子二人)はどうでもいい」なんて自ら孤独を選んでしまう言葉を吐くのだ。もう同情するのはやめておくことにした。この日、市役所まで長男に離婚届を貰いに行ってもらった。 離婚届「ナンで結婚もしてない俺が離婚届貰わなきゃいけないんだよ~ ついでだから結婚届も貰ってきた。書式が見たかったからさ」別に自分で貰いに行っても良かったけど、なんだか面倒くさかった。いつでもサインできる様に手元に置いておきたかった。20代の時に貰った離婚届もあるのだけれど、年号が 昭和 平成 に手直しされてたりするし、あの頃の自分のサインが入っているので使えない。 過去の離婚届 長男の転機を待って行動を起こす予定だ。
2015年11月05日
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