迦陵頻伽─ことだまのこゑ─

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2026.01.28
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○大正9年(1920年) 38歳


1月 歌舞伎座(7日初日)

「護国女太平記」愛妾五の丸
「船打込橋間白浪」松五郎女房お咲


「船打込橋間白浪」松五郎女房お咲


2月 横浜座(4日初日)

「修禅寺物語」源左金吾頼家
「桜鍔恨鮫鞘」古手屋八郎兵衛


「桜鍔恨鮫鞘」右 我童の古手屋八郎兵衛、左 片岡一(十四代目片岡仁左衛門)の娘お半




「伽羅先代萩」足利頼兼、局沖の井
「都一中」板倉屋娘おふみ実は都三中娘お鶴
「羽衣」漁師伯了


「伽羅先代萩」足利頼兼

〈劇評(川尻清潭・遠藤為春合評)〉
『伽羅先代萩』
「清潭 (前略)今度の頼兼の我童を評して見れば、拵えはこの狂言の約束通り紫地に金絲で竹の伊達縫、棒茶筅に紫の置袱紗ですが、飾元結に總(ふさ)が下がって居るのが大阪好みです。
為春 それと下着(つけ)は大抵東京では白ですが、今度は浅黄です。これが大阪好みでしょう。それに着附は團十郎は黒でしたが若い人は大抵紫地に竹の伊達模様を用います。尤も菊五郎(五代目)は藤色の好みでした。
清潭 これは紫が本格です。それと伽羅木履は今度チャンネル鼻緒がすげてありますが、これは白が本格です。
為春 私もそれはそうと思います。
清潭 最初花道から駕籠屋が出ると、黒装束の侍が提灯を切って落とす。駕籠屋が逃げて入る。侍が左右から駕籠の中へ刀を衝き入れる。手応えがないので垂れを上げて見る。頼兼がいない。ここで駕籠の後ろへ頼兼がぬっと立って扇子で両人を打って駕籠に寄り掛かって極まるまでは在来の型通りでしたが、一向に酔態の見えないのと、大間の味のないのが欠点だと思います。

清潭 そこが詰まり味のないとこで、細かい籠手先ばかり利いて鷹揚な態度が少なかったのを惜しみます。たとえば侍に肩を揉ませる処、蹴投げた木履を持参させる処なぞに就いて大間な興味を殺ぎました。それに欄干へ寄り掛かる処も古い型で行くと、侍に刀で足を追われて跟(つ)けながら橋の親柱へ身を支えて其の刀を踏んまえ、塵を払うように扇子で煽ぐのが紋切り型ですが、今度は万事に於いて古い型が閑却されておりましたが、これは我童を責める訳ではありません。むしろ立師の責任でしょう。こういう極ったものは我等に於ては崩さない事を望みます。
為春 序(ついで)に云いますが、その木履をわざわざ黒装束が脱がせるのは可笑しい。」
清潭 昔はこの木履を拾う官蔵が、匂いを嗅いで伽羅木履を利かした可笑しみの科(しぐさ)があったものです。(後略)」



5月 中座(6日初日)

「長恨歌」楊貴妃

「いろは新助」許嫁娘おりく


「ひらかな盛衰記 逆櫓」侍女お筆

〈本人談〉
「今日私が楽しみとしているのは、舞台より外にはないのです。それというのは専心芝居を新しく研究して演(や)ろうという念慮(おもい)より外にはないのです。
ですから種々(いろいろ)の脚本を読むのが何よりの楽しみで、この秋の大阪で是非とも自分の理想的な芝居を演って見たいと思っているのです。(中略)
先頃大阪と帝劇とで私共が出した『松平長七郎』などが、ちょっと手始めになったような工合で、(中略)その節は何分御援助を願いたく、今日は私のこれが唯一の道楽といっては語弊ですが、これよりほか考えはないのです。」(「演芸画報」大正9年6月号)

※5月19日、開幕寸前の13時20分に廻舞台下の高圧電気スイッチ室より発火、すでに入場していた観客は大混乱になったが、奈落の天井裏を焼いただけで、14時過ぎに鎮火、但し19日は臨時休業とした。(大阪毎日新聞・大阪朝日新聞5.20)



7月 中座(10日~30日)

「青嵐露夏菊」衣笠靫負之助
「国宝 一切経由来」妾お波後に貞運尼



9月 中座(2日~23日)

「木下蔭狭間合戦」左枝犬清
「生命(いのち)」お澄
「鴈翼恋秋月」金江金五郎

〈「大阪現在の女形」より〉
「非常に美しい顔をもったそうしてパッとした花やかさをもった片岡我童はやはり大阪の女形として立つ人であろう。
我童には亭主がない、延若でなく、鴈治郎でなく、多見蔵でもない。どうも我童は一人歩行(ひとりあるき)をする女である。それは情の人ではないからである、浮気らしいからである。
『朝顔日記』の深雪はとうとう亭主に逢わぬ。『お艶ころし』のお艶もまたどれが亭主か解らない。『一國女』に至ってはあの通りの我儘である。我童は全く一人歩行の女である、娘でもなく、妻でもなく、妾でもない、それだけ我童の飛行する天地は広い。
我童はセンチメンタルでない、そこが花やかな処であろう。我童は今新しく進もう進もうとあせって居る、よい事である、願わくば女形の新天地を開いて貰いたい。『お才巳之助』のお才『楊貴妃』の楊貴妃『一切経の由来』貞運尼、かなり彼は新しいものに手をつけて居る。しかし女形はかたちではない。もっともっと、深く深くその心持ちを掴まねばならぬ。我童の声に恐ろしく冷やかな音がふくまれて居る。あのきれいな声のあんな風に聞こえるべき筈がない。これは努力も修養すれば全く変わった正反対な結果が生まれるかも知れない。我童からこの点をのぞけば、我童は非常に恐ろしい女形になるであろう。すでに先天的に女形に生まれついて居る我童は、ただ一つこの闇(くら)い影を葬って仕舞わなければならない。これはその尤も得意とする深雪にまでもつけてまわって居る呪いである。
我童が将来やるもののなかなかには、吉井勇氏の「髑髏尼」もよかろう、鴎外氏の「静」もよかろう、谷崎潤一郎氏の「法性寺物語」もよかろう、高安月郊氏の「祇園の百合」もよかろう、まだまだ我童には将来がある。一日も早く邦劇座の開演を祈って置く。」(「演芸画報」大正9年10月号)



10月 神戸 中央劇場(3日初日)

「艶容女舞衣」茜屋半七、嫁お園、宮城十内
「松平長七郎」松平長七郎
「伊勢音頭恋寝刃」福岡貢



12月 浪花座

『邦劇座 第一回公演』(11月30日~12月2日)
※純日本歌劇を標榜した自主公演

「小野頼風」小野頼風
「袋の女」メヅウサの女
「椀屋久兵衛」椀屋久兵衛


「小野頼風」小野頼風

〈挨拶〉
「何ものに捉われない自由な心持ちでたとえ一時でも一生懸命な芝居をすることが出来れば、どれほど幸福だか知れないと、斯う常々願って居りました。邦劇座がやっと成立いたしまして、皆様の御引立のもとに公演致すことと相成りました。僅か三日間の初演ではございますが、斯様な研究の上から、乏しい我等の技芸の上に又新境を拓くことも出来ますれば心嬉しくぞんじて居ります。幸いに夜長の頃と相成りました。芸術御鑑賞の好期よろしく御援助のほどを希ひ申上げます。
邦劇座 片岡我童」

〈「俳優相互談」より〉
「尾上菊五郎(六代目)──若い松嶋屋さんのことだって、そりやァ僕にはちっとも分からない。第一あの人と附合った事がないから。しかし一座したことは一度ありますな。さァもう一寸一昔前あと、たしか大正になった年の六月でしたろう。歌舞伎座が松竹と手を握った結果、新富座と市村座の俳優が融通されての興行時、かなりの大一座で、僕は大切の『大山詣』だけへ出て講元の五郎八で納太刀を持って出る役、常磐津の粟餅を踊った時、我童(まつしまや)は西野屋東吉、市村の亀蔵がその女房おたつで並んで出ましたが、舞台で一緒になったのはそれだけのことだから何(ど)うと云う事も出来ませんが、あの時我童(まつしまや)は一番目でお得意の『朝顔日記』の深雪でだいぶ好評でした。聞けば『大和橋』の松平長七郎などはお祖父さんの相伝というので有難いものだそうです。また新派ものも演られ、これから先同志を募って新しい芝居を研究的に演られるんだと聞いた事もありましたが、これもまた誠に結構なことだと思います。」

片岡我童──私が二長町(市村座)へ行った頃はあの方は居られませんでした。あまり一座したということのない為め、私交の上でも舞台の上でも別にあの方に対しての話談というものを持って居りません、しかし丑之助さんの時代にはよく一緒に遊んだことも御座います。快活なお方で舞台も非常に派手な方です。どうしてもあのようにやらなければなるまいと思います。元来大阪にはああした活気に満ちた若い方が少ないので私の邦劇座などもまあまあ私中心でやらなければならないような始末です。其処へ来ると二長町の御連中などは全く羨ましいと思って居ります。あれで黙阿弥物も新作もそうして所作もお上手なのですから、ちょっと当代の若い方には珍しいと言わなければなりませぬ。もう少し老けて来られると先代のような細面になられるかも知れません、もうそうなったら鬼に金棒ですな。」

〈「当代俳優未来記」より〉
「大森痴雪等の肝入で計画された邦劇座は役者の顔触も極まり狂言も中村氏の『淀辰』や歌舞伎では之が初耳の歌劇──『小野道風青柳硯』から採った天留遠氏作の脚本───まで出す筈になっていたのに家の不幸などで中止された。
我童の演(す)ることは伝統的の意味にもまだ甚だ完全ではないのかも知れない。どうかするとまるで上の空に見えるほどお坊っちゃんじみる事もある。しかし演ることが固まっていないだけ(中略)新局面に走るにも素質は持っている。とりわけ新旧『朝顔日記』や『石童丸』(寅彦氏)の田毎姫──脚本の新味は別として──など特有の濃さのある事も、乃至『八幡祭』(大伍氏)の美代吉や『一切経由来』(痴雪氏)の女主人公などという方面の二番目畑の芸妓(おんな)にも、福助(三代目梅玉)、魁車(初代中村魁車)とは別の領分があり、この方向に今度行くべき途(みち)が暗示されている。男性の方面では『桐一葉』の大野修理など無難の方、八郎兵衛型の二枚目などにはまだ穴が多いが、始終ワキに慣れた福助等が心(しん)になると舞台が淋しいに反し我童は『松平長七郎』(痴雪氏)の様に一人で演する芝居にも向く様でここにも一方面がある。
我童が頻りに新作を欲しがり出したのはまだ近頃の事であるが、魁車や福助の試みが一座の関係上甚だ微温的であるのに引きかえ我童は比較的遊星の位置にあるだけ新劇団を計画するのが却って一番早かったのに邦劇座がただ謎のまま延期されているのは甚だ残念である。また我童も福助よりは庇髪物に向き易い、邦劇座が成立したら是非現今の社会に材料(たね)を採った劇も出してほしいものである。実際現今(いま)の世の中に生まれた人が髷を結わなければ芝居が出来ないなどは甚だ怪訝(おか)しい。」
(「演芸画報」大正10年1月号)



同 浪花座(7日~23日)

「敵討天下茶屋聚」早瀬伊織
「お七吉三」小野川吉三郎後に妙憧





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最終更新日  2026.01.28 08:55:49


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