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橫濱市民ギャラリーで、「戦後をあゆむ」展を觀る。六十年前に開館して以来蒐集した繪画や冩眞より、戰時下から戰後にかけての橫濱を中心に展示したもので、いづれも作家たちが目の當たりにした現實光景なだけに一點一點が深く、作品に添へられた言葉は重く響く。米夷の空襲により焼け野原となった關内は侵駐米夷が撤退した後も“關内牧場”と呼ばれたほどに空き地の状態が續き、「戰前に橫濱の經済を支へた企業は戻って来なかった」と記したヒサクニヒコ氏の言葉は、戰争によって街が破壊されるとはどういふ事なのかを、端的に語ってゐる。(※戰後の伊勢佐木町をいく米兵家族 述者藏)明るい作風の作家は混迷した世相を皮肉をもって笑ひ飛ばし、明るいだけに時代に對し明確な辛味を効かせてゐる。(※展示室内遠景のみ撮影可)特に昭和二十年五月二十九日の橫濱大空襲において、母親に手を引かれて逃げる子が上空の爆撃機を450まで數へらると指を差す八島一夫氏の作品は、(※案内チラシより)非常時においてなほ純真な子どもの意識が、大人の自ら作り出した悲劇を對象的に際立たせる諷刺画の効果を生んだ傑作と思ふ。(※橫濱~櫻木町間の鐵道高架下の壁はかつて“萬里の長城”と呼ばれ、その向かふの造船地帯は關係者以外は立ち入らない外界だったと云ふ)もう一點、三橋兄弟治(みつはし いとじ)氏の「港」は現在の“象の鼻パーク”あたりを描いた昭和十五年の作品だが、(※案内チラシより)すでに粗惡な紙に描かれており、それから間もなくの物資貧窮がこの頃には始まってゐた事實を示す貴重な資料であると同時に、静かな風景画ゆゑに暗雲がじわじわと迫り来ってゐる恐怖をも感じさせ、このコレクション展でもっとも私の足をとめた一點だった。
2026.02.28

鎌倉歴史文化交流館の「北条政子─没後800年─鎌倉を生きた女性たち」展を觀る。かの有名な承久の亂における大演説に象徴される「尼将軍」の、朝延側と渡り合って國を動かす女傑ぶりを發揮する一方、いかにも苦勞人らしい周囲への心配り、一人の母としての慈愛など、その後七百年續く武家政權初期にその基礎を固めた女性政治家の人生を、剛柔織り交ぜて紹介する。現在では「後家」と云ふと、夫に先立たれて余生を送る妻、と云った印象があるが、この時代は亡夫の遺した財力や權力を受け繼ぎ、それを堂々と社會で行使するチカラを持つ女性を意味し、「貞永式目」でその權利が保証された根底に、人としての能力に男女の別はない認識がしかとなされてゐたことは注目すべき點だ。(※案内チラシより)企画と時世がたまたま重なっただけなのだらうが、今年に改めて誕生した女性総理大臣による政府の今後を眺めていく上でも、かうした先人女性たちの足跡を知っておくのも一興と、存じそろ。
2026.02.27

埼玉縣立嵐山史跡の博物館の企画展『東山道と「鎌倉街道」』を觀る。古代に制定された官道のひとつである東山道の道筋は、鎌倉時代には「いざ鎌倉」の鎌倉街道に取り込まれ、鎌倉幕府の滅亡後は役割を失なって次第に寂れ、近世に入り新たな官道である“五街道”が整備されると、かつての鎌倉街道は“古道鎌倉開道”となって、歴史の彼方に文字通り埋れて行く。(※案内チラシより)現在も關東地方のところどころに「鎌倉街道」といふ名稱の一般道があるのは、(※東京都多摩市を通る都道十八號線「鎌倉街道」)かつて“上道”“中道”“下道”と三筋あった鎌倉街道が斷片となって遺ったものとされ、我が棲処の近所にも、鎌倉街道の一部とされる狭い道がいかにも由緒ありげに伸びてゐる。埼玉縣内では毛呂山町大類に中世の旧態を傳へてゐるとされる道筋がはっきりと遺されてゐて、私のやうな古道旧道歩きを樂しみとしてゐる人種にはたまらない。このあたりは當時の古文書に「にかハはやし」とその名が確認できる「苦林(にがばやし)」の宿驛があったと想定され、現在では田畑が廣がるのんびりとした風情のなかにそばを流れる越辺川(おっぺしがわ)が、ものは云はねど何らかの生き証人のはずである。
2026.02.26

中央區立郷土資料館で、「明治座の絵看板~新国劇と剣劇~」展を觀る。“新國劇”とは松井須磨子と島村抱月の藝術座に愛想を尽かして脱退した澤田正二郎が大正六年(1917年)に旗揚げした大衆劇團にて、島田正吾、辰巳柳太郎の二人を後繼者に、黒川彌太郎や大河内傳次郎、大友柳太朗や緒形拳など、多くの名優を輩出するも戰後は時代の流れに合はなくなって運營難となり、大山克己と云ふ三代目の後繼者はゐたものの創立七十年の昭和六十二年にきっぱり解散、その後に殘党が別に劇團を結成しは命脈はつないでゐるが、澤正が立ち上げた新國劇そのものは、今日では觀ることはできない。(※澤田正二郎扮する國定忠治)さうした遺された記録や資料で偲ぶ往年の新國劇より、歌舞伎の繪看板を請け負ふ清居派の八代目である清忠が明治座興行に際して描いた五點の繪看板を、ここでは近代繪画作品の一編として觀る。その一點に、「殺陣田村」がある。(※解説冊子より)謠曲「田村」にのせて殺陣(タテ)を藝術的にみせる澤正原案の一幕にて、今は昔、大阪で知り合った旧友に東京で再會した時、彼は大山克已氏のもとで殺陣を本格的に習得しており、それについての會話のなかで、よく「タムラ」と云ふ言葉を口にしてゐた。殺陣におけるひとつの“型”らしいことはわかったが、當時の私の分野とはやや異なってゐたこともあり、話しはいつもそれきりだった。 展示の原画を初めて觀て、やうやくそのタムラの正体を知る。(※展示室内撮影可)謠曲「田村」ならいまも私のそばにゐるが、殺陣やチャンバラや立廻りなども含めた舞臺上のことは、いまの私にはまったく無縁だ。手猿樂師として人前や舞臺に立つ現在は、あくまで自身の樂しみとして續けてゐるものであり、それは過去の記憶との訣別を表したものでもある。往年の新國劇による「殺陣田村」は、投稿動画で觀られるらしいので、棲処に帰ってゆっくり觀やう。それが私の生き方には、相應しい。
2026.02.25

上野不忍池のしたまちミュージアムで、「したまちの乗り物 路面電車のおもいで」展を覗く。かつて東京都心の縦橫に走ってゐた乗り物として路面電車──都電はよく思ひ出噺にのるが、もうひとつ電動の乗り物に、トロリーバスがあったことはあまり意識にのぼらない。(※館内撮影可)バスにポールを立てて架線から集電する仕組みで、正式名稱は「無軌條電車」。外觀からバス(クルマ)である印象が先に立つので、電車と云はれると一瞬違和感を覺えるが、電氣で走るのだから、たしかにデンシャである。現在、一部で實用化されてゐる電気バス“EV”は、集電ではなく蓄電池で自走する仕組みだが、電氣云々の發想は同じ。技術は時代で變化しても、發想は大古より變化してゐないのは、ヒトは常に原點に還る生き物だからか。都電の車体はいくつか静態保存されてゐるが、トロリーバスはあまり保存例がなく、かつて神奈川縣川崎市高津區の児童公園に、川崎市街地を走ってゐた實車が1臺保存されてゐたが、老朽化で解体されるにつき、惜しんだ個人の愛好家が譲り受けてどこかに運ばれた、と聞く。いつか修復されて“元祖EVバス”として公開されるとよいが、その時は屋内保存だといいな、と思ふ。保存と云っても雨ざらしでは、放置とあまり變はらない。
2026.02.24

昼前から昼過ぎにかけて強い南風が吹き、「春一番を觀測」云々。場所によっては本當に強風のやうだったが、私の棲む町では昨日よりいくらか穏やかな程度、夕方にはすっかり止んで、今年は「とりあへず吹いときました」な春一番だったやうに感じる。まだ冬にかうした夏日の氣温は、寒い日好きの私には何かと調子を狂はされるので好きではない。これから先にいくらでも暖かく、そしていつまでも暑い日が續くのだから、いまはまだ寒いことの樂しみを味あはせておいてくれい。
2026.02.23

ラジオ放送の喜多流「雲林院」を聴く。當時は大伽藍だった京都紫野の雲林院を夢のお告げで訪れた「伊勢物語」愛讀者の男が、在原業平本人から「伊勢物語とは何ぞや」について“秘傳”を授かる長閑な話しが現行の謠ひだが、現存する世阿彌の古筆によれば、後半は略奪するほどに業平が愛したニ條の后を、后の實兄である關白藤原基經が惡鬼の姿で現れて激しく懸想するおどろおどろしい鬼物曲だったやうで、たしか以前に觀世流の梅若某が國立能樂堂の企画で試演したことがあったやうに思ふ。貴族の男が女に迷って惡鬼の姿で登場する例は、現在では優美な演出に改められてゐる「融」も、かつてさうだったらしい。いちいち元ネタを知らなくてはわからない現行版より、男が女を愛するあまり鬼になる不様のはうが、私には解りやすくてすんなり入っていけるのだが……。
2026.02.23

橫濱の神奈川藝術劇場で、文樂公演の第三部を觀る。演目は「勧進帳」、明治二十八年二月に大阪稲荷座で初演した「鳴響安宅新關」のことで、以前に國立劇場での上演を觀損ねてゐたので、今度こそはと樂しみにしてゐた。舞臺面の冩眞から、歌舞伎十八番の亜流だらうくらゐに思ってゐたが、松羽目の大道具や人形の衣裳は歌舞伎に準じつつ、浄瑠璃自体は“安宅物”として自立したまったくの別物で、連彈きの三味線に聴き應へがあった。一方で太夫陣はまったくの頭數、辯慶に至っては始終苦悶の表情で絞り出される歯切れの惡い語りに、そのうちプツッときて見臺に突っ伏すのではないかとワクワク、否、ハラハラさせられ、「キツい商賣でんな……」と、こちらは苦笑ひ。辯慶の人形は体が橫を向くと人形遣ひが邪魔になってよく見えず、本當に花道を付けての飛び六法は完全に歌舞伎の亜流ながら、普段は手摺で隠れて見えない足遣ひの様子がはっきり見えて、その苦しい体勢ぶりに「ご苦労でんな」と聲を掛けたくなる。(※歌舞伎十八番の「勸進帳」 前進座所演 )“○○心中”系の時代錯誤な旧作をいまだに有り難がって上演するより、かうした大衆性のある作品をもっと取り上げて冒険したはうが、現在進行形の傳統藝能として生き殘れるのではないか。
2026.02.22

ラジオ放送で觀世流「竹生島」を聴く。神能物のなかでも、「高砂」ほどムズカシイ言葉のてんこ盛りではなく、演能時間も短かめのスカッとした曲、舞臺の竹生島には大昔に一度だけ渡った記憶がある。島内の記憶がないのは、帰りの船の時間を勘違ひしてゐたかなにかで、そのあとの外せない予定に遅れさうになって焦った記憶のはうが強く殘ってゐるためか。それからいつであったか、前衞舞踏の活動をしてゐる人から、謠曲「竹生島」にのせた作品を創りたいと話しを持ちかけられ、私はいつでも對應できるやうに曲を覺えておいた。……しかし、話しはそれきり。玄人素人問はず藝能と云ふ水モノ業界では普通にあることであり、私もいちいち腹を立てるものではないが、かうした經験がいまの自分の活動に生きてゐることは間違ひないのだから、覺えたきりまだ謠ったことのない「竹生島」、もう謠へなくなってゐるだらうが、惜しいことだとは思はない。
2026.02.21

JCII PHOTO SALONで、「盛岡の収集家・村田明コレクション PartⅠ」展を觀る。冩眞が趣味だった父の影響で自身も冩眞に興味を持ち、昭和三十二年に上京して大學を卒業すると東京の企業に念願のカメラマンとして入社し、八年後に故郷の盛岡に帰り三軒の冩眞館を經營した村田明氏が、大學在學中より我流の研究で蒐集したセピア色の古冩眞たちの数々。日本の冩眞の開祖である下岡蓮杖が晩年に描いた日本画も展示されてゐるのが目を惹くが、やはり私は明治期の歌舞伎役者を冩した作品に關心が向く。いづれも初めて見る構図で珍しいものであったが、“五代目尾上菊五郎”と紹介されてゐる若い女形姿の被冩体は明らかに別人で、また“二代目”「市川權十郎」と紹介されてゐる被冩体の面相も、私が確かな資料で知る面相とは異なるやうに見え、しかし正しくは誰であるかを指摘できるだけの知識が私にはなく、なんとももどかしい思ひをさせられる。そのほか、花街(いろまち)の女性たちは格好の被冩体であり、現在まで多く作品が傳はってゐる。なかには令和現在でも充分通用するやうな姐さんもゐて、骨の上に被せた皮膚の造作の神秘と不平等を、ああ思はずにはゐられぬことよ。
2026.02.20

埼玉縣東松山市の上岡馬頭觀世音で毎年二月十九日に行なはれる、國の選択無形民俗文化財「繪馬市」に出かける。鎌倉時代創建にして、軍馬や農耕馬の守り神として篤い信仰を集めてゐた、いかにも土地柄の面影を強く殘す古刹の行事にて、かつては“繪馬講”によって作られてゐた繪馬は平成年間に保存會有志へと引き繼がれて今日に至り、遠路の甲斐あって昔ながらの膠(にかわ)と胡粉を混ぜた繪の具で手作りされた六寸繪馬(¥3000)と、ありがたく御縁を結ぶ。馬はみずからの足でヒトやモノを運び、私はみずからの足と乗り物で、ここまで我が身を運ぶ。馬を慰靈する馬頭觀世音を敬ふことは、道中安全を祈願することにもつながる。かつて生きた馬の代はりとして納めた繪馬をいただくことは、旅路の護符──御分靈をいただくことにもつながる。折りからの冷たい北風がいかにも冬の上州らしく、かうした砂埃の風情もまた、文化財としての価値に含まれてゐるのだ。
2026.02.19

地下鐵博物館で、「くらしを運んだ 東京地下鉄道の切符展」を觀る。昭和二年(1927年)十二月三十日に日本初の地下鐵道が上野~淺草間に開業した當時の運賃は十錢均一で、改札口脇の箱に十錢銅貨を投入すると腰の高さのバーが動いてホームに入れる、初めから“自動改札機”が導入されてゐた斬新ぶりは脱帽もの、(※地下鐵博物館に復元されてゐる、開業當時の“自動改札”)切符制となったのは昭和六年(1931年)五月に東武伊勢崎線が淺草まで開業して(當時は「淺草雷門驛」)、地下鐵道との連絡輸送を開始してから云々。初めこそ物珍しさから順調だった地下鐵道の經營も、月日が經つにつれて競合する乗合自動車の運賃五錢の前には劣勢となり、創業者の早川德次は經營難打破のために上野や神田にストアーや食堂を展開、また百貨店や興行會社、觀光事業とも提携して割引特典付きの優待乗車券を次々に企画するなど、經營の安定化を図る。(※神田驛改札外に展開してゐた「神田驛地下ストア」跡の通路。かつて十錢均一の店も存在した、現在の“百キン”のはしりの地でもある。)鐵道愛好家が長年蒐集したそれら切符の數々から、地下鐵道草創期を担った早川德次の涙ぐましい企業努力ぶりが痛いほどに傳はり、それは感動的ですらある。私のやうな鐵道を使ふ徘徊者にとって、かうした“お得な切符”はなくてはならぬ物なだけに、紙の特別切符を廢止しやうとする鐵道會社の近年の傾向には、強い不満を感じてゐる。鐵道會社(むかふ)の言ひ分では、「最近では紙の切符の利用者が減少し、スマホやパソコンなどからのネット予約の利用者が増加してゐるため」、そちらに順次一本化したい魂胆(ハラ)のやうだが、やうするに紙の切符における窓口でのやりとりを面倒臭がってゐるだけのことだらう。ネット上で販賣されてゐる“お得な切符”の種類を眺めても、紙の切符ほど利便性と云ふ魅力ある内容ではなかったりする。一度は廢止にむかったJRの「みどりの窓口」が結局復活し、利用者はけっこう多い現實に見る如く、自分たちの都合ばかりで合理化を図った結果、利便性と云ふ鐵道企業としての品質までも下げてしまったのが、いまの鐵道である。現在はICカードで自動改札を通る時代かもしれないが、切符のやうなちゃんと目に見える形で、利用者に誠意を見せてほしい。……もっとも、その必要もない人種が多い現實もわからなくはないが。
2026.02.18

列車に乗る時刻までの二時間あまり、京都九條の東寺を訪ねる。大阪に住んでゐた時代には毎月二十一日の御縁日へよく出かけた古刹に、今日で二十年以上ぶりにやって来た。かつて京都の高さ制限の基準であった五重塔では内部を特別公開中のやうだったが、金堂や講堂と併せて入るために1.500圓の拝觀料云々、薄暗いなかで薄ぼんやりと映る内部のためにさうした勞力を拂ふのは昨日まででいささかウンザリ氣味だったので、驛と東寺までの往復の町と道に景色を求めて、旅路の高揚をつなぐ。
2026.02.17

二年ぶりに東大寺大佛殿を訪ね、盧遮那佛をじっくりと拝す。佛像とは信仰の對象として見るか、美術品として見るか、のどちらかだと思ってきたが、もうひとつ對象が隠れてゐたことに、今日初めて氣が付く。「錢集めの對象として見るか」──俗臭くてもそれが現實、源平合戰により焼亡した大佛は戦國時代に再び焼亡、その後は張りぼてで假復旧したまま江戸時代に至ったのは、結局はカネの問題である。さうした現代の寺院經營の厳しさをまざまざと見せつけてくれるのが、奈良郊外の古刹・法隆寺の拝觀料2.000圓(!)だらう。東大寺と藥師寺が拝觀料を値上げしたのでウチも足並みを揃へた、とさすが佛法の庭らしい方便で言ひ訳をしてゐたが、人災疫病禍いらい觀光客が激減し、かなり苦しいことはこの日の様子からもわかった。しかし、拝觀料が四ケタともなるとさすがに本尊の有難味も霞んで、なぜ、聖德太子は傳来した佛教にかぶれたわりに出家はしなかったのか……、と新たな疑問を見つけて、佛の庭に煩悩(まよひ)を捨てるどころか却ってお土産に拾ってしまひ、いよいよ私は信仰と云ふやつに、答へを見出せなくなるのである。
2026.02.16

ほぼ一ヶ月ぶりに關西へ来たので、まずは大阪四天王寺へ、師匠と嵐家ご先祖へ挨拶に伺ふ。私が現在棲む東とは約500kmも離れてゐるが、それをかうしてたびたび訪れることが叶ふのは弟子として有難く、また第二の故郷との縁(つながり)も強く確かめられて、これも有難い。今日は休日のためか、境内には露天も少し出てゐて、關西らしい価値のあるものが手に入る。いつもならば地下鐵へ潜って行くところを天王寺驛まで参道を行き乍ら、私の居場所はけっこう廣いゾ、と今回の充實を想ふ。
2026.02.15

ラジオ放送の金春流「當麻」を聴く。かつて繼母に虐待された過去を持つ中将姫が蓮の糸で織った絢爛な曼荼羅、そして御佛による人々の救済と云った壮大な噺を、謠ひと云ふ古語の極みに節をつけて展開させる世阿彌の一曲、しかし何を云ってゐるのかコトバが分からなければせっかくのアリガタイ教へも衆庶には理解されず、かつて國立能樂堂で一度この曲を觀たあと、實際の舞臺よりも手許の解説文の方で中身を確認した記憶があることを、ぼんやりと思ひ出す。この模糊とした印象こそ、神佛の存在に出會った、と云ふことなのだとしたら、あのやうな經験は一度きりに限りますな。
2026.02.14

一月に行けなかった池上本門寺へ、やうやく令和八年の“初詣”。これで、今年の初めに行くべき所はすべて訪ねられた。しかし、勝手なときは何度でも縋りつくやうに足を運ぶくせに、機會を逸するととたんにご無沙汰、私はどこまでも勝手だ。石段脇では河津櫻がよく咲いてゐて、かつて毎年のやうに豆州の名所へ出かけてゐたことを思ひ出し、遠い昔でもないのに返らぬ昔噺になったことに、少し寂しさを覺ゆ。そばで、團体の参詣客たちが同じく見上げながら、“かわづざくら”と云ふ名稱が出てこなくて四苦八苦してゐた。ひとりが「あたみざくら(熱海櫻)、だっけ……?」と云ってゐるのが聞こえて、ハズレだが、惡くはない名前だなと思ふ。
2026.02.13

埼玉縣立歴史と民俗の博物館で、収藏品展「太平記をよむ」を觀る。後醍醐天皇の即位から鎌倉幕府の滅亡、天皇親政の失敗による天皇家の南北分裂、足利尊氏による幕府誕生と細川頼之の管領就任まで、約五十年にわたる激動の歴史を綴った軍記物語が一般に流布したのは木版印刷が普及した江戸時代からで、ふんだんに挿繪の入ったものから注釈書まで、實にさまざまな太平記本が發行されたのも、まさに太平の世となったからこそ。つひには楠木正成がしたためたとするハッキリとした偽書まで登場したあたり、却ってその浸透ぶりが窺へて面白いものがある。(※フラッシュ無しで撮影可)もともとは“太平記よみ”と呼ばれる語り手が、集まった人々に語って聞かせるための種本でもあったことから文体は比較的平易で、(※「新刻太平記」江戸時代初期)かっちりとした書体で書かれた本ならば、私でも讀み取ることが出来て、なるほどこれは江戸庶民に普及したわけである。浄瑠璃劇として書かれた「假名手本忠臣藏」は、元禄年間の赤穂浪士事件を時代も人物も太平記の世界に置き換へ、平賀源内が書いたと云ふことだけで有り難がられてゐる「神靈矢口渡」は、負け戰で落ち延びた新田義峯に渡し守の娘が一目惚れして命を懸ける、まさに太平記外傳の趣向である。……しかし私は、「太平記」についてはずいぶん前に現代語訳版を讀んだことがあるきりで、まともに全ての原文に當ったことがない。いつか、いつか、とは思ひながらいつまでも手に取らぬ、ああ目出度き太平樂よ。
2026.02.12

JR東日本線の管内に棲んでゐるだけに、この頃は驛へ向かふ前に、“電車がちゃんと動いてゐるのか?”を確認してからではなくては、おちおち利用も出来ない。それだけ、彼らの不首尾による運休や遅延が多すぎるのである。昨年には東北方面への新幹線が走行中に分離する事故が連發し、お次は走行中に分解かと怖くなり、東北地方への旅行計画をやめた。今年は電車が電車たるゆゑんである電氣系統の事故が續發して、肝心の營業運転そのものを麻痺させた。上野驛でハジけた架線が車両に触れて、車体の壁面が溶解し穴が開いてゐる画像を見た時は、これがホームにゐる人に當ったらどうなると、またも怖くなった。そしてつひに官に呼び出しを喰らって副社長が叱り飛ばされ、社長がアタマをさげて見せた直後には、埼玉方面でまた架線があちこちで斷線して十七時間の運休、パンタグラフが破損して屋根から消えるなど、これが“技術大國ニッポン”のなれの果てでなくてなんであらう!いまや毎日當り前となった營業運転時間中の車両點検、ホームドア點検、信号確認、ポイント點検、これらは全て、保線技術者の人件費など800億圓をケチって要員を大幅に削減した結果、當然現場の手が回らず後手後手になった、ツケである。おそらく、技術者自体の程度も著しく下ってゐるはずだ。對策として、技術系職員を来年から約150人増やすと今さら宣ってゐるが、ただの頭數とならぬやう、切に祈るところだ。それでも何かと云ひ訳を並べ立てて来月から運賃値上げ、以降もかうした体たらくは續くであらうから、とても「ご理解いた」だけない。人を乗せて動くのが使命なのに、かう止まってばかりでは、アンタのシゴトは一体なんだ、と怒りを覺える。かくして私は今日も、JR東日本線“だけ”は運行状況をしっかり確認して、それから玄關を出るのである。
2026.02.11

陽の暖かな午前中、買ひ物ついでに地元の梅林に寄ってみる。ほかの地域に比べて毎年開花が遅いはうなので大して期待もしてゐなかったが、今年はすでに六分咲きで驚く。例年だとこの時期はまだまだ蕾で、もう三月と云ふ頃にやっと満開になった年もあるので、開花といふやつは案外に水モノである。本當の見頃は来週だらうか。季節は確實に進む。自分も次の季節に進む心積もりをしておかねば、時代に取り殘さるるゾ。
2026.02.10

神奈川縣橫濱市鶴見區のサルビアホールギャラリーで、沖縄出身のアーティストたちによる作品展を觀る。いづれも沖縄の印象そのままの底抜けな明るさと太陽の眩しさを感じさせつつ、(※會場内撮影可)八十年前に兵器を携へた米夷が上陸した悲劇、また近年の首里城火災、そして前沖縄縣知事の翁長さんのこと、さうしたヤマトには正確に傳はってこない、重い現實とを併せて認識する。また、沖縄にルーツを持つ米國在の若い女性が、手に独特な模様の刺青を施してゐる冩眞作品を觀て、昨年末にやはり鶴見で觀た沖縄芝居「泊阿嘉(とぃまいあーかー)」で乳母役の手の甲にやはり刺青がメイクで入ってゐたことを思ひ出し、受付に座ってゐる主催者に訊ねてみたところ、それは“ハジチ”と云って既婚女性であることを示すかつての風習で、家によって模様が異なり、また惡いムシを寄せ付けない呪(まじな)ひの意味もあったと教へてくれた。しかし明治維新後のヤマトによる徹底した沖縄文化の抑圧により次第に廢れ、現在では九十代の女性に僅かに見られる程度云々。いつか旅したいと願ってゐる沖縄は、やはり私にはとても物見遊山で行く場所ではないやうだ。
2026.02.09

今回の衆院選は465議席中、自民党が3分の2以上の315議席を獲得の大圧勝、結党以来初の快挙云々。野党の無能俗物が續々と落選したのは痛快だったが、自民党が圧勝ゆゑに党内の“獅子身中のムシ”までがそのおこぼれに預かり、けっきょく呉越同舟となってしまったあたりが、浮世の浮世たるゆゑんか。しかしこの選挙結果は、あくまで亂れに亂れた國政を建て直す端緒にて、岐路を懸けた正念場はまだまだ續く。これから日本のためにどんな働きを見せてくれるのか、それを自分の目で觀るために一票を投じた一人として、觀るまでもなくやることがわかってしまふつまらないステージイベントのやうな体たらくだけは、斷じて許さない。いまの日本は嫌ひだ。 日本人であることが好きであるゆゑに、余計に嫌ひなのだ。自分たちの國は自分たちの手で創り、守るものであり、“共生”を名目とした異分子など必要ない。アレルギー反應を抑へる初歩的對処とは、それを避け、排除することにある。
2026.02.09

起床して窓を開けると、驚きの銀世界。昨日の同じ時間よりひどい。しかし、午前中の予定した時間に、ちゃんと衆院選の投票に行く。まだ雪は舞ってゐる最中だったが、投票に訪れた人の數は多く、投票所の入口は一瞬行列が出来たくらゐだった。惡天候でもしっかり民意を示せるか、我々も試されてゐるかのやうに思へた。安倍晋三氏が首相を下り、その後に亡くなってから、どんどん酷い方向へと迷い込んでしまった日本。國民がいやがることばかりをやり、不信感を抱かせたこの國政を立て直せるかどうか、その瀬戸際に立たされた今回の選挙は、決して外してはならない。必ず日本を守ってくれると信頼し、期待できさうな人と党へ、私は一票を投じる。見る前から、聴く前から、どんなことをやるか予測出来てしまふステージイベントのプログラムなど無意味なやうに、どうせ何も出来ないと予測出来てしまふヒトや組織に期待をかけても、結局は無意味だ。待った無しにまで追い込まれたこの日本が息を吹き返せるかどうかいま正念場に立たされてゐる、さうした歴史の一瞬にいま生きてゐることに、私は身震ひを覺える。
2026.02.08

今日の東京圏は朝から雪との予報で、一日しっかり棲処に籠もってゐるつもりだったが、昼前からやうやく湿雪が舞ひ始めて積もることもなく、ただ地面を濡らすばかり。ならばと、昼過ぎよりそもそも予定してゐた街へ用事を片付けに出かける。驛前では、衆院選の立候補者が入れ替はり立ち替はり「最後のお願ひ」を叫んでゐて、やや訳の分からぬ様相を呈してゐる。地下街を通り抜けてそれを背中に聞きながら、明日の投票日はせめて今くらゐの天氣でゐてくれ、と願ふ。明日もいろいろ用事があるので、久々のお湿りは今晩中に済ませておいてくれい。
2026.02.07

千代田區立日比谷圖書文化館の特別展「THE SHOWA NUST GO ON─「昭和」という舞台を観に行こう─」を觀る。千代田區の日比谷、有樂町、丸の内界隈にはかつて、劇場や映画館が集まる娯樂文化のまちが形成され、(※戰前の東京寶塚劇場)東寶の小林一三が昭和十年に提唱した「有樂町アミューズメント計画」──家族で樂しめる演劇のオモカゲは、現在も日比谷界隈に見ることができる。今は大昔、日々の鬱憤晴らしに日夜映画館をハシゴしてゐた時分には、日比谷にいくつかある映画館にはよく足を運んだものだ。かくして映画館や劇場は、ツマラナイ日常をしばし忘れさせてくれる夢の非日常空間なのである。(※戰前の帝国劇場の客席)ところがさうした娯樂文化は、實のところ時勢や世相と密接に連動し、反映させたものであることを、展示された昭和時代のさまざまなプログラムがはっきり物語ってゐる。有事にはプロパガンダともなり得るこれは娯樂文化は、時には制限の對象ともなるなど、客席に座って見る“夢”が實は巧妙に粉飾された現世噺でもあることを、忘れてはならない。現在では閉館したきり放置されてゐる區内隼町の國立劇場が昭和四十一年に「100年の待望」をもって開場した時には、「西洋化した日本において危機に瀕する日本の傳統藝能を繼承する劇場」と云った使命を帯びてゐた。(※國立劇場開場當時の記念繪葉書 述者藏)が、すっかり國力が堕ちた現在はどうだ。豊かな國には豊かな文化が生まれる。藝術、娯樂、技術──いまは、どうもさうではないと云へさうだ。
2026.02.06

映画「ランニング・マン」を觀る。スティーヴン・キングの小説を原作に、富裕層と貧困層とが完全に棲み分けされた近未来の米國で、職場の“仲間”のために失業した男が幼い一人娘の治療費を稼ぐため、殺人ハンターたちを相手に三十日間の生中繼“鬼ごっこ”──ランニング・マンに挑む、サバイバルアクションのためのサバイバルアクション物。爆破シーンなどにCGを使はない分、激闘の迫力はあったが、なにかもう一越えほしい氣がした。そのうちに、TVで昼過ぎに放映されてゐるロードショー番組に登場するだらう。ストーリー後半、自動運転中のクルマの運転席で、いかにもイマドキな若い女がのんきに化粧をしてゐると、主人公の男がクルマの前に立ちはだかってジャックするシーンがあったが、もし日本でもクルマの自動運転が本格導入されたら、運転席で化粧をするかういふ女は必ず現れるだらうな、と思ふ。すでに電車のなかで、ああしたキタナイ姿を晒して憚らぬのだから。
2026.02.05

淺草松屋で、今日から初の古書市を開くと云ふので覗きに行ってみる。和本や古い書画、希少な珍本などを中心とした骨董味の強い古本市で、文庫本などがワゴンにぎっしり詰まった大衆的な“古本市”とは趣きが異なる、ちょっとお客を選ぶ雰囲氣。しかしかういふ催しでは、美術館や博物館で恭しく展示されてゐるやうなものを、普通に手に取って吟味できる面白さがあり、さうして私は昨夏に鎌倉で目にして興味を覺えた展示物と同じ逸品を、「雑本」扱ひで積まれた山のなかから發見し、實に廉価で入手する。興味も關心もない人からすれば、ただのキタナイ紙屑だが、その正体を知ってゐる人が見れば、アッと息を呑むおタカラ。私は先人たちの遺してくれた歴史の価値を、もっともっと見たい、知りたい。會計で懐の痛まぬ金額を拂ふと、店員が丁寧に包装し、紙袋にまで入れて渡してくれた。袋ひとついちいち有料のこのご時世に!昔からの一流百貨店とはかういふものなのかと、なにかいいものを見た氣がした。
2026.02.04

わが棲処にも、選挙公報が届く。どの政党も、言ってゐることがイマイチわからない。どうせ舌先で國民を煙に巻くのがシゴトゆゑ、まぁそんなものか。だが、投票にはかならず行く。この場で自由に文句を垂れる權利を行使するための、義務として。義務も果さぬくせに不平不満を宣ひ、權利ばかりを主張するばかモノになどは、なりたくないからの。もちろん、惡い印象を植ゑつけやうと躍起になってゐる報道屋などは、知らん顔するに限る。先日、私のスマホに忘TV局と覺しき電話番号050より着信があった。選挙に絡んだ電話世論調査とみて、私は出なかった。情報を捏造するのがシゴトの報道屋になど、誰が加担するものか!私には、與党も野党もない。あまりに増へすぎた奇怪な生き物だの事柄だのをしっかり誅してくれる者を、私は支持するものである。
2026.02.03

ラジオ放送の長唄「春興鏡獅子」を聴く。唄は昨年十一月に死去した東音會の宮田哲男氏、三味線は先代の杵屋五三郎師の一挺一枚に囃子が入った構成で、五三郎師のしなやかで艶っぽい音色に聴き入る。師は淺草に住んでゐて、二昔以上前に地下鐵銀座線の車内で席に座ってゐる着物姿の五三郎師を見かけたことがあり、冩眞や映像で觀る印象そのままであったことを覺えてゐる。東音會の顔のやうな存在だった宮田哲男氏とはよく組んで活動しており、今回放送の音源は二人による長唄演奏を百曲録音したうちの一つとのことだった。唄については、五線譜で唄わうとするとかうなるのかな、といったダラダラなツマラナイしろもので、明治時代に九代目市川團十郎が「枕獅子」の改作で初演したところ不評だった、と云ふ當時の雰囲氣を想像できたところが手柄か。いつであったか、長唄演奏家の會合で、忘流の女流家元がなにか發言したところ、女性だからゆゑに「オマエは黙ってろ!」と怒號を浴びせたと云ふ氏の姿を仄聞したことがある。“藝は人なり”。
2026.02.02

毎年二月の恒例(おたのしみ)、橫濱市保土ヶ谷區の岩間市民プラザで、活辯士・坂本頼光さんによる「サイレントシネマ&活弁ワールド」に出かける。三本立ての開口一番は短編喜劇「ドタバタ撮影所」で、チャップリンの初期短編にもよく見られる映画撮影所を舞臺にしたドタバタ劇。(※案内チラシより、以下同)サルのほか、ライオンやワニなどキケン動物が主演者に直接絡む場面が頻出して、笑ひより觀てゐるこちらもヒヤヒヤさせられる、命懸けな古作。資料が失はれて制作年代など一切不明の作品とされてきたが、つひ最近になって1923年制作の「キックアウト」がそれに該當すると判明云々、そこに生きた人間が記録された、間違ひなく誰かによってどこかの時代に撮影されたことは事實なわけで、かうした謎には興味をそそられる。二本目も米國産らしい体を張った喜劇で、三本の短編を一本化した「爆進ラリー」(1922年~1923年)、ラリー・シモンと云ふ喜劇俳優を初めて知る。三十代で急逝したが、一時はチャップリンやキートンよりも稼いでゐたさうで、モノクロフィルムに映り榮えするやう顔をかなり真っ白にメイクしてゐるのが、首まわりとの色の差ではっきりしてゐるのが違った意味で喜劇的だった。トリは大河内傳次郎が水戸光圀と信州出の豪傑浪人の二役で主演した「水戸黄門」三部作(昭和十年 日活京都)の“完結編”で、一昨年から一編づつ上映して三年越しで堂々完結。德川将軍家転覆を謀る柳澤吉保父子に加担する水戸德川家家老の藤井紋太夫を誅伐する水戸光圀、陰謀に巻き込まれて死亡した親友の仇を討つ豪傑浪人と、若き日の大河内傳次郎の演技幅の廣さが作品に奥行きを魅せる好長編。かうした理屈抜きな活劇こそが、娯樂の王道本道だ。坂本頼光さんは作品解説などのトークではマイクを使はず堂々たる肉聲で聞かせるので好感をもってゐたが、昨年からスギ花粉のアレルギーが出始めて鼻の調子が優れないとのことで、今回はマイクの助けを借りてゐた。たしかに持ち前のユーモアたっぷりな活辯ぶりも今回はやや本調子ではないやうに感じられたが、アレルギーは付き合ひ方次第、いづれまた當意即妙ぶりを樂しませてくれるだらう。
2026.02.01
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