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上るのは難儀だが堕ちるのは容易い現代の地上人の感覚からして、この世は地獄なのか?という問いに何と答えるだろうか? もし、この世が地獄だとしたら、死ぬことは地獄から抜け出すことになり、地獄が嫌だから自殺する人もでてくるかもしれないが、死後の世界のほうがもっと地獄の可能性もあり、この世だけが地獄という保証もない。地獄の種類も多種多様で、しかも、地獄の程度問題もある。この世は確かに地獄のような場面もあるが、たまには天国かのような良い思いをすることもあるし、地獄のような経験から、逆に天国を想像できる。ちなみにAIに回答を求めると以下になる。この世は地獄なのか『AIアシスタントこの世が地獄であるかどうかは、個人の感じ方や宗教的な考え方によって異なり、一概には言えません。「この世は地獄だ」と感じる人もいれば、そうでない人もいます。🎭 「この世は地獄」と感じる理由「この世は地獄」と感じる理由には、以下のものが挙げられます。人生の不公平さ: 運によって人生が大きく左右される弱肉強食の現実: 力のある者が勝ち、弱い者が淘汰される生きる意味の喪失: 人生に目的や価値を見出せない人間の欲望: 欲望に縛られて生きている避けられない死: 最終的に訪れる死への絶望努力が報われない経験: 努力しても状況が変わらない苦しみ☸️ 仏教における地獄仏教では、地獄は死後に存在する苦しみの世界とされています。概念 説明六道 私たちの世界を含め、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道の六つの世界が存在し、生まれ変わりを繰り返すとされています。地獄道 六道の中で最も苦しみの多い世界です。生前の悪行によって地獄に堕ちると考えられています。ただし、地獄は罰のためだけではなく、その人の「心の波長」が地獄に合っているためとも言われています。八大地獄 仏教では、地獄をさらに八つの種類に分けて説明することもあります。これらは、等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、焦熱地獄、大焦熱地獄、阿鼻地獄(無間地獄)を含みます。各々異なる苦痛と期間があります。🌍 この世の苦しみと地獄仏教では、「苦より苦に入り、冥より冥に入る」という言葉があり、この世で苦しんでいる人は死後も地獄の苦しみを受けると説かれています。この世での不安や暗い生活が、そのまま死後の地獄に繋がると考えられています。』このAIの回答のように、仏教では、死後の世界と捉えていて、この世での地獄のような経験よりも、更に地獄のような死後の世界を想定している。それでもあえてもし、この世が地獄だとしたら、なぜ死を恐れるのか?という疑問が生まれてくる。死後の地獄よりもまだマシな感覚が残っているのかもしれない。いずれにしろ、死を恐れる、ということはそれなりに、この世での居心地が良い証拠で、たとえ地獄でも、その影響を受けない生き方もできる。上のAIの回答の、仏教の言葉「苦より苦に入り、冥より冥に入る」は、この生き方を説く教えといえるかもしれない。キリストも、心が世界をつくる、というようなことを述べている。神智学では、人間が死後に行くはじめの世界は、一般的に冥界で、人智学では、カマローカと呼ばれている。この冥界は欲界とも呼ばれ、太陽光がほとんど届かない冥王星の裏にあり、前回紹介した第10番惑星で通称X星とも呼ばれている。冥王星という命名でも、その暗い、ある程度のネガティヴさがわかるが、更に外だから、ほとんどネガティヴな闇なのがわかる。ちなみに冥王星のオカルト的意味は次のようなサイトで紹介されている。冥王星は占星術界の魔王!その意味をまとめてみた|星読みテラス占星術における「冥王星」とは?意味やホロスコープでの特徴を解説 | うらなえる | 無料占い・今日の運勢『占星術における「冥王星」は、人の力では避けることができない世代的あるいは社会的な仕組みや突発的な出来事を根本から覆していく変容を意味します。 冥王星は、とても公転周期が遅い天体で、個人(パーソナル)の領域ではなく、世代間の傾向や特徴、個人という枠組みを超えた「トランスパーソナル」として区分されている天体です。』冥王星でさえも、『冥王星は、避けることのできない大きな変化を、社会的な制度や仕組み、個人に対して起こす星です。』と伝承されているので、その外の地獄のX星はいわば地上人に破壊をもたらす星ともいえるかもしれない。さて、前回このX(エックス)星とリリスと悪魔との関連から、人類が失楽したときに、X星からエックスジアンが地球に到来し、地球で人類を奴隷化し支配したので、アンタレス星から人類を救いに聖白色同胞団が地球に降臨して、エックスジアンを地球の核の中に幽閉したエメラルドタブレットなどに書かれている話を紹介した。現代の唯物論しか信じない地上人には理解困難でトンデモな話に聞こえるだろうが、そのような出来事が、地上にペンテコステとして残っている事実がその証拠ともなる。『ペンテコステという名前はギリシア語で「50番目(の日)」を意味する』と、以下のウイキにもあるように、この50の意味は、聖白色同胞団の、つまり聖霊がやがてまた降臨する日で、その時は人類が地球を卒業し、続いて、金星、水星と卒業し、自由と愛の天使になる日と伝承されている。ペンテコステ - Wikipediaこのペンテコステとは、いわば人類が「聖霊とともに蘇る」日で、聖白色同胞団による人類進化計画を表わしてもいる。というのは、人類は7つの時代の更にその時代のなかに7つの文化期を通過しながら、計7✕7で合計49の進化段階を乗り越えるために、いま生きているが、それらを一つの全体として、1を加えると、49+1で50の進化段階を通過し、乗り越えて成長する、と伝承されてきたからである。前回も紹介したが、5月1日が地球の核に幽閉されたエックスジアンが地上に影響し、特に悪夢として、地上人の夢のなかに霊媒などとして現れる日で、一般的にメーデーと呼ばれているのを前回紹介したが、その後でペンタコステが行われるのは、闇にたいして光がもたらされるという、地球上のかつての歴史的出来事に起因している、のがわかる。ちなみにAIの回答は以下である。「メーデーメーデー意味」のAI回答「メーデー」には主に二つの意味があります。一つは、毎年5月1日に世界各地で行われる労働者の祭典で、労働者の権利向上を訴える日です。もう一つは、無線電話で遭難信号を発信する際に使われる緊急符号語で、「助けに来て」を意味するフランス語に由来します。労働者の祭典としてのメーデー起源と目的メーデーは、元々ヨーロッパの「五月祭」として夏の訪れを祝う日でした。しかし、1886年5月1日にアメリカのシカゴで8時間労働制を求めるゼネラル・ストライキが行われたことがきっかけで、労働者の祭典としての意味を持つようになりました。この日は、労働者の団結と権利を主張し、労働条件の改善や賃金向上、労働時間短縮などを訴える目的があります。日本におけるメーデー日本では1905年にメーデーの先駆けとなる茶話会が開かれ、1920年には第1回メーデーが開催されました。第二次世界大戦中は禁止されましたが、戦後に再開され、労働者の地位向上に貢献してきました。現在では、労働者の権利主張だけでなく、民主主義の発展や恒久平和の希求などもメッセージとして発信され、家族で楽しめるイベントも開催されています。祝日としての扱いメーデーは国際デーとして、世界の80カ国以上で祝日とされています。しかし、日本では祝日としては定められていません。遭難信号としてのメーデー意味と由来遭難信号としての「メーデー(Mayday)」は、フランス語の「Venez m'aider(ヴネ・メデ)」、つまり「助けに来て」に由来する国際的な緊急符号語です。人命が危険にさらされているような緊急事態を知らせる際に、警察、航空機の操縦士、消防士、各種交通機関などで使用されます。使用方法「メーデー」は、誤解を防ぐために常に3回繰り返して発信されます(メーデー、メーデー、メーデー)。この信号を受信すると、救助活動が開始され、虚偽の発信は多くの国で犯罪とされています。』このAIの回答でもわかるが、5月1日が、人類が危険に曝される日で、それはかつて悪魔がリリスを通して人間に人身御供を強要し、権力で奴隷化し、支配した地球的な出来事の象徴の日なのである。そして、その後に行われる五旬節は、その人類の救いのために、聖白色同胞団から人類に与えられたのがペンテコステの人類進化計画で、それはキリストの降臨により、地上の人間一人一人の死後の欲界での禊として行われる死後の霊魂の浄化と再生にちなんだ聖霊降臨祭なのである。現代人はカリユガの闇のせいで、その古代叡智を忘れてしまい。いまだに人身御供、つまり生贄を「人間を神への生贄とすること」と曲解しているが、このような自己犠牲を神が要求するはずがなく、犠牲を要求するのは神ではなく、リリスとエクスジアンたち悪魔なのがわかる。ちなみにAIの回答は以下になる。「人身御供」のAI回答『人身御供(ひとみごくう)とは、人間を神への生贄とすること、またはその生贄となった人を指します。転じて、権力者や他者の欲望を満たすために、理不尽にも犠牲となることやその人を比喩的に表現する際にも使われます。概要人身御供は、人間にとって最も重要な「人身」を供物として捧げることで、神への最上級の奉仕とする考え方から生まれました。特にアニミズム文化を持つ地域で広く見られ、自然災害の発生防止を祈願する目的で行われたとされます。日本における人身御供伝承と実態日本では、人身御供の伝説が各地に多く残されていますが、実際に人命が捧げられたという明確な記録はほとんどありません。しかし、人柱と思われる大量の人骨が建造物から発掘された事例も存在します。伝説の例水神への生贄: 河川の氾濫を司る水神が生贄を求めると考えられ、美しい娘を捧げる伝承があります。隻眼の人身御供: 近江国(現在の滋賀県)伊香郡では、水神への生贄が片目の娘であったという伝承があり、柳田國男は人身御供と隻眼の関係を説いています。しっぺい太郎伝説: 全国各地に伝わる伝説で、人身御供を要求する化け物を霊犬が退治するという話です。現代の祭りへの影響現代でも、人身御供の由来を持つ祭りが存在します。例えば、滋賀県草津市下笠の老杉神社で行われるオコナイでは、人形を神前に供える行為が「人身御供譚」を儀礼的に再演したものとされています。比喩的表現現代では、祭祀的な意味で人身御供が使われることは少なく、主に「目的や組織のための犠牲者」という意味で、日常会話で用いられます。』もし百歩譲って、人身御供を要求するのが、神であったとするなら、それは、穢れた肉体を捨てることで、地上への執着心や、権力欲や金銭欲、物質的な野心など、承認欲や虚栄心を欲界で焼き尽くすことを意味するものとなるだろう。つまり、肉体というのは、無限の神の能力を狭い有限な空間に幽閉する、人間のなかの悪魔を意味するダブルミーニングになっている。この肉体の無限の可能性を有限に封じ込める働きを、例えるなら、西遊記の孫悟空のアタマを締め付ける『岩波文庫版『西遊記』によると、孫悟空の頭の輪は「緊箍児(きんこじ)」という名のようです。「緊箍児呪(きんこじじゅ)」(またの名「定心真言(じょうしんしんごん)」 )という呪文を唱えると、頭をしめつけます。ただし緊箍(きんこ)、緊箍呪(きんこじゅ)としている翻訳もあります。』の「緊箍児(きんこじ)」を思い浮かべることもできる。孫悟空の頭にはまっている輪の名前を知りたい。西遊記には三種類同じような輪が出てきたと思うので、それぞ... | レファレンス協同データベース西遊記の話は、神話として考えると色々示唆に富むオカルト的知識を披露してくれる。孫悟空は悪さを働いたので、お釈迦さんと有名なやりとりをして負けてしまい、山に閉じ込められ、そこを通りかかった三蔵法師というお坊さんに救われて、お供をする、有名な話である。以下のサイトに紹介されているように、お釈迦さんは、いのちの光であり、孫悟空の名は、空を悟る孫という意味にもなる。この孫は、神から生まれて神の子だから、神の子の子で、三代目の孫という意味でもある。速い!阿弥陀仏 | 読むお坊さんのお話 | 浄土真宗本願寺派(西本願寺)アインシュタインは光速度を基準にして相対論の体系を記述したが、この西遊記には、空になるには、物質界を捨て去る必要がある、のが示唆されているのに気づく。つまり、人間は寝ているときに物質的な肉体を抜けでて、心の世界で、タイムマシンに乗って旅をしているのである。孫悟空が使う筋斗雲は仙人しか乗れないとされているが、お釈迦さんの光速度は超えられないが、雲のような水蒸気よりも身体を軽くすればUFOのように地球を移動できる。以下のウイキの回答のように、孫悟空はサルの仙人とされているが、恐らく、いまのサルが堕落する前の祖先で、昔は人間よりも賢い存在だったのかもしれない。人間も堕落したが、サルは人間以上に堕落して、サルになったとも考えられる。觔斗雲 - Wikipediaさて、このように西遊記をオカルト的に解釈していくと、西遊記というタイトルからもわかるように、人類が東から西に行く話で、三蔵法師が、中国からインドに経典をとりに行く話だが、神智学によれば、実は三蔵の時代『629年にシルクロード陸路でインドに向かい、ナーランダ僧院などへ巡礼や仏教研究を行って645年に経典657部や仏像などを持って帰還。』の三蔵の辿った経路が、三蔵よりも古く、約数百万年前の人類が辿った文明の進化経路だった、のがわかっている。玄奘 - Wikipediaというのも、元々シルクロードとは、東から西への人類の進化経路だったからである。その証拠は、三蔵の出発地の「河西回廊」は、古代レムリア大陸水没後の人類の発祥地のゴビ砂漠とほぼ同じ近辺だからである。レムリア大陸が水没する前は、ゴビ砂漠は砂漠ではなく、肥沃の土地だったからである。河西回廊 - Wikipediaゴビ砂漠 - Wikipedia愚かな人類のせいで、地球が何度も破局を迎えてきたのは以前からも紹介しているが、一回目の破局が、南極に住んでいた蛇人と北極の人類の原子力による戦いのせいで、地球の水蒸気が急速に冷やされて、肥沃な北極と南極が水没し氷結して、生き残った人類は赤道周辺に向かい、いまのゴビ砂漠などの地がその第二の文明の進化拠点となったという。そこから古代レムリア時代がはじまり、また戦争して、第二の破局が起こり、レムリア大陸が水没し、ゴビが砂漠化して、人類はシルクロード経由で、西に向かう移住がはじまったという。そして、古代アトランティス文明の興隆となり、つまり太平洋の古代レムリア文明から、大西洋の古代アトランティス文明へと古代叡智が受け継がれていった。その東から西への文化交流のなかで、古代叡智が、人智学で説かれる、我々のポストアトランティス時代の、古代インド文化、古代ペルシャ文化、古代エジプト文化、古代ギリシア文化と続いて、古代アトランティス時代に主にアーリア人種が保持してきた秘儀参入法から、古代叡智が、仏教や拝火教などの教えとして広まったわけなのである。そのような文明の流れが、シルクロードとして、西遊記として残っているのがわかる。このように地獄を巡りながら、天国に向かって霊魂の成長を説き、進化を推し進めるのが、聖霊たちの人類への救済のペンテコステの人類進化計画なのである。地獄を知らずして、天国を語るなかれ、そのような話をお馴染みの動画で紹介して今回は終わる。臨死体験・ルドルフシュタイナーの死後の地図 - YouTube次の以下は、死を乗り越えるための教えが隠されている「かごめ歌」についての動画ホツマツタエが解き明かす「かごめ歌」と魂の覚醒 - YouTube地獄から這い上がり、かごめ歌を、地獄から天国へのシルクロードの霊の成長の道として、感じるか感じないかは貴方次第!
2026年03月04日
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悪魔の存在の中で最も邪悪とされるのが、ソラトだという。神秘学では、この名は、400+200+60+6=666の太古の暗号法から、明らかになるという。太古では、数字をアルファベットで記していたが、400はT(タウ)、200はR(レシュ)、6はW(ヴァウ)、60はS(サメク)を表すという。TRWSの子音体に、母音を補い、右側から発音することで、「ソラト」となるという。 ソラトは、悪魔アーリマンのなかでも最も邪悪な悪霊だという。本人は、人類に悪いことをしていると全く思っていないばかりか、人類を教育し指導しているとさえ思いきってしまっているので、罪悪感など毛頭もないという。まるで独裁者である。歴史上の人類の独裁者の全てが、このソラトの憑依を受けていたともいわれる。 ソラト、いわゆる邪悪なアーリマンは、地球を太陽系、及び宇宙体系から切り離し、自らの砦とするために、人類を誘惑し、堕落させ、獣化し、奴隷化しようと目論んでいるという。ヤクザの手口とそっくり同じものといえるだろう。ソラトが地球にもたらした最も邪悪なものは、666年の周期で行われ、いままで、333年(666/2)と666年と1332年(666×2)にあったという。 333年には、キリスト教カトリックにおいて、アリウス派とアタナシオス派の論争が起こり、アタナシオス派が勝つが、それが元で、カトリックはローマ帝国のように権威化し、キリスト教は堕落の道を辿っていったという。とくに、初期キリスト教において重要な教えである、キリストが太陽霊の使者であるという見解を見失ってしまったという。 ソラトはキリストと敵対する太陽悪魔なので、キリストの存在を太陽とは別のものと人類に思い込ませるように画策したようだ。 666年には、ゴンデイシャプールにおいて、当時の哲学者を集め、学院を開き、人類には、時期尚早な太陽の叡智を3つ授けたという。1つは、遺伝による優生学、2つめは、精神による予防医学、3つめは波動による律動学だといわれている。これらの世界中への伝播は、ムハンマドのイスラムの教えにより阻止されたが、キリスト教カトリックの堕落した教えの権威化により呼応して、唯物観として広まっていき、ロジャーベーコンを介して、西洋において、唯物的科学として誕生したという。 現在のクローン実験や、性転換手術、臓器移植等や、出産前を含む遺伝子診断等のヒトの倫理に関わる科学技術は、このソラトの学院の流れを受け継いでいるようにみえる。 1332年には、聖堂騎士団の撲滅を行ったという。聖堂騎士団は、テンプル騎士団として有名だが、人類に聖杯の教えをもたらすものであったが、ソラトの人類を太陽という霊性に向けさせないように、地球に閉じ込める企みのために、巧妙に、唯物論により滅ぼされたという。このために、人類は、カリユガと呼ばれる暗黒の唯物的な時代を送るようになったという。第一次、第二次の世界大戦中、アーリマン的な悪霊たちは世界の指導者に憑依しては、その欲望を満たしたという。 そして、1998年(666×3)だが、この年を、色々ネット検索で調べてみて、面白いことに気がついた。日本では、1998年を境目として、急激に自殺数が増加するのである。以下のページを参照のこと。http://yoshim.web.infoseek.co.jp/zanjitsu_051106.html 自殺の原因の主なものは、デフレ対策からリストラを行い、雇用環境が急激に変化したことが考えられる。この年を賑わせたのは、カレー毒物混入保険金殺人であり、「毒」という言葉がその年を表す字になった。中学生の人殺し事件も目立っており、「キレる」という現象が巷にみられるようになった。世界では、米英はイラクを空爆しており、911を暗示させるものがある。それに伴い国連では人権宣言が行われている。 このように、1998年は色々なことが起こっているのだが、日本での自殺に関する歴史上、主要なものを考えてみると、金融ビッグバンが挙げられる。金融ビッグバンにより、いままで安定的な銀行が、不安定になり淘汰される時代が到来したのである。金融自由化という名目の基に、行われたのであるが、これにより、中小の日本企業が貸し渋りに遭い、倒産を余儀なくされるケースが続発し、銀行は合併統合の素地をつくり、モノとして売り買いされる商品の地位に堕落し、投機の対象となる。恐らく、この背景には、ソラトの社会唯物化思想が隠れているように思われる。 ビッグバンという名の宇宙論自体が、唯物論的科学の宇宙論の産物なのである。自由化という名目により、人類は競争を余儀なく激化させ、市場は、ソラトが目論んだように、一部の資本家により機械的なマシンのように統合されていくのである。世界的大資本家のなかに憑依していたといえるだろう。俗にハゲタカファンドといわれたのは、このソラトの目論見を見破った誰かがつけたのだろう。日本でも、このときの国の指導者連中は、無残な死を迎えている。恐らく悪霊にトリツカレタ報いなのかもしれない。恐らく、死んでも成仏できていないだろう。 霊を商売にする悪徳商売や、悪党悪霊にトリツカレテイルと脅すような連中も悪霊にとりつかれているのであるから注意が必要だ!。新興宗教はとくに危険で、黒魔術の聖地というか地獄地といってもよいだろう。霊媒は厳禁であり、まずは自分の主体的な意見が求められる。霊にとりつかれるといっても、ただ肉体がないだけで、他人の意見に左右されやすい人も、これと同じなのである。自分のことは、自分で考え、判断することが重要なのである。 1998年のことの、神秘学からの解釈は以下のようなものであるという。1999年に天体がグランドクロスを迎えるにあたって、従来の人間の自我の代表である、宇宙の三つの霊的な力(鷲の力、獅子の力、牡牛の力)が分裂独立的になってくるというのである。この自我の根源の3つの力の配位により、個人の人格が分裂する傾向になるという。この3つの力はそれぞれ、思考(鷲)、感情(獅子)、意志(雄牛)を表し、それぞれ分裂し、独立する傾向になり、これらをバランスよく、再統合しないで、何の努力もしなければ、権力指向の強い暴力的人間、依存症的あるいは狂信的な人間、冷たく無感動な知的人間のどれかになってしまうことになるという。これが、キレるという魂のバランスを失う原因であると考えられるという。 1999年のグランドクロスの準備、つまり、精神の統一、魂のバランス感覚が、1998年に求められていたことだといえるという。1998年のこれらのソラトの挑戦を克服した者は、1999年に十字架として、世界人類にその統一性を広める役目を果たすといわれていたわけである。これはキリストがゴルゴダの地で行った自己犠牲の愛の宇宙的な集大成であることがわかる。 日本の多くの自殺者や、ソラトに魂を受け渡した者は、いまでも、霊界において、ソラトの僕として、地獄のような苦しみを味わっているのだろう。 ソラトの研究は、まだまだ続けたいと思う。
2006年09月07日
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前回は、オカルト(秘教)が説くアストラル界が、老子のタオの領域のことで、アストラル界に到達するには、陰陽のバランスをとりながら、人間の脊髄の、いわば天国への階段を、精神(心)的に、一歩一歩昇っていく必要性を紹介した。 以下は、クンダリーニの象徴図だが、この図のなかには、三種の神器も隠されているようにみえる。また、カタカムナの図もこれと同じで、その断面図に近いものだろう。 おおよその全体図は、三種の神器でいうところの草薙の剣にみえる。天叢雲剣ともいう。天叢雲剣の以下の説明でもあるように、「(八岐大蛇、八俣遠呂智)の尾から出てきた太刀」というのは、脊髄の尾骨から、出るという意味にとれる。 天叢雲剣 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%8F%A2%E9%9B%B2%E5%89%A3 また、上のウイキの解説にもある「天叢雲という名前は、ヤマタノオロチの頭上に常に雲気が掛かっていたためとしている。」というのは、脊髄の上部の天(アマ)と、太陽神経叢と、ヤマタノオロチの尾骨の上の雲の仙骨のことを、短縮して、天叢雲と呼んだようにも思われる。 上のクンダリーニの象徴図でいえば、中心が剣で、そのまわりを螺旋で回転する注連縄のようなものが雲にもみえる。この雲のようなものが、勾玉で、それは、中央の最上部の円から出ている。 八尺瓊勾玉 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%B0%BA%E7%93%8A%E5%8B%BE%E7%8E%89 生命の樹からもわかるように、クンダリーニの象徴図も、中央の柱と、左右の螺旋状の曲がった柱からなる。中央の柱が、アストラル世界のチャンネル、左右が、陰陽の3次元物質世界を形成する螺旋階段と考えることができる。つまり、人間の脊髄を表すクンダリーニの象徴図は、バビル(シュメール)の塔ともいえる。 八尺瓊勾玉は、イスラエル風にいうなら、マナの壷になる。マナの壷は契約の書を収めた棺ともいわれ、日本の神輿である。だから、バビルの塔は、神輿のことでもある。 人体でいうなら、オカルト(秘教)でいう洞窟の松果体のことで、契約の書、つまりキリストである八咫鏡を収める場所となる。 八咫鏡 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%92%AB%E9%8F%A1 上のサイトからもわかるように、八咫鏡が石(意志)の鏡、もしくは金属の鏡といわれるのは、松果腺の脳砂のことを指している。その鏡には、古代ヘブライ語でいう「エヘイエ・アシュル・エヘイエ(我は我あるところのものなり)」が記されている、といわれている。 それはつまり、人間の自我は、神の自我からくるもので、大宇宙は、人間のなかの小宇宙に転写されている、という意味で、人間は、神の子であるということなのだろう。 そのことを、「〇に・(点)」で表すこともできる。 だから、「〇(人)」は「・(神)」あるところの存在で、また、「〇(神)」は「・(人)」あるところの存在なのである。 古代ギリシア人が、「汝自身を知れ」と言った意味は、人間は神の子なのだから、人間自身を知れば、神を知ることができる、という事実を言っている。人間のなかに、宇宙があるから、人間は、人間自身を知ればいいのだ! 以上のように、「〇に・(点)」から、クンダリーニの図が、老子の説く意味を象徴化していることがわかる。 さて、このことを、老子は、第29章で説いているので、例のごとく紹介する。 ☆ ☆ ☆ 第二十九章 天下は神器、為すべからず 原文 將欲取天下而爲之、吾見其不得已。天下神器、不可爲也、不可執也。爲者敗之、執者失之。凡物或行或随、或歔或吹、或強或羸、或培或隳。是以聖人去甚、去奢、去泰。 書き下し文 将(まさ)に天下を取らんと欲してこれを為(な)すは、吾れその得ざるを見るのみ。天下は神器、為すべからず、執(と)るべからず。為す者はこれを敗り、執る者はこれを失う。凡(およ)そ物、或(ある)いは行き或いは随(したが)い、或いは歔(きょ)し或いは吹(ふ)き、或いは強く或いは羸(よわ)く、或いは培い或いは隳(こぼ)つ。ここを以(も)って聖人は、甚(じん)を去り、奢(しゃ)を去り、泰(たい)を去る。 英訳文 People are competing with one another to get the world. I think they are wasting their efforts. The world is not human’s. You can not do anything to the world or get it. If you do something to the world, you will spoil it. If you got the world, you will lose it very soon. In this world, someone goes ahead and someone follows him. Someone stays calm and someone makes haste. Someone is strong and someone is weak. Someone makes something and someone breaks it. So the saint who knows “the way” avoids extremes, luxury and arrogance. 現代語訳 世界を我が物にしようと人々は争っているが、私には無駄な努力をしている様にしか見えない。世界とは人間の力の及ばぬものであって、人間が世界をどうにかしたり、また自分の物にしたりは出来ないものだ。人間が世界をどうにかしようとすれば却って世界を駄目にしてしまうし、たとえ自分の物にしたとしてもすぐに逃げてしまうものだ。この世の仕組みというのは、誰かが先に進めば誰かが後からついて行き、誰かがゆっくりしていれば誰かが急ぎ、誰かが強ければ誰かが弱く、誰かが作れば誰かが壊す。だからこそ「道」を知った聖人は極端な事を避け、贅沢を避け、傲慢な心を避けるのだ。 Translated by へいはちろう ☆ ☆ ☆ 「タオの法則」から紹介する。 ☆ ☆ ☆ 「ねばならない」を捨てよう 自然界は常に流転し続ける 万物は常に変化で成り立つ。それがどんなに価値あることに思われても、「ねばならない」になってしまったら、自身への束縛が生まれ、その価値も失われる。そうなっている物事がもしあったなら、潔く手放すべきだ。 執着は、その対象が何であれ、自然のリズムから人間を引き離す。心の赴くままに、いつもワクワクした心で、物事を行う人は、必ず人間としての魅力に溢れている。様々な体験をすることで、様々なことを学んでゆく。 「ねばならない」はいかにも固く強そうに見え、進歩するかに見える。だが、固い物は何であれ、脆いものだ。柳の枝が折れないように、強くは見えない柔らかさの中に、宇宙大の強さがある。だから何事も、極めれば直線から円へと至る。これは自然の理である。 武道の世界でも、真に強い武道家は、必ず円型の動きを帯びてきて、柔らかく優雅で女性的になる。これを「柔よく剛を制す」という。 ☆ ☆ ☆ 3次元の物質対立世界を超えよう。3次元世界は、4次元以上の高次の世界からつくりだされている。高次の世界は、思ったことがそのまま実現する。だから、悪い想いは、悪い結末を生み出し、良い想いは、良い結末を生み出す。 執着心をもったまま、高次の世界に出てしまうと地獄となるが、慈悲心をもったまま、高次の世界に出れば、天国となる。 だから、低次の世界にいるときに、執着心を捨てることが、天国に入るための準備で、生きる目的なのだ!
2012年10月01日
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神秘学によると、遥か昔、人類がこの地に誕生したときは、両性具有であったという。しかし、姿は女性的で、男性的なものは、叡智(霊性)であったという。太古の神々の像が女性的であるのは、この両性具有の表現だという。日本の神の天照大神も女神の姿だが、本当は両性具有なのであろう。 一般的に、男性は(霊的)形態、女性は素材を与えるものだとされている。だから、子は父親から姿形、母親から素質を伝授されるといわれてきた。昔から逞しい父親、賢い母親を選ぶのは、その言い伝えの習わしなのだろう。 両性具有は、動物では普通にみられるケースもある、例えば、めだかやグッピーなどは温度により性差が変わり、ミミズなどは役割で変わることで、イメージできるだろう。動物のなかにはこの世の働きや環境などで、 性差を変えることができる。なぜならば、肉体とエーテル体の結びつきが、緩いからであるという。トカゲの尻尾がすぐに生えるのは、このエーテル体が、肉体とあまり結びついていないせいだという。つまり、一言でいえば、鈍感なのであるという。 これらと比べ、人間は、エーテル体と肉体の結びつきが堅く、あまりに環境に繊細で、感覚的なので、例えば、失った手が生えてくることはないだろう。しかし、人間の場合は、次の転生で、エーテル体は補完的に働くという。つまり、前世で、手を失ったものは、来世で、強固な手をつくりあげるという。それはエーテル体が、肉体の設計図であり、そうさせるのだという。 だからして、大体、前世で男(女)であったら、来世では女性(男)に生まれるという。なぜなら、エーテル体が全く反対であるからだという。男性は、女性的(受動的)なエーテル体をもち、女性は、男性的(能動的)なエーテル体をもつという。あくまで、肉体の性別を基準にしているので、エーテル体の性差は、紛らわしいが、要は肉体とは正反対であるという意味である。そういう意味で、現代の男性脳、女性脳というのは、この観点からも説明できる。 両性具有のときの人類は、神々(霊)の叡智を感じたときに、自ら受精したという。神々の叡智とは、神秘学的にいえば、火なので、両性具有の人類が火を感じたときに、ひとりでに受精したという。このようなひとりで生まれた子を、火の子と呼んだ。「火の子、ひとり生まれ」とは、ギリシア時代、神の子という意味をもった。実際、精子は、火を担うという。 しかし、次第に人類は地に興味を抱き、地で活動するにつれ、天の叡智(火)を徐々に失っていき、地で活動する者(建築家)と天から叡智を受ける者(祭司者)の二手に分かれるようになっていったという。 両性具有が、男性的な性質と女性的な性質に分かれ、生殖行為も分業的に、つまり、ふたりに分かれていったという。ここに、ふたり生まれの子が生まれる。ギリシア時代、「ふたり生まれ」とは、人の子という意味である。それは、もはや神々の叡智を失った人類を意味し、共同でないと生殖が出来ない位に、人類が堕落したという意味でもある。これを聖書では、原罪としている。 この男女の秘密は、聖書の記述では、カインとアベルの章にある。エロヒム(神々)は、エヴァ(両性具有)をつくった。エロヒム(神々)のうちの一柱から、エヴァは叡智を感じ、「ひとり生まれ」で生まれた神(火)の子が、カインである。やがて、エロヒムのうちの主神エホヴァは、自らの分身アダムをつくり、エヴァは、アダムを知って、ふたり生まれの人の子、アベルを産む。 カインは土を耕す者となり、アベルは羊を飼う者となる。この意味は、土とは鉱物や土地の意で、カインは、地から創造を行う建築者になり、羊とは、神々の命の僕の意で、アベルは祭司者となったという。そして、カインも、アベルも神々に供犠をするが、カインのものは、人工物なので、神には受け取られなかったが、アベルは、神の命によく従ったので神に受け取られ、アベルは、カインに殺され、命を天に召されてしまう。その後、アダムとエヴァは、セトを産む。 ちなみに、カインの捧げ物は、ほとんどが土でできていた、人工物だったので、神は受け取れなかったのだ。対して、アベルは、自ら育てた子羊を捧げたので、神は喜んで受け取ったのである。その後、カインに殺され、アベル自身も、神に召された。 これは、カインの子孫は、地で活動をしながら、将来、神に召される捧げ物を、自らでつくりあげなければならないということの伏線になっている。これが、プロメテウスの神話の由来でもある。 そうして、人類には、カインつまり、火の子の末裔と、セトの末裔に分かれることとなる。カインの末裔は、エジプトのピラミッドや、ソロモンの神殿をつくった、ヒラムアビブなどを生じ、現代では形骸化しているがフリーメーソン(石工)の母体となったという。対して、アベル-セトの末裔は、祭司となり、ソロモンを生じたという。 カインの末裔は、火の子といわれ、主に、建築者や芸術、科学者を生み、アベル-セトの末裔は、人の子といわれ、祭司者を生んだ。火の子は、神の直観力はないが、地から工作するのに能力を発揮した。これは魂に、男性的な受動性を生み、エーテル体にその特徴を刻印し、肉体は男性のものを表出していき、対して、人の子は、祭司的な、神の直観力に従った能力を発揮したため、女性的な能動性を生み、エーテル体にその特徴を刻印し、肉体は女性的なものとなっていったという。祭司、例えば、巫女が、女性的なのは、この霊的直観力のせいであるという。 科学者、芸術家が男性的で、巫女や霊媒師が女性的なのは、エーテル体のこの特質のせいだといえる。アベル-セトの祭司系は、その霊的直観力を失わないために、他民族(とくにカインの末裔)と交わるのを禁じたという。 動物の環境による急激な性差の対応が、人間では、何千万年もの時間をかけて行われてきたわけだ。 神の子の象徴が男性的だとすると、人の子の象徴は女性的というべきだろう。人類が二分化し、地に支配的になり、次第に男性的になるにつれ、古代からの女性的な霊性は、失われていったという。魔女狩りとは、その象徴的な地での出来事であるだろう。 現代は、女性的な霊性を失い、地全てが男性的で、支配的になってしまったが、再び、いま求められるのはこの男性的な地のなかでの女性的な霊性の、直観力の回帰、再起なのであろう。 かって、男性的な神の子と、女性的な人の子を、この地によって融合したのは、キリスト=イエスであるという。キリストは、ヨハネの洗礼により、30歳で「ひとり生まれ(火の子)」で生まれ、その母体のイエスの肉体は、人の子のソロモンの系図から出ているのである。 神の子(キリスト)ひとり生まれ(ヨハネの洗礼)=人の子(イエス)ふたり生まれ(マリア) という図式がなりたつという。 それは、男性のなかに、女性的なもの、つまり聖母マリアを生み、そして、女性のなかに、男性的なもの、つまりキリストを生む、そのために、神の子と人の子が融合したのだという。 かって両性具有だった人類に、男性の叡智(カイン)と女性の叡智(アベル)が偏り生じた、カイン(唯物思考)はアベル(霊性思考)を殺してしまった。 だが、再び、その統合がなされ、人類は両性具有に返り、自らが子を生むようになっていくという。男のなかに女があり、女のなかに男がある。それが融合すれば自ら子を生むものとなるという。つまり、宇宙の真の生殖とは、ひとり生まれなのであるという。 ちなみに、モーセの十戒のモラルの規則は、男女に分かれてから生じたという。男女差がなくなり、人類が両性具有となると、このモラルの規則は無意味になるという。 男女が特定の相手(妻、夫)以外と交わるのを不倫というのは、夫婦が(社会上)両性具有体という意味からきているのかもしれない。キリスト教では、神の名の下において両性具有体となったのだから、それはまさに不倫といわざるをえないことだろう。 そうすると、結婚とは、人類が将来両性具有体をつくりあげるための教則課程なのかもしれない。 不倫を文化と言った教養薄弱児がいたが、文化とは、霊的な秩序、文明とは、それが外に現れるものと考えれば、どうみても、不倫は、退廃した文明の象徴といわざるをえないだろう。 文化と文明の違い位は見極めてほしい!
2006年07月25日
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秘教学では、人生は7年期(7年毎の成長期)から構成される、といわれている。第1期は、誕生する前、第2期は誕生から歯の生え替わる頃の約7歳まで、第3期は、性的成熟の約14歳の思春期まで、第4期はおよそ、その7~8年後の21、22歳まで、第5期は、およそ28、30歳頃までと、死ぬまで7年期が続いていく。 (続けると、第6期は、およそ35歳まで、第7期は、およそ42歳まで、第8期は、およそ48、9歳まで、第9期はおよそ56歳まで、第10期は、およそ63歳まで、第11期は、およそ70歳まで、第12期は、77歳まで、第13期は84歳まで) 人間が、この7年毎の成長期において、何を課題とし、第5期(21歳~30歳)までに何に親しみ、何を遠ざけ、何を行い、何をしなかったのかを、熟知するようになれば、人生全般の後半期には、収穫の多い善良な成熟期を準備できるようになること等が色々とわかってくる。前半期に準備した年齢毎の成熟度に応じて、残りの人生の後半期全般に対して、善悪の収穫の作用が及ぶ。 人生の初めの前半期では、この7歳毎の成長の法則に従って、教育を通して多くのことを行える。けれども、それから人生の第5期に、後の人生全体にとって決定的な転換点がやってくる。この人生の第5期の転換点を、少なくとも、超えてから、若者がいわば完全なる自信をもって人生へと送り出される必要がある。 今日、若者を、あまりに早く、社会に送り出してしまう原則(成人年齢が18歳)は、大変有害である。このような太古の秘教学的原則に注意を向けることは、大きな意味があり、以前、この原則を熟知していた人々の導きにより、若者は親方(一人前)として認められる前に、いわゆる師匠について弟子として、修業、もしくは遍歴を行い、徒弟時代を卒業しなければならなかった。 5=悪の数、成長の節目、転換期を表す。 7は完成の数字である。これは人間の観察を、手掛かりに明らかにできる。人間は被造物として4の数の中にいて、そして、善か悪の存在であるという意味で、五の数の影響下にいる。人間が、現在、その萌芽(種子)として、自らのなかにもつ(霊我、生命霊、霊人の三種の神器)全てを完成させた暁には、7つの元素をもった存在、つまり完成した存在となる。 例えば、虹の色の世界においても、音楽の音階の世界においても、7という数が支配していることを意識できる。あらゆる生命の領域に至る処で7という数を一種の完成の数として観察できる。7という完成の数の背後には迷信も魔術もない。例えば、完全な感性を身につけたなら、視聴覚(7つの色と7つの音)以外の味覚や臭覚も7段階に大別できることが意識できる。 (6はなぜか抜かされている。恐らく、悪魔の数、或いは未完成の数なのだろう) 7=完成の数字、世界は7を指標として展開する、完全数。 さて再度、1という数字の一元性に注目すると、これまでの他の数の考察により、一元性の真の意味が正しい光(叡智)の中に現れ、一元性の本質が、非分割性であることがわかる。勿論、1を、例えば2分の1や3分の1に分割し、1/2、1/3という風に、思考の中でしか果たせない。 特に霊界においては、1から、2/3を取り去っても、残りの1/3は、1を3分割した意味において、2/3の補完、2/3の一部(1/3+1/3)である。つまり、霊界においては、意味深い重要な霊的な算術、2/3を除くと、1/3は、あくまで1に属する存在として永遠と現れ続け、だから、次のようにいえる。 「神(1)の一部(2/3)が、神(1)から切り離されて現れる時、その現れない残り(1/3)も、やはり、神(1)に属するものとして存在する」、と。 あるいは、 「神から何かが開示され、開示された分、全体が分割されても、開示されない残りも、やはり神に属するものとして存在し続ける」。 これは、ピタゴラス的な意味で「1を分割せよ。ただし、汝の思考の中で、分割された残りが1のままで存在するように1を分割せよ」に相当する。 もともと、1を分割する真の意味は、金色の薄板を手にして、透かして見るとわかる。金色の薄板を通して、世界は緑色に見えるが、それは金の薄板が白色光のなかの黄色い光線を反射しているからである。白色光には他の色も含まれているが、それらは金の薄板に吸収された。 例えば、赤い物体は、赤い光線を反射し、その他の色を吸収するから赤いわけで、他の色を吸収せず(取り去らず)に、赤を白から取り出すことはできない。この事実から、この世界にある黄金を通して、秘密の緑(生命の色)に触れ、内観することが、ある方法で可能になる。 例えば、光がテーブルにかけられた布地に当たり、赤くみえたなら、他の色は「吸収」され、緑色も「吸収」されたわけで、もし、そのとき、赤色と(赤の補色である)緑色を、(金色の薄板を通してみたように)同時に意識の中に受容しようと努めるなら、再び光である1を再現することになる。 また、ピタゴラス的な意味で、「1を分割し、分割された残りが、1のままで保持されるように、再び、残りを1と結びつけることを瞑想(イメージ)的に成就させ、この訓練を何度も続ける」と、霊的な高みへと人間を進化させる意味深い営みとなる。このことは、秘教学院で通用するもので、数学者により、以下のような数式で表せられている。 1=(2+x)-(1+x) これは、1を分割し、分割された残りが再び1となるように表記している秘教学の公式である。秘教学徒は、1の分割を、分割された残りが再度、常に1へと連結されるように考えるべきである。 『この秘教学の公式は、量子力学に出てくる完全形の次式に酷似している 1=Σ|x ,t><x ,t| 或いはまた、1に収束する級数への展開式(理論物理では御馴染みのテイラー展開式等) 1=1+Σf(x)にも酷似している。 更には、これを発展させると、 Xn+1=aXn(1-Xn) (0≦X≦1)( 0≦a≦4) というカオスで御馴染みのパイコネ変換式になる。 以上をまとめると、 1) 1=(2+x)-(1+x) 2) 1=Σ|x ,t><x ,t| 3) 1=1+Σf(x) 4) Xn+1=aXn(1-Xn) (0≦X≦1)( 0≦a≦4) これら一群は、以下のような三位一体の表記 発展=進化×退化 → 発展(進化、退化) で表現できる。 1(2+x、-1-x)、1(Σ|x ,t>、Σ<x ,t|)、1(1、Σf(x))、Xn+1(aXn、-aXn^2) 、あるいはXn+1(aXn、1-Xn) つまり、1(神)からはじまり、1(神)へと戻るように、宇宙は発展する。』 このように、この講義で、いわゆる数字の象徴主義を検証し、数の見地から世界を観想すると、世界のなかの深い秘密に参入できることを学んだ。 最後に、再度述べる。第5週目、5日目、或いは5時間目においては、状況を大きく変えられることに気づくことが大切である。そして、7週目、7日目、或いは7時間目には変化させたその結果が現れる。或いは最終的に7の数で完了し結果が現れるので、その半分の3.5(7/2)には、何らかの兆しが、現れる。例えば、病気で生じる熱(体温)は、7日目に一定の性質を示し、或いは14日目にも、7の倍に相当するような性質を示す。 (また、地球の進化で考えると、土=1、日=2、月=3、火[地球の前半]=4、水[地球の後半]=5、木=6、金=7となるので、丁度、5の悪の数のとき、つまりは水星紀のときに、これまでの進化状況を変えることができるわけで、現在は水星紀直前の年代である。水星紀とは、水瓶座の時代、つまり再び霊性に目覚める時代と預言されている。 地球的には、土=1、日=2、月=3、地球=4、木=5、金=6、ヴァルカン(ウルカヌス)=7で、次の地球の舞台の、木星紀に、劇的な状況を迎えるのだろう。) ピュタゴラス的な意味で、「数の探求」に没入できる人は、このような数字の象徴学から、生命と宇宙を理解できる。今回の講義は、このような内容の概略を述べた。
2009年11月11日
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ネットフーテンの寅をしていると、色々な動画に出くわして、外国の文化を知るにはまさにもってこいのユーチュ―ブで、巷の地上波などのステレオタイプの薄っぺら知識、勿論、地上波並の自説を押し付けるようなインチキ詐欺番組も沢山あるが、とにかく、財務官僚指導の下に、オールドメディアの洗脳工作を垂れ流す地上波をみるよりは、個性的なチャンネルに溢れる動画を見る毎日になっている。このような構図をよくよく考えてみると、たまにお世話になっている、以下の井口和基サイトでしばしば語られているように、この国の報道は、北朝鮮モドキの東朝鮮放送局と呼んだ方が適確のようにも思えてくるから不思議でもある。元々は在日系という噂もあるが、北朝鮮や中国の報道を流すうちに、創価の芸能のように、朱に交われば赤くなってしまったようでもある。Kazumoto Iguchi's blog 5特に石破左翼政権になってから、その傾向をラーメン二郎のトッピングのようにマシマシ左巻き増量しているのだが、岸田のときもUSAIDにどっぷりで、偽ユダヤのグローバリストのシナリオ通りの大根役者ぶりの売国勢力が、永田町を闊歩して歩いているのに日本の神々は怒り心頭の暑い夏がようやく終わりに近づいてきた。巷では、無能な総理ブタが、立憲民主党原口氏曰く、緊縮財政財務官僚出世組「増税戦隊財源ガー」におだてられて、木に登りすぎて、有頂天になって降りることを忘れ、石破やめろ!4千人規模の官邸前デモで、墜落寸前で、政治空白もようやく収まりつつあるが、思い上がった左巻きのブタのせいで、ここは中国ではないのに、日本人ファーストのどこがいけないのか、左翼政権に目の敵にされ、参政党が、海外からナチス党と呼ばれ、中共並みの検閲や迫害を受けているから、どこかのコメディでもみせられているのか、と思うぐらい笑止千万な9月を迎えている。日本なのに、外国人犯罪が多発する昨今の社会現象をみても、急速に治安が悪くなっている元凶に、移民問題が浮かび上がるのは誰の目にもくっきりはっきりとマルっとお見通しで明らかであろう。労働力が不足しているからといって、安易に外国人の助っ人を呼んでくるのは、日本のプロ野球をみてもわかるように、手痛いしっぺ返しを食らうだけで、日本の文化に適応できる可能性を探り、そのノウハウを構築しないとお話にならない。勿論、スカウトの先見力がよく、日本文化や、日本野球に適応できた助っ人外国人で優勝する球団もある。阪神のバース元選手は、日本語はできないが、日本文化に適応するのに努力した、とインタビュー番組で語っていた。ランディ・バース - Wikipediaプロ野球:探求力が実を結んだバースの野球殿堂入り(田尾安志) - 日本経済新聞野球殿堂入りのランディ・バース、日本一愛された助っ人【白球つれづれ】 – BASEBALL KINGスポーツ界は外国人労働者には割と寛容なので、特に相撲のノウハウを生かすべきなのかもしれないが、外国人力士が騒動を度々起こすのはやはり、日本文化の特殊性にあり、年寄り株となると、やはり親戚などの帰化移住となってくると、移民問題がたちまち浮上してくる。日本文化は、日本人にとっては空気のようなものなので、その自覚に乏しいのが、一因として挙げられる。その一因として挙げられるのが、日本の年功序列の上下関係である。勿論、アジア社会には、特に朱子学が広まった地域には、少なからず残っている。なんでもインドにもカースト制度が残っていて、結婚は当事者よりも親戚家族間での血縁関係が優先されるという、日本の昔の政略結婚のような風習がいまでもあるらしい。政財界などはいまでも政略結婚だが。日本の場合、特に徳川幕府が身分制度を公武合体の基に武士中心に改めたので、依然として江戸幕府カースト身分制度が広く伝わっているが、本当は、明治維新の四民平等でなくすはずだったのだが、廃藩置県で、貴族院として残したのが広く一般化されて、そのまま残っている。西郷などはそれならいっそのこと、武士は死ぬことにみたりと、武士階級だけでも滅ぼしてしまえと西南戦争を起こしたわけだが、明治当時の大日本帝国軍からの慣習で、軍隊教育の一環だった運動競技から、スポーツ界の年功序列の、上下関係が残るようになったのかもしれない。上下定分の理 - Wikipedia貴族院と日記――明治期を中心に|日記で読む政治史|国立国会図書館憲政資料室 日記の世界このような日本独特の年功序列というか、上下関係は、日本のプロ野球とメジャーのベースボールを比較するとよくわかる。つい最近、ドジャース戦をみていて、大谷選手が、投手コーチにふざけて帽子を投げつけていたのが、日本の解説のなかで話題になり、日本ではあり得ない行為、と解説者が語っていたのが印象的だった。自分も日本人なので、年下の上司から理不尽な説教などをされるたびに、昔なら、あり得ない外国文化を感じたものである。昭和世代まではしっかり上下関係は存在したが、平成から曖昧になり、令和では、スポーツや音楽業界とか、主に元気がありすぎて、体罰で成り立っていた体育会系を除いて、ほとんどなくなったようである。40年前の高校のとき、保健の先生が言っていたが、日体大では、柔道の帯を使ったバンジージャンプが既に存在していたらしい。今も伝統行事として残っているのかわからないが、高校野球の例の虐めなどの事件が巷を賑わすのを知れば、大日本帝国の上下関係が今でも局所的な村社会として、残っているのがわかる。とにかく、大谷選手の振る舞いを日本ですると、いまでも日本には上下関係があり、コーチは絶対的存在なので、日本の選手なら、舐めた行為で、侮辱と捉える、というわけである。しかし、メジャーリーグ経験のある日本人は、以下のサイトのように、メジャーには上下関係はなく、コーチと選手間は、友人のようなフレンドリーの感覚、と紹介している。大谷翔平の行動にファン爆笑「帽子投げた!」「クソガキすぎて好き」投手コーチと談笑後に ベンチでまさかのワンシーン(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュースコーチの胸ぐらを掴み…監督とも言い合い MLBに"存在しない"上下関係「衝撃的」 | Full-Count【記事全文】岡島秀樹氏も戸惑ったメジャーリーグの上下関係ルール「ちょっかい出してくるがガマン…」 - スポニチ Sponichi Annex 野球このような話から、ただし、日本のような年功序列の上下関係はないが、メジャーの1軍の在籍年数、つまり実績の上下関係はあるという。そして、なによりも大きな違いが人種差別である。日本人はアジア人という括りで、差別されるらしい。これは偉大なイチロー元選手とダルビッシュ選手の対話でも、表向きには差別されないが、やはり隠れたところで差別を感じた、と話している。アメリカに行ってみればわかるが、確かに差別といわれれば差別なのだが、よりよく言えば、住み分け、と言った方がわかりやすいかもしれない。日本でいえば、一種の村みたいな感覚である。アメリカのなかのアジア町の日本村のような感じだろう。つまり、あまり関心が向かないという意味で差別的なのである。ぶっちゃけ、私はアジアには興味がなく、日本がどこにあるのか知りません、という感じである。アメリカでは、アジア人でない限り、アジアに関心をもつほうがマニアックなのである。アメリカ人の大半は自国アメリカと欧州にしか、そして中東のオイルマネーしか関心がない。例えば、トランプ大統領が、日本の総理を個人名で呼ぶのではなく、役職のミスタープライムミニスターと呼ぶのと同じで、本名で呼ばれるのではなく、役職で呼ばれるような感じであり、何処かよそよそしい。人というよりモノ的な扱いに似た感じかもしれない。最近の日本でも、男女が同じ寝室で寝なくなっているように、夫婦でも、住み分けが生まれてきているのでわかる。恋愛最中は互いの名で呼び合うが、家庭ができると、父とか母の立場と役割で呼び合うのと同じである。昔は、結婚といえば、ほぼ男性が年上で、女性が年下なので、自然と上下関係も家庭の夫婦間の中に溶け込んでいたのかもしれないが、昔ながらの男尊女卑の上下関係がなくなるにつれて、住み分けが進んできたのかもしれない。勿論、昔にも、奥と呼ばれた台所のように女性専門の領域という住み分けがあり、そのような意味でいえば、定年した男性に家庭の居場所がなくなるなどは、上下関係だけではない、共生の難しさを露呈しているといえるかもしれない。そういえば、巷の、移民推進の左巻きの連中の多くが離婚経験者で独身なのに気づかされる。同じ文化の男女間でも共生が困難なのに、外国人との共生は更にもっと大変なのがわかるはずである。互いが相手に合わせる努力をしなければ、共生など絵に描いた餅にすぎない、お花畑論の空論で、虚論なのである。キリストは、汝の敵を愛せ、とも教えたわけで、敵は霊魂を磨くのに最適な人物だという。出口王仁三郎は、以下の動画で、人生において最も貴重な経験とは敵に遭遇することである、と説いている。実は現世で遭遇する敵とは前世の自分である可能性が高い。だから、現世で敵ばかり出逢う人は、前世で沢山の敵をつくってきたわけなのである。【敵の本当の役割】あなたに“本当に”必要な人はこう現れる。出口王仁三郎 霊界からの警告 - YouTubeこのような意味で、日本は、多くの敵に出逢い、敵に学んできた。朝鮮、台湾、清国、ロシアと隣国はほとんど敵だった。そして、軍事拡張とともに、石炭から石油へと軍備拡張し、軍事経済を求めるあまりに、東南アジアを侵攻したために、味方と思われた英国には裏切られ、ドイツと同盟し、米国と戦う羽目に陥り、原爆を落とされ、連合国に、無条件降伏し、米国の保護下で新しく民主主義国家として独立するわけである。しかし、今やまた、敵から学ぶ、という人生の貴重な経験を放棄したために、日本は大和魂を失って、もはやグローバリストの売国ゾンビのような死に体総理の国と化しているわけなんである。もし、第2次世界大戦の背後の、スターリンとルーズベルトやトルーマンの権力争いに目配せができていたら、日本に原爆は落とされなかったかもしれない。これら悪魔の企てに巻き込まれずにスルーできていたかもしれない。日本は悪魔スターリンに騙された。二度と悪魔に騙されないように、敵から学ぶように、外国の文化を学ぶことから、日本文化の特殊性を自覚しないといけない。そのために良い教材を、以下の動画などに見つけたので紹介する。外国の文化を学ぶのは、日本の文化の特殊性を学ぶことでもある。特にハーフの人たちは直接その文化の違いを体験しているので、地上波が垂れ流す、離婚し独身の左巻きのグローバリストゾンビの偽コメンテーターよりも、遥かに貴重な意見になる。【移民・難民受け入れは正解?】「外国人問題」に在日外国人の本音炸裂! /「日本は世界一多様性がある」/移民政策でうまくいった国は?/アメリカに多様性はない!?《岸谷蘭丸×ニック×デミル》 - YouTubeイギリス人が語る!リアルなイギリスの移民事情 - YouTubeトルコ人に日本のクルド人事情を詳しく解説してもらった! - YouTube八切史観から、日本史を学べば、豊臣秀吉が、豊臣姓で、日本の公家と武家を統一する前には、日本も多種多様の移民国家だったのがわかる。今でも在日という言葉があるが、古来には、それは天皇家を祖先にしない民族で、庶民と呼ばれた。それは日本人の遺伝子からもわかる。古代の多様な文化を融合した文化が大和魂なので、その特殊性は、あまりに古すぎる文化といえるかもしれない。その文化は古すぎる由縁で、多様な文化を理解できる可能性をもあわせもっている。先祖に立ち返れば、どの民族も神の貴重な一分枝だからである。それはただ、現在という時空のなかの立場と役割の違いでしかない。この土着の日本古来の文化を体現した代表的な人物が、以下の田中角栄のような気がするので、以下の動画で、紹介する。角栄は、人間は皆同じ平等の存在という信念の持ち主なのである。今太閤ともいわれたが、豊臣秀吉もそのような人物だったかもしれない。【田中角栄】「偉ぶるな。見下すな。常に対等であれ。」伝説の政治家が語る自分も周りも幸福にする生き方とは | 偉人 | 名言 - YouTube異質な存在と対等につきあうには努力が求められる。他者に合わせるために、ある程度、古くなった自分を殺さないとダメである。異文化といかにつきあうかは、異性にも通じる出会いでもある。だから、以下の動画は異文化交流には参考になるので、紹介する。【人間関係の極意】夫婦円満「こういう異性と出会えたら手放すな!松下幸之助が語る~心を揺さぶる10の教え~」 - YouTubeこのように、人と人の交流が霊魂を磨く絆となり、天国をみつける能力となるという、聖書のマタイ伝13章を、その教訓として、最後に紹介する。マタイによる福音書13第13章1 その日、イエスは家を出でて、海べにすわっておられた。2 ところが、大ぜいの群衆がみもとに集ったので、イエスは舟に乗ってすわられ、群衆はみな岸に立たっていた。3 イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、「見よ、種まきが種をまきに出て行った。4 まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。5 ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出だしたが、6 日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。7 ほかの種はいばらの地に落おちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。8 ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。9 耳のある者は聞きくがよい」。10 それから、弟子たちがイエスに近寄ってきて言った、「なぜ、彼に譬えでお話になるのですか」。11 そこでイエスは答えて言われた、「あなたがたには、天国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない。12 おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。13 だから、彼らには譬で語るのである。それは彼が、見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからであるこの12節のキリストの言葉は、以前にも紹介したが、唯物論で曲解されて、完全な間違いとして誤訳されている。甚だ酷いのはマタイ効果などと物質性だけに言及した地獄行きの以下のような誤訳である。マタイ効果 - Wikipedia条件に恵まれた研究者は優れた業績を挙げることでさらに条件に恵まれるという現象のことであり、それは科学界以外の様々な分野でも見ることができる。「金持ちはより金持ちに、貧乏人はより貧乏に」と要約できる。この概念は名声や地位の問題にも当てはまるが、要約の文字通り経済資本の累積的優位性にも当てはめることができる。この誤訳には、万物流転の法則が抜け落ちている。前回紹介した映画の宇宙人の、「死は人間の思い込みにすぎない。生命は形を変えて生き続ける。」という摂理を無視している。条件が恵みをもたらすというのなら、男はますます男になり、女はますます女になる、ともいえ、更に、日本人はますます日本人になる、ともいえるわけで、人間はずうっと遺伝に拘束されてしまう。これこそ悪魔の手口で、差別化が自然と深まるような詐欺師が詐欺の勧誘に使う情報操作のインチキを広めているだけなのである。今買えば、益々増えますよ、と言っているようなものである。確かに、全体が物質性のまま比較的安定している状態では、条件も限定されるので、このマタイ効果も成り立つかもしれないが、物質科学でもわかるように、この条件は、相転移を想定していない。物質が例えば高温で高く、もしくは低温で低くなるように差別化していけば、相転移を起こして、量が限界を越えて質に転換する。それは株価でもわかるが、バブルはいずれ崩壊するのである。シュタイナーは、この相転移の現象をホメオパシーの効果として説明しているが、この誤訳は、ホメオパシーを全く理解できていない。大体、この誤訳は、人間の欲望と努力を省略している。金持ちが金持ちになろうとするから、金持ちになるわけで、金持ちが貧乏人のためにカネを使えば、金持ちと貧乏人の差がなくなっていくはずなのである。つまり、この誤訳は、悪魔崇拝の為せる業なのである。このような誤訳をした人物は、悪魔崇拝なので、地獄に堕ちていることだろう。キリストがこの誤訳のような嘘やインチキを言うわけがない。この、「持っている人」とは、物質のことではなく、霊魂の能力で、共感力のことなのである。だから、人の心の痛みがわかる人、もしくは弱者の立場に立てる人、そして、相手の立場に立て、自分の欠点や弱点をみつけ、寄り添える人という意味である。だから、例えば、共感力のある人は更に与えられて、共感力が益々豊かになるが、共感力をもたないで、自分の欠点や弱点を覆い隠そうとして、誤魔化し、強がり、物欲などで、着飾る人は、その強がりや物欲までも、取り上げられ、弱点や欠点が露わに、裸になる、という意味なのである。田中角栄は自分の欠点や弱点と向き合い、それを逆に共感力や、人の心を読むのに使ったから、人心掌握でき、一大勢力をつくりだしたが、角栄自身の慢心もあったのか、竹下登の心は掴めずに裏切られたわけである。角栄もカネと権力のなかで、朱に交われば赤くなり、ついには心の眼を塞いでしまったのかもしれない。権力とは心の闇を虜にしてしまう、謙虚さを失わせ、自分を神と錯覚させ、慢心を生む、怠惰で、恐ろしいものなのである。角栄も人の子で、神の子ではなかったようである。人心掌握を自分のためでなく、日本国民のために使っていたら、もっているものも取り上げられずに、裏切られなかっただろう。神の目は騙されないし、天の法に背けば、自らが滅ぶ。人間は神の子なのだから、天の法に従う耳をもつべきなのである。天の法を聞く耳をもてば、ますます天国に近づくわけで、万物流転の法則に従い、永遠に生きるようになる。権力や物欲をもつほど、天国へのハードルが高くなり、遠くなるだけなのである。UFOの運行の秘密を知るロシアのアナスタシアのある霊能者の言う通り、幸せは、宇宙全ての立場と役割を感じる共感力だからである。UFOも自在に飛ばせない人類が核兵器をもつなど100万年早いよ、と宇宙人はいっているかもしれない。
2025年09月04日
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