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予告してました史跡巡りの一泊旅行が実施されました。色々と巡り、盛りだくさんですので、まとめに時間がかかり、後日また詳細に報告するとして、取り合えず幾つかの写真をピックアップしてアップします。説明は省きます。
2019.11.30
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南区城南町高の六地蔵に来ました。32.72905, 130.71279県下最大の高さだそうです。室町時代の作の様です。9月4日に毎年祭礼が行われて・・・大切にされているそうです。
2019.11.30
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ついでに、みやま市瀬高町の女山神籠石に寄りました。女山神籠石: 水成岩の切石を一列に山の斜面や丘稜の側面に沿ってならべ、列石の横切る谷(横尾、長、源吾、産女)の各谷にはそれぞれ水門を設けられ、延々3000mに及ぶ広大な遺跡です。これに使用されている石材は現高田町の飯江地方から運ばれて来たものと推定されています。 (後略)
2019.11.29
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清水寺の本坊庭園にも寄りました。33.152613, 130.518916駐車場横に六地蔵がありました。
2019.11.29
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みやま市瀬高町の清水寺に来ました。33.150619, 130.524366三重塔の紅葉の赤がみごとでした。
2019.11.29
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続いて、永勝寺に来ました。 33.303381, 130.592106日本三薬師 永勝寺: 天武8年(680)11月、天武天皇は皇后の御病気御平癒を祈願のため薬師寺を建てられた。 ここ永勝寺も、勅願所として「宝祚長久万民快楽」を祈願され、三年に一度の星祭りも行われ、その霊験の程を大いに喜ばれて寺田を賜り、七堂伽藍が建立されて36坊を有したと伝えられる。 (後略)
2019.11.29
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宇土市花園の三日の六地蔵に来ました。32.6754, 130.70528六地蔵:三日(さんち) (前略) 塔は阿蘇溶結凝灰岩製で、もともと文明14(1482)年に建てられたようだが、宝永4(1707)年に西光院住職仰誉上人が再興しており、その際修築を受けたとみられる。さらに下って明治4(1871)年にも追刻がなされており、長年にわたって地域の信仰の対象として存在し続けてきたことがわかる。 続いて、益城郡御船町の秋只の四方仏です。32.72655, 130.77382六地蔵ではありません。四角柱です。
2019.11.29
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福岡県朝倉市秋月の秋月城本門(黒門)に来ました。33.465411, 130.695142生憎の雨でしたが、多くの人がみえてました。雨だったので、周辺も巡らず、博物館にも入らず、早々に引き揚げました。あと、永勝寺と清水寺と紅葉の名所を巡りましたので、続けて報告します。
2019.11.28
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宇土市古保里町の六地蔵に来ました。32.67828, 130.67952民家の家の横に在ります。熊本県で一番古い六地蔵です。六地蔵:古保里(こおざと) 古保里の六地蔵は、宇土市古保里町の本郷秋雄氏邸内にあります。本来は庭の西寄りの藪の中にあったものを、本郷氏の先代が現在の場所へ移したといわれています。 この六地蔵は完全な形ではなく、六つの地蔵が彫られた「龕部」のみが残っており、その他の部材は所在不明となっています。六地蔵以外の石塔は、宝塔の塔身と五輪塔の水輪で、本来の組み合わせではない石材が混在した状態で積み重ねられています。 全体の高さは73cmで、一番下に水輪、真中に塔身、一番上に六地蔵の龕部がのっています。龕部に彫られた年号から、応永28年(1421年)2月に作られたことがわかり、県下で最も古い六地蔵です。 本来、この六地蔵は街道沿いに建てられていて、安全を祈願するための守護仏としての役割があったと考えられています。
2019.11.28
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宇土市神馬町の法泉寺の六地蔵に来ました。32.67831, 130.64975何と、地震で倒れてしまっていました(2016年7月現在)。早く修復出来る事を祈ってます。
2019.11.27
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次回12月の講演会の案内が届きました。ご参加お待ちしてます。
2019.11.26
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松合の六地蔵です。32.62853, 130.60058(前略) 現在も村の地蔵祭には、日頃の感謝の気持ちを御世話人会と区長を初めとして部落上げてお祝い、供養が行われている。又、町民や他町村民の心のよりどころとしてお参りも盛んである。他とは違って、六面体が長く、地蔵は線で描かれている。りんとして、塔の姿が美しい。地元の人々から大切にされている様だ。
2019.11.26
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宇城市不知火町松合の六地蔵公園に来ました。32.62991, 130.60047しかし、此処には六地蔵は見当たらず・・・慰霊塔が建てられていました。多分、すぐ近くの松合の六地蔵から名付けた様に思われます。すぐ近くに、32.6291, 130.60047 御船千鶴子の墓があるということで立寄りましたが・・・熊本の震災で崩れ落ちていました。修復は大変だと思われました。『ウィキペディア(Wikipedia)』より、御船 千鶴子(みふね ちづこ、1886年(明治19年)7月17日 - 1911年(明治44年)1月19日)は、透視能力を持つ超能力者として福来友吉博士に紹介された女性。三井合名会社の依頼で福岡県大牟田市にて透視を行い、万田炭鉱(熊本県荒尾市)を発見した。
2019.11.25
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紅葉真っ盛りの折り、今度28日に秋月へ紅葉見学に行く事になりました。平戸旅行帰りですが大丈夫かな?良い写真が撮れるかも?です。写真に御期待下さい。
2019.11.24
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宇土市走潟町の六地蔵です。32.69998, 130.64774きちんとした説明板がついている。荒尾の教育委員会とえらい違いだ(前略) 本塔は幢身のほか、龕部を載せる中台と最上部の宝珠だけが残っているだけで、龕部と笠はうしなわれてしまっている。幢身は風化が激しく、年代・願主などを示す情報を読み取ることは出来ず、わずかに宝珠の下部に浮彫された卍文を認めるにすぎない。 (後略)
2019.11.24
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12/17日の定例講演会の次月予定が、講演会で配布されるのですが、「今回忘れた」との事で・・・詳細不明です。今、案内文を請求中です。届き次第、掲載しますので、いま暫くお待ち下さい。
2019.11.23
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11/26・27日に、史跡巡り旅行が実施されます。8:30に中央公民館出発との事です。参加者は、既に予約済みです。旅程詳細は、当日配布するとの事です。実施後、写真などでまた発表します。こうご期待!
2019.11.23
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西方寺の六地蔵です。32.719, 130.62998かなり傷んでいますが、今もお参りされています。うしろのお堂の中です。
2019.11.23
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南区奥古閑の六地蔵です。 32.73062, 130.63599大きくて立派に原型をとどめています。となりに板碑があります。この六地蔵は、室町後期の作と考えられ願主や作成年月日は不分明である。六地蔵は、地蔵信仰によるもので、六道 (後略)
2019.11.22
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小岱山への登山の途中、正法寺に寄りました。 32.967436, 130.518283住職不在の様ですが、横には駐車場も在り、立派なお寺の様でした。本堂の上には菊の御紋か??後日の勉強会で、月輪がちりん大師俊芿しゅんじょう律師について教えて貰いました。皇室のお寺、京都の泉涌寺を建立した方です。そのお寺、正法寺は、小岱山の山頂近くにあったらしいのですが、地点は不明です。この正法寺は、その事を思って建立されたもの?かな??以下の様な記事を見つけました。https://hakataboy.com/temple.php?dirpath=temple/Kumamoto/Arao/SyoubouJI/
2019.11.21
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賀庭寺に来ました。 32.966674, 130.491585何度も来ているので、今日は説明を撮ります。 賀庭寺椛山観喜院跡: 賀庭寺は平安時代末、荘園領主の庇護と村民の厚い信仰に守られ繁栄した寺院である。遺跡の占める地域は各字名に推察される広がりをもち、四十四の坊舎が連なり繁栄していたと伝えられ、堂内には薬師三尊を始め多くの仏像が祀られ、境内には多くの供養塔が造立されていた。 戦国時代に寺域は荒廃、坊跡も田畑となったが元禄13年(1700)寺院が再建され天台宗総本山延暦寺の末寺となった。明治10年(1877)頃火災により全ての堂宇を焼失した。その後村人の熱心な信仰心により明治11年(1878)観音堂として再建、中央に千手観音菩薩、左に大日如来、右に弁財天を安置した。 古塔群: 賀庭寺境内には多くの古い石造物が並んでいる。これらは旧境内に造立されていたものが後年の荒廃により散乱していたものを周辺地域から収拾し信仰、時代、外観から考証し組み合わせたものであり当初からの一そろいの塔は一基もない。 (後略) 木造伝薬師如来座像および両脇侍像: 賀庭寺の本尊について、肥後国最初の地誌「国郡一統志」には千手観音、「肥後国誌」には薬師如来とある。本三尊が薬師三尊で在るか、あるいは阿弥陀三尊等であるかについての確証はないが、諸伝承からみて薬師三尊と考えてほぼ間違い無いと思われる。 (後略)奥には多くの石塔が並べられている。
2019.11.20
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プリントしてお使い下さい。
2019.11.20
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荒尾二造の勉強会と見学会の案内が有りました。ご参加下さい。申し込みが必要です。
2019.11.19
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福田さんによる講演がありました。気持ちのこもった好い講演でした。
2019.11.19
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岩本橋の番所だったお宅の庭に在ります。 33.00145, 130.48896笠は無くなっています。この様に、岩本橋のすぐ上です。
2019.11.19
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本井手神社・川北の六地蔵 に来ました。 32.99968, 130.48078神社内に在ります。角がつぶれて丸くなっています。笠は無くなっています。
2019.11.18
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続いて、松葉の六地蔵へ。 33.00273, 130.44629ここでは、下部の石塔のみしか有りません。この近くには、石塔と思われるものが足踏み台に使われてしまっていました。公民館前に在る六地蔵の上部。 33.002078, 130.445015近くの、松葉の番所跡。 33.002624, 130.446807
2019.11.17
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原区の六地蔵に来ました。 33.0024, 130.43973場所は、田次郎丸館跡・東光寺跡のお宮前です。こういう並びです。そして、すぐ近くの個人の屋敷に「地蔵」が在ります。六地蔵では有りませんが。33.002505, 130.440756道路から見れる様に、塀を空けてあります。
2019.11.16
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上小路の六地蔵に来ました。 32.98401, 130.43506他の石塔跡かと思われるものが散らばっています。像がすり減っています。六地蔵の石も積み替えられているようです。地元の人のつたえでは、これらの石をどかそうとしたら、災いがあったとのことですが・・・。
2019.11.15
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すでにご案内の様に、来る11/19に、月例の講演会が実施されます。参加されませんか。
2019.11.14
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第三回が、今度の土曜11/16に開催されます。 参加しませんか?第三回が、今度の土曜11/16に開催されます。 参加しませんか?
2019.11.14
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以前、下記の案内をお伝えしてましたが、11/10(日曜)に第一回が開催されました。講演のレジメを貰いましたので、最初だけを掲示します。
2019.11.14
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猫宮から、近くの荒尾市一部の六地蔵に来ました。 32.96479, 130.43432旧長洲往還道沿いで、車が通り難い道になっています。ここで、今日のテーマ:ろくじぞう【六地蔵】 とは、① 六道において衆生の苦しみを救うという六種の地蔵菩薩。すなわち、地獄道を救う檀陀だんだ、餓鬼道を救う宝珠、畜生道を救う宝印、修羅道を救う持地、人道を救う除蓋障、天道を救う日光の各地蔵の総称。また、延命・宝処・宝手・持地・宝印手・堅固意の六地蔵とする説もある。② 六体の地蔵像を安置した寺。特に、京都伏見の大善寺の称。③ 墓地や道ばたなどに六体を並べて安置した石の地蔵像。荒尾では、六面体に各地蔵を彫ってあり、旧往還道沿いに点在しています。今日はそれを巡ります。
2019.11.14
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今回の史跡巡りの目的地です。最初に、一部の猫大明神に来ました。(ついで) 32.963898, 130.4352671月10日には、まつりがあるみたいです。こちらも参照
2019.11.13
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朴の木(ほおのき)の情報があり、見に行くことに。 32.976723, 130.509371荒尾市府本生れの詩人・故坂村真民さんが愛したホオノキ(朴の木)が、地元の小代焼きふもと窯で見頃を迎えている。代表作「念ずれば花ひらく」の詩碑の傍らで咲き、甘い香りを漂わせている。(後略) 4月下旬です。お出かけ下さい。
2019.11.12
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熊本辛島公園・花畑広場で、ボランティアの受付がありました。 32.799459, 130.704691沢山の人が集まりました。特に若い人が多くて感激しました。受付にかなり時間がかかりました。うちのチーム。広島から、熊本、福岡から(南相馬から)参加。目的地へ移動活動を終えて、帰りは上熊本駅から。
2019.11.11
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トキワマンサクを見にやって来ました。 32.97551, 130.51084ちょうど満開の様でした。以下をご参考下さい。https://www.city.arao.lg.jp/q/aview/178/2707.html
2019.11.10
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山鹿へ麹を買いに来ました。 33.011288, 130.687349菊池川がすぐそばでした。ついでに、桜が綺麗な、近くの寺へ。光専寺 33.011922, 130.688827薩軍野戦病院跡:西南の役において、(中略) この寺は、開戦頭初は薩軍の兵站基地であったが、後、野戦病院に使用された。(後略) 寺の桜は満開でした。
2019.11.09
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帰りに、鏡山展望台に登って虹の松原を眺めます。 33.431073, 130.017664虹の松原、西方面。グリーンベルトが松の林です。立派な松林です。東方面鏡山山頂の池です。
2019.11.08
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一度戻って、自転車をレンタルし、出かけました。先ず、広沢寺で、加藤清正が持ち帰ったといわれる、蘇鉄を見ます。 33.531078, 129.870595ずいぶんと大きく育っていました。さらに真田昌幸の陣屋に。 33.538232, 129.861501続いて、生駒親正の陣跡です。 33.549729, 129.855084この様に、次々と色々な陣屋が散らばっています。日本全国から此処に集結していた事が判ります。
2019.11.07
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引き続き陣跡めぐり。 稲葉重通・掘秀治の陣を見れる場所を通りました。そして、堀秀治の陣跡に来ました。 33.523589, 129.861935建物の礎石が残っています。木村重隆の陣跡に来ました。 33.527200, 129.864380木下延俊の陣跡に来ました。 33.527492, 129.870868
2019.11.06
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翌日朝から「陣跡めぐり」をしようと思います。先ず、前田利家陣屋の森に、オルレ道を歩く事にします。 33.528679, 129.874020陣跡めぐりのパンフです。前田利家陣屋に来ました。33.527219, 129.873406陣屋跡の説明板があります。道の途中で、長宗我部元親陣跡 33.524143, 129.874145 や石田三成陣屋跡 33.515392, 129.880469 が見える所を通りました。
2019.11.05
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本丸方面へ目を移すと、要所々を崩された石垣が。玄海にちらばる大名陣屋跡山里口:けっこう綺麗に残っている。ついでに・・浜野浦の棚田展望台:明るいうちに見に来ました。 33.489273, 129.847337
2019.11.04
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唐戸ターミナル近くに瓦そばの看板をみつけ、頂きました。そばを焼いて、やきそばですが、つゆで頂きます。瓦そばの発祥は、たかせの先代が「西南の役において、薩軍の兵士たちが瓦を用いて食べた」という話しにヒントを得て開発したとのことです。
2019.11.03
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本丸周りを巡りました。石垣が崩されています。島原の乱で城跡を利用されない様に崩したと聞きました。平成11年度の発掘調査により、合坂(あいさか:石垣を登り下りするための石段のひとつ)の最下段で、軒丸瓦や丸瓦を重ね合わせた瓦積みが整然と6列並んだ状況で確認されました。これら瓦群の上には、石材や裏栗石が堆積していたことから、瓦を置いた後に、石垣や石段を破却したものと推定されます。 一国一城令(1615年)や島原の乱(1637年)などとの関連が推定されている「名護屋城の破却を考えるうえで重要な資料のひとつです。
2019.11.03
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荒尾の文化センター内の子ども科学館がリニューアル開館しました。32.985181, 130.463339チームラボの未来の遊園地が展示されました。大牟田および荒玉地区で初のチームラボ作品を体験出来ます。案内ちらしです。入り口です。奥の黒カーテンに入ると、作品に出合えます。
2019.11.02
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巌流島全景 33.93333, 130.93027竜王戦が下関であった時、お二人で上陸散策されたそうです。
2019.11.02
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VR案内のタブレットを借りて、天守台を目指します。 33.530977, 129.868859先ず、博物館から天守台を望みます。大手門を目指して登ります。桜の時期でした。本丸より、展望します。名護屋大橋方面(東方面)です。天守台説明板。 ここでは、焼きもので案内板が設置されています。西面の展望。案内板は各大名の陣屋が示されています。
2019.11.02
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高杉晋作の像を見に、功山寺にきました。 33.99602, 130.98235在りました。題字は、岸信介でした。高杉晋作は、奇兵隊も腰をあげないので、一人馬に乗って出陣する覚悟でした。
2019.11.01
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唐津の名護屋城博物館に来ました。 33.527802, 129.870178名護屋城跡敷地内にあります。城跡に登る前に博物館で学びます。この地域の古墳時代からの環境です。他にも、色々と、特に名護屋城についての説明も詳しくあります。
2019.11.01
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