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「シンクロニシティの嵐」の続きです。12月14日に始まったシンクロニシティの嵐は、16日になっても収まりません。この日は午後2時に知人のコンサートが市民ホールであったので、聴きに行きました。招待されていたので、お花を挙げようと駅のそばの花屋さんに行って、3000円くらいの花束を作ってもらおうとしたのですが、お店の人が「4000円にすると、花束の包み代(500円くらい)が無料になるので、どうせなら4000円の花束にしたらどうか」と強く勧めます。3500円も4000円もそう変わらないので、4000円の花束にしたら、消費税込みで4400円を支払いました。どうも「4400」にするような力が働いている気がします。 その日の夜、何気にパソコンでネット検索をかけていると、そこにまたまた4400の文字が目に入ってきます。「ヨハネの黙示録」には獣ではなく神の側につく人の数が14万4000人であると、書かれていたんですね。調べると確かに14章にそのようなことが書かれていました。同時に標準音のラの音が440ヘルツであることも思い出します。 翌17日は何も気づきませんでしたが、18日には某新聞社の集金の人が来て、支払った金額が4400円。そのころ、秋山氏が以前、宇宙人から聞いたという1霊年(生命がこの宇宙に出現して、宇宙の壁を抜けて外宇宙へ出ていくのに必要な転生回数の単位。詳しくは『秋山眞人のスペース・ピープル交信全記録』を参照)が1440万回であったことも思い出します。 その後もテレビで報道番組を見ているときにイーロン・マスクが10月28日にツイッターを買収した金額が440億ドルだったことが耳に入ってきたり、2021年に開催された東京オリンピック汚職事件に絡む新聞記事の中に東京パラリンピックの参加者が約4400人であったという記事に目が留まったりしました。 そして最後は12月23日に決まった政府予算の税収が69兆4400億円だったというニュース。 4400がまるで引き寄せられるようにやってきます。 よくもまあ、これだけ続くものです。 だけど、もうこれで最後だろうと思って、油断しておりました。 まだあったんですね、肝心な4400が。 ようやく24日夜、ゲラ校正が終わって、久しぶりに自分のブログの管理画面をボーっとみていたら、その時点で楽天ブログのアクセス数が440万7651であることに気づきます。 「あれ、ここにも440があるな」と気づきます。しかも、つい最近440万0000アクセルに到達した可能性があることにも気づきます。 楽天には過去のアクセス数を棒グラフにした履歴画面がありますから、そこから逆算して、いつ440万アクセスを突破したかを割り出すと、何と、このシンクロニシティの嵐が始まった12月14日の早朝であったことが判明したんですね。 楽天ブログ440万アクセス突破記念シンクロニシティ! 偶然の神様は何とも粋な計らいを見せてくれるものです。 なんて、ずいぶんお気楽な結論(オチ)で終わったとお思いになる方もいるでしょうが、実は本当の意味は別のところに隠されておりました。 その話はまた来年いたしましょう。 最後に恒例の富士山と夕景です。2022年もとうとう大晦日。 よいお年をお迎えください。
2022.12.31
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大掃除の第一弾終了。今日は月と木星、金星と水星がそれぞれ大接近する日でもありました。こちらは月と木星。この後、もっと接近したと思います。木星はこの時期、天頂近くにあって目立ちますね。こちらは金星と水星。中央左に写っているのが金星で、水星はその右斜め45度のところに写っている微かな光りがそれです。肉眼でも辛うじて確認できます。伊豆半島の天城山と金星。遠景になると、水星は写真には写らなくなります。あすも用事が済んだら、少しだけ大掃除の続きをする予定です。
2022.12.30
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昨日、出版社の校正・校閲作業も終わり、校了となりました。これで三月出版予定の本の執筆に専念できます。原稿の締め切りは1月末です。今年はあと、買い物と大掃除も残っていますね。30日も用事ができたので、もうちょっと忙しい日が続きそうです。暇を見つけて、シンクロの嵐の続きと、中学時代の話の続きを書こうと思っています。しばらくお待ちください。
2022.12.28
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ようやく忙しさの峠を越えました。この二週間は仕事などで忙しいだけでなく、強烈なシンクロニシティの嵐に見舞われ、目が回りそうでした。始まりは、12月13日です。この日、いつもイギリスでお世話になっているカーライルの農場のジョンと、タヴィストックのアマンダに本をプレゼントしようと思って、郵便局に行きました。すると、小包類は事前にネットで登録しなければならないことを知ります。ちょっとご無沙汰していただけで、ずいぶんシステムが変わりました。で、その晩、登録して、税関申告書のようなものを書いて翌14日に郵便局で二つの小包を発送したわけです。その代金は、一個当たり4400円。二つで8800円でした。これも随分高くなったものです。昔は印刷物扱いで送れば、もっと安かったはずです。それでも、これまではコロナの影響で小包などは送れず、最近ようやく小包を送れるようになったのだと郵便局の人は言っておりました。この12月14日は、後でわかるのですが、シンクロの始まりの日であり、起点の日でもありました。それは徐々にゆっくりと始まります。とりあえずその日は、秋山事務所で次の本の取材をして、夜家に帰りましたが、ほかに何も起こりませんでした。翌15日朝。私がたまたま新聞を読んでいると、「4400」という見出しが目に留まります。元国連事務次長の明石氏についての記事なのですが、そのとき私はふと「あっ、昨日郵便局で払った金額が見出しになっている」と思ったのです。でもたいした話ではないので、すぐに忘れてしまいました。ところがその日の夜、ある事務所から資料が届きます。その資料には、440万円と関係がある内容が書かれていたのですが、この440万という数字を見て、「そういえば朝、4400という見出しを見て、奇妙な気持ちになった」ことを不意に思い出したんですね。凄い偶然です。もしその資料が届かなければ、4400のシンクロを忘れていたと思われるからです。440のお陰で4400を思い出しました。その時はすぐには明石氏についての記事だということを思い出すことができず、どこかに見出しで4400と書いてあったはずだと思って、目を皿のようにして新聞を調べた結果、明石氏についての記事だったことがわかったわけです。しかし、その新聞を隅から隅まで調べているときに、4400に関する新たなシンクロニシティを発見します。前日の12月14日はまさに44のゾロ目の日で、1ユーロが144円00銭となった日でもあったんですね。ですから、「EUがインフラ投資に100億ドル拠出」という記事も「100億ドル(約1兆4400億円)と記載されていたのです。ここにも4400があります。面白いなと思っていたら、家人が「4400なら今日(15日)、スーパーで買い物をしたときに見た」と言い出します。レシートがあったので、調べると確かに小計で4410円となっています。まあ、10円オーバーですが、誤差の範囲内です。この偶然には何か意味があるはずですよね。意味ある偶然(シンクロニシティ)の本を書いている私としては調べないわけにいきません。そうしたら、翌日もシンクロニシティの連打に見舞われます。まるでそれまでが序章であったかのように・・・。(続く)
2022.12.26
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本日、再校ゲラ著者校正締め切りの新刊の表紙が出来上がりました。こちらです。宇宙の表紙ですね。運の兆しをつかむ方法が書かれています。来年1月23日発売予定。ご予約はこちらからどうぞ。
2022.12.24
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昨日は冬至でしたね。これからは一日一日、日が長くなります。ところで、「冬至」という名前の梅があり、この時期花を咲かせますが、一週間以上前に都内で梅の花が咲いているのを見つけました。寒紅梅の一種だと思われます。梅の花が咲くと、新春気分になります。ただし、年内にやらなければならないことは、依然として目白押しの状態です。
2022.12.23
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12月22日は冬至でしたね。久しぶりに夕暮れを見に行きました。最も日が短い日。あっという間に日が沈みます。雲の上の残照。やがて木々や山々がシルエットになって空に溶け込んでゆきます。何というグラデーション。この時期の夕暮れの空は本当に美しいです。日没後は金星がよく見えます。中央上の白い点が宵の明星・金星です。このほか木星と火星が肉眼で確認にすることができました。12月20日から31日までの間、太陽系の7惑星すべてが夕方の空に姿を現すそうです。日の入り後の30分から1時間が見るチャンスとのことですから、是非夕暮れの空を見上げてみてください。さて、本日(22日)最終ゲラが到着。24日校正締め切り。見本ができるのは、来年1月12日ごろのようです。タイトルと表紙が決まりましたら、ご報告いたします。
2022.12.23
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ゲラ初校をようやく校了。また22日に再校ゲラが送られてきますので、24日までに仕上げることいなっています。それで作業は終わり、1月下旬の出版となりますが、3月出版用の本の取材と執筆が既に始まっております。ほかに金融機関巡りをしなければならなくなり、慌ただしい日々を送っております。そのような多忙で疲れた心身を癒してくれるのは、やはり海や富士山などの自然でしょうか。ということで、今日はその富士山と海です。烏帽子岩が写っていますね。良く晴れた日が続いております。
2022.12.21
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ゲラの校正も始まったので、盆と正月に加えて、冠婚葬祭が重なったような状態です。何はともあれ、ようやく前が見えてきました。来週の火曜日迄には何とか見通しが立ちそうです。3日前の12月13日には、『世紀の啓示書 オアスペの謎を解く!』の第3刷が送られてきました。アマゾンなどではそれまで4000~5000円くらいの高値で売られていましたが、これで定価2800円+消費税で購入できるようになりました。この本に関連して、1年前にあるパーティーで出会った某国立大学の准教授が今度「オアスペ」の研究会を立ち上げたいなどと話していました。その後どうなったかは存じませんが、「オアスペ」はそれだけ面白い本だと思います。この本もその解説書として、長く読み継がれていくのではないかと思っています。
2022.12.16
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盆と暮れが一度にやってきたような忙しさ。あちらこちらを駆けまわっています。いくら昔かけっこが速かったからと言って、師走でこう走らされては息が上がってしまいます。落ち着いたらブログを再開します。
2022.12.13
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運動靴に関しては、実はほろ苦い思い出があります。私は小学生のころから運動会のかけっこでは負けたことがありません。ところが、中学生のとき一度だけクラスメートのM君に負けて、二番になったことがあります。その時の理由が実は運動靴にあったんですね。 スタート直前にふと自分の足元を見たら、左の靴紐がほどけているのに気づきました。トーニャ・ハーディングのようにタイムをかけて、靴紐を結び直せばよかったのですが、もうスタートラインに立っていたこともあり、私は円滑な進行を邪魔したら悪いと思って、タイムをとらずに、靴紐がほどけたまま走ることにしました。 ところがいざ走ってみると、左の靴が脱げそうになり、そればかりが気になってうまく走れないんですね。結局、最後までスピードが出せないまま二着になりました。喜んだのはM君です。後にも先にも運動会のかけっこで私に勝ったのは、M君だけです。彼があまりにも喜んでいるので、「実は靴が脱げそうで走れなかった」とは言えなくなりました。そもそもスタートラインに立つまで、靴紐がほどけていることに気づかなかった私が悪いのです。ただ「おめでとう」と言って、私は負けを認めて、何も弁明せずに退散しました。 そのときの教訓は、「運動靴の紐がほどけただけで、こんなにも足が遅くなるんだ」ということでした。K先生の「纏足シューズ」で走ろうとしたときに思い出したのは、その靴紐のことでした。靴さえ脱げそうにならなければ何とか走れるだろう、と自分に言い聞かせます。同時にスタート前、200メートル走のエントリー人数が少なかったので、予選ではなくこのレースが決勝となることを知らされます。つまり一発勝負なわけですね。人数は8人だったと思います。 スタート位置について、今一度靴紐を確認します。そして、スタート。 纏足シューズですから、当然一歩一歩が痛いわけです。それでも幸いなことに脱げる心配はなさそうです。いつものようにスピードを上げて、コーナーを突っ走ります。曲がり切って直線に出たときには、スタートで私よりも早かったとみられる選手を抜き去ってトップに立っていました。そして残りの直線100メートル。靴が馴染んでいなかったこともあり、一気に加速とまではいきませんでしたが、なんとか最後まで無事に走りきることができました。そして何と、並み居る陸上部員を抑えて一着だったんですね。 実はこのレース、私の友人の陸上部のH君も走っていました。H君は残念ながら表彰される三着以内には入れなかったようです。そのH君が、私が一位でゴールした後、歩み寄ってきて、「惜しかったね」と声を掛けてきます。私は一位だったのに惜しかったとは、レーンオーバーなどで失格したのかなとドキッとします。実は後でわかったのですが、後方にいたH君には私がタッチの差で二位になったように見えたとのことでした。私の感覚では、1メートル以上は引き離していたと思っていたのですが、意外と接戦だったのかもしれません。 何はともあれ、陸上部デビューとなった200メートル走は、借り物の靴でも優勝できたわけです。 (続く)
2022.12.10
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私にとって3年生の秋は、スポーツの秋でもありました。野球部の試合に出る一方、陸上部からもお呼びがかかったんですね。既に話したかもしれませんが、中学の最上級生となった私は全校生徒で一番の快速の持ち主でした。体育祭(運動会)で、ものすごい勢いで突っ走る私の走りが注目されるようになり、陸上部担当のK教諭に「私立中学による秋の地区大会(東京私学陸上第八支部の競技会)が駒沢のオリンピック陸上競技場であるので、出ないか」と誘われます。種目は200メートル走と走り幅跳びだといいます。私の得意種目は100メートル走だったので、100メートル走は駄目なのかと聞いたら、その教諭は「100メートル走はスタートが勝負。いつもスタートの練習をしている陸上部の生徒が出場するので、君をあえて選ばなかった」と言います。 「そんなものなのかな。でも、観客席のある大きな競技場で走れるのは面白そうだ」と思ってすぐに承諾、200メートル走と走り幅跳びで競技会にエントリーします。 駒沢競技場で競技する前に、予選会があるというので、友だちの陸上部のH君とともに予選会の会場に行きました。予選があるというのは、200メートル走でした。 体育の時間に走ったことがある50メートルや100メートル、そして運動会のリレー競争で走る400メートルは経験したことがある距離ですが、200メートルという中途半端な距離を走るのはその日が初めてでした。 私はその日も、いつものように体育の時間で履いている普通の運動靴で予選会に出ようとしていました。それを見たK教諭は、「君はスパイクを持っていないのか」と驚きます。「持っていません。運動靴でもいいですよね」と、私。私の無頓着ぶりに呆れたK教諭は「運動靴では滑るから、私のスパイクシューズを貸してあげる」と言ってくれます。ところが、「バカの大足、間抜けの小足」ではありませんが、私の足はK先生が思う以上に大きかったんですね。K先生のサイズは26センチで私の足の27センチよりも1センチも小さいことが判明します。 そこで私は「シューズが小さくて痛いんですけど、運動靴で走ってはいけないのですか」と聞きます。しかし、どうやらほかの選手は皆スパイクシューズを履いているのに、私だけが運動靴ではまずいということになり、私はそのK先生の「纏足シューズ」を履いて走ることになりました。 (続く)
2022.12.09
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C中学はそのときも強かったです。私の速球はソコソコ良かったと思いますが、ちょっとした隙をついて、コツコツと加点してきます。これに対して初戦に打線が爆発して大勝した私たちは、ちょっと攻めがチグハグでした。たとえば、私が二塁打で出塁した後、三塁に盗塁しようとして走ったら、打者が打ってショートライナーでゲッツー(ダブルプレイ)になるなど、やることなすことが裏目に出ます。結局7回までに私は4点を取られ、こちらの得点は2点止まり。2点差で惜敗しました。背番号5番のエースとしては初めての敗戦です。悔しくて、涙がこぼれたことを今でも覚えています。かなり負けん気の強い選手でした。 二年生のころから活躍して期待された私たちの代の野球部は、これで春も夏も、準々決勝にすら進むことができませんでした。完敗ですね。 この後、二年生にバトンタッチして、秋は実質的に後輩の二年生たちが主役となります。それでも、秋には東京都内の私立中学が六校集まって対抗戦をする六中学大会というのがあって、そこに三年生として出場しました。私は春大会以降エースとなって、その後一度も先発を譲りませんでしたが、背番号は5のままでした。ですから相手チームは、今日は控え投手が先発かと思うわけですが、その「控え投手」が投げた球を見てみな驚くわけです。 六中学大会では勝ったり負けたりでしたが、私はすべての試合に完投して、失点も2点くらいに抑えたように記憶しています。一つ一つの試合は覚えていません。しかしある試合でダイナミックな投球を繰り広げたところ、相手チームの監督から褒められた覚えがあります。 この私立の対抗戦の面白いところは、自分たちが出場しない試合の主審以外の審判を任せられたことです。一度二塁の審判を務めさせられたのですが、審判がこんなに難しいとは思いませんでした。二塁に盗塁を試みた選手へのタッチと、走者がベースに着いた瞬間の区別がつかないことがあるんですね。きわどい判定のジャッジが難しいのです。それこそスローモーションビデオで見ればわかるのでしょうが、タッチする瞬間の素早さに惑わされて、何度か野手側に有利に判定してしまいました。 試合前に、信じた通りに自信をもってコールするように主審に言われていましたから、信じた通りに大きな声で「アウト!」とコールしました。ところが、あとで主審に聞いたら「多分セーフだった」と指摘されたケースが二度ほどありました。せっかく盗塁に成功したと思った選手には悪い事をしました。審判業の難しさを痛感させられる、いい経験でした。 (続く)
2022.12.08
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二年生秋の新人戦から、私たちの学年が事実上の最上級生となります。エースはI君。本当に体に恵まれた野球選手です。彼を見た相手チームはたいてい、あまりにも大きな体に圧倒されます。中学生野球に高校生か大学生が入っているような感じです。 ところがI君は、ソコソコいい球を投げるのですが、いかんせんコントロールがそれほど良くないんですね。新人戦は勝った記憶がありません。勝ったとしても一回くらいです。 最上級生の三年生になった春の大会でも、成績が芳しくなかったように思います。やはり初戦敗退でしょうか。良くても2回戦止まりです。私は打撃が好調で、一年時に2割5分、二年時に3割だった打率がさらに上がって、三年生のときはクリーンアップ(3番、4番、5番)を打つ打率4割のバッターになりました。 そしてI君が投手として伸び悩んだこともあり、春の大会後はとうとう私が先発ピッチャーに昇格しました。私なら大きく崩れることがないからです。ただし背番号は三塁手の番号である5のまま。背番号5番を付けたエースです。 隣町のK中学との練習試合が私の先発デビュー戦となりました。K中学はスポーツが全般的に強く、野球でも常にベスト4くらいには入る強豪校です。蛇足ですが、私の四つ下の従弟が後にK中学に入って、バスケットボール部で活躍。その後早実、早大と進み、バスケットバール部のレギュラー選手になっています。私の母の兄(つまり伯父)の長男、綿貫哲雄の甥の長男にあたります。小さいときはよく私とピンポン玉を使った野球をして遊んでおりました。今でも仲がいいです。 さて、そのK中学との試合では、私は最初から絶好調でした。自分でもびっくりするくらい伸びのある速い球を投げたことを覚えています。上手から鞭のようにしならせて投げる速球は、自分でも感心するくらい非常に威力がありました。K中学のバッターはほとんど打ち返せません。途中乱れて、2失点しましたが、私は7回を完投、3対2で勝利しました。 強豪校に勝利したことは、非常に自信になりました。夏の大会は、背番号5番のエースとして先発します。一回戦は打線も爆発して、五回コールドくらいで大勝します。 続く二回戦の相手はK中学と同じくらい強豪のC中学。私の記憶が正しければ、因縁の対決です。二年生のときの春の大会の準決勝で私たちが敗れた相手チームが、確かC中学でした。 (続く)
2022.12.07
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優勝候補二校を続けて撃破して、私たちは東京でも激戦区のS地区大会の準決勝に駒を進めました。次に勝てば、都大会に出場することができます。しかしながら、私たちはその準決勝で完敗します。今となっては、どこにどうやって負けたかも覚えていません。先輩のN投手が乱調だったのか、あるいは守備が乱れて完敗したのか、わかりません。ただし私は「記録魔」でスコアブックをいつも付けて保存していましたから、いつかそのスコアブックを見つけることがあったら、どのように敗れたかをご紹介できるのではないかと思っています。 実は私が野球を好きな理由は、その記録性にあります。前にも話したと思いますが、私は数学とか数字遊びが大好きなんですね。数学は私にとっては心地よい音楽です。野球の打率や自責点はすぐに暗算で計算できます。言ってみれば、数字マニア、記録マニアみたいな野球選手だったわけです。 何はともあれ、地区大会のベスト4に入ったことにより、私たちの野球部は全校生徒の前で表彰されました。朝礼で皆の前に立たなくてはならなかったので、ちょっと恥ずかしかったですけどね。 夏の地区大会は、シード校となり、二回戦からの登場。その二回戦を快勝した後、三回戦の準々決勝では敗れます。夏はベスト8止まりでした。私は春の大会ほどは活躍しませんでしたが、三塁の守備では活躍したことを覚えています。難しい当たりのサードゴロを三つ連続で見事にさばいて、その回のアウトすべて取って三者凡退にしたんですね。すると、相手のベンチからも拍手をもらって、恐縮したことがありました。試合には負けましたが、嬉しい思い出です。 打撃成績でいうと、一年生の時に2割5分だった打率が上がって3割バッターとなりました。順調に上達していたと思いますが、残念なこともありました。コーチが私のことをその年代のエースとは認めてくれなかったんですね。私はあくまで三塁手で、投手では中継ぎ扱いでした。というのも、同学年にはI君という180センチくらいの体の大きい選手がいて、彼がエースに選ばれたからです。確かに、I君のあの大きな体から投げ下ろす直球は、威力があります。これに対して私は、中学1年のときには165センチと背が高い方でしたが、その後3年間で身長が伸びず、172センチに留まってしまいました。身長が伸びなかったので、エースになれなかったともいえます。 それは二年の夏の合宿で決まったと思います。私は三塁手に据え置かれました。ただし打順は、一番バッターではなく、クリーンアップのだぶん三番打者になったのではないかと記憶しています。(続く)
2022.12.06
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準々決勝の相手は、やはり前年秋の新人戦で、同地区でS中学と両校優勝を果たしたI中学でした。I中学の三年生投手の球は、すごく速かったことを覚えています。試合が始まった当初は、「こんな速い球を打ったことがない。当たるかな」と思っていました。先頭バッターとなった第一打席は、唸るように向かってくる伸びのある直球に、ほとんどまともに当たりません。何球目かで辛うじて当たった球は、私のつま先に当たって、サードの方角に転がりました、私は当然、足に当たったのでファールだと思って一塁に走らなかったのですが、ベンチから「何やっているんだ! 走れ、走れ」と言われ、インプレイ(プレイが続行されている状態)だと気づきます。慌てて走り出しますが、もちろん一塁はアウトでした。 私は訳がわからないまま、すごすごとベンチに帰ろうとしますが、コーチから審判にちゃんと聞いてこいと諭されます。再び慌てて主審に「足に当たったのでファールだと判断したのですが」と尋ねると、主審は「ボールが足に当たったことは確認できなかったので、フェアーとしました」と言います。 そうなんですね。勉強になりました。自分で当たったと思っても、主審がそれを確認できなければ、当たっていないことになるのがルールです。だから狡賢いプレーヤーなら、当たっていないのに「当たった。当たった」と言って痛そうな演技をしたりするわけです。当時の私は馬鹿正直(小学校のころから大根役者)だったので、実際に当たったら審判はちゃんとみていてくれるだろうと思い込んでいて、何のアピールもしなかったわけです。当たってもいないのに当たったとアピールはしなくとも、これからは当たったときはもうちょっと大げさにアピールをしようと反省しました。 この試合では、エースの先輩Nさんの調子がまずまずで、ほぼ互角の投手戦となりました。それでもさすが、今大会の優勝候補のI中学です。小刻みに点数を重ね序盤の3回か4回までに3点を取ります。これに対して我々のチームは3回、相手投手の制球が乱れたところに付け込んで満塁として、私が押し出しの四球を選んで1点を返し、ささやかながら反撃します。 試合はそのまま中盤から終盤に進み、迎えた5回。再び相手チームのエースが制球を乱し、満塁となり、またしても私に打席が回ってきました。たぶん三打席目だったと思います。 前の打席で押し出しの四球を選んでいたということは、たぶんその日の私にはボールがよく見えていたのだと思います。初球か二球目の高めの直球を思いっきり叩くと、打球は左中間を真っ二つに引き裂きます。私は得意の快足を飛ばして、一塁、二塁、三塁を回ってそのまま余裕でホームイン。逆転満塁ランニングホームランです。当時の私がどれだけ速かったかというと、普通の中学生が一塁からホームまで必死で駆け抜ける間に、私の方が先にベースを一周してホームを駆け抜けることができるほどでした。つまりベース一周(約110メートル)走をしたら、少なくとも塁間(27・431メートル)以上の差をつけることができるということです。 おそらくこれは、当時の私たちのベスト・ゲームです。Nさんはその後、二回をぴしゃりと押さえて5対3で私たちのチームが勝ちました。 オカルト的に振り返ると、最初の打席で自打球を自分の足に当てたのが良かったのかもしれません。当たったおかげで(しかも主審がそれを見落とすという代償行為によって)、逆転満塁ホームランという大当りを引き当てたのかな、と今では半ば本気で思っています。 (続く)
2022.12.05
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中学一年生のときの野球の成績は、惨憺たるものでした。小学生と中学生では球の威力も違います。一学年上の上級生が投げてくる、うなりをあげて向かってくる球を打ち返すのは、最初は結構大変でした。秋の新人戦は、たぶん一回戦は勝ったものの、二回戦で敗退したと思っています。小学校の時から知っている一学年上の先輩のNさんが新人戦ではエースでした。左投げで、小学生のときから凄い球を投げるということで評判になっていました。そのNさんが二回戦では打ち込まれたので、衝撃を受けたことを覚えています。私の打率は2割5分くらい。8打数2安打くらいだったと記憶しています。野球がうまくなり始めたのは、春合宿が終わって二年生になってからでしょうか。三年生が四人しかいないチームでしたが、エースのNさんや一塁手のMさん、キャッチャーのAさんらがおり、私たち二年生を引っ張って春の地区大会では勝ち進みます。 一回戦はNさんが好投して勝ちました。問題が発生したのは、二回戦でした。前年秋の新人戦で両校優勝したS中学相手にNさんが先発投手として投げたのですが、4回くらいに突如崩れて、ストライクが入らなくなってしまったんですね。とうとう4~5人連続で四球をだして、2点を取られてしまいます。 その時です。当時コーチをしていたYさんがピッチャー交替を告げたんですね。しかも突然、私をリリーフに指名したんです。とうとう出番が回ってきました。私は三塁手でしたが、実はピッチャーをやりたくてしょうがなかったんですね。だから打撃練習では、率先してピッチャーをやっておりました。そのような私のことを観察していたYさんが監督の担当教諭に進言してくれたのだと思います。 ノーアウト満塁の大ピンチ。嬉しくてしょうがなくて、うきうきした気持ちがつい顔に出てしまいます。すると、相手チームのベンチから「おい、ピッチャーになれて嬉しがっているのか」とすかさずヤジが飛びます。図星です。本当に投げられるのが嬉しかったのです。 ああ、このマウンドの感触。ここから思いっきりボールを投げたくて野球部に入ったのだと実感します。 第1球を投げました。 ストライクです。 相手はリリーフもノーコンだと思っていたのか、全く手をだしません。 続いて第2球。 またしてもストライク。 打者は、続けてストライクを投げてきたので驚いているようです。第3球。何とバッターを空振り三振に抑えたんですね。 その後も次々とストライクを投げ込みました。記憶は定かではありませんが、その回の追加点を一点に抑えて、火消しに成功。6回まで失点1くらいに抑えたと思います。最終回(7回)は再びエースのNさんにバトンタッチ。見事8対6くらいのスコアで勝利しました。4回から6回までの3回くらいを投げ切った私に勝利投手が付きました。公式戦初勝利です。私たちのチームは地区大会の準々決勝に進みました。 (続く)
2022.12.04
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顔を変えた以外には、中学時代はそれほどオカルト的な体験をしていません。むしろ私が中学時代に情熱を傾けたのは、野球でした。野球といっても、中学時代は軟式野球です。ただし私は、上級生が下級生をいじめたり、下級生が上級生に絶対服従を強いたりするという運動部の体質が大嫌いで、かなり反抗的な態度をとっていました。そのため上級生から「生意気だ」と何度も警告を受けていました。 とくに私が中学一年生のときの三年生たちは、彼らもまた上級生からいじめられた経験があるためか、不良っぽいいじめ体質の先輩がいて、一年生の私たちはよくいじめやしごきのターゲットになりました。野球を楽しむための部活だと思ったのが、しごかれ苦しむための部活になっていました。 しかし、これもある意味社会勉強の一環になっているのが面白いところです。社会に出たらもっと理不尽なことに遭遇しますから、その予備訓練みたいなものだったなと今では考えることができます。 幸いなことに、一つ上の二年生の先輩たちは比較的優しい人たちだったので、反抗的な私を諭して、もっと処世術を身に付けるようにアドバイスしてくれました。彼らもまた、三年生のしごきやいじめの被害者であり、うまく生き延びた人たちであったわけです。とにかく運動能力は優れていましたから、しごきに遭ってもへこたれませんでした。ようやく試合に出させてもらえるようになったのは、夏の合宿が終わって秋の新人戦の練習をするようになってから、でした。 しごきのせいで退部者多かったのかどうかは知りませんが、二年生は4人と人数が少なかったので、新人戦からは一年生がレギュラーの大半を占めることになりました。私は足の速い三塁手として一番バッターで起用されました。 (続く)
2022.12.03
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精神の力で顔を変えた後の写真が出てきました。初めて海外に行った時の写真。中学3年のときに旅行したカナダです。1973年の8月だと思います。円形脱毛症も「完治」しています。このときの旅行の感想文が英訳され、日本の英字紙「朝日イブニングニュース(Asahi Evening News)」(1954年創刊)に掲載されました。いつか切り抜きを見つけたら、ご紹介します。それが私の初めての新聞記事デビュー。新聞記者になろうと思ったのも、確かこのころだったと思います。
2022.12.02
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どこまでお伝えしたか忘れましたが、いくつか告知があります。確か、『最古の文明シュメールの最終予言』が発売後すぐに増刷になったことはお伝えしたと思いますが、オーディオブック化されることも決まりました。それから2020年にナチュラルスピリットから発売された『世紀の啓示書「オアスペ」の謎を解く!』の二度目の増刷(第3刷)が何週間か前(先月中旬ごろ)に決まりました。アマゾンなどでは定価よりも高く売られていますが、増刷分が間もなく出回るはずですので、定価で購入できるはずです。今しばらくお待ちください。今後の予定としては、12月中旬から1月23日発売予定の『運の宇宙法則(仮題)』の校正作業に入ります。同時に3月発売予定の新作の取材が今月7日から始まる予定です。詳細が決まりましたら、またお知らせします。
2022.12.02
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中学生になってからは、オカルト、勉強、スポーツという三つの世界の狭間でバランスを取りながらより現実的に生きることになるのですが、中学に入るまで「遊び」ばかりしていた私には結構きつい世界でした。遊びの延長にあった勉強も、試験や通信簿でいい点を取らなければならない競争の色彩が強まりました。私としてはより遊びたいがために点取り虫になるわけですが、周囲は勉強ばかりやっていて、付き合いの悪い「がり勉君」と私のことを見るわけです。 だから結構嫌われたのだと思います。まあ多くの部分で私自身に問題があるわけですが、友達が寄り付かなくなり、信じていた友達にも裏切られ、より孤独になり、ストレスが増えました。運動能力がすぐれていたので、いじめに遭うとまでは行きませんでしたが、かなりの嫌がらせを受けたのは覚えています。おかげで、人間不信に陥り、ストレスから円形脱毛症が発生。非常にみじめな思いをした時期がありました。奈落の底に落ちたようなものです。 そのときに私が陥った症状というのが、妬(ねた)み、嫉(そね)み、怨み、怒り、後悔、疑念といった人間の負の感情です。人を信じられなくなることによって、人間はダースベイダーのように暗黒面に落ちるのです。 実は、そのとき私を救ってくれたのは、小学生のころから自分が密かに培ってきたオカルトの秘術だったんですね。誰にも教わっていないのですが、オカルトはいつも私にどう生きるべきかを教えてくれます。結論を言うと、私は精神の力で自分の顔を変えました。 もちろん整形で顔を変えたわけではありません。そのいきさつは次の通りです。それは暗黒面に落ち込んでいたある日、鏡を見たことから始まりました。その鏡に映し出されていた自分は、負の感情に囚われた、本当に醜い顔をしていたんですね。顔は歪み、皺が増え、猜疑心の塊のような目をしていました。 面白いのは、その鏡に映し出された自分の顔を見たときに、誰か(多分自分の心)がささやいて教えてくれたことです。何を教えてくれたかというと、人間の精神が肉体に影響を与えるのだということなんですね。精神(心の形)が物質(肉体)を決めるのである、ということです。 思い当たることはありました。ストレスによってもたらされた負の感情が円形脱毛症を誘発しました。悔しいとか恨みや憎悪などの人間の負の感情が髪の毛の発育にすら影響を与えるわけです。私自身はなりませんでしたが、胃潰瘍などもその最たる例ですね。 で、今目の前には、自分の歪んだ顔が鏡に映し出されています。その醜い歪みがどこから来ているかというと、間違いなく自分の負の感情からきていることが分かったのです。 「ああ、そういうことか。怨み、妬み、嫉み、憎悪など負の感情を持たなければ、顔を変えることができるのだ」とすぐに悟ります。まあ、結構単純な人間ですよね(オカルトの極意でもあります)。 その日以来私は極力、人間のもつ負の感情を持たないように努めたわけです。人のせいにしないで、人を恨むことをせず、私は自分の心に誓って自分が正しいと思うことをする、と決めました。すると、あれよあれよという間に、元の美男子?の顔、少なくとも比較的均整の取れた顔に戻ることができました。災い転じて福となす。「心の形」が顔を変えるのだということを実際に体験することができたのです。 (続く)
2022.12.01
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