東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約
2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
全1件 (1件中 1-1件目)
1
「聖書が教えている奇蹟、その1」 2014年9月25日インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しました。2014年9月10日放映「神に近づく道」 「聖書が教えている奇蹟、その1」 甲斐慎一郎 聖書には旧約と新約とを問わず数多くの奇蹟が記されています。旧新約聖書に記されている数々の奇蹟を私たちはどのように考えたならばよいのでしょうか。 旧約時代においてはモーセとヨシュア、またエリヤとエリシャ、新約時代においてはイエスと弟子たちが奇蹟を行ったので、現代の日本に住んでいる私たちも彼らと全く同じように奇蹟を行うことができるのでしょうか。それとも奇蹟は旧新約聖書の時代だけで、現代においては行われないのでしょうか。これは非常に大切な問題です。そこで「奇蹟」について旧新約聖書全体から考察してみたいと思います。 一、旧新約聖書の中における奇蹟 確かに聖書には多くの奇蹟が記されていますが、よく調べるなら、5つの時代に集中しており、それ以外の時は行われていません。 1.BC1440年頃。「モーセとヨシュアの時代」――時代の転換期です。 2.BC850年頃。「エリヤとエリシャの時代」――危機の時代です。 3.BC700年頃。「ヒゼキヤの時代」――危機の時代です。 4.BC550年頃。「ダニエルの時代」――危機の時代です。 5.AD30年頃。「イエスと弟子たちの時代」――時代の転換期です。 このように聖書における奇蹟は、「時代の転換期」や「危機の時代」にのみ行われたのであり、決して無秩序に、またのべつ幕無しに行われたのではありません。 二、奇蹟の真意と目的について 1.旧約時代の奇蹟 「旧約時代は、神も神の助けも、また多くの霊的な事実もすべて目に見える形をもったものとして現された時代です。……エリシャの働きにおける奇蹟的な要素の真意と目的は、主がともにおられることとその大能の力をイスラエルに悟らせ、そしてこのような宗教的な復興によって、切迫している国民的な刑罰を免れさせようとしていることを示しているのです」(A・イーダーシャイム)。 これはモーセとヨシュア、ヒゼキヤとダニエルの時代も同じであり、神は周囲の異邦人にもこのことを示されたのです。 2.キリスト在世当時の奇蹟 イエスは、水をぶどう酒に変えられた時、ヨハネは、「このことを最初のしるし(欄外の訳は、証拠としての奇蹟)としてガリラヤのカナで行い」と記しています(ヨハネ2章12節)。イエスの奇蹟は、ご自身が神であり、メシヤである証拠として行われたのです。 イエスは悪魔の誘惑に負けて、石をパンにするような奇蹟は行われませんでした(マタイ4章4節)。かえって五千人の給食の奇蹟を行われた後、「人々が自分を王とするために、むりやりに連れて行こうとしているのを知って」、退かれただけでなく(ヨハネ6章15節)、「いのちのパンの説教」をして、ご自分がメシヤであり、人はメシヤを信じるならば、永遠に生きることができるという霊的な救いと真理を語られたのです(同6章35~58節)。 3.「使徒の働き」における奇蹟 ペテロは、イエスの御名によって生まれつき足の不自由な男を歩かせました(使徒3章6~8節)。この男が歩いたり、はねたりしたことは「見る目のある人々には、メシヤの時代が来たことのしるしであった。なぜなら、メシヤの時代とは、古くから言われているように『そのとき、足のなえた者は鹿のようにとびはね』る(イザヤ35章6節)時代であるからである。さきにイエス御自身の力あるみわざが暗示した事柄が、今や弟子たちの行ったこの力あるわざによって確証された。それは、イエスはまさしく主でありメシヤである、ということである」(F・F・ブルース著『使徒行伝』95頁、聖書図書刊行会、1958年)。次回は2014年10月2日「聖書が教えている奇蹟、その2」です。 甲斐慎一郎の著書→説教集東京フリーメソジスト昭島キリスト教会
2014.09.11
コメント(0)