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フュッセンからドイツのロマンチック街道を北上。次に着いた場所はこちらでした。ローテンブルク・オプ・デア・タウバー。タウバー川を望む大規模群都市のローテンブルクです。やはりバイエルン州にあります。上の写真は旧市街のプレーンラインという有名な場所。泉のそばの小さな広場という意味だそうです。中世の面影を濃く残していますね。(続く)
2022.09.30
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ミュンヘンから、南ドイツにあるフュッセンからロマンチック街道に入ります。フュッセン郊外のシュヴァンガウにあるホーエンシュヴァンガウ城。こちらは、有名なノイシュヴァンシュタイン城。多分、ノイシュヴァンシュタイン城の近くから見た平野部の風景。ミュンヘンのような都会と違って、このような自然のある場所はのんびりできますね。疲れが少し取れました。(続く)
2022.09.29
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ペロポネソス半島を時計回りに戻って、その日はアテネから夜行列車に乗って、再びユーゴスラビアを通る二泊三日の列車の旅に出発します。ようやく着いたの2日後の朝で、ドイツ・バイエルン州のミュンヘン。さすがに疲労困憊して、ミュンヘン市内の公園の芝生の上で昼寝していたら、変なドイツ人男性に声を掛けられます。スーパーマリオみたいな口ひげを生やした怪しい中年男性。私が日本人だと思って、声を掛けてきたようです。警戒をしつつも、ミュンヘン市内の観光名所を案内してくれました。ニンフェルブルク宮殿。バロック建築の宮殿で、名称は「ニュンペー(ニンフ)の城」という意味だそうです。バイエルン選帝侯の夏の居所だったとか。ミュンヘンの新市庁舎。左奥には聖母教会(フラウエン教会)が見えています。人が多いですね。市の中心部のマリエン広場(マリア広場)で、そのドイツ人に撮影してもらいました。(続く)
2022.09.28
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オリンピアの次に訪れたのは、当時のペロポネソス半島にあった鉄道の終着駅だったカラマータです。半島南西部にある港湾都市で、「美しい両目」という意味があるとか。語源はともかく、静かで美しい港町でした。遠くの山がいい感じですね。これは観光名所になっている教会のようです。英語では「聖なる使徒たち(12使徒)の教会」(Church of the Holy Apostles)と書かれていました。ギリシャ独立戦争の際、マヴロミハリスが決起を促した場所としても有名だそうです。気に入ったらしく、もう一枚撮っています。お土産屋さんもありますね。街行く人ものんびりしています。カラマータにある別の教会。英語では「聖ジョンの教会」(Agios Ioannis Church)と書かれています。この町で、同じ宿屋(ユースホテル?)に泊まったアメリカ人女性二人の旅行者と意気投合し、宿泊先近くのレストランで一緒に食事をしたことを覚えています。陽気な人たちで、面白く楽しい夕食会でした。(続く)
2022.09.27
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ペロポネソス半島にある有名な遺跡といえば、オリンピアですね。古代ギリシャの聖地で、4年に1度、ギリシャ全土から運動選手(アスリート)を集めて、オリンピック・ゲーム(オリンピア競技)を開催した場所です。私の前世でも、ギリシャかアトランティスの島のような場所でアスリートだった記憶がほのかにあります。これは秘密ですけどね。いつか明らかにする(あるいは、なる)時があるかもしれません。前世の話はさておいて、オリンピアの遺跡にある「女神ヘラ」の神殿跡です。こちらは競技場へと続く通路とアーチ。このアーチをくぐって、アスリートたちは競技場に入っていったんですね。八重桜だと思いますが、ちょうど桜がほぼ満開の状態で綺麗でした。こちらは記念撮影。地面が傾いて、右肩上がりになっていますね。たぶん、石の上にカメラを置いて、自動シャッターを使ったのだと思います。(続く)
2022.09.26
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アテネに戻った後、次に向かったのは、ペロポネソス半島です。今でこそ、一部廃線となり行けないようですが、当時は鉄道で半島を時計の反対回りにほぼ一周することができました。多分これが、車窓からの風景。どこだかわかりませんが、港の駅です。接続待ち時間中に撮影したのか、海岸の写真もありました。そして着いたのが、こちらの遺跡。誰もが知っている遺跡です。(続く)
2022.09.25
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民宿のそばで撮影したクレタ島南海岸の夕日。人はほとんどいませんでした。静かな夕景です。翌日も良く晴れていたようです。海岸を少し散歩します。赤いポピーでしょうか。咲き誇っていますね。この後、南海岸を後にして、再び北海岸にあるイラクリオ港へ。夕方出航のフェリーに乗り込んで、アテネに戻ったと記憶しています。(続く)
2022.09.24
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クノッソス宮殿を見学した後、写真によると、ヒッチハイクをしてクレタ島の南海岸に向かっています。そのころまでに、ジョイスがくれたイラクリオンの住所に行ったのですが、ジョイスが他の島に行っていて不在であることが判明したはずです。その住所にいたジョイスの知人に、「来たけど会えなくて残念」という旨の伝言を託したと記憶しています。さて、クレタ島の南海岸は静かな観光地で、とても良かったです。それはこのようなところです。ギリシャ正教の教会もあります。とにかく海が綺麗でした。斜めになっていますが、このような海です。私は海が眼下に広がる民宿にその日は泊まることにしました。(続く)
2022.09.23
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日中はアテネの観光をした後、夜出航のフェリーに乗ってエーゲ海のギリシャの島に向かうことにしました。どこの島かというと、以前お話ししたように、クレタ島です。クレタ島では、アメリカ人留学生のジョイスに会えるかもしれませんでしたからね。旅行に行く前に、クレタ島での滞在地の住所を聞いてありました。意外だったのは、撮影した写真の順番によると、翌朝クレタ島に到着して最初に向かった先がここだったことです。クレタ島のクノッソス宮殿です。クレタ島にある青銅器時代最大の遺跡で、ミノア文明では宗教や政治の中心であったと考えられています。ギリシャ神話では、ミノタウロス(牛の頭をした怪物)の伝説で名高いラビリンス(迷宮)があったとされる宮殿として知られています。その神話の元となったとみられる牛のフレスコ画が、北側の入り口の壁面にあります。上の二枚の写真がそうですね。黄色い長い角を持った赤い雄牛が、白い木の左側に描かれています。(続く)
2022.09.22
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アテネでは全部で15枚写真を撮りましたが、そのうち後4枚だけご紹介しましょう。アテネのアクロポリス(丘の上にある城市)遺跡です。右に建っているのが、アクロポリスの前門(プロピュライア)の横にあるアテナ ニケ神殿ですね。アクロポリスの丘から見た景色です。これはディオニソス劇場です。酒と演劇の神ディオニソス(別名:バッカス)の聖域に造られたギリシア最古の劇場で、アクロポリスの南側に位置しています。アテネ市街を見下ろします。最後の写真は、再びアクロポリスの丘の上にそびえるパルテノン神殿の前。中央下で石の上に腰かけているのが私です。(続く)
2022.09.20
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美しいリヒテンシュタイン公国の写真をあと二枚ご紹介します。まさに絵葉書のような風景です。カナダとかスイスにいる感じですね。さて首都ファドゥーツに二泊した後、オーストリアに入ります。そしてウィーンから夜行列車に二晩揺られて、ユーゴスラビア経由で着いたのが、こちらです。いきなりギリシャのアテネです。途中の写真は一切ありませんでした。アテネには夕方到着していますから、これは翌日、アテネ市内の観光をしたときの写真だと思われます。有名なパルテノン神殿ですね。(続く)
2022.09.19
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リヒテンシュタインは、スイスとオーストリアに間にある小国です。その首都ファドウーツから翌日はマルブンのスキー場に出かけたのですが、スキー場の写真は見つかりませんでした。カメラが邪魔だったので、たぶん持って行かなかったんですね。それでも、ユースホステルのご主人かドイツ人のクリスティーヌの車に乗せてもらって、ちょっとした観光に出かけていることも写真からわかりました。それがこちら。山の方にドライブに行った時の写真だと思われます。見晴らしのいいところに連れて行ってもらっていますね。そしてこちらは・・・ファドゥーツ城です。リヒテンシュタイン公の官邸として利用されているそうです。こんなところにまで行っていたことは、写真を見るまでまったく忘れていました。こちらの風景も綺麗ですね。アルプスの麓にある美しい国でした。(続く)
2022.09.18
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ルツェルンの後は、スイスのチューリッヒを経由してリヒテンシュタイン公国へ。リヒテンシュタインの首都ファドゥーツの写真です。山に囲まれた国ですね。その山々の真ん中に首都ファドゥーツがあります。こちらの写真は・・・たぶんユースホステルだと思います。本場のチーズフォンデュをいただきました。快適なユースホステルでした。(続く)
2022.09.17
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昨日紹介したこの写真ですが・・・調べるのに時間がかかりましたが、スイスのベルンという町にあるキルヒェンフェルト橋であることがわかりました。ベルンの写真だったんですね。ベルン経由でルツェルンに行ったことがわかっていますから、きっと電車待ちの間にベルン市内を歩き回ったのでしょうね。このキルヒェンフェルト橋の写真の後、次の二枚の写真が見つかりました。これも調べるのに時間がかかりましたが、ベルンからの夜行列車に乗って翌朝着いたルツェルンのムゼック市壁の写真だと思われます。そして、こちらは有名なルツェルンの旧市街を流れるロイス川に架かる、カペル橋(Kapellbrücke)。屋根の付いた橋です。1333年に建築されたヨーロッパで最も古い木造橋です。右奥にはイエズス教会が見えています。1333年と言えば、鎌倉幕府が滅亡した年に造られたんですね。聖徳太子『未然紀』の予言として新著『シュメールの最終予言』でも取り上げました。不思議なめぐり合わせですね。(続く)
2022.09.16
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グリンデルワルトのスキー場の山小屋とシュレックホルン(左奥)。その後、再びグリンデルワルトの街まで降りてきたようです。ウェッターホルンを再び仰ぎ見ます。針葉樹があって、カナダの雪山に似ています。さらに山を下りて、スイスの平野部に戻ってきたようです。どこの街でしょうか。次回までに調べておきましょう。(続く)
2022.09.15
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1981年春にスイス・グリンデルワルトのスキー場で撮影した写真です。手つかずの自然。雪山の風景が広がっていますね。このように豪快な風景の中、スキーをするんですね。左奥に見える三つの尖った山並みは、シュレックホルンだと思われます。スキー場を背景にして撮影。スキーをしたかったのですが、貧乏学生にとってはスイスの物価は非常に高いので断念。景色だけを楽しみました。ちょっと悔しさが滲み出ている?(続く)
2022.09.14
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昨日の続き。最後の一枚は、芦ノ湖と富士山です。奥の雲の帯の中で、ちょっと黒っぽい頭が見えているのが、富士山です。
2022.09.13
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今日は久しぶりに箱根の芦ノ湖へ。最初は富士山がはっきりと見えておりました。しかし、10分もすると、雲が湧き出てきて、富士山にまとわりつきます。その7分後には、ほとんど見えなくなりました。おっ、海賊船が航行していますね。今日はもうこのまま見えなくなるのかなと思っていると・・・10分後には再び富士山の頭が見え始めます。その後は、10分ごとに完全に隠れたり、部分的に見えたりを繰り返し。最初の写真から一時間後には、辛うじて富士山の山頂部分だけ顔を出してくれました。何とも慌ただしい富士山の化粧直しでした。
2022.09.12
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スイスではこのような写真も撮っています。アルプス連山でしょうか。遠くの山はマッターホルンに似ていますが、よくわかりません。どこから撮ったのかも不明です。こちらの写真はわかります。スイスのスキー場の写真ですね。どこのスキー場かというと、それはこちらの写真からわかります。グリンデルワルト(Grindelwalt)と書かれています。グリンデルワルトのスキー場です。(続く)
2022.09.11
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今日は中秋節。結構、空が賑やかでした。竜雲。龍が泳いでいるような雲でした。龍雲の下には彩雲が出ておりました。そして中秋といえば、名月ですね。外で撮影した15夜の月。家の中で撮影した窓越しの名月です。月見の夜でした。
2022.09.10
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次の本で使うかもしれないので、7月に現れた三つの虹を整理しておきましょう。最初の虹はこちら。7月19日の18時44分から51分に掛けて撮影しました。二重の虹が出ていますね。秋山氏が「シュメールの最終予言」の初稿(校正稿)の直しを出版社に手渡した約1時間後に現れました。山の向こう側に出ています。次は7月25日。再校の校正稿の直しを私が出版社に送った約1時間後の18時09分から36分に掛けて撮影しました。お気づきのように山のこちら側で発生しています。非常に近い場所に現れた虹であることがわかります。しかも、これも二重の虹です。そして最後は、出版社が最終的に校正を終わらせたとみられる7月27日。18時29分から32分に掛けて撮影しました。海上に発生した積乱雲の下の雨の中で発生している遠くの虹です。つまり、虹が発生した距離は、私、秋山氏、出版社の距離とも符合していることになります。実は運命を回しているのは、それぞれの人が中心となって、その同心円状に自分の心の状態と共鳴した環境が引き寄せられるという現象なのかもしれません。秋山氏はそれについて「人は運命時間をもっていて、それぞれの人がそれぞれの中心となって運命を回しているのだ」と先日話していました。そのことについて今朝考えていたら、エリザベス女王逝去の発表の際、バッキンガム宮殿で二重の虹が出現したと米国の放送局がニュースを流していました。やはり虹は人々の心の状態や心が運ぶ命、すなわち運命とも連動しているように思われました。
2022.09.09
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実が落ちる時季になりました。これはとちの実ですね。先日散歩していたら、地面にいくつも落ちておりました。小さい秋を見つけた気分です。
2022.09.08
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モントルーからは登山鉄道を利用してスイス・アルプスを目指しました。すっかり山に囲まれていますね。山の中へとドンドン分け入って行きます。やがて現れたのは・・・ウェッター・ホルンです。アルプスのベルナー・オーバーラントにある高峰。ハスリユングフラウ(標高3701m)、ミッテルホルン(3704m)、ローゼンホルン(3689m)の3峰からなります。スイスのグリンデルワルトで撮影しました。こんなにアルプスの山の中まで行っていたんですね。ほとんど記憶に残っていませんでした。おそらく宿泊したのは、ツェルマットのユースホステルだと思われます。(続く)
2022.09.07
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1980年冬のフランス半周ヒッチハイクの旅の写真はアヴィニョンの辺りで突然終わってしまっています。ですから1月の冬のパリの写真もボルドーの写真もないんですね。で、次にどのような写真が現れるかというと、3か月後のスイスです。そう、1981年3月から4月にかけての春休みにヨーロッパ鉄道旅行をしたときの写真があります。まずはこちら。スイスのレマン湖の東端に位置するモントルーです。どうしてモントルーだとわかるかというと、右端に写った湖畔のお城でわかります。モントルーのシヨン城(Château de Chillon、シオン城とも表記する)です。イギリスの詩人バイロンの詩「シヨンの囚人」、「シヨン城詩」の舞台として知られています。 アルプス山脈がすぐそばにありますね。多分、次の写真はモントルーの街中です。街中からでも山が見えます。山と湖に囲まれた、綺麗なリゾート地でした。(続く)
2022.09.06
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パラグアイオニバス。この葉の大きさにはびっくりしますね。南米を原産とするスイレン目スイレン科オオオニバス属の水生植物だそうです。池の飛び石のように、葉の上を歩けそうです。実際、体重30キロくらいまでなら、この葉の上に乗ることができるとか。体重に覚えのある方は、一度挑戦してみてください。
2022.09.05
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1980年12月のフランス半周ヒッチハイクの旅の写真は、次の四枚で終わります。上の写真は昨日紹介したアヴィニョン付近の景色ですね。次は南仏のどこかの夕日。綺麗な夕景ですが、どこで撮影したか全く覚えていません。そして、最後はこちら。道路に雪が積もっていますから、何年振りかで南仏で大雪が降った後に撮影されたものだとしかわかりません。風景から判断すると、ヒッチハイクしている最中に撮影したのだと思われます。洗濯物が干してありますね。なぜ撮影したかもわからない不思議な写真です。(続く)
2022.09.04
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アヴィニョンなのか、アヴィニョンの近くの町なのかわからない写真があります。どこなんでしょうね。地図で色々調べましたが、わかりませんでした。こちらはどこかのレストラン。その近くのロータリー。フローラ(Flora)まで66マイル、アレース(Ales)まで13マイルと書いてありますから、アヴィニョンかその周辺の町であるのは間違いなさそうです。とすると、この川はローヌ川(Le Rhone)でしょうか。スイスのレマン湖を経由して地中海に流れるフランス四大河川の一つです。ローヌ氷河に源を発しているそうです。(続く)
2022.09.03
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写真によれば、フォルカルキエの次はアヴィニョンです。アヴィニョンといえば、童謡「アヴィニョンの橋の上」が有名ですね。そのアヴィニョン橋です。橋の正式名称は「サン・ベネゼ橋」 (Pont St. Bénézet) 。12世紀に建造されたそうです。有名な歌の歌詞は次の通りですね。Sur le Pont d'Avignon L'on y danse, l'on y danse Sur le Pont d'Avignon L'on y danse tous en rondアヴィニョンの橋の上で 踊るよ、踊るよ アヴィニョンの橋の上で 輪になって踊る歌は橋の完成を祝ったものとされていますが、現在は洪水などによって橋の大部分が流失しています。夕闇なのか早朝なのかわかりませんが、ちょっと幻想的な写真です。こちらは昼間ですね。アヴィニョンの町中の写真だと思われます。この町に泊ったのか、近くの町に泊ったのかは覚えておりません。写真を撮ったことも忘れていました。アヴィニョンに立ち寄った事だけは間違いないですね。(続く)
2022.09.02
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電線を伝わって移動する体長5メートルの巨大カマキリを発見!というのは冗談で、車のフロントガラスにへばり付いていたカマキリを助手席の家人が激撮しました。中央に写っているのが、そのカマキリですね。ところで、本日出版社より、『最古の文明シュメールの最終予言』が増刷になる見込みであるとの連絡が入りました。売れているのはアマゾンだけでなく、本日紀伊国屋書店でもサブカルチャー部門で一位にランクされました。報告が遅れましたが、既に増刷され累計7000部販売している『しきたりに込められた日本人の呪力』の再増刷も確か二か月ほど前に決まりました。厚く御礼申し上げます。
2022.09.01
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