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姫、一日中病院めぐり。爪、毛虫、マイコプラズマ。付き添いだけでぐったり。
2006年07月31日
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夫はスーツに着替えて髭を剃り、都会の人に変身してひとり東京へ戻っていった。しかし毎日メールや携帯電話が入り、パソコンつないで縁側に寝転びながら半日あれこれ仕事。一週間の休みとってたのに…あんまり意味ないジャン!と思ったけど、子供たちをあちこち連れてってもらったのはやはり「パパのご威光」あってこそ。早く単身赴任が終るといいなあ…。と思えるあいだに戻ってきてほしいなぁ(笑)
2006年07月30日
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某h寮同盟西日本支部小部会、於博多天神某商業施設。出席者、大人三名、小人一名。昼食・買い物見物・喫茶・お土産交換・買い物見物。あまりの暑さに移動はなしで一つのビルの中だけで博多見物は終ってしまった。往復は高速バス。ふくろうのご縁に乾杯!パパ、子供たち、留守番ありがとう♪
2006年07月29日
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これでもかとお出掛け続き。姪っ子二人を誘って午後から町内の川遊びに。雨が上がってからあいだ一日しかないから、水が多くて冷たく濁っていた。それでも子供たちは冷たい中に水着で飛込んでいく。さすがに魚の姿はなかなか沢山見つけられないが、貴重な一匹を石で囲いこんだり、人のいない方へ石投げをしたり、楽しく遊んだらしい。私たち夫婦は、携帯のアンテナが立たないところだったので邪魔されることなく、子供たちを見張りながら二時間岸でおしゃべり。こんな休日もいいね。
2006年07月27日
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姫12才。梅雨明け宣言の出た福岡県は朝からピーカン。福岡市の海釣り公園で夫と息子二人と姪の4人は釣り。竿もえさもしかけもすべて現地調達できる、初心者にはうってつけの場所だという。魚は玄海産だし。桟橋の上は走り回らないこと、大声をださないこと、とあったので、娘と私はとなりの浜辺で貝殻をひろったり、砂遊びしたり。ついには服のまま波の中に座り込み、夫たちが戻るまで楽しく浜遊びした。下駄の鼻緒とジーンズの裾のあいだの小さいすきま。日焼けというより火傷になったのが想定外。・・・・ちなみに釣果はこれ↓左が小あじ(一匹だけチビ鯛)、右が小サバ。全部、素揚げやから揚げに。から揚げは残ったら揚げなおして南蛮漬けにしようと思ってたのに…南蛮漬けの汁だけがむなしく残った。
2006年07月26日
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朝5時半発。15時半F岡県M市着。道中ハードディスクに登録したCD5枚。休憩4回。関門海峡から西は大雨で50キロ規制であったにもかかわらずこの到着時間。こんなに空いてていいのでしょうか。
2006年07月23日
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先週から夏の大掃除。一階和室の押入れをやっと整理して、ご近所から引越しかと噂されるほど不燃ごみを捨てました。ここは資源ごみは拠点回収ですが、可燃ごみ不燃ごみはどちらも各戸玄関前におくので、どの家が庭掃除したとか出し忘れとかがバレバレです。さてこの大掃除、続き(二階)は一ヶ月後に持ち越しです。明日から民族大移動。一年半ぶりに夫の実家へ帰省します。今年は三週間の長丁場。でも盆踊り練習もあるし、佐賀の友達にも逢えるし、楽しく過ごしてきます。14日に戻るので13日雨降らないことを祈りつつ。
2006年07月22日
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もうこれはみんなに見て欲しい!!GoogleEarthがさらにパワーアップもうひとつ。経県値、教えてもらってすぐに計測したときは110でしたが、先日の高知行脚で4県またがり移動したおかげでぐぐんとアップしまして、ただいま私の経県値は121となりました♪楽天にきてすぐにリンクさせてもらったお友達のlobo69さん。彼の日記は私のツボ満載で、いつもステキな情報をくださる彼には感謝感謝。自分がグチグチ発散してる場所としてここを使っているのに対して、いつも楽しい情報発信をしていているloboさんを見習いたい、と思うことがよくある。私ばっかり楽しませてもらって、、、ありがとう、loboさん!
2006年07月22日
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ええと~まずお詫びです。最初に思い切り日付を間違えてアップしてしまいました。14日のはずでしたのに…怒涛の土佐行きの7日の3本目になってました。この日記は14日に移しましたがその前に既にコメントいただいてたloboさんとhachikinchan♪さんと@弥々さん、お三方には大変申しわけありませんが、ログアウト状態にてコメントコピーさせていただきますです。おっちょこちょい、すみませんです~___________________________________________(本編はじまりはじまり~)夫がこの春、近所のメガネやさんで作った際のポイントを、私に使えといってくれて、新しいメガネを買ってもらった。ずっとレンズを取り替えたい、と思っていたのだけどに、ついでにフレームもといわれて甘えてしまった。見た目は前のとさほど変わらないが、前のより少し視野が広いので、テニスの時も見やすいかも…嬉しい♪レンズは前のも新しいのもプラスティックなのだが、今までのは表も裏もはげはげになっていた。表は砂やらホコリやら傷つく理由が分かるけど、裏はどうして剥げたのか分からなくて聞いてみた。すると、被膜は汗で剥げます、汗は大敵です、と教えてもらった。もっと早くキチンと聞いておくんだった~。テニスで汗がたまることなんてほぼ毎週のことだったもの。だから、レンズが表裏はげてたんだ~。しかもまだらに傷や剥げが交錯してて、太陽が出てたり、明るい照明があるときは目がいつもチカチカしてた…。新しいレンズはもちろんチカチカなど一つもない。快適~♪♪そうそう、今回びっくりしたのは視力!ここ何年も(15年)視力は同じだったし、今のメガネも息子が誤って踏んづけて作ってからまだ2年くらいしかたっていない。が、なんとそのときから度数にして5つもあがっている(上がるか下がるかよくわからないが)のいう。前回両目で0,8に見えるようにつくったメガネで、今はなんと1,2~1,5まで見えたほどに。結婚前0,05まで落ちた裸眼視力がなんと0,2になった♪乱視は少し進んで、近くは見にくくなって少し老眼になったかな、という状況だが、単なる老眼では説明がつかないほど近視がよくなっていると言うことだった。見えすぎて気持ち悪いでしょう、といわれたが、今まで1,5くらい見えていたのを1,0に落としたので、掛け始めの木曜日は、目が一生懸命今までのように細部まで見ようとしたらしく、半日もしないうちに疲れた。でも、人間の体ってすばらしい。あっというまに適応してしまった(笑)今までのメガネをそのまま予備にするにはチカチカがイヤだったので、前のフレームには一番安いタイプで同じ度数のレンズを作ってもらい、予備のメガネとして車に待機してもらうことにした。これ、、、近視が良くなったのはサプリメントのせいかも?いや、絶対そうかも♪飽きっぽい私にしては珍しく半年続いているのがただ一つある。パソコンで、いや楽天で遊ぶため(笑)に欠かせない、目にいいといわれるものである。頑張って飲み続けてるといいことあるんだなぁ。
2006年07月14日
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上川氏が的確ジャッジ 3決で日本人初の主審担当ポーランド×エクアドル(6/9)、イングランド×トリニダードトバゴ(6/15)、ドイツ×ポルトガル(7/8)、この3試合の威厳がありがながらも穏やかでにこやかな上川氏のお顔、忘れられません。→上川主審ら表彰へ=川淵会長マキシのゴール、’W杯ベストゴール’に選出ほ~ら見なさい。1~3位独占!(マキシは9位にも)これがこれがアルヘンティーナのサッカーなのよぉぉ☆☆(絶叫)
2006年07月11日
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掃除のとき教頭先生にいろいろ娘のことを訊かれた。朝、校長先生に抱きつけなかったところから既にご機嫌がナナメだったが、掃除をしていた時間は、娘が一番パニックになっていた。一番ひどいところをしっかり見てもらった感じだ。自分の手をかむ自傷行為で、タコだらけの娘の手。そうそう、これで親を脅してるのよね、お母さんはこういうとき反応しちゃだめなのよ、と。わかってはいるんだけど、外でやられるとやはり人の目を気にしてやめさせようと躍起になってしまっていた。このまま、これを改善できずに大きくなったら大変ね。薬をつかって押さえるようになったらそれこそ生活も改善できないわよ、と…。薬なんて考えた事なかったのでかなりのショック。まず自立した生活が出来るようにすることと同時に体を動かすこと。これは今からかならずやりなさい、と言われた。本当にここの子供たちも持てるパワーを全部使い果たしてドンドン疲れにくい体になっていくということだった。娘だけじゃなく、息子達もここで一緒に生活したらどんなに変わるだろう、と思わずにはいられなかった。徹底して体を鍛え上げる。そしてそのあとは作業実習。中学生のあいだはこうして子供たちを生活できる体に作り変えて行くように思えた。高等部の子供たちはあまり見学できなかったが、それでも紙箱をつくる作業をしている高1のクラスを見学できた。校長先生との面談では、娘のことを言うより今までどんなに大変なケースがあったか、という話や学校の施設が他にどんなものがあるのか、それらの建物が生徒達と先生で作り上げたものだという話、村の自慢なのは就職率の高いこと、それはなぜか、など、聞いているだけでも興味はつきなかった。生活から、足から、手から、子供たちを育てている。確かに体で覚えたことは忘れない。染み付くまで繰り返させ、それが力になるように思えた。それにしても、各学年一クラスに担任が一人。これが一番大変だと思われた。子供たちに何もかも担任が教えてゆく。こうして子供たちに寄り添う、ということはなんと大変なことだろう。一緒に走り、一緒に泳ぎ、一緒に掃除して、一緒に食事をする。先生の数が増やせないのが一番悩みだと校長先生は仰った。税金を使うなら、こういうところにつぎ込んで欲しい。しみじみ思った。朝の4時40分に起きてから7時間後、私達は光の村をあとにして帰路についた。最後のほうでは娘のまぶたは上下がくっつきそうでご機嫌も真横に近かったが、これで帰るとわかった途端に先生方に愛想良く挨拶。校長先生はまたいらっしゃい、とは言ってくれなかったけど(笑)私達はまたここに来たいと思った。夫を見学に連れて行くように説得したとき、はじめ、夫の答えは「見学だけだ。土佐は遠すぎる。娘を預けるなんて考えることもできない」というスタンスだった。私だって、家に娘がいない毎日なんて今だって想像できない。だけど今、帰ってきて夫と私の考えは変わっている。ただ、生徒数が限られること。先生に多大な負担をかけてしまうだろうと予想されること。(これはどこに行っても同じなのでなんとか少しでも改善したいと思っているが)娘の状態を実際に見て校長先生も牽制したと思われることを言われたこと。そして費用のこと。ネックとなることがいくつもある。多分入れない、というか断られそう…。そうそう、夫の気が変わったのは、子供たちの姿になにより感動したこともあるけど、もう一つ大きな要素がある…とみた。朝、ランニングする人たちを横に見ながら「まるで新幹線のない○○(地名)とそっくりだね」と私が言ったら、夫は辺りを見回した。何度見直しても、光の村のあたり、夫の実家の周りにそっくりに思えた。ただひとつ違うのは新幹線の線路が水路の横を通っていることだけど、山といい、緑の濃さといい、鳥の声の多さといい、水の美しさといい…新幹線の線路がまだなかったころの、夫の実家のあたりにそっくりだったのだ。けど、見学に行ってヨカッタ。まずは出来ることから。先生方だって頑張っていらっしゃるんだもの。私の気持ちが変わったのが一番の収穫だと思う。光の村の子供たち、本当に知的障害があるようには見えなかった。あれはかなり理想に近い。少しでも少しでも近づきたい。帰りは明石~鳴門ルートを通って帰った。一番びっくりしたこと、淡路島って島って感じが全然しなかったってこと。山もあれば平野も川もある。島っていうかなぁ。(終)
2006年07月08日
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体育館の中をクラスごとに2列に並んで走る。新入生はリズムがまだ慣れないからか、内側を一列で反対回りに走り、体調が不調な子や運動能力のない子が3人ほど、さらに中を歩いていた。途中で向きを変える為にS字になって方向変換。中の2列の子供たちは整然とその場足踏みで待っている。高3~中2までが全員方向を変えたあとで、中の2列も方向変換した。長い…!5キロを走るといえば25分?30分近い。娘がやっと見に来た。中に入りたがるので押さえていたら、いいわよ中に連れて行きましょう、と若い(?)女性の先生が体育館の真ん中に連れて行った。教頭先生でいらっしゃるとのこと。若いと思っていたのにお年を校長先生に聞いてビックリ!フルマラソンをこなすアスリート体型を前に、ぶよぶよの自分…恥ずかしかった。ランニングが終わるとお茶を飲んで、子供たちは風呂に入る。朝晩二度入るのが当たり前になっているそうだ。しかも、温冷浴法というのだろうか、冷たい水に1分、温かいお湯に1分、を4回繰り返し、最後に水に浸かってから上がるそうで、この健康法のおかげでここ何年もインフルエンザとは縁がないと校長先生は自慢げにおっしゃった。こざっぱりしたところで朝食とのこと。私達も大人の寮で食事をいただいて、もう一度8時に体育館に見に来て欲しいといわれた。朝食はパンとバナナとトマト風味の煮物にこんにゃくゼリーと飲むヨーグルト。パンはあの工房で作られたのだろう、ふっくらととても美味しかった。おかずもにんじん玉ねぎと野菜がたっぷりつかってある。しっかり噛んで食べるように寮母さんが声をかける。食べ終わったら片付けはしっかりマニュアル化されていて、これも当番が決まっていた。お礼をいって、体育館横に戻る。ここから教頭先生が案内をしてくださった。新入生の子供たちの掃除風景。まず掃き掃除。ゴミをちりとりにとったら、両端に錘がわりの瓶が巻きつけてあるゴムひもが登場。それは何組も用意してあって、壁のこちら側と向こう側にゴムひもが50センチくらいの等間隔で平行になるように置いていく。ゴムひもがまるでプールのレーンをわけるコースロープのようだ。そのゴムひもの間をしっかり奥から手前に雑巾を掛けていくことを教えられている。ある程度拭いたら雑巾を洗い、しっかり絞り、次のレーンに移る。拭き方の甘い子供の手に、先生が上から手を添えて一緒に拭いて体で覚えさせていく。全部を拭き終わったらコースロープならぬゴムひもを瓶に巻きつけながら回収していった。中1の子供たちが掃除したのは集会室みたいな部屋で、隣の体育館は体の大きな高校生たちが縦の長い一辺に平行に雑巾がけ。端から端まで雑巾掛けしたら、一度バケツで雑巾を洗い、しっかり絞ってまた体育館に戻る。一斉に掛けるのではなく、少しずつ場所を平行にずらして時間差で追いかけるので、雑巾掛けされなかったすき間などマッタクない。掃除が終わったら体育館で全校朝の会。全員が集まって朝の会が始まるまでのわずかな間、先生方が全員集まって夜間の連絡事項など引継ぎをしていた。その間、集まってきた生徒達は何を言われるでもなく、みんなで体育館の中をもくもくと歩いていた。娘はこの時点で中に一緒にいさせてもらう。スカート姿がめずらしいのだろう、兄ちゃんたちにちやほやしてもらって嬉しそう。親はかえってくっついてない方がいいから、と体育館の外からのぞく。ここでついに校長先生に抱きついた。となりの教頭先生が見ててくださるけど、ご高齢の校長先生に怪我をさせなければいいが、と気を揉む。朝の会が始まった。号令を掛ける係が一人壇上にたっているが、これも毎日当番が変わるのだろう。動こうとする生徒がいるのかもしれないが、そういう子には先生がすぐ横や後ろで注意している。娘が中で一人うろうろしているのがわかる…。朝の会解散のあと、そのまま体育館で、中学生の午前中は毎日体育。今日は体育館の中でマット運動とボール運動。(その間、私達夫婦は校長先生と面談をしていた)体育の後は各自マイ洗濯板とマイたらいを持って、洗濯室の流しで下着と朝のランニングで着たユニフォームを洗うのが午前中の日課だという。中1はやはりここでもしっかり洗濯の型を体で覚えるまで叩き込まれていた。しっかり洗って最後まで自分の力でで絞る。それが終わったら洗濯板の表裏そして周囲4辺とたらいを洗う。洗濯し終わったランニングユニフォームと下着をクラスの当番が終わった洗濯物を屋上に干しに行くとのことだった。(つづく)
2006年07月08日
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翌朝4時40分ケータイ目覚ましが鳴る。ここの寮は朝5時起床とか。姫もぐずらずに起き上がる。私のほうがネムネムだった。5時25分、部屋までお迎えにいらしたのはかなり年配のご婦人…ここの学校をつくられた西谷英雄先生の奥様で現校長先生でいらっしゃる西谷壽子先生だった。ここで人に抱きつきたがる娘の悪いクセ。でもかなりご年配で抱きつかれると校長先生の足元もあぶないので、ガード。ここは一本道の行き止まりにある。目の前に山がある。もちろんフィトンチッドの宝庫だ。鶯の声があちこちから聞こえる。多分、この道の両脇1キロ弱くらいがここ、光の村の敷地のようだった。脇に水路をたずさえたその道を挟んでいろいろな施設が並んでいる。学校舎(変形コの字)体育館と子供の生活寮、大人の生活寮が二つ、工場らしき建物が2つ3つ、プレハブの工房がいくつも…その中のお菓子パン工房が見学のスタートだった。一緒に外に出て、工房まで歩く。高1の子供たちがパン作りを手伝っているのをのぞく。付き添いの先生の指示にしたがってパン生地を同じ重さにはかって丸めている。娘に気が散ることもあるだろうに、ちらりとこちらを見ただけで、黙々と作業を続けていた。曜日ごとにグループで代わるがわる朝のパン当番があるという。表に出ると、この村に住んでいる大人の人がこの一本道を何度も往復しながらランニングしていた。毎朝の日課だという。こちらに気がつくとみなさん挨拶してくださる。水路を流れる水は山からの涌き水のようで、綺麗だった。砂利だらけなのが娘にはたまらない。しゃがみこんで動かない。夫に娘を任せて、私は校長先生といっしょに生活寮で今年入学した中1の子供たちの起床の様子を見ることにした。この生活寮の1階は水回りと談話室らしい。2階3階が寝室とのこと。今年の中1は7人みんな男の子。起床に手間がかかるので、上級生の起床時間より20分早い。先生方も3人が部屋に入って子供たちを起こしていく。入学して3ヶ月たつが、それでもなかなかベッドから起きられなかったり、タオルケットやパジャマをたたむのを先生から教わっている子が半分くらい、あとは言葉と指差しの指示で上手にたたみ、身支度をしていた。校長先生が今度は女子の部屋をみましょう、とおっしゃる。ぱっと見で10人くらいいたようにみえた。一人だけ中2で編入した子がいたが、やはり彼女をのぞいてあとの皆は綺麗にパジャマとタオルケットをたたんでいる。この子もあの子も重度ですよ、と先生はおっしゃるけど、この部屋で重度、軽度の違いはわからない。歴然とわかるのは中1の部屋よりも素早い身支度。それでもやはりこの部屋にも女性の先生が二人はいられて、身支度の小さな不備をチェックしている。靴下が先までしっかりはまってない、とかスポーツブラが曲がってるとか。下に降りると女の子が一人、寮に戻ってきた。何をしてきたの?と校長先生が聞くと、お茶の用意をしました、と答えた。校長は部屋へあがる彼女にご苦労様、と声をかける。今からランニングで、そのあと飲むためのお茶を用意するのも当番制という。雨が降ってきたので残念ながら体育館で走りますとのこと。夫と娘の姿が見えない。慌てて携帯で呼び出すと、ぽつぽつ降り出した雨の中、ランニングの人についていったので一本道のずっと向こうの方にいるという。ぼんやりと姿が見えた。体育館の中には続々と子供たちが集まった。みんなたくましい。毎日起床して朝5キロ走るのが日課だという。表で先に走っていた大人たちはこのランニングがすっかり自分の一部となっている感じなのだろう。(つづく)
2006年07月08日
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いざ、七夕の金曜日、着替えとタオルと寝間着をスポーツバッグにいれて、午前10時名古屋を出発。名神~山陽道に入り、倉敷で脇にそれる。ここから未知のルート…初めての瀬戸大橋。天気が曇りで海がよく見えないのが残念。ずっと空いてるのは平日だからか。普通の車はほとんどみえない。トラックばかりが通り過ぎる。いつも一番混んでいるときにしか民族大移動してないということがよぉくわかる。いわゆる児島・坂出ルートを通って生まれて初めて四国に足を踏み入れた。香川県にはいるとあちこちに見える山の形が不思議…ぽっこりお椀をふせたような形ばかり。地理で習った通り、あちこちにかなり大きな溜め池がある。そしていよいよ高知自動車道で四国山地横断。フォッサマグナ、造山運動、なんて言葉が頭に浮かぶ。この高知自動車道は半分以上が一車線の対面通行で、ジモティーらしき人が後ろにぴったりつくと落ち着かない。途中で姫のトイレに立ち寄ったのが立川PA(高知県)。目の前には山山山。何の鳴き声だろう、野鳥かカジカガエルか?美しい鳴き声が響く。フィトンチッドがそこら中いっぱいに漂っていたにちがいない。深呼吸しても排気ガスのカケラもわからない。夕方の濃い緑の中で紫陽花が薄桃~薄紫に咲き誇り目にあざやか…。PAの建物がまるでログハウスのようで、しっくり風景におさまっていた。夕食はいつ着くかわからないので要らないと断っていたため、途中、高知で高速を降り、高知市内で和食レストランに入った。○○御膳、のようなメニューを頼む。選べるメニューで、刺身と鰹タタキのどちらか、とあった。ここで鰹を頼まない人はいないでしょう~(笑) 美・味・し・い!!!姫には牛カツを食べてもらう。いざ!目的地まで12キロ。都会~な高知市から西へ向かう。夕闇がどんどん夜になっていった。それでも名古屋よりずっと遅くまで明るかった。夫は普段東京だから、もっともっと明るいと思っただろう。最後の信号を曲がり、あとは山へまっしぐら。暗い山道を通り抜け、学園前に到着。道はここで行き止まりのようだ。夜目にはあまりはっきり見えないが建物がいくつか並んでいる。車が数台あったのでその横に停めた。後ろから別の車が隣に停まり、職員らしき人が車からおりてきた。はじめまして。ようこそいらっしゃいました。お世話になります、よろしくお願いいたします。ちょうど泊まる建物の寮長さんが出迎えてくれたのだった。新しそうなキレイな校舎が並ぶ中庭を横切る。そこでちょうど食堂から子供たちが生活寮に戻るところに出くわした。みんな傘をもって一列になって移動している。みんながこんにちは、と声を掛けてくる。声が出なくても会釈をしていく。独りだけ、こんにちは可愛いね、と姫に声を掛けてくれた男の子、名残惜しそうだったのは家に小さい妹がいるのかな、と思った。さて、私達が泊まることになった寮はとても建物が新しかった。部屋にはトイレつきユニットバスと小さい流しがついている。隣の和室は親子3人で寝るには広すぎ…きっちり敷き詰めれば布団が20枚くらい並べられると思う。なにか目的がある部屋なのかも。建物も吹き抜けも全体に丸みをおびたイメージで、心安らぐ気持ちになった。さて、次の朝は5時半にお迎えに来ます、とのこと。この寮自体も全員9時就寝というので、私達も同じくらいに早めに就寝。しかし、姫は初めての場所で落ち着かない。なんとなく、建物の中の人たちの雰囲気からここが施設だということを敏感に嗅ぎとっているようだ。ずっと不安げな声を出して、なかなか寝付けなかった。夜中にも一度トイレに起きた。(つづく)
2006年07月07日
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昔、大学で教職課程をとっていたころ、一冊の本と出会った。今思えば出会ったわけだが、そのときは大切な出会いとは思えなかった。学研から刊行された『もうひとつの教育~~土佐・光の村からの挑戦』という本である(残念ながら今は絶版)。なんとなく覚えはあったものの、あの頃は単位をとるために、レポートを書くために、ということに重点がおかれていて、中に書いてあることも素晴らしいことだと思いながら、なかなかできることじゃないよな、とか大体土佐って高知県のどこらへんよ?と冷めた目で見ていた。それから約10年後、娘に障害があるとわかったとき、養護学校で教職についていた友人に助けを求めた。ここらあたり読んだらいいよ、と教えてもらった本3冊の内のひとつがコレだった。しかしこの時も、書かれているのは中学生、高校生だけど、それはずっと先の話だからまだまだ、と高をくくっていた。そのあいだにも末っ子として甘やかすだけ甘やかしたツケが姫にまわっていく。私は姫の可能性を心の奥底で信じていなかったのだと思う。何度も繰り返し教えなくてはいけないと分かっていながら、根気負けしていくことが多々あった。だんだん可愛い子供のやること、では済まなくなっていくというのに…数ヶ月前、もうすぐ娘も小学校の最終学年になろうかというころ、愚痴のはけ口の楽天広場で実際にそこに関わっている方のブログに出会う。思い出した、あの本だ!大切な部分が抜き出されてて、再度、いやもっともっと衝撃を受けた。『地球で一番熱い学校』中に書かれていることは耳が痛いことばかりだった。惹かれながらも、自分の娘に対する姿勢があまりにお粗末過ぎて、恥ずかしくて書き込みできなかった。それでも気になってちょくちょく読みに行った。「見てみたい。」が「どうしても見てみたい。」に変わったのは今年のGWあと。実家行脚で大声を出す姫におびえる甥や姪をみたとき、このままじゃいけない、と泣きたくなった。どうしたら変わるのか、せめてなにかキッカケがつかめたら…!勇気を出して書いてあった番号に電話をする。今までダイヤルしたことのない市外局番。年配の女性が出た。見学希望の旨を伝える。先方の都合と照らし合わせて7月8日に決まった。朝から見たいのであれば、前日にお越しくださいとのこと、ぜひお願いします、と電話を切った。予約をしてから慌ててどうやっていけばよいのかネットで検索する。飛行機。新幹線&特急。車。結局一番時間がかかるけど、一番安上がりな車で行くことにした。夫に絶対休みをとってね、と頼む。本棚にあった本のことを言っても始まらない。私も一字一句おぼえるほど読んでないし、夫はこの本が本棚にあることも知らないだろう。とはいえ、夫もこのままじゃいけないという気持ちがあったのだろう。私のつたない説明で、お伺いはすんなり通った。(つづく)
2006年07月07日
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アルゼンチン、PK戦負け...こんな検索してだれもがわかるようなこと書くのはやめやめ~。母の添い寝が必要なドビー。しかし、夕べは自分が撃沈するのを恐れて、ついに2階にあがらなかった。ドビーは私につきあって、居間の座布団の上で沈没。ここから息子たちが言う恥ずかしい応援。え~い暴露しちゃえ。やけくそだ~!!力がはいるところでは自分も飛び跳ねる。スタジアムにいるように一人ウェーブする。しょっぱなから『ある!へん!てぃな!』と叫ぶのはかろうじて我慢したつもり。(だが、無意識に叫んでたかも?) 飛び跳ねるのに飽きるとその場腿あげ。よく選手が試合前にアップするときに高速でやるアレである。そのうち疲れてどっぷりクッションに沈み込み、その場で腹筋。セットプレー(フリーキックやコーナーキック)になると座り込んでいられなくてその場でズダダダダダと腿あげ。ハーフタイム、緊張が切れたけど、頭が回転していない。(くもさんちの掲示板にある文章がすべて。)アジャラのヘッドが決まった時は姫が起きた。次に姫が起きたのはドイツのゴールのあと。一度はクッションに倒れこんだけど、そんな暇ない。あと10分だから、と聞こえるはずもないのに、腕ふりあげて『あるっ!へんっ!てぃなっ!!』腿あげ、そして腹筋。やっぱり言ってた。憎らしいことに解説で試合中得点あげた選手がPKはずすって結構あるんですよね、なんて言われた途端にその通りになる。怒りの矛先は解説者に向かう。とばっちりはドビーに向かう。その場足踏みして起こす。おねしょ予防の寝る前のトイレに行っていなかったから、トイレに連れて行き、2階の布団に押し込む。半泣きドビーも睡魔には勝てずに上で寝てくれた。試合については…アボンダンシエリ(キーパー)の怪我が痛かった。…あれさえなければ。今は何をいっても結果論におわるけど。某国営放送で特集番組をみてたから、バラックには頑張ってほしいと思ってた。けど、敵となったらやっぱり気持ちは別。笑顔がにくらしい~悲しいことにあまりの興奮でビデオセットするのを忘れてた。もういい。さっき再放送を見直した。レーマンPKのときかなりちょこちょこ動いてるじゃん!(蹴るまで動いちゃいけないってのはルールからはずされたのかな)これが開催国の地の利ってこと?くやしいいいいいいい。もう応援したいところもあまりない。ないわけじゃないけど、チーム力が今ひとつ。私のW杯は終わった。あとは野となれ山となれ、で冷静に観られると思う。_________________夕べ、というか今朝未明。失意のうちに茫然としてた。チャンネルそのままにしていたら、ウィンブルドンでヒンギスと杉山の三回戦。これは手に汗握る好試合だった。杉山の諦めない姿勢に励まされる。そして最後、ヒンギスを打ち破った笑顔になぐさめられた。イタリア戦も観て、今日は一日ボケ~っと過ごす。太ももが筋肉痛だし。
2006年07月01日
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