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再び「会下山公園・ぶらり散歩」です。恋する野良猫たち。もっと近づこうとすると、逃げられてしまいました。この季節に、たくさんの柿たちがまだ・・・・。会下山公園は、ほんとうにいい散歩道です。我が家のお隣のご夫婦は、毎日2時間ほどの散歩は、ほとんどこの場所のようです。 時行歌集『命輝く』(第36回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(20続)夕餉忘我、林檎、人体原理、新著隠れて、ああこの一年、息はさむ、歌の命の考察、一年の歌、時節当来、を巡りて、の記 11月19日~23日 (前回の続き) 歌の命の考察―我が短歌は実験科学である 〇私の歌は、私の経験に息挟む所業であります。歌は、私の経験がそのままなら、何か忘れ物をしたような形に終わることを防ぎます。私の息(全実存)がそこに新たに入念に入り込むからであります。この意味で、私の歌は実験科学です。私は、私の経験―殊にこの一年の妻信子の闘病即私の看病、かくして共生き―をよく見て歌うわけですから、決して経験を逃げません。逃げずに経験をよく見て歌で息挟むとき、私は苦悩以上の万全の生に達します。苦悩はある大いなる方の前で歌いあらわさないならば、干からびた何かであります。詠いあらわすとき初めて苦悩は生きるのです。これが私の実験科学としての歌の命であります。何を見てもある大いなる方の前で歌うのですから、見ることは絶えずもっと大きな見地から促されるのであります。見ることは見ることへと歌うことによって促されるのであります―あくまでも歌の心ふるえる現実の中で。歌わないならば、私は一日として見ることに心を入れることができなかったでありましょう。息を挟むことがないのですから。そして、現実は、心ふるえないままで、おそらく堪え得ない、陳腐な生活に終わったことでありましょう。絶望の干からびた毎日に。だが、歌うならば、歌としての私の人生は、神と人との前で刷新されます。詠いつつ刷新されます。そこに他の人々が息挟む場所として日々新たに刷新されます。これ人生の不思議であります。11月23日記。 11月22日 一年(ひととし)の歌四首 我が歌を聴きて胸中拡がるる思いぞすると我妻の言ふ (年賀状のために) 一年の苦悩の跡を振り返りいずかたに我恵み見ざらん おののきて一歩一歩あゆみけり妻の怪我せし不意の時より 初春や恩寵在りて我ら在りげに有難き年の初めよ (備考:年の初めとは、真の始めありての初めなり。真の始めとは恩寵也。) 〇この日(22日)北越病院の大島誠雄療法士来。随分落ち着いてこられましたね、とノーちゃんを見る。この見地尊し。腰をマッサージせしとき、後頭部気持ちよし、と妻。これは大したことなり。我もまた、両手で妻の頬包む時、痛み消ゆと聞く。これまた大したことなり。左右均衡こそ、癒しの急所と見たり。午後トイレ成功甚だ良し。 〇20日(日)と23日(水)ははあとふるあたごにてデイサービスなり。「ノーちゃん、お風呂入ってゆっくり静養してきなさい。」と送り出すなり。「バイバイネ」と手ひらひら。 11月22日の事23日記 時節到来四首 友ありて偉業の翻訳懇望す妻癒されし今ぞその時 (備考:山本良一東大教授、Herman Greeneとともに国連を巻き込んだ地球倫理綱領を基準にした諸政府間(Intergovernmental)国際会議を追求しつつあり。その見地より、Thomas Berry[The Great Work](偉業)の我が翻訳に期待されること多大なりと聞く。これHermanも懇望するところなり。この時、我孜々として励むべし。) いかなるか我が旧著また上昇すホワイトヘッドと西田当来 (備考:拙著『ホワイトヘッドと西田哲学の<あいだ>:仏教的キリスト教哲学の構想』法蔵館、2001年、アマゾンにて急上昇。12万位の由。当来、とは、当然に来るべき事象の事なり。未来とも。広辞苑。) 我が胸に時代の鼓動響くあり今ぞ尽くさん至誠のかぎり 滔々と時代の流れ尽きぬ間に我が著六十刻々と往く (備考:我が著六十とは、オンラインで世界中に公開閲読されつつある英文論考四十、邦文著二十のことなり。有難きことなり。国会図書館などを含む国際情報ネットワークの恩恵多々あり。)
2012.01.31

暮れ泥む海の光景です。11階のベランダで昨夕撮しましたが、もうひとつ上手くうつしとれませんでした。今回のぶらり散歩は、前にも何度か取り上げた「牧野富太郎植物研究所跡」です。むかし牧野富太郎の故郷・高知県佐川町にある記念館を訪ねましたが、神戸にも近くに、大正5年に彼の研究所があったという場所があり、この度またそこが綺麗に整備されていました。「花在ればこそ吾れも在り」 妻・壽衛子に因んで名付けられた「スエコササ」なども植えられています。会下山の海を見晴らせる、とても良い場所にあります。彼の著書と共にUPします。 時行歌集『命輝く』(第35回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(20正)夕餉忘我、林檎、人体原理、新著隠れて、ああこの一年、息はさむ、歌の命の考察、一年の歌、時節当来、を巡りて、の記 11月19日~23日 11月18日の事19日記 夕餉忘我五首 こころして鱈フォンデュ-用意せり園から帰る妻迎へんと だし十分白菜豆腐玉ねぎに鱈乗せてみて夕餉や極む ちらし寿司鱈の温みによく合うねゆずの香りも申し分なし (備考:妻の御世辞に酔ううぶな夫ありき。) 何にせよ我を忘れて舌鼓生かされてある恵み謝しつつ (備考:この忘我の時なくして闘病看病やれませぬ。) 今日の日も作りたる歌持ち寄りて妻聴くなかに秋ぞ更け行く (備考:これ文化的忘我の時なり。) 11月19日 林檎一首 この林檎美味しいねとぞ妻の笑むトイレ済ませる幸重なりて (備考:今日妻在宅の日安心せしか、午後トイレ五回成功す。最大の幸也。我が介助奮闘も極まれり。暫し肩で息せり。トイレ成功のご褒美林檎なり。) 11月19日の事20日記 人体原理二首 頭痛せばそっと両手で包むなり直ちに痛み消ゆと妻言ふ 発見す左右均衡いのちなり不思議なりけり人体原理 (備考:これ最も注意すべき点也。当初の危機突破も右脳と左脳の均衡化にありき。) 新著隠れて七首 なにゆえにアマゾン上昇六冊ぞ新著隠れてはたらきし秋 ひたすらに感謝無限の旅一途我が新著出でて志なる 志なるはひたすら不思議なる自己献身の道のその果て 身を捧げ手を動かして時代をば指し示したる妻の尊き (備考:時代とは「エコ生代」のこと(トマス・べりー)なり。我が新著の時代的価値はそこに在るなり。あの「手のうごき」なしに何事も始まり居らず、嗚呼。) 祝福を燦々と浴び箴言の第一条を書きし妻佳き いのちとは祝福なるぞ天来のそこに佳き日は生まれたりけり (備考:佳き日に天来の根源あり。) 反省と献身のわざありてこそ人祝福されつ佳き日生むなり (備考:佳き日に地上的契機なかるべからず。) ああこの一年四首 悲惨なる妻の大怪我癒さるる恩寵うけしああこの一年 ともどもに打ちのめされし妹と背は悲惨の底に恩寵拝受 一年(ひととし)は思ひを超えて暮れんとすああ恩寵よ感謝無限! 残りなく心注ぎて祈るなり汝が御旨をぞ成し給へ主よ 11月21日 息はさむ三首 すごいなと我が歌に妻息はさむ暗黒歌に包まるる時 (備考:暗黒歌に包まるるとの我が歌妻凄しと言へる時、実(げ)に暗黒は歌に包まれてあるなりー妻の実存において。このこと凄し。実存の拡大的変容あるなり。挟むとは、物と物の間に差し入れて支えることを言ふなり。広辞苑。息挟むとは、歌の世界に入リ、賛同的に拡大することを言ふなり。鑑賞の実質はこれなり。) 友ありて奥丹波行き告ぐるあり秋の紅葉の色我に見ゆ (備考:20日の事21日記。奥丹波に吾も息挟めり。彼の経験は我が経験となるなり。見ゆる、なり。) 友ありて神戸マラソンフォト届く興奮の渦伝はり来る (備考:息呑めりと言ふべきか。要するに、ある経験に他の経験者が息挟めるとき、経験の倍加あるなり。息呑める時も同様なり。例えば、読書とは息挟み息呑む新しき経験なり。息挟ませ呑ませる実質ある書物のみ、生きた書物と言ふべきか。) (この回は、ブログ字数制限を越えるため、分割掲載となり、次回に続きます)
2012.01.30

昨日の午後のぶらり散歩は「新湊川公園」界隈でした。大規模の地下道路工事も終わりに近づき、今地上の公園整備が急ピッチで進められています。ここは完成したばかりの場所で、小さな太陽光発電も設置されたりしています。沖縄では今が桜の満開ですが、この公園では「十月桜」が綺麗に咲いていました。昨年秋、須磨離宮公園の十月桜の満開をUPしましたが、寒中の桜はまたオヨロシイ!!満開の桜に焦点を当てたつもりが・・・どうもうまく撮れていません。帰り道に若き日に汗を流した懐かしいゴム工場のところを通り、スズメを見つけてシャッターを・・・・するとバックに工場の煙突が写っていたりして・・・。 時行歌集『命輝く』(第34回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(19) 歓喜妻、歌の喜び、落ち葉、連呼、を巡りて、の記 11月15日~18日 11月15日の事16日記 歓喜妻二首 清らなる双眸を得て歓喜妻縦横に箸行く夕餉かな 楽しげに我が歌聴きて歓喜妻もっと全部とせがみつつ笑む 歌のよろこび十種 我が歌がそんなに好きかノーちゃんよ汝(な)が手のうごき泉なりけり (備考:12月1日早朝の我妻の手のうごきほどの歌の泉あるなし。) 滾々と湧き来る水ありて胸歌ごころ満ち告ぐる嬉しき 歓びよ命の歌よ高鳴りよ詠わざること得ざる我なり 人生の暗黒ありて脅すとも我が歌の中に包めぬものなし 歌いつつ暗黒包み表せばいと近き主よ汝(なれ)聴き給ふ 聴き給ふ主近くありて人生は暗黒去りて歌とぞなる 我が歌を聴きて震へる心地して慰めらるる人ありと妻 (備考:この「人」は妻を含む大勢の人のごとし。) 我が歌は心震へて読む調べ慰めらるる友あらば幸 慰めは天来の幸とこしへの国の便りと我思ふなり 我が歌に慰めありと妻の言ふ心震へつさらに歌わん 落ち葉三首 ふと見れば我がカーボートに落ち葉来て秋の深まりつぐる風情ぞ 落ち葉たち折角だから休みやす落ちるものとか欠けるものよし さらばとてそのままにも出来兼つつと丁寧に集めたりしも 治癒四首 父さんの所(とこ)に帰れば安心や何とかなるさと妻戻りたり (備考:妻の述懐也。) 絶大な信頼受けて父さんは一丁やるかと猛進せり (備考:猛進とは、妻の命第一義、他は第二義の生活方針の事なり。) 日日の一歩一歩の看病は恩寵在りて治癒もたらせり ああ感謝感謝無限ぞこの旅路奇跡的治癒とは申すなり 対話 村上一郎氏・創言社社主(12日付葉書) 九州の秋も漸く深まって来ました。何時もお考えやご消息、メールで有難うございます。今度はまた新米をご恵贈頂きました。奥様の御見舞いも致しておりませず失礼しておりますのに、まことに恐縮であります。有難うございました。この一年、本当にお大変でありつつ、状況を深く昇華内化されて生き生きされておりますこと、恵みの生命的奇跡というものを感得させられる思いです。延原さんならではのご体験ご思索かと拝します。どうぞ一層お大切に、ご平安ご健闘をお祈り申しております。一言お礼のみです。 11月15日付 村上氏宛メール 永年の出版社としての御念願成就。キエルケゴール全集完成の御事、心よりお祝い申し上げます。魚沼産の新米にていざ祝はん、との微意、お贈りさせていただきました。御笑納、御賞味下さい。右、お祝いまで 草々不一 11月17日 連呼六首 我妻よ父さん父さん父さんと三病院を汝(なれ)過ごしけり 連呼には辟易したる人あるもなぜに悪しと汝(なれ)動ぜざりき 呼びかけの時空を超えたる真実は宇宙的なる響きのごとし (備考:詩篇19篇4-5節、参照。) 我が不在ものともせずに妻連呼個体越へゆき家結びつつ(備考:不在とは妻のショートステイ中やデイサービス中のことなり。家とは妹と背の共同性の空間の事なり。これエコなり。) 父さんに呼び掛けたるは我が特権かく言ひつ妻ひそと頬笑む 連呼せし妻手のうごき示したる献身の相隠したる人 11月17日の事18日記 園の夕べ八首 静けさや妻の箸ゆく夕餉かな我傍に立ち驚きてあり たしかなり眼清らにして箸しずか妻の喜び黙々たり 箴言の復唱ありて新たなる時刻みつつ園秋深し (備考:園とは愛宕の園のことなり。) 父さんにしがみつくほか命なしかく言ひつつも妻今新た 父さんも晩飯の時さてと言ふいやいやと妻引き止める (備考:そのままならば我絶食の危機有り。) 箴言かいやいや歌よ綱引きの時も楽しき秋夕べかな 我妻の感受はたしかすぐるとも歌の基づく箴言尊し 祝福の主題刻みし箴言は新たなる時つぐる言の葉 (今回のブログでは制限字数を越えるため、この号は次回に続きます)
2012.01.29

「ぶらり散歩」で20分ほどのところに、昔ツツジの名所でもあったという「会下山遊園」(明治36年建立)の石碑があります。「えげやま」と呼ばれて親しまれていて、山というより小高い丘といった場所で、多くの人が年中、朝夕の散歩に訪れる、とても快適なところです。今回は、この大好きな場所の、大きな木々を見上げてみます。いつもむこうに空があって、美しいですね。いつも新しい雲たちが、私たちを見てくれているような・・・。 あとさきになりましたが、最後に昨日の夕陽を一枚UPいたします。 時行歌集『命輝く』(第33回) 「復活の家出発進行ー感謝無限の旅一歩一歩」(18) 晩祷、指圧、新しき家の時代と新著、を巡りて、の記 11月15日 14日の事15日記 晩祷哀切四首 なにゆえに汝(な)が晩祷は哀切に父さんのために響くや妻よ (備考:愛宕の園に赴き夕食ののち共に祈る。) 哀切に響く祈りは汝(なれ)のもの神のみ前に在るたたずまい 哀切に妻よ汝が祈る時恩寵の神笑み給ふなり (備考:我らにおいては神の実感は神の笑み也。) 哀切に汝(なれ)祈る時この秋も深まりゆくよ首垂れつつ 指圧前線六首 右足のかかとのうらの一点を我押すときに気持ち良し言ふ ひたすらに我押すときにあたま胸苦しき中に眼なぜ清ら 清らなる汝が双眸は語るなり治癒の前線ここにぞあると (備考:右かかと裏の指圧はつねに眼の快癒と連結する如し。ツボなり。) 見るべきは前線走る快癒なり神聴き給ふ祈りの極点 祈りつつ我指圧せり妻答ふよう効くほんま気持ちええわと 何よりも指圧なるもの有難し頭痛の意表突くごとくなり(備考:脳挫傷の後遺症か、頭痛と胸苦しさの訴え実に常に執拗なリ。指圧で静まるなり。) 新しき家の時代と新著十首 これまでは勤労社会中心なりき今介護こそ時代の急務(備考:介護介助は無力なる者の再活性化のためなり。それをしも「リハビリテーション」と申すなり。) この時に『あなたに』を出し我嬉し新著目指すは深き家庭ぞ (備考:深きとは、いと近き御方を一番に見る故なり。) あなたにも私にもありありありとはぐくみ癒す務め家庭に(備考:この意味において拙著は家庭書也。個人書に非ず。ほかにも家庭書として『復活の省察-生くるとは深き淵よりともどもに甦ることの喜びなり』『称名キリスト教に向けてー詩編、回想、原風景、そして祝福の今』を用意しつつあり。その面白さは、個人書として真理追究せし我が生涯の述作が最後に家庭書へと翻る妙味にあり。妻信子との対話が蝶番となる故なり。) これをしも家の時代といざ呼ばん新しき家出発進行 妻たちの支え来りしこれまでを十分に謝し家つくりせん 新しき家つくりの道筋は英文箴言夙に記せり (備考:道筋とは、祝国祈救命のことわり也。) 新しき家つくること新文化生み出すわざと見做し得るなり 新潟の今朝の雨何時雪ならんされど新著よ羽ばたけよやよ (備考:今朝も新著謹呈 感謝無限 の勤行励むべし。) 熱烈にいざ励むべし新著謹呈感謝無限のこころ溢れつ 新しき文化のこころ感謝無限感謝無限と恩寵に謝す 〇これらの歌たちは、我が生活の歌たちであります。生活の歌たちありて、生活が生活(生き生きと生きる)になるのであります。詠わない生活は、沈むこと無きにしも非ず。言の葉は、言の葉なる救い主深く支えておられる故に、実存のありのままであります。ありのままありのままにて言の葉ぞ言の葉なしに現実ありや 現実が現実として言の葉であるならば、原事実なるもの称名的ならざるべからず、とは、我が信条なり、であります。
2012.01.28

昨夜の下弦の月と金星です。簡易なデジカメでうまく撮れました。ぶらり散歩は「新湊川」。よく増水で溢れ出し被害がでましたが、今は公園風に整備され、よい散歩道です。ここでも猫ちゃんや雀ちゃんと仲良しになりました。 時行歌集『命輝く』(第32回) 「復活の家出発進行ー感謝無限の旅一歩一歩」(17) 隠されし手のうごきとラザロ再発見、手のうごき想起、恩寵、別嬪さん、愛の運河、箴言讃歌、を巡る、の記 11月12~14日 11月12日 手のうごきとラザロ再発見七首 妻を見て初めて覚りぬラザロにも手のうごきありきありありとありき ありありとイエス見給ふラザロの手出で来たれよと呼び給ふ前 かく見れば主の呼びかけは他ならぬ祝福の今到来の時 (備考:祝福の今到来は永遠の今なり。必ず手のうごきの過去あるべし。) 隠されしラザロの手をば夙に見て共におらねど良しとのたまふ(備考:ヨハネ11:14-15「ラザロは死んだのだ。そして、わたしがそこにいあわせなかったことを、あなたがたのために喜ぶ。それは、あなたがたが信じるようになる為である。だが、彼のところに行こう。」(私訳)イエスの愛は「夙に見る」愛なり。過去の愛ありてこそ祝福の今あるなり。「夙に見る」とは、ホ氏の次の一節のごとし:"envisagement of the actual matter of fact which must enter into the total situation which is achievable by the addition of the future." (Whitehead, Science and the Modern World, p. 105) 夙に見る[直視]はまず現実の事態を見ることなり。例えば、延原信子の手のうごきなり。これは、次に、全体的状況に入るべし。例えば、信子の奇跡的癒しなり。ただし、「未来の付加」に媒介されてのみ。それこそ、祝福の今なるべし。ラザロでは、「出で来たれ」の時なり。これに先行して、必ずラザロにおいても、イエスの「つと見給ふ」手のうごきありたるはずなり。) もろともに信仰の手をいざ示さん我が妻信子差し出せしごと (備考:信子信仰の手のうごきの先例となるごとし。) 御神はあの手のうごき祝されし万人の信招き給ひつ (備考:延原信子物語の意義ここにあるなり。) 祝されし延原信子物語万人の信呼び覚ます料ぞ (備考:「料」とは、親鸞上人の言葉なり。我は器とも言ふなり。) 11月13日 手のうごき想起五首 手のうごき命のきわに示せしもいささかも妻憶えずと言ふ まことにや妻の命は極まりて自我捨て去りて手のうごきのみ 手のうごきああ手のうごきいかならん我ひたすらに上智直参 (備考:2010年12月4日~6日上智大学Eco-Sophia Symposiumにて講演「良寛とトマス・べりーと共に:21世紀の懺悔と回心ー環境と生命の時代の為に」の責務果たしたるなり。) ひとすじの涙流れり右眼より瞳孔全開救急車内 御神は無力なりけりわが命かく嘆く妻祝し給へり 恩寵二首 恩寵よああ恩寵よ命とは我らがちからかけらだになし 功徳などかけらだになし言ふ時の喜びの湧く泉ぞ心 別嬪さん二首 我妻のしゃべり始めの言の葉は別嬪さん一語なりけり (備考2011年:1月6日しゃべり始め也。胸や鼻のチューブもうなき故別嬪さんと我称しおりしを、妻聴きて真似たるなり。) この一語この世に帰る嬉しさに思はず出でし関西弁よ (備考:別嬪さんは美人を意味する関西弁よ、と妻注釈す。) 〇以上13日の作は早朝成る。早朝、トイレ介助(大小とも)成功、甚だ嬉し。12日は大阪より駆け付けし義妹順子さんのおお御馳走に舌鼓うち快食のノーちゃん、かくて終わりもよし。我右脚かかと裏指圧して眼甚だ良きことに繋がれること示し、また、頭に両手五本指で接触指圧し、「気持ちいい」の声受け、義妹の顔見る。笑みあり。 書評:しばた良寛講座幹事星野淳雄氏(11月11日) 前略 本日は奥様の回復されてゆかれるお姿にお会いできうれしい思いでした。先般はご著書ありがとうございました。看病の忙しい中、よく冷静に見つめられ、そして刻々と回復してゆかれる喜びが伝わり敬服いたしました。あとは時間が解決してくれるものと思われます。これから寒さに向かう折、どうぞ先生もお体をご自愛されて下さい。まずはお礼まで 草々 先生の短歌も良寛と同じ位すばらしいと感じました。 11月13日夜 愛の運河三首 我妻の命は不思議我が許に嫁帰りするところにぞある (備考:これ妻の絶えざる述懐也。) かく見れば命は個体越え行きて尽きせず流る愛の運河よ 癒しをも愛の運河とみるならば指圧をぞして愛運ばしめよ (備考:指圧は指圧のためにある非ず。必ず愛の料なり。) 11月14日朝 箴言讃歌 祝福の今を起点に神の国祈り受けつつ救命無限 (備考:延原信子の英文箴言は、God blessed the good day of self-reflection and self-dedication. 「神は自己反省と献身の佳き日を祝福されました。」で始まる、五段階の文学作品也。それを歌えばかくなるべし。) 箴言の描きたる道五段階祝国祈救命(いのち)なりけり 祝福は恩寵直下今あるなりいかなる人も触るべからず 神の国いざや求めよやよ進め日々新たなる道こそ御国 祈りこそ我が楯よ汚濁より命浄める魂の糧 救ひとはきらめきて今進むもの御文活かせる万物の幸 (備考:御文とは聖書なり。) 人生はキリストに在る祈りよりともに覚ゆる言の葉の幸(備考:祈りに在ってともに覚ゆるとは、パウロの信仰共同体論なりき。言の葉の幸とは、文化の事にして、インスピレーションの言葉と批判の言葉よりなるものなり。これ延原信子の根本思想なり。) 〇延原信子の英文箴言は、編集中の共著『祝福の今を生きる-英文箴言と短歌』の第一部、第二部は「時行歌集」なり。英文箴言三十条は、その著者の脳挫傷よりの奇跡的治癒過程にあって、治癒過程そのものでありつつ、文化的には、普遍的意義を有するものなり。文化の五段階を叙述する故なり。治癒は、文化的過程也とは、知恵ならざるべからず。文化的ならざる治癒あることなし。「時行歌集」は、箴言の根源、すなわち祝福の今をうがち歌う試み也。祝福の今は、泉のごとく、滾々たり。歌溢れざるべからず。〇我が新著『あなたに』は、叙述編として、『祝福の今を生きる―英文箴言と短歌』が出て、初めて解明編を得ることになります。叙述編は、この一年の我々の不思議な不思議な経験―悲惨とその底に在る恩寵の体験―を、毎日毎日、予測のない出来事の連続でありましたから、そのままに実録するものであったのであります。それが、どういうわけか、新発田病院では一首のみ、リウマチセンターでも一首のみだったのが、豊浦病院への入院を契機に、突如、我が歌が奔流のように、溢れだすことに相成りました。どういうことなのか自分でもよくわかりません。おそらく、祝福の今が「泉のごとき源泉的リアリティ」だからなのでありましょう。これに反して、延原信子の英文箴言(3月9日第一条)は、おもにリウマチセンターでの仕事でした。それを得て、我が短歌が(豊浦から)出現します。〇英文箴言の重大性は、歌を詠むにつれて、認識されてまいりました。今回の風のごとし。御照覧深謝無限。先程、ノーちゃんは、愛宕の園のショートステイに赴くべく「父さん有難う」と(滞在中の衣服の準備をした私に感謝しつつ)笑みつつ、送迎車の人となりました。感謝無限。
2012.01.27

数回にわたって「冬の昆陽池公園」をUPしてきました、今回で一区切りです。あいにく曇った日和でしたが、公園を一周して「ぶらり散歩」を楽しみました。季節を変えてまた訪ねてみたい場所です。 時行歌集『命輝く』(第31回) [復活の家出発進行ー感謝無限の旅一歩一歩」(16) 立冬、手のうごき、感謝無限の言の葉、そして延原信子物語、を巡りて、の記 11月9日~11日 11月9日 立冬一句 我妻の双眸清ら冬立てり(備考:2月2日の一句『我妻の双眸ひらく春初め』以来、ひらく双眸清らにひらくに今日至れり、立冬の日に。何でも眼にある唐辛子状のもの消えし由なり。) 双眸二首 なにゆえに右かかと押す我にして妻の双眸清らと見ゆるや (備考:見ゆるは妻なり、また我なり。) 御神の恩寵在りて見ゆるなり双眸清ら妻ひそと笑む (備考:清らとは第一級の美のごとし。広辞苑) 11月10日 手のうごき考四首 手のうごき告ぐるものあり一筋に深き慙愧の心なりけり いたらなき内助なりしを許せよと物言はぬ手よ打ち震へたる 我はふと手のうごき見ぬ打ち震へこは妻の手かはたまた神か 余りにも手のうごき指すみこころは明らかなりき上智直参 溢る一首 原事実癒し助けのみこころなれば感謝無限の言の葉溢る(備考:溢るとは、一切終局の〆の事なり。浄土真宗門徒が信心決定(けつじょう)と言ひしところを、我は「感謝無限の言の葉溢る」と言ふ也。短くは、アーメンなり。) 〇この日、北越病院にて再診あり。訪問リハビリの大島誠雄セラビストのバック祖父江ドクター(脳神経科医)より肩首頭のマッサージ良しと。午後、お通じ二回よし、我介助す。体調良好。〇ケアマネ倉島政勝氏来宅、11月全体計画練り直し、12月計画懇談。拙著『あなたに』謹呈、甚だ喜ばる。 11月11日 箴言無上―延原信子物語七首 不思議なり我が歌の解く箴言の第一条の真実無上 不思議なりその日我妻春の陽を全身に浴び祝福のうち 不思議なり病苦の最中祝福は天来の幸病魔退く (備考:3月9日は、転機なり。) かにかくに人は言ふとも箴言は佳き日に注ぐ祝福映せり 不思議なり箴言出でて手のうごき隠れたるまま祝福無上 かくしてぞ延原信子物語ありありと出ず不思議なりけり なにゆえに人生の幸無上なる献身に行く祝福のほか 対話(11月10日) 鳥飼先生 高野山一景と御感想深謝無限。 手のうごきは、あの「反省と献身の佳き日」でありました。それをしも御神が祝福されたのが、延原信子の奇跡的癒しであります。疑いなし。 それを箴言第一条が朗々と歌ったのであります。これが延原信子物語であります。 右、お礼方々 草々不一 IXIA! 延原時行 〇それにしても、執筆中の我々夫婦の共著『祝福の今を生きる--英文箴言と短歌』ですが、ここにきて箴言第一条(God blessed the good day of self-reflection and self-dedication.[神は自己反省と献身の佳き日を祝福されました。])の解明が進み、私自身誠に驚いております。あれは、手のうごき(2010年12月1日早朝、救急車に妻が搬出される直前の事)の、信子による、自己解明だったのですね。「延原信子物語」がかくして成立しました。今度の共著が出て初めて、新著『あなたに』はその解明を得ることになります。箴言は、祝福(第一章)の視点よりの、神の国(第二章:祝福の展開)、祈り(第三章:祝福の人生を生きる浄化的動力)、救い(第四章:祝福の実践的実現)、人生と高潔(統合性)(第五章:人格性と社会性の統合)の叙述として、ユニークな英文作品であります。その醍醐味を、我が短歌が、新発田病院、リウマチセンター、豊浦病院、そして復活の家、の四段階を経て、あくまでも詠唱的に解明してまいります。ご期待ください。この共著が出て、初めて前著『あなたに』が「延原信子物語」の叙述編であることがお分かり頂けましょう。共著が解明編なのであります。〇昨日の晩祷で、右の事を、深い感謝をもって、妻に報告いたしました。「父さん、有難うね。」と祈りの後ノーちゃんは言い、神様有難うございます、と締めくくりました。ああ主よ、感謝無限。
2012.01.26

初めて訪ねた伊丹の昆陽池。曇っていたので少し寒かったデス。 時行歌集『命輝く』(第30回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(15) 手のうごき、箴言、歌の三位一体と言の葉考を巡りて、の記 11月8日~9日 〇8日は一日ノーちゃん在宅、午後北越病院訪問リハビリの大島誠雄セラピストの治療あり、はなはだよしと見ました。午前8時、谷川ヘルパー、午後9時谷川ヘルパーによる身体介護。午後3時過ぎに父さん介助による排便良好。昼食は、鰤煮つけとコロッケ、生野菜、ジャガイモと玉ねぎの味噌汁。夕食は、鰤煮つけと〆鯖、生野菜、卵とじうどん、コーン。いずれもデザートはバウムクーヘン。ノーちゃんはなはだ満足。食事時は、我が短歌朗読の時でもあります。妻必ず論評、対話甚だよし。指圧は右かかと裏に。頭、胸、腰、目に良きこと著し。ツボの新発見であります。 11月9日 手のうごきと箴言と歌七首 我妻よ数万言の我が著書も汝(な)が手のうごきありてぞある 手のうごきありありと見て我が心悲惨越へてぞ上智に参ず 御神の尊き御旨手のうごき祝福されしああ十か月 (備考:十か月とは、県立新発田病院2010年12月1日より2011年2月4日まで、新潟県立リウマチセンタ-2月4日より6月13日まで、豊浦病院6月13日より10月5日までの事なり。) かにかくに人は言ふとも箴言は手のうごきへの祝ひをぞ謝す (備考:箴言第一条[2011年3月9日記]"God blessed the good day of self-reflection and self-dedication."[神自己反省と献身の佳き日を祝福されました。]) 汝(な)が癒し祝福の神そこに在り働き給ふその証なり 我が著書は手のうごき祝す御神のみはたらき告ぐる称への歌ぞ 11月9日 言の葉六首 いかなるかくさぐさの事語るとも称えなくして言の葉廃る (備考:ブログ=Web Log[航海日誌]=文化の制約これなり。そこに称えの文化なし。然るが故に、犯罪の契機にもなる由。例えば、政府や企業が(個人の名を借りて)ブログ開催することありとか。これブログに従事する人の罪に非ず、この形式の不備なリ。心すべし。因みに、ブログに学的審査過程なし。ブログ文化に洗練なし。その一般公開性にはつねに「何の権限ありて?」の問いなかるべからず。) いかなるか原事実をば語るとも称名なくば言の葉腐らん (備考:原事実を人が語れると言ふことは、称名が許されたる証拠なり。あな嬉し。称名を最後に含まぬ原事実としての原事実あることなし。原事実としての原事実ありと誰かが言はば、そは単にかく言ふものの主観なるべし。絶対的客観に非ず。いずれにせよ、哲学的には、主観は保証さるべきなり。ホワイトヘッドの「改善されたる主観主義原理」のごとくに。保証なき主観は独善なり。) 恐るべし言の葉腐ることわりはその末尾なる自慢にぞある (備考:文化とは自慢の克服の謂いなり。) 悲惨なる病の日々を送る時恩寵称ふ言葉ほかなし 言葉得て我完成す此度の書半世紀経る悪戦の果て (備考:言葉得ることなしに、最後の編集なきことに気付けり。) 我が新著感謝無限と手渡せる友の心の有難き哉(備考:こんなものでも、友あり、友へと、手渡し給ふ有難さは、ただ感謝無限の心ありてこそなれ。我ごとき者の生かされてある喜び、感謝無限なり。)
2012.01.25

冬の昆陽池公園。美しい鳥たちです。もちろんカラス君もいます。 時行歌集『命輝く』(第29回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(14) エコゾイックス讃歌を巡りて、の記 11月6日~8日 エコゾイックス讃歌七首 (11月6日) エコ(場所)ありてゾエー(命)出(いず)るゆえエコゾイックスゾエーによるゾエーあることなし (11月7日) 生命の生命のための尊重はエコの抜けたる虚無の命ぞ (備考:エコとは神の場所(根底)即世界の場所(根底)のことなり。) 手のうごき示したるものいと嬉し命棄てたるエコ直指なり 父さんと会わんとぞ思ひ帰りたり階段の傍で待ち給ひけり (備考:広場より天に通ずるその階段の傍なり。) 我が道は東西の智慧辿るなり何があいだに在るか窮めん (備考:旧著『ホワイトヘッドと西田の<あいだ>:仏教的キリスト教哲学』(法蔵館、2001年)ただいま急上昇中。アマゾン電子書店全作品中8万位の由。) 我が料理ひらめきありて今日も進みぬ西田やめても道ありと妻 (備考:昼は鮭の糠漬けに柚子かけ、インカの眼ざめ(ポテト)と玉ねぎの味噌汁、ほうれん草お浸し、昨夜のちらしずしの残りを炊飯器の御飯の上に乗せて蒸ずしにしたるもの、デザートはもらい物のバウムクーヘンと珈琲なり。妻美味なりと感嘆す。) 新しき言葉なるもの何あらんエコゾイックス我が歌のほか (備考:これ箴言第四条の解なり。) 〇エコゾイックスと言う主旋律の発見、指圧ツボの発見、料理のひらめき、--いずれも新たな恵みであります。これらによって看病は看病よりも、共生きであります。共生きは、しかし、平板な道ならず、自戒を含みます。真に真摯に生きんがためには。 11月8日 自戒四首 エコこそは神の根底(法灯明)・我が根底(自灯明)其処に何らの知悉あるなし ただあるは不一不二なる不思議のみ有難きかな有難きかな 心して不思議なるもの称うべし夢胴元となることなかれ (備考:胴元とは、一切の知識情報をあるthat clauseの管理下に置かんとするものの謂いなり。即ち、「我(しかじかの事)を知れり」との宣伝者なり。そこに探究者精神あるなし。それあらば、「知れり」は消えて、「我称う」となるべし。知識の保持の立場は、古き自己の立場なり。それをしも反省脱却する果てに、称名的自己うまるべし。) 寸刻も探究者たる喜びを離るるなかれその細道を
2012.01.24

今朝、食事中、スズメが3羽、11階のベランダにとまりました。以前、住宅の中庭にスズメが1羽傷ついていたのを、我が家で懐抱して、しばらくして野に返したことがありましたが、あのスズメが友達を連れて、遊びに来てくれたのかも・・・。時折、ヒヨドリなども来て、我が家を覗いていくこともありますが、今朝のスズメたち3羽の来訪は、たいへん嬉しい出来事デシタ。今回は「ぶらり散歩」で小さな「浜中公園」で見蕩れた美しい竹たちとザクロと共に、スズメ3羽を収めます。今日も、よい一日が始まりそうです!! 時行歌集『命輝く』(第28回) 「復活の家出発進行-感謝無限の旅一歩一歩」(13) 歌と箴言を巡りて、の記。 11月5日~6日 11月5日 歌と箴言四首 我が歌に妻何見るや心なり奇跡に見入る我が心なり(備考:「何でノーちゃん、あんた、父さんの歌好きやねん。」「父さんの心分かるからや。それ見たら生きる気がするねん。」) 我が心ここに起こりし奇跡見るありありと見る感謝無限ぞ 手のうごきありて御神応えます箴言一条ありありと謝す 何あらん祝福よりも勝るもの佳き日寿ぐ祝福よりも 11月5日の事6日記す 夕餉指圧対話五首 愛宕より帰り来りし我妻の夕餉豊かに我心尽くしぬ (備考:素麺、ちらし寿司、おはぎは美味なりし由。) 何があり何がなくとも妻あればいと面白き対話あるかな 心して我指圧せり右かかとたちまちにして胸軽しとか 父さんよ右かかと裏ツボやんか胸も頭もお尻もよし くさぐさの痛み治まり残れるは感謝無限の対話なりけり 11月6日 復活の家著述三首 復活の家あらばこそいと楽し日米欧の旅ここに脱ぐ (備考:旅は足袋なり。家は素足なり。) ノーちゃんよ旅ここに脱ぐ気持ちして父さんは今著述一途よ 心にて形なりたる英文著むべ「神のエコゾイックス」窮めん(備考:上智講演:"The Problem of the Two Ultimates and the Proposal of An Ecozoics of the Deity: In Dialogue with Thomas Berry, Sallie McFague, Anselm, Aquinas, Whitehead, and Nishida. Part I"は来春2月のクレアモント講演にてPart IIを発表せば、二究極者の問題、アンセルムス論、アクイナス論、ホワイトヘッド論、西田論を二講演の後に配置した一書:Toward an Ecozoics of the Deity完成に一途に進むべし。その際、以下の五雑誌論文、それぞれに面映ゆきその所を得て、一堂に会すべし: 1"Sunyata, Kenosis, and Jihi or Friendly Compassionate Love: Toward a Buddhist-Christian Theology of Loyalty," Japanese Religions, 15/4, July 1989, 50-66. 2"Reason and Intuition in Christian and Buddhist Philosophy: Anselm's Proslogion II and IV Reinterpreted in Light of D. T. Suzuki's \zen Thought," Bulletin of Keiwa College, No. 17, February 28, 2008, 1-35. 3 "Portraying ‘Authentic Existece' By the Method of Analogy: Toward Creative Uses of the Analogy of Duorum Ad Tertium For Comparative Philosophy of Religion, " Bulletin of Keiwa College, No. 1, February 28, 1992, 61-83; No. 2, February 28, 1993, 27-50; No. 3, 1-19. 4 "Reflections on God Who is ‘With' All Creation: Phases of Mysticism in D. T. Suzuki's Zen Thought and Whitehead's Metaphysics." and 5 "Hartshorne and Nishida: Re-Envisioning the Absolute. Two Types of Panentheism vs. Spinoza's Pantheism," Twntieth World CJogress of Philosophy Paideia: Philosophy Educating Humanity at Boston University, August 1-16, 1998; http://www.bu.edu/wcp/Papers/Cont/ContNobu.htm 対話:鳥飼慶陽師(11月2日)への応答(11月3日) (最初略) 「風」にも書きましたが、ホワイトヘッドの「観念の冒険」末尾の含む視点はすごいものであります。アンセルムスの神証明の末尾とかみ合います。これらは皆、拙論第二部(英文)で詳論したいと思っております(クレアモントのために)。 私の「至誠心の神学」の時から、なんとなく気づいていたのですが、根底(絶対無)に神は至誠でいますのでありますが、其処から逆転して、招喚する神に出てくるとき、この神は、この神であるのみならず、根底そのものの声であり給う、その不思議。 その場合、声(例えばイエス)は直ちに根底(神性)以外ではない。臨在の臨在として、ここでは、イエスによって初めて原事実が発生したのではない(滝沢)のではありますが、イエスと根底を分けることはできません。イエスは根底の現成ですから。ここの消息は、常に絶対客観的インマヌエルを高調された滝沢先生には、あまり出てまいりません。いかがですか。(もっとも、先生がバルトや久松に「一方性」があると仰るとき、見ておられるのはこの一体性でしょう。) 至誠面と招喚面の微妙な絶対矛盾的自己統一的関係は、一度『思想のひろば』でご紹介いただきました『地球時代の政治神学』でも目を凝らしてみました。ご紹介深謝無限。 「冒険」とか、「改善された主観主義原理」とか、ホワイトヘッドの見るところは、私の言う招喚面の事であります。 右、お礼方々 IXIA! 対話:鳥飼慶陽師(3日)への応答(4日) 御親切なお言葉有難う存じます。感謝無限。今日は「風」12に、延原信子理解の歌を綴りました。御笑覧下さい。箴言第一条は、あの手のうごきを受けて出てきたものだという理解です。これでよく了解できました。 手のうごきには本人にも隠れた真実がございます。その真実を開示したのが、英文箴言第一条です。 (おそらくあの手のうごきには、父さんの働きを十分支援していない自分への反省が隠されていたようであります。最近もよく、「父さんを助けられなくて本当にすみません」と言います。「いやいや、ノーちゃんは十分助けてくれていますよ」と私は応えます。この反省あったうえで、手の動きは献身の真実を表していたわけです。それを、光を一杯に見た3月9日、思わず、God blessed thegood day of self-reflection and self-dedication.と表現したわけです。The good dayとは、「手のうごき」とそれの表す一切だったわけです。 今、一切と言いましたが、それは本当に「一切」なのです。つまり、神ご自身が翻り反省し給い、かつそのことにより、世界を生み動かす働き(献身)を、西田の言うように、しておられるのですから。 「絶対的自由の意志が翻って己自身を見た時、そこに無限なる世界の創造的発展がある。」(全集第二巻、287頁) 「翻り」は、私の言う、絶対無:根底への(神の)至誠心の真実であります。「発展」は、その結果の至誠たれと言う世界への呼びかけ:招喚貫徹の真実であります。 人の真実がこの神の真実に忠実である時、そこに祝福の今が瞬発するのであります。延原信子に於けるように。) 此処を何か感じて、私は歌で表現し始めたようであります。「ようであります」と言うのも変ですが、どうも、そういうことらしいです。そこが私の歌の発生源であります。 私の公的活動(講演)は、どうも、ノーちゃんの献身の的のようであります。 お働きに天来の御祝福を! 右、お礼方々 IXIA!
2012.01.23

お馴染みのピアニスト・山路洋子さんのコンサートがあり出かけました。「国連平和デー被爆ピアノ平和コンサート実行委員会」の梶田誠さんのお話と共に2時間あまり、「被爆ピアノ」で奏でられる名演奏を「ピアノの発達と大作曲家―バッハからシューベルトまで」と題するお話を交えてたっぷりと、良い時を過ごしました。会場の賀川記念館4階は「賀川ミュージアム」と「カフェ・天国屋」もあって、コーヒーブレイクも旧知の友との語らいには最高でした。会場近くで見つけたお地蔵さんなどと一緒にUPして置きます。 時行歌集『命輝く』(第27回) 「復活の家出発進行-感謝無限の旅一歩一歩」(12) 延原信子理解の歌くさぐさ、の記 11月3日~4日 〇延原信子は―殊にその奇跡的治癒を巡って―理解されなくてはなりません。愛宕の園ショートステイ(11月1日~5日)の間はそのためのまとまった良い時間であります。治癒には治癒の原理があります。それは、ノーちゃんの場合、12月早朝の手のうごき(注:梯子から落ちて寝かされていた居間の、壁に接して設置された腰までの低い書棚にある書物のうち、一段目の日本語の書物2、3冊を右手の人差し指と中指で2cmほどこちらに引き寄せ、次に5、6冊右にある英書を一冊人差し指と中指でこらも2cmほど引き寄せ、最後に二段目にある旅行用の紳士傘をわしづかみにして、「上智講演に行きなさい」と意思表示した、「ノーちゃんの手のうごき」)は、今度の拙著『あなたにいちばん近い御方は誰ですか―妻と学ぶ「ラザロとイエスの物語」』(日本キリスト教団出版局、2011年8月刊)の隠された焦点であるのですが、それがそうであることの理解となりますと、大きな課題であります。今回、この問題に歌で挑戦してみたいと思い、そうして見ました。そうすると、私自身にも驚く様な解答がえられることに相成りました。以下のごとくです。 11月3日 英文箴言第一条と信子評四首 我妻を光包めば祝福の箴言一条おのずから出(い)づ(備考:英文箴言第一条:God blessed the good day of self-reflection and self-dedication.「神は自己反省と献身の佳き日を祝福されました。」 3月9日、新潟県立リウマチセンターリハビリ室に差し込む午後の陽光にインスピレーションを感じて、五十嵐セラピストの差し出した一枚の紙に、「延原さん、何か書いてください」の声に励まされすらすらと英文で書いたのが、これです。「私は感性で書いた。父さんのように、観念によってやない。」と漏らしております。) 第一条出づる幸い限りなし病魔しりぞく輝き溢れつ ある人の文を送りて妻称ふ信子女史いて我(時行)が幸ありと (備考:文とは聖ベルナルド新教修道院長井原淳子先生10月29日付書簡なり。) くさぐさの信子の魅力語る人もみんちょの事微笑み給ふ (備考:もみんちょとは我が指圧の家庭内用語なり。) 11月4日 妻の手のうごき讃歌七首 手のうごき上智講演促して無私救済のすがたとぞなる(備考:無私即救済とは、「己を失うものはこれを得べし。」とのイエスの宗教(マルコ15・34)のことなり。はじめ、後代原始キリスト教団が付加せし「我がためまた福音のため」挿入句は無きがごとし。) 祝福の今を録せし第一条げに手のうごき祝う歌なり 我妻の悲惨に溢る恩寵よああ恩寵よああ恩寵よ 恩寵よ手のうごきにて身を献ぐ汝が器なる妻救ひたる 死の淵の暗く迫れるその時に主の器なりし妻の手尊し いかなるか生涯の果て顧みつ己が身献ぐ妻の心は かくてこそ我が看病は繋がれり地球の癒し進む御業と (備考:御業とは、トマス・ベリー言う「偉業」The Great Workなり。) 妻の欣求二首 腰痛し頭痛しと悩みつつなおクリスマス謝恩欣求す 明々と復活の家ライト満ち主の降誕をいざや祝はん 書評 井原淳子先生(10月29日付) 主の聖名を崇め称えます。十月も終わりに近づき、ただ今、修道院のブナ林の紅葉の真っ最中です。 裏を見せ表を見せて散るもみじ この良寛辞世の句が、「裏」が「恩寵」であり、「表」が「悲惨」である、―と延原先生と信子先生ご夫妻の「愛情物語」を通して示されたことを感謝しつつ、紅葉を味わっております。 過日賜った『あなたにいちばん近い御方は誰ですか―妻と学ぶ「ラザロとイエスの物語」』圧倒されっぱなしで読ませていただきました。こんなことってあるのか・・・本当に主の御業の不思議にただただIXIA!のみです。 それにしても、今度の御著書には、プライベートな記述や写真があるので、今まで学術書の中の延原先生からはとても想像できない「一面」がうかがえて、ちょっと笑ってしまいました。 関西弁で、高度な「夫婦漫才」そして、"もみんちょ"などと愛情細やかにうるわしい御様子ですね!! 北垣先生のお写真などもあって、敬和学園大学の御縁の深さを思います。考えてみれば、そもそも延原先生に、そして信子先生に私が御縁を結ぶことができたのも、敬和の御縁でしたから、御著書の中に出て来るお名前をおなつかしく主の枝に連なっていることの幸いを改めて覚えます。 延原先生も信子先生も、本当に多くの良き友、家族、ご近所の親切な方々、そして学問の交わり、教会、学校の交わりと、何十年にも亘る親しい交わりが、日本のみならず米国にも濃密に結ばれていることがわかり、本当にすばらしい宝物を持っておられるのだなあと敬愛の気持ちで一杯でございます。そして、私もその交友の輪の中に連なることを許されておりますこと、本当に忝く、光栄に存じます。 ご著書の中で、そのお写真で、若き日の信子先生を含め、初めてそのお顔やお姿を拝見し、ああ相思相愛の仲なんだなあ・・・と「運命の女」(ファム・ファタル)の信子女史の魅力を感じました。延原先生は信子夫人と一緒の時を過ごしてこられて本当に幸せ者です。大変な経験をなさいましたが、奇跡は起きたのです。これからの恵みの時が益々主の御恩寵に満ち溢れますよう心からお祈り申し上げます。(中略) 晩秋から初冬へと季節が進んで参ります。信子先生のお体に冬の寒さが堪えませぬよう、延原先生の体力が落ちませぬよう、お体くれぐれもお大切になさってください。どうかどうか、心身の平安が守られますよう、切にお祈り申し上げます。心よりの敬愛と感謝を込めてめてIXI!
2012.01.22

「真野のまちづくり」のリーダー・毛利芳蔵さんの記念樹のあるすぐ傍に、明治32年に完成した「兵庫運河」があります。そこには神戸らしい美しい景観が開けてきます。素敵な「高松橋」の西角には、日本の財界人として、特に地元では「兵庫運河の開削者」として知られる「八尾善四郎」の大きな銅像が据えられています。戦時下、兵庫の大仏は強制的に拠出されましたが、この銅像は関係者が提出を固く拒んで守り抜いたことなど、今に語り継がれています。道路には、今話題の「平清盛」の旗が、たくさん飾りつけられています。 時行歌集『命輝く』(第26回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(11) 快癒の日々、対話、エコ倫理宇宙一途、を巡りて、の記 11月1日~3日11月1日 快癒の日々五首 自転車でひょいと出掛けて歌示す我に妻訊くその次は何 (備考:愛宕の園は復活の家から自転車で20分なり。ノーちゃんの身上は絶えざる問いかけならん。) 食堂で夕飯介助やりてのちでは帰るよと言へばウンとさ (備考:この「ウン」主体性の成長を語るものなり。) よく見ると介助する身の真ん前に温かきお茶湯気たちおりぬ (備考:食堂介護士の親切なり。) おけさ柿ふと思いつきJUSCOで求む妻帰宅時にデザートに良きか (備考:園から自転車でJUSCOに20分なり。さらに自宅には10分なり。) かくしてぞ快癒の日々はめぐり来て幸訪れるべし祝福の今 対話二首 秋深し「滝沢哲学四景」にくさぐさの問い綴る人あり 綴る人図書館に生きなお日参すその思索へと返事届くや 11月3日 エコ倫理宇宙一途十首 エコ倫理今や国連巻き込みて新文明の先頭に立つ (備考:9月26~29日の第八回国際ホワイトヘッド学会世界大会(於上智大学:Eco-Sophia Symposium 2011において我講演「二究極者の問題と神のエコゾイックスの提言:トマス・ベリー・サリーマクフェイグ、アンセルムス、トマス・アクイナス、ホワイトヘッド、および西田幾多郎との対話のなかで(第一部)」をしたり。このたび、同じくシンポを担ひし、Herman Greene, "Process Ecozoics: Philosophy and Theology in the Ecozoic Age"と山本良一東大教授:"Intergovernmental Ethics Panel for Ecological Civilization (IEPEC)"の両雄により、米国のRichard Clugston, Executive Director of Earth Charter USとBrian Rosborough, the Founder of EarthWatchにハーマンが語りかけることを通じて、山本案:IEPEPと言うエコロジー文明のための国際パネル、の国連における制度化実施に向けて大きなうねり生じつつあり。地球のエコ危機を防ぐためには、科学的パネル、政府間パネルが必要なるも、エコロジー文明を創造するというトマス・ベリーの発意を受けて、宗教的哲学的神学的背景のある価値観による全地球的倫理綱領を基準とした、検討制度を生み出すべし、との機運なり。) 刻々に友らメールを送り来て偉業の進捗告げてやまず 御神のエコゾイックス明らむる我が道はありありありとあり (備考:右の機運の中で我が神のエコゾイックス論は使命ありと信ず。) 我が歌は時代の鼓動告ぐるもの我が使命なる道ぞ明らむ 至誠なる御神の道ありありと転じて告ぐる至誠なれよと 翻るこの神の道我告ぐるこは冒険の宇宙なるべし 冒険とは至誠なる神翻り呼びかける神宇宙なる事 かくしてぞ根底への心(しん)命(めい)となる根底からの冒険一途 (備考:根底をプラトンは「受容者」と呼びしも、ホワイトヘッドは『観念の冒険』末尾(AI, 295)にて、神是に至誠なり給ふゆえに、転じて、一としての宇宙における冒険(an Adventure in the Universe as One)に至ると述べしなり。こは神の帰結的本性の冒険的自己生成なり。この生成において根底は神として現成す。これ宇宙一途の秘儀なり。同じ哲理、アンセルムスの神の存在論的証明の末尾に歴然たり。彼初めは信ありてこそ神を思うとするも、末尾では理性ありて(神秘主義とひそと結合しつつ)神の歴然たる実在、信なしに、瞭然たりとするなり。此処にも神宇宙一途であり給ふなり。) 冒険の一途なるもの宇宙なりよみがえりなる宇宙なるべし よく見れば我らすべては招かるる冒険一途の宇宙の中へと 書評:森松睦雄氏 森松睦雄と申します。突然のメールで申し訳ありません。わたくしは滝沢克己協会で、福岡のセミナーに参加して勉強している者です。先日(10月29日)村上一朗さまから先生のメルアドを教えて頂きまして、メールを差し上げているところです。と申しますのも、昨年『滝沢克己を語る』(春風社)所収の先生のご論文「滝沢哲学の四景」を拝見しまして、大変啓発されるとともに、少しわたくしに理解できないところを、質問させていただきたく、メールを差し上げる次第です。なにかとお忙しいところ、大変恐縮ですが、いつでもかまいません、時間の許すとき、ご教示いただければありがたく存じます。質問のメモを添付ファイルでお送りしますので、よろしくお願いします。 応答 拝復 拙い私の論考「滝沢哲学の四景」をお読みくださり、真剣な問題提起を賜り、まことに有難う存じました。感謝無限。 最初にお出しになっておられる、存在論的主題「存在」「我ら」「と共に」については、拙著『ホワイトヘッドと西田哲学の《あいだ》:仏教的キリスト教哲学の構想』第一章、拙著『地球時代の政治神学』第三部、Iをご参照頂ければ幸甚に存じます。 また、右論考の下敷きになっている、英文論考四つほども滝沢論の前に書いたものとして、私の思考にとっては重要であります。 私の論考は、いつにかかって、滝沢哲学がアンセルムス的コンテキストから、照射されうる、またされねばならない、という学問的使命感に発するものであります。そうしますと、aliquid quo nihil maius cogitari possit. Someone beyond whom Nothing Greater can be conceived. それより大いなる何者も考えられないあるもの。(それより大いなる無が考えられうるあるもの。)という、アンセルムスにおける「より大いなる無」と「神」の関係を基軸に据えて、拙論が西田の絶対無(包括的無)と「インマヌエルの神」と滝沢先生のお呼びになったものとの関係を論じることができる、--という問題連関が重要化するわけであります。 これが私の右論考における基本的問題意識です。そのことを、あなたの論考の検討に入る前に、自己説明させていただきます。これが拙論の大枠であります。 アンセルムスにおいて、理性と神秘主義は補い合っておりました。同様に、滝沢においても神の自己表現と哲学的探究は相補います。そこが神の存在論的証明の眼目であります。バルトはそこを指して、神のなさる神学、と申します。証明=照明(illuminare)とはそういう意味なのです。 ここでは、滝沢先生の仰るように、インマヌエルの原事実は、「絶対客観的事実」ではありません。それの翻って、改善された主観主義原理(ホワイトヘッド)になったものであります。この関連で、私は滝沢初期の「包括l的」概念を非常に重要視しております。御存じのとおりです。 右、はしがき的に 草々不一 対話(10月30日):鳥飼慶陽氏 コンテキストを「生きた文脈」と邦訳していただいて、私にはいっそう分明に理解できるように思います。さらに加えて「神も世界も、それに包まれ、それに至誠なるあいだ、生きる文脈である」という表現も、とても生きた言葉として伝わってまいります。そして、その後の文章も。とりあえず、御礼まで、IXIA!! 応答(11月1日) 私の一番注目しますのは、根底への至誠なる神が根底からの招喚する神に転ずる、翻る「冒険」でありまして、これがアンセルムスの神の存在論的証明の眼目であることに惚れ惚れしております。右、一言 IXIA!
2012.01.21

高松橋のすぐ西隣りに「尻池街園」があり、私たちのまちづくり運動にも力添えを頂いた毛利芳蔵さんの記念碑を見つけました。毛利さんはこの「真野のまちづくり運動」の推進者として、全国に知られているお方ですが、個人的にもいろいろと懐かしい先達です。「記念樹:尻池南部自治連合協議会会長・毛利芳蔵」と刻まれていました。そして「万葉集」に歌われた「真野」の新しい記念碑もそのすぐ横にできています。公園に遊ぶ雀たちと共に、ここにUPします。 時行歌集『命輝く』(第25回) 「復活の家出発進行-感謝無弁の旅一歩一歩」(10) 朝食、歌、エコゾイックス治癒、を巡りて、の記 10月31日~11月1日 10月31日 朝食と歌三首 我が妻の大好物はレーズンパン目を細めては美味しいと笑む (備考:美味しいものは命なり。そを与うるこそ介助なり。) 父さんは炊事好きやな楽しそう名付けてキッチンエコゾイックス (備考:キッチンをホーム(エコ)にして命(ゾエー)湧きだす、との含意なり。ノーちゃんのウイット満点の命名。) 歌好きの我妻の朝第一声もうできた?聴き一日始む 11月1日 エコゾイックス治癒三首 御神のエコゾイックスいとくすし根底に心(しん)ありて命(めい)あり (備考:心とは至誠心なり、命とはEvocation(召喚にあるいのち)なり。) 我妻の帰りたき一心命なりホームグラウンド豊かに待てば つくづくと思ひ当たるはこの道理神祝し給ふ治癒の道なり(備考:本日11月1日より五日間豊浦愛宕の園にてショートステイなり。この道理働きつつ。)
2012.01.20

大地が乾燥し草木が待望していた恵みの雨が降り始めました。やれやれですね。昨日午後のぶらり散歩は、30分ほどのところにある「神戸市ものづくり復興工場」界隈でした。川崎重工や富士通などに並んで、美しい景色の中に建っていて、神戸のサッカー場もすぐのところに見晴らせます。 時行歌集『命輝く』(第24回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(9) 歌、朝の楽しみ、エコソフィアを巡りて、の記 10月27日~29日 10月27日 詠うべし四首 今日の午後妻帰りなん愛宕よりいざ薩摩芋蒸して備えん 現実は時にあざとく冷え込むも歌に詠えば温まるなり 我が妻よ喜悲こもごもを詠うべし永遠(とわ)の祈りに乗る我らなれば (備考:大乗キリスト教の発意なり。) 詠う時胸の高鳴りなぜか涌き未だ見ぬ幸ひそと萌せり 10月28日 朝の楽しみ三首 新聞はどこにあるのと妻の訊く新しき今始まらんとす 朝食を済ましたるのち日報を二人で覗き新聞談義 ノーちゃんをはあとふる車に送り出し鱈フォンデューに我挑戦す(備考:夕食の備えなり。ちくわ、蓮根、各種野菜の上に鱈を乗せたる珍味、時行煮と名付くべし。)) エコソフィア三首 エコソフィア上智学会成功す奮闘の人世界拓けり(備考:田中裕委員長その軍団=日本ホワイトヘッドプロセス学会と上智哲学科の若い人々=と共に獅子奮迅の貢献なり。殊に出色は、the video of the opening session and the hree plenary sessions of the 8th IWC, Eco-Sophia Symposium 2011, held in Tokyo during September 26~29なり。以下のアップのごとし:the official website of Sophia University: http://www.erp.sophia.ac.jp/Projects/ocw/lecture/110926/110926lecture/110926lectureまたthe program and the two volumes of proceedings of the ith IWCも以下のごとくなり:http://iwc8japan.com/program.html=Google検索でProceedingsの項目を参照のこと。) 哲学に文脈ありて使命生む三拍子こそいと面白し(備考:親友Herman Greeneのtriadic vision of Philosophy/Context/Missionは、エコゾイック時代の智慧なり。我称揚す。) 不思議なりエコソフィアなる輝きに我妻の手に導かれたり(備考:この主題は、拙著『あなたにいちばん近い御方は誰ですか:妻と学ぶ「ラザロとイエスの物語」』(日本キリスト教団出版局、2011年)のそもそもの眼目なり。) 10月28日の事、29日記 スピーチ一首 はあとふるあたごにて妻スピーチす感謝無限に皆泣きし由(備考:今度の事故後初めての公のスピーチなり。今までご挨拶を十分できませんで、相済みません。こうしてご挨拶でき感謝無限です、と涙したとき、はあとふるあたごの皆さん=職員、患者さん=涙涙なりし由。ここに、父さんがgreat interest持っていることも話しましたとか。ノーちゃん、ありがとうね。) 再診に片桐ドクター笑みこぼる妻も笑み見せ幸かみしめぬ(備考:幸とは「ノーちゃん、よう戻ってきたなあ。」「父さんが待っていたから、父さんに会いたかったんや。」の会話なり。) 土曜日は義妹来りて大御馳走こんな親切誰にできるか (備考:誰にもできないことをノーちゃんは一番知悉す。) 活評(27日) 鳥飼慶陽師 「おはようございます。朝からなんですが、「こらうんち様下りてきなさい!」は大傑作でした。先生が出掛けていかれるだけで、園の空気もかわっていくというのも、とてもよくわかります。奥様のこういうことばも、うれしいですね。 添付の写真、三重県の御在所岳の頂上の景色です。41名、無事に楽しんできました。高齢者生協をつくったのは1999年ですから、早くも20年を越えました。11月5日には、数年ぶりですが「高齢者主張大会」と言う集いがあります。高齢者も益々元気です。 家内は本日より一泊の、小学校時代の同窓会に、浜松まで出かけます。全国が日本晴れのようで、何よりです。 敬和大学の研究紀要などに日英論文2編のご寄稿、敬和の皆さんもお喜びでしょう。藤野豊先生は、部落問題研究でも実績のある方で、ハンセン病の研究分野でも地道に活躍されてこられましたが、まだ早稲田時代でしたか藤野さんのお若いときにお出合いしたことがあります。本人は覚えておられますがどうか。敬和大学でも、よいお仕事を続けていかれることでしょう。 本日、奥様はショートステイの最終日ですね。ご自宅の「復活の家」もよし、お出かけの場所もよし、すべてオーライ!ということで!! よい一日を! IXIA! 応答(27日) 「御在所岳の向上景色一品です。特にススキがいい。高齢者生協はいいお働きですね。特にバス旅行は必要な事です。動きのない高齢者には。では、今朝の一首: 今日の午後妻帰りなん愛宕よりいざ薩摩芋蒸して備えん 藤野豊先生が敬和に入っていただいたのは、何かの摂理でしょう。たのしみに存じます。ここでもう一首: 同窓会いざ出掛けんと嬉々溢る奥方の幸友に祝しぬ 今新しい論文の主題が湧いてきています。「インマヌエルの原事実はコンテキストである。」これは勿論、神のエコゾイックスからの発想です。コンテキストと言うのは、原事実が我々被造物だけでなく、神ご自身の人格的存在のコンテキストであるという発想であります。一言でいえばエコです。原事実はエコなのです。それに神も世も至誠を尽くすところに、命が出てまいります。原事実は、したがって、人格的神その方ではありません。その方の根底、コンテキスト、エコです。イエスの仰る「天」です。神は、「天にまします我らの父」でいらっしゃる。この含意を長く我々は無視、忘却してまいりました。 滝沢先生は、コンテキストを人格的神と峻別されないところに、コンテキストの先行性であるものを人格神の不可逆という風に仰るようになったのだと私は思います。それである以上、今日のエコロジー、いやむしろ、エコゾイックスに有意義に言及なさる端緒を掴まれなかったのでした。原事実をコンテキストと取ることによって、滝沢のインマヌエルの原事実論を創造的に再解釈することが可能でありましょう。その試みが前記主題の新論文の趣向であります。 「インマヌエルの原事実はコンテキストである-神のエコゾイックスからの滝沢再解釈の試み」が新論文のタイトルの全体となりましょうか。 右、お礼方々 草々不一 IXJA!
2012.01.19

昨日は「1・17」。あの時心にかけて頂いた方々からまた今年も、ご親切なお電話などお受けして、熱い思いになりました。大揺れの暗闇の恐怖・人と街の焼失と崩壊・・・何と言うこと・・・。余震に怯えながら焚き火をして夜明し・・・。あの冴え渡る天空の満月と星たち・・・。そして震災翌朝のあの日の出と大きな太陽!!年年歳歳、護られて今日まで・・・。17年後の2012年1月18日・今朝の日の出です!! 毎年開催されるメモリアルで、岩手・宮城・福島の今と地元・神戸の今を結ぶ報告と石橋克彦氏(神戸大学名誉教授)の記念講演「原発震災を繰り返さないために」に耳を傾けること4時間余り。三宮駅前では、パワー弾ける「輪田鼓」の熱演などありました。手頃な食堂でご馳走になりました。 時行歌集『命輝く』(第23回) 「復活の家出発進行ー感謝無限の旅一歩一歩」(8) 園の一日やれやれと謝す、の記 10月27日 26日の事、27日記 やれやれと謝す三首 父さんが居てくればこそ愛宕園安心の夜迎へりと妻 (備考:排便の苦闘一日中続くも、人々の介護優しく遂にお通じ夜あり、晩祷に二人して謝す。) 闘病は一日一歩の苦労なり介護介助も一日一歩 (備考:介護は園の仕事、介助は父さんの仕事、闘病はノーちゃんの仕事、三位一体なり。) 復活の家に帰りてしみじみと園の一日やれやれと謝す (備考:明日は短期入所終わるので、美味しい食事用意するよ、と26日夜帰宅せり。家では快便あるべし。) それにしても妻のユーモア巧みなりこらうんち様下りてきなさい (備考:皆が一斉に笑う時、なごむ時なり。)
2012.01.18

今日は「1・17」。東北と重なって特別の日となりました。毎年続く「メモリアル」に出かけます。今回も「昆虫館」の「チョウ温室」をUPします。熱帯・亜熱帯の花や木々がしげる楽園です。 時行歌集『命輝く』(第22回) 「復活の家出発進行ー感謝無限の旅一歩一歩」(7) 活評、新しき朝、愛宕の園短期入所、学術進捗をめぐりて、の記 24日~26日 活評(10月24日)鳥飼慶陽師 メール便、有難う御在います。ご自宅での生活がはじまり、IPNのお仕事も継続でき、嬉しいことです。上智大学での国際シンポを承けて、来年2月のクレアモント、これまた大仕事ですね。皆さんも楽しみにされていることでしょう。念願の英文の著作も実現していくこと、期待しています。 余念なく指圧に打ち込み、突破の見極めも喜ばしく存じます。食事も介助も洗濯も、何もかもが、いまこうして進展していることは、やはり驚きです。 よい夜をお過ごしください。お礼方々 IXIA!! 応答(10月25日) 我々の生きた書物なる生活への御批評(ご活評と申しましょう)、まことに有難う存じます。そのような風に進んでおります。感謝無限。 先程今日からの短期入所(ショートステイ)のお迎えが豊浦愛宕の園から参りましたので、送り出したところです。そこで一瞬の間をいただいて新しき歌七首: 新しき朝七首 五本櫛両こめかみの上にあて訊けば妻言ふ頭痛消えぬと 父さんの手のうごきには磁力あり不思議なるかな癒ゆる道筋 朝飯に野菜スープをパンに添え出すと我妻美味なりと言ふ このスープ前夜のうどんの残り物オニオンで味付けしもの オニオンの甘き香りがえも言へず好ましきなりと妻我を褒む かくてこそ新しき朝始まれり短期入所の車来たれば ベスト着てシャッポもかぶりちと洒落てノーちゃん手をばひらひらと行く 右、お礼方々 IXIA! 10月25日 愛宕の園(病棟:千鳥町2丁目8番地)寸感四首 愛宕園昼も夕べも介助せば妻の食事は和やかなりき 看護師のあれやこれやの思い遣り妻と二人で晩祷に謝す 世の中は躍り込んでぞ活き始むそはそこに神凛と在せば 人生の生地を活かせよ色々と色々ならぬ固定つやなし (備考:健常者あれば、病者あり、欠けた丼、完全ならぬ車、不全なる世界経済などなど。) 10月16日 学術三首 我が講演エコゾイックス語るなり上智ビデオに再現の快 (備考:上智Koji Yoshida、Ph.D.の貢献なり。) エコと言ふ根底在りて神も世もすべてが結び合う命なり (備考:エコゾイックス=エコ生命学=を歌えばかくなるなり。) 一瞬のひらめきありて我が旧稿磨きてはつと寄稿する秋 (備考:日英論文を敬和年報と紀要に。)
2012.01.17

伊丹市昆虫館を訪ねた前回の続きです。このチョウは「リュウキュウアサギマダラ」のようです。下の写真は、前回紹介した「オオゴマダラ」(向こう側)と、手前の黒いチョウは「ナガサキアゲハ」でしょうか。以下その他のチョウたちと共に収めます。昆虫館の「チョウ温室」は、また訪ねてみたい場所ですね。 時行歌集『命輝く』(第21回) 「復活の家出発進行ー感謝無限の旅一歩一歩」(6) 感恩と突破めぐりて、の記 10月23日~24日 〇はあとふるあたごへのデイサービス(8:45AM~4:10PM)。小生は、結婚式挙式に半日励む。4時までにとJUSCOで買い物。同時に、このところ毎日朝8時と夜9時のホームヘルパーさん(谷川、富樫、大沼の諸姉)と共に介助活動。炊事は、食事の哲学を考えながら満喫中。洗濯は一二度三度。昨年風呂場を乾燥機にしておいたのが、ここにきて抜群に便利。一日でいちばん楽しみなのは、我が歌の批評をノーちゃんから聴く時間(おもに夕食後だが、それに限定せず)。短歌で思考するようになって久しい。で、ここでも一寸ご披露致します。 10月23日 感恩六首 欧米に我らある時助けんと心砕きし友今いずこ (備考:友とは信仰の友なり。亡母を含む。) 我が妻のこの想いこそ募り行く感謝無限のこころの響き あの人もこの人も実に麗しき永遠(とわ)の祈りの姿なりけり (備考:永遠の祈りとは基督の事なり。) 病床の二人語りは実に尽きず感恩の情胸に溢れつ かく語りかく謝する時心には命みなぎる癒し進めつ 今晩は焼きそばと寿司コロッケを肴にしてぞ秋は更け行く 10月24日 突破二首 左足土踏まずをば指圧せばシャンデリア妻見ゆると言ふ (備考:天井の近くの電球が見えるわけなり。) 実にこれは突破なりけり物凄き麻痺の手足の謎や解けん
2012.01.16

昨日は初めて「伊丹市昆虫館」を訪ねました。その前に「昆陽池公園」まえの美味しいパスタのお店で腹ごしらえをして・・・。 昆虫館には、年中約14種類、1000匹のチョウが18度以上の暖かさで、熱帯・亜熱帯の花や木々に囲まれてチョウの舞を見せてくれます。前にブログで紹介しましたが、小学校の時からの同級生・円月光さんの『チョウはなぜヒラヒラ飛びか』の著書を思い出しながら、チョウたちの舞に見蕩れてしまいました。今回は、沖縄地方がふるさとという「オオゴマダラ」をUPいたします。大きくて人懐っこいチョウの王様です。 時行歌集『命輝く』(第20回) 「復活の家出発進行ー感謝無限の旅一歩一歩」(5) 誠に感謝無限の一歩一歩なり、の記 10月19日~22日 (前回の書評の続き) 書評七:竹中百合子様(故竹中正夫先生ご令室)(2011年8月29日付) 昨日(8月28日)京都教会で、北垣宗治先生から延原先生がこのたび出版されたばかりの新著『あなたにいちばん近い御方は誰ですか』を一部頂戴いたしました。ご出版おめでとうございます。 第一部完成直後の奥様の不慮の事故に死の淵からの奇跡的ご生還は本当にドラマティックで、深い感銘を覚えます。先生の奥様への強い愛情と深い信仰が奥様の奇跡の源であると存じます。本当に素晴らしいことでございます。この第二部が本書をより深くして居ります。奥様のご回復とご出版、心よりおよろこび申し上げます。 奥様の一層のご回復と先生や周囲の方々のご健康をお祈り申し上げます。 書評八:鳥飼慶陽師(10月19日付) 「風の便り」とメール便、それに「英文箴言」の出だし部分有難う御座います。 新著への 皆様のお手紙、それぞれに嬉しい御言葉ですね。まったくもって、ご夫妻の「感謝無限」の溢れが、私たちにも直に感染し、大きないのちに立ち帰らせられている感じがいたします。先程の「英文箴言」の書き出しもいい感じですね。すでに先生の中では、大凡の構想が息づいているようですから、お二人の語らいの中からさらに熟成されて、仕上がってまいりましょう。毎日が楽しみに存じます。 昨日からでしたか、はじめての短期入所のご体験、この「英文箴言」の進展が大きな弾みとなることでしょう。何といっても今は、「復活の家」を本拠にしてのショートステイですから、奥様にとってこれまでとは違う意味づけになって出向いておられるのでしょうね。先生にとっても、それは同じでしょうけれど。この短期入所のあいだの過ごされ方も初体験ですね。何もかも今は新しい経験ですけれど。まずはお礼方々 IXIA!! 10月19日 鳥飼慶陽師に贈る 実に嬉し花壇表彰日日の転園称へ水やりし幸 (備考:鳥飼師ら住宅の花壇作成で神戸市より努力賞受くと聴きて。) 10月20日 うなずき三首 箴言の第一条の解説のことば示せば妻うなずく (備考:10月18日から本日までのショートステイ中の愛宕の園を午後訪ひて。) 頷きに喜びあり手我ら生く妹背のしごと不一不二なり 癒しとは花のごとくに咲く妙味蝶とまる時うなずきてあり 明かり三首 復活の家に明かりをいざ灯さん妻帰る日ぞ今日のこの日は (備考:来客中以外灯さぬ居間のシャンデリアなれど。) 活動は復活の家に在りて在る根城を得てぞ明かり灯さん (備考:活動とは、主の活動、癒し、なり。) 10月21日 夢の中もう一人人ありて我語り続けり平安のうち (備考:我もはや生くるに非ず、その人生くるなり。) 夕餉三首 妻祝い夕餉にと我用意せり蟹飯に鰤(ぶり)茶碗蒸し味噌汁 いずれをも美味しいと舌鼓秋の一日暮れゆくは幸 ある人の贈り給ひしチョコレート妻デザートに喜色満面 10月22日 食事考六首 所望ありへぎそばに我挑戦す半なま湯がきえび天添えたり 食事とは天然の幸数あるを人の命の糧とする幸 なによりも食事にまさる薬なし我心血注ぎ美味を探らん 我が妻はベッドから庭眺めつつ美味と絶景探らんと言ふ (備考:絶景とは、むろん、心象風景なり。) ホテルパンイチゴジャムつけ朝ごはんサラダ果物珈琲の香り リハビリの終わりてのちに何食はん味噌汁うどんこそ我がメニュー (備考:前夜の味噌汁に玉ねぎ、サツマイモ、大根の切れ端、最後に卵入れて一丁上がり。)
2012.01.15

昨日は神戸三宮までの1時間余りのウオーキング途中の「御旅公園」をUPしました。今回はその続きです。いつものように美しい景色を求めて歩きましたが、結局立ち止まって見たくなる場所は私の場合、都市の中に森のあるところで、公園や神社という場所になってしまいます。かつて仕事場のあった近くのよく知られた「湊川神社」と当日の宴会場近くの「生田神社」です。本当は神社の裏側にある「生田の森」がお目当てでしたが、残念ながらカメラのバッテリーが切れてしまいました。 時行歌集『命輝く』(19回) 「復活の家出発進行ー感謝無限の旅一歩一歩」(4) 書評の言の葉と端坐を見る、の記 2011年10月18日 書評尊し三首 人びとの拙著評せしお言葉はいとも尊きその人の声 尊きやああ尊きやその言葉我ら妹背に祝福の声 嬉しきはかかる書評の言の葉ぞ長く心に貯へて生きん 書評一:小野寺功先生(2011年5月17日付) 長らくご無沙汰致しておりました。お便りや厖大な資料を送っていただきながら、何のお便りもできず、申し訳ございませんでした。この度の奥様の思いがけない出来事につきましては、大変な衝撃で言葉を失いました。私も家内の事でいろいろ経験してきていますので、その辛さが偲ばれて、そのままになってしまいました。お許しください。 それにしても「妻と学ぶ『ラザロとイエスの物語』」など、事態を創造的に受けとめ、信仰の深みへと共に学び生かしていかれる学兄の姿勢には敬服の至りです。私は二十代の頃、病気で伏していた時、たまたまラザロの復活の場面を聖書で読み、深く感動してとめどなく涙が流れたことがあり、その頃未信者だったのに、なぜなのか、生涯にわたる課題であり、不思議な経験でした。それが『あなたにいちばん近い御方は誰ですか』を読んで、深くつながっていることがわかりました。大変有難く思っています。そして延原先生の霊性との類似性が底に在るように再認識されました。 またもう一つの恩恵は、西田哲学における「絶対無」と「絶対の場所的有」と「絶対矛盾的自己同一の世界」との関係を明らかにして下さったことです。私は唯一西田の「世界」が何を意味するのか、釈然としませんでした。ハイデガーの「世界内的存在」の世界と共に、これまで考え続けてきましたが、やっと見当がついたような気がします。「世界」が神であるという表現が西田に在りますが、場所的な神なのですね。 私もいつしか高齢になり、仕事も計画通り進みません。中学生の時以来、初めて入院を経験したり、曲折がありましたが、今は何とか常態にもどりました。先日神奈川文学館で、遠藤周作展があり、彼の生涯をかけた問題意識とその展開に改めて感銘を受け、日本に類例のない大作家であると再認識させられました。今日、ささやかなものをお送りしました。 奥様の御健康を心から祈っております。 書評二:渡邉徹ドクター(新潟県立新発田病院)(2011年8月18日付) 例年より早く梅雨が明けたかと思うと、連日の真夏日に節電義務の追い討ちがかけられ、辟易しつつ夏を迎えておりますが、皆様におかれましてはお変わりなくお過ごしのことと存じます。 このたびは大変素晴らしいご著書を出版され、また当方の写真を掲載いただけるとのこと、誠に有難く存じます。お送り頂きました写真は、皆で懐かしく拝見致しました。一同、信子様の回復に目を見張り、喜んでおりました。私どもの治療は微力であり、むしろご主人の想いが奥様を支え、励まし、病状の回復に大きな力となったものと確信しております。 私どもも、高著の出版を心待ちしております。 今しばらく暑い季節が続きます。どうぞご自愛のほどよろしくお願い申し上げます。 書評三:武田龍精先生・裕子様(2011年8月28日付) 南無阿弥陀仏 さて暑い残暑の毎日ですが、その後ご無沙汰しております。このたびは御高著『あなたにいちばん近い御方は誰ですかー妻と学ぶ「ラザロとイエスの物語」』を五冊も御献本賜わり誠に恐縮至極に存じます。ご芳情深く感謝申し上げます。 奥様の懐かしいお写真を拝見致し誠に「神働き給う事、この神に栄光あれと賛美すること」の真実義を随喜致しております。さらに奥様の御言葉"God blessed the good day of self-reflection and self-dedication"の中に大乗菩薩道の自利利他の大慈悲心を体得します。不尽 書評四:上田閑照先生(2011年8月30日付) 拝啓 この度は貴重な御高著『あなたにいちばん近い御方は誰ですか』を御恵与いただき、まことに有難うございました。有難うございましたでは言い尽くせぬ気持ちで一杯です。 一読、再読、どの頁どの頁からも文字通り一行一行、行間からも心に深く響き、心をゆるがせ、心を浄める気と力が発してきます。しかも一つ一つ実に自然にそして具体的に心に触れてきます。まことに「神は愛なり」。「愛は神なり」に生きる、生き抜く真実が御二人からぢかに伝わってきます。そして御二人の間の折々のやりとりの中に何か趣きのある、面白い、緊張をほぐすゆとりも感じられ、御大変な中であるだけに、心にしみてきます。もうずいぶん前になりますが、その節には奥様に心を尽くしての御親切をいただき、あらためて妻ともども御礼申上げます。 御本に写真が色々、御二人それぞれまさにその時という様子で親しく現われていて、御一緒に居合わせる実感に恵まれました。今後とも御大変の中でと拝察致しますが、御一緒のよき日々を、御大変の中での故に、御一緒のよき日々をお祈り致しております。妻ともども。 心ばかりですが、御見舞いお届けさせていただきます。 早々 〇書評五:渡邉徹ドクター(電子メール)(2011年9月7日付) このたびは高著のご出版、誠におめでとうございます。また当方にも沢山お贈り頂き、大変ありがとうございました。 早速関係部署に配布し、私も拝読させて頂きました。その為お礼が遅れまして、申し訳ございませんでした。 キリスト教の奥の深さ、ご主人様の奥様への愛情の深さに、改めて感銘を受けました。 無学な私が恥を忍んで申しますと、私たちが生きていく中で遭遇する、運命・偶然・奇跡など、人が決して抗う事のできない力が「神の御心」であるならば、神はどんな時も凛として生命の周囲やその内部にまでも存在し続けるのかも知れないと感じました。 曇りなく神を受け入れるご夫婦の心が共鳴し、その中に宿った「神の力」が病魔を退けたのかも知れません。 病状回復の折は、また当院にも御足をお運びいただきたく存じます。 奥様、ご主人様の益々のご発展を祈念致しております。 書評第六:小野寺功先生(2011年9月20日付) 拝啓 先日は妻と学ぶ「ラザロとイエスの物語]を御恵送下さいまして誠にありがとうございました。この著書によって、初めて奥様の「奇跡的治癒物語」の全体を知ることができました。 またこれによって、私の究極の課題であった「ラザロとイエスの物語」の意味が明らかにされたと思います。 また延原先生の実践力にも敬服いたしました。 西田哲学でいわれる「絶対無即絶対有」と言われる世界の意味についての解明は重大です、さらなる展開を期待しています。 奥様の御回癒をお祈りしつつ。右、お礼まで。 我妻信子と歌につき語る三首 歌といふ命なるもの不思議なる喜悲こもごもの間(ま)にぞ生まるる (備考:10月18日未明妻信子の感想聴きつつ記す。「間」(ま)とは、経験後の反省的詠唱の時なり。例えば、喜悲こもごもなれど有難きかな、と想う時。) 復活の家から数分愛宕の園集会室に妻端坐せり (備考:9時10分にお迎えのリフト車が愛宕の園からきて、ノーちゃんが搬出されてから、我愛車ラウムで後を追い、園に至る。) 我が歌を好みて評し知る妻は間(ま)に端坐する心持ならん (備考:豊浦病院に隣接の愛宕の園に赴き、妻と短歌三つ語り合う。これ至福の時なり。介護士柏井氏に薬の事、左腕のサポーターの事、靴の事、衣服の事など話し、一階一丁目十番地の御仲間さんたちに御挨拶して帰る。ノーちゃん得意の表情。)〇ノーちゃんはかくて復活の家に帰宅と同時に、1はあとふるあたごでデイサービス、2片桐病院で検診、3愛宕の園でショートステイ、4サンリラワー介護福祉センターのヘルパー(谷川美佳子さん)の介助、を受けつつ、癒しの社会的過程に入っております。ただ今顕著な事は、5日の退院後、ずっと下剤なしで朝8時におトイレ(お通じ)成功中であることです。誠、御幸町の拙宅は「復活の家」であります。小生も、暇を得て、風にも力を注ぎつつあり、買い物、炊事、洗濯、片づけを楽しんでおります。豊浦病院横のそう産物直売店とんとんに赴き、佐渡の柿を求めたり、新潟の新米を贈ったり。神自己反省と献身の佳き日を祝し給へり(延原信子)。日々是祝日なり。
2012.01.14

昨日はいつもの「ぶらり散歩」ではなく、地域のまちづくり協議会恒例の新年会が神戸三宮の中華料理店であって、久しぶりに我が家から1時間余りのウオーキングとなりました。かつて神戸元町の7丁目にあった研究所の所屋まで、毎日片道40分徒歩通勤していたコースです。今回はその途中の「御旅(おたび)公園」での景色をUPします。公園の一角に交番と神社があります。昨日は、神戸駅近くの湊川神社と三ノ宮の生田神社にも立ち寄り、そしてジュンク堂書店で新刊本を眺めてきました。次の写真は「御旅公園」の一角にある神社「兵庫宮」です。 時行歌集『命輝く』(第18回) 「復活の家出発進行ー感謝無限の旅一歩一歩」(3) 朝と音を綴る、の記 2011年10月16日 朝三首 朝まだき家の周りを散歩せば妻とあゆみし十月(とつき)前あり 妻眠り義妹朝飯ととのへる幸いなるや今のこの時 車よりひらひらと振る手のうごき妻の体調物語りおり ある音二首 箴言を解説しつつ打つうちに歌集とひびくある音聴けり 妹と背の命の出合うその音は今ひとのみち穿ち歌うよ 〇長谷川洋三先生より、御閲読の上短歌よし、とお言葉いただきました。感謝無限。〇はあとふるあたごよりお迎え、9時15分。その前、今朝は、お通じ二回。ひらひらと振るその手は、「見えている証拠」(順子さん)です。〇今日も「ノーちゃんの英文箴言」編集に打ち込みます。それが終われば、「時行歌集:命輝く」の編集であります。げに人生かくて歓喜なり。 (鳥飼付記 前回予告の通り、延原時行さんの著書『滝沢哲学のアンセルムス的省察』を、同時進行の別のブログ「滝沢克己 新しい対話的世界」 http://d.hatena.ne.jp/keiyousan+torigai/ で本日より長期連載の予定です。ご参考までに。)
2012.01.13

昨日夕方から急に冷え込み、荒れ模様が深夜にまで続きました。ひょっとして今朝の六甲山は、美しい雪景色かなと期待しましたが・・・。新しい朝、神戸の朝日です。昨日午後の「ぶらり散歩」は、東側に歩いてすぐのところ、神戸市営住宅の団地です。ここには小さな児童館もあり、子供たちの遊ぶ公園もできていて、美しく自治管理が行き届いているようです。見習わねばなりません。お花と共に数枚をUPいたします。 お知らせ ただいまここで連載中の「時行歌集『命輝く』の作者・延原時行さんの著作『滝沢哲学のアンセルムス的省察』が、同時進行の別のブログ「滝沢克己 新しい対話的世界」 http://d.hatena.ne.jp/keiyousan+torigai/ で、明日(1月13日)より、少しずつ掲載を開始できることになりました。本書は書物としては未刊行の作品です。内容の一部は哲学雑誌や共著の著作で公開されてきましたが、ブログでは字数制限もあり、果たしてうまくいきますかどうか。どうぞご期待ください。 神戸自立学校の学習テキストとして活用いたしますが、いちどのぞいて頂ければ嬉しく存じます。 * * 時行歌集『命輝く』 (第17回) (2011年10月5日 豊浦病院を退院) 「復活の家出発進行-感謝無限の旅一歩一歩」(2) 夕餉の時の楽しみ考 10月15日 夕餉の楽しみ四首 ぼう鱈の煮つけ配してキャベツつけわかめの味噌汁ああよき夕餉ぞ ゆくりなく食べては話し話しては食べ満喫の中幸せと妻言ふ 幸せは我らだけではもったいない復活の家に友いざ招ばん 父さんよ時行式の雑煮をばよく考へて振舞えば如何(どう) 〇どうやら、食事というのは、人間生活の中で忘我になる至福の時であるようであります。午後四時半はあとふるあたごから帰ってきたノーちゃんを待ち受けていたのは、ぼう鱈の御馳走でありました。〇考古堂の柳本雄司氏、番町出合いの家の鳥飼慶陽師より、退院祝いのメール便あり。打てば響くごとし。深謝無限。
2012.01.12

昨日の夕陽です。すぐに日は落ちていきました。「ぶらり散歩」は、昨日午後、近くの「長田区役所」の辺りをぐるっと歩いてみました。「高速長田」「市営地下鉄:長田」が最寄り駅で、すぐのところにあります。ここは「長田区総合庁舎」です。東向きの正面ひろばと新湊川に面した西側入口のところには、立派な芸術的な作品が据えられています。作品の説明プレートを確かめませんでしたので、作者はどなたなのか・・・。区役所の北側、以前区役所の建っていた場所の川べりにも、面白い芸術作品が据えられています。ついでに、区役所の3階にある「まちづくり課」に立ち寄り、親切な職員の方から、「ながたすこやかマイロード」という立派な冊子も頂いてきました。そして長田・未来ガイド誌「NANNAN」(平清盛特集号)も、しっかり頂いちゃいました。 時行歌集『命輝く』(第16回) (2011年10月5日 豊浦病院を退院) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(1) 我歌をもって復活の家出発進行せん 10月14日 わが復活四首 我が妻をはあとふるあたごに送り出し庭に水打ち我復活す 何もかも新鮮と言ふほかはなし庭のプラントなぜか芽吹けり 窓を開け十か月ぶりに布団干す一陣の風頬を撫で行く かくて我昼の世界に戻りたり看病よりも共生きのみち 〇すべて歌のごとし。歌を我妻ノーちゃんは好みます。昨夜も、秋の夜長が更け行くなか、我が歌を詠め、と申します。おトイレ介助をした直後。我が歌に彼女はなにか、温かいものを聴くと申します。温かいもの―この世の暗さ冷たさを越え行くもの。それは、私にとっては、彼女の命の奥の細道を言い当てる作業なのですけれどもね、実は。〇食事の用意は、私にとって、新しい楽しみとなっております。「料理研究家」がノーちゃんの呉れた私の新しい境地であります。〇これから、御幸町4丁目7-2の、復活の家を片付けて動かしてゆくのは、大きな楽しみです。いろんな方々が―在宅介護の共通目的のために―おとなうのであります。居ながらにして社会のうごきの介護前線に接することができます。こんな面白い事ってあるでしょうか。〇それでも、一番楽しいのは、食事時、夫婦対話の奥の細道をたどることであります。一歩一歩、感謝無限の旅のさなかに。この旅は、そこで、「ノーちゃんの英文箴言:God Blessed the Good Day」と拙稿「時行歌集―命輝く」を入れた一書『祝福の今を生きる』の編集刊行となって、まずは結実することでございましょう。ただ今それに心血を注ぎ始めております程に。今度の新著『あなたに』はそのための備えであります。また、『復活の省察―生くるとは深き淵より共々に甦ることの喜びなり』(「リハビリ一歩一歩」を後半に収める)と『称名キリスト教に向けて―詩篇、回想、原風景、そして祝福の今』(「リハビリは祝福のリズムに乗って」を後半に収める)もほぼ完成いたしております。ただ時を待つばかりであります。時―すべてのものがそこにおいて適切に成熟する時―をですね。〇さて、みなさん、よろしくお願い申し上げます。
2012.01.11

昨夜は満月でした。 今日は穏やかな日和です。 まずは今朝の日の出です。 今回は、我が家の文鳥をご覧いただきます。かつて、つがいの文鳥を飼いはじめて次々と子供を産み、知り合いにもお譲りしたりしてきましたが、いま我が家には、文鳥はこの一羽だけになりました。既に平均寿命は越えているはずですが、まだまだ美しく、元気なオスどりです。今からでもメスどりを探そうかなとも思いますが、飼い主のほうがだんだんとトンチンカンになってきましたので、いまのところ、二羽の十姉妹とこの文鳥一羽と、ゆっくり仲良く歩んでまいります。 時行歌集『命輝く』(15回) 2011年10月5日 豊浦病院を退院 「復活の家出発進行-感謝無限の旅一歩一歩」 10月10日~10月13日 10月10日 奥の細道二首 (奥の細道とは、命の細道。生死を超える細道のこと) 我が妻の治癒の前線あるとせば比較宗教めぐりきわまる 不思議なる妻の思ひの向かふ方夫婦対話の奥の細道 10月11日 味覚の秋三首 この年の種無し柿をほうばりつ二人して笑む秋ぞ嬉しき おはぎをば海苔巻にして与へれば妻やすやすと食し喜ぶ 素麺を湯がいて工夫調理せばサラダ風なりと妻命名す 10月12日 夢二首 妻の見る夢のなかにて父さんは当たりくじにて救はれしとか 当たりくじ当てたる人はノーちゃんよ夢より覚めて得意満面 10月13日 癒し二首 ものすごく内容のある揉み方やピリコロ収め妻讃嘆す 初診にて片桐ドクター笑みやよしエンカレッジに妻打たれぬ * *(鳥飼付記:豊浦病院の退院(2011年10月5日)以降は、既に「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」の新しい表題で掲載が始まっています。しかし正式には、次回の10月14日付から(1)が付き「復活の家出発進行」がスタートしています。なお、この延原さんのメールマガジンは、「風の便り:Letters with the Wind」の号外として、日本国内及び外国の特定の友人たちに送信され、現在に至っているものですが、差し出しの箇所には、次のように記されています。ご参考までに。 •* * 主筆 延原時行所長 独立国際修道研究所「東西プロセス研究企画」(since 1985)(ここでは「住所」「Tel/Fax」「携帯」「Email」は略します) 名誉教授 敬和学園大学理事 IPN(Intenational Process Network)誓願 我全てに自己耕作(懺悔)を加へん。Motto: "O quam libenter sumus vacui、 ut tu plenus sis in nobis!"-Martin Luther --------------------------------------------------延原「風」基金ミッション郵便振替口座記号番号:00550-6-49528名義 延原時行主旨 風の思想活動への浄財をいただいて、いちばん近い御方を信じつつ、次に近い人たちを激励すること。精神 「風はいずこより来たりて、いずこへ行くかを知られず。霊から生まれしものも、かくの如し。」(『ヨハネ福音書』3・8)第一次「風」基金ミッション企画: 出版助成のための献金キャンペーン対象: 拙著『あなたにいちばん近い御方は誰ですか-妻と学ぶ「ラザロとイエスの物語」』意義: ノーちゃん(我が妻信子)介護の経験から、日本のリハビリ医療態勢に、「聖書とエコロジー神学と哲学」の視点からボランティア参与を入れなければ、リハビリ医療は家族の参加さえ欠いた、医療従事者任せの「現代の姥捨て山」になる恐れあり、と気付いたこと。拙著第二部:妻と学ぶ「ラザロとイエスの物語」、第五章:神に追い抜かれるの記―ノーちゃん(我が妻信子)の奇跡的治癒物語-61節は現状改革のための実録と思索を収める基本文献たり得ること。 *****************延原「風」基金:篤志家諸賢へのお礼状 尊いご献金をご送付いただきまして誠に有難う存じます。「風」基金として、「風」基金ミッション、ことに拙著『あなたにいちばん近い御方は誰ですか―妻と学ぶ「ラザロとイエスの物語」』出版のため、活かさせていただきます。いと近き御方を仰ぎつつ、ふるさとづくりに励みたいです。 •* *では、次回より「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(1)のスタートです!
2012.01.10

近年殆どみることのなかったNHKの大河ドラマですが、珍しく昨夜スタートの「平清盛」の第1回はテレビの前へ・・・・。昨日の午後は毎月第2日曜日に開催している「神戸自立学校」で、その帰りに書店に立ち寄り、神戸大学の高橋先生がお書きになった著書を買い求めて、早速読み始めたりして・・・。何しろ今年の神戸には、「平清盛」をめがけて、多くの方々がお越しになるでしょうから・・・・。今回は「ぶらり散歩」ではありませんが、阪急六甲駅からすぐ北にある神戸学生センターとその隣にある「六甲修道院」や六甲山の景色など収めてみます。そして、私たちの住宅の花壇に、寒中水遣りをしている誰かさんの写真も添えて・・・。 時行歌集『命輝く』(第14回) (2011年10月5日 豊浦病院を退院) 「復活の家出発進行-感謝無限の旅一歩一歩」 10月4日~10月9日 <前回から愈々豊浦病院を退院以後の歌に進みましたが、うかつにも延原さんの「10月5日付<「リハビリは祝福のリズムに乗って」:帰りなんいざ復活の家へと、の記>を抜かして進めておりました。延原さんは、「歌」と共に、一歩一歩の日々をよく見て、書き留めて歩んでおられます。ここでは、「歌」だけではなく、それらを含めて掲載させていただきます。前後してしまいましたが、今回は豊浦病院を退院される前日の「10月4日」のところから掲載いたします。鳥飼> * * 〇四日、ベッド、車いす、スロープ等、はあとふるあたごの貸与責任者小野氏搬入さる。この日、拙著製作費出版元の日本基督教団出版局に謹んで送付せり。いずれも我らが人生画期の業なり。甚だ嬉し。主治医塩谷ドクターより、退院後の治療に関耳鼻咽喉クリニック紹介あり。介護チーム主任中山相談員より、「冬場もし体調(ノーちゃんと父さん両名の)怪しくなる場合有れば、電話一本二週間前に頂ければ、直ちに豊浦病院・愛広苑に入院・入所のこと配慮します」とのお言葉いただく。感謝無限。これは、在宅介護のケアマネジャー倉島氏も御協力の上。〇ノーちゃん「父さんの指圧いただいたので、右足も、(麻痺の)左足も、気持ちよく、熟睡できました。」 「それは佳かったねえ。家に帰ったら、10月はノーちゃんの英文箴言の編集に全力投球します。」 「ありがとさんです。」〇順子さん「知人の話では、ご主人の脳挫傷の手術を医師が(あまりの怪我の酷さに)躊躇しはったんやてー。信子さんの手術が成功したことを聞いて、自分の事のように泣き出しはったん。」 時行「知人の話では、手術執刀の時あるドクターは祈祷をされるとのことです。渡辺主治医が最近、信子さんの体内でも周囲でも凛とした神の実在を実感しました、と書いてこられたことは、普通ないことですね。ノーちゃんは、凛とした神の実在に支えられてきたんやでー。」 ノーちゃん「ウン。恵みやなあ。」〇本日(5日)1時半、下越タクシーの福祉タクシーで退院致します。新調の延原家車いすに乗って。感謝無限に存じます。 * * (ここに、前回の延原さんの「前言に代えて」と「歌」が入ります。) 10月6日〇6日には、はあとふるあたごの片山相談員拙宅に見え、明日のデイサービスの準備と契約なす。〇父さん、8回ポータブルトイレ独りで成功。これで自信充溢す。ケアマネジャー倉島氏見え、ヘルパーさんの相談詰める。会食サービスも相談詰める。〇9時25分、ノーちゃんお迎えの車に乗ってはあとふる愛宕に。父さんも、後を追う。城北町デイケアセンターともいうところなり。雨しとど降りたるのち、晴れる。帰りに、ひらせいとイオンで買い物。昼間の買い物の快楽と言おうか。夕食の御飯仕込む。4時にはノーちゃん戻るはずなり。買い物の研究をしようと思う。どこが安いか便利か。ノーちゃんはバン食にイチゴジャムを好むなり。朝の味噌汁のためには、さて、だしの素が無くなりしかな。もう一度、イオンに行くか(ここから車で2分なり)。 10月8日 奥の細道四首 父さんを一人にしてはなるものか妻の決意は治癒語るなり この決意有難きかな御前にて生死を超ゆる命示せば 赤々と燃ゆる命は妹と背の神命果たす一筋のみち 復活の家に帰りて楽しきは夫婦対話の奥の細道 10月9日 弥陀とイエス五首 なにゆえに弥陀の五劫の本願は親鸞一人がためなりけりや 妻の問ひ核心を衝く我答ふ一人がため即ち弧絶 弧絶には弧絶者のみが救ひなり己を棄てつ何ぞと叫ぶ (備考:フィリピ2:6、マルコ15:34) 本願は肉と成りたり有難しイエス叫べば我また叫ぶ イエスとは五劫本願成れる人何ぞ我をと叫ぶ人なり
2012.01.09

今回の「ぶらり散歩」は、我が家の最寄り駅のひとつ「JR兵庫駅」の近くにある「兵庫駅南公園です。寒中、鳩たちと遊ぶ男たちや親子連れもあり、広い公園を元気に走り回る子どもたちもいて、ついつい私もその仲間になったりして・・・・。 時行歌集『命輝く』(第13回) (2011年10月5日:豊浦病院を退院!!) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」 10月5日 前言に代えて 10月5日、めでたく我妻信子は、豊浦病院を退院いたしました。ここに至りますまでの、10か月と5日にわたる、御神と多くのご親切なご友人方のお支えに、深く深くお礼申し上げます。感謝無限。我々夫婦の感謝無限の心は、このたびの拙著『あなたにいちばん近い御方は誰ですか―妻と学ぶ「ラザロとイエスの物語」』(日本キリスト教団出版局、2011年8月刊)全巻に込められています。それは、この書に我妻信子の奇跡的治癒生還(彼女の申します嫁帰り:私時行が独り者にならぬよう戻ってきた、との意)というよみがえりと私自身のよみがえり、を歌うに至っているからであります。 ああ、人生とは、深き淵から共々に甦ることの喜びなり。 退院以来、在宅介護のプランが、ケアマネジャー倉島政勝氏を中心として練られ、訪問リハビリ:北越病院大島誠雄氏、通所介護:はあとふるあたご(毎水、金、日、9時半~4時半)、短期入所:愛宕の園(10月は、18~20日、25日~27日)、ヘルパー:サンフラワー介護福祉センター谷川美佳子氏(10月17日より、午前8時、午後9時)、担当医師:片桐医院(自宅より徒歩10分)、というような多彩な協力体制で実施されるに至っております。 この間の進展に合わせて、わが心中に去来する思いを、歌に綴りました。我が短歌を、できるごとに、我妻ノーちゃんは聴くことを好みます。それは、まるで、命の確認のような、二人の出来事であります。 以下、日にちを追って、我が短歌を並べてみます。新シリーズ「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」の前言に代えまして。 10月5日 平安三首 平安よ我らを抱きしみ恵みよ汝がみ守りぞよもすがらなる よもすがらみ守りありし10か月大いなるみ手我ら抱けり 宇宙的抱擁こそは大いなるみ手なし給ふみ業なりけり 復活の家四首 我が家は復活の家遥かなる帰国の時より定められしぞ (備考:1991年帰国敬和に奉仕17年なり) この定めよく覚りしは悩ましきこの10か月ありてこそなり 平安よ復活の家つつみたるいざや称へん退院の朝 諸共に書き表せし文もちて感謝無限に我ら歩まん 帰宅十首 豊浦の病院の笑み背に受けて妻退院す命恵まれ 今こそは復活の家に帰りたり新調ベッド主(ぬし)を迎えぬ 我が妻よ寝たいだけ寝よ気兼ねなく復活の家は汝が館なり 父さんの海苔巻美味し腹にしむかく言ひつ玉喜色満面 御馳走を三日分作り義妹去る雨しとど降る西新発田駅 父さんに会へば何とか成るものと信じつくして我生還す 退院の夜の会話の華たるや妻のけなげな生還話 深々と秋の夜長はふけ行くも妹背の語り実に尽きぬなり 友ありて退院の日に花届く水羊羹もフルーツジェリーも 我が妻よ感謝無限にいざ歩まん復活の家主備へ給へば
2012.01.08

ただいま長期連載を始めている「時行歌集『命輝く』」は、今回12回目で「豊浦病院」での「リハビリは祝福のリズムに乗って」を終え、愈々次からご自宅に帰られて「復活の家:出発進行」と、大きな進展を見せていきます。歌の方もここまでは「助走」、次回から大きくジャンプという趣です。延原さんから届いた昨夜のメール便では、新潟・新発田はまた大雪ですとか。歌も毎日、ずんずん降り積もっております。 * * さて、このところすっかり「ドクダミ茶」に嵌っています。ご近所の庭に繁るドクダミを頂いてきて、よく煎じて、ポットに入れて、朝昼晩・・・。懐かしい「おふくろの味」でもあります。そしてこの柿は、田舎からダンボールで贈られてきたものを、熟してきた頃合いをみて冷凍し、今ごろ取り出して、スプーンでいただくのです。またこれが最高デス! * *ところで、昨日「寒の入り」の「ぶらり散歩」は、近くの「兵庫運河」あたりのところです。もう少し歩けば、あの「なでしこ」のサッカー場ですね。 時行歌集『命輝く』(第12回) 豊浦病院(6月13日転院) 「リハビリは祝福のリズムに乗って」(つづき) 10月1日 箱根路バス旅行 大任を果たしたる友箱根路のバス見送りて凛然と笑む (備考:Eco-Sophia Symposium 2011委員長・田中裕教授) 富士五合箱根の湖(うみ)も風と霧温かきものは友垣と知る 箱根路にバスに揺られて打ち興ず異国(ことくに)の友見るぞ楽しき されど我妻の苦心の箴言を読みつ眺めつ沈思黙考 楽しきは沈思黙考するうちに我が解説の言葉なる時 ゆくりなく沈思黙考するうちに我が英文著形なすなり 一ありて二もあり三もそして四次々と形なすなり手帳上の書 この愉楽妻と共なるバス旅行常に与へし恵みなりけり 十か月打ち込みたりし看病は恵み与へぬげに久々に バス旅行終へて別れぬ異国の友友友よいざ自愛せよ 我が妻と義妹のもとにTELかけて上智学会大成功と謝す いざ帰らん土産手にして一目散秋のスカーフ牛肉弁当 喜びは上智講演つながりてクレアモントに花添える時 (備考:来年二月母校クレアモントにて宗教間対話学会あり、招かる) 花の名はエコゾイックスと名付くべし神の秘密の学理なるべし 祈り二首 友ありて共に祈祷に沈みたり朝の食事の愉楽経しのち (備考:親友 Herman Greene とスクワール麹町レストランにて) 大いなる主よみこころをなし給へ感謝無限の歩み辿れば
2012.01.07

寒の入りの朝、日の出前と大きな太陽です。そして、今朝の我が家の食卓の花です。昨年、高野山の帰りに求めた柿をベランダにつるし、冷凍しておいた干し柿もオマケに。最後に、昨日のぶらり散歩で出会った「雀たち」。1枚は遠くから、もう1枚はすぐ目の前で。 時行歌集『命輝く』(第11回) 豊浦病院(6月13日転院) 「リハビリは祝福のリズムに乗って」(つづき) 9月25日~9月28日 9月25日 佳き日なるべし五首 若き日の差し歯抜け落つベッド脇自作むすびに有りつきたるに 抜ける歯も幾星霜の遥かなる歴史ありてぞ今落つる 落ちし歯を試し眺めつわれ思ふ差し歯ならよし元に戻さん 我が歯科医歯戻して言ふもはやよし上智講演不安あるなし 我が妻よ不安あるなし父さんの講演の日は佳き日なるべし 夢 今年こそライトアップも華やかに聖夜祝はん妻多弁なり キャロリング終はりたる群れ労はんコーヒーよきかぜんざいよきか 我が家は復活の家にぎにぎしいざピクニック友来たりませ 教友来訪(木原和彦夫妻豊浦病院に) 御言葉を瞑想せんと集い来る教友ありき妻甚く謝す 妹と背の大阪よりの見舞い旅新幹線さぞ揺れましょうに 幾星霜すぐるあの日の枚岡公園ベッドの妻は想い出に酔う (備考:1976年我が渡米後、妻枚岡公園にて、ヨルダン会ピクニックにて、木原家のご長男寛君と遊びしなり。) 9月26日 上智講演:Eco-Sophia Symposium 2011 講演は読むよりも我解説す今考へる愉楽ながれり コスモロジー主体感受はいかならん我が質問にとも二人笑む (備考:Herman GreeneとJai Don Lee) 箴言 箴言は新しきもの生み出せリ知性を超ゆる知性ぞ嬉しき ある人の箴言二条褒むるあり妻ひそと聴き喜色満面 何事も宇宙万事は響きなり伝へ合ふ時心躍らん 9月28日 無力論三首 我無力うごけぬと言ふ妻なれど拙著いでしは汝(なれ)の故なり 隠れたる神の働き顕はるは無力なる人あるが故なり 無力こそ隠れたる者ひそやかに映す鏡ぞ泣くなかれ妻
2012.01.06

これは、昨日届いた書簡の切手です。もう四半世紀以上も、親しくお付き合いを頂いている方からのお手紙で、必ず「鳥」の入った珍しい切手が貼られています。「鳥飼」といたしましては嬉しい限りです。もちろん毎回のお手紙の中身が面白く・・・ここではナイショですが・・・。次の同人誌『阿吽』は、正月の読書のひとつでした。昔同人誌で「10巻までで終わります」という触れ込みの読み物がありましたが、『阿吽』もこの第10巻が最終巻となり、220頁ほどの力作作品が揃っています。おそらく『阿吽』は、これをステップに、続いて大きなジャンプ! 新たな名前で登場することでしょう。 今朝の六甲山は初雪かな、神戸もうっすらと雪化粧かな、などと秘かに期待して起床しましたが、雪はちらりともしてくれません。昨日は寒くて「ぶらり散歩」もさぼりました。それでも一寸用事で出掛けた帰りに、めったに通ることのない、すぐ近くの大通りにかかる橋の上から、「大開通り」の西と東を撮しました。我が家は「西市民病院」のすぐ隣りデス。 時行歌集『命輝く』(第10回) 豊浦病院(6月13日転院) 「リハビリは祝福のリズムに乗って」(つづき) 9月21日~9月24日 9月21日 夫婦対話六首 病苦よりよくも箴言生みだせり恩師カブ妻褒めてやまず 激賞に妻ひそと述ぶわが想ひかく育てしは父さんなりと 我が歌は喋のごとくふととまり人の心を打つと妻言ふ 溢れ来る感恩の念止み難く言の葉に乗せ我語りしのみ 大いなる命なりけり神給ふ病にあるも祝福なるは 方々の熱意と英知輝けり在宅介護議する眼やさしき 9月22日 夫婦指圧三首 五十肩ぶり返したると思ひきや妻右手伸べわが足を揉む 足揉めば肩の痛みはたちまちに去りテ残るは夫婦談笑 我も揉む妻の右足ひたすらにかくて熟睡夙に来たれり 9月23日 宇宙リズム三首 この宇宙祝福の今リズム鳴る人と人とを結び合わせつ 匿名氏ご厚情また驚きぬ感謝無限に旧著贈りぬ 旧三著電子書店を上昇中不思議なるかなあな不思議 9月24日 編集会議五首 我が歌を聴くたびごとに清らなる水心にぞ流ると妻言ふ 父さんの歌集先ず出せ箴言はそれあってこそ生きんと妻言ふ いかなるか我が妻への謝意の質かく訊かれれば歌こそそれなり 我が妻と春見るべしと思いきや命輝くと聴き妻泣く 我が歌に妻ひたすらに泣きて言ふ天国にても我は汝が妻
2012.01.05

正月二日三日と孫たちなどの来訪で我が家は満杯、小鳥たちは移動を強いられていましたが、昨日のうちにみなそれぞれの家に戻り、今朝の我が家は静かな日常となり、小鳥たちは特等席の定位置に座して上機嫌です。 昨日は、小学生の孫が自信満々に飾り付けしてくれた、大きく見事なケーキに大歓声! 早速これを八つに分けて、8人であっという間にぺろり。そしてお昼の食卓と共にパチリ。 そして昨日もちょっとぶらり散歩。セキレイが近づいてきたり、馴染みの猫ちゃんも、お友達のように・・・。 時行歌集『命輝く』(第9回) 豊浦病院(6月13日転院) 「リハビリは祝福のリズムに乗って」(つづき) 9月16日~9月20日 9月16日 我もはや生くるに非ずキリストよやよ生き給へ祝福の今 かくてこそ祝福の今は称名のキリスト教へと包まれたるかな 9月17日 救ひとはこのほかになし帰る我The same to you!と祝す(God bless you!に)妻あり 9月18日 草稿と共に五首 猛然と講演草稿再読すあの日の前に成りしものなり ああ神よ何故に我この講演恵まれたるや妻癒されつ 天になり地になるもの命なりその理法をぞ尋ね窮めん 尋ねつつ心躍るは何故ぞこの喜びに妻抱きつつ かくて我草稿胸に看病すああ十か月ああ十か月 9月26日から29日まで、第八回国際ホワイトヘッド学会世界大会が上智大学で開催され、ずいぶん前から委員長の田中裕教授に、プレナリセッション講演を依頼され、あの日(2010年11月30日)の前に、11月27日に、講演草稿:"The Problem of the Two Ultimates and the Proposal of an Ecozoics of the Deity: In Dialogue with Thomas Berry, Sallie McFagure, Anselm, Aquinas, Whitehead and Nishida: Part 1" は完成しておりました。恩師ジョン・カブ先生にもお送りし、激賞いただき、感謝いたしておりました。(Part 2 は、来年2012年2月にクレアモントで開催の学会大会で講演を依頼され、そこで発表の予定。宗教間対話の国際学会であります。) 9月20日 草稿と母校五首 草稿に新しき付加浮かびたり早朝妻のベッド脇にて 一目散 words of linkage をば認めぬクレアモントに繋がんために かくて我上智講演恵まれし不思議受けつつなお母校あり 恩師よりメール来たりて招かるるああ懐かしきクレアモント哉 かかる幸妻と語りて指圧せりふと熟睡の寝顔やすらか
2012.01.04

新年2日、朝方の荒れ模様も一転、素晴らしい晴れ間を覗かせ、半月が・・・。夕餉は、豊かな晩餐を・・・。 ぶらり散歩は、初詣でにぎわう長田神社の大長老の古木たちです。何度訪れても、感動ものです。 時行歌集『命輝く』(第8回) 豊浦病院(6月13日転院) 「リハビリは祝福のリズムに乗って」(つづき) 9月10日~9月14日 9月10日 英文箴言 29・30 早朝話し合う (29) My words of inspiration are far better than my words of criticism. (30) My words of criticism are in need of self-reflection after they are spoken. 9月11日 我が妻と英文箴言なぞるうち神の愛打つ九か月と知る (なぞる、とは、英文箴言の夫婦復唱のこと) 帰宅して内風呂沸かし浸かりつつしみじみと知るは神の愛なり 9月12日 箴言を歌留多にするかTシャツか浴衣染めるか夢語る妻 父さんの歌集が出れば我嬉し心打つ歌他人もまた褒めん かく語る我妻の思い飛翔するなり胸苦しさをつと振り切りつ 夢こそは元気なりけり神により祝されて今生きる姿ぞ 「箴言発表の夢」。 歌留多にするか、Tシャツか、浴衣染めるか、はたまた湯のみ茶碗作るか。著書としては、信子・時行共著にて『祝されて今を生きる--英文箴言と短歌』という書名に落ち着く。 延原信子の英文箴言:God Blessed the Good Day(第一部)。時行歌集「命輝く」(第二部)。序文と解題を時行執筆。別に旧稿と「リハビリ一歩一歩」を合わせて一書『復活の省察―生きるとは深き淵よりともどもに甦ることの喜びです』。また「リハビリは祝福のリズムに乗って」と旧稿を合わせて、もう一書『称名キリスト教に向けて―詩編、回想、原風景、そして祝福の今』も編集推敲中。 9月13日 絶望即歓喜の理法四首 ピリコロや妻の左脚をさするうち深き絶望期して和みつ 心には不思議なるかな理法あり絶望期するその我楽し 絶望の深きは深き妻にありかく知る我は共に喜ぶ 帰宅して居間のソファーを動かせば素敵なる部屋我が妻に出(いず)る 9月14日 絶望即快癒の智慧五首 肩直り介助再開決意せば病院の笑みそこここにあり 絶望を期するは智慧ぞ真なる底から生きるいのちぞ楽し 我が友よ汝が痛みに疲れずに自己指圧せよふと命萌せば 絶望と我が言ふものいのちなり観るに非ざる生きる場なれば 赤々と燃ゆる我らの絶望は神に捧ぐる祈りなりけり
2012.01.03

元日の夜は、いつものように新春恒例の衛星中継「ニューイヤー・コンサート」3時間を楽しみました。マリス・ヤンソンスさんの指揮も感動ものでした。汗をふきふきネ。もう随分前の、このザルツブルグでのウイーンフィルを率いた小澤征爾さんの指揮、なかでもあの時の「ラデツキー行進曲」!! やはりあれが一番でしたがネ。 * *昨日UPしましたように、予報とは違い、神戸は穏やかな元日でした。先ずはじめに「ぶらり散歩」から。 となりの公園で、しばらく小鳥たちと遊んでから、初詣でにぎわう長田神社までぶらり。今年もすごいほと波で溢れていました。車道に並ぶどの出店にも参詣者で満杯で行列ができ、神社出口のお店には、50メートル以上の列が続いていました。 時行歌集『命輝く』(第7回) 豊浦病院(6月13日転院) 「リハビリは祝福のリズムに乗って」(つづき) 8月27日~9月9日 8月27日 現れし我が新著こそ遥かなる恩寵の今記す調べぞ 我が調べ感謝無限と響くなりそのほかの音何処にかある 我が妻よ感謝無限の友垣よ手つなぎつついざ神称へん 9月3日 次著の表題と副題決める 「復活の省察―生きるとは深き淵よりともどもに甦ることの喜びなり」 9月5日 夫婦指圧五首 指圧せば脳空間に在り夕日視る緑の大地踏むと妻言ふ 師の文に心和める妻の言ふ人格者かな過去を褒むるは ピリコロに痛しと言へばひとさすりすぐ痛み去る不思議なるかな 五十肩手を挙げる時下げる時襲う激痛ひとり妻視る 汝(なれ)のため我が右手あり指圧ありかく語る妻我がツボを知る 9月7日 リハビリも介護の道もなにあらん患者主体に御業視るのみ 9月8日 父さんよ悲惨なる人多きかな頼る人なく泣く我が友(患者)を見よ 妻は泣く同朋患者泣けば泣く祈りつつ泣く泣きつつ祈る 9月9日 背理感謝六首 おっかさん今在さばと妻語る新著喜び小躍りせんと 神の道人の悲哀の只中に凛としてある有難きかな 凛然と神います幸有難し悲惨の果てにそよと秋風 御幸町復活の家窓開けて九か月思うああ恩寵よ 悲惨底恩寵ありて妻帰るこの背理げに宇宙の真理 人たるは用いられてぞ幸なる生のこの身が器なるべし
2012.01.02

みこころの 天になるごとく 地にも !! 2012年 新しい年が始まりました。ゆっくりと確かな歩みを一歩一歩ですね。 我が家から望む元日の朝日です。そして、我が家のおせちです。毎年、好評の高齢者生協のてづくりをいただいています。そして、数枚の正月写真デス。正月飾りも近年、めっきり少なくなりました。 時行歌集『命輝く』(第6回) 豊浦病院(2011年6月13日転院) 「リハビリは祝福のリズムに乗って」(つづき) 8月22日~8月25日 8月22日 なにゆえに内助の功の不足謝す汝が嘆き我がはらわたに沁む あの時に打ちどころもし悪ければ嗚呼語る我らは不思議なりけり 8月23日 不思議なり生かされてあるこの事実げに不思議なり感謝無限ぞ 不思議なりあの日の前に書きしものあの日を境に息吹得んとは 人生は我が思い消え不思議のみありありとある対話世界ぞ 枕辺で拙稿あらたに目を凝らす妻の寝息の安き嬉しき 足揉みつ腕さすりつふと見ると寝入りたる妻ピリコロ忘我 8月24日 逆説是好日五首 寝違いか右肩痛し顰め面妻ふと右手だし揉み始む ピリコロの襲う左足に指圧せばにもかかわらず妻良しと言ふ 不思議なる延原家なり妹と背の指圧合戦いのち開けり 新著出で悲惨の命輝けり悲惨のままの恵まれし日々 かにかくに人は言ふとも我は我その絶望は恩寵の宿 8月25日 すべて良し精神科医と我が主治医太鼓判押すノーちゃんの今 逆説にあり神癒の理ありありと悲惨絶望友とすべきぞ 夜間押す我妻の足みぎひだり寝息やすらか何のお告げか ピリコロも頭痛も下痢もなにあらんみそなわす方近く在せば 友ありて拙著注文来たり来る嗚呼癒しの主汝が声響く (鳥飼補記)遅れましたがご参考までに、ここで「延原時行(のぶはら ときゆき)」さんの紹介を掲載して置きます。これは昨年(2011年)のある講演会の折りにつくられたものです。1937年(昭和12年) 兵庫県に生まれる。1962年 同志社大学大学院神学研究科修士課程終了。「バルト神学における祈祷理解」1978年 米国Claremont School of Theology, D.Min., "The Post-Modern Religious Revolution in East and West: Toward a Theological Conceptualization of Time, Praxis, and Peace in Process Perspective"(University Micorfilm International, 1980)1981年 米国Claremont Graduate University, Ph.D., "God and Analogy: In Search of a New Possibility of Natural Theology" (University Microfilm International, 1982)1981-1982年 ベルギー国Katholieke Universiteit te Leuven, Institute of Philosophy, Center for Metaphysics and Philosophy of God,客員教授「キリスト教と仏教の文化間対話に関する連続セミナー担当」1982-1983年 米国Texas Christian University, Brite Divinity School客員教授1983-1991年 米国Center for Process Studies at Claremont School of Theology, East-West Process Studies Project主任。1986年「トマス・アクイナスとカール・バルトの神学」担当講師。1987年「仏教とキリスト教の対話の神学的諸根拠」担当講師。1985-1991年 米国宗教学会(AAR)座長(with Francis H. Cook, UC Riverside):Seminar on Process Thought, the Nishida School of Buddhist Philosophy in Comparative Perspective.1991-2008年 敬和学園大学国際文化学科哲学教授・宗教部長。 国際文化学科長(2000-2003年)。2008-現在 東西プロセス研究企画Founder/Director。日本ホワイトヘッド・プロセス学会理事、 IPN(International Process Network)理事。日本基督教団教師。著書:『至誠心の神学:東西融合文明論の試み』(京都・行路社、1997年)、『ホワイトヘッドと西田哲学の<あいだ>:仏教的キリスト教哲学の構想』(京都・法蔵館、2001年)、 『対話論神学の地平:私の巡礼のなかから』(横浜・春風社、2006年)論文:"Reflections on the God Who Is 'With' All Creation: Phases of Mysticism in D. T. Suzuki's Zen Thought and Whitehead's Metaphysics" (Process Studies, 34/2, Fall-Winter 2005, 240-263. "A Whiteheadian Reinterpretation of Nishida's Philosophy of Pure Experience: With the Concept of Symbolic Reference As Guide," in; Franz Riffert, ed., Perception Redonsidered: The Process Point of View (Frankfurt am Main: Peter Lang, 2007, 75-98). "Reflection and Intuition in Christian and Buddhist Philosophy: Anselm's Proslogion II and IV Reinterpreted in Light of D. T. Suzuki's Zen Thought," Bulletin of Keiwa College, No. 17, 2008, 1-35. 「西田における哲学と宗教:ハーツホーン、滝沢、トマスとの対話のなかで」『西田哲学会年報』第五号(2008年)45-62頁。 「滝沢哲学の四景:「われらと共に在す神」の存在論的証明の試み」、三島淑臣監修『滝沢克己を語る』(横浜・春風社、2010年101-130頁。)
2012.01.01
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