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2025.05.15
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カテゴリ: 浮世見聞記
明治大學平和教育登戸研究所資料館の企画展「風船爆弾作戦と本土決戦準備─女の子たちの戰争─」を觀る。



日本の敗色がもはや決定的な昭和十九年、想定外に圧倒的な米夷の攻撃に内心では狼狽へ、追ひ詰められながらも、まだ“大和魂”だの“カミカゼ”だのを恃みに勝てる希望を捨てられずにゐた大日本帝國陸軍は、つひに國際法の禁止事項──細菌兵器に手を伸ばす。

PX細菌を搭載した氣球を偏西風にのせて米國上空に飛ばして散布する無差別攻撃計画と云ふ、この敗者の末期症状でしかない確信犯行為を後押ししたのは、「勝てば裁かれない」と云ふ見下げ果てた“勝てば官軍”根性であり、ヒトはジリ貧に陥るとここまで愚かになれるのかと、こみ上げる激しい嫌惡感に展示解説文を讀むのもいやになる。

しかし、この禁じ手に用ゐられやうとしたケオプスネズミノミを媒介とするペスト菌は實験の結果、氣球が上昇する高度1萬㍍の零下50℃、氣圧も地上の4/1しかない環境下では死滅すること、もう一方で検討されてゐた牛痘ウィルスを散布して家畜類を空氣感染させる作戰は、「我が國の稲が秋の収穫時に焼却される報復に遭ふおそれ」があるとして中止、禁じ手を用ゐやうとしたわりに弱腰とも映るが、やはり人として良心の呵責もあったと、私は思ひたい。


かくして氣球に細菌兵器を搭載する作戰は通常の爆彈や焼夷彈を搭載して飛ばす作戰に變更され、昭和十九年十一月三日、千葉縣一宮、茨城縣大津、福島縣勿来の三ヶ所から、和紙を蒟蒻糊で貼り合はせた手作り氣球による“風船爆彈”の第一陣が飛ばされる。

米夷が最新鋭の爆撃機を開發してさかんに飛ばしてゐた一方で、楮原料の和紙と蒟蒻糊の手作り氣球で攻撃とはおそろしく時代錯誤な印象を受けるが、もはやそれしか米國本土を直接攻撃する術がなかったのが大日本帝國陸軍の實態であり、その協力をさせられたのが、學業半ばで劇場などを転用した氣球製造工場に各地から駆り出された、女子學生たちであった。


(※案内チラシより)

憧れのセーラー服も着られず、ヘチマ襟のツマラナイ“國民標準服”にモンペ姿で、厳しい寒さや蒟蒻糊による皮膚炎、望郷の念とも闘ひ、時には工場が示した図面の設計ミスを自分たちで計算して証明してみせ、強く訂正を求めるなどその勤勉さはすべて真實を知らされることなく利用されたものだと思ふと、爆彈攻撃と同等の悲劇と怒りを覺える。

彼女たちがおのれの青春を犠牲にして作り上げた氣球が“敵國”にどのやうな効果をもたらしたのか、その唯一の報道が昭和二十年二月十八日付の朝日新聞『氣球爆彈米本土へ』の記事で、「時速二百哩 死傷者五百人」と傳えるが、實は誤報であったことは件の記事の上段に躍る、硫黄島上陸の米夷軍を日本軍が撃退したとの記事を見ても、納得がいく。





(※同)


大日本帝國陸軍の凋落を象徴した風船爆彈作戰──「ふ號作戰」は、水素などの原材料不足から唯一の報道より二ヶ月後の四月二十日の發射を最後として、二十九日に終了する。

無條件降伏まで、あと四ヶ月足らず。

いや、まだ四ヶ月もあったのか、と思ふべきだ。


私にとって驚愕暗然といふより怒りが先に立つこの歴史で唯一頬の緩んだのが、日劇を転用した工場に動員された當時十三歳の映画好きの女子學生が、ロビーに貼られたままになってゐる銀幕スター池辺良のポスターを、休憩時間に見ることを樂しみにしてゐた、と云ふ証言。

キナ臭く殺伐とした末世下でささやかに咲く等身大な青春にやっと逢へたと、なにやら安堵を覺える。





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最終更新日  2025.05.15 20:00:03
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