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延原時行歌集『命輝く』 (第303回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(103―2)この時嬉しの歌、我らの歌、時の歌、本年の歌、主の祈りの歌、左眼開眼の歌、眼力新たの歌、省察歓喜の歌、を巡りて、の記 2012年8月22日~27日 8月23日 我らの歌四首 看病に勤しみ来る一年余漸く己が事見ゆる時 (備考:己が眼の事などなり。) 己が事心おきなく苦しみて称名に行くああ主我一如 何時何時も妻箴言の復唱の声はずむなり心躍りつ 称名も復唱も今はずむなり妹背合唱心ゆくまで 今朝の新聞一面に、藤本義一さんの訃報!! 驚きました。神戸の震災のあと一度お話をお聴きしたのが最後です。昔私たちの仕事場の祝い事で、あの笑福亭松鶴さんと共に面白いお話をして頂いたことなど、あれこれと想い起こします。裏町の心を掴んだ稀有なおひとでした。有難う御座いました!上の神戸新聞は、わがふるさとの名山「大山(だいせん)」を描き続ける画家・室井澄さんの個展が、そごう神戸店で始まったという記事です。ぶらり出掛けて見たいと思います。明石の文化博物館で開催中の「ウイリアム・モリス展」にも是非とも足を運びたいと思っているのですが。今回も「烏原貯水池」を続けます。見る場所によって水の色合いも変化します。初めての道を下って、清流の流れ込むところまで行きました。 下の写真は、道ではなく、美しい水が流れているのです。念のため。
2012.10.31

延原時行歌集『命輝く』 (第301回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(103―1)この時嬉しの歌、我らの歌、時の歌、本年の歌、主の祈りの歌、左眼開眼の歌、眼力新たの歌、省察歓喜の歌、を巡りて、の記 2012年8月22日~27日 8月22日 この時嬉しの歌四首 隔世の感あり嬉し眼の検査淡々と行く免許センター(備考:見ゆることの楽しさ一途。駐車場に並びたる車々に暑中の陽光燦々たるも眩しからず。) 武蔵にてラーメンと飯取りながらメモ記し行く我が時や佳し(備考:豊浦愛宕の園にて夕餉介助の後JUSCO武蔵にて説教案講演案綴りゆく我なりけり。) 帰りては手紙数通認めぬ良寛論を友に送らん 出版の構想夙に浮かび来て心楽しき夜のひと時 秋も深まり、昨日は「こがらし1号」、見事な満月でした。「ぶらり散歩」で出掛けた「烏原貯水池」の続きを今回もUPします。ここでも撮影順に並べます。
2012.10.30

延原時行歌集『命輝く』 (第300回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(102―5)信田医院にての歌、讃嘆すの歌、休みたりの歌、我が華の歌、覚りたりの歌、受肉神学の歌、人としての歌、を巡りて、の記 2012年8月17~21日 8月21日 人としての歌五首 人として生まれて果たす使命とは未だ無かりし新生む事ぞ(備考:世の争ひは旧対旧なり。いまだかつて無かりし新生ずれば争い超ゆるなり。嗚呼争ひは旧き旧き。) 晩祷に妻の祈りを聴くごとに疲れ吹き飛ぶ心地こそすれ (備考:我妻のために祈り妻我が健康を祈るなり。) 優しさの降り注ぐ感いと嬉し運転講習我も高齢(備考:西しばた自動車学校にて高齢者講習半日楽しかりき。指導員懇切丁寧なりしも。) 人として出ずるものあり溢れありそは我が尽きぬ歌の数々 歌にせよブログ著作のわざにせよ我が思ひ超へ御神あふるよ (備考:Gott ueberfluesst.--Karl Barth) 久しぶりに名古屋で一泊しました。駅舎の高層ホテルがお宿となり、街を見下ろしたり満月を眺めたり、朝のぶらり散歩でその界隈をあちらこちら・・・地上からお宿のビルを見上げて見たり・・・・どこに行っても、ひとがイッパイ・・・・神戸から新幹線「のぞみ」で1時間余りの近さですね・・・・。今回も「秋の烏原貯水池」ぶらり散歩の続きです。
2012.10.29

延原時行歌集『命輝く』 (第299回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(102―4)信田医院にての歌、讃嘆すの歌、休みたりの歌、我が華の歌、覚りたりの歌、受肉神学の歌、人としての歌、を巡りて、の記 2012年8月17~21日 8月20日 覚りたりの歌一首 しみじみと主の祈り支へ給ふと覚りたり一切万事任せ行くなり(備考:主の祈りとは宇宙の動因なり、ホ氏の言うan Eros urging towards perfectionなり、恩師滝沢の神表現の「根源的本質規定」なり。単なる宗教的秘事にあらず。) 『受肉の神学・形成論』の歌三首 起きがけに受肉神学形成論見えざりしものありありと見ゆ それ正にホ氏のモティ‐フGod is in the world.形とは神内在の事(備考:かくて我が受肉の神学―救済論と形成論完成す。救済論は25歳にして、形成論は75歳の今。永き永き執筆期間なりき。救済は帰一遡及の事なり、形成は転回前進の事なり。一より他の出(いず)る、そこに神と自然(宇宙)の変貌冒険あり。これは形而上学の仕事なり。Metaphysics of Transmutation! これ我が即今の聖務なり。秋京都での講演のためなり。) かく告げつ妻と園にて復唱す英文箴言実に朗々と 昨夜の澄み渡ったお月さん、13夜? 用事でこれから出かけますが、天気は下り坂のようです。雨傘をもって・・・。烏原貯水池の写真、いいねとお電話いただきました。自転車で氷室町まで15分余り、そこから急なのぼりさかを歩いて10分足らずで貯水池に着きます。池を囲んで散歩道として親しまれています。今日もリクエストに応えて、その続きをUPいたします。池には鳥たちや大きな亀さんたちが遊んでいます。
2012.10.27

延原時行歌集『命輝く』 (第298回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(102―3)信田医院にての歌、讃嘆すの歌、休みたりの歌、我が華の歌、覚りたりの歌、受肉神学の歌、人としての歌、を巡りて、の記 2012年8月17~21日 8月18日 休みたりの歌一首 久々に我二階にて休みたり毛布廊下に涼風快適(備考:義妹妻とともに過ごす事を援けとしてなり。二階世界我が書斎が回復さるるとは、げに新しき経験なり。一年八か月看病中は我階下にて妻の居室にて又隣接の執務室にて過ごし来たれり。一切の知的活動の起点我が書斎御法度なりき。それが今ーー。) 8月19日 我が華の歌一首 九冊目会心の作仕上がりぬ地球時代に寄する我が華(備考:あとがき綴りてブログ著作集第九巻『9・11とプロセス神学:東西哲学の真実対話を求めて』成れり。この著読まねば我らが恐ろしくも愛すべき地球時代何人も知ることなし、とは、我が会心の作の弁なり。) 今日は子規の名句「柿食へば」に因んで「柿の日」だとか。今回も先ずベランダから望む夕焼けと共に、昨日「ぶらり散歩」に出掛けた「烏原貯水池」の美しい景色を収めます。明治・大正から今日まで私たちのいのちの水を守り続けている大切な池です。平成20年度「近代化産業遺産」に指定されています。
2012.10.26

延原時行歌集『命輝く』 (第297回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(102―2)信田医院にての歌、讃嘆すの歌、休みたりの歌、我が華の歌、覚りたりの歌、受肉神学の歌、人としての歌、を巡りて、の記 2012年8月17~21日 8月18日 讃嘆の歌三首 讃嘆す熱誠の友打上げぬ我が祈祷論修士論文(備考:個人誌『雄鹿』にもう大昔の1965年に発表せし我が懐かしの修士論文『バルト神学における祈祷理解』鳥飼師テキスト化し送り給ふ。何たる慶事ぞ。) この文ぞ火事の後から始めたる受肉神学結語なりしも(備考:我1960年の復活節の聖日に類焼にて我が家失ひぬ。その経験より『受肉の神学一試論』書き始めたり。修士論文はその結語の意味我にもちたり。一切を失う遺棄性。それ我基礎概念たりし。遺棄性の「発見学」「痛知学」「絶叫学」の三部門を受肉の神学持つとは火事よりの我が神学的確信なりし。これをしも修士論文最後的に定着せしむ。何たる喜びたりしか。) かくて我が二十代半仕事成るその喜びの今開くとは(備考:『受肉の神学・救済論』は二十代で完成したるなり。25歳の作なり。今それを祝ふとは。喜びの遅延なりしも、喜びの開示なり。かかること人生にあり。) わがまちも、あの大震災(1995年)の時には、新しいまちに大きく変貌していました。戦後早く建設された建物を解体して、いま新しい空き地をつくり、そこにくつろげる市民広場を構想しているところです。かつてまちづくりの拠点となったり、児童館であったり、公営住宅であったりした場所が消えていき、気持ちのよい大きな広場が生まれていきます。こうしてさらに、21世紀にふさわしいまちへと進展していきます。
2012.10.25

延原時行歌集『命輝く』 (第296回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(102―1)信田医院にての歌、讃嘆すの歌、休みたりの歌、我が華の歌、覚りたりの歌、受肉神学の歌、人としての歌、を巡りて、の記 2012年8月17~21日 8月17日 信田(のぶた)医院にての歌四首 一首出来心落着せし時はげに楽しくも嬉しかりけり 信田医師嬉しき報せ告げ給ふ0.6が1.2とぞ(備考:白内障手術でかく見ゆるとは。この朗報驚天動地なり。老齢人生一変す。まだまだこれからなりと。著述家としてなり。) 年長けて又見ゆべしと思ひきや命なりけり信田の眼科 青みあるこの天地我抱きたり有難きかな有難きかな ナントナント今朝もスズメちゃんたちがベランダに来て騒がしいコト騒がしいコト!! 綺麗な夕焼けと共に収めます。このところ賀川記念館界隈の「生田川」、清流にコサギたちが遊ぶ「宇治川」辺りを「ぶらり散歩」した写真を並べていますが、今回はわがまち長田番町界隈の「新湊川」へと「ぶらりブラリ」このまちで暮らし始めた頃はまだ、よく川が氾濫して被害も多くありましたが、この半世紀ほどのあいだに、みんなの力を合わせて、新しいまちに生まれ変わり、景色も一変してきました。それは「生田川」界隈も「宇治川」界隈も同じですが、私たちのまちの山側を横切る川の整備は特別に嬉しいコトでした。流れる川には魚たちが泳ぎ、年年川らしくなり、川に添って散歩道もつくられ、憩いの場所として親しまれています。「まちづくり」の課題に終わりはありませんが、私たちのまちも、よいまちになりました。 大きなサカナたちを撮ったつもりですが・・・・・
2012.10.24

延原時行歌集『命輝く』 (第295回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(101―4)在家キリスト教執筆の歌、歌の歌、愚作にもの歌、学びたりの歌、片桐医院に手の歌、を巡りて、の記 2012年8月12日~16日 8月16日 学びたりの歌二首 この度は我任す事学びたり主の祈りあり助け人ありて(備考:医療社会介護社会この度の妻の闘病看病の経験を経て知るに至れり。人に任すは主に任す故なり。) 毎瞬に任せる時のありてこそ働きの時決然たるも (備考:息抜く時のありてこそ力入れる時に力入るなり。) 片桐医院にての歌四首 我行くを楽しみとせる風情なリ妻述ぶるほど片桐師佳し 医院にて金魚鉢見て過ごしつつ順番待つも楽しかりけり つらつらと講演案を思ひつつふと車椅子見やる笑みあり 熱誠の友の暑中に拙論を打ち上げ給ふ聴き妻驚きぬ(備考:鳥飼慶陽師我が修士論文『バルト神学における祈祷理解』テキスト化しつつあり給ふと医院にて妻に囁けり。驚き、讃嘆す。) 今朝は大荒らし、こがらし1号(六甲おろし)も吹くかも・・・。急に寒くなりました。朝の掃除も窓を閉めたまま、洗濯物もまずは部屋の中に吊るして・・・。今回は清流の宇治川の上流にある「宇治川公園」です。ここを少し上ると「諏訪山公園」・・・。ここには銭湯「やまと温泉」があります。あの阪神淡路大震災のとき、仕事場の一室で避難生活を続け、お風呂場を探してさまよい、ここにありついた場所でもあります。六甲の山も近く、美しい清流に鳥たちが飛び交い、静かな公園があるまちは、ぶらり散歩には最適です。近くには「相楽園」もあり、ただいま恒例の「菊花展」が始まっていますね。毎年多くの市民でにぎわい、楽しませて貰っています。高齢者の「すこやかカード」で入園料も無料デス。
2012.10.23

延原時行歌集『命輝く』 (第294回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(101―3)在家キリスト教執筆の歌、歌の歌、愚作にもの歌、学びたりの歌、片桐医院に手の歌、を巡りて、の記 2012年8月12日~16日 8月15日 愚作にもの歌四首 愚作にも好評賜ふ友ありて我生くるにも値打ちある哉(備考:この所拙稿「懺悔の心―良寛とアウグスティヌスの場合」(『敬和学園大学人文社会科学研究所年報』No. 10, 2012年、103-124頁)に麗しき文々来るなり。嬉しも、) (書評:小野寺功先生 7月25日付葉書:暑中お見舞い申し上げます。「懺悔の心―良寛とアウグスティヌスの場合」の御論文を拝受しました。大変興味深い、重要な内容を含む講演内容で、再読、三読の必要を感じております。また日本三大詠唱が日本教育の基礎であるという洞察に深く共感させられました。今後は、「至誠心の神学」の時代になりましょう。とりあえず、お礼まで。」 書評:村上一朗様(創元社社主) 8月13日付メール:「延原時行様 お便りと玉稿・懺悔の心―良寛とアウグスチヌス、ご恵贈頂きました。有難うございました。奥様も大分落ち着かれましたでしょうか。何時ものメールと合わせ感謝、お礼申し上げます。玉稿、さすがに面白く拝読いたしました。時代や東西や思考の流儀の差を超えて本来的に真正の思想というものは深く共鳴しているはずのものですね。その根底的共鳴において、それぞれの特性・個性・独自性が発揮され、時代や個性の固有性が処を得て、共同的な人間の史的思想というものが形成されて行くのだろうと思います。まだ暑い日が続くかと思います。呉々お大切に、ご無理ございませんよう。一言お礼のみです。8・13 村上一朗」) 評言のなかりせば国滅ぶなりありてぞ愚作一隅を受く 愚作にも一隅照らす所あり文々の言ふ心優しも 優しさやこれぞ文化の心なり鎬削るも夢忘る莫れ(備考:各処において学術廃れつつあり。派閥と個人的不徳の故なるごとし。鎬よりも優しさぞ学の道なる。) 神戸の「地域人権シンポ」の行き帰り、自転車で「ぶらり散歩」風にのんびりと・・・・。若き日よりこのまちの変貌の姿を見てきました。古くからこのまちには「清風自治会」という組織もあって、私たちの地域調査などまちづくりには一緒に歩んできたあれこれのことを思い起こしながら、宇治川を上っていきました。清流の美しいこの宇治川は、ずっとずっと変わらずに昔と変わりませんが、まちの変貌がいっそう川の美しさを際立たせて、自然とまちはうまくマッチしてきているのでしょう。「蛍橋」にたって一枚撮しました。いまもホタルが飛び交うのかもしれません。確かに蛍が育つには最適の環境が整っています。いつもこの季節にここを通ると食べどきを迎えているたくさんの「キウイ」がぶら下がっているのをみかけます。川にはコサギたちがエサを食んでいます。ぼーと見蕩れて・・・美しい朝ですね。今朝の神戸新聞に、よく散歩に出掛けて立ち寄る近くの公園「会下山(えげやま)公園」の片隅に密やかに建つ「神鐡の敷設工事で犠牲になった朝鮮人労働者追悼モニュメント」に花を手向ける記事が載りました。最後にこの記事を添えて置きます。なお、前回触れた「岩田健三郎画文集」のブログ公開、早速手がけてみました。なかなか上手くいきませんが。 http://deainoie.fukuwarai.net/
2012.10.22

延原時行歌集『命輝く』 (第293回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(101―2)在家キリスト教執筆の歌、歌の歌、愚作にもの歌、学びたりの歌、片桐医院に手の歌、を巡りて、の記 2012年8月12日~16日 8月13日~14日 歌の歌十首 存在の低みの内に所得て我がすべて成る歌の幸ひ 在るものになるといふのが命なら歌こそ命燃ゆるかがり火 人生の如何なる悲惨打たふとも我が底の底あるは恩寵 かくなれば悲惨のみなる悲惨なし詠はざるもの我知らざれば 恩師言ふ低みにありて表現の出でざる人の有り得ざるこそ (備考:滝沢克己著『純粋神人論序説』熟読参照。) 表現の我根底の泉より滾々と出ずその音ぞげに歌にしあらば イマヌエル汝(な)が声にしてなにあらん主我一如なる祈りなくして 主の祈り我が底よりの声にして何ぞ我をと叫び給ふよ 歴史上十字架上のエリエリは存在上は我が底の声 イエスースクリストスなる称名は必ず遂に主我一如なり 晴れ渡った土曜日の一日「地域人権シンポ」があり、最初の写真は記念講演の岩田健三郎さんです。彼の独身時代から独自な画風表現で私たちの月刊雑誌を飾っていただきました。いま65歳で益々円熟した活発な作品群で楽しませて貰っていますが、何と今回は岩田さんご自身が200人を越える参加者全員に、上の版画作品と次にUPする16頁だての集会のための色刷りの冊子(これも岩田さんの手書き文字と絵でできています)までもプレゼントをして下さったり・・・。岩田さんのことはブログでもたびたび触れてきましたが、雑誌に長期連載して貰った岩田作品をブログ連載できればいいなと願っていたことが、この度はご本人のOKをいただくこともできました。いずれ同時進行のブログで公開を始めたいと考えています。今回は昨日のシンポと会場ののじぎく会館山側の景色――「花と緑のまちづくり推進センター」「諏訪神社」――、そして夕刻の三日月などを収めます。
2012.10.21

延原時行歌集『命輝く』 (第292回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(101―1)在家キリスト教執筆の歌、歌の歌、愚作にもの歌、学びたりの歌、片桐医院に手の歌、を巡りて、の記 2012年8月12日~16日 8月12日 在家キリスト教執筆の歌五首 我昔在家基教のすすめなる大著書きたり加茂振出しに(備考:1964年日本基督教団伊丹教会伝道師辞して隣町川西に加茂兄弟団伝道所開設するとともにこの著執筆開始せり。) その間に称名基教生まれたりそれ在米中磨きゆきたり(備考:磨きゆくものなくして異国での研鑽愉快あるなし。これありて万事己がパースペクティヴからの研鑽なるべし。異国にありてよろしく異国呑むべし。呑まるるなかれ。) 在米の日語教会佑けては説教命かけつ述ぶ (備考:八十九十の一世の兄姉に御言葉取次ぐ。これ命仕事なり。) これら皆クレアモントの研鑽の傍らの業尊しながら(備考:我が本業は1976~78Claremont School of TheologyにてIn-Service-D.Min.project;1978~1981Claremont Graduate University Religion DepartmentにてPh.D.candidateなりき。"The Post-Modern Religious Revolution in East and West: Toward a Theological Conceptualization of Time, Praxis, and Peace in Process Perspective" および"God and Analogy: In Search of a New Possibility of Natural Theology"といふ二つの学位論文執筆に従事せり。) 一巻はサンディエゴでの講演に仏基対話を示して閉ずる(備考:『仏教的挑戦とキリスト教的弁証論』なる大講演なりき。全米教会教育者大会にて。宗教間対話に従事せるカトリック神学者の多くは、還俗神学者なり。彼らにとり在家キリスト教:Lay Christianityは真剣事なり。この事余り日ノ本の国にては知られず。) 今朝も神戸は快晴、本日はこれから神戸の人権シンポ(今年は版画家・岩田健三郎さんの記念講演など)のため、自転車に乗って会場ののじぎく会館へ出かけます。上の写真は、昨日掲載した一昨日夕刻の、まるでオーロラのような大きな左右の虹です。昨日UP出来なかった写真が残っていますので、引き続いてここに収めて置きます。おそらくこんな太くて大きな驚きの虹は目にすることはないでしょう。刻々に変化する恐ろしいほどの夕焼けと共に。
2012.10.20

延原時行歌集『命輝く』 (第291回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(100―5)一筋の道の歌、箴言の歌、寿司問答の歌、試みにの歌、摂理の時の歌、眼科瞑想の歌、晩祷と朝の歌、この世界の歌、を巡りて、の記 2012年8月7日~11日 8月10日~11日 この世界の歌四首 眼帯を外したる時現れしこの世界まあ青み透明(備考:白内障の時この青みなかりき。白く濁りたる空間なりき。眼帯は医院の看護婦さん外すなり。その一瞬の新世界の青き透明。実にも美しき世界なり。感動とはこの事なり。) 見ゆる事許されし我嬉々として愛車Raumで園へと急ぎぬ 園にては我妻の言ふよかったなあ悲惨の底に恵み又しも (備考:妻の奇跡的癒しの後に我が癒し。これ又しもの恵みなりけり。) つくずくと我が主体我に非ずと悟りたるなり見るを許され(備考:すでにこの事予行演習ありき。最近視野クリアになりつつありたりき。この力、このたびレンズ変るも、変わらず我に見る力賜ひたり。感謝無限も。) 今朝の神戸は見事な秋晴れです。昨日の午後、近く創立80周年を迎える西宮の一麦保育園で「吉田源治郎牧師」のお話を吉田摂・梅村貞造両氏よりお聴きするためにお邪魔して、園庭の賀川豊彦が描いたモニュメント・大きな銀杏の樹、そしてウサギちゃんなど撮しました。台風21号の影響か予報に反して帰路雨模様になり、自宅に戻ると急に空模様が変わり、須磨アルプス辺りに落ちる夕陽まるで大きな山火事のように紅くなり、逆に東の方を望めば、これまで一度も見たことのないような大きな大きな虹が見えて来ました。虹の右端は六甲山の麓から大空を大きくまたいで瀬戸内の海にまで、立派なアーチとなって来ました。激しい雲の流れが続く中、西も東も紅みがかった怖い空が、そこしずつ夕闇になり、虹も消えていきました。今朝の新聞には昨夕の大きな虹の写真が一面に収まっているかなと期待していましたが、それはありませんでした。下手なデジカメですが、今回も数枚UPいたします。 まずは、「一麦(いちばく)保育園」の一本の大きな銀杏の樹とウサギちゃん。そして夕陽と虹です。いずれも撮影順です。
2012.10.19

延原時行歌集『命輝く』 (第290回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(100―4)一筋の道の歌、箴言の歌、寿司問答の歌、試みにの歌、摂理の時の歌、眼科瞑想の歌、晩祷と朝の歌、この世界の歌、を巡りて、の記 2012年8月7日~11日 8月9日 眼科瞑想の歌二首 イエスースクリストスとぞ祈り来てインマヌエールにて主我一如 (備考:信田眼科医院にての瞑想なり。アーメンは「主我一如」の称へなり。) 光姿見へ隠れたるのち又見へぬこれにて手術見事完了 (備考:この間六分なり。光姿隠れたる時、レンズ換へしなり。) 8月9日~10日 晩祷と朝の歌三首 晩祷に妹背共々覚へしは熱誠の友あり拙著十 (備考:この「十」著しきことなり。感謝無限も。) 久方の光射しきぬ夏の朝まずは足首体操始む ご近所に友ありて茄どっさりと賜ひし謝しつ味噌汁の味 (備考:この味この所のすべてを含む味なり。) ベランダにスズメ(この頃は少し親しくなってきたのか<スズチャン>と呼びはじめています)が数羽顔を見せました。今回も「高取山ぶらり登山」の続きです。鳥の巣箱などつくられ、枯れ木もまた芸術品のようです。森林浴にはいい場所です。
2012.10.18

延原時行歌集『命輝く』 (第289回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(100―3)一筋の道の歌、箴言の歌、寿司問答の歌、試みにの歌、摂理の時の歌、眼科瞑想の歌、晩祷と朝の歌、この世界の歌、を巡りて、の記 2012年8月7日~11日 8月8日~9日 摂理の時の歌十首 学び舎を御堂なきまま進むるは余りにも欠け多きことなり (備考:これ我が学び舎論第一条なり。) 学び舎は神哲学のありてこそ学理示して栄へゆくなり(備考:これも第一条なり。この思想系譜は、むろん、日本にはなきなり。アンセルムス、アクイナス、ホワイトヘッドの系譜なり。ここに我が恩師滝沢克己、西田入るなり。およそかかることども考えざる日ノ本の国の学び舎嗚呼。右も左も嗚呼。) ここにきてブログ十著の出でし事深き摂理の御業なりけり(備考:これ我が理想の学び舎の実現第一歩ならずや。自立学校と称するなり。地球大学自立学校なり。楽天では、延原時行ブログ著作集と称する如くなり。) 熱誠の友の介助のありてこそこの著作集出でにけりかも (備考:感謝無限も。) 日ノ本の基教学術鎬あり如何に削るも道あらずして (備考:東西の鎬、常に哲理なし。悲しも。) 只今は神と自然の変貌の哲理辿りつ思索に遊ぶ(備考:我が道はこれなり。変貌ホ氏「一者としての宇宙における冒険」と言へり。Justification of the UniverseともTransmutation of the Reality (including God and the Universe)とも。深し。) 主の祈り省察しつつ一篇の説教の文書くも喜び(備考:東新潟教会8月26日講壇のためなり。「み名を崇めさせ給え―主の祈りの不思議」との説教題なり。ヨハネ17・5とマタイ6章を瞑想なり。) かにかくに人は言ふとも主の摂理在りてこそ成る命なりけり かく思ひ妻と晩祷祈るうち沸々と湧く熱きものあり 実にもこれGod blessed the good dayなりof self-reflectionまたself-dedication祝福一途 (備考:「これ」とは熱きものの事なり。) 延原さんからメールで送り届けられる不思議な日々の歌たち、そして殆ど毎日のようにいただくお電話でも日々の新しい省察の喜びの聲々を承けて、毎日朝のお勤めのようにして、こうしてブログをUPさせて頂いて、どうもこれも不思議な不思議な毎日です。 イエスース・クリストス・インマヌエル・アーメン!上の写真は、私たちの住宅に植えているカリンの木に実った立派な実と、これを昨日カリン酒にいたしました。今回も「高取山ぶらり登山」の続きです。道なき道を雑草を掻き分けてずんずん進む勇姿を後ろから撮影していた写真もありましたので、それと共に収めます。
2012.10.17

延原時行歌集『命輝く』 (第288回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(100―2)一筋の道の歌、箴言の歌、寿司問答の歌、試みにの歌、摂理の時の歌、眼科瞑想の歌、晩祷と朝の歌、この世界の歌、を巡りて、の記 2012年8月7日~11日 8月7日 寿司問答の歌一首 クーラーの効きたる部屋でトロ食すお気持ちは如何トロっとしてる (備考:昨日夕餉の事今日愛宕の園にて妹背会話す。) 8月8日 試みにの歌五首 試みに英文稿をオンライン編集すれば先ず五著の出ず(備考:1.Christ As the Problem of Analogy: Transforming and Reinterpreting Karl Barth's Theoloy in a Process Perspective; 2. Toward an Ecozoics of the Deity: Thomas Berry and the Eco-Theological Revolution in East and West; 3. Anselm's Argument and Buddhist Wisdom; 4. Buddhist-Christian Apologetics; 5. Time, Human Nature, and the Altimates―これら五著なり。すべて各種ジャーナルに掲載されたる英文拙稿を新たに編集したる著書なり。試み嬉しも。) 我が著作幾星霜を綴りゆく牛の涎の趣和英(備考:和書は只今鳥飼師ブログ公開九冊目、歌集入れて、十冊なり。英書はオンライン公開論文編みてたちまちにして五冊生まる風なり。) 試みに五著の一々並べ見てひとり遊びも興味尽きざる ここに先ずChrist As the Problem of / Analogy並べ見ん哉ヴィジョン辿りつ(備考:各章の発想を辿りつ全体ヴィジョンに迫る、是大いなる神哲学的歓喜なりけり。試みに、この著の主要論文を以下にオンライン検索の便に供するも可能なり:1.Christ As the Problem of Analogy: Concerning the Theological-Analogical Significance of Q and the Gospel of Thomas:http://ci.nii.ac.jp/search?Nobuhara+Tokiyuki2.Barth and Whitehead: Transforming and Reinterpreting Barth's Theoloyg in a Process Perspective: 同上アドレス(この論文に「総合目次」末尾に添付)3.Portraying "Authentic Existence" By the Method of Analogy: Toward Creative Uses of the Analogy of duorum ad tertium for Comparative Philosophy of Religion (Parts 1, 2, and 3):同上アドレス。4.A "Buddhistic" Reinterpretation of Karl Barth's Argument for the Existence of God in Anselm: Fides Quaerens Intellectum:http://ci.nii.ac.jp/naid/110004692215Or, www.keiwa-c.ac.jp/.../a_buddhistic_reint(或いはこの論文国際的に知名度高き故、単に上記表題を書き込みクリックするだけで数か所にて閲読可能なり。 御神の賜ひし奇しき生涯を英文拙著辿り見る嬉しも(備考:あの時はこれこの時はあれ書きし我なりしとの思いなり。今集大成の時なり。嬉しも。) 上の写真ふたつはハナミズキです。もう少しすると葉っぱももっと色づくはずです。昨日は好天気で暖かく、久しぶりに近くの高取山にぶらり登山に出かけました。依頼を受けていた論考を期限内に仕上げることの出来た嬉しさも足を運ばせてくれました。山の登り口までにあったハナミズキと西山公園辺りの景色をUPして、その後に、今回の登山ではいつもの普通のコースをとらずに、久方ぶりに西山公園端から登る道をぶらり・・・。ところが何とこの道の入り口は道草に塞がれて人の足跡はありません。掻き分け掻き分け道のあったはずの道を上りぬけ、やっと山道に辿り着きました。今回はそこまでの一歩一歩を撮影順に並べてみます。草木と森林は心身によろしいようです。いい季節になりました。
2012.10.16

延原時行歌集『命輝く』 (第287回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(100―1)一筋の道の歌、箴言の歌、寿司問答の歌、試みにの歌、摂理の時の歌、眼科瞑想の歌、晩祷と朝の歌、この世界の歌、を巡りて、の記 2012年8月7日~11日 8月7日 一筋の道の歌四首 読むべきはルター「ロマ書」にホ氏「冒険」恩師「神人」西田「二巻」よ ここにある一筋の道神自然その変貌の形而上学 いかなるか義認と悔悛いや果てに宇宙義認と実在転とは 滝沢の低みと表現輝けり啓示神学メタ転ず時 箴言の歌四首 朗々と箴言吟ず園の妻God blessed the good dayとの響き嬉しき 祝福の鍵言葉なる真実は実に我妻に託されしなり 省献の佳き日祝せる御神の信実称へ生くる嬉しき (備考:これ延原信子の癒しの喜びなり。抑え難し。) 佳き日には近所づきあい含まるる運動の時それ無し悲しも(備考:在日の人我助け本出せしより妻の苦悩深まりしを我永く知れり。今平穏有り、不思議なり。) 私たちの住宅の手作り花壇は、みなで楽しみながらやっていますが、今年も3年連続の努力賞をいただきました。昨日は神戸総合運動公園で開催された「緑と公園のつどい」で表彰式があり出かけました。副賞として綺麗なミニバラや肥料などいただき、早速私たちの住宅の中庭に植え、表彰状なども掲示して喜び会いました。これからも引き続きよい土づくりに励まねばなりません。
2012.10.15

延原時行歌集『命輝く』 (第286回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(99―3)来信の音の歌、この人生の歌、主の祈リ不思議の歌、嬉しきの歌、ハーフパンツと紅白饅頭の歌、夫婦対話の歌、を巡りて、の歌 2012年8月3日~6日 8月6日 ハーフパンツと紅白饅頭の歌三首 今朝ほども義妹TELありハーフパンツを買ひたりと告ぐ これを聴き妻の喜び甚だしあれ涼しいわ掃除に丁度 新発田市のプレゼントなり祝敬老紅白饅頭妹背頂く(備考:「父さんこれ砂糖の固まりや。」「まあたまにはそれもええのや、ノーちゃん。」園にて。) 夫婦会話の歌十首 外往くな金使うなと言ひ過ぎし我を赦せよ父さんよ今(備考:このところノーちゃんこの類の反省顕著なり。我に外に行けとしきりに勧むなり。あの手の動きの言語化ならん。妻の深層心理手に取るように瞭然たり。) ノーちゃんよ外に行くこと別になし今家に居てブログ著陸続 半世紀あの日この日を費やして書き綴りたる拙著九冊(備考:只今は『9・11とプロセス思想―東西哲学の真実対話を求めて』:http://d.haena.ne.jp/keiyousan+torigai 『延原時行歌集「命輝く」』入れて十冊:http://plaza.rakuten.co.jp/40223まだまだ熱誠の友佑くありて大冊三つ準備中なり。『在家キリスト教のすすめ』『受肉の神学―救済論と形成論』『神のエコゾイックス―エコロジー神学の新構想』) 英文稿敬和紀要に二十篇黙々と書き世界に知らる (備考国立情報研究所の「cinii」掲載のお蔭なり。) 近くではチャプレンなるも遠くでは神哲学の書き手なる我 (備考:このギャップいと可笑し。) 米欧の有名ジャーナル寄稿せる英文拙稿知る人ぞ知る (備考:密やかなる楽しみなる哉。) 黙々と今ぞこの時打ち込みて四十篇を美本に編まむ ノーちゃんよ外に行かぬはこの故ぞ粛々の今楽しきは此処 おそらくは神哲学の英文稿ひそと書きては推敲三昧 かくしてぞ美本の今に現れて地球時代の大学進むよ(備考:「地球時代の大学」形成促進程の生き甲斐なし。「大学」とは「地球時代の学術界」のことなり。其処此処の「構内」に非ず。上記ブログは「地球時代の大学」掲示板なり。) おふくろが百歳近くまで長男夫婦と過ごしている間は、毎年お盆の頃に一度だけ故郷に足を運んでいました。だんご三兄弟の三男坊の私はのんきに我が道を生きてきましたが、長男夫婦は母を看取り家継ぎの役柄を背負って事業に打ち込んで来ました。昔の古い家を新築したり庭にも手を加えたり代々のお墓を管理したりしてただいま御歳80歳! 同級会に帰省した一夜、ゆっくりとお酒を交わし贅沢なご馳走を頂いて、来し方行末のことなど、語り明かしました。今回は兄夫妻が大切にしている我が故郷の庭をUPして、長くなった<関金温泉での同級会>の報告を終わりにいたします。本当に嬉しい旅になりました。
2012.10.14

延原時行歌集『命輝く』 (第285回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(99―2)来信の音の歌、この人生の歌、主の祈リ不思議の歌、嬉しきの歌、ハーフパンツと紅白饅頭の歌、夫婦対話の歌、を巡りて、の歌 2012年8月3日~6日 8月4日 主の祈り不思議の歌二首 主イエスぞ太初栄光輝かせ給へよ父よと求め信ず(備考:ヨハネ福音書17章5節に原型を見せる主の祈りの不思議は、歴史のイエスが先在のキリストの輝きを回想しつつその現実化を父に求めたる時、「まだ見ぬものを誠とする」意味において「信仰」に生き給ひし事なり。これ主の祈り元来の趣旨なりき。) 信ずとはまだ見ぬことを誠とす主の祈りその原型にして 8月5日 嬉しきの歌三首 牧者あり拙著あなたに書店より知人に届け給ふ由なり(備考:種谷俊一牧師お葉書7月31日付:「お元気で御活躍の由嬉しいです。風の便りを頂き、以前「あなたにいちばん近い御方は誰ですか」を届けて下さって感謝です。一冊神戸のキリスト教書店から知人に届けてもらいました。読んで欲しい人がいて。信子さんの体調は如何でしょうか。今日振替で貧者の一灯を届けました。ありがとうございます。暑い夏お体を御大切に。私はバテテ数日休養しました。祈っています。」) 嬉しきは主の御業をば綴りたる我らが記録伝はるるさま 人として生まれ来りし生涯の我ならぬ主(ぬし)告ぐる嬉しさ (備考:これ生涯歓喜なり。) 故郷「関金温泉」での小学校の同級会の余韻は、友からの喜びの電話や来春の中学時代の同級会開催の予告まで続いています。前回は卒業写真で盛り上がったことを記しましたが、上の写真2枚は校長・村長・担任と一緒に写した5年生の修了写真のようです。悲しいかな大事な友達がひとり写真から切れてしまっています。もう1枚は6年生の時の修学旅行で僕らの班の記念写真だと思います。そして下にUPする写真は南谷小学校の卒業記念として、みなで知恵を出し合いひと月以上の時間をかけ完成させた校庭の中庭の池です。みなでセメント張りをして出来上がり、はじめて水を入れた時のあの喜びは、いまも鮮やかに記憶に残っています。アルバムに残る小学時代の写真は、わずかにこれら数枚のもののみです。この機会に6年間を共に過ごした同級の友だちを、まんじりと想起させてもらい、亡き友を偲びながら、故郷での集いを存分に満喫させてもらいました。今回はUPし残している写真のいくつかを収めて置きます。
2012.10.13

延原時行歌集『命輝く』 (第284回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(99―1)来信の音の歌、この人生の歌、主の祈リ不思議の歌、嬉しきの歌、ハーフパンツと紅白饅頭の歌、夫婦対話の歌、を巡りて、の歌 2012年8月3日~6日 8月3日 来信の音の歌一首 驚きぬ先輩牧師御厚情振替ことり来信の音 (備考:種谷俊一先生よりなり。) 8月4日 この人生の歌六首 この人生アナロギア2姿我見たり啓示神学・形而上学 これ程の幸い又とありうべきしるし本光輝秘かに(備考:我にとりしるし本のあとがき、それほどの喜びなり。人生ここに充実す。ここに至るまでの熱誠の友のブログ介助、感謝無限なり。) 世の人は多忙極みにあるなれど拙著の主旨ぞ時に読まるる(備考:これ又喜びなり。「時に読まるる」喜びありて人書著すなり。大概は期待すべきにあらざれども。) 熱誠の友介助あり拙著今八冊終り九冊目出ず(備考:本日より鳥飼師ブログに拙著公開9冊目『9・11とプロセス神学―東西哲学の真実対話を求めて』開始す。この人生の今なり。熱誠の友人ありてなり。一重に感謝無限なり。) 今日の日もつくずくと我省献の佳き日祝せる御神信ず(備考:御神信ずとは、我妻信ずといふ事なり。God blessed the good day of self-reflection and self-dedication.(延原信子英文箴言第一条)とは著しき言の葉なれば。) もはやなし視床痛なしあるはただ肩こり類リハビリ師述ぶ(備考:本日の北越病院訪問リハビリ療法士大島誠雄氏の言の葉なり。有難しも。ハイセレニン効きしなり。祖父江ドクターに深甚感謝なり。) ほぼ60年ぶりの再会! 40人ほどの同級生のうち14名が顔を合わせました。多くの友が他界して病に臥す友もある中、予定の時間1時間ほども早く集まって、一枚の卒業写真を前に、名前を思い出せない友や恩師をみんなして回想し、すべてが判明して万々歳!今回欠席の同級生のひとり・『チョウはなぜヒラヒラ飛ぶのか』の著者が我が家にひょっこり訪ねてくれたことはこのブログでUPしましたが、地元の町長を務めた友や最高検トップ三人衆のひとりとも呼ばれたという友なども顔をみせ、幼かった小学生6年間の思い出に花を咲かせました。地元にあって闘病中だった同級生が今春亡くなり、懇親のあとみんなで彼の自宅とお墓にお参りに行きました。友人のひとりが彼の墓前で見事な般若心経を唱えてくれました。前回に続き今回も、わが故郷の景色―幼い頃に虫取りや魚捕りに興じた河原など―を添えて置きます。
2012.10.12

延原時行歌集『命輝く』 (第283回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(98―7)見ゆるに驚くの歌、今日の思いの歌、発見の歌、宇宙佑くの歌、妻理解の歌、神世変貌の歌、恩師メールの歌、北越病院にての歌、を巡りて、の記 2012年7月25日~8月2日 8月1日 恩師メールの歌二首 恩師カブ我にメールの便りありSustainability本ありやなしやと かくしてぞ師著邦訳の機運時今まさに来て静寂待機 8月2日 北越病院にての歌三首 医師の笑み我妻の笑み誘いたる孰れが先か我知らずなり (備考:好調ですよ、とのべつ祖父江ドクター笑む妻も笑むなり。) 新調のクーラーありてご満悦我が説明に医師頷きぬ 熱中症在り得ざること喜びて妻幸ひに笑むことしきり(備考:昨日K's電気に頼み新しき良きクーラー設置せり。働き人一時蜂に刺され大騒ぎなりしも。熱中症の恐れありて眠れぬ幾夜かはかくて去れり。) 同級会の開かれる朝の「ぶらり散歩」の続きです。前回UPした「大鳥居神社」を過ぎて、さらに堤防のある方面へ歩を進めると、山陰特有のくもり空とはいえ勇壮な「裏大山」を遠望でき、「蒜山(ひるぜん)」がうんと近くに望めます。とくに、稲刈りを終えた田んぼの景色もまた美しく、何度も立ち止まって、見蕩れてしまいました。夫を若くして亡くした母は、ひとりこのあたりに来ては、大声で天に向かって泣き叫んだ場所でもあります。
2012.10.11

延原時行歌集『命輝く』 (第282回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(98―6)見ゆるに驚くの歌、今日の思いの歌、発見の歌、宇宙佑くの歌、妻理解の歌、神世変貌の歌、を巡りて、の記 2012年7月25日~31日 7月31日 排水管洗浄の歌五首 昨日は風呂排水の難儀あり洗浄作業頼みしも佳し この家の建ちてからはや十六年排水管の初洗浄 この猛暑働き人は苦にもせず孜々と洗浄我談笑す 先代の社長後援会長ぞ敬和の卒入我が祈祷誉む (備考:小柳産業先代社長肥田野氏なり。) 何よりも佳きものはこれ祈祷なり肥田野氏の言ふ心震へつ(備考:敬和学園大学後援会長肥田野氏オレンジ会総会後の懇親会にてつと我に近づき「先生の卒業式入学式でのチャプレン祈祷ほど心に響くものなし。毎年それ始まるや我が心躍れり。喜びの時なりき。」と申されしことあり。これ著しき言の葉なりき。肥田野誠実父子は敬和の誇りなりき。のち五十八歳にて他界さる。哀悼切々。) 小学校の同級会当日の朝、久方ぶりに「大鳥居神社」までぶらり散歩に出かけました。幼い頃には毎日のようにこの境内に集まって「Sの字遊び」やボール遊びに興じた思い出の場所です。秋の祭りにはうまい握り飯を振る舞われ、何度も手を伸ばした餓鬼の頃が懐かしく思い出されます。いまは氏子たちの手で綺麗に整備され、「皇紀二千六百年・寄贈者・鳥飼元」という旗立ての石柱もここに据えられていました。この年はボクの生まれた年で、父は青年団の責任を担っていたとか・・・。幼い頃大きなフクロウもいました。鎮守の森・神社の境内はいつになってもいい場所です。
2012.10.10

延原時行歌集『命輝く』 (第281回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(98―5)見ゆるに驚くの歌、今日の思いの歌、発見の歌、宇宙佑くの歌、妻理解の歌、神世変貌の歌、を巡りて、の記 2012年7月25日~31日 7月30日 神世変貌の歌十首 しるし本末尾に至り仕掛け有リ突如英文二稿出現 アナロギア二論文こそ新機軸閲読の友味読給へや 神人の不可分の点空なるぞ原事実この底ありて神世をつなぐ(備考:滝沢哲学に言ふ「インマヌエルの原事実」不可分不可同不可逆説の内第一の要素不可分を我この様に再考す。神人の間不可分と言ふその「不可分」空の事なり。間が不可分なるは、間が一切のもの(有、存在者)に非ずして「空は空自らを空ずる」ダイナミックス実在なるが故なり。) 原事実空の底へと深まりて形而上学かたち成るなり(備考:かくしてアナロギア・アクチオニスの逆三角形の図式(▽)においてProto-factumは「Emptiness/Creativity」へと、disciple(弟子達)は「World」へと、Jesus(受肉神)は「God」へと、変貌すべし。これ形而上学の図式duorum ad tertiumの成立なり。ホワイトヘッドがトマスのanalogy of attribution duorum ad tertiumの成立理由を、Either of them, God and the World, are in the grip of the ultimate metaphysical reality of creative advance.と述べて開示せる西欧哲学史上の快挙これなり。) 神も世も空の底へと至誠なりこれ不可避的存在論なり (備考:これ我が言の葉にてホ氏の「in the grip of」を説明せるなり。) そのうえで空の底へと自覚的至誠心には生くるは神のみ(備考:神の形而上学的位置はこれなり。存在論的不可避性を自覚的に現成するなり。仏教では「本覚」と呼ぶ境位なり。「久遠実成」(くおんじつじょう)なり。我ら人はこの点無明なり。「あるところのものになること」なし得ざるなり。) かくなれば神人間に不可同の理(ことはり)あるは事実なるべし(備考:不可同の成り立ちはあくまでも自覚面でのことなり。存在論的事実面では、神人は不可分なリ。不可分とは、先述の如く、空なり。) 然れども神世に向けて至誠たれ呼び声強く激励給ふ(備考:これ神のみ至誠なる経験有するなり。その経験有する者のみ、至誠なれ、と至誠心の喚起し得る道理なり。) 至誠たれこの呼び声ぞ不可逆の恵みなりけり有難きかな(備考:原事実の底に空を踏みしむることなくば、不可分不可同不可逆の形而上学的説明あり得ることなし。空は、原事実の、内的核心(inner core)なりとは、我が形而上学的確信なり。この点の洞察なしに絶対不可逆説を論ぜば、説空を撃つのみなり。さりとて、絶対可逆説を、空を原事実の「内的コア」と見ることなしに、論ぜば、これまた空論なり。) かくしてぞ神にも世にも変貌の時ありてこそ神また世なり(備考:変貌無き不変の神(immutable Deity)は不誠実神なり。絶対不可逆神に至誠心なし。ここに、神について回心(metanoia=transmutation)論ずる形而上学的必然性今日あるなり。回心の神と回心の世なればこそ、宇宙(神と世の共なる実在)のJustification(義認)あるなり。この場合、宗教改革者マルティン・ルターの宣明せし「人の悔悛」(metanoia=transmutation)、「悔悛した罪人の義認」(justification of sinners of repentance)の埒内から、「回心」も「義認」も解放さるるべし。かくてホ氏『観念の冒険』末尾にて、transmutation of the Reality(実在の回心・変転)、justification of he Universe(宇宙の義認)論ずるを得たり。彼変貌を、an Adventure in the Universe as One(一者としての宇宙冒険)と呼称せり。かくしてこそ、神論進化論と結合せり。真論と宇宙進化論の結合なくば、人類と宇宙と神に未来なし。未来なき所に、絶対不可逆も絶対か逆も所あるなし。「神と自然の変貌―ルター啓示神学からホワイトヘッド形而上学へ。TransmutationとJustificationの新概念を手引きに。」なる秋のプロセス学会(京都)における講演に眼鼻つきしか。西田の「絶対自由的意志が翻って己自身を見た時、そこに無限なる世界の創造的発展がある。」(全集第二巻『自覚における直観と反省』)の語は、神的変貌、変貌的世界を論じたり。忘るべからず。) この度の小学校時代の初めての同窓会、その小学校は遠い昔、合併をして消滅しています。しかし中学校は、私たちの時代より我が家のすぐ近くに移動して、新しい校舎で学びました。とはいえ、いまは当時の学び舎はすべて消えてしまっています。同窓会の当日、いつもより早く起きて、歩いて5分ほどの母校である「鴨川中学」までぶらり散歩してきました。正門の横にある石に刻まれた校歌をカメラに収めていたら、土曜日でしかもまだ早い時間なのに、若い女性教師の方が出勤してこられて、少々昔のお話を来聞いていただいて・・・・私たちの学んだ小学校のことなど話してもちんぷんかんぷんでしたが・・。中学時代は「野球部」に属して、夏休みなどは合宿だどした思い出のいっぱいつまった広いグランド・・・・。昔の樹木たちは大きく育ち・・・。来年あたりは、鴨川中学時代の同級会が準備されるようです。母の元気だった頃は毎年帰省していましたが、だんだんとふるさとも遠くなります。それでも幼なじみと再開できるのはまた楽しみなことです。 下の写真は、我が家から望む鴨川中学です。
2012.10.09

延原時行歌集『命輝く』 (第280回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(98―4)見ゆるに驚くの歌、今日の思いの歌、発見の歌、宇宙佑くの歌、妻理解の歌、神世変貌の歌、を巡りて、の記 2012年7月25日~31日 7月29日 宇宙佑くの歌三首 左脚しびれ取れしと妻の言ふ我擦る手のうごきあればと 嬉しきはその言の葉よノーちゃんよ我この宇宙聊か佑く 宇宙とは何物なるか一々の人の介助の他佑くなくば 妻理解の歌五首 我妻の手のうごきにぞ生涯の命顕はれ神祝します 御神の祝福こそがノーちゃんの箴言に詠むマニフェストなり 祝福ぞ人の命の極みなり祝福あれば甦りあり 雪囲ひする時までの人生は防備の心妻尽くしたり 天来の祝福はこれ防備より先にありつつ人活かす糧: God blessed the good day of self-reflection and self-dedication 暦の上では寒露、「体育の日」休日の朝日が綺麗でした。前回から故郷の小学時代の同級会で帰省した写真をUPしています。上の写真はアルバムに残っていた3センチ×2センチほどの小さなもので現在は跡形もない「南谷(なんこく)小学校」です。我が家から30分ほど歩いて6年間通学した思い出の学び舎です。前回は田舎に帰る特急スーパーはくとの車窓の景色を収めましたが、今日は終着倉吉駅から故郷「関金(せきがね)」までと田んぼの中の一軒家・生まれ育った我が家の周辺とお墓参りの道端の景色などを収めて置きます。兄と温泉に浸かりそこに飾られていた町出身の漫画家・前嶋さんの作品―そういえば現在「国際まんが博」開催中デス―も・・・。
2012.10.08

延原時行歌集『命輝く』 (第279回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(98―3)見ゆるに驚くの歌、今日の思いの歌、発見の歌、宇宙佑くの歌、妻理解の歌、神世変貌の歌、を巡りて、の記 2012年7月25日~31日 7月28日 発見の歌四首 小不快よりも大怪我大癒しもたらすことぞ人生真理 十字架に何ぞ我をと叫びたる我が主基督大我なりけり (備考:我が大我は基督なり。) 箴言の復唱妹背常とする生涯ここに燃え上がる哉(備考:愛宕の園にてももう復唱は常住不断なりき。昨日帰宅せり。生涯燃焼の場所誰にてもなかるべからず。) 付録文付するごと我がしるし本青年思索今に入れ快(備考:これ誠に快なり。『しるしの誕生とアナロギア神学の新機軸』第三の付録「人間と神―限界、対象性、対象化をめぐる神学的一考察」を容れたり。熱誠の友鳥飼慶陽師の編集介助のお蔭なり。深謝無限。) 「静かな山のいで湯:関金(せきがね)温泉」のある町が、我が故郷です。冒頭の立て札のごとくの効能で温泉がすばらしくて古くから湯治場としても親しまれてきました。いまや「日本の名湯百選」にもなっているようです。ここに「グリーンスコーレせきがね」という国民宿舎があって、そこで私たちの「南谷(なんこく)小学校」時代の同級会が開催され10月5日~6日、帰省してきました。母を見送ったあとはだんだんと故郷が遠くなりますが、故郷で暮らす兄とお墓にいって花を手向け、お酒を交わしてご馳走にもなり、大満足で昨夜神戸に戻りました。そこで今回から数回、この度の帰省の記録をUPしてみます。故郷の景色は格別のものでした。初回の今日は、山陰を走る「特急スーパーはくと」の自由席で、運転席のうしろの席に座って、車窓の景色も満喫できました。明石大橋はもちろん鳥取市のところにある美しい湖山池や日本海なども見とれているうちに終点「倉吉(くらよし」に着きました。倉吉の駅舎も一新されていてこれにもびっくり・・・。兄がわざわざ駅まで出迎えにきてくれて・・・。まずは同級会の案内板とここからばがめる「大山(だいせん)」。そして車窓の景色・・・。
2012.10.07

延原時行歌集『命輝く』 (第278回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(98―2)見ゆるに驚くの歌、今日の思いの歌、発見の歌、宇宙佑くの歌、妻理解の歌、神世変貌の歌、を巡りて、の記 2012年7月25日~31日 7月26日~27日 今日の思いの歌五首 残し得て欣快至極かの時の我らが思索冒険さなか(備考:『しるしの誕生とアナロギア神学の新機軸』ブログ公開に付録「アナロギア・アクチオニス」考(1972年)とボンヘッファー論(1964年)入るるありて。) 見ゆる事その主体なる主にませば残余の事は祈り任せに(備考:我が主体なる基督にすべてお任せする嬉しも。祈りとは主の祈りの事なり。それ故、我にとり祈りとは基督なり。) 八冊本ブログ公開その中でしるし本こそ出版すべし 激動の教団嵐渦中にてイエス・キリスト我探究す (備考:「・」の問題我アナロギア・アクチオニスとせり。) 探究は米国師友評価せりUSQR掲載我Who's Who(備考:1984年の慶事なり。Union Seminary Quarterly Review, XXXIX/4, 1984, 269-285.掲載。Who's Who in Biblical Studies and Archaeology in Americaにこの論文一本でノミネートさる。いか「史的イエスと信仰のキリスト」問題キリスト教界にとりて国際的に重大なるか、知るべし。これにて米学界の人となれり。正に驚きたり。) 「神戸・賀川記念館界隈」の続きです。ゲートボール興じられるグラウンドのそばに公民館があります。ひょっこり立ち寄ると、かつて研究所で仕事をしていた頃にお世話になったことのなるスタッフの方や館長さんがおられて、この街のいまを聞かせてもらいました。ほんとうにいい街になっています。
2012.10.05

延原時行歌集『命輝く』 (第277回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(98―1)見ゆるに驚くの歌、今日の思いの歌、発見の歌、宇宙佑くの歌、妻理解の歌、神世変貌の歌、を巡りて、の記 2012年7月25日~31日 7月25日~26日 見ゆるに驚くの歌六首 昼介助しつつふと見しカレンダア一々の文字見ゆるに驚く(備考:この所愛宕の園の駐車場にても廊下にても物の輪郭クリアに見ゆること楽しみおりしが。) 我もはや見ゆるに非ず基督ぞ我が内にあり誠見給ふ(備考:妻の看病一年八か月するうちに我見ゆるとは脳機能の中枢なる事知るに至れり。視床と申すなり。その障害視床痛なり。妻の足裏押せば眼見ゆる事促進する事実も知るに至れり。今遂に知る。見るは基督主体の事なりと。) 目を凝らし執務室にてじっと見る「生きる権利」と見ゆる書嬉しも(備考:カブ著拙訳『生きる権利死ぬ権利』表紙デスク椅子から明らかに見ゆるなり。これ何ぞ。今、じっと凝視するこの事重要なりと知るなり。) 居間にては恩師の書なる文字を見る億劫相別須臾而不離とぞ(備考:大燈国師の一文の書也。滝沢先生七十一歳春の書也。宝物なり。おっこうあいわかれしゅゆもはなれず、と読むなり。「おっこうそうべつしゅゆもふり」。尽日相対而刹那不対此理人人有之と続く。西田全集第十一巻399頁にあり。) 一年余妻看病し過ごすうち我が視野白く混濁も去る(備考:我妻の双眸ひらく春初め 2011年2月2日に詠ひぬ。今同じこと、我が七十五歳の誕生日に臨めり。基督の御恩寵なり。感謝無限なり。) 恵まれぬ凝視のちからありありとこれ命なり忘るべからず 「神戸・賀川記念館界隈」の続きです。1966年春、この街に来て以来、ずっと街の変貌を見届けてきましたが、感慨一入というところです。まちづくりに関わってこられた方々のことを思い起こしながら、ぶらぶらと散策いたしました。
2012.10.04

延原時行歌集『命輝く』 (第276回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(97―7)感受の歌、極み時の歌、恩師滝沢克己先生「純粋神人学」低み=表現二重真理我が省察の歌、主の祈り見ゆの歌、ヨハネ福音書17章5節の歌、七十五歳誕生日の歌、妻箴言に訳付するの歌、我らが歩みの歌、今正にの歌、を巡りて、の記 2012年7月19~25日 7月24日~25日 今正にの歌 今正に英文拙稿"Analogia Actionis"の出でんとす佳し(備考:『しるしの誕生とアナロギア神学の新機軸』第五章:"Analogia Actionis: A New Proposal for Christology ‘From Below'" [Union Seminary Quarterly Review, XXXIX/4, 1984, 269-285]なり。) 今正に箴言七条訳付する得意の顔に笑みこぼる妻 (備考:愛宕の園豊浦夕餉の後なり。) 今正に熱誠の友またまたぞ在家基教の結び編送(備考:鳥飼慶陽師ブログ公開拙著九冊目『在家キリスト教のすすめ』エピローグ「仏教的挑戦とキリスト教的弁証論―仏教的キリスト教としての在家キリスト教」テキスト化送り給ふなり。これは1986年1月31日~2月4日米国サンディエゴにおける北米教会教育者のための講演草稿にして一度『キリスト新聞』1986年3月22日付に掲載されしものなり。) 基督は我が主体なり我が見ゆるすべては主なり主の祈りなり(備考:インマヌエルの原事実は実存の根底として踏みしむるなり。父には祈るなり。これらは甚だ明快なり。しかし、キリストは誰なるか、何者なるか。彼我が主体なり、彼こそ我が「今正に」の主体なり。キリストは概念的に明快にあらず、体験的に自明なり。) 台風一過、十六夜も過ぎ、愈々秋の到来です。昨日の夕暮れも綺麗でした。刻々に変化する景色を愛でました。同じ景色はなく、新しい姿を見せながら暮れていきます。今回は撮影順に並べてみます。今朝の朝日も見事でした。祝福の朝です。
2012.10.03

延原時行歌集『命輝く』 (第275回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(97―6)感受の歌、極み時の歌、恩師滝沢克己先生「純粋神人学」低み=表現二重真理我が省察の歌、主の祈り見ゆの歌、ヨハネ福音書17章5節の歌、七十五歳誕生日の歌、妻箴言に訳付するの歌、我らが歩みの歌、今正にの歌、を巡りて、の記 2012年7月19~24日 7月24日 我らが歩みの歌十首 生くるとは畏れ消へゆき力動の喜びのうち歩みゆくこと 思ふだに恐ろしき怪我襲いきて妹背の歩み慄きのうち 慄きが今力動を内に得て見者と共に歩みゆくなり(備考:見者内住のキリストなり。「見る」は内住のキリスト我が真の主体なるゆえに生起するなり。我らの名は「慄き」なるも、「慄き」は見者内住し給ひて「共に歩みゆく」なり。有難きかな。) 半世紀書き綴りたる十冊本一気にブログ公開摂理(備考:鳥飼師ブログに拙著公開進行中誠摂理なり。感謝無限も。只今八冊目なり。九冊目『在家キリスト教のすすめ』編集中なり。十冊目バイリンガル本『神のエコゾイックスの視点より―エコロジー神学新構想』なり。十一冊目『受肉の神学―救済論と形成論』編集中なり。これには、新思想「イエスの主の祈り新解釈」を付するべし。これら出でてのち、さらに、英文拙著に邁進すべし。まずは五冊。ひと時おいて、さらに五冊。請うご期待。) 慄きの怪我の時今打ち過ぎて妻は箴言朗々一途 かにかくに人は言ふとも妹背共佳き日祝せる御神とゆく 誠にぞ師の言ひし如表現ぞ人の命の希望産むもの(備考:我が表現我が賜物わが命なりけり。時時刻刻の表現の歩み、地球時代の鼓動なり。人々の反響感じつつ喜び実に溢るなり。) 主の祈り我が生命の芯に在り滾々と湧く泉なりけり 不思議なる我が人生の旅無限慄きて今喜び溢る 只今はバイリンガル本新著にぞ思索凝らしつ地球果て見ゆ(備考:必ずやバイリンガル本の時代くるべし。かつて有名日本思想家の書物翻訳に数世代かけしも、世界的同時性におっつかぬなり。自ら日英で書くならば、一気に地球果て見ゆるなり。あに書かざらんや。孜々として励まざらんや。) 台風一過、昨日は神戸栄光教会で「ラクーア伝道関係連絡会」の集いがあり「吉田源治郎牧師から見えてくるラクーア伝道」という拙いお話をさせていただきました。冒頭の写真は、この会の世話役の稲垣馨牧師(香住教会)よりお土産に頂いた日本海の魚「ハタ」です。そして上の写真は早速夕餉の食卓にそのハタとベランダで実ったムカゴを、これもいただきものの「新潟の新米」で炊き込んだ「ムカゴ御飯」デス。昨晩は「十六夜の月」今朝は「鯖雲」・・・。秋ですね!!今回は昨日の集いの「吉田源治郎牧師(ご夫妻)」の写真、賀川豊彦の見事な書、阪神大震災で倒壊したあと見事に再建された神戸栄光教会の礼拝堂をUPします。なお、「第9回ラクーア伝道関係連絡会」の個人的な記録は、同時進行のブログ http://d.hatena.ne.jp/keiyousan/ の方で書き留めておく予定です。
2012.10.02

延原時行歌集『命輝く』 (第274回) 「復活の家出発進行―感謝無限の旅一歩一歩」(97―5)感受の歌、極み時の歌、恩師滝沢克己先生「純粋神人学」低み=表現二重真理我が省察の歌、主の祈り見ゆの歌、ヨハネ福音書17章5節の歌、七十五歳誕生日の歌、妻箴言に訳付するの歌、我らが歩みの歌、今正にの歌、を巡りて、の記 2012年7月19~24日 7月23日 七十五歳誕生日の歌三首 久方の夏の日差しは眩(まばゆ)くて目しばたかせつ恵み我受く 主の恵み深々と受く我が目にぞ日々に風光明らかに見ゆ 我もはや見ゆるに非ず基督の我が内にありてぞ見ゆるなり(備考:これ基督内住見ゆる奇跡なり。原事実は根底に踏みしむるも、基督は内住の見者なり。) 妻訳付するの歌一首 驚きぬ箴言朗と吟ずるもいとしとやかに訳付する妻(備考:「なぜかと申しますと、日本社会は仏教に非常に影響を被っているからでございます。」(箴言第七条末尾の如し。) 今日から新しい月・10月の始まりです。昨夜と今朝方の中秋の名月は見事だったようですが、残念ながら見届けませんでした。昨日午前はいつもの日曜の学びと語らいのとき、午後のあの猛烈台風の最中は、本日これから出かける「吉田源治郎牧師から見えてくるラクーア伝道」(「ラクーア」連絡会の集い・神戸栄光教会にて)というお話の準備に当たりました。台風のために小学校の運動会は延期になりました。今回は台風一過、昨日夕刻の景色とベランダの傷んでしまった植木(そこには「むかご」が食べごろでしたが・・・残ったもので今晩は「むかごごはん」デス)、そして私たちの住宅の中庭も・・・。
2012.10.01
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