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今日はPTA関係の全県会議に出席のため、姫をデイケアに預け、母友三人を車に乗せて知立まで片道一時間ちょっとのドライブ。車内での話題は次の広報誌の記事のこと、そして今日のニュース、内閣支持率が歴代ナンバー2だったということへの驚き(&怒り)。メンバーが養護関係だけに怒りの矛先は孤立支援法(←琉球新報社説・フリーページにもアップ)へ。騒いだわりに中味が全然はっきりせず、施行後もバタバタだった自○支援法。すでに施設としても立ち行かなくなり閉鎖した作業所や、賃金の倍以上の自己負担が払えず作業所をやめる人もあちこちで続出という話を聞く。あまりに負担が大きいから気の毒だと負担軽減の措置をとる自治体もあちこち出てきて、この法律を制定するときの、自治体間の格差解消という理由に逆行する事態となっていることにもマッタク怒れる。さて、児童の方もいよいよ10月からあれこれ変わるらしい。それについて、区からサービス内容の変更願い用紙が土曜にトップバッターで届き、続いてほのぼのさん(短期入所施設)から昨日電話がきた。10月からは日帰り短期入所は受けなくなりました、とのこと。今までは放課後から夕食まで頼むと2分の一日扱いで預かってもらえたが、日帰り廃止ってことは、必ず泊まらせなさいってことよね。少ないパイの取り合いになるのは必至だ。小学生のうちは放課後デイケアがあるが、中高生を預けようと思ったら今はまだほのぼのさん以外の施設が無いに等しい。これからそういうサービスはマッタク無くなるのかしら。ウチの姫に許された短期入所は月4日、実質二泊しかできないってことかぁ。来年中学生になったらデイケアもなくなる上、移動支援時間も大幅に削られてるし、役員引き受けた中高生のお母さんはPTAとして出なくちゃいけない県関係、市関係の会議のたびにお泊りさせろってことかしら。そしてきょうだいの用事で学校いくのは諦めろということかしら…。(これが中学で役員を引き受けられない理由になるな、、、なんてことを考えたりする卑怯な私…)結局は福祉サービスを使うな、抑制しちゃるってことに尽きる。(フツフツフツフツフツフツ……)←マグマの音。『憤!慨!』明日、あの用紙持って文句言いに区役所へ行くわ!(怒)(怒)私も!私も!私も!………道中も帰りのお茶も、話題はこれ↑ばかり。気持ちがすっきりしない一日だった。
2006年08月29日
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ここ2年ほどご無沙汰してたが先日久々に注文…いつも味噌味(一箱30食)だ。外袋はお洒落になり、内容量もいつしかそこらの袋麺と同程度。腹ペコ狼お助けメニューだった頃の面影はどこへ…。でもクロレラ麺は健在♪台所にしまうと小麦粉らぶの姫が乾麺のまま食べてしまうので、隠し場所に悩む。どうぞあそこが姫にみつかりませんように~(>人
2006年08月28日
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8月6日~14日までまとめてアップした。いや、ずっと書いていたのだが、肝心のアップしようという時に限ってペン太たちにPC席をとられたり、夫が珍しく水曜まで名古屋勤務だったりしたもので、ついつい書き溜めてしまったのだった。とりあえず、記録としてアップ。ホッとする。ささ、今日はドビーはデイケアだ。ペン太もペン次も学校だし、私は小学校へ図書室おばさんにでかけよう。
2006年08月24日
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いままで8時めざして9時出発、ということが多かった。今日は激混みだろうと予想して、6時めざして7時出発、を目標にした。義母は早くからおきて、ご飯とおみおつけを作ってくれた。お土産もたくさん…今年は米が余ってるから沢山持って帰れ、といつも30キロのところ、倍の60キロの玄米。義父のつくった小玉スイカ(ラグビーボール型)二つにスイカ大好きな嫁(=私)は狂喜乱舞。きゅうり、オクラ、ゴーヤも持たせてもらった。変わりどころはペン太自身のお土産。冷凍庫にしまってあった昆虫だ。部活で標本にするのだ、と死んでしまったカブトやクワガタ、セミなどをちり紙でふんわり包んでタッパーに冷凍保存していたのだった。こんなもののためにクーラーボックスや冷却剤を使うつもりはなかったのに~。道中は最後の方で途中事故があったものの、それまではとても順調に進んだ。かなり日が残っているうちに家についた。昨年のGWにも思ったが、やはり早めの出発が大きな鍵のようだ。3年ほど前の正月の九州道全線通行止め(雪と凍結のため)から始まった地獄の20時間(正しくは19時間40分)が夢のよう。やっぱり、絶対早めに出発しようね、と夫と話し合った。
2006年08月14日
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毎年子供も私も楽しみにしている盆踊り本番。ここ14年で踊らなかったのは一度だけ、同じ町内の義父のすぐ下の弟にあたる叔父が亡くなったあとの初盆だ。いつかは「その日」が来るのかもしれないけど、できるだけ義父母には元気で長生きしてもらって毎年踊っていたい。小さい時から盆踊りといえば広場に提灯が四方八方つるされて、真ん中にやぐらが立ち、そこで和太鼓がたたかれて、みんなで二重三重の輪になって踊るものだった。その常識はそれこそ14年前、この地で初めての盆踊りに1歳のペン太と初参加したとき、覆されたのだった。ここの町内会の初盆の家々と、一本の短い道路の端と端に向かい合って建っている二軒のお寺。それぞれの庭先で踊るというのだ。その庭先に入るときと出るときにもかならず同じ決まった踊りがあって、それを子供の背の小さい順に一列に並んで踊りながら輪を作っていく。出るときは元の入ったところへ一列になって出て行く。初盆の家が7軒、寺と合わせて9軒踊らないといけなかった年が1度あって(私が踊った中では最多)、そのときは13日、14日と二日かけて踊り、くたびれかえったこともあった。逆に一軒も初盆の家がない年があって、そういうときは区長さんの家と寺2軒を回ると決まっていたのだが、その年、よりによって義父が区長だったため、準備におおわらわだったこともあった。昔は一箇所で4曲。初めの年はダイエーホークスの若鷹軍団はレギュラーになっていなかった(笑)その後、ペン次が生まれた梅雨入りも梅雨明けもなかった米凶作の’93年、いざゆけ若鷹軍団が新曲となって、それ以降レギュラー曲に加わり、今では一箇所で5曲踊っている。…でも最近踊り始めた人の感覚では入りと出の2曲も加えて7曲、と思うらしい。5年ほど前、青年団が解散するまでは、毎年10日ごろに花折り用の薄紙と提灯用の巻紙(わら半紙が二枚横に並んで貼り合わせてある)を宿題として子供たちが持ち帰った。赤、青、黄色の紙の花を各自20個くらい家で折り、青年団がそれを受け取り、5枚重ねの紙を交互に広げて紙花にする。その紙花は花笠となり、やぐら代わりの大きな投光器&音響装置をつけた軽トラックの飾りとなった。また、練習のあと、ちまちまと子供の数プラスα、割り箸のような細い木で作った四角い提灯の枠に子供たちが絵を描いた巻き紙がくるりと貼られて、ロウソクを差す釘が枠を支える支柱の真ん中に打ってあり、吊るす部分は針金が簡単にとりつけてあった。寺が向かい合っている100メートルくらいの道の用水路沿いに、この子供の絵のついた提灯がずらりと吊るされて、寺での踊りの直前になると中のロウソクに火が灯された。毎年、踊り終わって自分の書いた絵の提灯を持って帰るのが子供の楽しみだった。あの光景は写真かビデオに撮っておくべきだった、、、。青年団が解散してからは、提灯作りがなくなってしまったのだ。紙花の宿題もかなり数が少なくなった。軽トラの飾りはプラスチックの花になってしまった。________________昼過ぎ、あれこれと荷物の整理を始めた。明日の朝、早めに帰るつもりでいたので、盆踊りの前に買い物もすませないと…。夫は義父のかわりに親戚の初盆参り。お土産を買いにいったものの、私の行ったスーパーではペン太リクエストのお菓子は見つからなかった。他の店にも回れば見つかっただろうが、初盆参りの車であまりにあちこち渋滞していたので、今年の夏は諦めてもらうことにした。小倉か博多の駅に寄れば絶対見つかるのに…車じゃ仕方ないなぁ。全員のゆかたの丈は一週間前に義母がチェック。ついにペン次が子供用を卒業。夫の昔着ていた浴衣を着ることになった。今年の町内の初盆の家は4軒、プラス寺2軒。ギリギリ一日で回れる軒数だ。今まで、夫が小さい頃から盆踊りのシメはお寺2軒だった。が、思えばもう提灯もないし、明るいうちに盆踊りして許されるのは寺じゃろう、ということで今年はじめて寺2軒が最初になった。多分これはこの先も続くに違いない。そして盆踊りの最後の家で踊り終わるのが12時近くなることももうあるまい。なんたって7時半までテニスの球が戸外で見えるくらいだから、毎年始まりが7時だったのだ。一時間早く6時から回れるようになったことで、役員も、回ってもらう初盆のお家の方も、あと片付けの負担がかなり減るものと思う。夕方5時半公民館集合、に間に合わせるため、子供たちを4時半から着替えさせる。本当は4時からのつもりだったのに、前夜の疲れが残っていたのか、昼寝をしたら大人たちの方が爆睡してしまったのだった。帯結び、自分ひとりで結べるのは文庫か変わり文庫くらいしかないが、文庫系はちょいと年に似合わない。結局私もMちゃんも貝の口を義母に結んでもらった…。来年は全部自分で結べるようにならないとなぁ…だけど、義母の着付けは最後まで帯が崩れないのだ。そのため、ついついこちらもお願いします~と頼んできていた。思えば義母ももうすぐ○○才。甘える私たちがどうかしてたな…。ドビーは一番に着せようと思ったのに、どうしてもゆかたを着たがらない。仕方がないので、甚兵衛の上に赤い兵児帯を締めて、それでよしとした。それでもカワイイ♪と思う親(バカ)心。ほかのみんなもゆかたを着て、ドビーは父と出発~のはずが、やはりみんなと行きたいのか動かない。結局子供たちみんな車に乗り込んでドビーは助手席に座ってもらい、ちゃっと出発。忘れ物とるふりして従妹たちに降りてもらった。ゴメンね、ドビー。おとなしく見学するか、一緒に踊るかが出来ないと、みんなに迷惑かけちゃうから…ね。夫も私がここにいる間、踊りではじけるのを知っているので、いつもドビーのお守り役を引き受けてくれる。ありがとう☆☆そして私が踊りに出るのに義父母も大賛成してくれるワケがある。実は…地元の青年たちも子供の頃から踊っていたわけではない新曲だった若鷹軍団、同じフリの繰り返しではなかったので、次の年に踊ろうとして完全にフリを覚えていた大人は私だけだったのだ。だって、あのときは雨続きだったから、応援歌を歌いながら子供たちと一緒に座敷をずっと回っていたんだもの。それからは、◎◎さんところの嫁さんがダイエーホークスを教えてくれる、という噂が夏になると毎年この地区に出回っているらしい。昨年は帰省しなかったものだから、あんたがいなくて困ったンよ~とあちこちから声をかけてもらえて、覚えてもらっていたのが嬉しかった。今年は小さい子も多く、初めてのレギュラー曲の練習でえらそうに掛け声かけてしまった…。今年の子供たちの移動はバタンコ(軽トラ)一台でおさまった。そのくらい小学生が少ない。幼児のうちは上(○○=地名)だけ踊る、下だけ踊る、と6軒もあると全部回ることはあまりない。時間があとになるほど踊り子隊のメンバーも少なくなるのが常だが、今年は最後に大きな家が控えているのでみんな頑張れ~と檄がとんだ。ペン次はバタンコの荷台でペン太の同級生の男の子と子供たちを見張る役、ペン太は図体が大きすぎるので、太鼓を運ぶバタンコで、青年のお兄さんと太鼓一式を運ぶ役となった。毎年子供たちをみてきた大人はいきなりオジサン仕様になったペン太や一年で10数センチも背が高くなったペン次にびっくりしていた。Mちゃんと私は義母と一緒に婦人会役員をしてらっしゃる義母のお友達の車に乗せてもらう。盆踊りのときは小回りの利く軽自動車が便利だ。それからあとはただただ夢中で踊る。初盆の周りの家々から、踊り子隊にお祝儀(御花=おんはな)が渡されるので、それを初盆の家かの方やお寺さんがとりまとめて渡してくれる。踊りの曲の合間に、「おんはなおんれいもうしあげる~」とマイクが入ると踊り子隊は拍手。○○さんから御花いただきました、と隊長が封をひとつひとつ読み上げ、そのたびに全員でありがとうございました、と頭をさげてお礼をいい、また次の封を読み上げている間は拍手が続く。初盆の家には親族が集まって、その人たちも御花を出すので、多い時は20軒分くらい読み上げることもある。そのあいだずっと拍手するのが踊り子隊は大変なのだが、ずっと太鼓も鳴らすので太鼓係りはものすごくキツイ。全部踊りが終わると、スイカやビール&おつまみ、子供にはジュースやお菓子などが振舞われる。汗だくになるので、化粧は初めからしていられない。最後のお宅でペン太は初ビールをすすめられ、二口体験して、甘い酎ハイのほうがいいな、とぼそっとつぶやいた(笑)そんなこんなで一軒につき40分~50分。移動時間はその年々で違うのだけど、今年は歩きが多く、効率がいい方だった。◎◎家の孫たちもみな大きくなって、途中で引き揚げることがなくなった。ペン太は最後のお宅で、憧れの真ん中の輪に初めて自分から入っていった。青年&元青年で構成される真ん中の輪は掛け声もひときわ大きく、手足の振りもわざとらしいほど大きい。とにかく威勢がよくて、子供たちの憧れだった。全部踊り終えたときに今までは泣きごといってたHちゃんが、小さい子たちをねぎらっていた。恥ずかしがって来年は踊らないかも?女の子は、中学にあがると姿を消してしまう子が多いのだ。そういえば、あの頃青年だったみんな、いいお父さんお母さんになって、その子供たちも早いことに来年は小学生だし、子供たちがほんとに大きくなったことをあらためて実感。私いつまで浴衣で踊れるかしら…と思う。気持ちは全然変わらないのにな~家に戻ったのが11時ちょい過ぎ。それから順番に風呂に入り、ご飯を食べた。食べたい?と聞くと腹減った~!と言うんだもの。精進の煮物をあれこれ食卓に並べると、子供たちは食べる食べる。ペン太はこの時間でもご飯のおかわりをした。だけど…すっかり出すのを忘れてたのが一つ。おきうと、食べ損なってしまった…。
2006年08月13日
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1度水洗いしたおきうと草をもう一度干して、かぴかぴに乾いたら、、、ちぎって鍋に入れてひたひたになるまで水を入れる。あとは焦げ付かないようにずっとグルグルかき回して煮溶かす。その間、約15分。大体溶けてきたら、市販のものはここで笊などで漉して口当たりをよくするのだが、夫の家はこのまま固める。濡らしたバット3枚にそれぞれ1.5センチくらいの深さに流し入れ、常温で固まるのを待つ。心太よりちょいと天辺(バットに流しいれたときは底の方)がぼそぼそするのだが、すりゴマがあるとほとんど違和感を感じない。 大体一センチ幅くらいに切って、ネギとすりゴマをたっぷりのせて醤油か酢醤油をたらすのが実家のスタンダード。仏様への精進の御膳に供えるときは真ん中の器に合わせて小さめに切る。写真でいえば左下のところにご飯を添えればOKという手前でパシャリと写し、そのあと完成形を撮るのを忘れてた…(^^ゞお客様にお菓子の代わりにお茶と一緒に出したり、つまみとしてビールと一緒に出したり、とにかく出番の多い一品で、いつも送り盆のあとに残るまで、バクバク食べたいのを我慢するのであった…。
2006年08月13日
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もう一度釣りたい、とずっと言っていたペン次。従妹のHちゃんも家に帰ると騒いでいたのに、海釣り公園へ行くときいて翻意。もう一晩泊まって一緒に海釣りへいくことに決めた。ふだんここまで寝坊するか?と思うほど起きる時間の遅い姪っ子二人がものすごい早起きしたのに…思えば夕べの最後の練習のときから様子がおかしかった。おでかけが待っているというときに限って、いつもペン次が前の晩から熱を出す。気持ちが悪い、吐きそうなどといって寝たが、朝になっても熱は下がっていなかった。これは病院へ行かなくちゃ、と海釣りは残念ながらお預けに…。ところが一番海釣りに行きたかったのはペン次である。初盆参りがたくさんあるので、父が行けるのは今日しかない、と知っていた。絶対行きたいから、と朝からトマトを丸ごと一個。食べ終わった後、熱を4分下げ、簡単なおみおつけとごはんを食べ終わるとさらに2分も下がっていた。セーシンリョクで熱が逃げてったらしい…人騒がせな!絶対釣り行くからね☆とはペン次本人の弁である。仕切りやの義父は本家の長男という立場。弟の初盆だからと、私が知る限りで盆正月通じて初めて泊まりで出かけて家を留守にした。夫の叔父が建てた家はT葉県にあって、兄弟そろって飛行機に乗って初盆参りに行くという。夫は義父を高速のバス停まで送って、その間に私は今晩のBBQに必要な材料を調達することになった。義父もいないし、Mちゃん夫婦は同期会があるけど(高校の同級生夫婦なので)、もう今日しかないから絶対BBQするからね、という義母のお達し。さすがお盆直前の12日。町内にインターチェンジがあるせいだろうか。事故あり、工事あり、大渋滞あり、で買い物に行くのにもノロノロだった。やっとの思いで買い物を終わらせ、ダッシュで戻る。ご飯を二口押し込み、今度こそ子供たちの待っていた海釣りに出発(運転は夫)。やはり道が混んでいたが、海釣り公園についてみるとあまり人けがなかった。釣れない時間帯だったのだろう。初めの30分は糸をたらしても魚はマッタク掛からず。諦めかけたときに潮の流れが変わったらしい。前回の釣果の半分くらいだったが、初めてのHちゃんは大喜びだったという。うんうん、そうでなくちゃね。そうやって喜んでもらえたら、待ってた甲斐もあろうというもの。私とドビーは先日と同じように浜で遊んだ。今回は小さい子がわんさかいたので、波に驚いて泣いたりしたとき、ドビーが危害を加えないように(泣き声大嫌いなので)…と私も膝まで水に浸かって彼女を追いかけまわした。防波堤に囲まれた500メートルくらいの浜をニ往復半。とても下半身が鍛えられたと思う…帰りはさらに混みこみになった高速。博多を抜けるまではのろのろだったが、なんとか保育園の最終お迎え時間ギリギリに駆け込み、甥っ子Eくんを拾って戻る。今から火を熾せと?ただでさえ着火剤ナシで苦労すると思われた火熾し、炭が湿気てたせいかさらに時間がかかり、後ろからツバメの子たちの腹減った~の大合唱。ペン太が怒鳴る。うるさい!おまえたちも用意手伝え!今回の帰省で、ウチの息子達がかなりお手伝いをすすんでやる部類に入ることがよくわかった。ドビーにカリカリしてる母にまかせちゃおけない、という普段の生活のおかげかも。そして私の買出しは絶対バッチリだと思っていたのに、実際BBQが始まるまで、紙皿と紙コップなんて忘れてた。今までこんなこと一度もなかった…。やはり義父は偉大だ(用意周到、という言葉がぴったり)。とにかくあるもので済ませなくちゃ。大人は缶ビールと缶酎ハイだったので、子供たちの普段使いのプラコップに、同じく子供用のプラ食器にアルミホイルをかぶせたものを用意した。火がついてからはおおわらわ!肉!ソーセージ!肉!野菜!焼きそば!肉!焼きおむすび!もうあらかた自分達の分は食べ終わっちゃうよ~という頃、やっと隣町の義妹Tちゃん一家が到着。9時半ごろだった。焼き方は、この春から大学生となったKちゃんとペン太の2人に任せる。オチビたちがどうしてもみんながいるときに花火をやりたいというので、もう遅いから音のするのは×ね、といって小さな手持ち花火に限ってOKした。ふとペン太が空に花火が見えたという。もう夜の10時過ぎなのに花火なんてここらじゃやらないって。あ、また見えた!なんてこと!流れ星だ、忘れてた!お盆といえばペルセウス座流星群!そこからはバタンコ(軽トラ)の荷台に寝転がる特等席の取り合いとなる。私は3つしか見てないのに子供たちは10個見た、8個見た、と憎たらしい。12時過ぎてもBBQの火がついてるなんて、義父がいなかったから出来たことかも…(笑)ちょうどシンデレラで戻ってきたMちゃんとNさん夫婦はまだ食べてる~とビックリしていた。夫とTちゃんの夫Jさんはあらかた食べると涼しい部屋にこもり、テレビをみながら飲んでるうちに、横になって2人とも寝てしまった。Jさんも仕事帰りだものね。洗い物はあらかた片付けあとはBBQセットだけ。これは明日の朝だ。おきうと練りも明日朝一番にやらなくちゃ。Tちゃん一家は1時半に帰っていった。Hちゃんも一緒。明日はゆかたを着せるころにTちゃんが送ってくるという。お土産のケーキ美味しかった、ありがとう。帰り気をつけて☆☆
2006年08月12日
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エコーでみたところ全部異常ありませんね。心電図も異常なし。血液なんてまったくキレイなもんです。ありがとうございます。今の食生活が野菜タップリなので、それが効いているんだと思います。ただね~胃カメラの結果がね。はあ?胃炎の組織をとったらリンパ球が多いんです。慢性ということなんです。これがそのうち潰瘍になっていくので、早めに治したほうがいいんですが、胃炎のできる心当たりは?あります…それは何か聞いてもいいでしょうか。娘です!昨年秋くらいからかなり凶暴になってきてるんです、その娘が帰省中の夫の実家の調度品を壊さないか、家を破壊しないかとずっとずっと追いかけ回してます、義父はA型なので、家が片付いてないと気がすまないし、名古屋の家は窓も壁もいくつも叩き壊した娘なので…あ、それとですね、こちらの実家も食事にあれこれ手作りというか手をかけるおうちなので、慣れない台所であれこれ用意しようとしても、冷蔵庫に何がどこに入ってるかも分からないで、とにかく一日中台所に釘付けなんです、娘を息子達にみててもらっても全然時間が足りないんです、それとですね、◎◎☆☆××○○△△◇◇!!(repeat)(repeat)(repeat)(repeat) ~以下略~あはは(乾いた笑い)…、もういいですよ、わかりました、それは大変でしたね。とりあえず、また暮れに帰省されるのでしたら、そのとき時間をとってもう一度胃カメラ飲んでみましょう。無理なら3月あたりに名古屋で飲むようにね、紹介状書きますから。ええ?もう一度胃カメラですか?もうあと4,5年は飲まなくてもいいだろうと思ったのに…この慢性ってのは、積み重なるとまずいんですよ。次の検査で良くなってたら安心ですが、胃カメラはもう毎年飲んだほうがいいです。わ、、わかりました_| ̄|○ _____________________医者からの帰り道(往復とも義父の軽トラで送ってもらったのだが)、そういえば毎年コレに乗りたがるのに今年は乗ってないな、と義父が言う。私の周りでミッションで走る車はこれだけなので、帰省のたびに買い物などに行かせて貰っていたのだった。前はもう一台車があって、この軽トラは農作業などでしか出動していなかったのに、今年は車が1台少なくなって、軽トラは義父が毎日乗り回してるので、それに乗りたいとは言えなかったのだった。ほら、久しぶりだろうから、隣にいたほうが安心だ、運転してみなさい、と席を替わってくれた。(実は一昨年もいきなりエンストしたので)なぜか初めて教習車で外に出たときみたいな気分。心臓バクバクでハンドルを握った。あれれ、すっかり左足の踏み込むタイミングを忘れてる。エンジンブレーキがこんなに効くなんて~。それでも3回くらい角を曲がったころにはすっかり思い出せて、安心した。お義父さん、最後の5キロ、運転させてくれてありがとう♪最後の盆踊り練習は外で本番さながら。ドビーが先頭のお姉さんにぴったりくっついて邪魔をするのだが、本番の日は可哀想と思いながらも、踊りにいくのは初盆参りと同じ。彼女を参加させるつもりはない。毎年、アイスをもらえる練習だけはばっちり参加のドビーであった…。終わってから、バタバタしながら子供たちを風呂に入れて、さっさ寝かせる。今から夫を出迎えに小倉駅まで行くのだが、都市高速はフクザツだから間違えたらいけない、とMちゃんの旦那のNさんがついてきてくれることになっていた…と思ったら、そのNさんが私をのせて車も運転してくれることになっていた。ウチの車は図体がでかいから、ガソリンも喰うだろう、たった2、3人じゃもったいないし、Nさんは普段から北九州あちこち運転してるので、慣れてるから任せておきなさい(義父の弁)、ということだった。普段は仕事が忙しく、なかなか話すこともないTさんだったが、この夏は虫取りに夢中になってる顔を見られた。この道中で、元々Nさんは大阪出身で高校からこちらにきたということや、今の仕事のこと、私の田舎が義母の里と同じだということなど、お互い知っていそうで知らなかったことがわかってちょっと安心した。2週間ぶりの夫、このお盆はドライバーの仕事ばかりだ。ともかくお疲れさま、お帰りなさい。
2006年08月11日
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洗って、笊にほぐしながらゴミ(貝殻虫や紛れ込んだ他の海草)を取り除き、、、(これがそのゴミ、皿の直径は10センチほど) ふたたび干す…色が海にあったころのように美しくなった。完全に乾いたらいよいよ明日12日はおきうと練り。
2006年08月11日
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洗う前。完全に乾燥した状態で100グラムもない感じ。
2006年08月11日
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姪っ子Hちゃん(小学5年生)は一人で泊まりに来ている。私達が帰省してから彼女がいなかった夜は二晩だが、4日泊まっては家で1日、すぐまた泊まりに来るのである。彼女の家まで車で30分だが、どうしても家に帰りたくなってしまった。練習全部に出席するのと休むのとではご褒美に差があると知って、絶対全部出席する、と息巻いていたのに…。あと一日泊まって金曜の夜が最後の練習なのに、帰るカエルうちに帰る~といってきかないので、とりあえず一息入れようといとこ達も全部動員して彼女の家へ顔をだした。彼女の兄姉は年が離れてて、部活などで忙しくもうここ何年も盆踊りは参加していないが、その上二人も今日は家でまったりしているというので、久しぶりに顔を会わせたい気持ちもあった。お昼は元々外で食べる予定だったが、Hちゃんはもっと家にいたいというので、近所のほっか○か亭でお弁当を買う。大好きな猫たちに会えて、落ち着いたようだった。母猫と子猫4匹。世話をするあちらのお義母さんは大変だという。小さいうちに、そしてこれ以上Hちゃんの情がうつらないうちによそに貰ってもらえるといいのにね、、、。ペン太とペン次はKちゃんと一緒に久しぶりのテレビゲームをして大満足。家に戻って、猫たちを抱っこして、そうだった、ご褒美が多いのをめざすんだったと思い出したらしいHちゃん。無事に一緒に戻ってきて、一件落着…。(いや、義妹Mちゃん一家のプライベート部屋に転がり込んでるので、Mちゃんたちの苦労は続く…)
2006年08月10日
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朝4時起床。予定は4時45分だったのに、なぜこんなに早いかというと、久しぶりにおねしょの失敗のため。もぞもぞしてたのに、となりの私も起きれなくて、やっと目がさめたとき、姫は我慢の限界をこえてしまっていたらしい。あとで聞くと、寝る前にスイカを食べたらしい。夜のスイカはかなりの高確率で失敗する。今日からはみんなと騒いで遅くならないよう、早く寝なければ…ただでさえ確実に起きるのが遅くなっているのに、盆踊り練習がそれに輪をかけるのだ。毎晩おねしょシーツを敷いているので、とりあえず被害はパジャマのズボンとパンツとシーツ、タオルケットがわりのバスタオルのみ。でもついでに洗濯機を一回でもまわしておこうか。4時15分ごろ、車の音がした。近所の体育委員さんが出かけたらしい。今日はなんとここの中学で公開生放送のラジオ体操がある。各自治会や青年団、婦人会、子ども会など、出席するように要請があったという。体育委員さんは4時半集合だったと聞いた。多分前の日から準備が忙しかったことだろう。さてさて。5時ちょっと前に義母が起きてきた。ペン太とペン次をたたき起こす。…が、夕べの盆踊り練習の帰り道ずっとドビーをおんぶしたというペン次は腰が痛くて行けない、と泣き出した。言いたいことはあれこれあったが、今は時間がないのペン次は残して、姪っ子二人と義妹のMちゃんと義母とみんなで車に乗り込んで出発。(5歳の甥っ子はどうしても起きなかった…)臨時駐車場として、市役所支所(元の町役場)や幼稚園、農協など、町の中心部のあちこちが開放されている。校門と校舎の間の広場にテントがいくつも設けられ、記念品が配られた。中身は浴用タオルとウェットティッシュと団扇。一昨年までは高校だったので、グラウンドもかなり広い。体操してもぶつからないよう、立ち位置が全部グランド用石灰であらかじめポイントがつけてあったのだが、その数が半端じゃなかった。朝の6時15分の時点で1570人が集まったといっていたが、空いているポイントがかなり残っていて、2000人、いや2500人分くらいはあったのかもしれない。私とドビーはグラウンドの端の方で待機して、とにかく他の人の邪魔にならないように、一番後ろについた。ちょうど朝日が昇ってきたところ。やはりこちらは日の出が遅い。さんざん待った気がしたが、やっと6時ぴったりに挨拶が始まる。市長、NHK北九州の局長、郵便局長、これまた退屈でさらに辛い。そのあと、6時15分になって指導員の方が2,3、放送における注意事項を説明した後、しっかり準備運動をさせてくれた。いざいざ本番。姫は第1はなんとか一緒に手をもってやったものの、第2まで我慢できず、ついに足元の砂利を扱いだした。指導員の方には申し訳ないけど、どうせテレビには映らないだろうから、あちらにお尻をむけて姫を見張りつつ、ラジオ体操第2で自分の体をしっかり動かした。一生に一度あるかないか。毎朝放送されている10分のラジオ体操のために、夏休みは毎日どこかの町でこんなに沢山の人たちが動員されて、準備がされるんだ、ということがわかって、ひとつまた勉強になった。ペン太とペン次には、ドビーの面倒を看るのと甘やかすのとは違うこと、体力はあるので朝夕の散歩の時も盆踊り練習に行くときも絶対ドビーに自分で歩かせるように仕向けて欲しいことを伝えた。毎日2回の犬の散歩、なるべくペン太ペン次ドビーの3人で行くようにしてもらっていたのだが、ここのところ朝が遅くなって朝の散歩はペン太と犬だけ、ということが多かった。
2006年08月09日
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朝起きて紫蘇摘み再開。朝ごはんまでの2時間ほどがあっというまに過ぎた。今日は義妹のMちゃんが仕事休みなので、子供たちとお出かけの許可を貰った。海釣り公園脇の浜辺で遊ぼうと思ってたのに…、着いてみたら立て札発見。『ここは海水浴場ではありません』。すぐ近くにも大原海水浴場があるのだが、うろうろ探したものの、そこに行くための駐車場が見当たらなかった。ここはバスで来るところなのかもしれない。元寇防塁が見たかったけど、残念ながら道路からは見られなかった。前回姫と戯れた浜辺の脇は、車がたくさん停められると思ってたが、どうやら横の売店の駐車場であるらしかった。長居しづらかったので車に戻って相談する。地図をみるとざうお本店が車で2,3分のすぐのところにあったのでここに決定♪開店まで少々間があったので、店の前の浜辺で遊んでいいといわれ、30分のつもりが1時間たっぷり浜であそんでしまった。大きな木のブランコがあったり、くらげがぽこぽこ打ち上げられてるのを蹴ったり触ったり。小さな川が海に流れ込んでいて、そこを飛び越えられるのが大人でもウキウキわくわくと楽しい。予想通りドビーは海にどっぷり浸かってしまったが、着替えもばっちり持参していた。ここ本店にはBBQ&浜遊び専門の浜辺があって、着替える場所もシャワーもあったので、もっと遊びたくて大泣きのドビーをなだめなだめ、なんとか着替えさせる。ところが、いざ、中で楽しもうと思っていたら、ざうおの中でここ本店だけが釣り船茶屋ではない、という。子供たちも釣りモードになっていたのでガッカリ。とはいえ、子供たち(特にドビー)をつれて混雑しているであろう天神まで行くのも面倒だった。火曜日だけの特別メニュー100円握り寿司が美味しそうなので、これを食べて帰ることに…一貫100円のお寿司は全部で14種類。ねたもとびきり新鮮。大人二人とペン太ペン次は全種類を各一個、14貫1セットを頼み、あとの子供たちは思い思いのメニューを頼む。お子様セットには握り3貫とお稲荷さんとおむすび、ハンバーグや海老春巻きにお魚コロッケもとても美味しそうで、よくある子供だましの冷凍食品もどきが一つもない。泣いたカラスもどこへ行った、ドビーも大満足のお子様セットだった。浜遊び、お昼を食べて、さあ、今からが遊びの本番で次はゲームセンター、とでも子供たちは思っただろうが、夜の練習もあるので体力温存。実は私達もおでかけの予定があったので、早めに夕飯の支度をせねばならない、と買い物だけして早めに帰宅した。大急ぎでポテトサラダとハヤシライスを作り始めた。義父が娘二人と義理の娘(=私)と高校生の孫娘4人に劇団四季の「コーラスライン」のチケットをとっておいてくれたという。小倉の九州厚生年金会館でS席4つのプレゼント。こんなことは嫁に来て以来、初めてだった。きけば、ここ2年ほど、劇団四季が来るたびに義父母や義妹家族で見ていたらしい。コーラスラインは映画のセルビデオを持っている。何度も観た作品なので思い入れもひとしおなだけに、素直に嬉しかった。しかし、結局姪のYちゃんは部活(ブラスバンド)が忙しく、甥のKちゃんが一緒に観に行くことになった。途中帰宅渋滞にはまって最寄の駐車場に入ったのは開演5分前。走る走る。こんなに走るのは久しぶりだったけど、開演も遅れててギリギリセーフ!久々に生のミュージカル。ペン次がお腹の中にいたときの本田美奈子さんの『ミス・サイゴン』以来。ダンサーたちの美しい肢体にうっとりしながらのあっという間の2時間半。8回のカーテンコールに惑わされ、駐車場を出るまでにさらに40分かかってしまった。帰りにハンバーグやさんで遅い夕食をいただいた。(ここって全国チェーンだったのね。初めて入って感激) 結婚してから夫の実家では初めての深夜帰宅、12時40分。ドキドキして、妙な汗をかいてしまった。
2006年08月08日
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義母が車で10分ほどの知り合いから貰ってきたのは赤紫蘇の束!畑や裏庭に群生している中から大きい葉っぱだけを移動コロコロ椅子に座りながらチマチマ摘んでいたのに…。自家用の梅漬け分も紫蘇ジュースも作ったから、あとは引く(抜く)だけというお宅から、抜くなら残りの葉っぱをちょうだい、と貰ってきたのだった。ぎっしり縛っても両腕をまわして30センチも届かないくらいの大きな束が6つ。朝9時前に軽トラの荷台からドドンとおろしたのを見たときは、コレ全部葉を摘むのかと血の気が引いた。とにかく葉っぱが枯れないように、たらいと空いた漬物樽に水を張って束ごと突っ込む。姪っ子は久しぶりに学校友達と遊ぶというので、ご飯だけ用意してあとは手がいらなかった。義母とペン太、ペン次、私の4人で朝から夜までずっと紫蘇の葉を摘んだ。それでも6束のうち半分しか終わらない。残り3束は持ち越しとなった。水を替えて、たっぷり入れておく。義母は1時間おきに、もうこんな貰い方はするまい、といいつつ、みんなで紫蘇をやっつけた一日だった。(残りは義母がちまちまちぎり、私達も手の空いているときに手伝ったが、結局全部やっつけるには水曜日の夕方までかかった)
2006年08月07日
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朝、広島の番組をみながら、子供たちに注意したこと。「黙祷のときは正座をしなさい」気持ちは形から。小さい時祖母から聞いて、怖くて涙を流した話。今は泣かないで話せるようになった。昼、義父が床屋にいくというので、息子二人も連れて行ってもらおうとしたら、軽トラには一人しか乗せられん、という。でも、二人とも長いので、私が送り迎えすることにして、一緒に切ってもらった。2時間後、終わった~と電話が入ったので迎えに行った。ペン太、なんと丸刈り!柔道部からスカウトが来ないかしら。ペン次、本当に切る気があったの!?かなり長い。普段行かないお店だからもう少し短く、と注文しにくかったらしい…。それにしてもそのくらいなら母が切ったって一緒だったろうに~。帰りに隣の小さなスーパーで買い物した。ペン太ペン次が店の中についてくるのは久しぶりだが、こういうときに限って、アイス類4割引!と店内にチラシが貼ってある。玉子アイスとモナカの袋入りを買って帰った。
2006年08月06日
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2年ぶりの盆踊り。やっぱり夏はコレがなくちゃね。盆踊り練習では実行委員(地域の役員さん二人が兼任)が取り仕切り、数年前まで青年団だった若者達もすっかりパパやママとなって小さい子供たちと参加しているのをみると、自分がいかに長くここで踊ってきたかを思い知らされる。わたし、いつまで浴衣で踊ることが許されるだろうか!?(爆)今年の新曲はなかよし音頭。踊りが日本ばあちゃん音頭と似てるけど、振りは簡単なので子供たちもすぐに覚えて踊りやすい。今日は新曲だけ。新曲を教えるのは婦人会の役員で、その中に義母もいる。義母も踊るのは大好きでウキウキとしてるのがわかる。昨年までは、この夜8時からの練習に1時間半ほど時間をとられ、子供たちはいつまでも興奮して寝なかったのだが、今年から45分と短めになったおかげで終わったあとのお楽しみアイスを食べて帰っても9時のドラマが見られるのが好評だ(笑)姫はそれまで家でバラマキを叱られっぱなし。荒れて荒れてどうなることかと思ったが、とても嬉しそうに隅っこで見ていることが出来た。曲が終わるたびに楽しそうに乱入してくる。アイスの列に一番に並んでしまったが、役員さんの配慮でしっかりアイスをもらって飛び回っている。アイス、食べたいんじゃなくて、ビニル袋が欲しいだけなんだけど…。溶けたアイスを母が食べるが、今年のアイスは全部ガリガリくんで、サイズが大きいのが困る。小さい子達は案の定、ポタポタとこぼすこぼす(笑) こちらはやはり名古屋より夜がくるのが遅い。7時半まで表でテニスが出来ると聞いてビックリしたが、本当にナイター設備がなくても球が見えそうだ。行きはまだ薄明るい光が残っている中、懐中電灯をもって出かけた子供たちだったが、帰りは私が運転してきた車で一緒に帰った。
2006年08月04日
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福岡県青少年科学館(久留米市)へお出掛け。高速だと早かった。姫がガラスを割らないかヒヤヒヤあとをつけ回し気の休まらない3時間半。だけど、プラネタリウムに30分近くいられたのは初めてで嬉しかった。今夜は山のお寺まで車(7分)で出掛けて虫捕り。かぶと虫メスとコクワガタメスを一匹ずつ捕獲♪アブラ蝉の羽化を観察した。
2006年08月02日
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初体験・人間ドック!沢山姫をみる目があるうちにやっておけ、と強引に義父が予約を入れてくれた。義父自身、初期胃癌が早期発見で治ったあとから家族みなを強制的にドックに入れて下さる。採血、採尿、血圧、心電図、内臓エコー、胃カメラ。辛かったのは午後2時半の予約だったので、前夜9時から結局21時間食べられなかったこと。あとは…注射イタカッタ(泣)でもそのおかげで胃カメラのときは殆んど意識がなかった。目が覚めたらオシマイ、という感じ。結果が出るのは10日後。
2006年08月01日
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