星の国から星の街へ(旧 ヴァン・ノアール)
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今朝のテレビニュースで今日が「愛子様」の24回目の誕生日である事を知りました。そして思い出したのは4年前の「文春オンライン」に掲載の記事でタイトルは「愛子天皇は実現するのか?」でマスコミの調査で国民の80%が愛子天皇を支持とあって少なからず驚きました。その時書いた日記は下記の通りです。【記事の中に「10代8方」という言葉があり調べてみると33代天皇の「推古天皇(在位592-628)」に始まって117代の「後桜町天皇(在位1762-1770)まで10代の天皇(名前を変えて2回天皇に即位しているのが2人なので実質的には8人)という事でした。 33代目として初めて女帝「推古天皇」が誕生した背景に32代目の「崇峻天皇」の暗殺があったことを「あらすじとイラストで分かる古事記・日本書紀(文庫ぎんが堂)」を読んで初めて知りました。 当時の状況として6世紀に朝鮮半島の「百済」から日本へ伝わった仏教を巡って崇仏派の「曽我氏」と排仏派の「物部氏」との戦いがあり、曽我氏の勝利によって朝廷内の権力が曽我氏に集中することになります。それに対して不快感を募らせていった32代目「崇峻天皇」は蘇我馬子の殺害を暗示するような事を言ってしまい、逆に蘇我馬子に暗殺されてしまいます。 33代目として白羽の矢が当たったのが「推古天皇」です。天皇家との姻戚関係の多さ(夫は30代目の敏達天皇)以上に推古天皇の母方に曽我氏の血筋を持つ事が即位の決め手となりました。そして1万円札にも登場した「聖徳太子(日本書記には聖徳太子という名前は存在せず、現在は厩戸皇子(うまやどのみこ)の名前が一般的だそうです」は推古天皇の甥で政治を力強くサポートする事になります。 推古天皇の後を継いだ34代目「舒明天皇」の即位にも曽我氏の陰謀があり、35代目はその舒明天皇の皇后「皇極天皇(在位642-645)」が即位し2人目の女性天皇となりました。「乙巳の変」の様子と左上が「皇極天皇」 権力が益々集中する曽我氏に対して「中臣鎌足」と「中大兄皇子(舒明天皇と皇極天皇の皇子)」が共に645年に教科書にも出てくる「大化の改新」に繋がる「乙巳の変(クーデター)」を起こします。 クーデターの2日後、皇極天皇は中大兄皇子に皇位を譲ろうとするけれども、執拗に辞退しで皇極天皇の弟が36代目「孝徳天皇」として即位し、皇極天皇は歴史上初めての「生前退位」を行いました。 中大兄皇子は政敵の粛清も厳しく行い、徐々に傀儡化した孝徳天皇は失意のまま亡くなってしまいます。またしても周りは中大兄皇子に天皇即位を勧めるもののよっぽどの事情があるのかまたしても辞退です。そして母であり35代目天皇であった皇極天皇が新たに37代目「斉明天皇」として即位することになります。 歴史上あまり耳にしない天皇の名前でしたが、生前退位や初めての「重祚(ちょうそ・退位した天皇が再び即位する」という意味では歴史に残る女性天皇です。奈良時代にも同じく重祚の女性天皇が存在し、江戸時代には2人女性天皇が存在していました。どのような経緯で天皇に即位したのか興味深いところです。 今年大ヒットした映画「国宝」の見どころの一つは「血筋」だと思いますが、改めて日本は「血筋」を重んじる風習のある国だと実感します。政治家や芸能に関わる役者さん達に「血筋」は必要なのだろうか?と映画を見た後に考えさせられました。天皇制の血筋については勿論不可欠ですが、果たして「皇室典範第一条」にある「皇位は皇族に属する男系の男子がこれを継承する」必要があるのだろうか?と女性初の首相となった「高市早苗」氏にも聞いてみたいところです。
2025.12.01
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