迦陵頻伽─ことだまのこゑ─

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2026.01.30
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○昭和14年(1939年) 57歳


1月 歌舞伎座(2日初日)

病気により休演、「十六夜清心」十六夜は七代目澤村宗十郎が代役。 




2月 東京劇場(1日初日)

「元禄忠臣蔵」仙石伯耆守久尚
「お染久松 松緑東錦絵」久松、お染、お光、雷神、子守
「旅の風来坊」女房おつる


「お染久松 松緑東錦絵」久松

〈劇評〉

「今度は仙石屋敷の申開きという難場で、しかもこれが呼物であり、一日中の中心というのだから、左團次の名誉であると共に、観客も進歩したものだといえる。 (中略)
仁左衛門の仙石伯耆守は、歌舞伎の裁き役を出なかったが、柄のよいところで採点する。」

『松緑東錦絵』
「いわゆるお染の七役の内、久松と、お染と、お光と、雷神と、子守の五役を、仁左衛門が代って見せる。早替りはかなり鮮やかで、当人もよい心持そうだが、いかにも早替りの為の早替りで、景物以外の何ものでもない。」
(「演芸画報」昭和14年3月号)


同 歌舞伎座(1日初日)※掛け持ち出演

「雪暮夜入谷畔道」大口屋三千歳


「雪暮夜入谷畔道」右 仁左衛門の三千歳、左 十五代目羽左衛門の片岡直次郎

〈劇評〉
『雪暮夜入谷畔道』
「仁左衛門の三千歳は、もっと色気よりも、哀憐な女らしい情緒を切実に現すことに心がけて欲しい。仕ぐさは、梅幸で、着附の好みも、今度は大へんにいいのだが──」





『團菊祭興行』

「絵本太功記」嫁初菊
「歌舞伎十八番の内 助六由縁江戸桜」三浦屋揚巻


「絵本太功記」左 仁左衛門の嫁初菊、右 十五代目羽左衛門の武智十次郎


「歌舞伎十八番の内 助六由縁江戸桜」三浦屋揚巻


『絵本太功記』
「羽左衛門の十次郎は例に依って例の如し、但し同じ上出来でも相手の仁左衛門の初菊がいつもより宜いので猶も好いと云う、仁は羽の相手役と極まったようなものの、今度の役は近来に無く適(はま)る、河竹物の女性は借用品の気がする、丸本物でも役によると分が違うことがある、初菊も京阪の女形三者のうち、羽に対しては、梅玉、魁車の二者よりは、上方味の少ない所が、橘屋に対して相応の感じを強く持たせる。」

『助六由縁江戸桜』
「仁左衛門の揚巻は押出しが立派である。調子がやや含み声で凛とした冴えに乏しいので、キャンな悪態が、燻しをかけたようで引立たない。」
(「演芸画報」昭和14年4月号)

〈観客評〉
「一片ニ片散る花に、八文字運ぶ姿も一際派手な揚巻が何という美しさ。花のような顔、鶯の初音にも似た声音、梅幸亡き今揚巻は仁左が一番。」
(同 “読者倶楽部”)

※3月1日、岡本綺堂死去、68歳



4月 歌舞伎座(1日初日)

「春日局」稲葉佐渡守
「安宅」源義経
「元禄忠臣蔵(伏見撞木町)」※初演 遊女浮橋
「十二姿俠装」大川のおまつ




「元禄忠臣蔵(伏見撞木町)」仁左衛門の遊女浮橋、二代目市川左團次の大石内蔵助

〈劇評〉
『春日局』
「(前略) 代表的な(福地)桜痴の烈婦劇へ、少し筆を加えたもので、お福の方が奉公に出る所と、大詰だけの二幕。 (中略)
仁左衛門の佐渡守は、妻君よりも年若と見受けれ、始終壓(お)され勝である。大体が優形で、腹があって山間に引籠るような武士に見えない。大詰は役が悪くって気の毒である。」

『元禄忠臣蔵』
「今度は大石遊興の巻という新作である。いつもは堅いなりにどこか山があって見物の胸を掴み、感激させる所があるのだが、今度だけは余り感心されない。偶然かもしれないが段取りや人物が七段目そっくりであり、冗長な所が多く、息を詰めさせるような所が無い。各篇ともに必ず現れる新解釈が今度もあるらしく、大石の遊興も単に敵の目をくらます為ではなく、舎弟大学の復興に関しているという作意のように思えるが、見物にはよく徹底しない。お家再興の願いを大石がチョイと口をすべらしたばっかりに、敵討の準備が後れ、却って世間から同情が集まって、事がやりにくくなったという筋らしいが、一般にはよく解っていないようである。
 (中略)
仁左衛門の浮橋は、義士よりも妻よりも誰かよりも大石の腹の中や行動を了知しているような花魁で、気味の悪い位だが、左團次を向こうへ廻して引けを取らぬ重味があり、立派な芸でありる。」

『安宅』
「勧進帳の代用品として選ばれたらしく、在来の物とは台本を異にして岡氏(※岡鬼太郎)が新たに書かれたものであるが、段取りその他に大した相違はない。元々が、踊りの素養のない中車(※七代目)に、勧進帳の出来ない蟲押えに書いたものなのだから (後略)」
(「演芸画報」昭和14年5月号)



5月 東京劇場(1日初日)

「業平東下り」在原業平
「銭屋五兵衛」長男喜太郎、公事奉行外記
「沓掛時次郎」女房おきぬ




「業平東下り」在原業平

〈劇評〉
『業平東下り』
「十五分の所作事である。仁左衛門の業平を中心に、若手と青年歌舞伎の連中を大勢、男女の仕丁で踊らせて義理を果たし、同時に開幕劇の役目まで果たさせたもの。中味は『月の巻』を長唄と竹本に分け、業平の踊りには六歌仙のそれを持って来た。仁左衛門の踊りは荒っぽくて業平とは思えない。」

『銭屋五兵衛』
「永井柳太郎氏が故国の偉人を描いた大作、それを楽屋で二時間に縮めたものである。
一応、人間は書いてある。併し頗る浅い。どの人物も一向に浮き上がって来ない。 (中略)
仁左衛門の喜太郎は、神経質で易書でも読もうという人物だそうだが、いらいらしている所だけ出て、学究肌のところは全然出ていない。この人には向かない役である。二役、調べの役人は、明瞭に重忠に書いてあるので、見ていて少々擽ったいが、この方が体には嵌っている。」

『沓掛時次郎』
「世間の評判は、木綿の代用品に絹を使った、ということだった。面白い評である。近頃は見物の単純な気持ちに合致することだけを考えて役者に充分芸をさせるような脚本を書く人が少ない。これなどは長谷川(※伸)氏初期の作で、なかなか巧い脚本ではあるのだが、それでも羽左衛門の芸を以てしては、楽すぎるほど楽のようである。絹を絹に仕立てる作家が欲しいものである。 (中略)
仁左衛門のお絹もなかなかいい。相変わらず冷たいことは冷たいが、特に熱烈な積極性を要求する役でもないので、技巧で充分救えている。これは安泊りの場面が一番の出来だ。」
(「演芸画報」昭和14年6月号)



6月 明治座(1日初日)

「通し狂言 仮名手本忠臣蔵」塩谷判官高定、おかる、和久三太夫

〈劇評〉
「明治座と新橋演舞場とで同時に『仮名手本忠臣蔵』を上演した。偶然のようだが、実は松竹の方で急に前進座一党へ押っ冠せた次第なんだ。前進座の方は人も知る如く、三四ケ月前から新橋演舞場で六月に之を上演する旨公表して、あらゆる方面の人々に就て演伎演出の研究を重ねていたのだから、もしも今度忠臣蔵上演の先陣争いでも起った場合は、前進座の方に団扇があがることになる。
然し同じ『忠臣蔵』であっても、松竹の方は内容に幾分異なる処があるから『マア俺の方のを見てくれ』と踏ん外りかえるような量見でいたかも知れないが、(中略) 前進座の方は、院本による本格的演出などと早くから宣伝していただけに相当の好奇心をもたせ『どんなことをするか一寸見てやろう』と云ったような気で出かける客が多かった。先ず興行成績から云えば、明治座も上景気であったけれども、前進座の方が満員続きで千秋楽(らく)まで売り切った。尤も入場料に於て、明治座一等三圓八十錢に対し、前進座は二圓八十錢で一圓の開きがあり、足も演舞場の方が便利であるから、それ等の好条件にも恵まれた点があったであろう。」 

(大序)
「仁左衛門の判官は右手を上げて若狭を止め兜は雑式に持って来させ、左手を三宝の下に入れて抱えるようにして持って入った。此方が無理がなくて形もよい。」 

(三段目)
「仁左衛門の判官も自ら文箱を持って出た。そして花道七三に座り『拙者が奥よりの文箱如何いたしましょうや』と開き、師直が『ムム左様か』と悦ぶので舞台に進んだ。すっきりとした品位のある判官であるが、師直に毒づかれる度に様々な表情で怒るのが目まぐるしかった。肝腎な『伯州の城主──』云々の処は『そりゃ出頭には高定を……』と云っていた。



明治座の抱止めは本蔵でなしに、介十郎(※二代目市川介十郎)扮するところの、本蔵が家来梶川与惣兵衛であった。之は何でも楽屋内の役もめからと云う話だが、妙な芝居をしたものである。それで後の判官切腹の時には『梶川与惣兵衛とやらんに抱止められ……』などと苦しい台詞を云っていた。」


(三段目道行)
「明治座のは清元の『旅路の花聟』で志寿太夫以下の出語り。 (中略)


(仁左衛門のおかる、七代目澤村宗十郎の早野勘平)

仁左衛門のおかるは、菊五郎が用いた通りの矢絣に、裾や袂に草花を縫にした着附に、黒の朱子地に、観世浪、菊、桜を縫にした立矢の字の帯で出た。美しいが之も稍々老けたおかるさんであった。



(中略) だが仁左衛門は意外によく踊った。」

(四段目)
「仁左衛門の判官は、切腹の座に直る時、向こうを見て進み、畳に足が触れて吾に返り、上使を一寸見て座に坐った。



切腹の時小袖を一枚づつ二枚脱いだ。九寸五分を突込んでから左手を畳に支(つ)いて苦しみ、由良之助が出てから右手を畳に支(つ)いた。──これは二日とも同じであった──由良之助に遺言する時、口をもぐもぐ動かし、相当芝居ををしたが、大名の切腹には畳に手を支かざるもの……という芝居道の憲法があることを知らぬ人でもなかろうに……。」

(六段目)
「仁左衛門のおかるは、源六が勘平にゴタクを並べている時、門口に出て向こうを見ながら与市兵衛の帰りを待つ素振りがよかった。勘平と別れを惜しむ折、煙草盆を門先の源六に渡して門の戸を少しづつ気付かぬように締めた後、勘平の処に来て、例の台詞を云いながら肩で二三度勘平を揺ぶるところ、情味あって哀愁涌いた。」

(七段目)
「仁左衛門のおかるは、うちわを持ち、風に吹かれている態が何となく頽廃的で、おかるらしい気分に充ちていた。


(左 仁左衛門の遊女おかる、右 二代目實川延若の大星由良助)

簪は赤玉で (中略) 平右衛門が来た時、文を書きながら下手上手へ二度行って来いをし、兄に切りかけられてから平舞台に下りた。さわりの処は栄太夫の美音と共に、よく動いて見物を喜ばしたが、相手が芝居をしている間気を抜いて客の面(つら)を見廻したりするのは不量見の限りだ。」
(「演芸画報」昭和14年7月号 “両座の忠臣蔵見物” 安部豊 述)

〈芸談〉
「“判官とお軽”
判官は故人璃珏(※二代目嵐璃珏)さんに教わったままを演って居りますが、刃傷の時加古川本蔵に抱き止められる、此処で、抱き止めた人は誰かしらんと本蔵の顔を見ますが、豊島屋(てしまや ※嵐璃珏)さんはこの仕草で團蔵さんに大変褒められたそうです。誰何(どなた)も斯ういう仕草をしませんが、六代目さんだけは、そうしているとか伺いました。死に装束になって畳へくる時畳へ足をかけて思い入れをしますが、わざとらしくなりますので、畳へ足の行かないままで、由良之助が今にも駆けつけはしないかという心持で花道を見やり、畳へ足がかかると、未練だという気持ですぐ席につくようにしました。判官は、東京では初役です。



七段目のお軽の着附は、歌舞伎座の時と変えて胴抜きにしました。紋付だと私のような身体(からだ)つきではいかつくなります。大阪では京屋(※三代目雀右衛門)  さん、多見蔵(※三代目)さん、いづれも胴抜きを着ます、襟は祇園町の太夫ですから掛けない方がよいと思ってやめました。
勘平が財布を見ているのをのぞく人がありますが、これも見ない方がよいと思ってやめました。お軽は六段目が一番難しいと思います。『逢いたかったでござんしょう』と勘平を偲んでいう台詞がありますが、ここまで自惚れないといけないのだそうですから、その心持でやっています。市村さんの勘平の時は帽子をかけましたが、顔世が大抵帽子をかけるものですから、ついてはいけないと思って羽二重にしてみました。女衒が門へ出て勘平と二人きりになる、莨盃(たばこぼん)にかこつけて門の戸を閉める所で色気をもたせているつもりです。ピシャリと閉めたのでは外の人に工合も悪いでしょう。」
(同 “忠臣蔵芸談”)



7月 歌舞伎座(2日初日)

「春琴抄」娘お琴
「さみだれ傘」三浦屋小紫
「三味線やくざ」中村富十郎


春琴抄」娘お琴


「さみだれ傘」左 仁左衛門の三浦屋小紫、右 十五代目羽左衛門の白井権八


「三味線やくざ」右 仁左衛門の中村富十郎、左 十五代目羽左衛門の杵屋弥市

〈芸談〉
「“私の三役”
『春琴抄』は、花柳章太郎君の傑作がありますので、後からやるのでは余程自信のない限り損だと思いましたが、社長(※大谷竹次郎)に勧められて、出すことにしました。花柳君のは、私は見ていませんが、家内が見たので、話しをきき、参考にしました。谷崎氏のものは『お艶殺し』『お才と巳之助なぞを先がけに手がけていますが『春琴抄』に気付かなかったのは迂闊でした。今度は壽美蔵(※三代目市川壽海)君が二十九日に帰ったという始末なので二日きりの稽古でしたし盲目役というものは暑いのに、始めからしまいまで盲目の上に、頭巾で顔を包んでいますので、その暑さといったらなく、恐らく出来が悪かったことと存じます。幕開きは原作通り『茶音頭』を使っています。大詰にも一度弾きますので、これは子役だけにしましたが、三味線で合わせれば変わった味が出てよかったと思いました。花柳君の芝居につくと思ったのか、春琴の部屋を避けて、台所を使ってぃすが、あそこまで連れて来るのは無理でした。気位の高い我儘な娘というので、大阪にいる時分船場に、そういったお嬢さんがありましたので、この方をモデルに、その日常生活を写している訳です。
『さみだれ傘』の小紫も急稽古で、初日が開いてからさらって頂いた位でしたが、やっと手順がつくと、警視庁から色気があっていけない、二人がくっつき過ぎる、というお叱りがあり、唄も二ヶ所ほど訂正されましたので、すっかりやり直しという訳で、随分苦労しました。
『三味線やくざ』の中村富十郎は作が江戸弁に書かれています。大阪の役者だから向こうの言葉の方がよいではないか、と申しましたが、六日目頃から、では大阪弁にしてくれ、と申されましたのでその方に改め、頭もチョン髷だったのを一を取らない源氏──鴈治郎さんの『藤十郎の恋』の鬘──に替え、衣裳も、始めのは普通人か役者か分からないので今のように改めました。不思議な因縁と思われますのは、私の寺が中寺町の薬王寺、ここには八代目團十郎さんのお墓もありますが、私の家の墓に隣に、富十郎さんのお墓のあることでした。」
(「演芸画報」昭和14年8月号 “芸談四人衆”)



8月 歌舞伎座(3日初日)

「女人哀詞」お吉
「田舎源氏露東雲」足利光氏
「比翼絵巻」綾衣




「田舎源氏露東雲」右 仁左衛門の足利光氏、右 中村福助(六代目歌右衛門)の娘黄昏


「比翼絵巻」左 仁左衛門の妻綾衣、市川寿美蔵(市川寿海)の冷泉為恭

〈劇評〉
『女人哀詞』
「仁左衛門丈の唐人お吉は、そう云っては失礼だが、意外な位佳い。大体柄があって品があるこの優(ひと)が、普段もっと舞台に精彩を放たないのは不思議なのだ。型物をやると、何処か釘の脱けているようなところがあって、歯痒くなるところを、こういう新物になると、そういう欠点が目立たない。それに持前の妙な冷ややかさが、唐人お吉の犠牲者らしい悲哀を語るのに役立っている。最初の横浜の海岸通りでも、うらぶれた感じが相当出ている。第二場の下田の家の場ては、いつもと役者が違ったかと思う程、地の味が傑(すぐ)れている。ヤケになってお福に当って、結ってやるから此方へお出よというあたりホロリとさせ、この仁にしてこの境地を持っていたかと、自分の眼を疑った位で、すっかり見直した。料亭壽屋の二階でも、恐らくは演出村山知義氏の註文もあったろうと思われるが、悪く突込まずら控え目にしているやり方を採る。それだけ深い哀れがあっていい。最後の陋居では、内に燃えている情熱というものが不足で、やや上っすべりの貌(かたち)になって、ここだけは弥縫(びほう)し尽くせないものがあった。併し『女人哀詞』を出しただけの値打は充分あった。」

『田舎源氏露東雲』
「これは淺黄が落ちた途端に、わあッと来なければ、もう半分位意味がなくなろうという作品である。仁左衛門丈の光氏、福助丈の黄昏共に相当綺麗なのだが、まだ目の覚めるようだというところまでは行っていない。無論時勢ということもあるが、必ずしもそればかりではない。」

『比翼絵巻』
「(前略) これもなかなか面白い。これは巌谷(※三一)氏が俳優の体を見て書卸したものだけに、ツボに合っているという意味で、仁左衛門丈の綾衣は唐人お吉よりも持味にぴったりして、危気がないし、 (中略) 役としては類型化され理想化されているが、それを持味が反対に救って、一種の人間味を出している。」
(「演芸画報」昭和14年9月号 濱村米藏 述)

〈観客評〉
「先月の春琴に今月のお吉に綾衣と松嶋屋大当り続きで之程嬉しい事はありません。世に虐げられ世をひがむ哀れなお吉の末路を之迄切実に演じ得る人は仁左の外にないと信じます。髪を結う処など本当にお上手で感心してしまいましたわ。雁かねに更け行く上賀茂の堤、十六夜の月に濡れて離れともない憂い別れを惜しむ綾衣の露を含む哀れな眼ざし、優しげな品の良い顔立薄淋しくも美しい声、秋の夜を纏綿として尽きぬ優婉甘美な絵巻の深き情趣に心から浸る事が出来ました。」
(同 “読者倶楽部”)



9月 明治座(2日初日)

「義時の最期」伊賀の方
「生写朝顔日記」朝顔実は深雪
「小鍛冶」三条小鍛冶宗近


「義時の最期」伊賀の方


「生写朝顔日記」朝顔実は深雪




「小鍛冶」三条小鍛冶宗近、二代目市川猿之助の稲荷明神

〈劇評〉
『義時の最期』
「劇壇に対する勢力のあれ程に強かった坪内逍遥博士でさえも、その作品の上演は常に満点の好条件に恵まれるとは限らなかった。殊に、特異な一傑作である『義時の最期』は、(中略) ついに博士の生前に上演の機会を与えられなかったのであるが、今度、発表された大正七年からは二十二年目、博士歿後五年目にして、明治座に上演されるという (中略)
北条家の為め、天下の政道の為めとは、自信するものの、我乍ら余りに酷いことの連続であった六十余年の過去の思い出に重病の身心を責め苛まれ、遂に一小姓の刃に命を殞(おと)す義時。生さぬ仲の泰時を逐って生みの子政村を北条の世嗣としようとし、実兄式部丞光宗や娘婿の藤原実雅と図って血で血を洗うお家騒動の果てに、事成らずシテ自ら毒をあおる義時の後妻伊賀の方。 (中略)
座禅堂といえば、狭い堂内で、礼拝を挟んでの義時と伊賀の方との附まわしはちと景物が過ぎた感じ、嘘が見えるようにも思ったけれど、猿之助と仁左衛門が四つに組んでの大相撲は一日を通じてこの一場きり、それだけ力も入り、見ごたえもあった。と同時に、ここが盛上がり過ぎるために、大詰の迫力が序幕に及ばず、事の破れたのを知った伊賀の方が毒酒をあおって、次第に廻る毒の苦しみをたえ乍ら上段の間に上る所に、仁左衛門は大向うの手を呼んだ程の熱演を見せたものの、芝居全体としては尻すぼみの感を免れなかった。 (中略)
仁左衛門も持ち前の冷たさが伊賀の方にはピッタリ嵌まって、成功を収めた。」

『小鍛冶』
「木村富子女史新作『小鍛冶』に就いては、能のそれを見ていない私は(※白石靖)批評者たる適格性を欠いているが、(中略)
所作の方は殆ど猿之助の稲荷明神が一人で踊りまくって、仁左衛門の宗近さえ、まして訥子の橘道成の如きは気の毒な位のお附合だが、それらの振にも玄人は娯(たの)しめるのだろう。」

『生写朝顔日記』
「新作揃いの中に一つだけ第二に加ったデンデン物『朝顔日記』は却って気が変わってよく、殊に仁左衛門の深雪は何といっても当今随一、琴の件りやサワリはいうも更なり、前半の内に抑えた哀れは、後半では派手に発散して、これまたたのしく見物出来た。」



10月 東京劇場(1日初日)

「崇禅寺馬場」母おいの 
「歌舞伎十八番の内 勧進帳」源義経
「人情噺 おちよ餅」女房おちよ


「歌舞伎十八番の内 勧進帳」源義経

〈芸談〉
「“勧進帳の義経”
『勧進帳』の義経は東京では初演です。大阪と京都で、高麗屋さんの弁慶、市村さんの富樫に三回演らして頂きました。東京で是非演りたいと申し合っていましたが何時も機会に恵まれず富樫にばかり廻っていました。
義経は、座った形が例の棒で頭をおさえられているので、頭が上げられず仲々苦しいと思います。始めてやる時、歌右衛門さん(※五代目)にそっくり教えて頂きました。『つらつらおもん見れば』の所は、自分でやっていて役になる所だと思います。お客様には見過ごされるか知りませんが、大事なところでしょう。『通れとこそは』で初めて、自分になって笠を取りますが、ここも難しい所と教えられました。『疑い晴れ申した』で笠をとる人もありますが此頃は、富樫が後ろ向きになって這入りかかる迄とれない、というのが本当でしょう。
衣をつって出る人とつらない人があります。高麗屋さんの時は弁慶がつらないのでつりませんでしたが、つらない方が品が出ます。こんどは喜熨斗君(二代目猿之助)がつっているので私もつることにしました。長い旅をしているのですからつるということにも理屈は合います。笠をとると同時に笈もおろすことになるので、形の変り目がきっぱりしますし、ここで品も出せましょう。帰る時は元通りからげて陸奥への長い旅をする心持を見せる訳です。
『おちよ餅』は喜熨斗君と一緒に明治座で出すことになっていましたが、都合で今月に持ち越しました。川口(※松太郎)さんの原作では豊次郎が主人公で、私のお千代という役はお杉になって居ります。お杉では色気がないからとお千代に改め私をしん(※主役)にした芝居に川口さんが書いて下さいました。始め豊次郎をする筈だった喜熨斗君は、友達の仁之助に廻って、升田屋(※市川壽美蔵=三代目壽海)が豊次郎をすることになったのですが、これというお話はございません。」
(「演芸画報」昭和14年11月号 “芸談五人集”)



11月 歌舞伎座(1日初日)

「木下蔭狭間合戦」小田春永
「銘作左小刀」女房おとく
「佐々木高綱」姉おみの
「黒手組曲輪達引」三浦屋揚巻


「木下蔭狭間合戦」小田春永


「銘作左小刀」左 仁左衛門の女房おとく、右 芦燕(十四代目仁左衛門)の息女井筒姫


「黒手組曲輪達引」三浦屋揚巻

〈劇評〉
『木下蔭狭間合戦』
「仁左衛門の小田春永はおっとりとして美々しく (後略)」
 (「演芸画報」昭和14年12月号)



12月 南座 顔見世興行(1日~20日)

「近江源氏先陣館 盛綱陣屋」微妙
「元禄忠臣蔵」仙石伯耆守
「妹背山婦女庭訓 吉野川」娘雛鳥
「佐々木高綱」姉おみの
「俠客御所五郎蔵」傾城皐月

〈劇評〉
『盛綱陣屋』
「仁左衛門の微妙は凛とした勝気で孫に対する情味は薄い」

『元禄忠臣蔵』
「仁左衛門の仙石伯耆守は同じ問答でも富樫と違って芝居気はないが格を示している」

『吉野川』
「仁左衛門の雛鳥は娘らしさに不足はあっても若手では他の三人に気押されて位が保てず、四人一体の芝居となるとこの座ではやはりこの人の他にない」
(「演芸画報」昭和15年1月号)





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最終更新日  2026.01.30 02:30:04


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