迦陵頻伽─ことだまのこゑ─

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2025.10.17
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カテゴリ: 浮世見聞記
秦野市立宮永岳彦記念美術館で、「グラフィックデザイナー 宮永岳彦」展を觀る。



昭和十一年(1936年)に十七歳で松坂屋百貨店名古屋本店に勤務してポスターの圖案やディスプレイの演出を担當し、戰後に復員してからは銀座松坂屋の宣傳部に移り、「作家のカラーが店のカラーになる」との持論のもと、ポスターや雑誌の表紙を通して戰中の暗い世相から解放されて美しいものを渇望する人々の心に應へる繪を多く提供し、「太陽の昇らぬ日はあっても宮永のポスターを見ない日はない」と云はれるほど商業美術界のスターとなった宮永岳彦の精力的な足跡(しごと)を、精選された作品から辿る。


(※フラッシュ無しで撮影可、以下同)

「女性の美しさを際立たせてゐるのは目と口である」と見極めて描かれた女性たちは、なるほど眼差しと口許に生き生きとした魔力をもって、私の心へ誘ひかけてくる。



商業廣告の圖案家としては、創立早々に経営難に陥ってゐたANAの前身である日本ヘリコプター輸送株式會社(日ペリ)の、「日本の空は日本人の手で」と云ふ會社精神が大いに氣に入り、



破格の予算で昭和三十から三十年以上も宣傳廣告を手がける男氣を見せた話しは、あらゆる場面で外國の後塵を拝してゐる現今の日本を憂へる私の氣持ちにも、大いに響く。


戰後の日本において長らく商業美術の第一線を走ってきた宮永岳彦だが、昭和四十年代に入ると「純粋に自分の繪を描きたい」との思ひから、それまでの仕事から離れて油彩画一筋に励み、独特の眈美的画風を確立したのも地藝のなせる技、しかし最晩年には「結局、若い頃に描こうとしてゐた世界をまた描いてゐる……」としみじみ語った云々、人は道を極めるとまた原點に帰って来る、一流であればあるほど、さういふものなのだらう。


(※額縁にもこだわり研究した、「翔」)

小田急線の鶴巻温泉驛に初めて下り立ち、氣の合ふ人に出逢ったやうな、いろいろなことに共感のひとときを過ごす。





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最終更新日  2026.05.20 21:32:03
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