60ばーばの手習い帳

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October 12, 2017
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カテゴリ: 常用漢字
​​​ ​​星 俳…ハイ


​​​
​ 旅に病んで夢は枯れ野をかけ廻(めぐ)る​​
​​​ この一句が、​俳諧の祖として有名な松尾芭蕉の辞世の句になりました。
人生後半を旅に生きた芭蕉は、最期まで旅の途上でした。

 芭蕉は伊賀国上野の出身で、父は苗字帯刀は許されたが、扶持(ふち)はない
士分待遇を受けていたようです。
13歳のとき父は死亡、数年後芭蕉は藤堂家に召し抱えられますが、25歳の若さで
主君が死去、しばらくして江戸に移住しました。

 主君の影響で俳諧を始めた芭蕉は、江戸で実力を認められ、門下の結束も
固くなり、確固たる地位を築きました。が、この絶頂期に、いきなり物寂しい
深川の地に移ってしまいます。
生活のために富裕な顧客を獲得して彼らに迎合する点者になることをよしと
せず、本来の俳諧を求めてのことでした。



なります。


 芭蕉の歌碑 「しばらくは花の上なる月夜かな」渋谷 金王神社
​​ 野ざらしを心に風のしむ身かな
野ざらしの白骨となることも覚悟しても旅立ちであるが、いざとなると秋風の
冷たさが心にしみる、心細い身であることよ。


と、旅だった初めての旅から、
​​旅人と我名よばれん初しぐれ​​
​で始まる「笈の小文」の旅を経て、芭蕉は最長となる「奥の細道」の旅へ。
旅の後、芭蕉は
​たどりなき風雲に身をせめ、花鳥に情を労して、暫く生涯のはかり事とさへなれば、終に無能無才にして此一筋につながる。(「幻住庵記」)​​
​たどるあてもない風雲に身をまかせ、花鳥に心情を寄せて、それがいつの間にか
生涯の仕事にさえなってしまい、ついに能力も才能も無いまま俳諧の道一筋に
つながっている。

 と、述べています。もちろん謙遜であって、信念を持って俳諧の道を来た
自負の言葉です。「笈の小文」でも

かれ狂句を好(このむ)こと久し。終に生涯のはかりごととなす。

と、述べています。あるときは人に勝る句を作って自慢しようと思ったり、
胸中でいろいろ葛藤して落ち着かない身であったが、愚を悟ってついにこの道を
ひたすら歩んできた、と。

1694年芭蕉は最後の旅に出ました。
郷里の伊賀上野から京都・大阪へ赴いたところで、泄痢(せつり、ひどい
下痢の症状)を起こして、床につきました。
 冒頭の句は、死の4日前に介抱していた呑舟を呼んで墨をすらせ、「病中吟」
として記したものです。

 芭蕉の夢は枯れ野を駆けめぐります。

秋の千草が可憐に咲いていた野も今は霜枯れて、物寂しい景色が広がるだけ。
ですが、清涼でしみじみと心に写る景観を、わび、さびを追いもとめつつ、
芭蕉は旅立ちました。
 享年51歳。眠るように静かに亡くなったといいます。
遺骸は木曽義仲の墓の傍らに葬られました。
門人焼香者80名、会葬者300余名に見送られて。


        引用元:麻生磯次・訳注『奥の細道 他四編』旺文社文庫
        参照元:雲英末雄・高橋治『新潮古典文学アルバム18 松尾芭蕉』
            復本一郎『芭蕉歳時記』講談社選書メチエ
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Last updated  October 12, 2017 12:00:26 AM
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