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●12月の「ジャズ・ライヴ」のスケジュール1日(土)・・・「ベイサイド迎賓館・静岡」午前・午後:ピアノ・ソロ2日(日)・・・「アーセンティア迎賓館・浜松」午前:ピアノ・ソロ夜:「焼津(やいづ)グランドホテル・ラウンジ」焼津市:ピアノ・ソロ4日(火)・・・「ボルゾイ」静岡市葵区常磐町:ピアノ・トリオ + かおりんヴォーカル7日(金)・・・「焼津(やいづ)グランドホテル・ラウンジ」焼津市:ピアノ・ソロ8日(土)・・・「焼津(やいづ)グランドホテル・ラウンジ」焼津市:ピアノ・ソロ9日(日)・・・「アマンダンライズ」浜松市:ピアノ・ソロ13日(木)・・・「ボルゾイ」静岡市葵区常磐町:ピアノ・トリオ + かおりんヴォーカル14日(金)・・・「焼津(やいづ)グランドホテル・ラウンジ」焼津市:ピアノ・ソロ15日(土)・・・「ベイサイド迎賓館・静岡」午前・午後:ピアノ・ソロ19日(水)・・・「ボルゾイ」(未定)23日(土)・・・「ベイサイド迎賓館・静岡」午前:ピアノ・ソロ夜:「オーシャン・プリンセス」:清水港 クリスマス・ディナー・クルーズ:ピアノ + ベース + かおりんヴォーカル28日(金)・・・「焼津(やいづ)グランドホテル・ラウンジ」焼津市:ピアノ・ソロ29日(土)・・・忘年会セッション31日(月)・・・年越しジャム・セッション----------●FM清水、12月のアーティスト特集は「フランク・シナトラ」「フランク・シナトラ/クリスマス・アルバム」などを紹介する。【ジャズ】人気blogランキングへ
November 27, 2007
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【スタンダード・ナンバー】ザ・サウンド・オブ・ミュージックThe Sound Of Music【邦題:サウンド・オブ・ミュージック】この曲は、オスカー・ハマースタイン2世の作詞、リチャード・ロジャースの作曲によるもので、1959年11月16日に始まったブロードウェイ・ミュージカル、『The Sound Of Music(サウンド・オブ・ミュージック)』の主題歌として使われました。その中では、主演のメアリィ・マーティンが歌いました。そして、このミュージカルは「ロジャース&ハマースタイン」のコンビの最後の作品になりました。このコンビによるミュージカルは、1943年の『Oklahoma!(オクラホマ!)』で2000回を超える上演回数を記録し、1945年の『Carousel(回転木馬)』で800回、1949年の『South Pacific(南太平洋)』で1925回、1951年の『The King And I(王様と私)』で1246回と毎回大成功を収めてきましたが、前回1958年の作品『Flower Drum Song(フラワー・ドラム・ソング)』では600回と、彼らの作品としては低調に終わりました。しかし、1959年に開演したこのミュージカルは1442回という大成功を記録し、さらに、全米で二年半にわたり地方を巡業し、1000回を数えるヒットになりました。しかも、1965年にジュリィ・アンドリュース主演で映画化された『The Sound Of Music』は、全世界で5億ドルの収益を上げ、当時の新記録になりました。このミュージカル『The Sound Of Music』には、この主題歌のほかに、「Maria(マリア)」、「DO-RE-MI(ド・レ・ミの歌)」、「Sixteen Going Seventeen(もうすぐ17才)」、「My Favorite Things(私のお気に入り)」、「Edelweiss(エーデルワイス)」など、日本でも、だれもが、どこかで耳にしている曲が入っています。そしてこの曲は、スタンダード・ナンバーとして、多くのミュージシャンによって演奏され続け、また、歌い継がれています。もうこのミュージカルを手がけるころには、ロジャース&ハマースタインのコンビの曲作りの様式は完全に確立されていて、二人は作詞、作曲だけでなく、脚本や制作など、すべてを自分たちのプランで行っていました。まず、彼らは戯曲(脚本・台本のもとになる物語)そのものについて議論するところから始めたと言います。何時間、何日、ときには何週間も何カ月も、戯曲の細部にわたり検討し、どういう曲がどこに必要かとか、そこに必要な演技、演奏、歌に至るまで詳細に議論しました。そして、まず脚本を書き上げ、細部まで完全にできあがったところで、やっとオスカー・ハマースタイン2世は歌詞を書き始め、そして、それにリチャード・ロジャースが曲をつけました。リハーサルは1日12時間、週7日間休みなしの強行日程で行われ、二人は、いつもその場にいて見守っていました。それは、リハーサルの展開次第で、曲や歌詞に変更を加える必要が生じたとき、すぐにそれに対応するためや、そのほか、多くの助言や注意も与えるためでもありました。ハマースタインはいつも観客席にいて、遠くから舞台を眺め、気がついた点などをメモにとっていました。一方、ロジャースは、会場の中をあちこち歩き回って、音響効果や、照明の具合などを確認していました。それから、身を隠すように隅っこに陣どると、瞑想にふけるように長い間沈黙を守ったりしたと言います。しかし、この作品の完成間近のころ、二人ともガンに侵されていて体調が悪くなっていました。ロジャースは病院と舞台を往復しながら、ハマースタイン2世は余命宣告を受けながら、最後の曲「エーデルワイス」を書き下ろしたということです。1959年11月に『The Sound Of Music』が開演されましたが、オスカー・ハマースタイン2世は、まだその公演の途中の1960年8月23日に、故郷のペンシルヴァニア州ドレイスタウンの別荘で、65歳で息を引き取りました。『The Sound Of Music』は、ミュージカル史上第4位の、1442回の公演という超ロングランを記録しましたが(この4位までのうち3作品がロジャース&ハマースタインの作品)、ハマースタインが亡くなった時点では、まだ300回くらいのときでした。しかも、年間最優秀ミュージカル賞を含む5つのトニー賞を受賞したこと、5年後に、このミュージカルが映画化され、世界中で大ヒットしたこと、そのときサウンドトラック・アルバムが全米チャート1位を2週間ものあいだ記録したことなど、『The Sound Of Music』の完全な成功を見届けることなく、彼はこの世を去ってしまったのでした。しかし、「ロジャース&ハマースタイン」の名前は、永遠にスクリーンに刻まれているのです。このミュージカルは、永遠に語り継がれることになる栄光の「ロジャース&ハマースタイン」の、最後を飾った作品になりました。*****●ザ・サウンド・オブ・ミュージックThe Sound Of Music【邦題:サウンド・オブ・ミュージック】作詞:オスカー・ハマースタイン2世作曲:リチャード・ロジャース1959年《ヴァース》丘の上ですごす日々は、もう終わりに近づいたわ星が一つ出てきて私にそう言ったのでも深い緑の陰の暗がりの中からどことなく行かないでという声が聞こえてくるだから私は立ち止まってじっと待ち耳をすますのあのステキな音楽を聴きたくて《コーラス》高原は生きている千年ものあいだ、歌い継がれてきた歌で私たちに音楽を奏でてくれる高原は私の心を音楽の調べで満たしてくれる聴こえてくるどの歌も私は心から歌いたい湖から木々へ飛びたつ鳥たちの翼のように私の心も大きくはばたきたいと望んでいる教会から風に乗ってただよう鐘の音のように私の心もささやきながら、ただよいたい石の上にたたきつけられ流れ落ちていく小川の喜びのように私も笑って喜びたい鳴くことを覚えたばかりのヒバリのように私も夜通し歌い続けていたい心がさみしく感じるとき私は高原に行くいつも聴こえていた、あの音楽がまた聴こえてくるあの音楽の調べに私の心は洗われ清められるそして私はまたあの歌を、もう一度歌いたい【ジャズ】人気blogランキングへ
November 19, 2007
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「焼津(やいづ)グランドホテル」のラウンジでピアノ演奏の仕事。ポピュラーなジャズ・スタンダード・ナンバーを中心に演奏しようと思っていたら、女性のお客さんから「ユーミンの曲を」ということでリクエスト。「あの日に帰りたい」の譜面があったのでやった。その人は、近くでずっと聴いていてくれて、曲が終わるごとに拍手をしてくれるので、それにつられて、ほかのお客さんも拍手をしてくれるのが面白かった。【ジャズ】人気blogランキングへ
November 9, 2007
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車のバッテリーを交換した。バッテリー部品代・・・23,100円技術料・・・735円合計・・・23,835円値引き・・・2,335円-----値引き後金額・・・21,500円也
November 9, 2007
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午後、かおりんが営業なので、ゆうゆうの子守。夕方、車のステアリング部の修理とバッテリー交換のため、車をあずけてきた。夜は「ボルゾイ」でジャズ・ライヴ。【ジャズ】人気blogランキングへ
November 8, 2007
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Winner takes it all(ウイナー・テイクス・イット・オール)イギリスの格言「勝者がすべてを持っていく」「勝者がすべてをさらっていく」言い換えれば「富むものはさらに富み、貧しいものはさらに貧しくなる」要するに「勝ち組」と「負け組」では、それだけ大きな差があるということで、まさに現在の格差社会に通じるものだが、古くからの格言にあるように、それは何も今、始まったことではない。【ジャズ】人気blogランキングへ
November 7, 2007
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ホテルのラウンジ・ピアニストの依頼がきた。こういう仕事は見た目が大事。女性のピアニストが普通なところ、私は男性なので、ジャニーズ系の素敵なピアニストだという売り込みでOKになったらしい。若い頃はジャニーズ系と言われたこともあるが、もう、歳も歳なのでかなり気まずい思いがする。女性ピアニストのほうが華やかだということで女性ピアニストを求める考え方と、男性ピアニストのほうが格調高いという考え方に分かれるところがある。クラブなどでは、ピアニストも接客に使おうという考えで女性ピアニストを求めるところもある。ホテルでは、女性のお客さんも多いので、女性の心をつかんでくれということだ。【ジャズ】人気blogランキングへ
November 6, 2007
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アメリカのジャズ・ピアニスト、アート・テイタム没。●アート・テイタム(Art Tatum)1909年10月13日、アメリカ、オハイオ州トレド生まれ。1956年11月5日、カリフォルニア州ロサンジェルスで死去。47歳。----------アート・テイタムは、1930年から50年代に活躍したジャズ・ピアニスト。彼は、ジャズ・ピアノの神様とも称されています。アート・テイタムは、生まれつき目が不自由で片方の目が半分くらい見えるだけの、ほとんど盲目という障害がありながらも、超絶テクニックでピアノを弾きまくるアート・テイタム。特にソロ・ピアノでの演奏は驚異的で、有名なクラシックのピアニストであるウラディミール・ホロヴィッツが、テイタムの演奏を聴きによくジャズ・クラブに来ていたということです。そして、「彼はクラシックの世界でも飛び抜けたピアニストになっただろう」と語った、と言われています。また、同僚のジャズ・ピアニストからも賛辞されています。テディ・ウィルソンは、「ゴルファーにたとえれば、クラブを振るたびにホール・イン・ワンを出す神業の持ち主」、カウント・ベイシーは、「世界には七不思議というものがあるそうだが、テイタムは八番目の不思議だ」、デイブ・ブルーベックは、「モーツァルトが二度と現れることがないように、アート・テイタムのような人も二度とは現れないだろう」、等々。アート・テイタムの演奏は数多くのミュージシャンたちに研究され、1940年代にはチャーリー・パーカーが起こしたバップ革命にも影響を与えました。アート・テイタムは18歳で地元のラジオ局のハウス・ピアニストとして雇われプロの道を歩むことになりました。1940年代は、クラブの人気ミュージシャンになっていきました。しかし、1950年代になると人気が下降していましたが、ノーマン・グランツに出会い、彼のプロモーションのお陰で人気を取り戻しつつあったテイタムは、「ソロ・マスターピース」「グループ・マスターピース」という二つの路線で20枚近いアルバムを吹き込みます。特にソロのシリーズは69曲を2日間で録音し、驚異的なレコーディングだったと言います。1956年、長年にわたるツアーや深夜に渡るセッションの疲れが原因で、テイタムの健康状態は明らかに悪くなっていました。この年の10月、休暇と称してテイタムはロサンジェルスの自宅に戻りました。これは、周囲の気使いで戻されたということでした。彼は回復することなく、11月4日、ついに病院に担ぎ込まれました。翌5日、テイタムは慢性腎臓疾患による尿毒症のため息を引きとりました。まだ47歳という若さでした。【ジャズ】人気blogランキングへ
November 5, 2007
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ジャズの名曲、スタンダード・ナンバーが生まれたオペレッタの映画化『ニュー・ムーン』原題:New Moon製作1930年/公開1932年、製作/公開1940年製作国:アメリカ 配給:M.G.Mこれはミュージカル映画で、原作は、1928年にニューヨーク・インペリアル劇場で上演、好評を博した、オスカー・ハマースタイン2世、フランク・マンデル、ローレンス・シュウォブの作詞、シグモンド・ロンバーグ作曲によるオペレッタ『ニュー・ムーン』を映画化したもの。ニュー・ムーンとは、物語にでてくる船の名前。1930年版と1940年版がある。このオペレッタの中で歌われた、オスカー・ハマースタイン作詞、シグモンド・ロンバーグ作曲の、「Lover, Come Back To Me!(ラバー、カム・バック・トゥー・ミー(邦題:恋人よわれに帰れ))」と「Softly As In A Morning Sunrise(ソフトリー・アズ・イン・ア・モーニング・サンライズ)」は、大変有名なスタンダード・ナンバーになり、現在も演奏され続けている。----------あらすじ(結末あり)一介の士卒から中尉になったミハエルは気骨稜々ときに傍若無人の振る舞いもあった。彼は軍務を帯びて部下を引率しカスピアン海を渡るべく汽船「ニュー・ムーン」号に乗った。上甲板には貴族たちがポリス総督の招待を受けて祝宴に望むべく同じく乗船していた。一行にはタニヤ姫に彼女の叔父、叔母にあたる伯爵夫妻も見えた。ミハエルが船中で部下の者と座興にジプシーの唄を歌ったのが姫の注意をひいた。ミハエルは一婦人を追って誤ってタニヤ姫の部屋に入った。彼の美しき声に魅入らされていたタニヤ姫は彼に好意を持っていた。そして2人の心の了解は恋にまで発展した。しかし船が港に到着した時ミハエルは初めて出迎えのポリス総督、自分の上官である彼がタニヤ姫と許嫁(いいなづけ)であることを知り、しかも彼女はミハエルに対して未知の人のごとき振る舞いに憤怒の炎に燃えた。タニヤ姫を歓待してポリス総督邸では盛大なる舞踏会が催された。しかしタニヤはポリス総督と許嫁の間柄でありながら総督に対して好感を持てなかった。ミハエルは招待も受けぬ身であったが総督邸に乱入し、再び姫の素っ気なき振る舞いに、唄にことよせタニヤを罵倒した。ポリス総督は怒ってミハエルを国境地帯にあるダルヴァズ要塞の守備司令官に命じた。ダルヴァズの守備兵は野蛮で、いづれも血に飢えた者で常に上官に反抗しているので有名であったが、ミハエルの威に脅せられて彼らはたちまち従順になった。タニヤ姫はミハエルの過般の侮辱に憤慨して叔父とともに来て、ミハエルを激しくムチうったが彼は動じなかった。おりからタルグスタンが大挙してダルヴァズ要塞に押し寄せるとの報に接して、彼は援兵を求めて総督に打電するとともに自ら陣頭に立って戦い敵兵を打ち破った。総督はむしろミハエルの戦死するのを希望して故意に援兵を遅らせた。だがポリス総督が要塞に到着した時はすべては無事に済んでいた。そして戦闘直前タニヤ姫は初めてミハエルの真実に打たれ、自分の過去の仕打ちを陳謝し、2人の愛は堅く結ばれたのであった。【参考】Goo映画情報【ジャズ】人気blogランキングへ
November 4, 2007
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車のバッテリーがあがった。
November 3, 2007
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【スタンダード・ナンバー】ソフトリー・アズ・イン・ア・モーニング・サンライズSoftly As In A Morning Sunrise【邦題:ソフトリー・アズ・イン・ア・モーニング・サンライズ】注)【邦題:朝日のようにさわやかに】は、あきらかに誤訳。この曲は、オスカー・ハマースタイン2世の作詞、シグモンド・ロンバーグの作曲で、1928年のオペレッタ[注記1]『The New Moon(ニュー・ムーン)』に使われました。舞台ではウィリアム・オニールがこの曲を歌いました。この作品はオペレッタ風のミュージカル作品としては最後のほうに属ものでした。トライアウト[注記2]では不評で、まったく客が入らなかったため、すぐに閉められてしまいました。それはちょうど、ハマースタイン2世が、別のミュージカル『Show Boat(ショー・ボート)』に、ロンバーグも『The Desert Song(ザ・デザート・ソング)』にかかりっきりで、あまり力が入れられなかったからだということです。そこで、この曲や「Lover, Come Back To Me!」などを入れ大幅に書き直されました。その結果、ブロードウェイの公演では公演回数508回という大成功を収めることができました。その成功によって、この作品がハリウッドで映画化されることになりますが、その際、当時、それまで最高の映画化権料が支払われたと言います。そして、このオペレッタは1930年と1940年の2回、『The New Moon』のタイトルで映画化されました。1930年版ではローレンス・ティベットが、1940年版ではネルソン・エディが、この曲を歌いました。この曲は、1929年1月にフランクリン・バウアーが歌ったものがチャートの5位に入り、チャート内には6週維持しただけで、あまり大きなヒットというわけではなかったのですが、その後、多くの人に歌い継がれて、現在では大変有名なスタンダード・ナンバーになっています。「朝日のようにそっと恋の兆しは現れる。そして、夕日のように、そっとすべてを奪い去っていく。」この曲はだれがつけたのか、「朝日のようにさわやかに」という邦題がまかり通っていますが、メロディーは“ど”マイナーでこのうえなく暗いし、歌詞も思わずぞっとしてしまうほど不吉な内容のもので、どう考えても「さわやか」とはほど遠いものです。こういうタイトルをつけられると、曲の本当の意味が誤解されてしまうので困ったものです。この曲を結婚式なんかでうっかりやると、縁起の悪い罪作りなものになってしまいます。この曲の正しい邦題は「朝日のようにそっと」というものでしょう。----------【参考】[注記1] オペレッタ({イタリア語}operetta) 19世紀中頃にパリで生まれヨーロッパ全般に広まった、せりふと踊りを含む陽気で風刺的なオペラ。軽歌劇。喜歌劇。オッフェンバック・スッペ・レハール・サリバンらの作品が有名。[注記2] トライアウト(tryout)トライアウト(tryout)とは、適性、選考試験、テスト、実験的試み。演技・スポーツなどにおいて適性を判断するための実技試験のこととして使われ、特にプロ野球などの入団テストや契約のためのアピールのことを「トライアウト」という。ミュージカルなどの演劇においては、人気を知るための試験興行のことで、本公演の前に観客の反応を見るために行う試験公演のことをいう。ブロードウェイやウエストエンドで行われるアメリカ、イギリスのミュージカルでは、上演が始まると客足が落ちて収益が見込めなくなるまで興行が続けられる。そのため、ヒットした作品は何年でも上演を続けられ、数年に及ぶロングランとなる作品も少なくない。特に、ブロードウェイ・ミュージカルの場合、まずトライアウトと呼ばれる地方公演で観客の反応を見ながら作品の手直しを行う。時には曲や演出の大幅な変更、スタッフ、キャストなどの大幅な入替えを行う。ヒットしそうな作品に仕上がるとブロードウェイでの上演を行う。これとは別に、オフ・ブロードウェイ、またはオフ・オフ・ブロードウェイと呼ばれる小規模な劇場で実験的に上演し、好評であれば次第に大きな劇場に移るやり方もある。ブロードウェイなどでヒットすると、オリジナルのカンパニーとは別に巡業用のツアーカンパニーというものを組織し、全米各地で巡業を行う。また、ワールドツアーカンパニーを組織して世界各地を従業して回ることもある。*****●ソフトリー・アズ・イン・ア・モーニング・サンライズSoftly As In A Morning Sunrise【邦題:ソフトリー・アズ・イン・ア・モーニング・サンライズ】作詞:オスカー・ハマースタイン2世作曲:シグモンド・ロンバーグ1928年《ヴァース》恋が私のところにやってきた、楽しくやさしく恋が私のところにやってきた、心地さによく身をゆだねるしかない輝くようなときめきに包まれて恋がやってきた気まぐれな彼女はとても浮気っぽい移り気で、しかもとても利口だだから、これは永遠の恋にしてほしい《コーラス》朝日が日の出のようにそっと新しく始まる一日へとしのびよってくる昇る陽の光とともに炎をあげながら燃えるキスは、きっと裏切られる愛の誓いに封印をする恋を燃え上がらせ、天にも昇ると思うほど高く昂揚(こうよう)させてくれる情熱は恋をあやめ、人を地獄へと突き落とすそれも同じ情熱!恋の物語は、いつもそんなふうに終わるものかつて輝きに満ちていたものと同じ恋の光が沈んでいく夕日のように静かに今度は、そっとすべてを奪い去ろうとしている・・・【ジャズ】人気blogランキングへ
November 3, 2007
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【スタンダード・ナンバー】ラバー、カム・バック・トゥー・ミーLover, Come Back To Me!【邦題:恋人よわれに帰れ】この曲は、オスカー・ハマースタイン2世の作詞、シグモンド・ロンバーグの作曲で、1928年のオペレッタ[注記1]『The New Moon(ニュー・ムーン)』に使われました。舞台ではイーヴリン・ハーバートがこの曲を歌い、あっという間に人気がでました。この作品はオペレッタ風のミュージカル作品としては最後のほうに属するものでした。トライアウト[注記2]では、不評で、まったく客が入らなかったため、すぐに閉められてしまいました。それはちょうど、ハマースタイン2世が、別のミュージカル『Show Boat(ショー・ボート)』に、ロンバーグも『The Desert Song(ザ・デザート・ソング)』にかかりっきりで、あまり力が入れられなかったからだということです。そこで、この曲や「Softly As In A Morning Sunrise」などを入れ大幅に書き直されました。その結果、ブロードウェイの公演では公演回数508回という大成功を収めることができました。その成功によって、この作品はハリウッドで映画化されることになりますが、その際、当時、それまで最高の映画化権料が支払われたと言います。そして、このオペレッタは1930年と1940年の2回、『The New Moon』のタイトルで映画化されました。1930年版ではローレンス・ティベットとグレイス・ムーアが、1940年版ではジャネット・マクドナルドとネルソン・エディが、この曲を歌いました。また、シグムンド・ロンバーグの伝記に基づいた1954年のミュージカル映画『Deep In My Heart』でも使われ、トニー・マーティンが、この曲を歌いました。レコードやラジオでヒットしたものはルディ・ヴァレーのもので、当時27歳のサックス奏者だった彼が、リーダーとして彼のバンドで、まだマイクのない時代に、メガフォン片手にこの曲を歌って人気を博したと言います。1938年にレコーディングされたミルドレッド・ベイリーの歌が、古いものとして知られています。その後、多くの人が歌い、ジャズ・ファンにはよく知られる代表的なスタンダード・ナンバーになりました。日本では、“美空ひばり”が愛唱していたことでも有名です。ビリー・ホリデイは1944年の、コモドア・レーベルのセッションでレコーディングし、コンサートのたびに必ずといっていいほど歌っていた曲だと言います。あなたが現れてから「空は青く、高く、月は新しく、恋も新鮮だったところに、あなたが現れた。」と、始めはハッピーな歌かと思わせますが、やがて、しあわせな日々が過ぎ、あなたは去ります。「私はあなたのどんなことも、思い出すたびに寂しくなる」「恋人よ、私のもとに戻ってきてちょうだい!」という恋人への未練の、切ない失恋の歌です。映画では離れ離れになる恋人どうしが「カム・バック!」と歌うところが定番になっているようです。ハマースタインの詩は、いつも、時の流れの中で移り変わっていくものに対する感慨を表しているのが特徴で、地味ですが、格調高く、そういうところが彼の魅力だと言えるでしょう。 この歌を「船は出て行く 煙は残る 残る煙が しゃくの種」という、7、7、7、5調で歌う甚句(じんく)に例えた人がいます。ここでの「煙」とは「未練」を意味しています。「あなたは去ってしまったのに、煙だけが残る、“未練”と“後悔”の歌」離れていく船に向かって「恋人よ、私のもとへ戻ってきて!」と叫んでも、もう遅いのですね。こういう内容の曲なので、もともとは浪々と歌うバラード・スタイルであり、それが自然なものではないかと思えますが、どういうわけか、32小節の1コーラスを倍の64小節にして、2倍の速さのリズムをバックに歌う、かなり速いテンポのものが定番になっています。しかし、ニコニコ笑って楽しそうに調子に乗って歌い飛ばすのは「違うだろう!」と言える曲だということです。----------【参考】[注記1] オペレッタ({イタリア語}operetta) 19世紀中頃にパリで生まれヨーロッパ全般に広まった、せりふと踊りを含む陽気で風刺的なオペラ。軽歌劇。喜歌劇。オッフェンバック・スッペ・レハール・サリバンらの作品が有名。[注記2] トライアウト(tryout)トライアウトとは、適性、選考試験、テスト、実験的試み。演技・スポーツなどにおいて適性を判断するための実技試験のこととして使われ、特にプロ野球などの入団テストや契約のためのアピールのことを「トライアウト」という。ミュージカルなどの演劇においては、人気を知るための試験興行のことで、本公演の前に観客の反応を見るために行う試験公演のことをいう。ブロードウェイやウエストエンドで行われるアメリカ、イギリスのミュージカルでは、上演が始まると客足が落ちて収益が見込めなくなるまで興行が続けられる。そのため、ヒットした作品は何年でも上演を続けられ、数年に及ぶロングランとなる作品も少なくない。特に、ブロードウェイ・ミュージカルの場合、まずトライアウトと呼ばれる地方公演で観客の反応を見ながら作品の手直しを行う。時には曲や演出の大幅な変更、スタッフ、キャストなどの大幅な入替えを行う。ヒットしそうな作品に仕上がるとブロードウェイでの上演を行う。これとは別に、オフ・ブロードウェイ、またはオフ・オフ・ブロードウェイと呼ばれる小規模な劇場で実験的に上演し、好評であれば次第に大きな劇場に移るやり方もある。ブロードウェイなどでヒットすると、オリジナルのカンパニーとは別に巡業用のツアーカンパニーというものを組織し、全米各地で巡業を行う。また、ワールドツアーカンパニーを組織して世界各地を従業して回ることもある。*****●ラバー、カム・バック・トゥー・ミー Lover, Come Back To Me!【邦題:恋人よわれに帰れ】作詞:オスカー・ハマースタイン2世作曲:シグモンド・ロンバーグ1928年《ヴァース》あなたは去ってしまったのに、私はあなたをひきとめなかった私たちは二人をつないでいた絆を切ってしまったそして、あなたのことを忘れたいと思ったわ過去は過ぎ去ったものとして追いやってしまいたかったでも、あなたと会った夜の不思議な興奮はいつまでも僕のこころの中にとどまっているようだわ《コーラス》空は青く、高く、月は新しく、恋も新鮮だった私の渇いた心は歌っていた「恋人よ、どこにいるの?」すると、あなたが現れて、恋がめぐってきたそしてその日が過ぎ、あなたは去ってしまったこの痛む心は歌っている「恋人よ、私のもとに戻ってきて!」私はあなたのどんなことも思い出すたびにとても寂しく感じてしまう今、一人で歩く道はみんなあなたと一緒に歩いた道だから寂しく感じるのは当然よね空は青く、夜は寒い月は新しいのに、恋は古くなってしまったそしてここで待ちながら、私の渇ききった心で歌っている「恋人よ、私のもとに戻ってきてちょうだい!」【January 12, 2006】の記事を一部加筆修正【ジャズ】人気blogランキングへ
November 2, 2007
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●11月の「ジャズ・ライヴ」のスケジュール6日(火)・・・「ボルゾイ」静岡市葵区常磐町:かおりんヴォーカル8日(木)・・・「ボルゾイ」静岡市葵区常磐町:かおりんヴォーカル9日(金)・・・「焼津(やいづ)グランドホテル・ラウンジ」焼津市:ピアノ・ソロ21日(水)・・・「ボルゾイ」静岡市葵区常磐町:大石俊雄(sax)バンド----------●FM清水、11月のアーティスト特集は「オスカー・ハマースタイン2世」【ジャズ】人気blogランキングへ
November 1, 2007
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