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荒尾の城址を地図に示してみました。この表示だと正確な位置が判り難いとの想いでいましたが、荒尾全体の配置は判り易いと思い直しました。ご活用下さい。結構多くの城が在りました。
2019.06.30
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荒尾の近く、玉名郡和水町(なごみまち)にある、田中城址は御存じでしょうか?和水町は、金栗四三さんの生家があるところです。その地域を治めていた和仁(わに)一族の城が田中城です。秀吉が九州を平定し、大阪で宴会をしている所に、肥後を与えた佐々成政からヘルプが届く、「肥後の国人衆が大挙して反乱を起こし、負けそうなので援軍をお願いします」。秀吉は、客人の手前もあり激怒して、援軍を送る。小早川秀包を総大将として、立花、鍋島、安国寺、福島正則、蜂須賀らの援軍6万が、田中城を囲んだが、和仁軍は奮闘し、なかなか落せなかったがついに落城した。という、「肥後国人一揆」の舞台となったところです。今は、肥後国人祭りが開催され、申し込んだ人達が鎧を着用して、戦国の戦いを再現します。次回に申込みしては如何ですか。その和水町の田中城近くに、「田中城ミニミュージアム」が出来たと、以下の案内を、会長が見つけたので、早速訪問してみました。33.07903, 130.59142展示物の一例を以下に。写真の中央が田中城で、包囲軍の配置図です。完全に囲まれました。その田中城の発掘の様子もパネル展示されていました。出土品も展示されています。皆さんも、見学されては如何でしょうか?田中城址の近くですので、現地も見学出来ますよ。
2019.06.29
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来月7月の講演会の関連情報で、ネットに公開されているものを拾ってみました。予習としてご覧下さい。菊池川流域日本遺産米作り、二千年にわたる大地の記憶 | 日本遺産ポータルサイト菊池川流域のストーリが日本遺産に認定されました | 山鹿市菊池川流域日本遺産協議会を設立|菊池市菊池川地域の条理跡、区画割 - YouTube日本遺産認定記念 菊池川二千年の歴史 菊池一族の戦いと信仰 | 熊本 …菊池川流域日本遺産 - 玉名市菊池川流域日本遺産モニターツアーのご案内 | 山鹿市商工会菊池川流域おむすび国この内、県立美術館で、菊池氏の特別展が開催されます。開催は、7月19日からとなりますが、講演からの繋がりとして見学予定されてはどうでしょうか。日本遺産認定記念 菊池川二千年の歴史 菊池一族の戦いと信仰 | 熊本 …この遺産の内、一つを紹介しますと、32.860932, 130.543181俗称「玉名の万里之長城」です。有明海干拓の遺跡で、今はこの右手奥に堤防が出来て畑になってますが、以前はこれが堤防で、手前が海でした。ネーミングが面白くて訪問してみました。農地を増やしたい人の努力は大変なものです。
2019.06.28
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菊池武光銅像です。33.40513, 130.60843大刀洗公園に在ります。(地名のたちあらいは、大刀です。その昔、役場の登録時の間違いによるものの様です)何故ここに菊池氏の像が在るのか? 調べた訳では有りませんが、地元の方の話しと、説明板の内容から・・・。当然、大保原の戦いでしょう。その時、太刀の血痕を洗ったということです。しかし、銅像建立の時期が昭和12年との事ですので、大刀洗飛行場が整備された時期と重なります。南朝への忠勤と多くの戦いでの勝利を知らしめる事により、大刀洗に集まる少年飛行兵の武勇を高める様なことも考えられます・・・。菊池氏地元の菊池市にも銅像が有ります。比べてみましょう。 なお、菊池市では「菊池武光公騎馬像」と「公」が付いていますが、こちらでは付いていません。銅像の説明文です。(前略) 勇ましい姿のこの銅像はゆかりの菊池渡りの地に昭和12年建立されたものである。なお、馬腹や台石の弾痕は昭和20年3月の大刀洗飛行場爆撃時の名残です。説明にある様に、裏に廻ると弾痕跡がはっきりと見る事が出来ます。逆光なので、馬の腹にみえる貫通穴はこの写真では見え難いのですが、台座にあるくぼみは弾痕跡です。明らかに、戦闘機の機銃によるものと思われます。これで、太宰府巡りの報告は終りとなります。665年築城の基肄城に始まり、1359年の大保原の戦い、1586年の岩屋城の戦い、そして太平洋戦争と、時代の遺跡を一日で巡ることが出来た旅でした。
2019.06.27
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大刀洗の地名の由来ともなった、「菊池武光公 太刀洗之碑」に来ました。33.41251, 130.61167この碑の横を「大刀洗川」が流れています。ちいさな川です。碑の説明文です。その読み下し文が裏に記してあります。菊池武光公 太刀洗い伝承の地:この碑は、大正十二(1923)年五月に当時の陸軍少将・森部静夫氏が、朝倉郡教育界の依頼を受けて太刀洗の由緒について記したものです。・・・(後略)平和記念館前の500号線を、わずかに西に進むと、この様な看板がかかっています。次は、「菊池武光公銅像」です。
2019.06.26
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岩屋城で時間も押して来ましたので、平和記念館の閉館に間に合う様に、大刀洗に向いました。途中、掩体壕跡を見ました。33.43129, 130.61662近くで見てみよう。農業倉庫として使われていたそうですが、戦争遺跡として保存される計画だそうです。大刀洗平和記念館に来ました。閉時間まで余裕が有り、ゆっくり見学出来そうです。33.41226, 130.61954ゼロ戦は、写真OKでしたが、他はNGなので、ここまでです。次は、「菊池武光公 太刀洗い伝承の地」です。戦いの太刀の血を洗ったところだそうです。
2019.06.25
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引き続いて、中世の城「岩屋城」へ。33.52586, 130.52029本丸に、この特徴ある石碑が! やっと会えました。本丸先は急激な斜面となっており、その為絶景が広がります。これなら、敵の動きは見通せ、敵の攻撃は斜面が防いでくれますよね。朝からぐずついた天気も、ここにきて晴天となり、大変好い景色でした。少し離れた「高橋紹運公の墓」へ。33.52547, 130.51944彼がいなければ、九州は島津に制覇されていたと、思います。戦国の武将高橋紹運は、23歳で岩屋城主となり名将の誉れ高かった。天正14年(1586)北上した島津5万の軍と戦い、城兵763名と共に玉砕した。時に39歳であった。紹運以下勇士たちここ二の丸址に眠る。 辞世歌・流れての末の世遠く埋もれぬ 名をや岩屋の苔の下水
2019.06.23
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太宰府巡りに戻って、太宰府口城門跡です。33.52985, 130.52169門の石垣が残っていました。案内板、落ち葉で汚れていました。太宰府口城門:大野城には4ヶ所の城門が知られています。南側(太宰府側)には3ヶ所設けられており、そのうちの一つが太宰府口城門です。城門の横の石垣と土塁です。永い間残っていて感心します。
2019.06.22
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7月のカレンダーをUPします。プリントしてお使い下さい。
2019.06.21
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次回予定です。
2019.06.18
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講演会が実施されました。
2019.06.18
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うちの会長に、以下の案内が来ています。興味のある方はどうぞ、ご参加下さい。
2019.06.18
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大野城の建て物の礎石跡へ向いました。33.5305, 130.52194尾花地区:ここには10棟の建物の跡が残っている。これらは礎石が各建物の範囲内に碁盤目状に配置されており、床を人の背丈ほどに高くし、それを多数の柱で支える建物であった。このようなもので有名なのは奈良・東大寺の正倉院がある。大野城でも倉庫として武器や食糧などの備蓄のために建築されたものであろう。このように、次々と建て物が在った事が判ります。なお、この一帯を「焼米ヶ原」と言うらしく、その説明板が有りました。なんと小学生の歴史クラブで掲示しているとの事。感心しました。
2019.06.16
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お昼ごはん後、大野城へ向いました。最初に、「百間石垣」に着きました。33.5434, 130.52037この時代にこの石垣は、スゴイです。結構草で覆われていましたが、この角度は、感じられます。大野城の城壁は土を高く盛り上げた「土塁」で囲まれているが、起伏の激しい地形のため谷間は土塁でなく石を積み上げたダムのような石塁とし、急斜面部は石垣を作るなど工夫をこらしている。この高さにも石垣が積まれています。下部は、土で覆われているが、石垣の様です。
2019.06.14
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続いて、水城址(東門)へ。33.52187, 130.49865水城は664年に築造された土塁で、663年白村江の戦いで敗北後、大野城や基肄城などと共に築造された防衛施設です。土塁はここ国分側の丘陵と住宅地になっている正面の吉松丘陵との間1.2kmを塞ぐように造られた人工の盛土です。東門展望台東門の礎石
2019.06.13
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既にご案内の様に、今日は太宰府周辺の史跡巡りでした。今後、数回に分けて巡った史跡をご紹介します。先ず、基肄城に行きました。33.44407, 130.50964駐車場から、結構な急斜面を登ります。皆、足にきましたが、やっとたどり着きました。大化改新後間もない六六三年に百済援助のわが水軍は朝鮮の白村江の戦いで新羅援助の水軍に破れ、天智天皇は朝鮮から軍をひきあげられた。翌六六四年に防人及び烽を対馬・壱岐・筑紫に置き、筑紫に水城を築いて新羅と唐に対する防備を固めるとともに六六五年には太宰府防衛のため筑紫の大野城と南北相対して肥前に基肄城を築かれた。(後略)土塁の先の小高い土塁へ麓のお寺の御本尊が有りました。修行の方は、この前で何時間もお経を唱えられるそうです。広いお城ですね。土塁上を一周するのに4時間かかるそうです。
2019.06.12
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引き続き小岱山です。今回は、仁王ヶ滝(ぞうめきの滝)です。32.96176, 130.54597説明文をご確認下さい。この説明文は笹千里駐車スペースに在ります。仁王ヶ滝: ここから東へ約700m山路を下ると別名ぞうめきの滝と呼ばれる滝があります。 肥後国飽田郡出身の名僧俊?律師、は朝廷からのおくり名を月輪大師と呼び、鎌倉時代初め小岱山に正法寺を建て石貫の古寺との間を往来していました。 その途中、この滝に仁王経をあげて万民の豊楽を祈ったという故事に因ので仁王ケ滝と呼ぶようになりました。 滝までの途中に湿地帯がありますが、大昔の池の跡と伝えられており、大洪水によって堤が欠壊したため水が流出して干潟になつたといわれています。この様に小さな滝ですが、下流には修行小屋も有ります。
2019.06.10
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続いて、小岱山/観音岳です。32.97702, 130.53078標高473m。その昔、ここに観音堂宇が建てられていたそうです。ここには、「千六百記念」の碑が建っています。観音岳から雲仙を望みます。
2019.06.06
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荒尾の歴史関係地を撮った写真をUPします。2014年からの古い順にUPしてゆきます。最初に、小岱山筒が嶽です。32.98475, 130.52736筒が嶽は、標高501mで、小岱山の最高地点です。小代氏の山城:筒ヶ嶽城が築かれました。現在はわずかに石垣や土塁跡が残るだけです。山麓の駐車場から、30分~50分の登山で到着します。小代氏と小岱山で、漢字が異なります。いつかご説明しましょう。山からの眺めです。
2019.06.03
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