迦陵頻伽─ことだまのこゑ─

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2025.10.02
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カテゴリ: 鐵路
東京都墨田區東向島の東武博物館で、企画展「戦時下の東武鉄道 ~残された文書からみえるもの~」を觀る。



戰況が目に見えて惡化していった第二次大戰下、なおも強氣な“大和魂”恃みで軍需政策を押し進める大日本帝國と、その協力を求められた鐵道會社の苦闘を、東武鐵道に辛うじて殘された斷片的な公文書より讀み取る。

昭和五十八年に廢止された東武鐵道唯一の非電化線だった熊谷線は、もともと日光軌道線の一部を單線化して捻出した線路を転用して昭和十八年に部分開通したと考へられる軍事用路線であり、


(※パンフレットより)

それは敗戰要因のひとつであった決定的な資材不足を象徴する事例と云へる。


さうした極限下における懸命な“総動員”ぶりも虚しく、米夷の空爆は日増しに激しくなり、車輌や設備の多くを破壊されて追ひ詰められていく哀れさや、三月十九日深夜、玉ノ井驛(現 東向島驛)に宿直勤務中に大空襲に遭った女性驛員は、驛長の判斷通り待合室に避難して奇跡的に助かったが、「ここにゐたら結局は死ぬんだ」と外へ飛び出して行った二名の男性驛員はその後行方不明になった証言など、ヒトのチカラと運命の力との落差について、もっと學ぶべきものが多く含まれてゐることを示唆してゐる。


終戰後に侵駐した米夷に對する東武鐵道社員の感情や戸惑ひを生々しく傳へてゐるのが、昭和二十年十一月三十日付けで通達された「終戰三ヶ月進駐軍を迎へて」と題のついた、十三ヶ條にわたる約二枚半の手書き文書で、“敗戰國民だからと卑屈になることはない”と激励しつつ、米兵が駅務室に入って来たら椅子を勸めて用向きを訊ねよ、と下へも置かぬ應對を指示し、但し取り囲んで物をねだったり、媚を賣るマネ(實際に女性社員にゐたやうだ)を固く戒め、“進駐軍は事情が分かり、理屈があれば無理は云はない”ヒトたちとする。

しかし文書冒頭の、

“半可通の亞米利加事情を聞いて鵜呑みにしてはならない”



“日本人の様に分からぬ屁理屈は云はない”

は、現代にそのまま通じる痛烈な指摘でもあり、今日付の通達としても疑はないであらう皮肉な新鮮さに、貴重な価値があると思った。





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最終更新日  2025.10.02 19:00:05
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