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ベケット作『ゴドーを待ちながら』のロンドン観劇ツアーの話でしたね。 おそらくウェイク先生は、リーディング・ウィークがある比較的楽な週を選んで、私のために日曜日のチケットを取ってくれたのだと思います。ダーウィン・カレッジそばの駐車場で待ち合わせて、ウェイク先生の車でロンドンに向かいました。学生は私一人で、ウェイク先生の奥様も一緒でした。 ロンドンの劇場まで送ってくれるとは、何という幸せ。ヒッチハイクばかりやっていた私にとっては、王様になった気分です。ケント大学があるカンタベリーからロンドンまでは電車で1時間半ほどですが、車でも同じくらいで到着できます。ほとんどドア・トゥー・ドアの分だけ、楽で便利ですね。ドイツの留学生マイケルも車を持っており、結構あちこち出歩いていました。一回だけ乗せてもらったことがあります。この時、外国での車の旅もいいなと思ったことをおぼろげながら覚えています。 さて、ウェイク先生の運転で無事ロンドンの中心街に着きました。劇場はオールド・ヴィック。私が前年にピーター・オトゥールの『マクベス』を見た劇場と同じですね。南の玄関口であるウォータールー駅の近くにあります。ウェイク先生は、劇場近くの路地裏に入ると、駐車スペースを見つけて、驚いたことにそこに駐車しました。 ロンドンのような大都会の真ん中で路上駐車していいのかなと思って尋ねると、道路脇に黄色線が引いていないところは基本的に公共駐車スペース(近くに料金メーターがある)で、しかも夜間と日曜日は無料になるのだと教えてくれました。日本では逆に土日の駐車料金が高くなりますから、真逆の発想です。 時は流れて、31年後の2012年5月19日。エディンバラの中心街にあるカレドニアン・ホテルに泊まった時のことです。車をどこに駐車しようかと思案していると、ホテルのベルボーイさんが妙案を教えてくれます。非常に安全な場所に公共駐車場があり、夕方の5時から朝の9時までは無料だから、それを使えばいいというのですね。 その日は、ちょうど土曜日で翌日は日曜日で無料。このシステムを使います。ただし平日は最長2時間までしか駐車できない場所でもありました。ホテルに着いたのは午後2時半でしたから、今からだと午後4時半までに駐車場を一回出なければいけないんですね。 そこでどうしたかというと、午後4時半に一度戻ってきて、車をちょっとだけ移動するんですね。たとえば隣のスペースとかに。その上で午後4時半から午後5時までの分と翌々日(21日の月曜日)の午前9時から午前10時までの料金を事前に払ってしまえばいいというんですね。そうすれば41時間をわずか8ポンドほどで駐車できるわけです。 このことを教えてくれたベルボーイさんは、私がその駐車場の場所をわかりづらそうにしていると、「じゃあ、私がそこまで運転してあげる」と言います。助かりました。実は私は田舎道の運転は好きですが、都心の運転が苦手なんですね。ベルボーイさんは私たちを乗せて、駐車場まで運転してくれると、料金メーターのあるところまで連れて行ってくれました。 その駐車場はホテルからも程近い閑静な住宅地の中にあり、駐車スペースもたくさんありました。やはり地元で暮らす人はいろいろ役に立つ情報を持っていますね。ベルボーイさんにチップをはずんだのは言うまでもありません(笑)。 そしてこの時、31年前にウェイク先生にロンドンまで車で送迎してもらって、ベケットの『ゴドーを待ちながら』を見たことを思い出したわけです。31年の時を隔てて、ロンドンとエディンバラの私が共鳴したことになります。 人生とは、こうした共鳴現象の連続みたいなものなのです。(続く)
2022.03.31
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3月30日、桜と風を愛でに行きました。満開ですね。好天にも恵まれました。帰ろうとしたその時、一陣の風が木々を揺らします。すると・・・桜吹雪です。綺麗に風に舞っておりました。昨日は鶯が桜並木を先導してくれました。今日は桜吹雪。大空に羽ばたくように、遥か彼方へと飛んで行きました。
2022.03.30
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登場人物をパターン化・シンボル化することによってベケットが戯曲で何を伝えようとしていたのか、何となくわかってもらえたでしょうか。今から見ると、ベケットが非常に神秘的な易的領域、すなわちオカルト的領域に踏み込もうとしていたことがわかります。 もちろん当時の私は、オカルトのことなど全くわからなかったので、もっと表層的にベケットの演劇を捉えておりました。それは追々、語って行きます。 この『ゴドーを待ちながら』では、ケント大学での楽しく忘れがたい思い出もあります。 私がベケットを卒論テーマにしていることを知っていた、ヨーロッパ演劇コースを教える助教授クライヴ・ウェイク先生が、当時ロンドンで上演されていたベケットの『ゴドーを待ちながら』の観劇に招待してくれたことがあったんですね。 その時のパンフレットがこちら。 1981年2月17日にオールド・ヴィックで初演と書かれています。で、こちらはベケットについて書かれたページ。学生向けのセミナーが開催されているとも記されています。このパンフレットの中に3月5日にヴラディミールとエストラゴンを演じた二人の役者のパネルディスカッションがある旨のチラシが入っていましたから、おそらく2月21~22日の土日か、2月28日~3月1日の土日のどちらかの上演を見に行ったと思われます。ちょうど春学期真最中ですね。ウェイク先生はその土日の券をくださっただけでなく、ケント大学から車で送迎してくれました。 至れり尽くせりです。 次回は、その時の観劇ツアーの体験を思い出す限りにおいてご紹介しましょう。 (続く)
2022.03.29
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同じ生年月日の人は同じ運命をたどるのか――その答えはイエスでもあり、ノーでもあります。 同一生年月日でも、そこにはグラデーションがあるからです。たとえば、日付が変わる真夜中の直前に生まれた人は、翌日の性質をより多く持って生まれてくる可能性があります。逆に日付をまたいですぐに生まれた人は、前日の数の性質を内包している割合が高くなるはずです。 また、意図的にこの性質のグラデーションを変えることもできます。人生の節目、あるいは節句ごとにその数の性質を強める儀式をするのです。つまり生まれてからの季節などの節目ごとに自分の足りない性質を補ったり強めたりすることができるのです。これは日本のしきたりに隠された呪術のようなものです。 1月1日の正月を祝うのは指導力を強めるためと解釈できますし、2月3日の節分はコミュニケーション力と表現力を強めるためにあると考えることもできます。3月3日の上巳の節句は肉体的な火の力を強め、5月5日の端午の節句は自由でのびのびと成長する力を増やすための儀式とみなせます。7月7日の七夕は伝統の力を増大させる儀式のようなものでしょうか。 ほかにも学校の入学式、卒業式、そして社会人になってからの入社式、結婚式などメモリアルな年月日があるごとに、その年月日特有な、新たな特性を加えたり補ったりすることが可能なわけですね。引っ越しをして、その方角の力の性質を強めたり、あるいは海外で暮らすことによって、その方角や土地の性質を手に入れたりすることもできると考えています。 たとえばジョイスは『ユリシーズ』の発売日を1922年2月2日に設定しました。これによって、物書き・表現者としての火と、コミュニケーション力と金運力の性質をもつ沢・金が加わった(あるいは強化した)と解釈することができます。実際にジョイスは、『ユリシーズ』によって作家としての不動の地位と、それ相応の金運を手に入れることができたわけです。 そして最も効果的だと思われるのは、対極の性質を持つ人と友達になったり、パートナーになってもらったりすることです。そうすることによって、自分に欠けている性質を補ったり、強めたりすることができるはずです。 このようにして、バランスを取るために何度かの補完や補強を積み重ねて成し遂げることができた、その人の人生の「運命の通信簿」が、没年月日であったのではないかと私はみています。 生年月日によって、生まれるときに宿された運命、すなわち「宿命」とも呼べる運命が決まります。生まれ持った基本的な運命・性質と考えてもいいかもしれません。しかし、この基本的な運命(宿命)・性質は、儀式や友人関係などを通じて生じる「意志や意識の変革」によって、いかようにも変化するわけです。だからこそ、同じ生年月日で根本的には同じ運命(性質)を宿していても、まったく異なる人生を歩むこともあるわけです。ただし、同一生年月日の人は、人生において同じようなパターンを繰り返す傾向が強くなるのも事実だと思われます。 人によって、繰り返されるパターンがあるわけです。それは非常に易的なものです。ベケットの戯曲によって人生や宇宙のパターンが浮かび出てくるのは、このような普遍的な法則があるからではないでしょうか。 (続く)
2022.03.28
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秋山氏と私の運命・性質を易の生年月日占いで見てみると、私が火三つと風一つ。一方の秋山氏は、火二つと天一つと山一つとなります。秋山氏は私が持っていない天と山を持ち、私は秋山氏がもっていない風を持っています。二人とも火でつながっていることで分かるように、本を書くということで結びついているわけですね。秋山氏と18冊(改訂版も入れると22冊)も共著があるのも、うなずけます。特に秋山氏は私があまり持っていない坎(水)に近い乾(天)と艮(山)を持っていることが大きいです。 実際、火の性質が強い私だけの力でオカルトのことを書くと、「表層的で明るいオカルト」になってしまいます。奥行きのある神秘性も私の手にかかると、誰もが簡単に得ることができるお手軽な遊びになってしまうんですね。小学生のころ、相手の想念を映像で読み取ってじゃんけんゲームで勝ったのがいい例です。勝っても、あっけらかんとしているでしょ。面白いと思っても、深入りはしません。入り口だけで納得してしまう癖があります。 2015年に『竹内文書と平安京の謎』を出版したときも、第六章「エジプトのピラミッド群と測量集団」では古代エジプトの主要31基のピラミッドの配置をすべて測量士的立場から幾何学的に明らかにしました。それでさえ、本来なら10年くらいかけて調べ上げて重厚な研究内容として発表すべきなのでしょうが、たった1週間で全部調べ上げてしまいます。つまり、簡単かつゲーム感覚で原稿がすらすら書けてしまう(原稿を書いてしまう)んですね。研究者がもつ重厚さや重々しさはあまりありません。 オカルトにはそういう楽しい、遊び的な面もありますが、そういう簡単で軽いモノばかりではありません。それを教えてくれたのが、秋山氏ですね。秋山氏の豊富なオカルト的な体験に支えられた「重厚で奥行きのあるオカルト」を、私の「表層的で明るいオカルト」と融合させると、一般の人でも理解できる「程良いオカルト」になるのではないかと勝手に思っています。 ところで、易による生年月日占いに関連して、同じ生年月日の人は同じ運命をたどるのか、と疑問に思う方もいるかもしれませんね。 次回はそれについての私の仮説をご紹介しましょう。 (続く)
2022.03.27
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ポゾとラッキーの関係は明白ですね。主従関係です。主人であるポゾは、易的に言うと乾(天)の性質を持っていることになります。金持ちであると同時に社交的であるようにふるまっていますから、コミュニケーション力を示す兌(沢・金)を有していることもわかります。 これに対してラッキーは、主従関係という人間関係を大事にしていますから震(木)の性質を持っていることがわかります。さらに肉体的な表現であるダンスができるということは離(火)の性質を、哲学的な独白ができるので坎(水)の性質も有しています。 ヴラディミールとエストラゴン同様、ポゾとラッキーも非常に補完的であり、対極の存在として描かれています。 しかし面白い相違点は、ヴラディミールとエストラゴンは終始同じような関係を保っていたのに対して、ポゾとラッキーは第一幕と第二幕では主従関係が変化しているように思われることです。第二幕ではポゾは目が見えなくなっているので、ラッキーなしには何もできなくなっていますね。ラッキーの震の性質がまだ強いので主従関係は崩れていませんが、ポゾは独裁的なリーダーの末路を象徴しているように思われます。天の性質が行き過ぎると、孤独になって行くんですね。 それは、同じように天の性質を持つヴラディミールにも当てはまります。実際第二幕では、眠り込んだエストラゴンを、ヴラディミールは「寂しい」からという理由で起こします。リーダーと孤独は、コインの裏表のようなものなのです。 実はここに易経の持つ重要な意味があります。すべての卦は行き過ぎると、苦しく(裏目に)なるのです。リーダーシップ(天)は行き過ぎると孤独になり、自由(風)過ぎると放蕩になります。コミュニケーション力(沢)は行きすぎると人を傷つけ、人間関係(木)を重視し過ぎると雁字搦めになります。表面的なこと(火)にこだわり過ぎると本質を忘れ、深く掘り下げ(坎)過ぎると出口が見えなくなります。寛容(地)すぎると矛盾が増えて、伝統(山)にこだわり過ぎると融通が利かなくなります。 これらはすべて八卦の対極の関係を表わしています。つまり八卦のバランスが必要だということなのです。そのバランスの良さを模索するのが、私たちの人生であると言っても過言ではありません。 たとえば私は、生まれながらにして三つの離(火)と一つの巽(風)の性質を持つことを運命づけられています。自由に本を書いていますから、まさにその通りの人生なわけですが、そのままの偏ったバランスだと表層的な、軽いことしか書けません。実は対極にある坎(水)の性質を加味する必要があります。その坎は何かというと、私にとっては掘り下げて行く能力であり、神秘性(オカルト)という奥行きを知ることでした。 つまり私は、オカルトとは対極の性質を持って生まれたわけです。実際に私はつい最近(2012年)まで、易などの占いを全く信じず、バカにしていたくらいですから。数字には表面的な数の意味しかなく、その数字に哲学的な意味や神秘性を見出すのは馬鹿げているとすら思っていました。それを信じるきっかけとなった麻雀牌占い事件については、既に紹介したとおりです。 オカルト界の重鎮である秋山眞人氏と共著を書き始めるのも、時を同じくした2012年です。これはもちろん偶然ではありませんね。実は秋山氏と私は、ヴラディミールとエストラゴンのように、ある意味、対極・補完関係にあります。 (続く)
2022.03.26
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ベケットが描く登場人物は皆、非常に易経的です。八卦のキャラクターの組み合わせで説明することができます。まあ、当然と言えば当然ですよね。ベケットも易経も、どちらも宇宙の根源にある法則を解き明かそうとしているわけですから、戯曲と易占という表現方法は違っても、同じ法則に行き当たるはずです。 具体的にみてゆきましょう。 『ゴドーを待ちながら』の二人の主人公ヴラディミールとエストラゴンは非常にわかりやすいです。ヴラディミールが陽的で、エストラゴンは陰的ですね。ヴラディミールはよく空を見上げ、帽子を気にします。天的です。同時に落ち着かずにほとんど立っており、動的でもあります。 これに対してエストラゴンは、足元を見て、靴を気にします。地的です。同時に石にへばりつくように石に座り続け、あまり動かないので静的です。 考え方も非常に対称的です。ヴラディミールは、哲学や宗教について思いめぐらします。精神や思考を代表するシンボリックな存在に思われます。一方エストラゴンは、形而上的な思考は一切せず、どんな食事にありつけるかとか、肉体的な痛みを和らげるにはどうすればいいかといった世俗的なことばかり考えています。物質的・肉体的要求が優先しますから、感覚を代表するシンボリックな存在に思われます。 感覚と思考、動的と静的という対比は、必ずしも易の分け方ではありませんが、この二人を易で分析することもできます。 たとえばヴラディミールは、哲学や宗教を思索することから易でいう「坎(水)」の性質(集中力、掘り下げ力)を持っていることがわかります。帽子や空を気にすることから「乾(天)」の性質(指導力)を有し、動的で待機することを好まないのは、「巽(風)」の性質(自由力)を示しています。 エストラゴンはこれに対して、表面的、物質的なことを気にすることから「離」の性質(表面を飾る力)を持ち、石にへばりついて靴を気にすることから「坤(地)」の性質を有し、静的で待ち続けることをあまり苦にしない様は「艮(山)」の性質(忍耐力)の性質を示しています。 二人は坎(水)と離(火)、乾(天)と坤(地)、巽(風)と艮(山)の関係にあります。つまりヴラディミールとエストラゴンは、易で見ると対極的であると同時に補完的関係にあることがわかるのです。 だから二人は、曲がりなりにもうまくやっていけるんですね。 では、ポゾとラッキーはどのような関係なのでしょうか。 (続く)
2022.03.25
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ようやく春らしい陽気になってきましたね。今日の桜です。木によっては五分咲きでしょうか。満開まであともう少しという感じです。こちらの枝垂れ桜は8分咲きでした。ベケットの『ゴドーを待ちながら』のブログは、明日以降に再開します。
2022.03.24
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『ゴドーを待ちながら』で最初に誰もが気づく宇宙の三大法則の一つが、繰り返しですね。登場人物たちは、毎日毎日、一向に現れない「ゴドー」を待ち続けます。我々の日常も同じですね。同じことを繰り返します。希望を持ったり諦めたり。まったく不毛な、同じような一日を送っているように思われます。 しかしながら、一日一日同じようでありながらちょっと異なるのも日常です。同じ一日でも昨日と今日、今日と明日では、ちょっと違います。全く同じ繰り返しではないわけです。対称的でいて、ちょっと対称的でない。これが第二の法則。同様に第一幕と第二幕も同じようでいて違うようにできています。木の葉が出てきました。その一方で、ポゾは視力を失い、ラッキーも声を失っています。 そうして三番目の働きが同質結集の法則です。つまりヴラディミールもエストラゴンも、どういうわけか、一本の木のそばに集まってきます。ポゾとラッキーも同様ですね。何か惹かれ合うモノ、同質のモノを見出すので、彼らもまた常に集まり続けるのです。 あらゆる人間の営みは、この法則から外れることはありません。上演時間がわずか30秒ほどのベケットの戯曲『息(Breath)』ですら、この三大法則でできています。 『息』は、1969年に書かれた、登場人物が誰もいない寸劇です。舞台上には、ゴミがあちこちに散乱しています。そこに産声のような叫び声がした後、呼吸音だけが聞こえてきます。呼吸は光の強弱とシンクロしています。そして、二度目の叫び声が聞こえて、幕となります。 呼吸は繰り返し、しかもその呼吸は一回ごとに微妙に異なります。非対称性があるわけですね。そして、舞台上の光や呼吸音に集まる観客の意識は同質結集の法則を表わしています。 ベケットは、これが宇宙の根本原則であることに気づいていたわけです。宇宙には根源的な法則があることを感じ取っていたに違いないんですね。それを極力、シンボリックに、あるいは記号的に描いたのが『息』だったように感じます。 『ゴドーを待ちながら』には、他にもオカルト的な現象の法則が多く描かれています。待っているうちは来ないゴドーは、願っているうちは何も成就しないというオカルトの秘儀すら語られているように思われます。 ベケットの描くすべては、こうした宇宙に秘められた法則を明らかにすることだったのではないでしょうか。では登場人物を詳しくみてゆきましょう。 (続く)
2022.03.23
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今日はこちらの写真。池の畔に何か立っていますね。白い置物のような・・・もしかして白い郵便ポスト!?すると、ようやく顔を上げてくれます。「私は郵便ポストではない」・・・シラサギでしたね。一本足打法。多分、こちらのシラサギと同じシラサギです。この辺りの池がお気に入りのようでした。今日も遅くなったので、写真ブログだけです。
2022.03.22
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ベケットが作品を通して試みたことは、おそらく易と同様に、宇宙の森羅万象をシンボル化することです。それは「象」に代表される形あるモノだけでなく、そこに内在するパターンや法則も含みます。 面白いことに、単純な形、記号、シンボルにすればするほど、意味が深まって行きます。『ゴドーを待ちながら』も同じです。登場人物たちは非常にシンボリックに描かれています。だからこそ、そこに、すべての状況に当てはまるような普遍性が生まれるわけです。単純に言えば、「ヴ(ウ)ラディミール」はプーチンにもなり得れば、隣のおじさんにもなり得るわけです。人間の中に普遍的に存在する性質が、シンボリックな登場人物の中にあるからですね。 そうすることによって、劇は物事の本質に迫ることが可能になり、社会的、政治的、宗教的なあらゆる解釈を可能にすることができるんですね。あらゆる解釈ができるということは、意味が深化することを意味します。ベケットの狙いはそこにあると思われます。だから、演出家に勝手な解釈をさせずに、ベケットの書いたままに演ずることを本人が求めたわけです。勝手な解釈をすると、意味が狭まります。どれだけ深い解釈ができるかは、それぞれの読者や観客に委ねられます。 『ゴドーを待ちながら』の解釈では、最近になって認知症の人の会話からベケットがこの作品を思い立ったのかなと感じるようなことがありました。 とある都内の老人ホームで、入居している90代の男性がほかの入居者の家族が面会に来ているのを見て、ホームで働く人に「うちのカミさんはいつ来るのかな」と聞いている場面に何度も遭遇したことがあります。すると、ホームで働く人は決まって「○○さんの奥様は明日会いに来られますよ」と答えるんですね。すると男性は「そうか、明日か。明日来るんだな」と安心したようにうなずきます。こうした会話は毎回目撃します。 ホームで働く方にそれとなく事情を聴いたところ、実はその方の奥様はそう頻繁に会いに来られる状態ではないとのことでした。しかしそれを伝えてしまうと、その方が悲しまれたり、不安がられたりすると思って、「明日来ることになっています」ということにしたのだそうです。認知症が進んでいるその方は、そう聞いたこともすぐに忘れてしまいますから、「嘘も方便」となるわけです。 「ゴドーは、今日は来ないけど、明日は来ます」と伝えに来る少年は、まさにホームで働く方の役割の象徴であったと解釈することもできますね。このように、どのようにも解釈できるのです。 同様に、シンボル化が進むと、宇宙にある根源的な法則も浮き彫りになってきます。『ゴドーを待ちながら』にも、既に紹介した宇宙の三大法則が語られています。 次回は、この作品の中にある宇宙の三大法則の有様と、それぞれの登場人物にはどのような象徴的な意味が込められているかをみてゆきましょう。 (続く)
2022.03.21
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ベケットが作品を通して試みたことは、おそらく易と同様に、宇宙の森羅万象をシンボル化することです。それは「象」に代表される形あるモノだけでなく、そこに内在するパターンや法則も含みます。 面白いことに、単純な形、記号、シンボルにすればするほど、意味が深まって行きます。『ゴドーを待ちながら』も同じです。登場人物たちは非常にシンボリックに描かれています。だからこそ、そこに、すべての状況に当てはまるような普遍性が生まれるわけです。単純に言えば、「ヴ(ウ)ラディミール」はプーチンにもなり得れば、隣のおじさんにもなり得るわけです。人間の中に普遍的に存在する性質が、シンボリックな登場人物の中にあるからですね。 そうすることによって、劇は物事の本質に迫ることが可能になり、社会的、政治的、宗教的なあらゆる解釈を可能にすることができるんですね。あらゆる解釈ができるということは、意味が深化することを意味します。ベケットの狙いはそこにあると思われます。だから、演出家に勝手な解釈をさせずに、ベケットの書いたままに演ずることを本人が求めたわけです。勝手な解釈をすると、意味が狭まります。どれだけ深い解釈ができるかは、それぞれの読者や観客に委ねられます。 『ゴドーを待ちながら』の解釈では、最近になって認知症の人の会話からベケットがこの作品を思い立ったのかなと感じるようなことがありました。 とある都内の老人ホームで、入居している90代の男性がほかの入居者の家族が面会に来ているのを見て、ホームで働く人に「うちのカミさんはいつ来るのかな」と聞いている場面に何度も遭遇したことがあります。すると、ホームで働く人は決まって「○○さんの奥様は明日会いに来られますよ」と答えるんですね。すると男性は「そうか、明日か。明日来るんだな」と安心したようにうなずきます。こうした会話は毎回目撃します。 ホームで働く方にそれとなく事情を聴いたところ、実はその方の奥様はそう頻繁に会いに来られる状態ではないとのことでした。しかしそれを伝えてしまうと、その方が悲しまれたり、不安がられたりすると思って、「明日来ることになっています」ということにしたのだそうです。認知症が進んでいるその方は、そう聞いたこともすぐに忘れてしまいますから、「嘘も方便」となるわけです。 「ゴドーは、今日は来ないけど、明日は来ます」と伝えに来る少年は、まさにホームで働く方の役割の象徴であったと解釈することもできますね。このように、どのようにも解釈できるのです。 同様に、シンボル化が進むと、宇宙にある根源的な法則も浮き彫りになってきます。『ゴドーを待ちながら』にも、既に紹介した宇宙の三大法則が語られています。 次回は、この作品の中にある宇宙の三大法則の有様と、それぞれの登場人物にはどのような象徴的な意味が込められているかをみてゆきましょう。 (続く)
2022.03.21
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さてケント大学では、春学期になってようやく、後に私が卒論で取り上げたサミュエル・ベケットの戯曲が出てきました。でも実は、ヨーロッパ演劇のコースでベケットのどの作品を授業で扱ったか覚えていません。たぶんもっとも有名な『ゴドーを待ちながら(En attendant Godot)』だったと思うので、この作品について触れておきましょう。 『ゴドーを待ちながら』は、1952年にフランス語で出版され、翌53年1月5日、パリの小劇場「テアートル・ドゥ・バビロン(Théâtre de Babylone)」で初演された二幕からなる悲喜劇です。当初は例によって戸惑いや悪評が散見されましたが、1955年に英語版がロンドンで上演されるようになると、次第に観客に受け入れられるようになります。そして1960年ごろまでには、世界20言語以上に翻訳され、不条理演劇の代表作として20世紀のヨーロッパ演劇史に刻まれたんですね。 物語は次のようなものです。 ヴラディミールとエストラゴンという、浮浪者風の二人の男が一本の枯れ木のそばで、実りのない会話をしています。その会話から、彼らはゴドーという人物を待ち続けていることがわかるのですが、ゴドーが何者で、いつ来るかも、なぜ待っているかもわからないらしいんですね。 そこへ、旅の途中であるという、ポゾとその奴隷のラッキーが現れます。ラッキーは首にロープが付けられており、重い荷物を持たされています。しかもポゾは、ラッキーを市場に売りに行くところだといいます。ポゾがラッキーに「考えろ、ラッキー!」と命ずると、ラッキーは踊ったり、突然謎めいた哲学的な独白を始めたりします。 ポゾとラッキーが去った後、残された二人の元へゴドーの使者を称する少年がやってきて、「ゴドーは、今晩は来ないが、明日は来る」というメッセージを伝えて、立ち去ります。二人も立ち去ろうとしますが、立ち去らないまま第一幕が閉じます。 第二幕も同じ木のそばでヴラディミールとエストラゴンがゴドーを待っています。枯れ木だった木には葉が茂っています。そこへポゾとラッキーが現れますが、ポゾは盲目に、ラッキーは唖者になっています。ポゾは二人に出会ったことも忘れています。 ポゾとラッキーが去った後、残された二人の元へ再びゴドーの使者がやってきて、ゴドーが来ないことを告げて、立ち去ります。二人は首を吊って自殺しようとしますが、ロープがないので、それもできません。二人は立ち去ろうとしますが、立ち去らないまま終幕となります。 次回はこの作品を解説しましょう。 (続く)
2022.03.20
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三日前(3月17日)のハクモクレン満開の日に、もう一つ満開だった木がありましたので、それも紹介しておきましょう。それはこちらです。河津桜ですね。伊豆半島ではもうほとんど散ってしまいましたが、ちょっと北の山の方へ行くと満開の場所が散見されます。そしていよいよ、これからはソメイヨシノの季節です。
2022.03.20
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なぜ無意識的想念の想起でなくてはならないのか。それは、そうでないと先入観が入り込むからですね。宇宙の真実は、マラルメが気づいたように、易占と同じ「純粋な偶然」が介在しないとわからないようになっているのです。それによって、地上のすべての現象や物語が宇宙の法則によって動いていることが確認できるわけです。 宇宙の意志とつながっている無意識の領域・潜在意識の情報を探るのが易です。半覚醒状態といえるまどろみの中の啓示も然り。そうした無意識の領域において、意味の共鳴、未来と過去をつなぐ超時空的現象が起こります。易占という小さな場が、共鳴を起こすことによって大宇宙の場と変わるわけです。お茶の世界にも似ていますね。茶室という限られた空間に宇宙を再現するのが茶道であると聞いたことがあります。 それは部分と全体、金太郎あめ的世界でもあります。そのことは、ロマン主義の先駆的詩人ウィリアム・ブレイク(William Blake:1757~1827年)がいみじくも気づいていました。以前にも紹介しましたが、彼が1803年ごろ書いた有名な「無垢の託宣(Auguries of Innocence)」の冒頭4行を紹介しましょう。 To see a World in a Grain of Sand And a Heaven in a Wild Flower Hold Infinity in the palm of your hand And Eternity in an hour 一粒の砂に世界を見て 野の花に天界を知る 手の平に無限を抱き 一瞬には永遠があると知れ 数字やシンボルが宇宙と直結する易の世界が、まさにブレイクが書いた詩に描かれています。託宣とは、神が人に乗り移り、または夢などに現れて、その意志を告げ知らせることですね。その際、純真無垢でなければならないとタイトル「無垢の託宣」は告げています。つまり欲望や願望など不純な意識を捨てよというのと同じです。その時、手の平の上に降られた偶然というサイコロの目が神の意志と直結、共鳴するわけです。 マラルメやプルーストは、19世紀と20世紀の文学の橋渡しをしただけでなく、実はこの表層的な現実界と、深層的なオカルトの世界の橋渡し的役割を無意識的に果たしています。彼らは偶然の重要性に気づき、ジョイスがその偶然性には意味があることに気づき、ベケットが偶然性の意味をシンボルに見出した――私はこのように近代ヨーロッパ文学史の流れを見ています。 (続く)
2022.03.19
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これらの実験結果から得られた教訓は、無意志的想起というよりも無意識的想起のほうが意味ある映像を見ることができるということです。 無意志的想起では、脈絡なく、雑多な映像が出てくるだけなるように思われます。もちろんそれぞれにそれなりの意味があるのかもしれませんが、意味のない(統一性のない)羅列になってしまう確率が高くなるような気がします。 意味のある羅列にするためには、明確な意志が必要であると感じます。ただし、その意志を顕在意識化しすぎると、願望や欲望が強くなり、自分の感情が好むような映像や、ノスタルジックな過去の想念(思い出)の意味のない羅列になってしまうようです。 そこで意味のない羅列を防ぐためには、テーマを決めることです。私の場合は、羽根ラインにかかわりのある私の前世を見るというテーマがありました。自分の意志でそのテーマを決めて、無意識の領域に、重りを付けた釣り糸のように、そのテーマを付けた釣り糸を降ろしてゆくわけです。その際、意識や意志を淡く溶け込ませて、自我を消してゆきます。願望も欲望も、感情すら取り除きます。意識や意志は次第に淡くなって薄れてゆき、最終的にはテーマだけが無意識の領域深くに沈んでゆきます。 すると、そのテーマに引き寄せられるように、テーマに関係のある意味あるシンボルや映像がくっつき始めるんですね。それらを否定も肯定もしないで、淡々と観察します。感情によるジャッジをしません。無意識的意識の流れのままに、見たままを受け入れるのです。 それらは何でもいいのです。色でも形でもシンボルでも。具体的な映像を見る必要すらないかもしれません。私が見た3ピンと7ピンのような数字でもいいわけです。同じ意味、同質のモノは引き寄せ合うという宇宙の法則が適用されるからです。 たとえば、マドレーヌを紅茶に浸して食べた瞬間に幼時の幸福な気持ちが蘇るというプルースト現象を次のように解釈することができます。マドレーヌはおそらく丸い形で表されるシンボルで、紅茶は赤茶色を表わすシンボルであったとみなせば、マドレーヌは「天(乾)」で紅茶は「地(坤)」の意味になります。現れた順番や形と色の優先順番を勘案すると、最初に天が後から地のシンボルが現れたことになります。すると易では地天泰という卦が得られます。それはどういう意味かと言うと、平和と安定という意味です。すると、マドレーヌを紅茶に浸した瞬間に、幼時の平和で幸福な思い出(映像)が意味の共鳴を起こして想起された(出現した)と解釈することも可能なわけです。 プルーストが気づいていたかどうかわかりませんが、こうして無意識的に次から次へと現れる映像には意味があるのです。それに意味があることに気づいて、作品を仕上げていったのが、先述したジョイスです。それは意識の流れの手法といって、人間の精神の中に絶え間なく移ろっていく主観的な思考や感覚を、特に注釈を付けることなく記述していきます。人間の思考を秩序立てたものではなく、絶え間ない「半ば無意識的な意識の流れ」として描こうとするわけですね。それでは意味がないではないか、と異を唱える方も多いと思いますが、そこに何か意味があることに気づくことが重要なのです。ジョイスはそれがわかっていたからこそ、『ユリシーズ』を書いたのです。 時を同じくして、プルーストが亡くなった1922年にジョイスが『ユリシーズ』を発刊したのは実は偶然ではありません。ここから次の無意識の領域を利用した「意識の流れの手法」が大きな流れとなるからです。プルーストからジョイスに象徴的にバトンタッチされたことになります。プルーストの無意志的想起の活用は、無意識的想起の活用の橋渡しであったと考えることもできます。 そしてジョイスの試みをさらに易的に単純化、シンボル化していったのが、サミュエル・ベケットというわけです。ベケットは、易経を考え付いた人たちと同じように、宇宙がもたらすシンボルの意味を突き詰めて行こうとした作家のひとりです。パリで、ジョイスとベケットが出会ったのも偶然ではありませんね。 実は、時代を司る神(霊団)がこれを計画的・意図的に演出している感じすらします。 (続く)
2022.03.18
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ハクモクレンを探して里山の方へ。やはり見事に満開でした。まるで白木蓮のクリスマス・ツリーのようです。見事な咲きっぷりですね。こちらも天高くそびえています。快晴の空に似合いますね。ハクモクレンを堪能した一日でした。今日も1981年のブログはお休みです。
2022.03.17
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同じ日に撮影した富士山の三つの顔です。まずは東から。結構、雪が多いですね。そして北から。山頂部分の形に特徴がありますね。頭にコブがあるように見えます。最後は西から撮影した富士山。山頂が平らですね。いずれも3月7日に撮影しました。今日は遅くなったので、1981年のブログはお休みです。
2022.03.16
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共同通信の記者をしていたころ、茨城県日立市の画家・海後人五郎氏が宇宙からの霊感を受けて自動書記で設計図を書いて作ったという「超能力開発装置」を使って、摩擦させることなく紙と木をくっつけるという実験をしたことがありました。紙と木では帯電列表で近い位置にあるので帯電しづらい物質同士なのですが、海後氏は設計図通りの形に削った木を紙に近づけると、紙がその木にくっつく現象が起きるというんですね。 早速試したのですが、一向に紙はくっつきません。そもそも摩擦をしてもくっつきづらいモノ同士を、摩擦せずにくっつけること自体が不可能のように思われました。一応「くっつけ、くっつけ」と強く念じながら紙に木を近づけますが、何も起こりません。 ところが面白いのはここからです。私が疲れたので念じるのを止めて、「もうどうでもいいや」と思った瞬間に紙が木に引き寄せられるようにピタッとくっついたのです。同席して同じ実験をやった人も私と同じことを言っていました。「くっつけと思うのを止めて、意識を無にした瞬間にくっついた」と。 私はこのとき、小学生のときにじゃんけんの映像をみたことを思い出し、同じことが起きたことを知ったわけです。「勝ちたい」とか「勝ってやろう」という邪念を払いのけ、意識を空にして無意識の領域に委ねたときに、オカルト的な現象が起きるのです。おそらくこれは、1905年の日露戦争の際、ロシアのバルチック艦隊の動きを読めない日本艦隊の参謀・秋山真之が悩んだ末に疲れ果てて、つい居眠りをした時、敵の艦隊が対馬海峡を通行する映像を霊夢で見たのと同じ現象だと思われます。緊張して弛緩したときに、無意識の領域が開かれ、映像を見ることができるのです。 私が受けた2006年の退行催眠のときも同じでした。最初は意識の領域の雑念が作り出す映像に悩まされます。自分の願望が作った映像か、魂が経験した前世の映像か、まったく区別がつきません。ところが、意識が疲れて鎮まり始めると、段々と意味のある映像が現れ始めます。すると、顕在意識が入り込む余地が少なくなり、映像がより鮮明になってくるんですね。集中すれば、細部まで見ることができるようになります。 このときは最初の1時間が雑念タイムだったと思いますが、後半の1時間は無意識の領域に入り込み、私が想像したこともないような無意識的映像が次から次へと想起され、私自身も驚いておりました。 そうであっても、もしかしたら、私の願望が反映した映像の可能性もありました。そこで、秋山眞人氏に私が退行催眠中に見た映像のことは一切知らせずに、私の前世をリーディングしてもらったわけです。そうしたら何と、ほとんど同じ前世の物語が秋山氏の口からも語られ、しかもかなりの細部まで一致したんですね。実験は大成功でした。そのことは拙著『異次元ワールドとの遭遇』に記したとおりです。 (続く)
2022.03.15
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無意識の領域の中にあるオカルト的な力を使うには、コツがあります。子供のころ、誰に教わったわけでもなく、そのコツをつかんだことがあります。 私の小学校には舞踊の授業というのがありました。ある日、その授業の終わりに先生が「今日は最後にじゃんけんゲームをしましょう」ということになって、ゲームが始まりました。ルールは簡単で、音楽に合わせて踊りながら、音楽が終わったとき一番近くにいた人とじゃんけんをして、勝った人が「運転手」となり負けた人はその後ろについて、「列車ごっこ」のように肩に手をおいて連結します。そして音楽が再び始まると、今度はつながったまま音楽に合わせて踊り、音楽が鳴りやむと先頭の運転手同士がじゃんけんをするということを繰り返します。やがて「列車」はどんどん長くなって、最後に残った「列車」が優勝するわけです。 このとき、私が優勝するのですが、その過程において不思議なことが起こったのです。 そのゲームで私が最初にじゃんけんをした際に、「向こうは何を出すのかな」とぼんやりと考えていました。すると、対面した相手の頭の、向かって右上の少し(10センチほど)離れた空間にグーの映像がセピア色で見えたんですね。私は驚いて「えっ、もしかしてグーを出すつもりなのかな」と、瞬間的に察知してパーを出すと、何とまさに思った通りで勝ってしまいます。次も試したところ、やはり相手の頭の右上の空間にセピア色の映像が現れて、それで相手の出すモノがわかり、一発で勝ちます。 こうして私はドンドンじゃんけんで勝ち抜いていって、長い列車の運転手となるわけですが、三回目か四回目のときに一度、「この映像を使えば勝てるぞ」と欲を出して慢心したことがありました。すると、そのときだけ映像が見えなかったんですね。私は慌てて、適当に拳を出したのですが、その時はたまたまあいこになりました。 この失敗によって、私はどういうわけかすぐに悟ります。「そうか、映像を見るには、変な欲を出してはいけないんだ」と。勝ち負けにこだわらず、ただ純粋にボーっとその空間を眺めるだけでいいのだということが感覚的にわかってしまったんですね。 すると、どうでしょう。再びセピア色の映像が見え始めました。たぶん、優勝するのに六回勝ったと思いますが、私が色気を出して失敗した一回の引き分け以外は、すべて最初の一発で勝ったんですね。 おそらくこれが、無意識的想起というものです。意志としてはじゃんけんの映像を何気なく見ようとします。同時に意識としては、勝ち負けを超越して、こだわりを捨て、願望や欲望といった感情まで排除した、ほとんど無の状態を保ちます。それによって、無意識の領域からの情報を得ることができるわけです。 無意識の領域が絡む同じような体験は、社会人になってからも経験しています。それは1986年ごろのことでした。 (続く)
2022.03.14
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私が退行催眠の実験を実施したのは、2006年12月のことでした。拙著『異次元ワールドとの遭遇』を読まれた方はご存知だと思いますが、東経137度11分に存在する羽根ラインの謎を解くために、おそらく羽根ラインと関係があると思われる自分の前世を見てみようと思ったのがきっかけです。 当時の私はオカルトには半信半疑でしたし、易などの占いに至っては全く信じていませんでした。実は私は、生まれながらにして、オカルト的なことや神秘的なことを表わす「6の水」の対極の性質である「3の火」を三柱も持っていましたから、ある意味当然と言えば当然ですね。それでも退行催眠をやってみようと思ったのは、羽根ラインを見つける端緒となった「竹内文書」の謎の解明が当時進んでいなかった状態を何とか打破しようという賭けに近い思惑がありました。 その半信半疑の中、実施した私の退行催眠実験では、意識は終始はっきりしておりました(ただし眠りに落ちそうになったこともありました)。実験時間は、約2時間。退行催眠にかかっているのかどうかもわからないまま、施術者の質問に導かれて、いろいろな映像を見ました。その映像を見ているうちにわかったことがあります。それは、無意識の領域に入るのは、結構難しいなということです。 それでも映像を二時間も見続けたのは、「どうしても見てみたい」という真摯な気持ちがあったからです。しかし「どうしても見たい」という気持ちは、「なんでもいいから見る」という気持ちに近いため、何でもかんでも好き勝手に映像が飛び込んできてしまいます。 ですから最初は、非常に雑多なイメージがたくさん現れます。おそらくこの状態が、無意志的想起の状態です。施術者の誘導で、何とかテーマを統一しようとするのですが、細切れの映像が現れては消えます。 そうならないためには、「どうしても見たい」という願望すら捨て去らなければならないことに気づきます。意識しているうちは、願望が表に出てしまうからです。無意識的想起の状態に持って行く必要があります。 意志(あるいは意義・意味)を持ちつつも、意識は無にしなければならない――ここが、オカルトの匙加減の難しいところです。 でも、この匙加減については、子供のころに既に体験していたことを思い出します。 今日は遅くなったので、その話は明日のブログで紹介いたしましょう。 (続く)
2022.03.13
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プルーストがなぜ無意志的記憶や想念を重視したかというと、理性による思慮・選択という意志が介在すると、そこに当時の道徳や既成概念が必ず忍び込むからです。そういう観念が忍び込むと、作品は体のいい、偽善的な教会の訓諭のようになります。心の奥底に眠る人間の本質に迫る作品を生み出すために、時流や時勢、特定の観念を切り捨てる必要があると考えたのだと思います。 無意志的想念を活用することによって、これまでタブー視された同性愛に対する偏見や欺瞞的貴族社会の価値観といった既成概念に支配された壁を破壊することができます。実際に物語も、その既成概念への疑問もしくは挑戦を背景にして展開してゆきます。 しかしながら、それだけでは、オカルト的世界に入るにはまだ足りないんですね。本当に宇宙の真実や神秘性に近づきたければ、無意志的想念からさらに一歩進んで、無意識的想念に入り込まなければなりません。というのも、無意志的想念だけでは自分の願望、欲望といった無意志の領域に潜む「感情のゴミ」を排除できないからです。余分な思考を介在させると、願望や欲望の虜になり、真の神秘的な様相が見えなくなります。 そうした「感情のゴミ」を排除するためには、無意識の領域に入り込む必要があります。 もちろんプルーストも無意識の領域のことを無意志の領域と同一視していた可能性はあります。ただ、意志を「理性による思慮・選択を決心して実行する能力」と定義するのだとしたら、それだけでは足りません。無意志的に偶然に起こる出来事や過去の思い出をただ羅列すればいいというモノではなく、その偶然の羅列を意志の力で読み解かなければならないからです。むしろ意志を持ちつつ、無意識の領域に分け入る必要があるとさえ言えます。 プルーストも、「無意志的領域」から一歩進んで、潜在意識に「意志」を落とし込みつつ、「無意識的領域」に広げた想念を喚起することができれば、きっとさらに広大無辺な新たな地平線を拓くことができたはずです。 それができれば、たとえば主人公の「私」は、マドレーヌの香りから、幼時のコンプレーの記憶がまざまざと蘇るだけでなく、ある特定の時代に生きた過去生の自分を思い出すことも可能でした。無意識の領域は宇宙(神)とつながっていますから、時間や空間すら超えた壮大な宇宙的物語が実際に展開していることを知ることになったはずです。 しかしながら、退行催眠にみられるような無意識や潜在意識の領域の活用といったオカルト的技法は、今日ですら、オカルトを毛嫌い人たちによって疎んじられているわけですから、当時はそこまで踏み込まなくて良かったのかなと思っています。後述しますが、そこに行くには、まずジョイス的な「意識の流れ」の手法が必要になります。 プルーストは無意識の領域に入る一歩手前まで到着していたのです。それは彼が『失われた時を求めて』の冒頭で語られる真夜中や未明のまどろみがもたらす半覚醒状態の描写からもわかります。半覚醒状態こそ、純粋な無意識の領域、オカルト世界の入り口だからです。 さらに偶然がもたらす記憶(たとえば亡き祖母の記憶)の想起も、ほとんど無意識の領域のそばで起こります。それが「意味のある偶然」であることに気づくかどうかで、無意識の領域に入ることができるのです。 この無意志的想起と無意識的想起の違いを知るには、私が退行催眠の実験をした時の経験が役に立ちます。 (続く)
2022.03.12
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プルーストは、優れた小説は自我の内部世界の探求によって生まれると言っています。しかもその探求は、何かを探そうとか、何かを思い出そうとか、意識的・意志的に想起することによるものではなく、無意志的記憶や想念によらなくてはならないと主張しているんですね。 どうしたらそのような無意志的記憶や想念が想起されるかと言うと、一つは半覚醒状態のとき、夜明けや深夜の半覚醒のまどろみの時間にそれが起こると言っています。 そしてもう一つは、「偶然」の感覚的な出会いを通じて起こるとも言っています。 この後者の想起が、いわゆるプルースト現象、プルースト効果とも称される現象のことです。その現象の例としてプルーストが紹介しているのが、主人公の「私」がパン菓子マドレーヌを紅茶に浸して食べた瞬間に、その香りと味などによって幼時のコンプレーでのおやつの時間や、当時のすべての幸福感が蘇るという、第一巻の場面です。 そして最終巻の第7巻でも、同じような体験が語られます。それはゲルトマン家に招待された「私」が不ぞろいな敷石で躓いた瞬間、かつて母親とヴェネチアを旅行した時、同じ体験をしたことを鮮やかに思い出し、過去の幸福に浸るという場面です。 この二つの不思議な体験によって「私(プルースト)」は、偶然によってもたらされる無意志的な記憶や想念には意味があり、そのときに甦って来る「人生の軌跡」にこそ価値があるのだということに気づきます。というのも、そこには時間を超越した「私」がいて、永遠性が創造されるからです。魂の不滅を実感する瞬間でもあるわけですね。そして「私」は、時空を超えた記憶を主題とする長大な小説を書く決心をして、物語が終わります。同時に、物語冒頭のまどろみながら過去を回想する「私」へとつながるという円環を描いています。 ほかにも面白い技法が使われています。部分と全体が見事に絡み合っていることです。たとえば、部分(マドレーヌ)から全体(コンプレーの光景)が想起され、その全体が部分に集約されるようなことが描かれます。また「不意の偶然」がキープレイヤーとして描かれています。たとえば、第四部の「ソドムとゴモラ」では、かつて母方の祖母と訪れたことがあるノルマンディの避暑地バルベックを再訪した際、ホテルの部屋でショート・ブーツを脱ごうと身をかがめた瞬間、不意に亡くなったばかりの祖母の思い出が「心の間欠」としてまざまざと蘇り、悲しみに圧倒される場面があります。 こうした技法の背景にある現象やテーマは、どれも非常にオカルト的です。言い換えると、プルーストが描いた作家論を使うと、オカルトがわかるようになります。つまり、彼の気づいたことは、まさにオカルトに気づく技法でもあるんですね。彼の小説は、オカルト的世界に入って行くための入門・基礎編として利用することができるわけです。 次回はどうやって利用するかを、私の体験を踏まえながら説明しましょう。 (続く)
2022.03.11
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3月5日に開花した我が家の梅が、満開に近づいています。枝垂れ梅のほうは、朝は五分咲きでしたが、一両日中には満開になりそうです。白梅ののほうは、まだこれからという感じでした。
2022.03.11
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再びケント大学での学業の話に戻ります。 依然として、秘密の倉庫からほかのテキストが見つからないので、春学期にどの本を勉強したのか手探りの状態ですが、フランス文学入門コースのほうではおそらくモリエールの笑劇『スカパンの悪だくみ(les Fourberies deScapin)』やプレヴォの『マノン・レスコー(Histoire du chvalier des Grieux et de Manon Lescaut)』などを取り上げたと思います。そのかすかな記憶があります。 それらの17世紀や18世紀のフランス文学の“古典”をここで取り上げてもいいのですが、ここではもっと私が紹介したい作家と作品を紹介しましょう。 フランス文学史だけでなく世界文学史で必ず話題になる、マルセル・プルースト(Marcel Proust)と、その金字塔的作品の長編小説『失われた時を求めて(A la recherche du temps perdu)』です。プルーストとこの作品についての私の考えを書いておきましょう。 プルーストは1871年7月10日、パリ16区の母方の叔父の別荘で、医学者のフランス人の父と、裕福なユダヤ人家系の母との間に生まれました。病弱な少年時代を過ごし、喘息の持病を抱えながら文学に親しみ、パリ大学では法律と哲学を学びます。その後もほとんど職には就かず(その必要もなく)、華やかな社交生活を送り、20代後半になってから小説や評論を書くようになります。そして、30代の後半から1922年11月18日に51歳でなくなる直前まで、不朽の大作『失われた時を求めて』を書き続けました。生前に4部まで刊行、弟らが既にほぼ書き終わっていた遺構を整理して、死後5年経った1927年までに第7部までのすべてが出版されました。 プルーストのこの作品が評価されたのは、写実的で客観的記述が主体だった19世紀の文学の世界に、写実的でありながらも主観的記述を導入することによって、自我の内部世界を探求するという「20世紀文学の新たな地平線」を拓いたからです。 その作品を書こうと思ったきっかけは、1908年ごろから当時の文芸評論家サント=ブーヴの論に異を唱える「サント=ブーヴに対する反論」という評論を書き始めたことだと考えられています。その評論の中でプルーストは、優れた文学作品は日常的・外面的な「表層の自我」を描くのではなく、自分の内部深くに眠る「深層の自我」に迫ることであると説きました。そしてプルースト自身がそれを証明する(理論を実演する)ために、『失われた時を求めて』を書き始めたわけです。そこには、19世紀から20世紀にかけて滅びゆく一社会の記録が記されているだけではなく、作品はいかにして生まれるか、いかにして自分の心の深奥に潜り込むか、を記した作家論も物語に溶け込む形で描かれています。 次回はその作家論を取り上げてみましょう。 (続く)
2022.03.10
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我が家の「秘密の倉庫」からは次のようなリーフレットも出てきました。 1980年10月26日にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで開催された「チャイコフスキー・イヴニング」と名付けられたコンサートです。「ニュー・シンフォニー楽団」設立75周年記念コンサートと銘打たれています。私は特にチャイコフスキーが好きなわけではありませんから、おそらくロイヤル・アルバート・ホールの中に入ってみたかったから購入したチケットだと思われます。とにかくどういうわけか、あの楕円形のドーム型の建物に惹かれたんですね。その理由も今では何となくわかります。 では、なぜ秋学期の勉強で忙しい最中の10月26日の日曜日に、わざわざケント大学のあるカンタベリーからロンドンまで行ったのかという疑問があります。その答えは、推測するに、勉学が比較的暇なリーディング・ウィーク(膨大な読書量に追いつける、あるいは間に合うように設定された読書週間)に突入したので、それを有効利用してロンドンに日帰り旅行を計画、たまたまロイヤル・アルバート・ホールでコンサートをやっていたので、入場したのだと思います。チケットは安くて80ペンス(約400円)から、高くても4ポンド(約2000円)と書いてあります。学生でも気軽に入れますね。 同ホールは、1871年3月29日に落成となった、ヴィクトリア女王の夫であるアルバート公に捧げられた演劇場(多目的ホール)です。クラシック音楽からポップスまで、さまざまな音楽のコンサートが開催され、ステージの後方にはパイプオルガンも 備えられています。音楽だけでなく、プロレスやテニスなどのスポーツイベントも開催されます。 ケント大学ではテニス部でしたから、学生割引のチケットでこのホールにテニスの試合を見に行ったこともありました。ですから、1980年から81年までの英国滞在期間中にロイヤル・アルバート・ホールには少なくとも二回入場していることになります。 で、なぜこのホールに惹かれたか、ですが、私には19世紀後半にここを訪れたという「かすかな記憶」があるからだと思われます。2008年ごろから、そのほのかな記憶の糸をたどれるようになりました。そしてある出来事があって、2009年にはそれが確信に変わります。でも、それは別のシリーズの話ですから、今はここでとどめておくことにいたしましょう。 とにかく、秘密の倉庫から出現する数々の物的証拠によって、私が暇さえあればあちこちに出かけていたことがわかります。いつのことだったかは覚えていませんが、学期期間中の休みの日にカンタベリーから日帰りヒッチハイクの旅をやった記憶があります。どこに行ったかも忘れましたが、サンドウィッチとかディールとかフォークストーンといった海辺の町を訪ね歩いたのかもしれません。今から思うと、ハチャメチャな学生生活ですが、若いからこそできたんですね。 フランス留学生のノアは、私に「お前は勉強ばかりしている。たまには羽目を外すべきだ」というようなことをしばしば言っていましたが、私本人は結構、遊びまわっていたという印象があります。勉強するときはして、遊ぶときは遊ぶというメリハリがあったように思います。それでバランスを取っていたんですね。でも、一心に勉強しているときの私を見たノアは、がり勉タイプだと思ったのでしょう。半分だけ当たっていたということにしておきましょう。 (続く)
2022.03.09
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ここで訂正があります。パリからケント大学に向かった日を1月6日としていましたが、1月7日の間違いでした。つまりパリには1981年1月2日から同7日までの五泊六日の滞在だったことになります。なぜそれが分かったかと言うと、ケント大学の春学期に何を勉強したかを探るために家の「隠し倉庫」の中で書籍資料を探していたら、こんなものが見つかったからです。 『縛られたプロメテウス(Prométhée enchaîné)』のチケットとコメディ・フランセーズの小冊子、それに演目を説明したリーフレットです。日にちは何と、1981年1月6日(火)の午後8時開演。場所はパリのオデオン座。1月6日の夜にパリで観劇していたのなら、ケント大学に戻っていたはずはありませんね。まさに青天の霹靂的に動かぬ証拠が出てきました。1月7日に春学期が始まるということの意味は、その日が入寮再開日であるということだったわけです。そのことをすっかり忘れていました。ですから、6日の夜はパリで観劇し、翌7日にイギリスに戻ったことになります。 ついでにオデオン座について説明しましょう。パリ六区にある王立劇団コメディ・フランセーズの劇場として、1782年4月9日、ルイ16世の王妃マリー・アントワネット隣席のもとに開場した歴史ある劇場です。当時は「フランス座」と称され、フランス革命直前に「国民劇場」と改名、革命中は「平等劇場マラー支部」、ナポレオン皇帝の時代は「皇后劇場」と呼ばれます。 1830年の7月革命では革命派市民の拠点となり、革命後は公的補助が廃止されました。そのため、単なる貸小屋となり「乗合劇場」と揶揄され、1848年の二月革命の余波で破産、閉鎖に追い込まれます。それでも、第三共和政時代に国に返還され復活。主にコメディ・フランセーズの第二劇場として使われるようになりました。 その後、1959年のド・ゴール大統領時代に「フランス劇場」と名付けられ、1971年のポンピドゥー大統領時代にはコメディ・フランセーズの管轄下に戻って「国立オデオン劇場(Théâtre national de l'Odéon)」と呼ばれるようになりました。私のチケットにもそのように記されています。 興味深いのは、チケットに12フランと印刷されていることです。当時は1フラン=45円でしたから、何と540円。もちろん舞台から遥かに遠い天井桟敷席(自由席)ですが、貧乏学生でも眼下に繰り広げられる格調高い演劇のエッセンスを感じ取ることができたわけです。 この日私が見た『縛られたプロメテウス(Prométhée enchaîné)』は、古代ギリシャの三大悲劇詩人のひとりアイスキュロスが書いた「プロメテウス三部作」の第1作とも第2作ともいわれています。3部作の原文は散逸してしまい、わずかに断片のみが現在まで伝わっています。 物語は、チタン族の英雄プロメテウスの神話。天上の火を人間に与えてゼウスの怒りを買い、コーカサス山に鎖でつながれ、大鷲に肝臓を食べられ続けるという話です。ヘラクレスに助けられて、その拷問は終わりますが、それは別の作である『解放されたプロメテウス』で語られます。ギリシャ神話はシンボルと暗喩に満ちています。易で解釈する絶好の材料なのですが、それはまた別の機会にいたしましょう。 (続く)
2022.03.08
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易のサイクルについて簡単に説明しておきましょう。 易が描く宇宙の流転、サイクル(循環)は次のようなものです。 天に上った「水(6、黒)」は地上に降り注ぎ、大地を穿ちます。穿たれた大地には「山(7、藍色)」ができ、山は木(4、緑・青)」を育みます。枝を広げた木は「風(5、紫)」にそよぎ、風は「火(3、赤)」を興します。火は「土(8、オレンジ・ピンク)」を固め、肥沃にすると、そこには川や沢(2、白・金)ができます。川が海に注がれると、「天(1、グレー)」に昇り、水を降らせます。 これが1サイクルです。 同じようなことがこの戯曲でも起こります。 黒人たち(6)は、深い穴の中(社会の底辺)に閉じ込められています。そこに自分たちにとっては不利な法律(7)ができて、屈辱が生じます。やがて屈辱の応じた階級制度(4)が制定され、身動きがとれなくなります。そこに自由(5)を求める内面の力である反抗心が湧き上がり、仮面に象徴される上辺だけ(3)の従属が発生します。表面だけの受容(8)は、やがて制度そのものを崩してゆきます。すると、川の氾濫のように、あちらこちらに勝手気ままな(2)グループが起こります。その中でリーダー(1)が誕生しますが、やがて独断的になり民衆を失望させると、「裏切り者の指導者」として処刑されます。指導者の不在によって、挫折した黒人たちは再び深い穴に逆戻り。後には、元の屈辱的な法と理不尽な階級制度だけが残されます。 これがジュネの描いた屈辱→反抗→挫折→屈辱という出口無き悪循環の易的な解釈です。 しかし、ご安心ください。この希望無き悪循環の中にも光明があります。辺りが真っ暗闇で出口がないようにみえる「地火明夷」にも出口があるのです。というのも、最初の「屈辱」と最後の「屈辱」は、まるっきり意味が違うからですね。上演することによって、意味が変わります。ジョイスの作品『フィネガンズ・ウェイク』でも述べましたが、循環はらせん構造を持ちます。終わりは最初、最初は終わりのような構造で、そのまま上昇するのが円環の本来の姿です。まあ、わかりやすく言えば、花丸をもらって次のステップに進むようなものでしょうか。決して戻ることはありません。 このような複雑な構造と、絶望の中の希望の灯を持っているからこそ、『黒んぼたち』はニューヨークのオフ・ブロードウェイでも1408回も上演(19619年5月4日初演)されたのではないでしょうか。 そのジャン・ジュネは後年、ヴェトナム戦争反対運動、パレスチナ問題、黒人自治を目指して闘うブラック・パンサー党などともかかわり政治行活動をするようになります。そして晩年は喉頭がんを患い、アヌイが亡くなる一年半前の1986年4月15日にパリのホテルで死んでいるのが見つかります。 没年月日を読み解くと、彼は最後まで「3の火」の魂を持ち続け、人間関係を大切にしながら、歴史や伝統を重んじ、最後は政治活動にかかわることによって、自分が何を成し遂げるべきかを深く追求する「6の水」の人生を送ったことがわかります。 ほぼ同じ時期に生まれ、そして去っていった、まったく対照的なアヌイとジュネという二人ジャン。まったく作風も異なりますが、戦中、戦後のフランス演劇界をけん引、文学史に偉大な足跡を残しました。 (続く)
2022.03.07
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サルトルに自分の人生を見透かされたショックが原因だったのかはわかりませんが、再び創作活動を始めたジュネの作品は、自分の内面を深く探り、そしてそこに隠された法則のようなものを明らかにしようとした結果だったように思われます。それまでの作品は、どちらかというと自分の数奇な人生を多彩な言語表現で語ればそれなりに評価されていた節があります。しかし、これ以降の彼の作品、特に戯曲を見ると、ガラッと変わって経験よりも内面に重きを置いたように感じます。 そして、その自分の人生の内面に深く入り込む作業の結果見出したものが、ある種の易的なパターンとシンボルだったように思うんですね。『黒んぼたち』にしても、それ以前に書いた『女中たち(les Bonnes)』にしても、色のイメージにこだわるようになったことがそれを表わしています。登場人物も「村」「雪」「美徳」と名付けるなど非常にシンボル的です。同時に、屈辱、反抗、挫折、屈辱という悪循環を描くパターンが見られるのも、易的といえるでしょう。 流れのパターンとシンボルは、まさに易そのものの特徴でもあります。マラルメも最後には、「骰子一擲(サイコロの一振り)」のように、宇宙には易的な究極のパターンが存在することに気づいていました。ジュネもまた、人生の究極の姿や状況の中に易的なシンボルやパターンがあることに気づいたに違いありません。そのパターンは易経の64卦に集約することができます。つまり、人生流転のパターンは、64卦で表せるんですね。それを構成する八卦は、その中でも一番大きくて、根幹にある原初のパターンを表わしたものであるとみなすことができます。 このパターンが非常によく表れているのが、『黒んぼたち』という作品です。簡単にあらすじを紹介すると、次のような物語の劇です。 舞台上の桟敷には、白い仮面をかぶった黒人の女王、総督、判事、伝道司教らで構成される宮廷があります。その下では、夜会服で着飾った黒人男女が芝居をしようとしています。芝居の内容は、ヴィラージュという黒人男による白人女殺しの犯行の再現。つまり劇中劇の仮の構造をもっているのですが、ジュネの戯曲はそれだけにとどまらず、舞台すら超えて、この作品の上演そのものが、黒人仲間の裏切り者の処刑を白人の目から隠すために行われるという重層的な仮構をもっています。そして、この劇は白人の観客の前で、「白人の目で見た黒人」として演じるように設定されているのです。まさにパラレルワールドのような、多角的世界がここにあります。「人間の仮面と本性の奇妙なもつれ合いを追求する戯曲」と言ってしまえばそれまでなのですが、ここには明確に易的なパターンやシンボルがあります。 既に紹介したように、ヴィラージュ(村)、ネージュ(雪)、ヴェルチュ(美徳)といった登場人物のほかに、宗教的な至福を意味するフェリシテや、ヴィル・ド・サンナゼール(聖ナザレ市)という名の伝令まで出てきます。易的に解釈すると、村や市は4の震、雪は6の坎か2の兌、美徳はおそらく8の坤、至福は6の坎でしょうか。2の兌の可能性もあります。女王が1の乾で、総督や判事は7の艮です。彼らが被る仮面は3の離、白と金色は2の兌、黒は6の坎、緑が4の震、赤が3の離を意味します。 これらの八卦の要素が絡み合って、物語が進行していくわけですが、そこには易的なサイクル(循環)も見て取ることができます。 (続く)
2022.03.06
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ジュネが最初に刑務所で書いた処女作が長詩『死刑囚』です。1942年に出版された12音節詩句4行の65節から成る長詩で、20歳の美青年だった実在の死刑囚モーリス・ピロルジュに捧げられています。古典詩の格調高いリズムの中に平然と卑語が韻を踏むという異色の作品でした。 同じ年(42年)には、同じピロルジュに捧げた長編小説『花のノートル・ダム(Notre-Dame-des-Fleurs)』を執筆、翌43年にはやはり監獄を舞台にした長編小説『薔薇の奇跡(Miracle de la rose)』を書き始めるなど獄中で次々と作品を生み出すようになります。 ジュネの如才ないところは、彼がこれらの獄中作品を作家ジャン・コクトーに読ませて、自分の才能を認めさせたことです。どうしてそういうことができるかというと、彼には人生を通じて、ある種の力を持っていたからです。既に表現力を示す「3の火」を魂と環境で持っていることはお話ししました。それとは別に彼の人生全体を動かす運命の力があり、それがコミュニケーション力を示す「2の沢(兌)」だったわけです。 どういう力かと言うと、広告代理店でたとえるとすれば、アヌイが事象を深く分析して言葉を簡潔に紡ぐコピーライターだとしたら、ジュネは猥雑だが崇高な言葉で美を語る広報・宣伝マンといったところでしょうか。 この「2の沢」がもつコミュニケーション能力が、ジュネの身を助けました。彼の非凡な才能を見抜いたコクトーが、『花のノートル・ダム(Notre-Dame-des-Fleurs)』の抜粋を文芸誌に掲載させることに力を貸します。さらにコクトーや文学者・哲学者のジャン・ポール・サルトルらの請願によって、44年に余罪の追及や終身刑を免れただけでなく、48年には大統領の恩赦まで取り付けることに成功します。刑務所人生に別れを告げて、晴れて自由の身となったわけです。 その後、小説だけでなく戯曲も書くようになり、獄外での執筆活動も順調でしたが、1952年にサルトルがジュネ論『聖ジュネ』を発表したことにより、ジュネは自分の人生を丸裸にされて、少なからぬ衝撃を受けたようです。その後、五年間ほど執筆活動を休んでしまいます。それでも持ち前の「3の火」の力で、56年に『バルコニー(le Balcon)』、61年に『屏風(les Paravents)』と言った前衛劇を次々と発表するようになります。 授業で取り上げた『黒んぼたち』は、その中の一つで58年に出版され、59年に初演となった作品です。次回は、この作品について解説しましょう。 (続く)
2022.03.05
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本日、我が家の梅が開花しました!うちの枝垂れ梅です。前日はもう少しで咲くところでしたが、今日は完全に花が開いておりました。白い梅も一輪だけ咲いていました。これからどんどん咲き始めます。ちなみに、昨年は非常に早い開花で、2月21日であったと日記に書いてあります。去年より12日ほど遅いですね。それからお知らせがあります。ケント大学のアルムナイ事務局に近況をメールで伝えたところ、本を31冊も出しいていることに興味を持ってくれて、「一冊だったら宣伝するよ」と言ってきてくれました。そこでイギリスと深い関係があるので『巨石文明』を取り上げてくれと返事を書いたら、本日発刊のアルムナイEニュースの掲示板で取り上げてくれました。それがこちらです。一応、そのページをこちらに貼っておきました。結構充実したアルムナイEニュースです。ご興味のある方は、訪問してみてください。
2022.03.05
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ケント大学の授業で取り上げたジャン・ジュネの作品がこちらです。 1958年に書かれた『黒んぼたち(Les Nègres)』です。「ニグロ」とは、意図的に蔑称を使っていますね。通常なら「Les Noires」を使います。英語のタイトルは『The Blacks』です。4ポンド50ペンスと記されていますから、2250円くらいでしょうか。写真がふんだんに(30枚くらい)使われた本でしたから、ちょっと高めでした。 中表紙に英語でいろいろ私が書き込みをしておりました。結構、解釈に苦労している様子が偲ばれます。 さて、この本を書いたジュネは、実は泥棒でした。そのことは彼が書いた自伝的長編小説『泥棒日記』に詳しいです。泥棒から作家に転じた、波乱万丈の人生を送っているんですね。アヌイとは好対照で、生い立ちからして悲惨です。 ジュネは、1910年12月19日、娼婦であった母のもとパリ6区で生まれました。モンパルナスの辺りですね。母親は最初の7か月間育てた後、彼を保護施設に捨てます。7歳で中仏モルヴァン地方の農家(世帯主は大工だったらしい)に預けられ、養子として育てられます。彼は学校の成績は良かったようなのですが、すぐに些細な窃盗や家出を繰り返すようになります。 里親の母親が亡くなると、ジュネは次に老夫婦の里子となります。しかし、再び窃盗や浮浪などの問題を起こし、15歳のときに教護院(少年院)に送られ、二年半の間拘留されます。18歳になると、半ば勝手に外国人部隊に志願して入隊。ほどなく同性愛行為などわいせつ行為で不名誉除隊させられ、やむなくスペイン、ポーランド、チェコ、ドイツなどヨーロッパ各地を放浪します。放浪期間中は、物乞い、窃盗、同性愛の売春などに染まっていったといいます。 1937年にパリに戻ると、ジュネはそこでも窃盗やわいせつ行為などの犯罪を繰り返し、刑務所の常連になります。しかしながら面白いもので、彼はこの刑務所で物書きの才能に目覚め、その才能を開花させるんですね。親もなく社会からも見放された人間が必死に手繰り寄せた運命が、「3の火(離)」という自分の魂が求める表現者たる作家であったわけです。ジュネは、実は環境がもたらす運命としても、「3の火」を持っています。まさにその易占い通りに、追放、放浪、犯罪、刑務所という環境がジュネという作家を生み出したことになります。 (続く)
2022.03.04
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なぜ文学作品、とりわけその主人公の分析に易を使うのか――。それは次のような理由からです。 あらゆる文学作品や芸術作品は、シンボルの組み合わせである易経の64卦の“配合”で表現できるといっても過言ではありません。なぜなら、マラルメがいみじくも気づいたように、あらゆる思考は骰子の一投、すなわち易占の「卦」を生み出すからです。思考が生み出す卦の組み合わせによって作品が出来上がります。同時に、「64卦の配合具合」が作品のすべてを決めることになりますから、その組み合わせパターンは無限にあります。逆に作品を分解してゆくと、必ずその最初の思考の核にあるシンボルや八卦が目の前に現れてくるということになるわけです。 すると、作品の登場人物、延いては人間という神の作品も、同じことが言えることになります。生まれ持った人間の魂や人生、先祖、環境のかなりの部分は、生まれた瞬間の賽の目ともいえる生年月日で決まるのです。その運命をどのように切り開き、どう生きたかによって没年月日も決まると考えることもできます。 この理論が正しいとすると、かなり正確にその人の運命を言い当てることができます。たとえば、ジャン・アヌイ自身を見てみましょう。 1910年6月21日から得られる卦は、魂が「3の火(離)」、先祖が「6の水(坎)」、環境が「5の風(巽)」で、全体が「6の水(坎)」です。つまりアヌイは、先祖がもたらした運命や自分が設計した人生全体の運命によって自分の潜在能力や集中力を開発・発展させ、人物を深く分析することが得意になり、かつ魂の求める表現力に磨きをかけることによって作品を発表するようになったわけです。演劇少年、法学生、広告会社勤務、大俳優の秘書、そして劇作家と自由自在に転身を遂げることができたのは、環境が「自由の風」の運命をもたらしたからではないでしょうか。 一方、没年から得られる卦は、魂が「4の木(震)」、先祖が「2の金(兌)」、環境が「3の火(離)」で、全体が「1の天(乾)」です。そのことから、晩年のアヌイは、出来上がった人間関係を好むようになり、先祖の応援を受けて金運もよくなり、環境はますます表現者へと駆り立てたことがうかがえます。晩年は作品を深く掘り下げていくこと以上に、演劇界でリーダーシップを取る運命を与えられたように思われます。これが来世に与えられた課題であると解釈することもできます。 このように易は、その人の人生や作品を分析する重要な手段となることができるのです。 それを念頭に置いて、アヌイと同じ年に生まれたにもかかわらず、非常に対照的な人生を送ったもう一人のジャンであるジュネとその作品をみてみましょう。 (続く)
2022.03.03
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『ベケット』でピーター・オトゥールがヘンリー2世を演じたという映画で思い出したのですが、私がイギリスに留学していた1980年9月に、ロンドンの演劇界で一つの“事件”が起きました。それが、ピーター・オトゥール主演の劇『マクベス』です。私はその“事件”をロンドンのオールド・ヴィック劇場で観ています。 オトゥールは当然主役のマクベスを演じたのですが、作品自体は批評家らから「演劇史に残る粗悪な演技」であったとこき下ろされました。特に不評だったのは、マクベス演じるオトゥールの戦闘場面など深刻な場面での演技です。もちろんオトゥールは真剣に演じているのですが、お粗末なチャンバラにしか見えず、観客席から笑いまで起こる始末だったと書かれていました。 私はそうした批評を見ずに、ただロンドンでオトゥールがマクベスを演じるからというミーハーな理由で観に行ったのですが、確かに思わず失笑するような場面が散見されました。ロマン・ポランスキーの映画『マクベス』の不気味さを100としたら、オトゥールの『マクベス』は30くらいでしょうか。 イギリスの演劇界では『マクベス』は呪われているともいわれます。その名前を口にするだけで、災いが降りかかるというジンクスがあるため、タイトルを言わずに「スコットランドの劇」と言い換えることもあるくらいだとか。あの不気味さを舞台で演出するのは結構難しいんですね。だから失敗に終わるケースが多いのです。それが都市伝説の背景にあるように思われます。オトゥールは果敢に挑戦したのですが、そのジンクスを破ることができませんでした。 オトゥールがマクベスを演じるに当たっては、演出家に注文するなど口出しができるという特約があったそうですが、演出の失敗の責任はオトゥールにあるという内輪もめも露見して、場内外の“乱闘”にまで発展した事件でした。 しかしながら、散々な酷評にもかかわらず、オトゥールの『マクベス』は興行的にはそれほどの失敗ではなかったようです。メディアを巻き込んだ論争は、逆に格好の話題を提供したことになり、私のようなミーハーの観客や、騒ぎの顛末を見届けたいという観客が結構集まったということでした。 話しが脱線しましたが、なぜ私が文学作品の解釈に易を使うかを、もう一度説明しておきましょう。 (続く)
2022.03.02
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『ベケット、または神の名誉(Becket ou L’Honneur de Dieu)』は、12世紀のイングランドを舞台にした実話に基づく戯曲です。征服王ウィリアムのひ孫で英プランタジネット朝の初代王となるヘンリー2世(Henry II of England)と、後にカンタベリー大司教となるサクソン人(実際はノルマン人)の貴族トマス・ベケット(Thomas Becket)の友情と葛藤を描いています。 劇の中で二人は、幼少期より一緒に悪戯を繰り返す親友同士でした。ヘンリー2世は、ベケットの知性と熱意に敬服し、サクソン人という被征服民であるにもかかわらず彼を大法官に任命、全幅の信頼を置き、寵愛を与えます。さらには教会を王権に従わせるため、カンタベリー大司教に抜擢します。 ところが、大司教になったベケットは、義務に対して常に忠実な聖職者に一変、教会の権利を守るために、ことごとく王権に歯向かうようになります。業を煮やした王は、結果的に部下によってベケットを殺害させます。 ベケットはこれによって殉教者とみなされ、カトリック教会からも列聖に祭り上げられます。立場を悪くしたヘンリー2世は、衆人環視の中で罪を懺悔させられます。 以上があらすじです。 ここにはかつての親友であったが、後に立場上対立しなければならなくなるという二人のジレンマや葛藤が見事に描かれていますね。易的に言うと、環境によってもたらされた運命が二人の関係を徐々に変化させてゆく様が見て取れます。 ヘンリー2世は王であるにもかかわらず、無邪気な悪ガキ(子供)のように描かれています。その無邪気さは2の沢(兌)ですが、同時に王としては法と秩序を守らなければなりませんから、環境としては7の山(艮)がもたらされているわけです。つまり、先祖からはリーダーシップ(1の乾)を取るように求められ、「兌」の魂を持つ王が、環境によってもたらされた「艮」によって、親友に代表される人間関係を意味する4の雷(震)を切り捨てなければならなくなったわけです。実際のヘンリー2世もベケット暗殺事件の後、権威が失墜し、臣下の反逆や息子たちの離反や反乱を招くことになりますから、易的にも面白い符合が見受けられます。人間関係の「震」が崩壊したことが示唆されるからです。 これに対してベケットは、知恵のある賢者のように描かれていますから、6の水(坎)の性質をもっています。おそらく先祖からもたらされた性質だと思われますが、人間関係を大事にしたことから、4の「震」を持っていたことがわかります。そして環境によって、大法官、大司教という、権威や秩序を守らなければならないという7の「艮」がもたらされます。ベケットもまた、環境によってもたらされた「艮」を、「震」よりも優先させました。それによって本来の魂がもっていた「貫く」という「坎」が成就して、聖人という位に列することができたわけです。 ここで、ベケットとアンチゴーヌの面白い対比ができます。 アンチゴーヌは5の風(巽)を持っています。一方、ベケットがもっているのは6の水(坎)。7の艮(法律・権威)と4の震(人間関係)の対立ができたとき、前者が4を選び、後者が7を選んだのは、魂の性質がそうさせたのであるとも考えることができます。易では4が5を招き、6が7を招くからです。4と5、6と7は隣同士(あるいは似た者同士)の応援関係にあるわけです。 このようにアヌイの戯曲は、環境によってもたらされた「艮」にどのように対処したかをテーマにした作品が多いように思われます。クレオン、アンチゴーヌ、ヘンリー2世、ベケットとそれぞれが違った選択をしたのは、魂の性質や持って生まれた個々の運命がもたらした然るべき結果であったと、易的に解釈することができるのです。 (続く)
2022.03.01
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