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今週NHK「キャッチ 世界のトップニュース」で今年11月に行われる「アメリカ大統領選挙」のためのバイデン候補とトランプ候補による「テレビ討論会」について特集していました。日本時間の28日(金)午前10時から同番組で詳細を特集するそうです。 大国アメリカを導くリーダーをどちらに選ぶのか、日本だけだなく世界中の経済や紛争問題に影響を及ぼすであろう選挙戦からはやっぱり目が離せません。 ちょうど「BOOK OFF」で「一気にわかる!池上彰の世界情勢 2024」をパラパラめくってみると第1章が「どうなるアメリカ大統領選挙」でその中に「ところであなたは、アメリカ大統領選挙の仕組みをご存知でしょうか?」の1文がありじっくり読もうと購入しました。 少々回りくどい選挙の仕組みらしいのですが、このシステムを理解していれば大統領選挙のニュースも分かりやすいそうです。 具体的には、50の州と首都ワシントンで独自に行われる選挙は大統領への投票ではなく「大統領選挙人」を選ぶ投票だそうです(間接選挙)人口によって選挙人の数は決められていて最少で3人、人口の多いカリフォルニア州は最多の54人です(続いてテキサス、フロリダ、ニューヨーク、激戦が予想されるペンシルベニア州はイリノイ州と同じ19人) カリフォルニアを例にするとまずは有権者がバイデン候補かトランプ候補に投票します(直接選挙)そしてバイデン候補が1票でも多いとカリフォルニア州の54人の選挙人は全員バイデン候補に投票する人が選ばれるようです。アメリカ全土の選挙人の数は全部で538人で過半数の270人を獲得すると勝利となるため選挙人の数が多い州は特に重要だというのが分かります。 私には不思議なシステムですが、これは1789年(日本は江戸時代です)アメリカで初めて大統領選挙があった年に憲法に規定されたもので、当時移民も多く識字率の低いアメリカで政治の知識が不足する一般国民には良い大統領を適切に選べないと考えられたからだそうで、このシステムの修正は難しいという理由からも維持されているという事です。 バイデン大統領は両手を前に。 トロンプ前大統領は手を横に広げて。 今週の「キャッチ~」の中で両候補が特に強調したい事を言う時のポーズにも焦点を当てていました。健康面、政策面で激論が予想されますがこの手の動きにも注目だそうです。そして最後にCNNからは「品位ある討論会になるように司会は全力を挙げる」というコメントです。前回は民主国家のお手本からは程遠い事件も起こした大統領選挙ですが、今年11月の選挙は両候補の「品位ある行動」に大いに期待です。
2024.06.27
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今朝のNHKのニュースで数々の名作ドラマの脚本を手掛けた「山田太一」氏の訃報が流れ、昭和の名ドラマ「ふぞろいの林檎たち」や「岸辺のアルバム」を懐かしく思い出しました。テレビ史の歴史に残る「岸辺のアルバム」を検索して山田太一氏自らが執筆した小説を基にドラマ化したものである事を知りました。 故安西水丸氏デザインのノート 山田太一氏の小説と言えば、忘れられない一冊は「飛ぶ夢をしばらく見ない」です。2013年に文庫化されています。当時読書感想ではなく読んだ本の中で気に入った文章をノートに書き写していてそのノートの1ページ目がこの「飛ぶ夢~」でした。 ノートには下記の文章を書きました。【ブラックホールの理論的研究者として有名な英国ケンブリッジ大学のS・ホーキング教授(43歳)が京都大学で開かれた基礎物理学研究会主催の講演会で「現在膨張を続けている宇宙が収縮期に入ると時間の向きは逆転する」と解説した】【時間の矢と題するこの講演はコーヒーカップが割れる様子とそれを逆回しした映画から始まった。我々の身の回りでよく見られる現象はカップが割れて粉々になるように、時間が秩序から無秩序に向いている。これが熱力学の第2法則(エントロピーの増大)だ。この熱力学的な時間の矢印は宇宙が大爆発(ビッグバン)以降。広がりつつある今だからこその向きであり、将来とも同じだという保証はないと教授は主張する。宇宙や時間が四次元的に閉じていると仮定すれば宇宙が収縮を始めたら熱力学的な時間の向きは逆転し、無秩序から秩序へ向かう」と話した】 当時は割れたカップが元に戻る様子を想像して目から鱗になりこの文章を書き写したのだと思います。この小説中では主人公が出会った女性が暫くして再会した時に若返っていて老女から少女、そして幼女へと姿を変えて行くという内容です。確かブラッド・ピット主演の映画でもこんな内容の映画があってシンガポールの映画館で見ました。 名脚本家であり小説家であった山田太一さんのご冥福をお祈りします。
2023.12.01
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昨日、作家「森村誠一(1933-2023)」氏の訃報があり真っ先に思い出した1冊は「分水嶺」です。1976年と1977年発行の「人間の証明」や「野生の証明」は映画化もされ作家の地位を不動にした作品ですが「分水嶺」は氏が1969年に「高層の死角」で「江戸川乱歩賞」を受賞する1年前に発行された本で、この本も含め書いても売れないという時期がかなりあったようです。森村誠一氏のサイトに当時の事を振り返るご自身の言葉がありました。【小説は嗜好品に似ていて、読者の好みに合わなければそれまでである。同じ読者でも、読書時の年齢、生活環境、身体の状況、季節、時間帯、天候等によっても作品の印象は異なってくる。すべての読者から満点を取ることは不可能である。青樹社から出版した初期の作品が角川氏の共感を得たのは、氏の不遇時代と作者の環境が似ていたからかもしれない】 「分水嶺」は日本でいつ読んだのか内容の詳細の記憶も曖昧ですが、ただ後半部分では涙が止まらず、読んだ後しばらく呆然としていたという私にとって稀な経験から忘れられない作品です。著者の言葉にあるようにその時の身体の状況や時間帯(就寝前に読んでいた事も思い出します)にピタリと合ってしまったのかもしれません。 内容を改めて検索すると『化学会社社員の大西と医師の秋田は学生時代に山で命の危機を分かち合った仲間だが、秋田が勤める診療所に大西の会社の技術者が奇妙な症状を呈して送り込まれて来た。不審を抱いた秋田は大西が会社で恐るべきガス兵器の開発に極秘裏に携わっている事を知る。企業のエゴに自らを懸けている親友を諫めようと秋田は大西を追うが・・」とあり最終的には大西は自らを人体実験の犠牲者にと決意しますが、それまでの心の葛藤が読む側に確実に響いて来てそれが涙が止まらなかった原因だと思います。 森村誠一氏をウィキペデイアで見ると、小説家として活躍した時期は2017年までとなっていますが、2021年に「老いる意味、うつ、勇気、夢」を発行しています。その中で「60代は年少、70年代は年中、80代は年長さん」と書いているそうです。年長さんとしての人生を全うして90歳で亡くなられたという事にも何かしみじみするものを感じ、心からご冥福をお祈りします。
2023.07.25
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池上彰氏が著書の中で紹介していた斎藤幸平著「人新世(ひとしんせい)の資本論(2020年9月発行)」が紀伊国屋書店にあるかどうか見に行って結局、横に並んでいた発行年が新しい的場昭弘著「20歳の自分に教えたい資本論(2022年11月発行)」を購入しました。 著者略歴に1952年生まれ、日本を代表するマルクス研究者とあって今年71歳の著者が20歳の自分に教えたいというタイトルにも引かれました。ちょうどその年齢の頃に一度「エンゲルスとマルクス」を読んだ記憶はあっても内容は全く覚えていないまま、資本主義社会の中でずっと生きているんだと改めて思います。 著書「20歳の~」の中でカール・マルクス(ドイツ人)によって150年も前に書かれた「資本論」が定期的に注目を集めるのは「資本主義がいかに矛盾多き制度であって、この制度が抱える矛盾は限界に達し資本主義社会は崩壊に至る」と不可避的に起きることを言い当てた「予言の書」であるからと書かれています。 18世紀後半にイギリスで起きた産業革命をきっかけに成立した資本主義から1世紀ほど後に「資本主義の限界」を予言するその洞察力には驚きですが、資本主義が現代の益々広がる格差を助長し、富や資源や領土を求める戦争を引き起こし、一刻の猶予も許されない地球の環境問題に繋がっているのだと思うと、ちょっと真剣に平等の精神に貫かれているであろう「資本論」を知りたくなります。 まだ数ページを読み始めたばかりで、読み終わった時に資本主義の国に生まれ育って、ある意味不平等や格差は受け入れざるを得ない物と思って生きた来た自分がどのような感想を持つのかが一番興味深いです。 マルクスの資本論では「資本主義の限界や崩壊の後の社会がどうなる」と言う事は全く書かれていないそうです。この先やっぱり必要とされるのは「人間の英知」なのだなぁと・・。
2023.02.16
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今朝の「あさイチ」で紹介した本の一冊が「解きたくなる数学」でした。NHKの「ピタゴラスイッチ」の製作メンバーが手掛けた1冊で昨年9月に発売されていました(文庫化は未だで1980円) 番組コーナーで23題のうち3題が紹介され、その1つは「どちらのチョコレートをもらうのが得でしょうか?」でした。厚さは同じで左の一番大きいチョコを1個もらうか、右の2個をもらうか量りや物差しを使わなくてもチョコレートをうまく配置するだけで答えが分かるそうです。論理の組み立てや思考のジャンプ力には自信のない私には難問です・・。話題になった本はすぐ店頭に並ぶ「紀伊国屋シンガポール店」に週末探しに行ってみようと思っています。 ちょうど先週の金曜日に日本から知人AさんとBさんの来星があり、3年振りの会食の際の話題の1つが「数学」でした。Aさんはかなりの読書通で日本へ本帰国の際に50冊ほどの本を私に託してくれた人です。今どんな本を読んでいるのか興味深々で尋ねると「実は目も悪くなってあまり読んでいないんだよ」との後で「実は息子が来年大学受験で高校数学を息子に教えているんだ」という話に親が子に勉強を教えるのは大変と聞いているので正直驚きましたが息子さんから教えて欲しいとお願いがあったそうで、それにはもっと驚きました。確かに博士号を持つ理系の優秀なAさんですが、教えるために自分も一から高校数学を勉強し直し、いかに分かりやすく教えるか悪戦苦闘しているという事でした。 Bさんも理系出身でいきなり話題が微分・積分に移り「実は役に立つ微・積」のような話をしてくれましたが、Bさんも途中で「何だか僕にもよく分からないんだよね~」で終わってしまいました。 ネットで調べると、こんな身近なところに使われる微・積の問題例がありました。 「ヒーターの温度が35°C、こたつの温度が10°Cから30°Cに上がるまでの時間は1時間。ではこたつを0°Cから30°Cまでに上げるには何時間何分かかるでしょう?(こたつの温度上昇率はこたつの温度とヒーターの温度の差に比例するものとする)」 誤答:20度上げるのに1時間だから30度上げるのに1.5倍で1時間30分 正答:約1時間12分32秒(こたつの温度が上昇すれば温度上昇率は下がり、温度上昇率は刻一刻と変化していくため) 時間の計算のためにグラフや微・積が使われていると説明がありますが、さっと読んだだけでも私には眩暈がする感じですが、もしタイマー付きのこたつであれば節電にも役に立つかと(ちょっと苦しいですが💦) 昔の学生時代を思い出して高校数学であれば因数分解や三角関数であればまだ何とかなりそうという気もします。そして問題を解いている時のシンとした「静寂感」のような物も懐かしく「解きたくなる~」には眩暈がするような難問はないと信じて「脳の活性化(?)」のためにも一冊買って読んでみたい本です。
2022.12.16
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下記は昨年の11月に書いた日記です。未だに「鎌倉殿の~」ロスが続いていますが、「どうする家康」も前作を超える作品になって欲しいと思っています。 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も残すところ7回となり「承久の乱」や「義時の死」をどのように描くのか楽しみですが、来年の「どうする家康」の予習のために紀伊国屋書店で平積みになっていた一冊を購入してやっと読み終えました。 細谷正充氏編集で6人の作家が今川家での6歳に始まる人質生活から元和2年(1616年 73才)で亡くなるまでを紡いでいきます。 宮本昌孝著「薬研(やげん)次郎三郎」:人質生活の中、元服(14歳)して三河の松平領への一時帰城を許された家康(次郎三郎)が家臣のあまりの困窮振りを見て、自分が長生きをして家臣に豊かな生活を与えることを心に誓い所謂「調薬オタク(薬研は粉薬を作る器具の意味)」となる様子を描く。 武川佑著「大名形」:桶狭間の闘いで討ち死にした「今川義元」の鎧等(具足)を作ったため一気に評判を落とした「具足師」が家康からの依頼を受け大名に相応しい具足を制作をしていく過程と武田軍との「三方ヶ原の闘い(1573年 30歳)」で敗戦の家康の命を救ったその具足師の執念の「熊の毛で覆われた鎧」を描く。 新田次郎著「伊賀越え」:「本能寺の変(1582年 39歳)」が起こった時京都にいた家康が明智光秀の追撃から逃れて三河に戻るために伊賀越えを決意する。信長の死は家康にとっては大きなチャンスとなるものだったが、伊賀越えの際に味方から家康の命を狙う者が現われその駆け引きを描く。 松本清張著「山師」:関ケ原の戦い以前、家康の大きな資金源となった金、銀を元々は猿楽役者であった「長兵衛長安」が佐渡や甲斐等の金山、銀山を掘り当て昇進を測り人生の頂点に立ったかに見えた彼の最期を描く。 伊東潤著「人を致して」:関ケ原の戦い(1600年 57歳)が元々は石田三成から福島正則や黒田長政を排除するために家康に持ちかけられた計画で「出来レース」だったというアイデアで描く。 木下昌輝著「最後の一日」:家康最後の一日を南蛮時計の刻みと共に3才から73才までの人生を自身が振り返る。大坂夏の陣(1615年 72歳)で織田信長と豊臣秀吉の血を引く淀殿と秀頼を焼き尽くしたことで信長の命令で妻と長男を死に至らしめてしまったことへの復讐を完結したと独白する姿を描く。 大阪夏の陣の翌年に亡くなっているという事、家康の死によって「応仁の乱」がら150年続いた乱世が終わったことにしみじみします。果たして来年の大河「どうする家康」ではこれ以外のどんな難所や難問題が家康を待ち受けているのか今から楽しみです。
2022.11.06
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「神話とともに成立し、以来2千年近く1つの国が続いた例は世界のどこにもありません。これ自体が奇跡といえるほどです」と「序にかえて」の2ページの中に書かれた文を書店で立ち読みしすぐ購入しました。 そしてこの本は2年前に「あらすじとイラストでわかる古事記 日本書紀」を読んで「どうしてこんな面白い神話を私は学生時代に読むことが無かったんだろう」という疑問にもしっかりと答えてくれました。 上・下共に歴史好きには堪らない新事実やこぼれ話が満載ですが、私にとって一番衝撃だったのは戦後アメリカのGHQの政策による「日本人に戦争責任を植え付ける洗脳(直訳では宣伝)計画」の「洗脳」という言葉でした。 アメリカに存在する資料にも言及していて「WGIP(War Guilty Information Progam)*戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画」という日本が2度とアメリカに戦いを挑ませないために軍国主義の完全否定や戦争責任を国民に植え付けるための言論統制や出版物の検閲や出版社の処罰、教育界への監視などについても書かれています。 宗教の中でも使われる言葉「洗脳」について私自身は自分は洗脳されることはないと単純に思っていましたが、よくよく考えてみると思い至ることがいくつもあります。「原子爆弾は戦争の早期終結のため」「大東亜戦争は侵略戦争」「東京裁判の詳細を知らない」「従軍慰安婦問題や南京大虐殺」の事などがWGIPの洗脳を受けた政治家やメディア関係者、教育者などによって世代を超えて刷り込まれていったと思うと怖い物があります。 日本の「多神教」の国と違って「一神教」の国アメリカでしかも歴史が日本に比べて遥かに短い国による制裁措置は2千年の文化と歴史を持つ日本に対して残酷なものがあったと気づかせてくれました。 そして歴史や戦争を違う角度から見ることでこの国に生まれた誇りもまた与えてくれる本でした。今年で戦後77年ですが対話によって「失われた77年」を取り戻すことは実はそんなに難しい事ではないのではというのが読後の一番の感想です。
2022.09.19
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昨日のNHK「チコちゃんに叱られる」の2問目は「何故シンデレラの靴はガラス?」でした。 「シンデレラ」 「赤ずきんちゃん」 何故だろうと考えながら見ていると、以前に日記に書いたフランスの童話作家「シャルル・ペロー(1628-1703)」の名前が出て来てすぐロゼワインの事を思い出しました。 下記はラベルに赤ずきんちゃんの絵があって何故だろうと調べて書いたに日記です。 ワイン名の「Petit Chaperon Rouge」は「小さい赤頭巾」の意味で、19世紀前半にグリム兄弟によって続きが書かれる100年くらい前のフランスルイ14世の時代に「シャルル・ペロー」がフランスに古くから伝わる民話を貴族の娘たちに向けて語り直した物語でした。シャルル・ペローのお話は赤頭巾ちゃんが狼に食べられるところで終わっています。どうも貴族の娘達に「男(狼)には気を付けて」の教訓が含まれていたようです。 このロゼワインの産地であるフランスの「Pic Saint-Loup(ピクサン・ルー)」地区のLoup(ルー)」がフランス語で狼の意味から赤頭巾ちゃんをラベルに使ったのだと思います。そして「ガラスの靴」で有名な「シンデレラ」にもシャルル・ペローが出てきました。 シンデレラの基となる民話は古くは紀元前5世紀の古代エジプトの「ロトピスの靴」に遡るらしく、水浴びをしていた美しい娘の片方の靴(毛皮の靴?)を鷲が持ち去り、王様の足元に落としたことから娘探しが始まりハッピーエンドになります。この話はイタリア(木の靴)やドイツ(金の靴)にも伝わり、フランスではシャルル・ペローによってガラスの靴がシンデレラストーリーのアイテムになりました。 「チコちゃん~」の番組ではシャルル・ペローが翻訳する際に当時フランスの貴族女性の象徴であった「銀リスの毛皮」の意味の「Vair(ベール)」を間違って「ガラス」の「verre(ベール)」と訳したことでガラスの靴になったと説明しています。ただ宮廷に仕えベルサイユ宮殿内の素晴らしいガラス装飾品を見ているシャルル・ペローが敢えてその華やかさからガラスにしたのではという説もあったようです。 それを覆したのがフランスの文豪「バルザック(1799-1850)」で「単純に聞き間違え」と言ってしまったためこの説が有力になっているということでした。 ガラスの靴って確かに歩きにくいだろうなぁと思いながら「何故ガラス?」と考えたこともなく、昨日は正解が出る前にもしかして中国の「纏足?」まで考えてしまいましたが💦毛皮の靴よりガラスの靴の方が確かにシンデレラストーリーをもっと華やかにしてくれる感があります。 因みに日本版シンデレラは「坪内逍遥」が書いた「おしん物語」で落としたのは靴ではなく扇子ということでした。「所変われば品変わる」です。
2022.09.17
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百田尚樹著「新版 日本国紀 上」は「古代から幕末」の歴史を分かりやすく解説しているだけでなく、学校の教科書では見た事が無い「目から鱗」の出来事やこれまで脚光を浴びなかった歴史上の人物の「こぼれ話」が随所にあり、歴史観が少し変わったのと日本という国が以前より好きになった気がします。 最高のゴシップネタとしては「秀吉の右手の指は6本あった」は実際にルイス・フロイスの記述の中にあるそうです。フロイスは信長を絶賛していますが、秀吉嫌いで容姿についても辛辣な表現をしています。秀吉による「朝鮮出兵」については2回目の「慶長の役」について教科書では「悲惨な闘い」で秀吉の死を機に全軍が撤退とありますが、明・朝鮮の軍を次々に打ち破ったという記録もあり「蒙古襲来」の時のように日本の軍事力はかなり優秀だったのではと思わされます。 そして私には一番衝撃だったのは室町幕府の3代将軍「足利義満(1358-1408)」が「上皇」の座を狙っていたという説です。将軍が天皇や上皇になろうとした例を私は知りません。1399年頃完成 シンガポール文明博物館の「ラッセル・ウオン 京都写真展」から「冬の金閣寺」 中国「明」との貿易で莫大な利益を得「金閣寺」を建て、室町幕府としては盤石な基礎を築いた将軍ですが「日本国紀~」の中で自分の妻を天皇の母親役にして次男の「義嗣」を天皇にし、自らは天皇の父として「上皇」の地位に就こうとした記録が残っていると紹介されています。 これがほぼ実現しそうになった1週間後に義満は謎の死を遂げていて、百田氏は暗殺説を取っています。鎌倉幕府から受け継いだ武士の政権も将軍の跡継ぎ問題も絡み、特に義満以降は盤石な基盤を築けないまま結局は戦国時代に突入してしまいます。 室町時代と言えば天皇が2人南朝と北朝から同時に立つという異例の事態も引き起こし、天皇も将軍も「万世一系」でいかに血筋を引き継いでいくことが大変だったか日本の歴史の特殊性を思い知らされます。 「日本国紀 下」は既に購入済みで「明治維新~平成から令和」までの8章です。特に「大東亜戦争」と「敗戦と占領」の章は百田氏がどのように歴史に切り込んでくれるか楽しみです。 本の帯には「私の心の中に1つの問いが浮かんで消えません。それはもし地球上に日本列島がなかったならばというものです」と執筆を終えた後の感想が書かれています。
2022.07.30
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昨日のNHK「歴史探偵」は鎌倉時代に2度に渡って大軍を派遣した「元寇(1274/1281)」についての考証でした。ちょうど今年塩野七海著「男の肖像」で「北条時宗」の元寇との闘いのみに費やしたような生涯や百田尚樹著「新版 日本国紀 上」でモンゴルの日本侵略を阻止出来たのは’決して「神風」のお陰ばかりでは無いというのを読んで「元寇」についてもっと知りたいと思っている時でした。 ネットの画像から(実はクローン) 番組ではモンゴルの騎馬軍が使っていた在来馬「モウコノウマ」に焦点を当てていました。佐藤二郎所長の「元寇って神風が吹いて勝ったんじゃなかったの~?」の一声から始まって、実物大のモウコノウマの模型の背に乗ってみると座り心地がかなり悪い事が分かり、騎馬軍は立った姿勢で乗りこなしていたという事にまず「ほぅ~」という感じです。 そして戦いのため数多くの馬が船で輸送され、その間に繊細で神経質な馬はストレスが限界まで達し、死んだり戦う事が出来なかった馬も少なくなかったのではと説明がありました。闘いの様子を描いた絵も紹介され、確かに馬に乗らずに戦っているモンゴル軍の姿が結構ありました。 13世紀、陸続きであるユーラシア大陸のほぼ全域を勢力下に収めた(クリミア半島も)モンゴル軍が苦戦した理由の1つが日本が海に囲まれた島国であるため兵器となる馬も船で運ばなければならなかった事、九州が上陸困難な地という「地の利」にあったという事には今更ながらに驚きです。 そして実際に神風(台風)が吹かなかったとしても本州からの数万の援軍が九州へ進軍中だったこと(到着前に闘いは終結)、モンゴル軍の兵糧が1ヶ月を切っていたことから日本の勝利は確定だったようです。 ただ祈祷を続け「敵国降伏」の額の奉納を行った朝廷の立場や権威を守るため、鎌倉武士団の奮闘を過小評価して「神国日本には神のご加護がある」という考えを広め、ある意味現代でも「神風による勝利」のような事が伝えられ続けているのは何だか日本という国の本質を見る気がします。 モウコウマを調べてみると本当に可愛い顔立ちでこんな馬が勇猛果敢に戦ったのかと思いますが、野生種は絶滅したらしく写真はネットからで「クローンのモウコノウマ」で出てきました。
2022.07.07
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百田尚樹著「新版 日本国紀 上(古代~幕末)」を昨日読み終えて、歴史上であまりスポットライトを浴びなかった人物や事件などが随所に書かれていて正に「目から鱗」でした。 その中の1つに安倍元首相が2016年に日本を訪れたプーチン大統領に帆船「ヘダ号」の絵を贈ったことが書かれていました。ヘダ号は私には初めて聞く名前で、時は幕末に遡ります。 造船されたのは現在の静岡県沼津市戸田(へだ) 清(中国)とのアヘン戦争(1842年)に勝利したイギリスやフランス、アメリカ等の船が幕末鎖国中の日本沿岸に頻繁に現れ開国を求める中、遅ればせながらロシアも日本と「日露和親条約」を1855年に結びます。 そして条約締結のため下田に「プチャーチン提督」がやって来た正にその時に「安政大地震」が起きます。下田の町は津波で大被害を受け、ロシアの船も壊れてしまいます。そんな中日本人とロシア人が助け合い被災者救助をしたりロシアのために日本史上初の西洋式帆船「ヘダ号」を造り上げたそうです。今の時代を考えると涙が出そうな人情深い話です。 そしてこの時の「日露和親条約」で「北方領土」が日本固有の領土であることを両国で再確認しています。この時の美談を安倍元首相はプーチン大統領も知識として持っているだろうとの思いでヘダ号の絵を手渡しのかと思いますが、その後北方領土問題が少しでも進展したというニュースは聞いていないので、もはやこのような「情」に訴えるやり方は通用しないのかなと悲しい思いもあります。 奇しくも今年7月1日は香港がイギリスから返還されて25年目で、香港がイギリスの領土になったのがアヘン戦争(1842年)の敗北によるものなので155年の時を経て中国へ返還されたことになります。 確か香港返還時のロシアの大統領はエリツィン氏で「北方領土返還」に関して前向きな姿勢を見せていたと記憶しています。それから25年、戦争によって奪ったり奪われたりした領土の問題がいかに解決するのが難しいか思い知らされます。 【追記】 まさかこの日記を書いた2日後に安倍元首相の死去のニュースが飛び込んでくるとは思いもしませんでした。心からお悔やみ申し上げます。テレビではプーチン大統領が哀悼の意を表する映像も流れました。改めて安倍元首相が「北方領土問題」の早期解決のため尽力していたかも知りました。 ただ今日のネットの記事には千島歯舞諸島居住者連盟の理事長が「結果として領土問題は前進しなかったが、首相在任中、熱意をもって領土問題を解決しようという気持ちは伝わって来ただけに、残念でならない」と死去を悼んでいます。領土問題の解決のための「一手」とはいかなるものかと考えさせられます。
2022.07.06
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ロシアのウクライナ侵攻のニュースは毎日流れますが、ロシアで5月9日がドイツナチス軍に勝利した「戦勝記念日」として大切な祝日になっていることを知った時は正直驚きました。今年でこの祝日は77回目ということになります。以前に読んだ「大前研一」氏の本の中で特に統一後のドイツの戦後処理や補償がいかに優れたものであるかを知ったのも「ナチス軍に勝利の日」に驚いた理由の1つです。 今回の侵攻がきっかけで第二次世界大戦やロシアの事をいろいろ検索すると、未だにロシアという国が第二次世界大戦の呪縛のようなものから解放されていないのかという気持ちになります。 第二次世界大戦の戦死者は6千万~8千万人で、そのうちの2千6百万人がソ連の戦死者で世界中で一番多いというのにも理由があるのかもしれません。戦勝記念日の3ヵ月前にイギリス、アメリカ、ソ連の3カ国会合「ヤルタ会談」でドイツに勝利した後「日ソ不可侵条約」を破って日本への対日戦線を公言しています。その時北方領土、朝鮮半島、台湾の領土についても取り決めがあったようです。その時アメリカはソ連に一人勝ちさせない「手」をあれこれ考えていたのかと思います。5月9日から3ヵ月後の8月9日には既にアメリカによって2度目の原爆が長崎に投下されていました。結局はソ連が考えた領土獲得のいくつかは頓挫することになり、しかも北方領土問題は解決の糸口もないまま現在に至っています。 改めて一昨年読んだ深緑野分著「戦場のコックたち」を「強い反戦のメッセージを持つ名著」として特に若い人達に読んで欲しいと思っています。5~6回日記に感想を書いたうちの「アンネ・フランク」の事を彷彿させる内容のところを再度アップします。確か今年「アンネ・フランク」家を密告したのは同じユダヤ人というニュースがあって、戦争中の悲劇を痛感させられました。 第二次世界大戦中のアメリカ合衆国陸軍、空挺師団パラシュート歩兵連隊隊員のティム(管理部付きコック)を主人公にした小説で第1章「ノルマンディー降下作戦」はドイツ軍に占領されていたフランス援軍のため、ドーバー海峡に面したコタンタン半島の小さな町イースヴィルに隊員たちがパラシュートで降り立つところから物語が始まっています。 第3章の「ミソサザイと鷲」ではフランスにパラシュートで降下し陸路でオランダに進駐した連合軍とドイツ軍隊の激しい攻防が描かれています。 オランダでも民間人の助け(住居の提供も含めて)を借りて戦いを続ける中、ティムの部隊は50代のオランダ人夫婦と幼い姉弟の4人家族の家を使わせてもらうことになります。 近所の家との温かい交流が感じられないその家の中の様子にティム達が違和感を覚えるうちにその夫婦は遺書を残しピストル自殺を図ります。その謎の言葉が入った遺書の謎解きにグリム童話の「みそさざいと熊」を引用しています。 夫婦が自殺をした直後に正体不明の人物がその家の付近から大声を発しながら通りに躍り出て、ドイツ兵に銃撃されてしまいます。その正体不明の人物は夫婦が地下に匿っていた娘で幼い2人の子供の母親でした。両親の自殺を目撃して償いの気持ちからそのような行動に出たことが分かります。そして彼女はユダヤ人を密告する等、何らかのドイツ軍と係わりを持っていたと推測され、一方彼女の父親と叔父はドイツ軍と戦うレジスタンス運動の一員でした。このような戦争被害に遭った家族がどれだけあったのかと思うと辛い気持ちになります。 ここまで読んでふと「アンネの日記」を思い出しました。アムステルダムに住むごくごく普通のユダヤ系ドイツ人のアンネ・フランクと一緒に隠れていた7人が密告によって強制収容所に連れて行かれ、8人のうちの唯一の生存者であるアンネの父親が周りの人達から勧められて出版した日記です。 密告され死に至った人達の悲劇と密告した人達が戦後抱えた心の傷は戦争が引き起こした「狂気」によるものとして簡単に片づけられるものではないと思います。
2022.05.20
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今まであまりフランス皇帝となった「ナポレオン1世(1769-1821)」について興味を持たなかったのですが、今読んでいる塩田七生著「男の肖像」の1人にナポレオン1世が取り上げられていて、その生い立ちや人生を知ると何だか人間臭いナポレオン1世の姿が見えて来ます。 「アルコル橋上のナポレオン」1796年 ジャン=アントゥアン・グロ エルミタージュ美術館蔵 フランス革命(1789年)後の混乱を収拾しヨーロッパ大陸の大半を勢力下に収め、1804年に皇帝として即位する前にナポレオンが「英雄」としてパリに迎えられる初戦となった対オーストリア戦争でのシーンを描いた絵です。何だか劇画タッチで描かれています。 「書斎のナポレオン」 ダヴィッド 「ナポレオン2世」 左が「男の肖像」の中に使われている絵で「吾輩の辞書に不可能という文字は無い」という私のイメージ通りの肖像画です。右はネットの画像のナポレオン1世の嫡男「ナポレオン2世」の肖像画です。病弱で21歳で亡くなったようで、人生の儚さを彷彿させる肖像画です。男系が絶えたため「ナポレオン3世」として後を継いだのはナポレオン1世の甥で、彼が最後の皇帝となりました。 昨年読んだ原田マハ著の「たゆたえども沈まず」の中にナポレオン3世の従妹でパリで豪華なサロンを開く「マチルド・ボナパルト」が登場し、俄然ナポレオン3世に興味を持つようになりました。大河「青天を衝け」の中でもパリ万国を表敬訪問する徳川家一行を出迎えるホスト役として登場し、去年の日記にナポレオン3世のことを何回か書きました。 「男の肖像 ナポレオン」を読んで一番驚いたのはナポレオンがかつてはイタリア所領だったコルシカ島生まれだったということです。有名な話なのかもしれませんが私は知りませんでした。そしてコルシカ島はナポレオンが生まれる3ヵ月前にフランス領になっているので所謂国籍としてはナポレオンはフランス人ということになります。 塩野七生氏はナポレオンはイタリア人的かフランス人的か?と疑問を投げかけていて、氏の答えは「イタリア人」です。理由の1つは「戦争の仕方」で、もう1つは「家族博愛主義」を挙げています。彼を除いて兄弟4人、妹3人の落ち着き先を見事に実行しています(長兄はスペイン王、妹の1人はトスカーナ大公夫人、弟の一人をオランダ王に等など) そしてオランダ王にした弟の妻にはナポレオンの先妻「ジョセフィーヌ」の娘を選び、嫡男がナポレオン3世(1808-1873)として即位するという徹底ぶりです。 イタリア語に「システマーレ」という言葉があって「就職先を見つけるとか結婚相手を探すための片付け」という文化・習慣がイタリアでは定着しているようです。 何となく平安時代の家族思いであった「平清盛」を思い出したりしますが、やはり長くは続かず「奢れる者は~」になってしまうのかとしみじみ思います。
2022.04.30
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昨年の4月に書いた日記ですが、ロシアのウクライナ侵攻が未だ続き「核使用」の不安がある中、改めてこの本の事を思い出しました。 半藤利一著の「昭和と日本人 失敗の本質」の中でチャップリンが監督、製作、脚本を手掛け、主演を演じた映画「独裁者」の中の台詞が紹介されていました。「独裁者」はオーストリア併合、ポーランド侵攻、ユダヤ人虐殺を行った「アドルフ・ヒトラー」の独裁政治を批判した作品で、第二次世界大戦の影響を未だ受けていなかったアメリカで1940年に公開されました。日本はドイツと同盟国だったため「独裁者」が公開されたのは1960年です。 「昭和と日本人~」の中に『映画の公開から24年後の1964年に日本政府(佐藤内閣)は米空軍参謀総長として来日した「ルメイ大将(第二次世界大戦中B29による日本の空襲を指揮した人物)」に「勲一等旭日大綬章」を贈ったというニュースに、映画「独裁者」の中の台詞「1人殺せば殺人者となり、百万人殺せば英雄となる」が胸に突き刺さるように蘇った』と書いています。 当時の日本政府の対応には大いに疑問符が付きますが、この言葉を借りるなら映画公開から80年も経った現代でロシアではプーチン氏は英雄になるのかとやるせない思いです。 そしてロシアがウクライナに対して勝利宣言を出したいとしている5月8日はソ連がナチスドイツに勝利した日です。その3ヵ月前の1945年2月の「ヤルタ会談」でソ連の「スターリン」はドイツ降伏後の3ヵ月後の8月に「対日参戦」を行うとルーズベルト大統領とチャーチル首相に明言しています。既に日本の敗戦は決定的で戦後処理としてドイツや朝鮮半島のように日本分割案の提示がソ連から出されていました(分割案はいくつかあるようですが、北海道分割というのもあります) アメリカとソ連の戦後優位に立つための駆け引きが続く中、アメリカは優位を確実にするためにソ連が日本本土に侵攻する前に原爆投下を決定します(ソ連が「満州国」に突然侵攻したのは8月9日で原爆は既に投下されていました) 言葉が適切ではないかもしれませんが、この箇所を読んだ時ソ連はアメリカに出し抜かれたという気もしました。その後の2国間の「冷戦」や現在のロシアとアメリカの関係も考えて長く尾を引くきっかけになったソ連にとっての事件なのかなと思ったりします。 日本の終戦に向けての和平交渉が遅々としていたことにも大きな原因がありますが、「北朝鮮」のニュースを見るにつけ、もしソ連によって日本分割が行われていたらと想像すると怖いものがあります。結局はアメリカの「核」の力によってかろうじて分割されなかった国として存続することになりますが、「核」という存在も含め大きな大きな宿題を現代の私たちに残しています。 「昭和と日本人~」の帯に書かれている「なぜ、戦争は繰り返されるのか」は正に「人間の本質」にある欲だったりエゴだったり防衛本能だったりするのかと・・。ただただ今の戦争を止めて欲しいという事と「唯一の被爆国」に生まれた国民として核の使用は絶対にしないで欲しいという気持ちだけです。
2022.04.28
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先月の日記に一度だけ立ち寄ったことがある北鎌倉の「東慶寺(縁切寺)」について書きました。その時検索して東慶寺は鎌倉幕府8代執権の「北条時宗」の妻だった「覚山志道尼」が1285年に開山したことを知りました。 北条時宗と言えば鎌倉幕府の全盛期で2度のモンゴル襲来(元寇)を打ち破っています。「元寇」とか「神風」という言葉はしっかり記憶にあっても、それが執権北条時宗の名前とは私には繋がっていませんでした。 「万願寺所蔵」(北条完宗像説が有力) 先週友人から「この本読む?」と渡されたのが塩野七生著「男の肖像」で5番目に登場したのが「北条時宗」でした。カバーの裏には「人間の顔は、時代を象徴する。幸運と器量に恵まれて、世界を揺るがせた歴史上の大人物たち・・」とあり、アレクサンダー大王、ジュリアス・シーザー・織田信長、ナポレオン等14人の中の1人として時宗が取り上げられていて、まず驚きました。 鎌倉時代の17代続いた執権職の8代目で1268年に17歳で執権になった年に「蒙古」から使者が来ています。そして33歳という若さで病死するまでの16年間のうちに2度の蒙古襲来を受け、それを「天運」のような神風のお陰もあり撃退しています。塩野氏の言葉通り「モンゴル一色に彩られた生涯」です。そして世界の中でもモンゴルに攻められて撃退した民族は日本人だけ、モンゴル軍の残酷さは筆舌に尽くしがたいものがあるようです。 時宗は1284年に亡くなる2年前北鎌倉に「円覚寺」を建て、元寇の戦死者を供養しています。そして亡くなった翌年に妻の覚山志道尼が同じ北鎌倉に「東慶寺」を建てています。命がけで国を守った夫への弔いの気持ちと思えば納得がいきます。そしてこのお寺が後に「駆け込み寺」として女性たちを救うお寺になるというのも何か面白い縁かなと思います。 因みに「北条時宗」は2001年の「大河」でした。残念ながら私は見ていないのですが、平均視聴率は18.5%で歴代大河の中で42位です。世界征服を目指すモンゴル帝国の日本襲来をCGを駆使して迫力あるシーンが描かれているようです。機会があれば是非見てみたいものです。
2022.04.25
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今年の本屋大賞の発表があったので、久し振りに「紀伊国屋書店」に行ってきました。新刊コーナーには既に大賞を受賞した逢坂冬馬著「同志少女よ、敵を撃て」が並べられていてこれも是非読みたい本の一冊ですが、文庫本になるのを待ちます。 文庫本を物色していると百田尚樹著「新版 日本国紀」が目に止まりました。「上・下」2冊の「上」は第一章「古代~大和政権誕生」から第七章「幕末」までで最初の数ページを立ち読みしました。 「序にかえて」に『日本ほど素晴らしい歴史を持っている国はありません。神話とともに成立し、以来二千年近く、一つの国が続いた例は世界のどこにもありません。これ自体が奇跡といえるほどです』と書かれていてグッと惹かれました。 続いて第一章の初めに『・・しかも古事記も日本書紀もただの作り話ではありません。そこここに考古学的な裏付けのある話がちりばめられているのです』とあり、ちょうど「記紀」のことを自分なりにもっと知りたいと思っていたので、ここまで読んでこの本を買いました。 そして昨年10月に放送された「ブラタモリ」の「淡路島」の回も思い出しました。神話の中でイザナキとイザナミが初めて国生みをした場所が「淡路島」で、なぜ「淡路島」なのかを地理的、考古学的に説明をしていて随分納得したのを覚えています。 下記は同じく10月に日記に書いた内容です。 最初は国生みがうまく行かず高天原の神々と相談した結果「大八島国(おおやしまくに)」をイザナミは出産します。その8つのうちの最初の1つが「淡道之穂之挟別島(あわぢのほのさわけのしま)」現在の「淡路島」です。「何故淡路島?」と思いましたが、本の中では特に説明はなかったので疑問はそのままになっていましたが、先週の「ブラタモリ」でかなり解明してくれました。①大阪湾に蓋をするように位置する淡路島が外敵から大和朝廷を護る要塞の役割となっていたこと。②地殻変動によって出来た淡路島を囲む海が4つの異なった海域を持つため魚の種類が非常に多く、 大和朝廷の食糧基地になっていたこと。③淡路島では優れた造船技術があり、弥生時代に既に朝鮮半島から鉄製品を作る最先端の技術を輸入し矢じりや小刀などが造られていたこと。③淡路島の伊弉諾(イザナギ)神宮の「陽の道しるべ」で夏至、冬至、春分・秋分の日の「日の出」や「日没」の方角が日本を代表する諏訪大社、出雲大社、伊勢神宮など日本を代表する神社や神宮と直線状の位置にあることが証明されていること。 「日本国紀」は読みやすい文体で書かれていて「序にかえて」の締めくくりに『ヒストリーという言葉はストーリーと同じ語源とされています。つまり歴史とは物語です。本書は日本人の物語、いや私たちの物語なのです」とあり、百田尚樹氏自身の大胆な解釈も加えられているようで「上」を読み終えて「下」を買いに行く日が今から楽しみです。
2022.04.09
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先週NHKの「びじゅチューン」でイタリア人画家「カラヴァッジオ(1571-1610)」が描いた「ナルキッソス」が紹介されていました。 ナルキッソスと言えば「自分しか愛せない」所謂「ナルシスト」という言葉が現代にも残るギリシャ神話に登場する人物です。 イタリア人画家と聞くとすぐレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)と年代を比較してしまいますが、ダヴィンチの生後100年後ぐらいに生まれた画家です。名前をどこかで聞いたことが・・と思っていたら「エルミタージュ美術館」で見た「リュートを弾く人」を描いた画家でした。美術館で見た時はこの絵が16世紀に描かれた絵とは思えないほど私には現代的に思えたのが印象に残っています。ニコライ一世の意思により建てられた「新エルミタージュ」に展示。1595年作 昨年買ったギリシャ神話「ふしぎな世界の神様たち 小沢章友著」では「ひたむきな恋のゆくえ」として「ナルシス」と「エコー(こだま)」が登場します。 おしゃべり好きな「ニンフ(妖精)」のエコーは、ゼウスの浮気に嫉妬する妻「ヘラ」にゼウスの居所を聞かれても自分のおしゃべりに夢中なことに腹を立てられ、「相手の言葉の最後の部分を繰り返すだけしか出来ない」という罰を与えられます。 そんな時エコーは森で美しい少年ナルシスを見かけ恋に落ちます。ナルシスの最後の言葉しか繰り返すことが出来ず上手く気持ちが伝えられない中、何とかナルシスを抱きしめますが却って嫌われてしまいます。エコーの姿は悲しみのあまり消えてしまい声だけが残ることになりました。 それを悲しんだ1人のニンフが「ナルシスも報われない恋をして苦しい思いを味わうように」と復讐の女神に祈願します。 「自分の姿を知ることさえなければ無事にナルシスは成長するだろう」との預言者の言葉通りに、ある日森の中の泉に映し出される自分の顔を見て恋に落ちます。そして叶わぬ恋の思いにナルシスはやせ衰え死んでしまいます。 ナルシスが死んだ後にそこから白い縁取りの薄紫色の花が咲き、その花を「水仙(ナルシス)」と名付けたようです。 水仙というと白と黄色が多いのですが、ネットの画像に薄紫色のがありました。
2022.03.14
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日本の友人が昨年の年始プレゼントの中に入れてくれた一冊が「塩田武士」著の「騙し絵の牙」でした。表紙の人物がやけに「大泉洋」さんに似ているなぁと思ったまま、読むのが後回しになって昨年の締めの一冊になりました。 原田マハ著「ロマンシェ」を読んでいた時は勝手に乙女心を持つ主人公「美智之輔君」を最初から最後まで「志尊淳」さんと重ねて読みましたが、最初から大泉洋さんの姿があると迷うことなく主人公「速水輝也」と大泉洋さんを重ねて読むことが出来ます。 「活字離れ」がいつから言われ始めたのか記憶にないほどですが、「電子書籍」の追い上げもあり「紙ベース」の出版物の危機や作家と編集担当者、編集社内での上司との駆け引き、忖度などの内幕をちょっと怖いほどリアルに描いています。 私自身は古いタイプの人間で読書は漫画も含めて「紙」に印刷された物をその手触り感も楽しみながら読みたいと思っているので「紙」の将来を考えてとちょっと寂しくなったりもしました。 ところで送ってもらった本の著者の知識が全くない時は、読み切ってから著者の事を調べるという楽しみが出来ました。検索すると「塩田武士」氏は「罪の声」という「グリコ・森永事件」をモデルにした小説を書き「山田風太郎賞」を受賞しています。こちらの紀伊国屋書店に置いてあった小冊子「試し読み」で途中まで読み、2017年の本屋大賞にノミネートされた作品であることを思い出しました。著者が小説家になる前の新聞社勤務で身に付けた「圧倒的な取材力」の経験は「騙し絵~」の中でも主人公の前職のエピソードとして描かれています。 昨年はNHK「SONGS」の司会役の傍ら(?)「山崎育三郎」さんと「尾崎紀世彦」さんの「また会う日まで」の熱唱、紅白では「細川たかし」さんと「北酒場」をデユエット、大河ドラマでは「頼朝役」、映画では「騙し絵の牙」や「浅草キッド」など、大泉洋さんの勢いが止まらない感があって、我が地元のヒーローとして今年の大活躍も大いに期待しているところです。
2022.01.26
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一昨年の11月に書いた日記ですが、写真が消えてしまったので内容を修正してアップします。 イギリスの作家「サマセット・モーム」がラッフルズホテルに滞在して執筆した「月と6ペンス」の1ページ目を開くためにラッフルズホテルに行って来ました。 Beach Road(ビーチロード)に面したホテルの正面玄関にはコロナ禍以前と同じくトレードマークのようにインド人傭兵の姿をしたドアマンが笑顔でお客様を迎えていましたが、宿泊客とレストランの予約客のみホテル内に入ることが出来るということでした。 ただCourtyard(コートヤード)と呼ばれるホテルの中庭に面したショップ、カフェ、バーなどは自由に出入りが出来るということなので、そちらの方に行ってみました。2019年に2年かけての改修工事が終了し、壁の白さが以前より際立っているように見えました。 カクテル「シンガポール・スリング」発祥で有名な2階の「ロング・バー」で1ページ目をとも思いましたが、残念ながら閉店中で結局コート・ヤード内のカフェ&バーに落ち着きました。 程よいBGMのボリュームと不思議とここに吹く風は爽やかで心地が良いです。 本のお供に「ロゼワイン」を注文しました。「月と6ペンス」がフランス人画家ポール・ゴーギャン(小説の中ではイギリス人画家ストリックランド)の人生をモデルにして書かれたという情報がなければもしかして読むこともなかったかもしれません。 シンガポールの紀伊国屋書店では「金原瑞人訳 2014年」のみが売られていて(サマセット・モームの原作は1919年の出版)、先に金原氏の「後書き」を読むと『作者(サマセット・モーム)も言っているようにポール・ゴーギャンにヒントを得て書かれたものだが、ストリックランドとゴーギャンに共通するものは少ない。ストリックランドは「月と6ペンス」の主人公であり、それ以外の何者でもない』とあります。 ゆっくりとページをめくっていくと、もう一人の主人公の小説家である「私」の『素人に絵は分からないとか、気に入ったなら黙って金を出せばいいとかいう思いあがった画家たちの言葉に賛成するわけにはいかない。それは、芸術に専門的な技術のみを求める馬鹿げた言いぐさだ。芸術とは、情感の表現だ。そして情感とは、だれもが理解できる共通言語だ』の台詞が出て来ます。何かちょっと挑戦的な感じもする言葉で物語の進行に期待が大きく膨らみました。 果たしてイギリスからフランスに渡ったストリックランドが彼の最終地となるタヒチでどのようにして芸術の高みに上り詰めることが出来たのか・・。「月と6ペンス」を読む前はゴーギャンの絵にさほど興味を持つこともなかったのですが、今はストリックランドの人生を通してゴーギャンの絵は私にはとても興味深いものになっています。「椅子の上のひまわり」ゴーギャン 1901年 エルミタージュ美術館蔵『アルルを離れてから10年以上も後にタヒチでゴーギャンは「ひまわり」を描く。この花が亡き友人への思いを表していることは確かだろう。ひまわりが載っている肘掛け椅子は、ゴッホがアルルで用意したものとそっくりである』(週刊美術館「ゴッホ」から)因みにタヒチではひまわりは咲かないのでゴーギャンはフランスからひまわりの種を取り寄せたそうです。
2022.01.20
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親子3代の100年の物語「カムカムエブリバディ」は安子の娘「ルイ」がやっと両親との思い出の曲「On the Sunnyside of the Street」に出会いました。 朝ドラを見ているうちに3年ほど前に読んだ湊かなえ著の「花の鎖」を思い出しました。日本の友人からのサプライズプレゼントに入っていた一冊で、湊かなえ氏が「告白」で有名なミステリー作家と知っていてもそれまで一冊も読んだことがありませんでした。 「美雪」「沙月」「梨花」の3章(雪月花)からなる物語が「祖母」「母」「私」という3世代の繋がりを描いたものだというのを私は途中までは全く気が付かず、だからこそ計算され尽くしたような展開に新鮮な驚きがありました。 小説の内容は思い出せない箇所も多々あるので、検索してあらすじを読んでみると読み終わった時の感動が蘇ってきました。「コマクサ」 ネットの画像から。 山をこよなく愛する湊かなえ氏らしい山の景色や高山植物も描かれ、その中でキーワードのように出てくる「コマクサ」は私には初めて聞く花の名前で、すぐ調べずに頭の中でその色や形を想像して読み進めました。読み終えて、こちらでお世話になっている長野県出身の方に「コマクサという花を知っていますか?」と聞くと「知ってますよ」と即答で携帯の画面ですぐその花を見せてくれたのにも驚きました。「八ヶ岳」にも咲く「高山植物の女王」を知らない訳がないという感じでした。 物語の中でのもう1つの花のシーンは夫を山での不慮の事故で亡くした祖母の美雪と両親を同時に亡くした孫の梨花が2人で慎ましい生活を送る中でも、美雪が「花」を買いそれを家の中に飾る習慣が描かれ、物語を通して湊かなえ氏の花に対する深い愛情を感じました。 そして3世代の女性たちが暮らした町の和菓子店「梅香堂」の「きんつば」は物語のアクセントのように登場して、「カムカム~」と同様に切なくても大切な思い出にはやっぱり「小豆」・・と餡子好きの私は思ってしまいます。
2022.01.05
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大河「鎌倉殿の13人」で主役「北条義時」の姉「北条政子」を「小池栄子」さんが演じています。 平氏との戦いに敗れ、伊豆に流されていた「源義朝」の嫡男「源頼朝」に一目惚れをし周囲の反対を押し切って駆け落ち婚に近い形で結婚したというのを何かの本で読みました。 そして今でも政子は余り名誉とは言えない「日本3大悪女」の1人に名前が挙げられています。大河で頼朝を演じる「大泉洋」さんもテレビで「頼朝の愛人宅に火をつけるほど嫉妬深く激情タイプの結構怖い女性」と政子についてコメントしていました。頼朝も弟の義経を殺害していますが・・。 実際に悪女と言われる所以は頼朝の死後、2代目将軍を継いだ嫡男「頼家」の政治的能力に疑問を感じた政子が彼を出家させ、次男の「実朝」を3代目将軍に就任させたことによるようです。 結局逆恨みした頼家の子「公暁(くぎょう)」が実朝を殺害して頼朝の血筋は3代で途絶えてしまいます。 3大悪女の2人目は室町時代8代将軍「足利義政」の正室「日野富子」です。政治にほとんど興味がなく「幽玄・わび・さび」に代表される「東山文化」生み出すほどの文化好き、趣味に明け暮れる夫に代わって政治の表舞台に立ち、関所等を作って資金を作り出し、嫡男を将軍職に就けるために結局は「応仁の乱」まで引き起こす原因も作ります。 「永井路子」著「銀の館」は随分前に読みましたが、今でも記憶に残っています。女性の目を通して様々な苦難に立ち向かい奮闘する日野富子を描き、決して悪女を感じさせません。 最後の3人目はやはり「淀君」です。3人の共通点は政治の表舞台に立ち政権を守ろうとした女性です。昨今の「女性が活躍する社会に」のスローガンを考えると、奮闘した女性たちへの悪女というレッテルも既に過去の遺物なのかなぁと・・。
2021.12.29
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下記は2021年の12月に書いた日記ですが、今朝NHKの「皇居から中継 新年一般参賀」で愛子さまが成年皇族として初めて一般参賀に臨まれた事を知り穏やかな表情を見てホッコリした気持ちになりました。「文春オンライン」で来年1月発行の「文芸春秋」の記事が一部公開されていました。タイトルの「愛子天皇は実現するのか?」は私もとても興味があり、実現して欲しいなぁと思っています。その中に歴史の中に存在した女性天皇を「10代8方」という言葉で表現していました。 気になって調べてみると33代天皇の「推古天皇(在位592-628)」に始まって117代の「後桜町天皇(在位1762-1770)まで10代の天皇(名前を変えて2回天皇に即位しているのが2人なので実質的には8人)というのが分かりました。 33代目として初めての女帝「推古天皇」が誕生した背景に32代目の「崇峻天皇」の暗殺があったことを「あらすじとイラストで分かる古事記・日本書紀(文庫ぎんが堂)」を読んで初めて知りました。 6世紀に朝鮮半島の「百済」から日本へ伝わった仏教を巡って崇仏派の「曽我氏」と排仏派の「物部氏」との戦いがあり、曽我氏の勝利によって朝廷内の権力が曽我氏に集中することになります。 それに対して徐々に不快感を募らせていった32代目「崇峻天皇」は蘇我馬子の殺害を暗示するような事を言ってしまい、逆に蘇我馬子に暗殺されてしまいます。 33代目として白羽の矢が当たったのが「推古天皇」です。天皇家との姻戚関係の多さ(夫は30代目の敏達天皇)以上に推古天皇の母方に曽我氏の血筋を持つとことが即位の決め手になったようです。 1万円札にも登場した「聖徳太子(日本書記には聖徳太子という名前は存在せず、現在は厩戸皇子(うまやどのみこ)の名前が一般的だそうです」は推古天皇の甥で政治を力強くサポートしたようです。 推古天皇の後を継いだ34代目「舒明天皇」の即位にも曽我氏の陰謀があり、35代目はその舒明天皇の皇后「皇極天皇(在位642-645)」が即位し2人目の女性天皇となりました。「乙巳の変」の様子と左上が「皇極天皇」 権力が益々集中する曽我氏に対して「中臣鎌足」と「中大兄皇子(舒明天皇と皇極天皇の皇子)」が共に645年に教科書にも出てくる「大化の改新」に繋がる「乙巳の変(クーデター)」を起こします。 クーデターの2日後、皇極天皇は中大兄皇子に皇位を譲ろうとするけれども、執拗に辞退しで皇極天皇の弟が36代目「孝徳天皇」として即位し、皇極天皇は歴史上初めての「生前退位」を行いました。 中大兄皇子は政敵の粛清も厳しく行い、徐々に傀儡化した孝徳天皇は失意のまま亡くなってしまいます。またしても周りは中大兄皇子に天皇即位を勧めるもののよっぽどの事情があるのかまたしても辞退です。そして母であり35代目天皇であった皇極天皇が新たに37代目「斉明天皇」として即位することになります。 歴史上あまり耳にしない天皇の名前でしたが、生前退位や初めての「重祚(ちょうそ・退位した天皇が再び即位する」という意味では大きく歴史に残る女性天皇です。 奈良時代にも同じく重祚の女性天皇が存在し、江戸時代には2人女性天皇が存在していました。どのような経緯で天皇に即位したのか興味深いところです。 ところで文春オンラインの記事にマスコミの調査で国民の80%が愛子天皇を支持とあります。上皇ご夫妻がお元気なうちに決められるべきというのと女性天皇を認めて「長子優先」ということになれば男の子を生まなければというプレッシャーからも解放されると締めくくっています。今年は皇室のスキャンダル記事もかつてないほどに多かったので、来年はちょっと明るい皇室のニュースが聞きたいなぁと思っています。
2021.12.21
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今年は太平洋戦争開戦から80年目となるため「真珠湾攻撃」を行った12月8日の前後はNHKで特集番組やニュースの中で「戦争の悲惨さ」を多く伝えていました。 その中で太平洋戦争中に撮影された白黒写真を色彩画像にし、当時の様子(特に顔の表情)を読み取るというのがあり、その写真の1枚が旧海軍士官で特殊潜水艦に乗っていた「酒巻和男」氏の写真でした。 普通の肌色になった目の下にいくつか目立つ黒い痣のようなところを「自分でタバコの火を押し付けた跡」とキャスターの説明がありました。 戦争当時、敵の捕虜になることは最大の恥であり自殺も出来ない状況であれば、せめて捕虜になったことで日本にいる家族に被害が及ばないように自分の写真が公開されても本人だと分からないようにと悲壮の覚悟でやった行為だと知りました。 ニュースを見てすぐ思い出したのはこちらで譲り受けた本で昨年読んだ山崎豊子著の「約束の海」です。2014年に単行本が出ましたが、元々は3部構成であったものが2013年に後半のメモを残したまま山崎豊子氏が亡くなってしまったため1部のみの刊行となりました。未完の絶筆とも言われています。 物語は「酒巻和男」氏をモデルにした「花巻和成」の次男「朔太郎」が防衛大学卒業後、海上自衛隊員となり、乗り組んでいた潜水艦が民間の遊漁船と起こした海難事故と後に妻となる音楽家の女性との恋愛を織り交ぜて進んでいきます。 特に事故を起こした時に「自衛隊」という職業に対する国民の不信感のような物が分かりやすく書かれていて、私自身も「自衛隊の存在」を考える良いきっかけになりました。 その中で捕虜時代に培った英語で仕事に励む寡黙で過去についてあまり話したがらない父親の姿も描かれています。息子が海上自衛隊に入ることを決意したことへ「賛成」でもなく「反対」でもなく、ただ戸惑いの気持ちをほぼ言葉を使わずに表現しているのが印象的でした。 山崎豊子氏の構想としては2部は「ハワイ編」で主人公の朔太郎がハワイへ派遣され、そこで父の過去へと遡るという内容だったようです。ここを氏による文章で本当に読みたかったです・・。「生きて虜囚の辱を受けず・・」を叩きこまれ、或いは叩き込んだ当時の教えの怖さを思い「戦争」は「百害あって一利なし」を痛感させられます。
2021.12.15
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昨年の11月に書いた日記ですが、写真が消えてしまっているので内容も修正してアップします。「金原瑞人訳」2014年出版 フランス生まれのイギリス人作家「サマセット・モーム(1874-1965)」がシンガポールのラッフルズ・ホテルで執筆した「月と6ペンス(1919年出版」が画家「ゴーギャン」をモデルにしていたと知り、ホテルの中庭にあるカフェ&パーへ1ページ目を開けるために行きました。 まず、サマセット・モームの芸術に対する本音のような言葉を小説の主人公である「私(小説家)」か語ることから始まります。 「素人に絵は分からないとか、気に入ったなら黙って金を出せばいいとかいう思いあがった画家たちの言葉に賛成するわけにはいかない。それは、芸術に専門的な技術のみを求めるばかげた言いぐさだ。芸術とは、情感の表現だ。そして情感とは、だれもが理解できる共通言語だ。」 「月と6ペンス」では「ストリックランド(ゴーギャンがモデル)」はフランス人ではなくイギリス人で画家になるために家族(妻と2人の子供)を捨て単身パリに行く話になっています。 ストリックランドに捨てられた妻の依頼を受けた「私」がパリにいる彼を探し出し、小説を書くネタのためにも彼の「人物観察」を続けることになります。「ゴッホ」を思わせるオランダ人画家「ディルク・ストルーヴェ」も登場し、絵を描く才能はないけれど絵を見る目は一流の人物で性格は根っからの道化者として描かれています。 ストリックランドの性格は前半は特に「無情に友人の信頼を裏切る」とか「他人の不幸も気にかけず平気で自分の気まぐれを満たす」とか並みの人間には信じられない冷血のような人物として描かれ、おまけにストリックランドに尽くしたディルク・ストルーヴェの妻も奪ってしまうことになります。 タヒチ島に渡る件はゴーギャンの人生通りですが、ここからのストリックランドの全魂を捧げ、絵を描くことに取付かれた情熱が描かれた箇所は圧巻です。そして病に倒れた時に現地の妻に託した言葉と死に様には、後世に「天才ゴーギャン」の名を残すことを彷彿させます。「果物を持つ女」ポール・ゴーギャン 1893年「エルミタージュ美術館蔵」 それまではあまりゴーギャンの絵を興味を持って見ることは無かったのですが、今はもっとゴーギャンの深みを知りたいと思っています。文庫本はシンガポールの日本人学校に今年寄贈しました。
2021.11.10
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「本好き」としては嬉しい特集でした。冒頭で「40代の人が1日2ページ」の読書で「記憶力が20代に!」と読書効果のアピールがありました。 漫画よりは活字のみの方が集中力を高め脳全体を使うためさらに効果があるようです。また2ページほどの「音読」でさらなる効果があるようで、これは今日から試してみようかなと思っています。 「読書」を習慣として続けようと思ったきっかけはずっと以前に「読書することによって様々な年代の人と会話が楽しめるようになる」という言葉に出会ったためで、これは確かに実感します。 また以前に健康法の1つとしてテレビで「図書館に通って読書する」というのがお薦めというのも見ました。時間的に余裕がある人に限られるかなと思いますが、まず図書館通いという「運動」と読書によって「脳の活性化」という2重の効果があると説明があって「なるほど」と納得しました。 今朝の番組の中で視聴者からのファクスで紹介されたお話です。『夜間学校の学生だった時、机の中に昼間の学生が置き忘れた一冊の本を見つけ、読みたくなってその本の上に「読んでもいいですか?」と手紙を置きました。次の日に「どうぞ読んでください」と返信が置かれていて今でも忘れられない思い出です』こんな風にして出会った本は忘れられない一冊なんだろうと思います。 私が今読んでいる「城山三郎」氏の「落日燃ゆ」は以前にシンガポールで駐在員だった方が本帰国の前に50冊ほどの本を手渡してくれた中の1冊で、私にとってもこういう本との出会いは生涯忘れられない物になるだろうと思います。そして「昭和史」をもっと知りたいという1つのきっかけになっています。 「落日燃ゆ」は終戦後に「A級戦犯」となり死刑判決を受けたたった一人の文官「広田弘毅」の人生を描いたもので、読むのが辛い重たいシーンもありやっと今日読み終わりそうというスローペースとなってしまいました。 重たい、軽い内容に関わらず読書の楽しみを盛り上げてくれるのは今はブックカバーです。始まりは友人が送ってくれた「中川政七商店」の麻製のブックカバーでした。旅行中もいつでも持ち歩いていて擦り切れるまで使ってしまいました。 日本から送ってもらった牛乳パックを主原料にした「紙すきたい」のカレンダーはさらにリサイクルとしてブックカバーに使いました。本のサイズに合わせて四隅をカットするだけです。心地よい手触り感とちょうど一冊読み終わる頃に綻びが出てくるのも気に入っています。 姉が今年送ってくれた布製の手作りカバーで、中央がコミック用、左右が文庫本用で本の内容を考えてカバーを選んだりします。 番組の中で個人書店の方が考えたアイデアたっぷりの紙製のブックカバーとそれに合わせた栞が紹介されていて、それを見た人が「このブックカバーに合う本を探すのが楽しみ!」というコメントもありました。 現代ならではの電子書籍やSNSでのお薦め本効果など読書模様が紹介されていて、正に日本は「読書の秋」と思いました。残念ながらシンガポールには秋はないけれども暑さの中でも「記憶力」アップの効果も狙って毎日の読書を続けようと気持ちを新たにした次第です。
2021.10.11
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今年4月に「古事記・日本書紀」を読み始めたきっかけは、読書通の方から「面白いから絶対に読んだ方が良いですよ」とお薦めがあったからです。その時思ったのは「どうしてそんなに面白い本を私は読もうとも思わなかったんだろう・・」ということです。 出来るだけ簡単に理解出来そうな「あらすじとイラストでわかる古事記 日本書紀」を選びました。 「天武天皇」の時代、8世紀に編纂された古事記と日本書紀(記紀)は「大和朝廷」における天皇の権威を高めるために書かれたようです。 「記紀」は神々が住む「高天原」で神世7代の最後に生まれた「イザナキ」と夫婦の契りを結んだ「イザナミ」が「国生み」を行うところから始まっています。 最初は国生みがうまく行かず高天原の神々と相談した結果「大八島国(おおやしまくに)」をイザナミは出産します。その8つのうちの最初の1つが「淡道之穂之挟別島(あわぢのほのさわけのしま)」現在の「淡路島」です。「何故淡路島?」と思いましたが、本の中では特に説明はなかったので疑問はそのままになっていましたが、先週の「ブラタモリ」でかなり解明してくれました。①大阪湾に蓋をするように位置する淡路島が外敵から大和朝廷を護る要塞の役割となっていたこと。②地殻変動によって出来た淡路島を囲む海が4つの異なった海域を持つため魚の種類が非常に多く、 大和朝廷の食糧基地になっていたこと。③淡路島では優れた造船技術があり、弥生時代に既に朝鮮半島から鉄製品を作る最先端の技術を輸入し矢じりや小刀などが造られていたこと。③淡路島の伊弉諾(イザナギ)神宮の「陽の道しるべ」で夏至、冬至、春分・秋分の日の「日の出」や「日没」の方角が日本を代表する諏訪大社、出雲大社、伊勢神宮など日本を代表する神社や神宮と直線状の位置にあることが証明されていること。伊弉諾神宮を中心とした「太陽の運行」 国生みの最初の土地が淡路島であることを納得させてくれる内容でした。改めて偶然の地殻変動などにより生まれた「美しい国 日本」が誇らしいと思いました。 戦後、古事記や日本書紀を学校で詳しく教えるということはなくなりましたが、「神話」を交えながらも日本のルーツを正しい形で伝えることの大切さをしみじみ感じます。
2021.10.03
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小沢章友著「ギリシャ神話 ふしぎな世界の神様たち」20話の最後は「ギリシャ神話のロミオとジュリエット」でした。最後の「ひとくちメモ」にはこれをもとにしてイギリスの文豪「シェークスピア」が戯曲「ロミオとジュリエット」を書いたとあり驚きました。 シェークスピアの「ロミオとジュリエット」の舞台はイタリアの街「ヴェロナ」で恋する2人は当地の名家の出ですが、ギリシャ神話では舞台は「バビロニア(現在のイラク辺り)」で悲劇の2人は普通の家に生まれた2人で家が隣りという設定です。 バビロニアで最も美しい青年「ピュラモス」ともっとも美しい乙女「ティスペ」の両家はもともと仲が悪かったため、2人は家を隔てる石の壁の割れ目からお互いの気持ちを通わせ合っていました。 そして募る気持ちを抑えられず2人は郊外の「ニノスの塚にある桑の木」のあるところで落ち合う約束をします(駆け落ちという説もあるようです) 先に「桑の木」に到着したティスペはそこで運悪く獲物を既に食べ口を血だらけにしたライオンと鉢合わせしてしまいます。そしてライオンから逃れるため岩の窪みに向かっている時に落としてしまった彼女のべールをライオンは血の付いた口で引き裂きその場に残して森に帰ってしまいます。 その後に到着したピュラモスは血だらけのベールとライオンの足跡を見ててっきり彼女がライオンに殺されてしまった思い、桑の木までベールを持って行きその場で剣で自殺してしまいます。 桑の木の所に戻った「ティスペ」のとった行動や両家が悔い改めて仲良くなるというのはシェークスピアの「ロミオとジュリエット」とほぼ同じ内容です。 この世で結ばれることがなかった2人の流した血が桑の実を赤く染めたと締めくくられています。 シェークスピアの作品の偉大さから実は複数の人間が書いていたのではという説もありますが、ロミオとジュリエットのようにもとになる話も存在しているとなるとやっぱりシェークスピアは1人で「ハムレット」や「マクベス」や「リア王」や「夏の夜の夢」等々を書いたのかなぁと思います。 因みに2002年調査の「100名の最も偉大な英国人」の第5位がシェークスピアでした。
2021.08.24
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歴史探偵を自認する「半藤一利」氏と東京大学大学院人文社会系研究教授の「加藤陽子」氏との対談による「昭和史裁判」の第一章は「広田弘毅」です。 広田弘毅は「東京裁判(1946-48年)」でA級戦犯となり死刑判決を受けた7人のうちただ一人の「文官」で、「昭和史裁判」の中では加藤陽子氏が仮想裁判で弁護する立場になって、実際の裁判では11人の裁判官のうち5対6で死刑が執行された広田弘毅を死刑台から引き戻すことが出来るかというテーマになっています。 そのため半藤利一氏と加藤陽子氏は広田弘毅が外務大臣、首相を務めた際に起きた事件から人物像や「これは最高刑に相当する」かどうかを細かく検証していきます。 そして広田弘毅の人生を描いた城山三郎氏の「落日燃ゆ」が紹介されていました。タイトルは聞いた記憶があってもそれが広田弘毅の人生を描いた本だと私は知りませんでした。1974年に刊行され、2回テレビドラマ化もされていました。 同著によって多分に美化され同情を集めた感があるようですが、城山三郎氏は作家の「大岡昇平」氏の助けにより広田弘毅の三男で戦中、総理秘書官を務めていた「正雄」氏に直接インタビューも行って書かれたとあります。 それが先日、偶然本棚を整理していて2009年版(57刷改版)の文庫本を見つけました。誰からいつ譲り受けたのかもちょっと記憶が・・・という感じですが、第一章の「広田弘毅」を読み終えたらすぐ読もうと思っています。 今日は76回目の「終戦記念日」でこの後やはり黙祷をささげ、天皇陛下や首相のスピーチを聞こうと思っています。ふと100回目まであと24年なのだと思いました。「靖国神社問題」など蓋をされたままの戦争が残したものについて果たして100回目までに特に戦争で被害を与えた国々の理解を得る対応が出来るのかと思います。 来星してすぐのころに元小泉首相が公人として「靖国神社」を参拝したというニュースで、確か中国で日本人が襲われたというニュースに心底驚きました。その時からもうすぐ20年という月日が流れます。時が経つのは速いということを痛感させられます。
2021.08.15
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小沢章友著「ギリシャ神話 ふしぎな世界の神々たち」の一篇「死の国の女王」の内容です。 全知全能の神「ゼウス」の弟「ハデス」は「死の国」の王でした。暗闇の王国で暮らすハデスはあまりの寂しさに「妻」が欲しいと思うようになりました。 そして白羽の矢が当たったのが豊穣の女神「デメテル」の美しい娘「コレ―」でした。花畑で夢中になって花を摘んでいる時にハデスに死の国に連れ去られてしまいます。 コレ―の悲鳴を聞いた母デメテルは娘を探し回り、太陽神の「ヘリオス」から娘を連れ去ったのはハデスであることを伝えられます。 絶望したデメテルは大地を呪い、その結果大地は乾き切り作物は育たなくなってしまいます。これを心配したゼウスは虹の神「イリス」にデメテルの説得をお願いします。 「大地を元に戻して欲しい」というお願いに対して、デメテルは「娘を返してくれるなら考えましょう」と答えます。 ゼウスの使者となったヘリオスが死の国に向かいハデスを説得します。妻を返すことを約束したものの一つだけ願い事をします。それは「妻が必ずここに戻ってくる」ということでした。 そして戻ってくるために妻に「赤いザクロの実」を食べさせます。死の国で食べ物を口にした者は必ずここに戻って来なければならないからです。 ここで「古事記」の中の「国生み」をしたイザナキとイザナミの事を思い出します。「黄泉の国」に行ってしまったイザナミは黄泉の国で食べ物を口にしたため地上世界には戻れないことになっていました。しかし地上に連れ戻したいイザナキの説得に負け「黄泉の国の神々」に地上世界に戻る許可を求めようとします。しかし許可を求める姿を絶対に見ないで欲しいと伝えたイザナミとの約束をイザナキが破ったため、イザナミは結局黄泉の国に留まることになります。 ギリシャ神話の中では死の国と地上世界の往来が自由に出来るようで、1年のうち8ヵ月をコレ―は母と共にオリンポスで暮らし、残りの4ヵ月を死の国で暮らすことになり、この4ヵ月を「冬」としたそうです。
2021.08.12
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去年「古事記・日本書紀」を初めて手にして、その中のいくつかにギリシャ神話との類似点があると知り、簡単に読める「ギリシャ神話」の本をシンガポールの「紀伊国屋書店」で購入しました。 名前は知っていても私は具体的な事を知らなかったなぁとまずは「パンドラの箱」です。 全知全能の神「ゼウス」は人間に火を与えた「プロメテウス」に永遠に苦痛を与える罰を与えます。そして火を受け取った人間にも罰を与えるために鍛冶の神の「ヘーパイストス」に「人間の女を創ること」を命じます。 美や音楽などを神々から与えられ「パンドラ」と名付けれた彼女は最後にゼウスから一つの箱を与えられます。そしてタブーの言葉再びです。「パンドラ、これは、決して開けてはいけないものだぞ。よいな」と。 その箱にはプロメテウスから与えられた「天の火」で他の動物たちを支配しようとしている人間に警告を発するという企みが込められていました。 「見るな」と言われると余計見たくなる人間の「弱さ(性)」でパンドラは好奇心が抑えられず箱を開けてしまいます。そこから現れたのは「病」「怒り」「苦しみ」「痛み」「嘆き」「妬み」「恨み」「復習」「殺意」などの災いでした。キリスト教の「7つの大罪」とブラッド・ピット主演の映画「SEVEN」を思い出します。 そして「お願いです。私を外に出してください」とパンドラの箱の底からかすかな声が聞こえ、覗くとひっそりと「希望」が残っていたで締めくくられています。 そして箱繋がりで思い出すのが浦島太郎の「玉手箱」です。調べてみると浦島太郎(浦嶋子)の記述は720年に完成した「日本書紀」の中の「雄略天皇」の条に具体的に478年7月と書かれているようです。「あらすじとイラストでわかる古事記・日本書紀」では21代目「雄略天皇」の時代は泥沼の皇位継承争いを経て平穏な治世とあります。 浦嶋子が海に釣りに出た際に大亀を捕らえ、女人に化けたその大亀を妻として2人は海中にある「蓬莱山(とこよのくに)という所謂「異界」に行き、幸せな時を過ごしたり遍歴して仙人たちに会ったと書かれているようです。 明治時代になって現在の昔話の形になり、望郷の思いに駆られた浦島太郎に乙姫が玉手箱を与え「決して開けてはいけない」と伝えます。開けてはいけないのタブーを破った浦島太郎に対する教訓話というのが通説のようですが、元々は異界と人間界という時間の進み方が全く違う世界での恋愛物語で、玉手箱に入れた物は浦嶋子の「魂」でそれを箱の中に入れて守れば体も守ってくれるという愛の贈り物だったようです。 その意図が分からず、人間界に戻り誰一人知った人がいない中で寂しさが募り、また好奇心からも箱を開けてしまうというのは「浦島太郎」も「パンドラの箱」と同じように「人間の弱さ」を浮き彫りにしたという点では共通なのかな
2021.08.07
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「ギリシャ神話」の「オルフェウスとユーリディケ」で「黄泉の国」に妻を連れ戻しに行ったオルフェウスは「決して振り返って妻の姿を見てはいけない」と忠告を受けます。 同じように「古事記」の中で妻の「イザナミ」を黄泉の国に連れ戻しに行った「イザナキ」は「地上世界」に戻るため「黄泉の国の神々」の許しを請うために奥へ入って行くイザナミから「絶対に中を覗かないで欲しい」と忠告を受けます。 イザナキとイザナミは古事記で日本列島や神々を生んだ男神と女神として描かれ、イザナミが出産した島は「大八島国」と呼ばれているので、アジア大陸と日本列島の間に海が出来た1万年前ぐらいを想定した神様なのかなと想像します。「あらすじとイラストで分かる古事記・日本書記」ではイザナキとイザナミの国生みの際の言葉の掛け合いから、その時既に「男尊女卑」の考え方があったと指摘していますが、ギリシャ神話ではオリュンポスの神々が男女6人ずつというところからも「男女平等」だったのではという印象を受けます。 「黄泉の国」と「見るなのタブー」は「オルフェウス~」と「イザナキ~」では共通していて興味深いですが、それ以外については内容は随分違っています。 日本列島を生み出した後に神々を出産し続けたイザナミは命尽きてしまい「黄泉の国」に行きます。そこで既に食べ物を口にしたイザナミは地上へは戻れないと知りつつ、イザナキは「一緒に国造りを続けよう」と懇願します。「黄泉の国の神々」に地上世界に行く許しを得るために奥に入っていくイザナミはイザナキに「絶対に中を覗かないで」と忠告を与えます。 待ちきれないイザナキが中を覗くとそこにはイザナミの変わり果てた姿(腐乱した死体)が・・・仰天したイザナキは醜い姿を見られ激怒したイザナミや鬼女から追いかけられ何とか、黄泉の国と地上世界の境に巨大な岩を置き道を塞いで逃げ切ります。これによって「生」と「死」の世界が完全に断絶されることになったとあります。 「オルフェウス~」があくまでも愛する妻との永遠の愛を貫くためのロマンティックな物語に対して「イザナキ~」は国造りから「生と死の世界の断絶」まで広いテーマで描いています。 5世紀には中国を通して日本に伝えられたと言われる「ギリシャ神話」が8世紀に編纂された「古事記・日本書紀」に何か影響を与えたのかどうか、キリスト教やイスラム教と違って多神教の国には何か目には見えないいくつかの共通性のようなものがあるのか興味深いところです。
2021.08.04
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下記は昨年の8月に書いた日記ですが、昨日(19日)のNHK「チコちゃんに叱られる」で「アラビア数字と角の数の関係」は「俗説」でどうしてこのような数字を使うことになったかは「分からない!」という画期的な結末でした。私自身は十分納得できる説だと思っていたので、ちょっと残念な気持ちがありますが、誰かがこの謎を解明してくるのを待ちます。「チコちゃんに叱られる」の「1ダースは何故12」の回の答えは「争いが起きにくいから」でした。12は2、3,4,6、12で割り切れる数のため人に配る時に他の数字より選択肢が多く争いが起きにくいという納得の答えです。 そして古代エジプト(紀元前3000年~前30年頃)では既に天体観測から1日の時間が12時間x2、またローマ時代には月の満ち欠けから1年が12ヵ月であることは知られていて、現代でもこの「12」という数字が生活の基礎となる場面で多く使われていると説明がありました。 12星座、12干支、キリストの12使徒などもすぐ浮かんできますが、調てみると仏教では苦しみの元となる12縁起、そして音楽の12オクターブ等やはり身の回りに「12」が溢れています。そして「ギリシャ神話・ふしぎな世界の神様たち(集英社未来文庫)」の本を読み始めてオリュンポスの神々が12神であることを知りました。 「ティタン族」のクロノスとレアから生まれた全知全能の神「ゼウス」を初めとして弟の海と地震の神「ポセイドン」、そしてゼウスの子である愛と美の女神の「アフロディーテ」など天上の山「オリュンポス」の頂きに住んでいた最初の神々は「12神」で面白いことに男性6神に女性6神と男女平等です。 ギリシャ神話が成立したのは紀元前1500年(文章化は紀元前500年頃)と言われれいるので、やはり「12神」というのは当時から人々が神秘的な思いも抱いていた数字を使ったのかと想像します。 日本にギリシャ神話が伝わったのは法隆寺の柱にギリシャ様式が使われていることから5世紀ころ中国からというのが有力説のようですが、「古事記」や「日本書紀」がその後の8世紀に書かれたというので何となく納得します。「ユーリディケ」を現世に連れ戻すために「死の国」に向かった「オルフェウス」 ギリシャ神話と古事記に描かれている「死の国に愛する人を取り戻しに~」という話はとても似通っているし、それだけではなく「古代インド叙事詩」の中にも似たような話が存在しています。 単なる偶然とは言い難いところもあって、昔々だけれども想像以上にグローバル化していて文化や情報の交流があったのではという説もあり、これは非常に興味深いです。 紀元後にインドで数字が発明される前に既に数字の概念がしっかりあったことに改めて驚かされました。インドで発明された数字(最初は1~9までで6世紀までにゼロの発明)が何故「アラビア数字」という呼び名に?と調べてみると、インドからアラビアに伝わった数字がヨーロッパに伝わったためだそうです。 更にアラビア数字について検索していくと、数字の形の由来が「角の数」によるものだというのを見つけました。確かに「1」だと赤丸が付いた角が1個で、「9」は9個あります。そう見ると「0」の角のない形が何とも神秘的に見えます。 ふとゼロを2つ組み合わせたようにも見える「無限大(∞)」の記号も思い浮かびましたが、これはローマ数字やギリシャ文字から作られたのではということでした。数字ってなかなか魅力的です。
2021.08.02
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昨日ブログに「マティス」のリトグラフ「イカロス」を書いた後、読みやすく書かれた「ギリシャ神話」を探しに「紀伊国屋書店」に行ってきました。膨大な数の文庫本から探すのは大変なので、英訳の「Greek Mythology」を見せて「子供用に易しい言葉で書かれた物」とリクエストすると一冊見つけてくれました。スタッフはローカルでも日本人でもいつも丁寧な対応をしてくれます。 表紙を見て漫画かと思いましたが、スタッフから日本語で「小説です」と言われ即購入しました。 今回の東京オリンピックの一連のゴタゴタのお陰で初めてその起源となるギリシャでの「古代オリンピック」に興味を持ち、それがギリシャ神話の中の全知全能の神「ゼウス」を讃えるために開かれた大会と知って、名前だけは記憶にあるギリシャ神話の中の神様や人々の事をもっと知りたいと思うようになりました。 本の中の「ひとくちメモ」の中に下記の文があります。「オリンポスの主神ゼウスに捧げようと、ギリシャでは4年に一回のオリンピア競技が紀元前776年に始まりました。戦車競走、競馬、競争、ジャンプ、レスリング、ボクシングなどが行われるようになり、これが今のオリンピック競技へと発展していったのです。」 イカロスに話を戻すと「太陽に近づきすぎたイカロス」というタイトルで5ページで詳細が書かれています。クレタ島に君臨した「ミノス王」に仕えていた大工のダイダロス(巧みな工人)はその巧み過ぎる技術から王の座を狙っているという風評を立てられ、息子の「イカロス」と共に幽閉されてしまいます。 幽閉された場所には鳥の羽がたくさん舞い込んでいたためダイダロスは蝋を使って翼を作り、そこから逃げ出すことを考えます。無事父子の翼を作り終えイカロスに「空の中ほどを飛ぶのだよ。低すぎると霧が翼を濡らしてしまうし、高すぎると太陽の熱で蝋が溶けてしまうから」と注意を与えます。 しかしその警告も空しく自由に飛べる自分に舞い上がってしまったイカロスはどんどん高く飛んで行きます。巻末の「地図でおさらい!ギリシャ神話」から。 「ダイダロスはイカロスの遺体を落ちた近くの島に埋め、その島をイカリア(エーゲ海にある島)と名付けました。その後ダイダロスはイタリアのシチリア島に行き、そこに「アポローンの神殿」を建て、その翼を捧げた」そうです。 「ヴァン・ダイク」や「ブリューゲル」が描くイカロスの絵もネットで見ましたが、マティスのリトグラフ「イカロス」はシンプルな構図の中にその教訓をしっかり伝えている気がします。 ギリシャ神話のイカロスを読んで、ちょっと違った見方が出来るようになって私が好きなマティスの絵(切り絵)の一枚になりました。
2021.08.01
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ギリシャの「オリンピア」で行われた「古代オリンピック」の一番古い記録は紀元前8世紀のようです。当時伝染病の蔓延に苦慮していた王はゼウスの子「アポロン」の「競技を再開せよ」という啓示を受け、「競技会」を再開したとあります。再開という言葉からそれ以前の紀元前9世紀ごろに始まったという説もあるようです。 少なくても千年以上、293回行われという記録もあり、ローマ帝国によって古代ギリシャが滅ぼされ「異教神殿」が破壊されたことで4世紀にはこの競技会も終わりを告げます。今回の東京オリンピックが32回目であることを思うとその歴史の長さに驚かされます。 多神教信奉のギリシャでも「全知全能」であり「最高神」である「ゼウス」への崇拝のために始められた競技で最初から4年に一度、ギリシャ人の血筋を持つ者のみ参加が許され、ギリシャ人でも犯罪を犯した者は参加が許されなかったようです。 オリンピックの時にはすべての戦いが中止されるという真摯な神への崇拝を「平和」という形で表したことは凄いことだと思います。 そして1500年以上の時を経て、フランスの「クーベルタン男爵」の「近代オリンピック」提唱によって1896年にアテネで第一回目が開催されることになります。 もともとギリシャ国内の「神話」や「宗教」、そして参加者がギリシャ人の血筋を引くことを原則としていた競技会を全世界の国や国籍に広げたことにもともと多少の無理があったのかなとも思います。 「平和」に貢献することを引き継いだ「近代オリンピック」は残念ながら2度の「世界大戦時」には3度の中止を余儀なくさせられています。政治上による「ボイコット問題」も過去に起こっていますが、オリンピックの原点というものを特にコロナ禍の中で考える良い機会を得た気がします。 そしてギリシャでは「オリンピックの礎」ともなる「ギリシャ神話」を現在でも国の誇りとして小学校の授業で教えているということを羨ましく思います。日本の「古事記」や「日本書紀」に描かれる「神話」もまたギリシャのように多神教信奉の下に作られたものですが、戦後GHQの検閲によって教科書から消されてしまいました。「イエス・キリスト」という一神教信奉のアメリカという国に日本の多神教信奉という宗教観が理解されなかったため「天皇イコール神」という戦前、戦中の危険な思想を払拭したかったからという説も読みました。 「日本神話」もまた日本という国をより理解するためには必要な物であるとやっと「古事記と日本書紀」を読んで気が付きました。そして自国の歴史書は文化や宗教観の違う他国によって修正が加えられるべきではないとも思うようになりました。 そう言えば「ギリシャ神話」もきちんと読んだことがなかったので、「純粋」な小学生の気持ちになって読んでみようかなと思っています。
2021.07.12
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日本国内には記録が残されていない「邪馬台国(2~3世紀)」に君臨した女王「卑弥呼」のモデルは「モモセヒメ」か「神功皇后」のどちらかではという説があるようです。 モモセヒメは実在の可能性が高い10代目天皇「崇神天皇」の叔母で「神がかり」となって神のお告げを発することが出来たようで、当時流行していた疫病の原因を天皇はモモセヒメから知ることになっています。疫病を鎮めるための1つとして当時宮中に祀られていた「アマテラス」を奈良県に移したりもしています。 一方「神功皇后」は「ヤマトタケル」の息子で14代目「仲哀天皇(192-200)」の皇后で、モモセヒメと同じように神に憑依され神託を告げて天皇の政治を助けていたとあります。再度の九州「熊襲」の抵抗に対しては彼女のお告げに従わずに戦いの中、仲哀天皇は亡くなってしまいます。 その後、元々のお告げである朝鮮半島の「新羅を征服せよ」に従い神功皇后は自ら指揮を執り出兵し、新羅だけでなく「百済」「高句麗」の3か国を征服します。そしてその新羅征服の際に身ごもっていた息子が父帝の後を継ぎ15代目の「応神天皇」となります。 もしモモセヒメがモデルであれば邪馬台国は「畿内」に「神功皇后」であれば仲哀天皇が祀られているのが福岡県ということから彼女ともゆかりの深い「九州」ということになるようです。 中国の「魏志倭人伝」の中で239年にごろに卑弥呼が魏の皇帝に使いを送っていると記載があり、彼女については「鬼道で衆を惑わす女王」とも書かれているようです。この一文から卑弥呼のモデルはモモセヒメか神功皇后説かが出ているようです。 年代を考えると崇神天皇より仲哀天皇の時代の方がぴったりすると思うのですが、畿内説を捨てきれない色々な要素があるのだと思います。それにしても「邪馬台国はどこにあったのか」というある意味日本史上最高のミステリーであり永遠のテーマに解決の日が来るのかどうか興味深いところです。 「卑弥呼」というと私には手塚治虫氏の漫画「火の鳥」に描かれた卑弥呼が一番印象深いです。火の鳥の生き血を飲めば永遠の命(美)が得られるという伝説を信じ、火の鳥を得ようとした彼女の執念を随分前に読んだ漫画ですが今でも良く覚えています。 「火の鳥」から仏教観や命の意味を教わった気がします。機会があれば是非もう一度読み返してみたい漫画です。
2021.06.18
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「八咫烏(ヤタガラス)」は「古事記」の中では「イワレビコ(伝説上の初代神武天皇)」が東征の際に熊野で道案内をした鳥となっています。 一方「日本書紀」では東征中の戦いの中でイワレビコが手にした弓の先端に止まった「金色の鵄(とび)又は金鵄(きんし)」がまばゆい光を発し、敵の目をくらませてイワレビコを勝利に導いた鳥が登場し、この鵄がヤタガラスとされています。 ヤタガラスの漢字に使われている「咫」は長さの単位で約18㎝、「八咫」で144㎝となり、単純に鳥としては大きいということを伝えたかっただけと考えられているようです。 「鵄」は現在は一般的には「鳶」と表記されますが「タカ科」で、「烏」は「カラス科」なので果たしてどちらなのかなぁと疑問が残ります。 そしてこの「神話の世界」の伝説上の鳥は明治から昭和初期の功績を挙げた軍人に贈られる「金鵄勲章(きんしくんしょう)」で蘇っていました。 さらに現代ではヤタガラスは「サッカー日本代表のシンボルマーク」に採用されていると「あらすじとイラストでわかる古事記・日本書紀」の中で説明がありました。 サッカーボールを捉える一本目の足が何とも愛らしく「日本人の勇気を奮い立たせる」というメッセージを発信しているそうです。サッカーファンであれば周知のことで今更観があると思うのですが、私は初めて知って神話の世界が引き継がれていることに何だか嬉しい気持ちにもなっています。「チコちゃん」には「えぇっ、本当に知らなかったの?ボーっと~。」と叱られてしまいそうですが・・『追記』2023年3月27日昨日のNHK「のど自慢」が「熊野本宮大社」のある和歌山県田辺市で、ヤタガラスを祀っているこの神社にサッカーの日本代表選手が必勝祈願をしている映像が流れ、しばし「神話の世界」を体験しました。
2021.06.17
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初代天皇「神武天皇」の後の2代目綏靖(すいぜい)天皇から9代目開化天皇までは約500年の年月があり、記録も欠落しているため創作された天皇という見方が一般的なようです。 10代目崇神(すじん)天皇の時代に当時流行していた疫病を鎮めたり、北陸・東海地方を征服し勢力を拡大したことで人々の生活が豊かになり、大和朝廷への貢ぎ物が始まったようです。これが徴税の始まりと書かれています。 また崇神天皇は疫病を治めるため宮中に祀られていた「アマテラス」を奈良県に移しています。そして11代目の垂仁(すいにん)天皇の時に伊勢神宮内宮へと移されました。 10代目、11代目については実存の可能性が高い記録やエピソードが残っているということです。 そして12代目の景行(けいこう)天皇から14代目の仲哀(ちゅうあい)天皇まで「ヤマトタケル」を含めて空想上の人物とする説があるそうです。 3人の天皇が7世紀前半の舒明天皇や皇極天皇と共通している部分があり、ヤマトタケルは4世紀から6世紀に存在した豪傑の武勇伝を統合して作り上げたものではないかというのがその説の理由です。「あらすじとイラストでわかる古事記・日本書紀」から。「菊池容斎」が描いた「ヤマトタケル」 「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)」は私でも何度も名前を聞いたことがある知名度が高い人物(神)ですが、実際に「彼は何をした人?」と聞かれると私は「さて・・」という感じでした。 宮内庁の天皇系図にも名前がのっている日本武尊ですが、12代目の景行天皇の子で14代目の仲哀天皇の父ということになっています。 古事記の中では景行天皇と彼の息子(オオウス)との間の恋愛沙汰が原因になって起こった親子の疎遠の解決を弟のオウス(後のヤマトタケル)に依頼します。ところが天皇の意思とは逆に兄を殺害してしまったために、その凶暴な性格を恐れた天皇は彼を遠ざけるという意味もあって九州の「クマソタケル(兄弟)」の討伐を命じます。 無事征伐を果たし、クマソタケルの死の間際にその勇敢さから「タケル」の名前が与えられ、その時から「ヤマトタケル」と名乗るようになったようです。 その後「イズモタケル」を打ち取って出雲を平定し、景行天皇の元に戻ると今度は「東国12国」の平定を命じられます。次々と言い渡される父親からのミッション・・「自分は父に愛されていない」と酷く落ち込むこの辺りが「悲劇のヒーロー」という感じなのでしょうか?「あらすじとイラストでわかる古事記・日本書紀」から。「ヤマトタケルの東征 地図」 ヤマトタケルの最期はこう書かれています。 「伊服岐(いぶき)山」の神を征伐に行く途中、神の化身である猪から大粒の雹(ひょう)の攻撃を受け、「草彅の剣」を持ってくるのを忘れたのに自らの力を過信したヤマトタケルは力尽き歌を残し亡くなってしまいます。 自らが血を流した数々の武勇伝は当時の「血は穢れであって、天皇自らが穢れのタブーを犯してはいけない」という考えからヤマトタケルは天皇の地位に就くことなく、皇位の橋渡し的な存在にされてしまったのかと思うと、これはやっぱり「悲劇のヒーロー」に値するのだと今は納得です。
2021.05.22
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「青天を衝け」11回目「横濱焼き討ち計画」の再放送を見ていて、渋沢栄一の台詞「高天原から天子様が降りられて・・」がテロップで現れて驚きました。多分「たかあまのはら」と音で聞いても「それは一体どこ?」という人が大多数のため「文字」で分かりやすくとのアイデアなのかなと思いました。 ちょうど読み始めた「古事記・日本書紀」の中で「高天原」を知ることがなければ、私は全く気が付くこともなかったと思うし、「大河」を見ていたどれくらいの人がそこが「古事記」の中の神々が住んでいた場所と分かっていたか私には興味深いです。 ちょうど「古事記」上巻から下巻のうち上巻を読み終えたところで、上巻は「高天原に住む神々」から地上での国創りを託された「イザナギ(男神)」と「イザナミ(女神)」から初代「神武天皇(弥生時代に即位した伝説上の人物とされています)」誕生までの話で70ページほどですが、どのページにも私には「目から鱗」のような話が目白押しです。 例えば上記の二柱(柱は神様の数え方)から生まれたはずの「スサノオ」「アマテラス」「ツクヨミ」はそれぞれ「イザナギ」の「鼻」「左目」「右目」から生まれ、それぞれ「海を治めた神」「天上世界の統治を任された神」「月の神」となっています。 「古事記」は中国の影響を受け、「天武天皇(?~686)」が過去に書かれた歴史書を調べ直し再編纂したもので、目的は「天皇家の統治の正当性を記す」ということにあったようです。因みに「古事記」は「日本漢文体」で書かれ国内向けに、「古事記」の完成から8年後の720年に完成した「日本書紀」は漢文体で書かれているため海外(中国)向けのようです。 「青天を衝け」を見た後、「古事記」や「日本書紀」の内容は渋沢栄一のような「士」ではない身分「農工商」の人達にも広く庶民に浸透していたのかなと気になっています。 明治維新後「天皇イコール神」という概念が徐々に強まり「古事記」や「日本書紀」は国民の間で再び脚光を浴びていたのかと勝手に想像します。第二次世界大戦の敗北後、アメリカの政策により「思想」についても厳しくチェックがあったため2つの書物の内容詳細については特に学校教育の中では敢えて触れないという流れになってしまったのかなと思いますが、私自身は今まで深くそのことについて考えることもありませんでした。 ただやはり「日本の歴史の流れ」を見てみたいと思う時、この「神話から始まる日本」も必要不可欠なのではと今更ながらに気が付きました。
2021.05.05
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昨年の大河「青天を衝け」で渋沢栄一の故郷「血洗島」での「和宮」の花嫁行列のシーンと行列のために夫役を課され人手を出すことに怒りを覚える栄一の姿が今でも印象に残っています。 1862年幕府の威信を取り戻すため「公武合体策」として孝明天皇の異母妹、皇女和宮が14代将軍「徳川家茂」に降嫁することによって巻き返しを図りながらも、4年後には長州征伐の際に家茂が大阪城で病死、孝明天皇の急死と続き幕府は一気に崩壊に向かいました。 和宮というと私がすぐ思い出すのは有吉佐和子(1931-1984)著の「和宮様御留(1977-1978年に群像に掲載)です。京都から江戸までの花嫁行列の後、江戸城に現れた和宮は本人ではなく替え玉だったという内容です。 読んだ時は小説のテーマとして「何と斬新な」と思いましたが、決して100%作り話ではない証拠がいくつかあるということには驚きました。 証拠として一番にあげられているのは和宮は子供の時から「片足が不自由」であったことですが、江戸城に到着した和宮にはその様子が無かったようです。 そして小説をもとにドラマ化が2回されていて、どちらも見ましたが甲乙つけ難い女優対決のような感じでした。 1回目は1981年放送で皇女和宮の替え玉「フキ」を演じたのが「大竹しのぶ」さんでした。京の町方で生まれ捨て子となってしまったフキは和宮が育った橋本家の下女として働いていました。そして婚約者がいたこともあり降嫁を嫌がる和宮のためにフキに白羽の矢が当たります。 徹底的に公家の作法を教え込まれ不自由な生活を強いられている時に、ふとフキの耳に祭りの音が聞こえてきます。そしてその瞬間に気がふれてしまう大竹しのぶさんの「目の演技」が圧巻でした。 2回目は1991年放送、内容はほぼ同じで主演は「斉藤由貴」さんでした。彼女の演技も素晴らしく全く甲乙が付けられない感じでしたが、個人的には目の演技で大竹しのぶさんに軍配です。 確か最終的には替え玉の自殺(井戸に身を投げたという説)もあり、フキの後の替え玉が江戸城に入ったのかという2重のミステリーのようになっていて、原作の素晴らしさとドラマの中の女優陣の名演技で私には忘れられない作品と昭和の名ドラマの1つになっています。
2021.04.24
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下記の青字の部分は昨年の4月に書いた日記ですが、アクセスがあって読み返してみると第二次世界大戦前に首相や日銀総裁を務めた「高橋是清(1854-1936)」の事を書いていました。1930年代に世界の列強国が大型戦艦などで軍事費を増額させる中、軍部の意向に対抗して軍事費抑制に尽力し結果として陸軍の恨みを買って2.26事件で暗殺されています。ちょうど日本の防衛費増額で岸田首相の「国民の責任」という言葉まで飛び出し、何だか言葉が違うなぁと思っていたところでした。 半藤利一著「昭和と日本人 失敗の本質」の中の「海軍は善玉か」という章に1936年頃から世界各国が軍縮条約を破棄する形で大型戦艦の新たな建造を始めたとあります。 1930年代の日本とアメリカの工業生産高、経済状況の比較も書かれています。 アメリカ 日本①鉄鋼生産高 3464万トン 480万トン②原油生産高 1億3491万トン 27万トン③国民所得総額 1676億円 112億円 当時の日本人の生活は貧しく、大蔵省は高橋是清蔵省を中心に軍事費の拡大と赤字公債の増発を本腰を入れて抑制しようとし、また外務省は広田弘毅外相のもとに協調外交路線を進めようと苦労していた矢先の「大型戦艦建造」の承認が海軍からの強い要望で決定されたようです。 「戦艦大和」は当時のお金で1億4千万円の費用をかけ1937年に建造が始まり、「武蔵」は翌年の1938年に建造が始まりました。 世界各国でも戦艦の新たな建造は進み第二次世界大戦に参加した戦艦は「79隻」で上位の順位ではアメリカ25、イギリス20についで日本の12隻となっています。 ただこの全ての戦艦が戦局に及ぼした影響はほとんどなく、結局は「大和」や「武蔵」のように「護衛」の役割を果たすしか使い道が無かったようです。時はすでに「航空母艦を中心とする飛行機」や「潜水艦」での戦いに移っていて、大型戦艦の建造というのは国同士の単なる技術の競い合いだったのかと思ってしまいます。 日本が保有した戦艦12隻の総額は当時のお金で10億円に上り、また国の威信をかけて建造した「大和」や「武蔵」が護衛の他に活躍の場がないまま攻撃を受けて沈没していったことを思うと何ともやるせない気持ちになります。 防衛費増額の内訳は多分国民には知らされることはないのかなとか、アメリカ製のミサイルはいくらぐらいするのだろうと思いながら、果たしてこの防衛のために買いそろえる物が戦艦「大和」や「武蔵」のような運命を辿ることになってしまうのかと考えたりもします。高橋是清は海外との交渉術にも長けていた人物のようで「日露戦争」で資金難に苦しんでいた際にイギリスと交渉をして資金の確保をし、かろうじて日本の負け戦を防いだという話を読んだ事があります。「武器より人間力・言葉の力」を安倍元首相の国葬問題も含めて岸田首相のコメントを聞くたびに最近考えさせられます。
2021.04.11
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こちらに持って来ている高校の「読解日本史 三省堂」には「古事記」と「日本書紀」については僅か6行ほどの説明です。 「古事記」は712年「太安万侶」と「稗田阿礼」によって撰録され、そして720年「舎人親王」らによって「六国史」の最初となる「日本書紀」が完成された。 私自身は「日本を創った神々の話」は作り物というイメージがあって、日本にいた時は特に読みたいと思ったことはありませんでしたが、こちらで私よりずっと若い2人の日本人の方から「古事記と日本書紀」は面白いから絶対読むべきとお薦めがありました。 こちらの紀伊国屋書店では種類に限りがあるので、兎に角一番読みやすそうな本と思い楽天ブックスで何冊かチェックして一冊選び、購入した漫画本と一緒に姉にお願いして国際郵便で送ってもらいました。本の左横が姉の手作りで、下が「熊の家」で購入した物です。 文庫本用のカバーも一緒に楽天ショッピングで購入と思っていたところ、姉から素敵なアイヌの刺繍模様のカバーを見つけたのでそれを一緒に送ってあげると連絡がありました。それに加えて姉の手作りのカバーも添えられていました。姉から「手作りの物は買った物に比べて見栄えがしない」と先にメールがありましたが、甲乙つけ難いどころか細部に渡っての細やかさや使い勝手の良さは手作りに勝る物はないなぁという感じです。 こういうグッヅがあると読書の楽しみも倍増します。 もう1種類、無理を言って姉にお願いしたのは漫画本用のカバーです。こちらも和ティストの生地で作ってくれて、驚いたのは下の方にポケットが付いています。ブログを書くようになってから本の中に気に入った言葉を見つけると付箋を貼る習慣が出来たのですが、ここは付箋やメモを入れるのにピッタリです。 こんな素敵な手作り品を送ってくれた姉に改めて感謝です!
2021.04.09
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今年1月に「日本のいちばん長い日 運命の8月15日 決定版」の著者として有名な「半藤一利」氏が90歳で亡くなり訃報の後、手元にまだ読んでいない「昭和史」の本が何冊かあることを思い出しました。歴史を中心に50冊ほどの本を知人から引き継ぎました。 「昭和と日本人~」の中で書かれている「歴史のない国」というのは昭和3年(1928年)に日本軍が起こした「満州での張作霖爆殺事件」から始まって戦後のA級戦犯裁判あたりまでの事だと思います。そしてこの20年ほどの間の貴重な歴史が学校の歴史の授業ではある意味スポっと抜けています。 私自身もこれらの本との出会いが無ければ相変わらず「山本五十六」も「東条英機」も名前は知っているけれども「どんな人だったっけ?」というままだったと思います。 著書の中に「太平洋戦争と朝鮮戦争のどちらが先だったか、そして日本が太平洋戦争に負けたことを知らない若者が結構周りにいます」とあり、教科書の中で昭和史が正しく書かれることは永久にないのではと危惧しています。 ただ歴史を知らなくても特に今の生活に不便も無ければ困ることも無いというのは事実です。でも「張作霖爆殺事件」を起こす一番の原因が早急な資源の確保のためだったのかとか当時の日本の状況を知ることは国として現代を生き延びていくための大きな力となるのではとも思います。 また著書の中で戦争を煽ったのは軍部だけではなく新聞社、そして民衆(あくまでも日本の勝利が伝えられていた時)とあります。日本人の本質とは、また本来あるべきジャーナリズムの姿勢とはと様々な事を考えさせられます。折角引き継いだ本は出来る限り引き継いでくれる人に渡していきたいと思っています。
2021.04.08
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今年のお正月のサプライズプレゼントで届いた2冊の本のうち1冊が原田マハ著の「ハグとナガラ」で、もう一冊が「大事なことほど小声でささやく」でした。初めて見る著者名で今回は読み終わってから著者のことを調べてみようと新たな楽しみが出来ました。 「大事なことほど~」はフィットネスジムに集う6人のそれぞれの人生を描いた小説で、その中の一人「ゴンママ(おねぇ系)」が経営するバーが舞台の1つになっています。 ジム仲間である女性漫画家がネタのためバーで「女性が男性を素敵に振る方法」を尋ね、ゴンママがその答えとして出したカクテルが「ブルー・ムーン」でした。 本の中でブルー・ムーンのカクテル言葉は「無理な相談」でした。男性からの告白を受け、女性がさりげなくブルー・ムーンを注文して飲む・・・そして「カミカゼ」は「あなたを救う」、「カシスソーダ」は「あなたは魅力的」と続いていました。 何だか気になってブルー・ムーンを検索してみましたが色も青だけではないようで一番ブルー・ムーンらしい画像がこれでした。 そもそもブルー・ムーンというのは数年に一度起こる満月の現象でした。「青っぽく見える月」とか「一ヵ月に2回満月が見られる」という宇宙の神秘だそうです。 因みに日本にいる時何で調べたのかも全く記憶がないのですが、私のラッキーカクテルは「グラスホッパー」というのを今でも信じています。 グラスホッパーのカクテル言葉は「喜び」でした。これだけで何だか幸せな気持ちになります。最近はバーに行ってカクテルを飲むという事はほとんどなくなりましたが、気合を入れてラッフルズホテルのロングバーにでも行って飲んでみたいという気持ちになりました。【後日談】 この日記を書いた10日後にラッフルズホテルのロングバーに行きました。ブルームーンは作れないということで9つくらいのカクテルの名前を挙げてくれましたが、最初に「オールド・ファッションド」が出て、本の中のカクテル言葉が「我が道を行く」なのでそれをお願いしました。 2022年になっても未だブルームーンを飲んでいません。年内に飲めると良いのですが・・。
2021.03.19
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一昨年の10月に書いた日記ですが、写真が消えているのと最近の世界情勢を伝えるニュースを見て色々考えるところがあり内容を修正してアップします。 ちょうど山崎豊子著「不毛地帯」を読み終えた後にこの日記を書きました。戦後11年に渡ってシベリアに抑留された主人公「壱岐 正(モデルは伊藤忠の会長だけでなく複数人のイメージだそうです)の人生を描いた作品です。読み終わってから捕虜として拘束・抑留したこと自体はロシアにとって「国際法」に違反するものではなく、日本側が国際法をよく理解していなかったこと、終戦決断までに日数がかかったことにも責任があるとネットの記事で読んだ記憶があります。奇しくも現在も継続中のロシアのウクライナ侵攻は国際法に違反しているのは間違いありません。 「不毛地帯」の後半は戦時中でなくても「油の一滴は血の一滴」という言葉が正にぴったりのイランでの壮絶な石油掘削の苦悩や奮闘が描かれ、やっと日本が石油を掘り当てた時には感涙でした。石油を含む資源の争奪というのは戦後70年以上経っても終わらないものなのだなぁと実感します。 イランというと思い出す本が1994年に出版された五木寛之著のエッセー「生きるヒント 自分の人生を愛するための12章」の中の「買う」という章です。実はこれ以外の章については全く覚えていません。 うろ覚えの所がありますが、多分五木寛之氏自身がイランのイスファハンに行った時立ち寄った古物商のオーナーとやり取りした実話だと思っています。ネットの画像から。 イスファハンの古物商で美しい壺を見つけ名前を聞くと「涙壺」と答えが返ってきます。その名前の由来を聞くと「戦場に行った夫を待つ女がその涙をためるための壺」との説明です。その由来も興味深くすぐ値段を尋ね買おうとすると、オーナーは寂しそうな表情を浮かべ「何故あなたはそんなに急いで買い物をしようとするのだ」と聞きます。「値段の交渉なりその壺についてもっと話をしたり心を通わせてから買うこともできるはずだ」と。「そうしなければあなたはお金を損するだけでなく心を損することになる」とも付け加えます。 所謂「ペルシャ商人」の交渉術を持つ国民性もあると思うのですが、このエッセーを読んだ時は「心と時間の余裕」の大切さを考えさせられました。 奇しくも現在もロシアのウクライナ侵攻が継続中で、どちらの国でも少なくない犠牲者が出ていて、どれだけ涙を流したらこの戦争が終わるのかと考えさせられます。
2020.10.12
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山崎豊子著の「不毛地帯」もやっと最後の5巻目を読み始めました。元関東軍参謀で商社に勤務する主人公が「航空自衛隊の次期戦闘機選定」プロジェクトで大きな働きをした後、「日米自動車会社提携」と「中東(イラン)での石油発掘プロジェクト」でどのようなすご技を見せてくれるのか結末が楽しみです。 「石油発掘プロジェクト」ではイランの国王も含めた利権や富を巡るイランの国内事情が詳しく書かれています。時代設定がもう50年以上前だと思うので、今は様変わりしているのかもしれませんが「核疑惑」やアメリカとの不仲など私にとっては依然謎が深い国です。 そして本を読み進めているうちにイランの自動車部品の技術者とメールで何回かやり取りをした事を思い出しました。2017年4月に始まって結局うまくサポートが出来ず2019年4月でメールのやり取りは終わってしまいました。 その中、珍しく返信が遅れた理由として「イランのお正月だったので」と書かれていて写真を送ってくれました。 元々はイラン独自のお祝いだった「Nowruz(ノウルーズ)」という春を祝うお祭りで日本の春分の日にあたる日がお祝いの日だそうです。そしてその時Haft-Seen(ハフトスィーン )またはSeven S(7つのS)と呼ばれる頭文字がペルシャ語のSで始まる7つの物を飾るそうです。1. Somagh (sumac) : symbolizes the color of sunriseス―マック・・ウルシ科の実で日の出の色を象徴 2. Serkeh (vinegar): symbolizes age and patience酢・・年齢と忍耐の象徴 3. Senjed (dried fruit from lotus tree): symbolizes love蓮の木のドライフルーツ・・愛情の象徴 4. Samanoo (sweet pudding): symbolizes affluence 甘いプリンのサマヌー・・富裕の象徴5. Sabzeh (sprouts): symbolizes rebirth青草・・再生の象徴 6. Sib (apple): symbolizes health and beautyリンゴ・・健康と美しさの象徴7. Sir symbolizes medicine (garlic):ニンニク・・健康を保つための薬の象徴 このメールをもらった時にはただただ可愛らしいディスプレーに幸せな気持ちになりました。 最近はイラン出身のサヘル・ローズさんがイランの魅力について紹介したり「薔薇」を愛する国民であることを知って以前よりも少しイランの事を知りたいと思うようになりました。「世界は知らない事で溢れている」とNHKの「世界はほしいモノにあふれている」を見ている時いつも思っています。三浦春馬さんの素敵な物を見た時の純粋な笑顔が見られないのは残念ですが、何気ない生活の中でも素敵だなと思う物と一つでも多く出会いたいなぁという気持ちです。
2020.09.08
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