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現代日本は「高齢化社会」を只今猛スピードで爆走中なのであるが、先日、超高齢の父親を老人ホームへ入居させるため、近場のケア施設を色々当たってみたのだが、その感想を一言申し述べておこう。今回訪問した先はケアハウス、介護付き老人ホームなど数箇所を当たってみたのであるが、いやはや、今はどの施設も通り一辺のことはすでに行き届いており、実に見事なものであった。 「地獄の沙汰も金次第」とは良くいったものである。 施設内に入ってびっくり!! 豪華ホテル並みの内装なのである。頭の中で思い描いていた暗い建物のイメージはここで一掃されてしまった。 事務員に資料のパンフレットを渡され、説明をうけたのであるが、医療設備・人員配置・賄い設備が充分過ぎるほど施されているではないか、まさに贅沢を尽くした至れり尽くせりの設備だったのである。 月額基本料金が16万円から22万円ほどと隔たりがあるのだが、一時金の支払い方法の相違で月額料金に若干の差異を持たせた設定にしてあった。 国が管理する「特養老人ホーム」など、まだ全てを拝見しているわけではないので断言できないが、父親を体験入居させて感じたことは、下手に自宅などにいるよりはよほど、居心地がよいのではと、恥づかしながら考え込んでしまった次第である。 「食わず嫌い」とは良く耳にするが、自分で「中に入って見ると見ない」では段違いだったのである。なるほど、食してみて初めてその味の良さが分かるというか、分かったのである。 ピンキリまである老人ホームとはいえ、今回の訪問で「イメージや考え方を全く一掃させなければならないハメになってしまったのだ…」、などと他人事のように書いている自分だが、トンデモはっぷんである。 既に年金生活者の仲間入りしている小生にとっても、いよいよ他人事ではなくなってきたのである。(ああ〜ツラッ!!)
2013年11月25日
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平成25年も残すところふた月あまりとなってしまった。 時の経過の何となんと早いことか! それに比べて小生の寿命も日一日と短くなっていくではないか。 齢を重ねること幾世星過ぎたであろう。まさにその実感がヒシヒシと増し加わってくる今日この頃である。 ところで話は変わるが、日本の言語には「ひらがな」「カタカナ」文字のほかに中国から伝来した「漢字」などの文字が国語として存在しているのだが、実に良くできているなと関心してしまうことがたびたびある。 「ひらがな・カタカナ」オンリーでもコミュニケーションをとるには十分であり、事欠かないのであるが、知人や友人に話題を提供するのであれば、もう一段ランクアップして語彙・漢字を投入すると、より奥の深いコミュニケーションが可能となり、会話の楽しみが増し加わるのである。 日本には古来から「四字熟語」や「諺・格言」なるものがあるのだが、使い方により言葉のニュアンスが微妙に違ってくるのがわかる。 例えば、同じ意味合いで使われているものに「弘法も筆の誤り」と「猿も木から落ちる」というのがある。 「優れた人でも時には失敗する」ことの例えなのだが、例えば、この「猿も木から落ちる」という諺を年下や後輩に用いるならばともかく、うっかり上司や先輩を目の前にして使ってしまったら大変なことになるのだ。 上司の性格にもよるだろうが、「不敬な輩!」「無礼千万な奴だ!」ということになり、場合によっては「降格人事」や「左遷」の憂き目にあってしまいかねないのだ。 諺に限らず、「言葉の使い方・用い方」は公私に違わず注意したいものである。 ここまでは少々硬い話になってしまったが、こんどは気分を変えて柔らかくしてみよう。 小生の若かりし頃には、「諺」をモジッテ遊ぶやり方がはやっていたのである。 上の場合でいくと、「弘法も筆の誤り」や「猿も木から落ちる」では面白くもなんともないので、「弘法も木から落ちる」「猿も筆の誤り」とするのである。 すると、ぜんぜん違和感がなくピッタリと理に適っているように思えてくるから不思議である。 屁理屈で言ってしまうと、次のようになる。 人間はもともと類人猿の時代から木登りが得意な動物でもあるし、猿の方はというと、「日光猿軍団」ではないが、調教次第では筆使いが上達することだって可能なのである。 下手をするとその辺の連中よりは数倍も達筆になれる可能性を秘めているかもしれないのだ。 痛勤電車に揉まれ、積極果敢に業務に取り組む振りをしている毎日では面白くも何ともないではないか。ストレスが溜まる一方である。 世知辛い世の中! たまには発想の転換も必要である。 読者諸兄も「コトワザもじり」の遊びにでも興じて、ウィットを磨き仲間を愉快にしてみては如何かな。
2013年11月02日
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