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昨年の日記にフランス人画家マネの「バルコニー(1868-1869)」という絵について書くために「オルセー美術館ガイド」を読み返すと絵の左下にある「紫陽花」についての記載があり、検索して更に調べるとシーボルトが「紫陽花属 14
種」をオランダに持ち帰り、その後ヨーロッパの「紫陽花ブーム」の火付け役になった事を知りました。日本の花をヨーロッパに伝えた最初の人だそうです。日本通でも知られたようで植物だけでなく、北斎を含む浮世絵も追放時に6点持ち帰っています(北斎作と判明したのは2016年)

「バルコニー」マネオルセー美術館蔵 シーボルト事件から40年後に描かれた「紫陽花」
30
年後に帰国後に生まれた子「アレキサンダー」と再来日が許されています。それだけ日本愛が強かったのかとも思いますが、アレキサンダーは類まれな語学力の持ち主だったようで 1867
年のパリ万博では慶喜の名代として参加した「徳川昭武」や「渋沢栄一」の通訳を務めたり、明治政府の下でその才能を買われ 40
年間「お雇い外国人」として雇用されたそうです。残念ながら大河ドラマ「青天を衝け」では登場していなかったと思いますが、もし万太郎とアレキサンダーが出会うシーンがあったらと想像してしまいます。
地図持ち出し事件は兎も角として、日本を深く愛したシーボルトが残した日本植物誌を万太郎が見て「自分の方がもっと日本の植物を広く世界に広める素質と能力がある」と確信するシーンに何か植物を愛する者同士の深い繋がりも感じました。
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