60ばーばの手習い帳

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September 21, 2018
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​​​​​星 ​農…ノウ 民…ミン、たみ 衆…シュウ​





 9月21日は宮沢賢治の命日です。
今でこそ詩人・童話作家として著名な賢治ですが、生前は無名でした。
 仏教へ傾倒した時期もあり、農学校の教師も務めましたが、退職後は、自ら
イーハトーブと名付けた岩手県に住み、本当の農民になることを目指しました。


 しかし、高級品だったリヤカーに野菜を載せて売り歩いたり、ハイカラな
チューリップやヒヤシンスの花を咲かせたりする行動は、金持ちの道楽としか
見られませんでした。




「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」という考え
で、賢治は音楽団の練習、レコード・コンサートを実践したり、無料で肥料配合の
相談にのりました。

 相次ぐ凶作で疲れ切った人たちを少しでも明るくしたいというのが、賢治の願い
でした。

「グスコーブドリの伝記」は、そんな賢治の心の分身です。

 イーハトーブの森に生まれたブドリは、天候の異常や火山の噴火をコントロール
して、飢饉から人びとを救うことに一生を捧げます。
 最期は、気候を変えるため、火山を人工的に爆発させるスイッチを押すため、
一人島に残って亡くなったのです。

そして、…たくさんのブドリのお父さんお母さんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖いたべものと、明るい薪で楽しく暮らすことができたのでした。
​ 32歳で肋膜炎を患った賢治は、病床でも肥料設計の相談を受けたり、詩作に励み
ました。​
きみのやうにさ
吹雪やわづかの仕事のひまで
泣きながら
からだに刻んで行く勉強が
まもなく ぐんぐん強い芽を噴(ふ)いて
どこまでのびるかわからない
それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ
ではさやうなら
   …雲からも風からも
    透明な力が
    そのこどもに 
    うつれ…



        引用ならびに参照元:宮沢賢治『ちくま日本文学 宮沢賢治』筑摩書房
​​​​​





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Last updated  September 27, 2018 10:47:36 PM
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