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JR奈良駅の高架工事が完成して出現した、ちょっと不思議な光景がこれでした。 昼間の時間帯、近鉄奈良駅のすぐ西側にある「高天交差点」で大宮通の西の方を見ると、油阪交差点にかかる高架橋の上で緑色のJR難波行き普通電車が引上げて待機している姿がいつもありました。走っているのではなく、広い道路の上に電車が止まっている。なので、向う側に回って同じ電車のこんな写真も撮ることが出来ます。 郡山方から奈良駅の4・5番線ホームに入ったJR難波からの普通電車(201系または103系の6両編成)は、折り返しのために駅の木津方の高架に作られた引上線に一旦引上げます。車掌と運転士が車内を通って交代し、今度は2・3番線ホームに戻ってきてJR難波行きとなります。但し、この光景もたぶん来年の3月ダイヤ改正までで終わることに。昼間は201系(103系)の普通電車に替わって、221系の大和路快速(奈良折り返し)がこの位置に引上げることになると思われます。先日の3月ダイヤ改正の発表で、昼間のJR難波~奈良の普通電車がなくなると聞いて、まず思ったのはこの光景のことでした。
2010.12.27
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関西線(大和路線)王寺~奈良の開業120周年 明治23年(1890年)の12月27日、大阪鉄道(当時)の王寺~奈良間が開業しました。(当時の駅は、王寺、法隆寺、郡山、奈良で、大和小泉開業は1920年)先に開業していた湊町から柏原までの区間とつながって、湊町~奈良の大阪鉄道全線開通したのは、その2年後の明治25年(1892年)です。やはり県境の亀の瀬渓谷付近の工事に時間がかかったのでしょうか。 「大阪鉄道」という名前は、現在の近鉄南大阪線の前身と同じ名前ですが、こちらは関西鉄道に買収されたあと、明治39年(1906年)の鉄道国有法により官設鉄道の一部となります。(日清戦争が1894年、日露戦争が1904年、「坂の上の雲」の時代ですね) 開業120周年を記念して、26日27日を中心にJR西日本ではさまざまなイベントが実施されました。(下記リンクにプレスリリース) 大和路線(王寺~奈良間)開業120周年記念イベント 当時の大阪鉄道ゆかりの主な駅で販売されたのが、そのときの4駅の復刻入場券セット 奈良・郡山・法隆寺・王寺の4駅の間では「懐かしの駅スタンプラリー」も実施されました。かつての「ディスカバージャパン」のころの駅スタンプをスタート以外の2駅で集め27日の午後3時までにゴールの駅につくと景品がもらえるというもの。景品は、写真の「現場スタッフ手作りカレンダー」の他に、ゴール駅の駅名板ケータイクリーナー、九州新幹線全通記念カレンダーが用意されていました。 スタンプや、写真の221系の他に103系も用意されたペーパークラフトつきのスタンプ台紙は、奈良・王寺では改札の外に用意されていましたが、途中の法隆寺・郡山では改札内に置かれていました。まあ、ラリーとはいえ乗り降りのたびに切符を使わせるのはJRも気が引けたのでしょうね。
2010.12.26
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いよいよ押し詰まって来年の話です。 24日、県政記者クラブで「まんとくんネット」から、1300年祭以後の「まんとくん」の運営体制について発表が行われました。着ぐるみのまんとくんも登場と言うことで、テレビカメラも入って賑やかだったようです。 <まんとくん>来年以降も続投 平城遷都の民間キャラクター 少し前に、せんとくんの方が「県庁の職員」として来年から活動するというような発表があったので、メディアとしては「せんとくんは就活成功、まんとくんは?」というような取上げ方もされていました。でも、それって根本的におかしいんですけどね。 そもそも、せんとくんって就職活動していたの?1300年祭でせんとくんが採用されたのって、別に期間区切ってなかったはずで、就職活動なんてする必要はなかったはず。明らかな「コネ採用」のせんとくんを、必死で就活している学生や非正規社員さんたちが見たらムカつくんじゃないだろうか。 一方、まんとくんの方は、もともとどこかに「就職」したり「スポンサー」に世話になっていたわけじゃないし。民間のグループが運営して、独自に1300年祭とか奈良のイベントとかに出演していたわけなので、せんとくんとは意味がまったく違いますよね。いうならば、せんとくんは1300年事業協会(実質は奈良県)に飼われて生活の保障をされてきた「飼い犬」「飼い猫」みたいな存在。あちこち出かけるにしても、もともと「公務」として費用は保証されている。一方で、まんとくんは「面倒を見る団体」はあっても、エサは自分で探して食べている「奈良公園のシカ」みたいな存在。(グッズ製作使用料とか、着ぐるみ出演料などは、ある意味シカせんべいみたいなものかも) こんど事務局を受ける「中活研」も「お金の持ち出しをするつもりはない」ということのようですし。 「役割」についても、せんとくんが「奈良の対外PR」がメインらしいのに対して、まんとくんは「奈良を元気に楽しく」「子どもたちと楽しく遊ぶ」ということになるような。 1300年祭も終わったあとせんとくんがあの形で「奈良のPR」って何をどうするんでしょう。ちょっとよくわかりません。 写真は、おん祭り大宿所詣ででせんとくん、まんとくんと奈良市商振会会長さんとの記念撮影です。後ろの笹は、おん祭りの「馬長の稚児」に従って歩く「被者」の持ち物で「恋笹」と呼ばれるもの。短冊には「見る恋」「会う恋」「忍ぶ恋」「和泉」などと書かれていますが、「恋」は「雨乞い」などの「乞い」の意味だとも聞きました。
2010.12.25
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「ぶと」とはどういうものかご存じですか。奈良のお菓子のうちに「ぶと饅頭」というアイテムがあります。餅飯殿の萬々堂さんが、春日大社の神饌「ぶと」(「??」)をもとに餡を入れて砂糖をまぶしたお菓子にしたものです。萬々堂ののれん分けともいえる萬林堂さん(東包永町=転害門のそば)には、よく似た「春日二梅枝」というお菓子もあります。(萬林堂さんは「まんとくん饅頭」の製造販売もされています)「ぶと」も「二梅枝」(ふたつばいし)も春日大社に伝わる「特殊神饌」「古式神饌」の中にある「唐菓子」のひとつですが、実物を見たことのある方はそんなに多くはないと思います。今回、おん祭りの「撤饌」として「ぶと」をいただきましたので、写真をお目に掛けます。ちょうど納豆のようにわらで包んでありますが、中に入っているのは米の粉を水でこねて蒸し、搗いてこねて形を整え油で揚げたものです。ちょうどヒダが餃子に似ているかも。ちょっと手元に届くまで時間がかかったので、すこしカビが浮いていますね。これを薄くスライスし焼いて砂糖醤油をつけたり、鍋物に入れたりして食べます。「唐菓子」の他に、大宿所に「懸け鳥」として掛けられていた塩鮭や塩鯛なども、祭りの後は「撤饌」として奉仕者に下げ渡されたりします。
2010.12.21
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「大和路線から大阪駅へ15分間隔」という情報でしたが2011年3月に大阪駅再開発(大阪ステーションシティ)のうち南側がオープンすることになっていますが、同時に、九州新幹線全通というトピックスもあります。 ということで、3月のダイヤ改正では「大阪駅へ便利になりますよ」というのが大きな「売り」のようです。http://www.westjr.co.jp/ICSFiles/afieldfile/2010/12/17/20101217_kinki.pdf昼間の大阪駅直通の電車を、和歌山方面も、奈良方面も、宝塚方面も15分ごとにして、京都神戸からの「新快速」は12両編成にという「大阪駅へいらっしゃい」という内容です。でも、そんなウマイ話だけじゃないだろう。経費削減の減便ダイヤになるはずと言うのがネット上などでの前評判でした。 開いてみれば案の定というところです。(以下奈良関係の昼間のダイヤのみ)1)奈良発大阪環状線方面の「大和路快速」は、15分間隔で運転されます。(現在20分間隔)2)しかし、逆向きの加茂方面は30分間隔となります。(現在20分間隔で毎時3本の木津~加茂間が1時間に2本となります)3)これまで、大和路快速の間に20分間隔で運転されていた奈良発JR難波行きの普通電車はなくなります。 (これに乗れば王寺で、高田発のJR難波行き快速に連絡していました)4)つまり、奈良~王寺間(郡山、大和小泉、法隆寺)の電車は、1時間に6本あったものが4本に削減されます。 これまでなら10分ほど待てば、とりあえずJRで大阪に出られたのが、もう5分余分に待つ必要があるということになります。奈良線のダイヤがまだ不明ですが、大和路快速が停車・みやこ路快速が通過していた平城山駅の場合は、昼間の電車が5本から4本に減ることになりそうです。 5)また、これまで20分間隔で毎時3本あったJR難波~王寺~高田の快速電車ですが、これも奈良と加茂の関係同様に、高田へ2本と王寺止まり2本とに変わります。つまり王寺から高田までの駅は、これも本数が2/3に削減ということですね。6)一方で、王寺から大阪方面はこれまで大和路快速3、高田快速3、普通3の9本だったのが、大和路快速4、高田王寺快速4、始発普通4の12本にグッと増えます。王寺周辺のお客さんは「近鉄に流れにくい上得意」なので大サービスしますということでしょうか。阪和線でも、和歌山に近い末端の普通電車を廃止して、代わりに大阪駅直通の快速電車を和歌山に近い各駅に停車させるような内容になっています。 なんというか露骨に「大阪駅シフト」「末端は切り捨て」ですね。大阪駅開発の投資回収のための営業戦略としては、まあ正しいのでしょうが、大金投入してJR奈良駅の再開発を実施した奈良の立場としては、いかがなものかと思われます。なにしろせっかく駅がキレイになったのに、昼間の大和路線の本数が2/3になってしまうわけですから。 あと、奈良に直接関係してくるかどうかはまだ判りませんが、昼間の宝塚線・東西線・学研都市線直通の快速電車(木津~京田辺~放出~京橋~北新地~尼崎~宝塚)が、塚口(尼崎)折り返しになります。昼間、宝塚からの快速電車をすべて大阪駅に入れるための方策ですが、例の事故の遠因ともなった直通運転によるダイヤ乱れの波及の解消にはなるかもしれません。 しかし、加茂や高田方面にはショックでしょうねえ。 1時間に2本というのは、桜井線(万葉まほろば線)の奈良~桜井と同じようなレベルですから。ということで、現在の奈良駅の時刻表をごらんいただきましょう。11時~15時台が、今回の「大阪駅シフト」のメインターゲットでしょう。大和路線上り(加茂行き)が、桜井線と同程度になってしまう予定です。現在の大和路線大阪方時刻表現在の大和路線木津・加茂方時刻表桜井線(万葉まほろば線)時刻表
2010.12.20
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先の「観覧席」の看板が出ていましたので、まずはその写真から おん祭りの「競馬」はご存じですか。 お渡りの行列では、第六番 馬長児(ばちょうのちご)の騎馬3頭と被者6名に続いて、第七番に競馬が、騎馬6頭(赤と緑の2騎ずつ3双)で登場します。続く第八番の流鏑馬にも稚児流鏑馬3騎と随兵5騎が出てきますので、この辺は「馬密度」が高いですね。 この6頭の馬が、お渡りのあと実際に参道で2頭ずつ、3回の「競馬」をするのです。去年までの「解説書」(毎年発行されて、お渡りやお旅所祭の細かな紹介の他に、その年の「特集」も掲載。今年は「御幣」の特集)や、HPなどでは「17日14時~競馬」などと書かれていましたが、今年のポスターや解説書では、13時すぎから と書かれています。 実際、これまでも一の鳥居に到着した競馬6頭は、第四番、第五番の猿楽(能)、田楽の一行を追い越して、松之下の先「馬出橋」へ進み、猿楽、田楽の「松之下式」が行われているのと同時に「競馬」を行ってきました。 ところが、あちこちに「14時~」と書かれているために、気がつかずに終わってしまっているという「苦情」もあったようです。 というところで、「競馬」はどこで行われるのかをご紹介します。一の鳥居の内側南の斜面に札が立って「囲い」がありますが、ここにあるのが「影向の松」です。その前で行われるのが、能や田楽の「松之下式」ですがこのシチュエーションが「能舞台」の原型とされています。 上の写真の真ん中あたりに「橋」の石の欄干が見えていますが、これが「馬出橋」(まだしのはし)でその手前側には競馬のために「砂」(向う側とは色が違います)が敷かれているのが判るでしょうか。「ダート」の2頭立てというところですね。で、鳥居がかなり向うの方に見えています。つまり、松之下から馬出橋まではかなりの距離があります。途中に水色の幕での囲いが二つ見えますが、これが流鏑馬の一の的、二の的ですね。(三の的はこの写真の手前にあります。次の写真は、その馬出橋の石欄干 馬出橋をスタートした競馬は、次の写真の「勝敗榊」(御旅所前にある。今回の観覧席のすぐ東側)まで疾走し、左右どちらが勝ったかを判定します。 三本勝負で、左の赤か右の緑かを決めるのですが、この勝敗は夜の舞楽の蘭陵王(左舞=中国、ベトナム系)と納曽利(右舞=朝鮮、渤海系)の演奏順に関わってきます。 ところで、なんでスタートに「馬出橋」があるのに、ゴールにそういう橋などがないのかというのは当然の疑問ですが、本来は、もっと先まで馬は走っていたのですね。途中に、バスの通る道が出来てしまったために、短縮されてしまったようですが、ちゃんと「馬止橋」が今も残っています。 で、その場所はこの写真のように万葉植物園の前、ちょうど参道が曲がる手前のところです。つまり本来は今の3倍近い距離を走って競馬をしていたようです。 ともかく、競馬は松之下式と並行して行われますので「見落とし」にご注意。猿楽、田楽、大名行列などが全部御旅所に入ってから、今度は稚児流鏑馬の一行が参道へ戻って行われて、一連の参道での行事は終わります。(今年は、そのあとに宝蔵院流の槍の演武があるようです。)
2010.12.15
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元興寺・ならまちから奈良駅に戻るつづきです。 西寺林の通りを西に戻ってくると、餅飯殿商店街のアーケードと交わります。西寺林の案内板はここでは「奈良駅」についてはノーコメント。餅飯殿のアーケード柱に取り付けられた案内を光明院町の角で見つける必要があります。 もし、そのまままっすぐ進むと、こういう光景がありますね。 そして、このあたりで「あれ?奈良駅はどっち?」とキョロキョロすることに。タネを明かせば、これを右に行けば、小西通りを経て近鉄奈良駅に着くんですが。(JRはちょっと複雑かな。右に行って三条通りを左に曲がってずっと行けばJR奈良駅ですが、このまままっすぐ行っても行けないわけではない) では、元に戻ります。 餅飯殿の案内板は、裏表で色が違うんですね。 餅飯殿の方の案内板に「気がついた」方は、光明院町の角を北へ曲がって、餅飯殿の商店街の中を通り抜けることになります。 餅飯殿の案内看板では、「ならまち」方向へは黒い色に白い文字、逆に駅の方向へは赤い色に白い文字で書かれて、何本ものアーケード柱に貼り付けられています。センスとして悪くはないですね。 ただ矢印は、終始「近鉄」と「JR」を一緒にして示しています。で、この場所ではこれまで北向きだった矢印が西向きに変わりました。え?近鉄だったらまっすぐ北向きで良いんではと思うのですが、律儀に三条通りをほんの少し西へ進んでから北へという矢印が、下の方にはついています。 というところで案内板については一休み。 前にも書いたのですが「ならまち」の案内というときに、「特定の一ヶ所へ行く案内」というのはあまり面白くないんじゃないでしょうか。 迷路だから面白いとまでは言いませんが、ひたすら目的地へ向かうと言うよりも「ぶらぶら」「うろうろ」と歩き回って「発見」するという楽しみを、もっと前面に出した方が良いと思うのですが。 その意味では「元興寺・ならまち」 という標記はどうなんでしょう。以前は「ならまちかいわい」という表現がありました。むしろ「ならまち・元興寺かいわい」というのが、正しく実情を表わしているような気がします。
2010.12.15
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今度は元興寺・ならまちから奈良駅に戻ります。 元興寺極楽坊から、中新屋町・勝南院町などをまわって、道祖神社まで戻ってきました。さて、近鉄奈良駅またはJR奈良駅へはどう行ったらいいのでしょう。今御門町の案内地図には駅については書いてありません。 しかし、 西寺林の通りの方にはこんな看板があります。西の方へ進めと言うことですね。最近、こちらの通りでは「ならまち活き活きストリート」というタイトルでいろいろな整備やイベントを行っています。 その通り進んでいくと、今度はこういう看板がありました。あれ、奈良駅はどうなったの?この看板は前の「世界遺産 元興寺」の看板の裏側になります。 本当は、餅飯殿側の角にあるこちらの看板に気がついてほしいんですけど。 でも、気がつかないで「奈良駅はまっすぐ」と思いこんでしまう人も多くいるようで、そのまま西へ進んで次の四つ角(中街道との交差点)まで行ってしまうんですね。別にそれでも、近鉄もJRも奈良駅に行けることは行けるんですが、そこにはもう案内看板はないのでどっちを向いたらいいのか判らずにキョロキョロウロウロする方もある。 続きます。
2010.12.14
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いよいよ春日若宮おん祭りです。 毎年、奈良の最終で最大のお祭りが「春日大社」の「若宮」アメノオシクモネノミコトを御旅所に迎えて行われる「おん祭り」、12月17日まる一日が若宮様と人々との交歓のときとなります。 約50頭の馬を連ねる「お渡り式」に注目が集まりますが、若宮様への奉納のメインは「御旅所」の中での神事芸能のかずかずです。能楽、田楽、舞楽、和舞の他、特異な「細男」と呼ばれる舞踊などが、黒木造りの御旅所前の舞台で繰り広げられます。年会費3000円の「春日若宮おん祭り保存会」の会員はお渡り式のあと行われる御旅所での神事に、敷地内で参列してその様子を間近で見ることが出来ます。(当日の入会も可能) 写真↑は、造営中の御旅所ですが、神事芸能は主にこの舞台で行われます。今年は新たに御旅所から参道を挟んだ向い側に、有料の観覧席↓をもうける事業が民間グループによって行われています。 御旅所と参道を挟んだ向いの観覧席。かなり高くなっているので、上から見ると御旅所前の参道や御旅所の芝舞台がこういう風に見えるはず。 ちなみに、この観覧席は「保存会」とも「観光協会」(一の鳥居内側の「松之下」での観覧席を設置)とも別で「奈良イベント事業協同組合(TEL0742-25-4720)」が国の雇用推進事業を活用して設置したもので、一人5000円だそうです。
2010.12.12
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最近整備された案内にそって元興寺・ならまちに向かって歩いてみましょう。ちょっとした検証のつづきです。南都銀行本店前の案内板から「ならまち・元興寺」へむかって餅飯殿商店街を通り抜けてきました。餅飯殿のアーケード柱には「ならまち」へ直進0.1キロと表示がある反面、左折方向の西寺林商店街には「世界遺産 元興寺」へ、西寺林の通りを東へ行くようにと指示が出ています。この光明院町の四つ角では、手元の地図を見ながら立ち止まっている人の姿がしばしば見られます。 前ページ さて、立ち止まっているわけにも行かないので「元興寺」と明示されている方向に進んでみましょう。最近、この通りにはスィーツのお店やユニークなカフェなど新しいお店が増えています。 そして、100mほど東に進むと、次にこんな看板があります。 あくまでも直進して、元興寺へ行きましょうという看板ですね。でもこの先の四つ角は、猿沢池から今御門町を抜けて、中新屋町など「ならまち」の中心エリアへ行く「上つ道」との交差点なんですが。(四つ角を右へ進んで「ならまち大通り」を越えると「奈良町情報館」があります。) 四つ角の「道祖神社」を越えて先ほどの案内板の指示通りに進んで見える景色は↑ですね。「元興寺」はどこなんでしょう。正面に見えているのはホテルサンルートで、左の建物は「ならまちセンター」なんですが。 半信半疑でそのまま進むと、ならまちセンターの角にあるのがこの看板です。今回の出発点と同じ表記ですが「250m」と書かれています。道の向こう、右の建物はホテルサンルートですね。 さて矢印の通りに右へ進むと、「元興寺門前通り」と書かれた「鶴福商店会・鶴福院町自治会」の案内地図がありました。町内の地図(下段)と付近一帯の地図(上段)と両方があります。上の方は範囲をかなり広く取ってあって細かいお寺なども書かれているのですが、かえって「ならまち」のイメージがつかみにくいかも。ともかく、この鶴福院の通りを抜けて「ならまち大通り」に出るとこういう看板がありました。(大通りの車用らしく、ふり返らないと見えないかも知れません) ということで、ようやく元興寺「極楽坊」にたどり着きました。 実は、途中の四つ角の道祖神社のところには、こんな案内地図もつけられています。 ひらがなか漢字かはともかく、こちらの今御門商店街も「奈良町通り」なんだそうです。紛らわしい。 この奈良町の案内看板の問題、ひとまずここまでで一区切り。 「ならまち」と「元興寺」、どちらも地理概念としてはあいまいなものを、距離まで明示して案内しようというところに、どうしても無理があるのではないでしょうか。商店街の「とにかく自分たちの通りを通ってほしい」という思いが、案内板に露骨に見えるところもあります。 「ならまち通り」というネーミングも、言ったもの勝ちの乱発みたいな感じもします。そろそろその辺をきちんとしないと「ならまち人気」に水を差してしまうような心配がありますね。
2010.12.11
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「元興寺≒ならまち」のようなイメージがありますが。 最近整備された案内にそって元興寺・ならまちに向かって歩いてみましょう。どこへ連れて行ってくれるのか、ちょっとした検証です。 写真は、三条通り橋本町の南都銀行本店前の案内板です。県が奈良公園周辺の案内板や地図などを整備した時に設置されました。この「700m」というのはどこまでの距離なんでしょうね。ともかく矢印は、南(心持ち東)を向いていますので、餅飯殿の通りを行けということなんでしょう。 さて、三条通りを渡ったところにある餅飯殿商店街のアーケード柱です。下の個別の案内では元興寺は0.7キロとなっていますが、大きな「ならまち」は0.8キロなんですね。ならまちセンターは、ちょっと方角が違うようです。ともかく、ならまちに行きたい人は、商店街を通るようにというご案内です。 餅飯殿の商店街を抜けた場所がこちらですね。この先もう一つアーケードがありますが、そちらは別の下御門商店街のもの。この矢印は、そっちへ行きなさいということのようですが、おや、左手に別の案内板がありますよ。西寺林商店街の案内看板は、どう書いているのか見てみましょう。 はい、こんなん出ました。餅飯殿の入り口では方角が違っていた元興寺とならまちセンターとが、同じ方向に指示されていますね。そして「ならまち通り」というネーミングも登場しました。餅飯殿の看板ではまっすぐ南へ0.1キロのはずのならまちですが、ここはもうならまち通りなんだそうです。「ならまちへ行く通り」ということ?でも方角は? さて、今回はなぞの地点まで到着したところでひとまず小休止です。
2010.12.09
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下御門に、見たことのあるキャラクターが 下御門の商店街アーケードを通っていると、どこかで見たことのあるようなキャラクターのイラストを見つけました。以前靴屋さんがあって、一旦更地になっていた場所にイラストレーター「芳岡ひでき」さんのお店「ソックス」が開設準備中でした。奈良テレビのキャラクターなどの作者の芳岡さんは、一時、三条通りに小さなお店を持っておられましたが、その後、学園前に移っていました。そちらを10月に閉店して、今月12日にオープンとのことで、奈良の町家のふかーい奥行きがまるごとギャラリーになるようです。下御門の通りは、ならまち大通りを越えれば「あしびの郷」や「書道美術館」などに通じるならまちアクセスルートの一つです。 楽しいお店が増えそうですね。 http://www.socks.co.jp/
2010.12.07
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「あの、ゲンキョウジへ行きたいんですけど」とか 「ならまちのゲンコウジって、どう行けば?」とか訊かれることが多くなりました。 大宮通りなどの交通看板にも「元興寺・ならまち」と書かれるようになりました。目的地は、まあ「あそこだな」ということで、「ああ、がんごうじですね。三条通りから猿沢池にそって曲がって、ホテルサンルートの先の信号を渡ればすぐ右側です。」と案内することが多いですが。<目的地は、こちら>でもね、ここの標柱にはこう書いてあるんですね。 「がんごうじ・ごくらくぼう、そうぼう」と書いてますね。そう、この場所は、あくまでも「極楽坊」であって、元興寺の一部分でしかありません。なので、先ほどの「三条通りから・・」の案内も実は問題アリかも。知人のならまちの某店主は、「元興寺」を訊かれると、かならず「極楽坊ですか」と確認するそうです。なぜなら、ならまちには極楽坊以外にも「元興寺」が存在するからです。まず「鹿男あをによし」のロケ地のお向かいにある「元興寺塔跡」 で、こちらは「小塔院」です。河瀬直美さんの「沙羅双樹」で主人公たちのキスシーンがありました。 奈良町資料館にもこんなことが書いてあります。中新屋町の突き当たり、奈良町物語館などのあるあたりに、元興寺の「金堂(本堂)」「中門」などがあったようなのですね。現在、観光案内などで「元興寺」として紹介されているのは、もとの元興寺の「一部」である極楽坊を指していることが多いのです。もちろん、文化財の維持や宗教活動などにおいて極楽坊が中心であることは確かですし、かつての「荒れ寺」が今日の「世界遺産」にまで整備されてくるまでには、ご住職たちの大変な努力があったことも銘記されるべきです。ただ、現在のいわゆる「ならまち」エリアのほとんどを占めていた「元興寺」が、極楽坊だけに矮小化されてしまうのはちょっと違うような気がします。ちなみに、この周辺には「寺」「院」「堂」「門」などにまつわる町名がたくさん残っています。・元林院町 ・今御門町 ・西寺林町 ・東寺林町 ・鶴福院町 ・中院町・勝南院町 ・高御門町 ・公納堂町 ・毘沙門町 ・薬師堂町 ・納院町 などまちかどの「町名」を見ながら、壮大な「元興寺伽藍」を思い浮かべてはいかがでしょう。
2010.12.06
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今日は、初めての「奈良マラソン」 これまで「大仏マラソン」としてこの時期に行われてきたのですが、1300年祭の一環として、奈良で初めての公式フルマラソンが行われました。 コースは鴻池運動場から、やすらぎの道を下って高天交差点で右折、大宮通りを西へ走って尼ヶ辻で引き返し、大仏前から南へ折れて循環道路を紀寺交差点へ。さらに天理街道を南へすすんで、窪之庄南から東に入り白川溜池から天理環状線を通って天理高校北交差点で折り返し。帰り道は、大仏前まではそのまま戻り、そのあと県庁東で北へ右折、戒壇院にも近い焼門前から西に入って奈良女子大の北側の道を佐保橋へ、右折して鴻池へと戻ります。 エントリーは、フルマラソンに「10000人」、その他のコースにも「7000人」という規模で、やすらぎの道を下る様子は「人間の土石流」ともいうべきものでした。 さて、鴻池では前日からEXPOとしていろんな会社・団体の出店が並び、ステージも設けられました。ステージでは、1日の天理光の祭典につづいて、「せんとくん」「まんとくん」などが競演です。(4日には天理の「てんちゃん・りくちゃん」も来ていたとか)左から、まんとくん、せんとくん、郷士くん=十津川村、なーむくんで、スピーカーの陰になっているのが、太宰府の千梅(ちうめ)ちゃんと蓮花ちゃんです。この二人はそろって「歌手デビュー」だとか?!ステージ後には、まんとくんがEXPO会場内をまわって写真撮影をしたり、良いお天気のもとで、ぽかぽかとあったかいイベントとなりました。
2010.12.05
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1300年祭を契機に、奈良の町の中はいろいろな標識、案内板が整備されました。でも、ちょっと首をかしげるものも中にはあるのです。 上の写真は、JR奈良駅自由通路2Fの東口側に設置された案内板です。左手が改札口、先に進むと西口広場の上のペデストリアンデッキで右手が日航ホテルなどのビル、デッキで道路を渡るとなら100年会館となります。向こうに見えるオレンジ色のものはこの看板と同じ形の色違いで、「東口=藍色」「西口=橙色」という色分けをしています。この2Fと同じものが1Fにもあり、この裏面には東口についての案内があります。 ええっ、平城宮跡まで歩いていくの?! もう無料シャトルバスは走ってないんですけど。ちなみに裏面というか、東口用の看板には「奈良公園(東大寺 興福寺 春日大社)」「奈良県庁」「奈良市総合観光案内所」(旧駅舎のこと)「ならまち」などが書かれています。まあこれらは、バスに乗るか歩いていくかはともかく、妥当なところです。「奈良市役所」 というのは、向こうに奈良県庁があったら、こっちに市役所をというのも判らなくもないですけど、それにしてもJR西口のバス停から市役所の前を通るバスは、一日に2~3本しかないんですよね。(歩いて大宮通りまで出れば、「大宮町1丁目」のバス停から10分おきぐらいに乗れます。)「平城宮跡はどっちの方角ですか」と聞かれれば、たしかに西の方(正確には西北西か)には違いないけど、 この案内板はそういうもんじゃないでしょうに。ちなみに直線距離で朱雀門まで2.3キロほど、大極殿まで2.6キロほどですが、MapFanでルート検索すると徒歩で朱雀門まで2.9キロ約30分でしょうか。同じ30分でも、奈良公園の方向なら商店街や興福寺など「楽しみ」もあるのですが、残念ながら大宮通りは西に向いて歩いても大して面白くも何ともない「全国どこにでもありそうな車がバンバン通る道」ですからねえ。ちなみに、JR奈良駅から「平城宮跡へ行きたい」という方には、東口のバス停7番から「西大寺駅行きのバス」がお勧めです。一条通りを通って平城宮跡バス停でおりれば大極殿のすぐ近くです。 (西口から奈良市役所へ行くバスでも朱雀門前には行けます)
2010.12.03
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