迦陵頻伽─ことだまのこゑ─

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2026.01.27
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○明治45年(1912年) 30歳


1月 浪花座(1日~26日)

「聚楽物語」関白豊臣秀次 
「不破数右衛門」許嫁おつま、非人のおつま
「当子歳〆たぞ〆たぞ」下女お松



2月 京都座(2日~23日)

「奴の小万」木津屋娘お雪後に奥女中小万、茶屋女奴の小万
「中将姫 豊成館雪責の場」妻桐の谷
「酔菩提」俠客野晒悟助


「我童・長三郎(林長三郎=二代目林又一郎)の両坊ちゃんが人気取の競争は烈しゅう……」(大阪朝日新聞1.28)
「不思議に好人気である。七日の如きは三時各等売り切れの盛況であった」(京都日出新聞2.9)

〈記者評〉
「二月は京都の京都座で、徳三郎との一座を打った。この時から以前は徳三郎と五分五分でいた優が、いよいよ座頭格に坐ることになった。
即ちこの興行から見物は徳三郎を客にして、一口に松嶋屋の芝居と呼ぶようになった。これは葉村屋の人気が漸次我童に推移してきたと見るべきで、狂言の如きもほとんど我童中心で、一番目に『奴の小万』、二番目に『野晒悟助』、中幕に徳三郎の『中将姫』に桐の谷をやった。
そして出来栄えを言えば野晒悟助が結構で、スッキリ色気のあるいい達衆であった。殊に序幕の花道の出は誰がやっても儲かるところながら、この時は素敵な人気で満場鬨の声をつくりばかりの勢いであった。」(「演芸画報」大正5年9月号)



○3月 浪花座(1日初日)

※2月京都座をそのまま移しての興行。

〈劇評〉
「『中将姫』我童のこの役(妻桐の谷)は人気のある優だけに、出ると声はかかるが、強いて賞めるほどでもない。と云って決して悪くもないが、戸の外に居る間の表情が足りなかったり、またある時には誇大に過ぎるようなところもあった。
『酔菩提』我童の悟助はまづ無難の出来、顔(化粧)の拵えもよかった。」(「演芸画報」明治45年4月号) 


「延若、我童の人気は京大阪ともにこの前後は五分五分の形で、ここかしこに両優の人気争いや、競争的の暗中飛躍を耳にした。
そしてこの興行の如きは、延若東上の留守中とあって、一層松嶋屋に贔屓のついた形があった。
こうして素晴らしい人気の内に、翌四月には東上して歌舞伎座出勤の話が纏まったのである。」(「演芸画報」大正5年9月号)



4月 東京 歌舞伎座(10日初日)

「白拍子祇王」白拍子佛御前

「新作所作事 五條橋」牛若丸


「新作所作事 五條橋」右 我童の牛若丸 左 二代目市川段四郎の武蔵坊弁慶

〈本人談〉
「一番目の『佛御前』は私はまだ東京風の史劇、いわゆる活歴の舞台に馴れませんから、今度は変な小さい芝居をして笑われるより、ただ神妙に控え目に演じて、他との調和を破らないように心掛けるつもりです。つまり私に東京風の芝居がどれくらい出来るか自分で試して見るつもりだす。
そのかわり『曲輪日記』のあづまは純大阪式にやって、上方式の味を発揮したいと思っています。拙くともどこか違った味を発揮したいと思っています。
牛若丸(『五條橋』)はスッカリ能掛かりで、気品と形で見せる役だすが、まだ見当がつきまへん。」

※片岡土之助の時分以来、16年ぶりの上京。
〈本人談〉
「何しろ早急の話しで、先月(三月)の二十二日、浪花座の楽(千穐楽)の日に芝居をしながら荷造りを指図するという騒ぎ、すぐその晩梅田を出発点したもんだす。大変な見送り人で、見送って頂く方ばかりで一等が満員の大混雑で私は立往生だす。京都でも沢山見送って頂きまして嬉しゅうおました。名古屋へまいりますとスッカリ酔うてしまいまして、頭が痛みますもんだすさかいに下車いたしまして、二日ほど逗留いたしました。
二十六日に新橋へ着きました。(中略)
ゆくゆくは東京(こちら)に永く置いてもらって、自分が十六年間大阪に居りました間、一つや二つの当たり狂言でもありましたろうから、今度のように初役ではなく、私が相当に苦心して研究した自信ある狂言を、皆さんに見て頂きたいと思っているのだす。」


明治期の初代歌舞伎座



5月 名古屋末廣座(5日~12日)

『五代目中村歌右衛門襲名披露 名古屋興行』

「真説義士誉」瑤泉院、大石主税、赤垣源蔵
「本朝廿四孝」腰元濡衣
「心中宵庚申」甥の太兵衛
「曾我物語の一節 和田大酒盛」曾我十郎祐成



6月 東京歌舞伎座(18日初日)

「生写朝顔日記」深雪
「大山詣」西野や東吉


「生写朝顔日記」深雪

〈記者評〉
「(前略)ただ例により十八番の朝顔は好評嘖々深い感激を与えて、若い優の前途に嘱望する好劇家も少なくなかった。」


7月 市村座(14日初日)

「箱根霊験躄仇討」瀧口上野之助
「難波の梅吉」同心八十充進
「縁」お柳
「恋飛脚大和往来」亀屋忠兵衞


「恋飛脚大和往来」右から尾上卯三郎の丹波屋八右衛門、我童の亀屋忠兵衞、岩井粂三郎の梅川、尾上樂三郎の井筒屋おえん

※7月30日、明治天皇崩御。



即日、皇太子嘉仁親王が即位し、元号が大正と改まる。





○大正元年(1912年)


9月 市村座(20日初日)

「東台夜話」天野八郎
「駅鈴」娘おみち
「望月」望月左衛門
「近頃河原達引」猿廻し与次郎

〈記者評〉
「しかし優の第一回の上京もいづれかと言えば成功ではなかった。そして優が成敗を問わずさらに一年二年と踏み止まって修業するだけの勤勉さに欠けていたのは情けなかった。
こうして、いわゆる竜頭蛇尾の形で帰阪した十一月。翻って大阪の人気はと見ると、これはまた案外にも非常な優勢で、贔屓連は大成功の帰阪として歓迎した。
大阪で本当に確かな地盤が出来て、真に座頭待遇を受けるようになったのは、一にこの上京の結果と謂ってもよかろう。」(「演芸画報」大正5年9月号)



11月 角座(1日~22日)

「関白秀次」関白秀次公、前関白秀次
「野崎村 久作内」娘お染
「橋弁慶 五條橋」西塔武蔵坊弁慶
「新作 秋の雨」尾花屋倉吉、松蔵女房おくら

「ちょうどこの興行の前に優は東京帰りとあって大阪風の乗込みをやった。
夕刻梅田駅から車を連ねて道頓堀へ出て角座に着き、手打ちを済まして道頓堀一帯の芝居茶屋へ挨拶に廻るのに過ぎないのであるが、私はこの時ほどしみじみと大阪という土地の嬉しく思われたことはなかった。
それは角座前から道頓堀一円、その乗込みを待ち受ける大勢の見物が、ひたすらに我童の帰阪を喜ぶ純な心持ちが群衆の波に溢れていたからであった。
そして数十軒の芝居茶屋が、大きな燭台に百目蠟燭の光りまばゆく、玄関には緋の毛氈を敷きつめて金屏風を立て廻し、正面に内儀が坐ってその挨拶を待ち受ける古風な情景は、まことに華々しいものであった。
このなかを縫って美しい素顔の我童が、羽織袴に草履履きで、銀杏鶴の常紋の多数の高張提灯に取り囲まれて、一軒一軒と挨拶に廻る──
これを見ている見物の意気、大阪の昔のままの芝居茶屋。そうして我童と云ういかにも花形らしい花形役者。私はただもう夢心地に人なだれのままに、進みつ戻りつ秋の夜の道頓堀の古めかしい燈火のなかを彷徨うのであった。」(「演芸画報」大正5年9月号 三宅太郎述)

〈記者評〉
「しかし、こうしてお祭り騒ぎの人気が立ったに係わらず、役の出来栄えは香しくなかった。私は我童が座頭として振舞うだけに、前よりも一層その生地が鼻についてならなかった。お染のほかは、ことに柄にない弁慶と来ては恐縮物であった。」



12月 浪花座(11月30日~12月15日)

「小諸節」関の小万
「黄鳥墳(うぐいすづか)」非人長柄の松実は佐々木源之助
「染模様妹背門松 蔵前のだん」竹本南松軒(※素顔で出語りをつとめる)

〈記者評〉
「(前略)ところでしばらくこの人の当たり芸に接しなかった私は、佐々木源之助を見て驚いた。実にオットリとした古風な前髪の若衆立役である。やることの生地が出ずに巧いものであった。思えば横山太郎がいい人だ、この役が巧いのも理の当然とは言いながら、むしろ私はああ云う大まかな狂言の味わいをそのまま見せた点に敬服した。これはまさに当たり芸として推奨しておきたい。」




○大正2年(1913年) 31歳


1月 京都明治座(1日~22日)

『片岡我童・嵐徳三郎 青年俳優大一座』

前年12月の大阪浪花座興行と同じ狂言立てに、中幕狂言として「曾我物語」が加わり、曾我五郎時致をつとめる。

〈新聞評〉
「……明治座の我童(まつしまや)さかんに独りよがりをして一番目で小諸節を唄ったかと思うと、切で素人浄瑠璃と来たものなり。(中略)殊更切の出語りなど道楽もあれ迄いっては、癪に障わらざるを得ず……」(京都日出新聞1.19)



2月 浪花座(2日~3月10日)

『新旧合同』

「生さぬなか」渥美妻真砂子


4月 御園座(11日~18日)

「生さぬ仲」渥美まさ子

〈新聞評〉
「継母と継子とが新味に優る真情を感応さするというを主眼に、友情や腹の黒い親や其の他複雑な筋道を点綴した、頗る通俗的の砂糖仕立(中略)、今度の新旧合同は成功とは言えない。白(せりふ)と所作と表情の三つが両者互いに不調和のため、茲(ここ)という味が更に頭に響かず、折角期待したに獲物の少なかったは遺憾であった。」(名古屋新聞 4.13)



〈参考〉新作劇の女性役に扮した片岡我童(狂言及び役名は不詳)


5月 角座(3日~25日)

「後編 生さぬなか」渥美真砂子
「あしべ踊」踊り子

※「二十六日、一座中の徳三郎、我童、福之助三名の発企で吉三郎、璃玨以下三十余名に新町の(中略)舞妓数名が加わり(中略)香里園へと繰り込んで、『生さぬなか』劇成功デーを兼ねて園遊会が催された」(大阪毎日新聞5.27)



6月 京都座(5月31日~6月21日)

「女歌舞伎」歌舞伎太夫桐大内蔵
「野崎」娘お染
「燕子花(かきつばた)」大工六三郎



7月 御園座(2日~7日)

「奴の小万」奴の小万実は木津屋娘おゆき
「妹背山婦女庭訓 三笠山御殿の場」扇折求女実は藤原淡海
「冥途の飛脚」亀屋忠兵衛

〈新聞評〉
「『冥途の飛脚』にて忠兵衛に扮する我童は、羽織落としより茶屋場まで上下二幕にて、松嶋屋専売妙味を振い、頗る喝采を博し居れり」(名古屋新聞 7.6)



9月 名古屋 末廣座(6日~12日)

「雪月花闇争」怪狐実は東国太郎
「曙朝顔日記」瞽女朝顔実は深雪
「史劇 熊王丸 河内赤坂場内の場」熊王丸
「おその六三 盟縁結」大工六三



11月 松島八千代座(10月31日初日)

「大阪陣」大野修理之介、木村長門守重成
「御牛(みうし)」紀友春
「俠客春雨傘」玄之進娘お鶴後ニ松葉屋傾城薄雲

※二の替り(15日~26日)
「赤穂義士伝」浅野内匠頭長矩、大石松之丞良金、堀部安兵衛武庸、大石嫡子主税
「廓文章 吉田屋の場」扇屋夕霧



○大正3年(1914年) 32歳


1月 浪花座(7日~24日)

「梅薫時如月」宮木左門之助重勝
「本朝廿四孝 十種香 狐火」息女八重垣姫



3月 南座(4日~19日)

「天保の改革」子分金太実ハ遠山左衛門尉景元
「吉野拾遺之内 小楠公」楠帯刀正行
「奥州安達原」瞽女袖萩
「維新三傑 木戸孝允」三本木芸妓幾松



4月 中座(2日~29日)

「雲雀山」長谷部信廉、横佩朝臣の息女中将姫
「曾我 曾我中村の場」禅司坊実永
「堀河波の鼓」鼓師匠宮地源右衛門



5月 松島八千代座(10日~20日)

「聚楽物語」不破伴作
「朝顔日記」瞽女朝顔実は秋月娘深雪
「冥土の飛脚」亀屋忠兵衛
「所作事 姿彩色」祇園お梶



9月 浪花座(6日~24日)

『新旧合同』 

「藤浪」渉の妻苗子後に秋葉美保子
「遺恨二十年」給仕女後に大尉夫人リーネ



10月 南座(4日~19日)

『新旧合同』

「所作事 松縁都錦絵」丁稚久松、娘お染、狂女お光、雷神、子守女おつる  

〈新聞評〉
「……切の我童五役七替りが評判。殊に雷神が三味線の曲弾きは松島家党大喝采」(大阪毎日新聞10.7)



11月 浪花座(10月31日~11月21日)

「小笠原流礼忠孝」小笠原隼人、蘭の菊平実は明神ヶ岳の霊狐、小平治女房お早
「佐々木高綱」子之助姉おみの
「廓文章」藤屋伊左衛門



○大正4年(1915年) 33歳


1月 浪花座(2日~26日)

『市川斎入(初代)引退興行』

「豊臣秀康」妹花枝
「近江源氏先陣館」竹下孫八
「住吉踊」燕坊

〈記者評〉
「(前略)『豊臣秀康』で妹花枝一役を見せた。これは延若、福助(三代目梅玉)に比べて確かに役不足であったが、何でも前年一杯、我童の芝居があまり入りがなかったので我慢させられたとか云う噂を聞いた。」(「演芸画報」大正5年9月号)



2月 京都明治座(6日~21日)

「実録仙台萩」伊達陸奥守綱宗、細川新平
「壷坂霊験記」女房お里
「牛若源太」荷持幸吉
「冥土の飛脚」亀屋忠兵衞



3月 大阪 堂島座(3日~16日)

「朝妻物語」館林参議後に五代将軍綱吉
「壷阪霊験記」千手千眼観世音
「妹背山 三笠山御殿の場」豆腐御用おむら
「おその六三郎 恋のさき金」大工六三

※二の替り(19日~26日)
「鏡山旧錦絵」召使お初
「氏家左近」氏家左近
「染模様妹背門松 油屋店先之場」山家屋清兵衞



4月 南座(1日~15日)

「有馬の猫」有馬中務太輔頼僮、牧の方召使お仲、小姓秀之進、腰元松島、女太夫お竹実は怪猫
「忠義桜」華岳寺徒弟良雪
「桜鍔恨鮫鞘 鰻谷の場」古手屋八郎兵衛
「都踊」踊り子

〈新聞評〉
「我童の怪猫は早替りの鮮やかさが評判がよい」(大阪毎日新聞4.3)
「我童を始め一座の連中は大入り続きのお祝いとあって九日打出し後(中略)観桜の宴と洒落た」(同4.10)

※二の替り(18日~27日)
「仮名手本忠臣蔵 大序より七ッ目」塩冶判官高定、千崎弥五郎、女房お軽、伯人(遊女)お軽
「堀川 与次郎住家の場」猿曳与次郎
「都踊」踊り子



5月 中劇場(8日~23日)

「奥州安達原 三段目」貞任の妻袖萩
「三人吉三廓初買」八百屋お七実は旅役者お嬢吉三、丁子屋の一重


7月 名古屋 御園座(2日~7日)

「奴の小万」木津や娘おゆき後に奴の小万
「妹背山婦女庭訓 三笠山御殿の場」扇折求女実は藤原淡海
「冥土の飛脚」亀屋忠兵衛



12月 南座(11月30日~12月18日)

『御大典紀念顔見世興行』

昼の部第一「冬姫」名古屋山三郎
同第二「伊賀越 八ッ目」娘お袖
夜の部第七「所作事 三輪」三輪明神、大和の女

※中村魁車病気休演のため「かりのたよりまいらせそろ」の妾司を代演、興行主の松竹より感謝状とダイヤ入り純金メダルを贈られる。





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最終更新日  2026.01.27 02:40:04


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