星の国から星の街へ(旧 ヴァン・ノアール)

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2023.01.07
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 昨年NHKで12月29日、30日と2夜連続で放送されたドラマ「小説 帝銀事件」と著者である松本清張氏の6年に及ぶ取材の様子がドキュメンタリーで放送されました。



番組の最後で死刑囚として獄中死した平沢貞通(1892-1987)さんの「無罪を求める 20回目の再審請求」が現在行われている事を知りました。1948年に 犯人として逮捕、1955年に死刑が確定し1987年に亡くなるまでの32年間で18回の再審請求を行い、亡くなった後の19回目まで全て請求は却下されています。

 事件当初は警察内でも犯人は軍事関係者と捜査を進め、使用された毒物「青酸ニトリール」が第二次世界大戦中に捕虜の人体実験のために研究・開発された物であること、犯人が湯飲み茶わんに毒物を入れた道具「駒込ピペット」は素人が使うには難しい物であること(平沢さんの自供とも食い違う)モンタージュ写真が平沢さんには似ていないと生存者から証言があった事等などが紹介されましたが、当時日本を占領していたGHQによって軍関係者への捜査にはストップがかけられたようです。

 番組を見ながら思い出したのは戦後の軍事裁判による「A級戦犯」に生物兵器の研究、開発、人体実験に関わった人達がリストの中には一人もいなかったという事を何かの本で読んだ事です。「登戸研究所」での研究・開発や「731部隊」が行った人体実験の資料を全てアメリカに引き渡すという条件の下に「免責」という形で罪を課さなかったという内容です。話は飛躍しますが、例えばアメリカが参戦したベトナム戦争で使われた生物兵器「枯葉剤」なども思い浮かび「兵器の連鎖」のような物を感じます。

 ネットの記事で事件から75年目となる今年3月に
明治大学で「 帝銀事件 第20次 再審請求の進捗状況について」の講演会が開催されるのを知りました。




 今年で戦後78年ですが、まだまだ戦争が残した傷跡が現代にも残っている事を考えると「平和」の大切さをしみじみ感じます。






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最終更新日  2023.01.09 09:15:20
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