迦陵頻伽─ことだまのこゑ─

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2025.11.13
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カテゴリ: 浮世見聞記
JICA橫濱 海外移住資料館にて、「破られた約束─太平洋戦争下の日系カナダ人─」展を觀る。



明治初期の1877年に長崎出身の永野萬藏と云ふ人物が英國船の水夫として加國に渡り、漁業や商店經營で身を立てたのを皮切りに、紀州や江州の日本人が次々に加國へ移住したが、1907年2月に米國政府が日本政府と結んだ日米紳士協約により日本人のハワイ移住が實質不可能になると、大量に加國へ流れてその人口はふくれ上がり、やがて現地人たちによる日系移民排斥運動へと發展する。

まさに、いまの日本が抱へる増えすぎた移民の問題と同じ現象が、當時の加國で起きてゐたわけで、1941年12月7日(日本時間で8日)のハワイ真珠湾攻撃によって日本がはっきり敵國になったことで日本出身者たちへの公的な敵對政策の口實となってしまったことは、彼らにはただ不運としか言ひやうがない。 

1942年に日系加人はブリティッシュコロンビア州から強制的に立ち退かされ、持てるだけの財産を持って汽車に乗り込んだあとに殘された財産(不動産、農地、漁船、家財道具など)については、加國政府が保護してくれる約束であったが、表題のとおりわずか二ヶ月で反故にされて次々に賣却、または略奪され、當人たちには知らされることなく失なった財産は、戰後にいくら抗議しても返ってくることはなかった──


(※展示室内撮影可)

加國政府の言ひ分、被害者である日系加人の訴へ、相方の聲を聞いても、結局のところ体内に侵入した異物を取り除くために起きるアレルギー反應と同じ本能的な生理現象に、戰争と云ふ惡條件が重なったことで表面化し引き起こされた不運、悲劇であり、それは異邦人となる以上覺悟すべき問題であり、宿命だったのだと思へた。

生國では無一文であり、親の出身國には馴染めず、どちらにも居場所の無かった“二世”の問題は、いづれ令和現在の日本でも、大きな問題となって繰り返されることだらう。





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最終更新日  2025.11.13 22:43:51
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