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自分の子どもを愛せない抱きしめられないついつい叩いてしまうイライラするどなってしまう子どもを持つまでは、きっとかわいがっていい子に育てよう、欲しいモノを買ってあげよう、とにかく健康ならいいなんて綺麗ごとばかり考えていたもの。しかし現実はそうはいかない、と知ると、子どもを叩く親のこともわからないではない。もちろん行き過ぎはout。とは思うが正直・・・本当にそう思っているのか心底のところはわからない気がする。母親とは違って別に自分の腹を痛めたわけでもないし、手が掛からない時は確かに可愛いとは思っても、言うことを聞かない状況に出くわすと、うんざりもする。子育てノイローゼになる母親の気持ちもわかる気がする。嫌いなら嫌いで自分に正直になった方が良い気がする。我慢すればするだけ子どもに我慢ができなくなる。そうすると自分が何しでかすか・・・なんて気がしてくる。自分に正直になって、冷静で平常心でいられるよう、「あ、そうか、自分は子どもが嫌いなんだ。」と一旦その正直な気持ちを受け入れて見た方がいいのだ。ずっとずっと「いい親でいよう」なんて自分を縛り付けても結局長続きしない。嫌いなものは仕方がない。それを受け入れてあるがままの自分で居ることの方が「親らしい」のではないだろうか・・・
June 30, 2004
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近頃の大学生の英語力は相当な開きが学生内であるらしい。全体的に「学力」が落ちている、とも言われている。「少子化」の影響で以前とは違って手取り足取りの優遇さ。教授や助教授の話を聞いていると呆れ返ることもある。大学自体に「建学の精神」をどこかに置き忘れてきた嫌いがあるのかもしれない。ところで英語の話。大学で最近よく講義で使用するマテリアルの選択に苦労しているらしい。お察しがつくように、映画を採り入れることで少しは学生を飽きさせずに講義についてこさせることができるからた。しかしそこまでしなくてはならないほど英語力の低下は著しいのか。なかでも「ハリー・ポッター」はとりわけ受けがいいらしい。高校では習なわかった生活用語なども出てきて興味をひくらしい。しかしちょっと情けないといっては申し訳ないが、「ニモ」を使っている大学もある。これにはちょっとどうかな・・・と首を傾げてしまうのは私だけだろうか???
June 29, 2004
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好きな相手に求めるものとして3つ挙げよ、と言われて一体に何を選ぶだろうか。「美しさ」「格好良さ」「経済力」「包容力」「学歴」「身長」「体型」「ファッションセンス」「料理上手」「声」「手足の長さ」「彫りの深い顔立ち」「掃除・洗濯が上手」「親とうまくやっていけそう」「家の財産」・・・しかし、あともうひとつ何か選ぶとしたら・・・実はそれが本当に相手に対して求めている「恋愛観」だったりする。求めればそれはきりがない。しかし、求められればそれは冥利につきる。結ばれる二人、わかれゆく二人。どういった形で出会い、人生をともに生きて行くにしても相手に対して本当にこころから「大事」だと思えるか、そんなこともひとつ大切にできたら、真摯思えたら良いな、と思う。別に人前で口づけしても抱き合ってもいいだろう。人様のことをとやかくいう必要もない。その大事相手に寄せる思いをちょっとだけ、隣人に向けられたら・・・戦後、日本はめざましい経済成長を遂げ、ある意味豊にはなった。しかし「こころ」という目に見えない「本当に大切なもの」はどうなってしまったのだろうか。
June 28, 2004
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本当に自分が求めているモノ・・・継続的なものなのか、その場その場のものなのか、それは常に変化し続けるモノ。欲求は限りない。しかし、何一つ満たされない日々が、瞬間が続くとしたらそれほどの苦痛もないだろう。よくある事例だが目の前にあるコップに半分水が満たされているとして「もう半分しかない」と思うか「まだ半分あると」思うかで心の持ち方は随分と変わってくる。日常、常に自己欲求を満たすことばかりを求めて過ごしているとどんどんとその感覚が麻痺し続けることになる。いつしか、自分本位の固まり(自己中になる)に形を変えてしまい、元に戻れない。昔、円谷監督のテレビ番組で「ウルトラQ」というSF番組があったが、そのなかで「カネゴン」の話はまったくその欲求の顛末をよく表していた。お金にせこい息子がお金、お金と執着しすぎてある朝目覚めると口はがま口のようで目が飛び出た「カネゴン」へとトランスフォームしていた。そんな寓話のような本当の(姿はかわらねど)話が今の世の中には横行しているのだろう。誰にもその本当の姿を見破る術はないのだが・・・
June 27, 2004
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最近、とある企業のPM戦略部長に会う機会があった。仕事柄いろんな人には会っている。近頃書店でもよく見かけるMBAやMOT、IT関連の資格はもう何がなんだかよくわからん状態。大概のサラリーマンがそうした「資格」もまさしく四角四面に取り組んでおり、企業の雇用形態、経済面の変化から年々そうした資格取得者は急増している。しか~し!そんな「資格」だけで振り回されてもいいのか!な~んて言っているおまえは持ってないからやっかんでいるのだ、とも言われそうだが、その部長はPMを広めたいと考えていた。それもいわゆるプログラマーの定年は35歳なんて短命なスキルをいくら身につけていてもなんの意味もないそれよりは一生使え、スキルアップしていける、そんな資格にしたいと考えていた。全くその通りだと、思わずにはいられなかった。本来仕事も資格もそうした意味では、個々人の自己実現のためにあるべきものであって、資格や仕事や会社に振り回されてはならいないと強く思っている。自分は何者なのか、その点を不明確にして生きていくことはできない、そう確信している。確固たる「自分」と言うモノがなくしてどうして他人と渡り合えそう!プロジェクトマネージャーという資格はなにもITにとどまらない。ひとつの事業をとりまとめ成功をおさめるために必要なひとつのスキルである。それはまた「当たり前のことを当たり前にこなしていく」能力でもある。主婦の仕事もプロジェクトマネージャーであり、保育士も看護士も営業マンも料理人もみなそうしたスキルを必要としている。そうした何にでも共通する資格であって欲しいなと思うのである。もう一度働くことを真剣に考えていかないといけないのかも。
June 26, 2004
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「ぼけ」と「つっこみ」これがお笑いの原点なのだろうか?パペットマペットはそれを一人?でこなしているわけだが、どうしてもあれは先に「オチ」がわかってしまって、非常におもしろくない!笑えない!いや先に「ふふふ」と苦笑してしまう!あまりにも「オチ」が読めすぎる。これが一人お笑いの限界か・・・とも思える。一人と言えば、「間違いない」の長井秀和もそのひとり。しかし、彼はストレートな「ぼけ」と「つっこみ」はない。「オチ」がある、いや「オチ」を決めつけとして押しつけてくるわけだ。というかひとつの流行語的ギャグパターン、ここでは「間違いない」というセリフだが、これがある程度浸透すると内容が面白かろうがなかろうが関係なくなってしまう。ただ「間違いない」が一人歩きするだけである。こうなると「がちょーん」の方がもっとクリアである。昔、ウッチャンナンチャンの漫談で「じゃ、またそのうちな、連絡するからよ」とよく久しぶりに再会した友人などが交わすやりとりの揚げ足をとって「そのうちっていつだよ!」と逆切れする「オチ」があったが、これはもう「ぼけ」と「つっこみ」ではない。SM関係である。さまーずの「ぼけ」と「つっこみ」もそうしたSM関係で行くと???と考えてしまうところがある。大竹のぼけに返す言葉なくなって三村が自虐的にキレルつっこみをしている。これはなんだか「変」である。コント55のようなスッキリしたお笑いがみたいな~!そう言えば、次郎さんは復帰したのだろうか。
June 25, 2004
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日本人はなんで英語、外国語が苦手なのか。外国語、英語というよりも「日本人以外の国の人」や文化について学んでない点があかんのではないか。ことば、そのものが人が使っているモノで、その背景には当たり前のことだが、その言葉が育ってきた環境や歴史や哲学などなどが面々脈々と底流に流れているわけで。それを知らずして学ばずしてどうして外国語が習得できようか。いや何も全方位的に学ばなければというわけではなく、その国の言葉にはその国のなんというか長い歴史の中で積み上げられた生存し行くための論理があるはず。それを学ぶべきだと思うのである。つまりロジックがわかれば、その言葉の文法や文の構成などが自ずとわかってくるのではないか。詳しくは専門家にゆずるが、そうした観点で英語や外国語を学べるような、一度その「法則」を知ってしまえば、いとも簡単に言語のパターンが理解できるようなそんな学習法があるはずである!
June 24, 2004
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女医・・・という一括りにしたらあかんねんけど、女医さんはむずかしい。何がて、他の病院にも通う、と一言もらしただけで大魔人のように顔色が一変する。これはおそろしいで。もう、病院までかかりにきて、なんでこんなとこ人様に気を使わなあかんねん!おっかしいって!医者はもっと精神的に成長せい!特に女医!
June 23, 2004
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医者ってモンはほんまにもう手が焼けるちゅうか「子ども」やな。だいたい「先生」なんて呼ばれてるモンにろくなモンはおらへん。ま、ましなんもおるにはおるけど。だいたいがアホ!あんまり若い頃から「先生、先生」なんて他人から呼ばれると誰でも何というか、妙に「快感」と「優越感」をおぼえるんやろな。「優越感」くらいならまだしもそれが段々と「矜持」プライドに分かってゆくんやな。民間企業(とは限りませんが)では考えられんこっちゃ。常識ある人間ならそんな「不遜」な言動は顔から火が出て死にたくなるくらい「恥知らず」なはず。人間に「貴賤」があるものか!何が嫌いって「えらぶってる奴」「人様に心配りのできない奴」くらいイヤなモノはない!他人のふり見て我がふり直せやな!
June 22, 2004
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数年前に治療したものが再発したため、新たに治療に赴いた。大学の付属病院。日曜日の救急だったため、担当したのはインターンらしき若い女性。肩の傷の治療だったため、処置状況は伺えなかったが、明らかに治療用の手袋は装着していなかった。その上、処置中に床を汚した際に床を拭いたそのままの手で処置を続行していた。呆れ返って言葉も出なかった。続けて別の日に同じ大学病院でもう数年続いている慢性の症状について継続診療を受けた。その日は一旦別の科にかかった際の結果を聞き、その後の治療について相談するものだった。ところが驚いたことにその科では対処できないので、他の科で看てもらうという話なったのだが、他の科で診療を受けるには一旦内科、それも外部などで治療を受け、そこからの紹介でなければ、その科で看てもらえないという。そんなバカな。そこで一旦最初にかかった科へ。しかしそこで2時間も待たされた揚げ句、「お手上げです」の一言。呆れ返るやら切れそうになるやら。一体この病院はどうなっているのか。なんとコミュニケーションの悪いこと、また、患者不在の医療のあり方に憤慨以外のなにものもない。たぶんこのような経験は私ひとりではないのだろうな、と思う。政治も企業も病院・・・そのシステム自体が機能しなくなっている、としか思えない。その流れに皆が飲み込まれている。なんともコワイ話。
June 21, 2004
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占い・・・って、ついつい雑誌なんかに出ていると読んでしまう。もちろん暇つぶしではあるのだけれど・・・でも気になってしまう。そんなもんなんでしょうかね。知り合いに一頃流行った「動物占い」の制作っていうんでしょうか、そういったことに携わった人がいて、とにかく驚いたのが、それほどよく自分のことをご存じのはずはないのに一発でどの動物か当てられたのにはびっくりものでした。それってタダの勘?それとも相当の分析力の持ち主?う~ん、ちょっとなんだかこういう時って悔しくもあり、驚きもし、なんだか見透かされているのだろうかと、ちょっと不安というか落胆したり、人の心理とは面白いモノで。ところで、どの程度人は自分の、その占いで言うところの何座とか何星人とかって知っているのだろうか?因みに自分は山羊座狼火星人(陽)水曜日生まれ子年なんてところまではわかってますが・・・だからなんなんだって気もしますね。つまりみる占いの内容で違ってきますからね。と言いつつもやっぱり気にしてしまうのであ~る。
June 20, 2004
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音楽には季節感がある、そう思っているのですが・・・何故だか、暑苦しい日本の夏にサイモンとガーファンクルを聴いてしまうのです。たぶん映像(卒業)のシーンが、体感的には「夏」を感じさせずにはいられないのかも・・・どうしてだか、妙に自宅に戻ったダスティン・ホフマン扮する青年の部屋にあったステレオ、正確にはチューナーだったかな、の緑の灯り(正しくはなんというのでしょうか)あれがとても印象的だったのをよく覚えている(のは勘違い?)。当時小学生だった私が従兄弟の家にあったステレオでよくEP盤のS&Gを聴いたもの。それも何故だか「夏」だった。私にとってのS&Gはやっぱり「夏」なんです!
June 19, 2004
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受身的なあり方に慣らされ過ぎた生活。物心ついて学校へあがると、教壇からは教師が一方的なことばの洪水をなげつける。家に帰っては、テレビが無責任で役にも立たない、創り出させれた「真実」という虚構を垂れ流され続けてきた。そんな「受身的」でいることを潜在的にある意味「洗脳」され続けてきた。そんな「脳みそ」をなんとか「自主的」な活動に戻すにはどうすれば良いのか。それには身の回りに起こる物事になんらかの「意味付け」をしていくことで、例えそれが一方的ものであっても、受け取る側でそれ自体に「自主的な意味付け」をすることで、自分自身の獲得したものとして受けとめることができるのではないか。しかし、それもまた一種の「思いこみ」「思いこませ」に過ぎないのだろうか。アメリカの広告メディアは一時期「サブリミナル広告」を垂れ流した。清涼飲料水の広告j映像に「裸の女性」や「砂漠」の画像を一瞬登場させ、無意識のうちに当該商品が購入したくなるようなし掛けをしていた。我々は自分でも知らないところで、実はそれを本当に欲しくて買っているのではなく、買わされている、のである。
June 18, 2004
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音楽は想い出のインデックス、なんて言っていたのは秋元康でしたでしょうか?10代前半がビートルズとしたら、サザンは10代後半から20代にかけて、洋楽とは別に身の回りでよく聴いたものです。身軽?な独身貴族時代。そんな時代にほぼ同じような世代として時間を過ごした、そうした意味でも思わず共感してしまう、そんな存在。なので最近のサザンよりは初期の頃が印象的。特にこの曲はそれまでのサザンの路線とはひと味違うって感じで、映画『彼女が水着に着替えたら』で使われていた(かな)のもあって(というのは今のよめはんと観に行ったもんで)他の曲とは一線を画しています。カラオケでは絶対に歌わない・・・そんな曲でもありますね。♪泣いたりしないで 大人になれない 甘くて いとしい~ 笑って 夢から醒めない ひまわりが揺れる夏なのに~ってとこがイントロとあわせてすっきやねん!
June 17, 2004
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♪今も忘れない 夢の別れ道 通り過ぎてく 女性に焦がれて・・・この曲も自分の中では、それまでのサザンとは変わった曲としてとらえられている1曲。「さよならベイビー」とは違うようで似た雰囲気を感じる曲。桑田ソロの曲だった・・・かな。♪今でも会いたい気持ちでいっぱい そんな惨めな思いなどしたくないあたりの歌詞もこの曲にしっくり来る感じがう~ん、なんとも言えず、すっきやねん!やっぱこの頃のサザンが結構荒削りでもなくかといって洗練とまでは行かない、そんな・・・そんな雰囲気がいっぱいの頃がいいな。”恋”する世代に聴いて欲しい・・・かな。特にこれからの季節・・・いいーーっっね!
June 16, 2004
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恋する季節・・・っていつだろう!夏?それとも春?冬なんてない?個人的には夏かな。というよりも夏に近付く頃から終わりかける長月頃。夏の夕立花火海すいか線香のにおいビーチサンダル日焼け夕暮れアスファルトの熱気汗、汗、汗環境設定がたまりませんね。でも「夏」の恋ってやっぱり高校生くらいまで・・・かな?大人になると意外と「冬」なんかがよかったり。雪クリスマスワインコートこたつ手袋白い息マフラー真っ白に染まる町並み鍋ちょっと酒飲みの傾向に・・・なってしまったようで。でももっと意外に「秋」だったりして。なんとなく「人恋しくて」そんな感じがいいかな。草木もセピア色へと模様替えして雰囲気100%だし恋したくならない?おじさんは秋になると何故かジャズが聴きたくなるのはなぜだろう?TOKUの「30」はおすすめのアルバム!
June 15, 2004
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日本の建築方法には「乾式」と「湿式」とがあるそうで。いわゆる旧来のやり方が「湿式」で、漆喰とかって奴でしょうか。そして「乾式」が今風のツーバイホーとかそう言う奴のことですね。で、話かというと、日本人の「あり方」もだんだんとこの建築方式と同じように「乾式」へと変化しているのではないか、と。例えば、「会社」昔はいわゆる「三種の神器」として「年功序列」「終身雇用」「退職金制度」ってのがあって、社員と経営者とかいわゆるひとつの「家族」のような「ウェット」な関係にあったわけですが、それがここ最近「リストラ」に代表されるように非常に「ドライ」な関係へと変わってきています。「人間関係」においても高度成長期以降、「核家族化」が急速に進み、マンションの林立とともに「隣は何をする人ぞ」なんて「言葉」で時代を表すような時がありました。最近ではそのあたりはもっと進んでしまい?「他人のことには我関せず」と言った感があります。否、実際そう思えてなりません。建物のあり方と同じように「人間関係」までどんどん「ドライ」になってしまっている。経済評論家の森永卓郎氏によると、日本の政治家や官僚は「日本をアメリカ化しようとしている」らしい。昔、ユダヤ人の長老は『日本人に謝りたい』のなかで、「ワイマール憲法は、ドイツ(アーリア人?)を滅ぼすために作ったモノ。それを戦後、日本国憲法が踏襲してしまった」といったことを言われてましたが、それはまさしく「経済の驚異的高度成長に反比例する精神面の退化現象」を今に引き起こすに至っているわけです。日本人はいろんな意味で「退化」せざるを得ない「方向」「末路」へと「神を信じるがごとく」なだれ込んでいっているようです。短絡的に考えず、長い目でじっくり深く物事を考える力。単視眼的にならず、物事をもっと広い視野で捉える力。そして「過去」「歴史」を知ること。「古きをたずね、新しきを知る」は世の常。そうした視点を持てれば、まだまだいろんな解決策はあるのではないだろうか。
June 12, 2004
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