JONの呟き日記
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今から遡ること約半世紀前、当時小生はまだ高校生であった。 現代の若者と同じように、夢と希望に満ち溢れるうら若き「紅顔の美青年?」であった。 巷間では当時も現在と同じように「ポップス・歌謡曲・演歌」といった流行歌で賑わっていたのだが、「洋楽」もそれに負けることなく巷間を賑わしていた時代でもあった。 当時はエレキサウンズブームで巷では「ゴーゴー・シェイク・モンキー」などのダンスも大流行していたのだ。 海外で人気活躍中のアーティストと言えば、ソロシンガーでは「クリフリチャード」や「エルビスプレスリー」、グループサウンズでは「ザ・ビートルズ」「ザ・ベンチャーズ」、「ザ・ローリングストーンズ」etc. 国内では「ザ・タイガース」「ザ・スパイダーズ」などなど、…。 女性シンガーでは「シルビィバルタン」や「ウィルマゴイク」「コニーフランシス」「パティーデューク」「ペギーマーチ」「スランスギャル」などなど、数えれば切りがないほど沢山の歌手が歌を唄うことで世界中が盛り上がっていた時代でもあった。 当時音楽メディアに「カセットテープやMD・CD・DVD・IC」などといった代物はなく、媒体は主に透明で薄っぺらな「ソノシート」や「シングルレコード」「巻きテープ」などであったのだが、それらのコレクションが大ブームとなっていたのだ。 ご多分に洩れず、小生にもヒッソリと恋憧れていた女性シンガーがいたのである。 彼女の名は ”地中海の妖精”と謳われた、知る人ぞ知る「ヴァシリキア・ヴィッキー・パカタナシュー」である。 彼女の経歴は、ギリシャのコルフ島で生まれ、アテネで生活後ドイツのハンブルグへ両親と共に移住し、第2の故郷となったその地で15歳のとき、「ナイフ、フォーク、はさみに火」という歌で歌手デビューを果たし、その後1967年4月8日 第12回ユーロビジョン・ソング・コンテスト、ルクセンブルグ代表で堂々の第4位に入賞しグローバルデビューを飾ったのである。 大ヒット曲となったポールモーリアの「Love is blue」(恋は水色)を引っ提げて、1967年10月20日に日本初来日し、テレビ(8ch、大橋巨泉司会のビートポップス)やラジオのディスクジョッキー、新宿厚生年金ホール等での日本公演で一躍人気を呼んだのである。 容姿・プロポーションとも申し分なく、小生の感覚にベストマッチした彼女のレコードコレクションは、LP・シングル盤共に全曲を今でも大切に家に保管してある。「ああ懐かしのケンタッキー~ !」ではなく、「ああ懐かしいあの時代に もう一度戻りたいなあ~……!!」というのが現在の偽らざる心境なのである。
2013年10月03日
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