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8月25日(日)のTOKYO FM「村上RADIO」は1960年代のソウル・インストルメンタル・グループの特集でした。この音楽については私はよく知らないのですが、番組の後半で「今日の言葉」として漫画「PEANUTS」の原作者「チャールズ・シュルツ」さんの言葉を引用していて、村上春樹氏のコメントを含め久々に良い言葉を聞いた気がしました。 「人生は10段変速の自転車に似ている。大抵の人は使わないギアをいくつも持っている」 うーん、そう言われればたしかにそうですね。僕もけっこう長く生きていますけど、「考えてみれば、これまで一度も使ったことがなかったよ」というギアが自分の中にいくつもあります。でも「せっかくあるんだから、ひとつ使ってみようか」とか思っても、おそらくはもう使わないでしょうね。ま、いまさら面倒だということもあるけど、所詮はそういうのが人生なんだから。人生の選択肢は数多くあっても、僕らが実際に選ぶ道って、結局は限られているんですね。 「ギアを上げる」を調べてみると「自身のもつ技術・能力をさらに出す」という意味で、自分自身がいつどんな事にギアを最大限に上げたのかこれまでの人生を振り返ってみたくなる言葉です。そして村上春樹氏のコメントはいつも通りに哲学的で納得させられます。余談ですが、私は「PEANUTS」はなかり好きで一押しキャラは皮肉屋の「LUCY」です。ギアを上げている「SNOOPY」に「そこそこに頑張って~」と言っている気がします。
2024.08.27
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モスクワの図書館で廃棄処分になった本のリストの1冊に村上春樹著「スプートニクの恋人」も含まれていて、理由はロシアのプーチン政権が2020年に「非伝統的な性的関係に関する宣伝を全面禁止にるする法律」を成立させたためと昨年12月のネットの記事で知りました。その後この件については新たな記事がないので果たして廃棄・発禁処分のままなのかはちょっと謎です。 その後この作品が凄く気になって24年振りの再読を昨日終えました。来星時に日本から持って来た1冊で発行日は1999年(第二刷発行)です。まず驚いたのはどのページも行も読んだ記憶がなく全く新しいそして極めて興味深い作品として読み終えた事でした。 主人公「ぼく」の大学の同級生で作家を目指す「すみれ」が恋に落ちた相手が17歳年上の女性「ミュウ」で、これが「非伝統的~」に当たるのだと思いますが、ミュウはある事件がきっかけで全く性的関係が持てなくなっているのでスミレの思いを受け止める事は出来ません。たまたまギリシャの小さな島に滞在した時のスミレのミュウに対する初めての告白のような箇所も僅か数ページです。内容としてはもっと奥深いこちら側の自分(ミュウにとって性的関係が持てない)とあちら側の自分(性的関係が持てる)というもしかしたら誰でもが持ち得る二面性の不思議と悲しみのような事象を宇宙的な観点で描いているのではと勝手に解釈します。 そしてこの作品の今年のニュースはイギリスで舞台化され、イギリスの名門劇場「Arcola Theatre」で10月末から1ヶ月間上演された事です。ネットで画像を見ると「海辺のカフカ」を彷彿させる場面もあって、機会があれば是非見てみたいものです。 余談ですがこの作品が村上春樹氏がギリシャの「ハルキ島」で執筆したのか「ロードス島」なのか知りたいなぁと思っています。作品に登場する「小さな島」がとても魅力的に描かれていました。
2023.12.14
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ノーベル賞の発表が昨日から始まり、毎年気になる「ノーベル文学賞」の発表は明後日の5日です。英ブックメーカーの1つ「ラドブロークス」はノーベル文学賞の一番人気は「村上春樹」氏と今月初めに発表しています。 英ブックメーカーの予想では毎年のように受賞候補に挙がっているので、期待を大きくしてまた受賞出来ないとがっかりしてしまうので、この予想は話半分と思ようにしています。ただ村上春樹氏の注目度はここ数年さらに高まっている感があります。 2022年公開の映画「ドライブ・マイ・カー」は3月にアカデミー賞の「国際長編映画賞」を受賞し原作が短編集「女のいない男たち」の中の同名の一篇でした。 同じく2022年12月にウクライナ侵攻中のロシアが村上春樹著「スプートニクの恋人(1999年発刊)」を「同性愛宣伝禁止法」に基づき「発禁処分」の本の1冊に指定というニュースが流れ、この真偽は未だに分かりませんが私は同性愛というより旧ソ連が打ち上げた人工衛星「スプートニク」がタイトルに使われているからと勝手に考えています。 そして今年5月にアジアの国々では初受賞となる「スペイン文学書」を受賞しています。ノーベル賞に匹敵する賞とも言われ受賞の理由は「ドストエフスキーやディケンズ、カポーティなどの影響を感じさせる文章で40ヶ国以上の外国語に翻訳されている熱狂的な人気を誇る作家であり、時に超現実的でユーモアを感じる語り口で、深刻な社会問題を描き、人間の本質的な価値を守ろうとしている」だそうです。 スペイン文学賞受賞の1ヵ月前には6年振りとなる長編小説「街とその不確かな壁」が発刊され、私は特に巻末の5ページの著者自身による「あとがき」に打たれるものがありました。40年前に雑誌「文学界」に発表し唯一単行本化しなかった同名の小説を作品の未完成さや未熟さにしかるべき決着をつけるために書いたという件はブレない信念を持って書き続けている職業作家の気概のような物を感じ、正にノーベル文学賞に相応しい作家ではと思いました。ただ今年受賞を逃しても来年が・・・。と楽しみを先延ばしする術も自分では身に付けています💦 ノーベル文学賞以外でちょっと気になったイギリスブックメーカー「ナイサーオッズ」が「ノーベル平和賞」の一番人気にウクライナのゼレンスキー大統領を挙げています。もし村上春樹氏とゼレンスキー大統領が2人とも受賞したら、ノーベル財団はロシアに兵器を使わずに「NO」を突き付けているのかかとちょっと大袈裟ですが考えてしまいます。
2023.10.03
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小説に何度も登場する「薪ストーブ」北海道の山崎ワイナリーを思い出しました。 今年4月に刊行された村上春樹著「街とその不確かな壁」をじっくり時間をかけて読み終えました。刊行前に前知識として1980年に雑誌「文学界」にほぼ同じタイトルで掲載されたけれど村上氏の意向から単行本化されなかった幻の作品の存在やこの作品が四作目である1985年に刊行された「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の原型となる小説である事を3月に知りましたが、私としては全く新しい作品として読み終えました。 著者自身の「あとがき」が巻末の5ページにあり具体的に1980年「文学界」に掲載された中編小説が四百字詰めの原稿用紙に150枚程度で内容に納得がいかず唯一書籍化されなかった作品である事、「三部作」の後の1895年に刊行された四作目「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」で色合いの違うストーリーを加えて二本立ての小説を作り上げたと説明があります。この作品は30代の作家としては大江健三郎著「万延元年のフットボール」に次ぐ2人目の「谷崎潤一郎賞」を受賞しています。 そして「文学界」での掲載からほぼ40年経ち(村上氏は31歳から71歳に)作品の未完成さや未熟さにしかるべき決着をつけたいという思いから日本でコロナ禍が猛威を振るう年に書き初め3年ほどで完成させたそうです。 あとがきに引用された言葉「1人の作家が一生のうちに真摯に語る事が出来る物語は基本的に数が限られている。我々はその限られた数のモチーフを、手を変え品を変え、様々な形に書き換えていくだけなのだ」には村上氏が小説を書き始めた時からのブレない「信念」のような物を感じます。 実は「世界の終わり~」を読んだ後で二部作で進行しながらも全く違和感のない物語の展開にも驚き「この作家は将来ノーベル賞を受賞する作家になるんだろうなぁ」と思った事を思い出しますが、改めて検索してあらすじを読むと内容を全く覚えていない事にも驚きます。ハルキストの友人からも「街と~」を読み終えた後「世界の終わり~」をもう一度読んでみたくなりましたとメールがあって、私も同じ気持ちになっています(出来ることなら幻の作品も・・)村上氏が著書の中でよく使う「職業作家」という言葉の意味をこの一冊で知った気がします。今年のノーベル文学賞の発表は10月6日(金)で果たして結果は・・とこちらも興味深いところです。
2023.09.09
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昨晩のネットの速報記事で村上春樹氏が今年の「スペイン文学賞」を受賞した事を知りました。正確には「アストゥリアス王女賞(又は皇太子賞)1980年創設」という名称らしく、私はスペイン文学賞を初めて知りましたが、記事によっては「ノーベル文学賞」に匹敵するものともありました。 17ヶ国の37人の候補から村上春樹氏が選ばれた理由について「ドストエフスキーやディケンズ、カポーティなどの影響を感じさせる文章で40ヶ国以上の外国語に翻訳されている熱狂的な人気を誇る作家であり、時に超現実的でユーモアを感じる語り口で、深刻な社会問題を描き、人間の本質的な価値を守ろうとしている」と財団はコメントしています。 ノーベル賞が創設されたのは1901年でこの賞の歴史は80年ほど短いですが、調べてみると文学賞だけでなく社会科学、技術研究、芸術等などの分野があり日本人では宇宙飛行士の「向井千秋」氏、物理学者の「飯島澄夫」氏が過去に受賞していて、村上春樹氏は日本人としては3人目の受賞になります。そして文学賞ではアジアの国々では初受賞です(近々では2022年はスペイン、2021年はフランスの作家が受賞) ちょうど今週の日曜にフランスやカナダなどの国の合作アニメ映画「めくらやなぎと眠る女」を見たばかりで、また先月6年振りに発行になった長編「街とその不確かな壁」を読んでいるところなので「スペイン文学賞」の受賞はハルキストとしては最高に嬉しいニュースとなりました。 個人的な楽しみの1つとして村上春樹氏の本の1ページ目はどこで開けよう・・というのがあります。今回はシンガポール川沿いのカフェに行ってスパークリングワインを飲みながら読み始めました。15ページ目に「きみがぼくの街を訪れるときには、だいたい川べりか海辺を散歩する」「水を見ているとなぜか気持ちが落ち着くのときみが言う(きみの住む街には川は流れていない)」という箇所もあってそれだけでこの場所を選んで良かったと嬉しくなり、「自分の影」が自分から一個体として分離するとか「夢読み」という職業とか村上春樹氏独特の超現実的な描写が出て来て、やっぱりこの世界観は唯一無二の物だなぁと・・。さてさてこの超現実的描写の結末は「1Q84」の夜空に浮かぶ「2つの月」を超える事が出来るのかと読み終わりが楽しみです(今年のノーベル文学賞が発表される日は例年通りやっぱりソワソワしていると思います💦)
2023.05.26
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昨年1月に「ドライブ・マイカー」を見て以来、1年以上振りの「The Projector」で村上春樹原作アニメ「Blind Willow Sleeping Woman(めくらやなぎと眠る女」を先週の日曜日に見ました(2回だけの上映) ポスターのプレゼントがありました。 「Nachos(ナチョス)」とビールでまずは一息。 「めくらやなぎ~」はタイトルは覚えていてもどの短編集に載っていたのかも内容もほぼ思い出せず、逆に新鮮な気持ちで下調べせずに映画館に行きました。シンガポールの映画館内は食べる事は出来ますが、アルコールの持ち込みは禁止されているので映画の前にビールで一息付くのも至福の時です。 始まってすぐ英語でしかも字幕が全くない事に気が付いて、これは理解のために集中しなきゃならないとちょっとトーンダウンの気持ちもありました。始まりのシーンは2011年の東北大震災からわずか数日後にその災害のテレビでの映像を魂が抜けたような状態で眺めている「コムラ」の妻「キョウコ」の姿で、その後キョウコはコムラの前から姿を消してしまいます。 そして次に起こり得る大地震を防ぐためのミッションを受け登場した「カエル」とそのミッション遂行のために白羽の矢を当てられたコムラの同僚「カタギリ(ちょっと冴えない銀行員)」が登場し幻想シーンへと続きます。 自分の英語力の問題もあって理解が難しい箇所も多々ありましたが現実と幻想の世界が交錯し淡々と続くストーリーは斬新な物があると思いました。そしてハッピーエンドの象徴のようにコムラとキョウコの飼い猫が最後に登場してほっとしました。 家に帰ってから作品を検索してみるとフランス、カナダ、オランダ、ルクセンブルク合作の映画で監督は「Pierre Folders(ピエール・フォルデ)」氏でした。原作は近々では1996年発行の短編集「レキシントンの幽霊」に収められ、米国では2002年の発行と東北大震災前なので今回の映画化では内容はかなり変わっているのかなとも思います。 ところで映画館でクレジットタイトルが流れ館内が明るくなるとステージ上に2人の方が登場していました。シンガポールの出版元勤務の方と作家の方で「Haruki Murakami」についてトークが始まり驚きました。空腹に耐えられず私は席を立ってしまいましたが、かなりの数の方が残っていて、改めてシンガポールでの根強い村上春樹人気に自称ハルキストとしてはビール以上に至福の時を味わいました。
2023.05.23
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4月13日(木)に新潮社から発売される村上春樹氏の6年振りの長編小説のタイトルと装幀が3月1日に発表になりました。 表紙のイラストは「タダジュン」氏 タイトルの発表の後、ネット上で1980年9月の文芸誌「文学界」に掲載された同氏の「街と、その不確かな壁」が話題になっているようです。単行本化されずファンの間では「幻の作品」と言われ、4作目の長編小説で谷崎潤一郎賞を受賞した「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド(1985年刊行)」の原型となる作品である事を私は初めて知りました。 内容についても簡単な紹介があり、1972年に早稲田大学で起きた学生運動の内ゲバによるリンチ殺人事件「川口大三郎事件」を取り扱っているようです。20歳で亡くなった川口さんより3才年上の村上氏は7年かけて早稲田大学の第一文学部(川口さんと同学部)を1975年に卒業しているので、その事件のある意味目撃者ということになります(ただ村上氏は学生時代に既にジャズ喫茶を経営しているので大学で顔を合わせたり話をした事は無かったのだろうかと推測します) 今回発売の「街と~」の特設サイトに「その街に行かなくてはならない。何があろうとーー(古い夢)が奥まった書庫で紐解かれ呼び覚まされるように封印された物語が深く静かに動き出す・・」と説明があり「街」とは当時川口事件を起こすような壁に囲まれてほとんど死んだようになっている早稲田大学を「街」に仮託して書いているのではとも書かれています。果たしてこの物語の展開と着地点はどのようになるのか興味深々です。2015年シンガポール公演「KAFKA on the SHORE」宮沢りえさん演じる佐伯さん。 ところで特設サイトでは亡くなった川口さんの恋人という設定で「海辺のカフカ(2002年刊行)」に登場する図書館館長の「佐伯さん」の事にも触れていました。佐伯さんは15歳で家出し旅に出た少年「田村カフカ」の実の母親(幼いカフカと彼の父親を残して疾走)ではないかという謎多き女性です。同著に「20歳の時恋人を学生運動で亡くし自己を喪失してしまった・・」という箇所を私はすっかり見逃していて、今何かこの海辺のカフカも以前よりもっと理解出来るような気持ちになって来ました。
2023.03.04
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今朝のネットの記事で村上春樹氏の6年振りの長編小説が4月13日(木)に新潮社から刊行というのを知りました。タイトルは未だ明らかにされていなくて、刊行と同日に氏の長編小説としては初めての電子書籍での配信もあるそうです。 2017年に刊行された前回の長編「騎士団長殺し」から6年も経っていたのだと思い、手元にある本の巻末を見ると2017年2月25日発行でこの年は確か3月に関西への出張があったのでその時に日本で買った本だと懐かしくなりました。 「騎士団~」は2009年に発行された「1Q84」の中に描かれた「夜空に浮かぶ2つの月」ほどの強烈な印象を残す箇所は残念ながら無く、村上小説の本来の特徴というか内容を要約するのは難しいけれど随所に何か共感する表現があったというぐらいの記憶です。以前に村上春樹氏が自分が書いた物を読み返さないし何を書いたのかあまり思い出せない事も多いというのを読んで、何だかほっとしたのを覚えています。果たして今回の作品のタイトルと内容はどんな物になるのか、発表になる日と実際に手に取る日が待ち遠しいです。 話は変わって昨年末に紀伊国屋書店の文庫本コーナーで何を買おうかと真剣に物色していると、突然10代後半ぐらいの男の子から「何かお薦め本があったら教えてもらえませんか?」と流暢な日本語で話しかけられました。理由を聞くとシンガポールで日本語を勉強中で来年(2023年)に東京へ日本語の勉強に行くという事でした(大学入学が目的)。「ジャンルは?」と聞くと「恋愛小説みたいな・・」とリクエストがありましたが、ハルキストとしては処女作「風の歌を聴け」がまず頭に浮かびスタッフに文庫本を探してもらい手渡すと「大切に読みます」と丁寧にお礼まで言ってくれました。 作家名は初めて聞くというので少し説明をして「いずれノーベル文学賞を受賞すると思うし、日本で村上春樹を読んだ事があると言うとへぇ~って言われると思う」とまた余計な事まで言ってしまい、彼の表情に「もうそこまでで・・」というのを💦 昨年もノーベル文学賞の受賞はなりませんでしたが、賞は一つのイベントなのであまり意識せずに同時進行で好きな作家の本が読めるという幸せを引き続きかみしめたいです。
2023.02.01
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11月の「文春文庫」新刊の一冊、村上春樹著「猫を棄てる」を紀伊国屋書店で手に取ってみると120ページ程の薄い本で字も大きく挿絵も数ページあって12ドル90セント(円安なので1300円ぐらい)は高いなぁと迷いましたが、久々に「村上春樹ワールド」に浸りたくて購入し昨日読み終えました。 読み終わった後は自称ハルキストにとって「薄い本でも内容は厚い単行本一冊以上の重みがある」という感じです。少年時代に父親と自転車に乗って海辺に雌の飼い猫を棄てに行ったある日の出来事から始まり、父親の戦争体験へと続きます。実家が京都のお寺(安養寺)で僧職になる勉強をしていた父親は本来は徴兵は猶予されるはずが正式な事務手続きを忘れ1938年に一回目の中国戦線に派兵されています。 戦争で思い出すのは1994年に発行された「ねじまき鳥クロニクル 3部作」でこの中に「ノモンハン事件(満州国とモンゴルの国境線を巡る日ソ間の紛争 1939-1941 )」 についての箇所があります。戦争について村上氏が触れた最初の本で、ある意味この一冊から作風が変わったと私は思っていますが、子供の頃に父親から僅かながらに聴いた戦争体験をいつか文字にと思っていたのかなと想像します。 カバー写真は奥さんの「村上陽子」さん。 ずっと以前ですが、ファッション誌「アンアン」に掲載の村上春樹氏のエッセイで、作家の村上龍氏から猫を貰い奥さんの陽子さんと2人&愛猫1匹の生活をしていること、そして子供の時の食卓の話題が両親共に学校の国語の先生だった事もあり「源氏物語」だったという事以外に家族については本の中で読んだ事がないと思っていましたが、2020年発行の「一人称単数」の中の「ヤクルトスワローズ詩集」の中に父親と母親の事が書かれていました。球場通いが好きになったきっかけやヤクルトファンになった経緯と共に両親の事もユーモアを交えて書かれていますが「猫を棄てる」の中では辛辣な父親との確執(父親が90代で亡くなる直前まで)が描かれています。 三回目の召集の後兵役を解かれ、京都大学文学部に入学(或いは復学)した父親の「村上千秋」さんは「京大ホトトギス会」の同人となり「俳句」に終生打ち込んだようです。戦争中に詠んだ俳句もいくつか本の中で紹介され、何かそういう物が残されていて目にする事が出来るというのは子供にとって宝だなぁと羨ましく思うのと、両親や家族の事、自分と家族の繋がりをもっと知りたいと思わせてくれる「家族愛」を感じる一冊でした。
2022.11.20
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今朝のネットのニュースで、村上春樹氏の作品が「AMAZON オーディブル(日本語では初)」によるオーディオブック制作が決定し、10作品のうち3作品が今日(6月1日)から配信というのを知りました。 「海辺のカフカ」 故「蜷川幸雄」氏 演出 作品1:「ねじまき鳥クロニクルー第2部 予言する鳥編」の朗読を「藤木直人」さんが担当とあり、2015年にシンガポールでも舞台公演された「Kafka on the Shore(海辺のカフカ)」を思い出しました。藤木直人さんは家出したカフカ少年が四国で辿り着いた図書館の司書「大島」さん役で、トランスジェンダーという難しい役を実に爽やかに演じていて今でも強く印象に残っています。村上春樹作品への思い入れも人一倍あると思うので、朗読にも大いに期待するところです。 作品2:「職業としての小説家」の朗読は私にはちょっと意外な「小澤征悦」さんです。コメントには「高校生の時からずっと村上春樹作品が大好きで、村上氏の声が詰まったこの本を朗読させてもらえることになって物事を突き詰める姿勢や行動力など改めて気づかされることがあった・・」とあります。私自身は2016年に読んでちょうどそろそろ読み返そうかと思っていた時でした。何故日本の文壇に属さずにここまで小説家として成功するに至ったかについても納得させられる一冊で、人生の指南書的なところもあります。 作品3:「蛍・納屋を焼く・その他の短編」の朗読は「松山ケンイチ」さんです。「納屋を焼く」は韓国の「イ・チャンドン」監督によって2019年に映画化されています。 以前に何かで村上春樹氏は「映画化されない(出来ない)ような作品を書いていきたい」とインタビューに答えていましたが、意に反してか今年は「短編集 女のいない男たち」の一篇「ドライブ・マイカー」が素晴らしい脚本と脚色でアカデミーの「国際長編映画賞」を受賞したり、さらに注目度が上がっている感があります。 ハルキストの端くれとしては、今年こそ村上氏自身は「特に欲しい賞ではない」と言っている「ノーベル文学賞」を受賞して欲しいなぁと勝手に期待が高まっています。
2022.06.01
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昨日フィンランドの「マリン首相」がウクライナの首都キーウを訪問したというニュースがありました。「NATO加盟申請の決断」や首相の好感度もあってフィンランドという国に興味を持ち始め、2013年に発行された村上春樹著「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を思い出しました。 前半は高校まで愛知県で過ごした主人公「多崎つくる」と苗字に「色(赤松や青海など)」が付いている男女2人ずつの親友たちとの交流が描かれています。ただ1人苗字に色が付いていない「つくる」が東京の大学に進み休暇で帰省した時に突然「私たちに一切連絡をしないで欲しい」と告げられてしまいます。 後半の舞台は親友の1人「黒埜恵里」が住むフィンランドで、過去の「絶交通達」に隠された謎をそこで解き明かすことになるという内容です。 最初に読んでから随分時が経っているので記憶が曖昧なところもあり、もう一度読んでみようと思っています。今パラパラと後半のページを捲ってみると、フィンランドに行くために休暇をお願いした上司から「フィンランドに一体何があるんだ?」と怪訝な顔で聞かれます。それに「シベリウス、マリメッコ、ノキア、ムーミン・・・」とつくるが答えます。 作曲家でバイオリニストの「シベリウス(1865-1957)」は名前は知っていてもフィンランド人とは知りませんでした。調べてみるとフィンランドが「帝政ロシア」から独立を勝ち得ようともがいている最中「音楽」で国民意識の形成に寄与した人物とあります。 また本のタイトルになっている「巡礼の年」は19世紀の作曲家でありピアニストの「フランツ・リスト」の「ピアノ独奏曲集」でした。流石クラシックに造詣が深い村上春樹氏らしいタイトルの付け方と今更ながらに思います。 かつての親友の「サマーハウス」を訪ねるためシベリウスの生まれ故郷(ハメーンリンナ)の近くの街までヘルシンキから車で向かいますが、その車は「フォルクスワーゲン・ゴルフ」です。車好きでも有名な村上春樹氏の今年アカデミー賞を受賞した「ドライブ・マイカー」で使われたのはスウェーデン製の「サーブ」でした。何となく「色彩を~」を映画化するとと余計な事まで考えてしまいます。 余談ですが2003年に来星した時シンガポールの携帯電話はフィンランドの「ノキア製」が全盛でした。今はあまり見かけなくなりましたが、2011年にサンクトペテルブルグへの中継地として一泊したヘルシンキでノキアの店舗をみかけて思わず写真を撮りました。9月は小雨が降る生憎の天気でヘルシンキ自体にはまり良い思い出がないのですが、その国の歴史を踏まえて訪れると違うのだろうなぁと今になって実感です。
2022.05.27
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アメリカ人作家「スコット・フィッツジェラルド 1896-1940」の「グレート・ギャツビー」はまだ大学生の時に読んだ記憶があり、友人が日本から送ってくれた村上春樹訳の本は読まずにそのままになっていました。昨年ブログにフィッツジェラルド著「ジャズエイジの物語」のジャズエイジって何だろうを書いてから、ふとグレート・ギャツビーが気になり出し読み返していくと「果たして私はこの小説を本当に読んだのか?」と思うほど全く新しい小説のように感じました。 「訳者あとがき」に村上春樹氏は20年の構想のもと「自分の人生で出会った最も重要な本」として渾身の思いと最大限の努力をもって翻訳した「グレート・ギャツビー」は、およそ100年前に執筆された時代の話ではなく現代の話として蘇えらさせることに注力を払ったと書かれています。 物語はロングアイランドでギャツビーの豪邸の隣のコテージを借りて住む語り手でありギャツビーの友人となる「ニック」、ニックの従妹の「デイジー」、彼女の夫「トム」、トムの愛人とその夫、デイジーの友人「ミス・ベイカー」がお互いを巻き込み、巻き込まれていくひと夏の出来事で、中盤までは私には単調な流れでギャツビー邸で繰り広げられる豪勢なパーティーの詳細とギャツビーとは一体何者なのかという憶測が描かれています。 中盤以降デイジーとギャツビーの過去を知りギャツビーに心が傾いていくデイジーにトムが自分のエゴをむき出しにしながら、ギャツビーの父の「もし息子がもっと生きていればきっと偉大な人物になっていたはずだ・・」と言わせるまでの展開には息を飲むものがありました。 村上春樹氏曰く、フィッツジェラルドの登場人物の会話の描き方、文章の独特のリズム感、珠玉の文章は翻訳で表現するのは至難の業で出来れば原書を手に取ることをお勧めするとありますが、翻訳の難しさと唯一無二の作家と評される理由のような物がこの翻訳から十分伝わってきます。 因みに「グレート・ギャツビー」は出版時には高い評価を受けても爆発的に本が売れることは全くなく1930年代には絶版にまでなったそうです。その数年後には40歳の若さで亡くなったフィッツジェラルドは深刻なアルコール中毒者で妻のゼルダは発狂の後精神病院で暮らすという状況でした。それでも書くということや文学に対して常に前向きな姿勢を持っていたようで、ふと画家のゴッホの人生とも相まって村上春樹訳を読んでからこの本が私にとっても大切な一冊となりました。「グレート・ギャツビー」がフィッツジェラルドの死後、再評価されることになったことや画家達が渾身の思いと情熱で描いた絵が死後評価されることになるというのは、何か時代を先取りし過ぎてしまったのだろうかとも思ってしまいます。
2022.04.07
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第94回米アカデミー賞の4部門(国際長編/作品/監督/脚色)にノミネートされていた濱口竜介監督「ドライブ・マイカー」の「国際長編映画賞」受賞が今朝発表されました。 日本映画の同賞受賞は2009年(当時は外国語映画賞)の「おくりびと」以来だそうで、本木雅弘さん主演の「おくりびと」も本当に良い映画だったと改めてウィキペディアを見てみると、本木雅弘さんが1996年に青木新門著「納棺夫日記」読んで感銘を受け、映画化の許可を得るために何度も青木氏宅を訪れたという経緯の下、制作された映画であることを思い出しました。この映画で私は初めて「納棺師」という職業を知り、また「死生観」のようなものを考えさせられました。そして映画作りにかける人達の情熱でこの名作が生まれたのだとしみじみ思います。 ドライブ・マイカーは原作が村上春樹氏のため自称「ハルキスト」としては並々ならぬ思いで1月に映画を見に行きました。映画の中でジャズが流れればジャズやクラシックに造形が深い村上氏のリクエストによる曲なのかとか、本作の主題になることとはまた別のところも気になる映画でした。 ドライブ・マイカーは短編集「女のいない男たち」の一篇で、帰省時に日本で買って後半までシンガポールで読み、その後出張で中国に持って行った時に謎のように空港からホテルに向かう間に消えてしまった本で別の意味で思い出深い一冊です。手元にあれば映画化が決まった時に再読していたと思うのですが・・。映画自体は原作をベースに濱口監督や脚本家によって大きく内容を膨らませたものというのは本の内容をしっかり覚えていなくても納得できます。下記は1月17日に映画を見た後、日記に書いた内容です。 前評判通り、3時間ほどの長い映画にも拘わらずテンポ良くシーンが移り変わり、また台詞の重みを考えているうちにあっという間に最後のシーンとなっていました。そしてここまで余韻を残すシーンで終わる映画の脚本は秀逸の一言です。もう一度映画館に足を運んで台詞や表情を吟味してみたいという持ちが良く分かります。 東京、瀬戸内海を望む海岸線、北海道の雪道を走る赤の「サーブ」は映像としてとても良いアクセントになっていました。スウェーデンの車サーブを初めて知りましたがネットでは2016年に消滅とあります。原作者の村上春樹氏は執筆のためヨーロッパに滞在していた時、確かイタリアの車が特にお気に入りだとエッセーに書いていたと思います。理由は「故障しやすいがためにさらに愛着が湧く」というようなことだったと思いますが、もしサーブにも乗っていたらどうだったのかなぁと・・同じスウェ―デンの車「ボルボ」が故障しやすいというのは以前聞いたことがあります。 肝心の映画の内容としては「他者(配偶者も含めて)を理解するにはまず自分の心にとことん耳を傾ける」というのが大きなテーマとなっていたのかと思いますが、その難しさゆえに真摯にそれに取り組もうとする出演者の台詞の一言一言に重みがありました。 出演した俳優さん達の演技は秀逸でしたが、特に私は岡田将生さんの演技が印象的でした。プライバシーの侵害のような行為は暴力以上の怖さがあるなぁと・・。ネットで映画に関する記事を読みながらしばらくばこの映画の余韻に浸っていたいと思います。
2022.03.28
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「Life Wear Magazine」の「村上RADIO」特集のページから。 3月18日に「村上RADIO」の特別番組「戦争をやめさせるための音楽」を放送したことをNHKのニュースで知りました。こちらでは「TOKYO FM」が聴けないのは本当に残念です。村上春樹氏のコメントで「音楽に戦争をやめさせる力があるかと言うと、それはNOと言わざるを得ません。ただ音楽を聞いてやっぱり戦争はいけないと思わせる事は出来る」というコメント共に「年寄りが始めた戦争で若者が・・」とか「自分たちの指導者を盲目的に信じていると・・」等もテロップで流れました。 ネットの記事では放送された11曲のうち3曲が紹介されていました。ジョン・レノンの「イマジン」は反戦の歌として私には一番馴染みがあり、北京冬季オリンピックの開会式で流れた時は中国がロシアの動きを牽制するために選曲したと信じていました。 2曲目は「エドウィン・スター」の反戦歌「WAR(黒い戦争)」を「ブルース・スプリングステイーン」がライブで歌ったものでした。初めて聞く曲の名前だったので早速Youtbueで1985年のライブの様子を見ました。1975年に20年に及ぶ泥沼化した「ベトナム戦争」が北ベトナム、ソ連、中国などの共産圏が南ベトナム、アメリカ軍に勝利して終結(死者は400万~500万人)しながらも、その5年後にはイラン・イラク戦争でイラク側と共にアメリカは戦いを始め1988年には結局停戦という形になっています。ちょうどイラン・イラク戦争の最中のライブで歌われたと思うと非常に説得力があります。 歌詞が直球のようにストレートで分かりやすく戦争を映し出すスクリーンの前で歌うスプリングステイーンの姿には圧倒的な迫力がありました。 「戦争は一体何のためになるっていうんだ? 全く何のためにもならないぜ」 「自分たちの指導者を盲目的に信頼していると本当に殺されるよ」 3曲目は「ボブ・デイラン」の名曲「Blowin' In the Wind(風に吹かれて)」を「スティービー・ワンダー」が歌ったもので、これもYoutubeで見ました。 2016年の「ノーベル文学賞」を受賞した曲ですが、改めて調べてみるとボブ・ディランが20歳(1962年)の時に1955年に始めたベトナム戦争を憂慮して作った曲のようです。 「どれだけ砲弾が飛び交えば、永久に禁じられるんだ」 「どれだけ(プーチンさん)に耳があれば、悲しみが聞こえるんだ」ここは敢て個人名を入れたい気分です。 私にはこの3曲だけで十分過ぎるくらい「戦争はいけない」と思わせてくれます。ウクライナの「ゼレンスキー大統領」のアメリカ連邦議会への演説の際にも大きなスクリーンでウクライナの悲惨な現状が流されましたが、過去の戦争ではあまり目にすることが無かった本当のリアルタイムでの「地獄のような映像」も「戦争をやめさせる力」になることを信じています。
2022.03.20
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「ゴールデン・グローブ賞」を受賞した「ドライブ マイカー」のシンガポールの映画館での上映はないかなと諦めかけていたところ、唯一古い映画等を上映する「The Projector」で一回きりの上映があり、運良くチケットもネットで購入出来て昨日見てきました。 前評判通り、3時間ほどの長い映画にも拘わらずテンポ良くシーンが移り変わり、また台詞の重みを考えているうちにあっという間に最後のシーンとなっていました。そしてここまで余韻を残すシーンで終わる映画の脚本は秀逸の一言です。もう一度映画館に足を運んで台詞や表情を吟味してみたいという持ちが良く分かります。「SAAB(サーブ)」 東京、瀬戸内海を望む海岸線、北海道の雪道を走る赤の「サーブ」は映像としてとても良いアクセントになっていました。スウェーデンの車サーブを初めて知りましたがネットでは2016年に消滅とあります。原作者の村上春樹氏は執筆のためヨーロッパに滞在していた時、確かイタリアの車が特にお気に入りだとエッセーに書いていたと思います。理由は「故障しやすいがためにさらに愛着が湧く」というようなことだったと思いますが、このサーブはどうだったのかなぁと・・同じスウェ―デンの車「ボルボ」が故障しやすいというのは以前聞いたことがあります。 肝心の映画の内容としては「他者(配偶者も含めて)を理解するにはまず自分の心にとことん耳を傾ける」というのが大きなテーマとなっていたのかと思いますが、その難しさゆえに真摯にそれに取り組もうとする出演者の台詞の一言一言に重みがありました。 映画の中の音楽についてもジャズやクラシックに特に造詣が深い村上春樹氏から使用する楽曲にリクエストがあったのかなとかも気になります。「The Projector」のカフェ・バー 「ホワイト・スノー ホットドッグ」&ビール シンガポールの映画館内は飲食はOKですがアルコール類は禁止なので、映画が始まる前にビールで一息つきました。カフェ・バーも主に新作を上映する大手「Goldern Village」とは違って大人の雰囲気があります。ワインボトルをテーブルに置いてという欧米人カップルの姿もありました。 ちょうど昨日、朝ドラ「カムカム~」でジョーが時代劇を見ながらホットドッグを食べるシーンがあって、それにつられてホットドックを注文しました。チーズ入りのホワイトソースなので服に付いても大丈夫かなと・・。来星当時は500円台ぐらいだった入場料が今は千円台前半(今回は13.5ドル)で日本に比べると娯楽として未だ未だお手頃価格に押さえられているかなと思います。
2022.01.18
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『スコット・フィッツジェラルドとは、言うなればアメリカという国の青春期の、激しく美しい発露であった』・・「雑文集」から。 今、スコット・フィッツジェラルドの「マイ・ロスト・シティー(村上春樹訳)」を読み返していて、初めてフィッツジェラルドの本を手にしたきっかけは何だったんだろうと考えると「ジャズ・エイジ」という言葉だったのに気が付きました。 2011年に友人が送ってくれた村上春樹著「雑文集」も読み返していて、「スコット・フィッツジェラルド」の章の副題に「ジャズ・エイジの旗手」と書かれていて思い出しました。 当時は「ジャズ・エイジ」の言葉の意味は全く分かっていなくて、ただその音の響きに惹かれたのだとと思います。 改めて調べてみると「アメリカの1920年代(1929年の世界大恐慌の前まで)の風俗をを指す言葉で、第一次世界大戦で勝利した後に加速した排外的な人種主義(100%アメリカニズム)等を背景にラジオ、映画、ダンスホールなど大衆消費社会へ向かい始めた時代」とあり、この呼び名はフィッツジェラルドが1922年に発行した短編集「ジャズ・エイジの物語」からきているようです。1917年に初のジャズ(新興音楽)のレコーディングが行われるまでジャズと言う言葉はセックスやダンスを表していて、フィッツジェラルドはその全ての意味を含めてこの言葉を短編集のタイトルに使ったようです。 「雑文集」の中では、正にジャズ・エイジの申し子となったフィッツジェラルドと妻ゼルダの「事実は小説より奇なり」のエピソードもいくつか紹介していて、その後の2人の破滅へと繋がる人生を自分なりに思い描きながらフィッツジェラルドを読むと、一層彼の文体が心に沁みます。
2022.01.16
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数年前に友人が日本から送ってくれた村上春樹訳「マイ・ロスト・シティー」をまた読み始めました。6篇の短編のうち「残り火」と「氷の宮殿」は長編「グレイト・ギャツビー(華麗なるギャツビー)」発表の4年前に「楽園のこちら側」でデビューした年に書かれたもので、「悲しみの孔雀」からの4篇は1929年の「世界大恐慌」と時を同じくするように時代の潮流から見放され、妻「ゼルダ」の病、書いても書いても評価されない貧困生活の中、アルコールに溺れながら執筆した作品です。 村上春樹氏は影響を受けたアメリカ人作家の中でも特に「スコット・フィッツジェラルド(1896-1940)」を『読み終えて何ヶ月も何年も経ってから突然、まるで後ろ髪を掴むように読者を引き戻していくタイプの作家である』と前書きの「フィッツジェラルド体験」の中に書いています。 私自身は大学時代に英米文学を専攻していて、フィッツジェラルドは20代前半で初めて何冊か読みました。確か「氷の宮殿」の中の普通の文章が続く中でいくつか「綺羅星」のように光り輝く文があったのを今でも覚えていて(翻訳者の名前は思い出せませんが)あの綺羅星にまた出会えたらと思っているのですが・・。 第一次世界大戦の戦勝で湧き上がるアメリカで24歳の若さで「時代の申し子」と持て囃され、パリへ移り住み、パーティーからパーティーへと飛び回る合間に高額で買い取られる短編を次から次へと書きなぐり、散財の果てには出版社から前借りまでして破滅的なサイクルに嵌り込んでいく様子は作家というよりある点では「ゴッホ」や「モディリアーニ」のような画家と重なって私には映ります。 妻のゼルダは破綻していく生活に耐えられずは精神を患い、書いても書いても世間から見向きもされなくなった作家として44歳で亡くなりますが、初期の短編「残り火」や「氷の宮殿」を改めて読むと「悲観的世界観」や「崩壊の予見」という彼の一貫したテーマが貫かれていることが分かります。 同時代のアメリカ人作家として「老人と海」でノーベル文学賞を受賞した「アーネスト・ヘミングウェイ(1899-1961)」がいますが、彼が自殺した原因というのは「文章に対しての絶望」というような事が書かれていたのを以前読みました。それに対してフィッツジェラルドは最後の最後まで「書く」ということに夢、情熱、愛着を持ち続けた作家なのだと思いながら読むと作品がまた一層愛おしくなります。 『ヘミングウエィは牡牛で、僕は蝶だ。蝶は美しい。しかし牡牛は存在する』フィッツジェラルドが1流作家と2流作家の境界線として書いた1文です。
2022.01.12
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1996年に出版された村上春樹著「レキシントンの幽霊」という短編小説集の中の一篇が「トニー滝谷」です。2005年に映画化され、運良くシンガポールでも上映され今でも印象に残る映画です。 父親の影響もあり孤独を抱えたまま成長したトニー滝谷を「イッセー尾形」さんが演じました。学生時代の回想もあり流石に彼の学生服姿には違和感がありましたが、卒業後に孤独を抱えながらもイラストレーターとして才能を発揮し社会的に成功を収めていく演技は引き付けるものがありました。 そして「宮沢りえ」さん演じる着こなしの美しい女性と出会い、恋に落ち結婚をします。淑やかで控え目で妻として申し分ないように見える彼女の唯一の問題となる行動が「度を超した衣服に対する執着」です。その様子を完璧な美しさと妖気じみた演技で見せてくれました。彼女の最後のシーンは特に印象的で一旦諦めた服をやっぱり買おうと思い悲劇に向かってふっと今来た道を戻ろうとするその表情には彼女の卓越した演技力を感じました。 今までトニー滝谷という名前について特に気になったことは無かったのですが、昨年紀伊国屋書店でたまたま村上春樹著の「村上T ついつい集まってしまったTシャツたち」というエッセ―集を見かけました。 こっそりページをめくって写真まで撮ってしまったのですが、最初のページに「Tony Takitani House」とプリントされたTシャツの写真と「一番気に入っているTシャツ」と書かれていて映画のことがすぐ頭に浮かびました。 Tシャツの説明にはマウイ島に滞在していた時に何となくTony Takitaniってどういう人なんだろうと思いこのTシャツを1ドルで買ったと書いてありました。そこからヒントを得て小説を書き、映画化までされるとはTシャツ好き村上春樹氏ならではの出会いかなと思いました。因みにイッセー尾形さんは村上文学のファンだそうです。 この映画がきっかけになったのか村上春樹著「海辺のカフカ」の舞台の主人公は宮沢りえさんで2015年にシンガポールでも上演されました。もう6年前ですが、今でもガラスの箱の中での彼女の演技というより妖艶な表情が浮かんできます。
2021.11.16
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2011年に出版された「村上春樹」著のエッセー集「おおきなかぶ、むずかしいアボカド」に「オリンピックはつまらない?」というタイトルの一篇があり、独自の視点でオリンピック開催地についての主張も書かれています。 2000年に開催された「シドニーオリンピック」の取材のために4週間ほどシドニーに滞在し、現地で日本と関係のない試合も飛び込みで見ていると思っていた以上にオリンピックが興味深く面白かったのに日本に戻って録画した競技を見るとこれが見事なほどつまらないと感想が書かれています。 日本での放映がつまらない理由を「日本選手の出る試合しか中継しないこと、日本がいくつメダルを取るかという一点に集約されているから」と2つ挙げています。 私はオリンピックを一度も現地で見たことがないので、「強いなりに弱いなりに懸命に汗を流して頑張っている選手たちの試合」は想像するのみですが、そういう試合を見た後には確かに「メダルを何個取ったかは国家や国民のクオリティーとは何の関係もない」と同じように感じるのではと思いました。 そう言えば5年前の「リオデジャネイロ・オリンピック」の水泳で初めてシンガポールの選手が金メダルを取り、政府主催のパレードもありましたが私の周りのローカルの反応は「彼が金メダルを取ったことと私は関係ない」という素気ないものでした。 改めてオリンピックの歴史を調べてみると、紀元前9世紀にアテネで始まった「古代オリンピック」はもともと「古代ギリシャの全能の神ゼウスを始めとする多くの神々を崇拝するための競技祭」でした。 ギリシャがローマ帝国に滅ぼされるまで続いたオリンピックは4世紀に中止となり、それから1500年以上経った1894年にフランスのクーベルタン男爵によって「近代オリンピック」が提唱され、2年後にアテネで第一回目が開催されました。 提唱の際のスローガンは「オリンピックを通して心身を向上させ、文化や国籍の違いを乗り越え平和な世界の実現に貢献する」とあります。 「宗教」は「文化」に入るのかなとか「政治」というのが入っていないなとか考えます。近代オリンピック(夏季)の開催年と開催地の一覧を見てみると今回の東京で32回目と意外に数が多くないのに驚くのと、3回中止になった理由は全て世界大戦によるものなのでスローガンは果たせなかったということになります。 村上氏が主張する開催地は「毎回場所を変えずにずっとアテネで」とかなり大胆なものです。そうすることによって「開催地を決めるための大騒ぎをしないですむこと」「わいろのスキャンダルもなくなる」「開催国の威信をかけた開会式の華美なセレモニーも必要なくなる」等の利点を挙げています。 もし毎回アテネだったら今回のような世界的なコロナ禍の中「今大変なんで、今年は無しでお願いします」「はい、了解」みたいな簡単なやり取りになったのかなぁと想像します。 ただ個人的には私は「華美な開会式のセレモニー」は年々好きになっているし、ある意味平等に開催地は他の国にもチャンスを与えて欲しいと思っています。 いろんな角度から考えてみることは面白いことだとエッセー集を読み返して思いました。2022年の「冬季 北京オリンピック」の「ボイコット説」についてはオリンピックのスローガンの下、その原因の解決に動いてくれたらと思います。そして2024年の「パリ オリンピック」の時には全世界がほぼコロナウィルスに打ち勝っていて、私も現地で「目から鱗」と感じるほどの感動の試合を見てみたいものです。
2021.07.11
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MOMA(ニューヨーク近代美術館)で初めて見た画家「ジョージア・オキーフ(1887-1986)」の赤い花の絵は存在感や鮮やかな色調で絵の周りの空間もぱぁっと華やぐような感じでした。残念ながらその後、郵便局で購入した同じ絵のデザインの記念切手は紛失してしまい絵のタイトルも思い出せないままですが、絵のイメージだけは頭の中にずっと残っています。 MOMA訪問から15年後の2011年に出版された村上春樹著「おおきなかぶ、むずかしいアボカド」にその「ジョージア・オキーフ」のエピソードが書かれていて驚きました。文章は3ページで大橋歩氏のテーブルに載ったパイナップルの挿絵で計4ページの内容です。 要約すると「オキーフさんは1938年パイナップルの缶詰で有名なドール社から広告に使うためのパイナップルの絵の依頼を受けます。滞在費用は全てドール社持ちで好きなだけハワイに滞在していいという太っ腹な申し出でした。」 「そしてオキーフさんは離婚の痛手を癒す目的もあってこの申し出を受けハワイにやって来てあちこちの島で絵を描きまくりました。」 「でも彼女は結局パイナップルの絵を一枚も描かないまま、さっさとアメリカ本土へ帰ってしまいます。」 「しかしドール社としてはこれでは立つ瀬がないので、彼女のニューヨークのアパートメントにパイナップルの木を送り付けましたが、ドール社に届いたオキーフさんのパイナップルの絵は果実ではなく可憐な蕾でその絵と一緒にジンジャーの花の絵も添えられていたようです。」 村上春樹氏曰く、「彼女はよっぽどパイナップルの絵を描くのが嫌だったんですね。もっともこの2枚の絵は今では多分凄い価格がついているから、ドール社も彼女の招待にかけた経費くらいは楽に回収しているはずだ。物事の損得は長い目で見ないと分からない・・・。」 そして『もし自分だったらすぐ義務を果たしてその後で好きな事をすると思う。でもオキーフさんはそうじゃなくて「ふん、私は描きたいものを、描きたいように描くのよ。パイナップルなんて何さ」状態で思うがままに生きておられる。羨ましくもあり、大変そうだなと他人事ながら心配になったりもする。』と締めくくっています。 人生、一度くらいはこんな思うがままのことをしてみたいなぁと思うのと、このエピソードで私にはジョージア・オキーフの絵は一層魅力的になった気がします。
2021.04.22
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短編集「一人称単数」の3篇目「チャーリー・パーカー~」は村上春樹氏の処女作「風の歌を聴け」が出版される前に書かれた作品で、冒頭の文章を読んで村上春樹のジャズプレイヤーに対する並々ならぬ愛情と彼独自のライティングスタイルが既にそこにあるという事に嬉しい気持ちになりました。 「チャーリー・パーカー」と言う名前は聞き知っていても彼がアルトサックス奏者で「モダンジャズ」を創生し、1955年に35歳の若さで麻薬とアルコールで心身ともにボロボロの状態で亡くなったということは知りませんでした。ネットで調べると『ニューヨークの至る所の壁には彼の早すぎる死を悼んだファンたちが「バード(チャーリー・パーカーの愛称)は生きている」と落書きした』とあるのでこれにヒントを得て「チャーリー・パーカー・プレイス・ボサノヴァ」を書いたのかと想像します。 私にとっての村上春樹作品の魅力の1つは小説の中にサンドイッチが書かれていればそのサンドイッチが食べたくなるし、ミュージシャンのことが書かれていればその音楽を聴きたくなることです。しばらくはチャーリー・パーカーのアルバムをYoutubeで聞くことになると思います。 10年以上前ですが、ジャズ好きの友人に誘われて「渡辺貞夫」のコンサートへ行きました。ジャズと言えば「ピアノかな?」程度の知識しかなかったのですが、流石に世界の「ナベサダ」と言われるサックスの演奏は全身を魅了する以上のものがありました。「ジャズはピアノだけじゃない」を実感させてくれたコンサートで、当日販売されていたCDも完売でした。「チャーリー・パーカー」の文章を読んで久しぶりに「渡辺貞夫」のサックスも聞いてみたくなりました。 そしてサックスと言えば、シンガポールのジャズバンドに入ってサックスを担当している知人(既に日本に本帰国していますが)を思い出します。彼は地元の秋田の大学に通っていた頃もジャズバンドに入っていて、同じバンド仲間の一人がジャス喫茶を経営していてどういう経緯でそうなったのか話の筋を今では思い出せないのですが、その喫茶店に「ビル・エヴァンス」が訪ねて来てくれたというのです。俄かには信じがたい話でしたが、今はそれは本当だったのだろうと思っています。その知人のお薦めで購入した「Plays for Lovers」2006年。 「ビル・エヴァンス」と言えば数少ない白人のジャズピアニストで名声を極めた人というくらいの知識しかありませんでしたが、彼の弾く何だかちょっと冷たい、突き離した感じのあるピアノも気に入っています。 麻薬の常習者でレコードのジャケットの写真で固く口を閉じているのはたばこや麻薬で酷い虫歯になっている歯を見せたくなかったからというのもネットの記事で読みました。 知識はあまりなくても長い間仕事の時のBGMはほとんどジャズで、気持ちが落ち着いて集中でき、またやる気も出てくるので毎日の生活に欠かせない物になっています。そして「家飲み」の時も雰囲気作りには最強です。いろんな事を犠牲にした名プレーヤー達のお陰で成熟したジャズ音楽というものが今存在しているのかと改めて考えています。
2020.10.20
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