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色々人間には向き・不向きがある。不向きというわけではないが、これはめんどくさくてとにかく嫌いと言うことがある。書類を書くこと。しかも行政機関向けのやつがもっとも苦手。なんでこんなもん書かななあかんのや!もう頭ごなしに嫌いだ。だいたい書いて提出してトクすることもない。おまけに同じような書類を課が変わればまた同じ手続きを踏まなくてはならなくなる。いい加減しろだ!手間をかけることがいやというわけではない。必要か必要かを考えた上で規定を決めているのか怪しいようなことは省いてもらいたい。それに一番頭に来るのは「紋切り型」の対応。皆それぞれ事情が違う。そこを紋切り型に皆同じように対応されては、一体誰のための行政なんだ!国民、県民、市民、区民に奉仕するのが公僕だろうが!まったくなっちゃない!社会保険庁なんてくそくらえ!年金未納どころじゃない!人様の保険金をなんだかと思っている!あったまにくる!あ~あ、また眠れない!NTVのオンブズマンにはガンバって欲しい!
August 31, 2004
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悩み始めるときりがない。眠りたくともなんだか眠れない。最近は不眠症が多いとか。不眠症ではないけれど、たまに眠れない時もある。眠気が訪れたらその場で寝てしまえば良いのだが、何かしようと思って始めてしまうと、眠れなくなってしまう。寝酒と思い、呑もうとするが、いやいや待てよ、朝目覚めて頭痛がしてはまずいし、じゃ、コーヒーと思ってもカフェインは眠気を誘う効果もあるが逆になったら尚眠れなくなるし・・・と考えている内に寝てしまえばいいのだが・・・では仕方ない、好きな音楽でも聴いてリラックス。リラックスと言えば、フロに入る手もある?いやいやこれもかえって目がさえるかも・・・仕方ない、本でも読むか・・・いやでも読み始めるとはまるかもしれないし・・・これじゃきりがない・・・
August 30, 2004
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タモリ倶楽部で使われていたのはこっちの曲でした。共演していた女優の名前を失念してしまった・・・なんだか妙に艶っぽい女性だった気がする。ロバータ・フラックの「やさしく歌って」にも似て、歌い出だしの難しい曲である。しかしとても綺麗な曲である。この人は本当に綺麗な曲をつくる。考えてみれば歌い方はかなりオペラっぽい・・・ところもある。声も綺麗なので歌声にあった曲ができあがるのだろう。この手のファルセット・ヴォイスでは、「恋のから騒ぎ」でもお馴染みのケイト・ブッシュの「嵐が丘」もなかなかにイイ曲だと思う。とても印象的で映画、もとは原作を題材に作ったのも凄い。ミッシェルがサッカー好きなのも有名だった。曲の感じと違って活発?なのが好対照だった。近頃復刻CDが出ている。
August 29, 2004
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大学に進んだとき、第二外国語はフランス語を選んだ。今思えば何故選んだのか、確かな記憶がない。ただひとつ言えるとしたら、中学時代に良く聴いたミッシェル・ポルナレフの曲のせいかもしれない。もともと映画音楽が大好きで小学生の頃から洋画漬けだった。映像より映像と音楽のコラボレーションを楽しんでいたらしい。そうしたなか、ミッシェルの曲はこころに浸みてくる。そして何故かいつも映像が勝手に浮かんでくる、そういう曲をよく書いていた。この曲も確か私の記憶が正しければ、タモリ倶楽部で随分前に使われていたような・・・違ったかな。違うな他の曲だ。ま、全体的にメロドラマ的ではあるので似ている。しかし分けも分からずフランス語の歌を中学生が聴いていたのも今思えば自分ながら恥ずかしい気がする。最も今もよくはわらないのだが・・・
August 28, 2004
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ジャジーな仕上がりに本歌を知る人間には驚きしかない。マスカレード、仮面舞踏会・・・曲のイメージはどちらだろうか。リチャードのピアノはある意味幻想の世界に誘ってくれる。その後のフルートがまた奮っている。本当に曲作りのうまい人だ。カレンの歌声にもまた魅了されずにはいられない。低音の心地よさ、透き通るような高音。ここまで完成されたミュージシャンは他にはいない。二度と輩出されることのない才能。死ぬまでにまた出会えるだろうか。何よりもこころを癒してくれる。それが自分にとっての音楽。
August 27, 2004
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本歌はレオン・ラッセル。カーペンターズの持ち歌のように思われている。たしかにリチャードのアレンジは秀逸。呑まれてしまう。レオンの影も形も感じさせない。そこがリチャードの手腕、マジックだ。グルービーの話。私は追っかけをしたことがない。好きなアーティストがいないわけではなかった。でもそこまでする気にはなれなかったし、そんなことすら思いつきもしなかった。最も好きだったジョン・レノンは24年も前に逝ってしまった。今は愛すべきミュージシャンはいない。心打ってくれるミュージシャンもいない。今はただ「過去」に生きる。音楽だけは・・・感じることのない「詩」に心を打たれることはない。メロディに心打たれても歌詞に心込められていなければ、片手落ち。歌には季節がある。それは人それぞれの季節だ。人生の季節と言ってもイイ。人はどれだけの季節の音楽を持てるのだろう。そこにはそれぞれのその人個人にしかもてないドラマが詰め込まれた世界にひとつしかない宝物がある。想い出を忘れずに、そして忘れられない想い出をつくろう。
August 26, 2004
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されるなど、あり得ない話。血液型で個人の特質が描ききれるとするなら、そう思うのはきっと「A型」のせいかもしれない。しかし私は純粋な「A型」ではなく、「AO型」である故かならずしもそうは言えない・・・と思っていたが、「O型」にも同じような、回りに気を配るもしくは気にする性質あると知った。回りを気にすることはそれほど悲観することでもない。人と付き合う上ではむしろ必要な気質だと思う。しかし時にはそれが、「人の目を気にする」に転じた時、自分を押しつぶしてしまいかねない。人の心理というのは不思議なものだ。子どもの頃、高村光太郎の妻、智恵子が精神的な病に冒されていくというのを読んで、そんなバカなと思った。芥川龍之介や太宰治が若くして自殺したのを「何故に死に急ぐ」と不思議がった。今両人の年齢を超えてしまったが、人は気に病むだけで死んでしまうこともあれば、自ら命を断てることも知った。知って果たして子どもの時よりも「強く」なったのだろうか。いや逆に大人になるに連れ人間は精神も実は衰えているのではないか。それをカヴァーするために「図々しく」なるのではないか。おばさんのように・・・でも私は脆くて儚くナイーブなこころが好きだ。それは一見なよなよした弱々しいものに思えるが、人が気づかない細かなことに心を馳せることができる、実に包容力のある、また、自分に正直な気質ではないか、とさえ思う。子どもの頃、弱い者いじめなんてことがよくあるが、いじめられる方が実はたくましいのかもしれない。いじめたり、すぐに怒ったり、人に怒鳴り散らすタイプほど実は案外精神的に「脆い」と思う。それは大人に往々にして多い。これが人の上に立つ人なら部下はたまったものではない。「バカ」な経営者の下で働くほど「人生における無駄」はないだろう。おまけに表面的な強がりばかりでは、まるで「裸の王様」だ。気が小さいはストレスもそれなり人一倍多そうではある。がしかし、それはそれだけの傷を負っては直りという繰り返しによりかえってストレス耐性が強化されるのかも知れない。みんな「気を小さく持って」生きようではないか!
August 25, 2004
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はまっちゃう「つぼ」ってなんにでもあるもの?「笑い」のつぼならねぇ、あっても可笑しくないが・・・「ドツボ」の「つぼ」は・・・ないだろうって思ってました。しかしこれがはまることがあるんだと。いわゆる「負けぐせ」ですな。これが一回はまるとなかなか。細木数子がいうところの大殺界ってやつでしょうか?いやぁもういやんなるね、自分でも。こうへたなことばかり回ってくると自分の人生ってナンだろうなんて深刻なったりして。ならない方がおかしいくらいだが。なんかいい離脱、抜ける方法ってないのだろうか。やっぱ、墓参りかな、ご先祖様の。そこまでは無理としても、心の中で感謝、感謝!
August 24, 2004
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今日はなんだか疲れた。雨のせい?ちょっと風邪気味かな。葛根湯を呑まなくては。でもジョンのCDを買ったので、早く帰って・・・もう遅いけどゆっくり愉しむべぇ~仕事中だったので、ポスターはもらわなかった・・・けどま、いいっか。
August 23, 2004
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都会では自殺する若者が増えている今朝来た新聞の片隅に書いていただけども問題は今日の雨 傘がない行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ君の町に行かなくちゃ 雨にぬれ冷たい雨が 今日は心に浸みる君の事以外は 考えられなくなるそれはいい事だろ?二、テレビでは我が国の将来の問題を誰かが深刻な顔をしてしゃべってるだけども問題は今日の雨 傘がない行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ君の家に行かなくちゃ 雨にぬれ冷たい雨が 僕の目の中に降る君の事以外は 何も見えなくなるそれはいい事だろ?行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ君の町に行かなくちゃ 雨にぬれ行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ君の家に行かなくちゃ 雨の中を行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ雨にぬれて行かなくちゃ 傘がないこの曲を初めて聴いたのはたぶん12~13歳の頃。その後自分が陽水の出身地に棲むことになるなど予想だにしていなかった頃。歌詞の一発目からガツンとやられた。何じゃこりゃ~である。中学生にしては我ながらませていたのか、そう思った。これまでの自分が知る音楽の歌詞の内容とは、少なくとも日本の歌の歌詞としては、ずいぶん異なる、異様さを感じた。なんで社会現象を歌詞にしとるんやろ、こんひとは~、てな感じで・・・その後音楽にのめり込んでいった自分は、GFRのハードブレーカーとコード進行が同じであることを知り、ひょっとして陽水の真似・・・なんて思った次第。にしても歌詞がちょいとシュールなところが好きなのであ~る!
August 22, 2004
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9/29今日発売!♪買わな~くちゃ、このCD買わなくちゃ ・・・でもお金が・・・なんてことは言っていられない!買わなくては!ぜひとも。住友、大友康平?ただそれだけ・・・です。
August 21, 2004
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ってよく言うけれど、傍目でみていると、いやいや最近のおじさん、おばさんの方がよっぽどって気がする。切符を買うとき、自分の番になって財布を開くおばさん。買う前から金用意しとかんかい!夜中に無灯火で自転車乗ってるおじさん。夜は電気つけんかい!満員電車で背中にバック背負って乗ってくるおじさん。荷物下ろさんかい!エレベーター内で香水ぷんぷんさせてるおばさん。窒息死しそうじゃぁ~!道に広がって歩くおばさん。道路はお前らの私道とちゃう!道を譲ってもありがとうのひとつも言わないおじさん。いい年扱いてあいさつもろくにできんのかい、ドアホ!・・・ちょっと言葉が美しくなかったですね。ということで、世の中のおじさん、おばさん!もう少し考えた方がいいんじゃない!と思う人、多くないですか?こどもが見てるんだから・・・ね!
August 20, 2004
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以前、大手企業の方に誘われて「交流会」なるものに参加した時のこと。参加者は○ニーさん、ド○モさん、○イベック○、○あ、などなどいわゆるTVCMでお馴染みの企業の社員の方ばかり・・・交流会の内容としては、2社からの公演と名刺交換、意見交換みたいなものだった。2社の公演はそれなりに面白かったが、では明日からうちでも導入を、なんてことにはなりそうにはないものだったが。チケットビジネスの話や新技術の紹介などは、内容的に良かったし、それなりにではあった。その後、次回の案内がまたメールで送られてきた。ただこちらはちょうどその日は別の予定が入っていたため、不参加の主旨を前回お会いした主催者の方に一応ご丁寧にご連絡差し上げたところ、なしのつぶてだった。そりゃね~だろう!メール受信したら、返事くらい書けよって!誘ってくれた方には申し訳ないが、なんとなく「頭数」を揃えるために呼ばれたような気がしないでもなかった。実際、その日の交流会は仕切直しの初日だったし。後で考えれば実際はそういうこと(頭数を揃えるだけ)だったようだ。なんとも後味の悪い「交流会」だった。
August 19, 2004
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インフォームド・コンセントセカンドオピニオンこれって本当に役立っているのか。どこの病院でも実施しているのか。大学病院など総合病院になると初診と再診の医者がそもそも違う。カルテを見ただけで、同じような診察ができているのか?患者は「生もの」だ。今時の医者は患者の微妙な変化をどこまで見届けることができるのか?検査、検査ってお金を取っているが、それって単なる臨床データを収集しているだけじゃないのか。こっちは内視鏡呑まされて命に関わるようなことになるかも知れないと言うのに。どうも可笑しい。またどれだけ患者がコストとお金をかけて通院していようが、医者は直せなくても知ったことではない。第一医師免許ってのは一度取ったら、更新は無し。こんなの可笑しい!医療技術や情報は常に変わっているはずなのに・・・おまけに人は歳をとる。よぼよぼも爺さんの手術はごめんだ!以前、会社の健康診断でいった病院の内科検診を担当した医者は耳が遠かった!可笑しい!ちゃんとした医者どこにいる!
August 18, 2004
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便利便利って世の中相当便利になったのに、IT技術でまたさらに便利になってしまうなんて、本当にそれって意味のあることなのか。役に立ってるのか?そもそも「役に立つ」って皆で共有できることあるいは共有すべきことなのか?世の中ほんとボタンひとつでいろんなことができてしまう。斎藤孝の本に「段取力」なんてのがあったが、これって改めて学ぶようなことなのか?考えるに、段取りってことを日常の生活であまりやらなくなった、つまり「便利」になりすぎて、実は相当「不便」になってやしないか?それこそ本来「できること」を「便利」が「できなく」してしまってはいないのか?「パリ・ダカール」ラリーでは悪路ゆえ、クルマの故障は日常茶飯事。諸外国の選手達はその辺のモノを使ってどうにか自分たちだけで修理し、戦いを続けるらしい。ただ日本人選手だけが自前で修理できないと聞いたことがある・・・そこまで行かなくとも、最近は小刀の使い方だって、薪に火をつけることだってできやしない子達が増えている。マンションで生まれ育った子は「雨音」を知らない。そんな世の中に一体誰がした~!
August 17, 2004
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近頃、思うに世の中どんどん物事がスピードアップしてせわしない気がする・・・のは私だけ?オンラインショッピングなんか今日オーダーして2~3日でモノが届く。メールもひっきりなし。携帯にまで追いかけるように送られてくる。そんなたくさん送られてもこちらは消化不良。いかに不要なものを選別して捨てるか、かかっている。一時期「捨てる技術」って本が売れてましたが、情報を捨てる技術がいるかも。いやそもそも情報を受け取ることをやめてしまった方がいい。新聞はとらない、雑誌も買わない、メルマガも購読しない。必要な情報は自分から取りに行く。そうしていれば無駄な情報に振り回される必要もない。それからもっと物事に手間暇かけるべき。考えることももっと時間をかけてもよいだろう。そんなに急いで何かを決めなくてはならないのだろうか。競争に負けてしまう。本当にそうだろうか。もう一度考え直してみても良いのでは。そんなに回りに流される必要もないだろう。
August 16, 2004
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よく「本音と建前」というが、どっちがどっちやらよくわからないことがある。また不文律、暗黙の了解なんてのも、その実元々ははどういうことなのかわからない、不明なことがある。最近小学校における教育に関して「ジェンダー・フリー」がよく取り沙汰されているようだ。もともと「男らしく」「女らしく」ってのはどこから始まったモノなのか?そもそも男と女が同じなわけがない。その前提が一体どこで崩れたのか?自分の田舎では「九州男児」ってのあるが、あれはそもそも「男が女々しい」から葉っぱをかけて、女性にとって操縦しやすいように男らしくあれみたいな意味からそういう言い方をするようになった・・・とも聞く。その実は不明。そうでなくともなんでそう「男」と「女」を一緒にしなくてはならないのか?これはたぶん、学校の問題でもなく、もちろん家庭の問題でもないだろう。ひとえに社会の問題なんだろうな。「男女雇用機会均等法」のなせる業ではないか。そもそも子どもと大人を一緒に扱おうとすること自体ヘンだ。子どもはまだ半人前。教育の途中でしかない。そんな子達にやたらあれこれ気を使いすぎてやしないだろうか。その点では親にも地域社会にも大人にも責任があるんだろうな。個人的には父親がもっと主夫して、子どものいる環境に入って行くべきかな、と思っている。あんまり会社、会社していてもつまらんだろうしね。「平等」ってのももともとはすべからく「不平等」だから、「平等」にしようってことだろうな。生きている以上「平等」であることなんかあり得ないわけだから。どうも「社会」は(都市と言った方が良いのか)自然を不自然にしたがる傾向があるのではないか。なんでもかんでも「同じ」にしようとしていないか。それぞれ違って当たり前をどうも不自然にし、ねじ曲げよう、手間暇を省こうとしている、そうとしか思えなくなる。もう性善説ではどうにもならない時代になってしまたのも、何かうまく行っていない理由のひとつかも。本来のシステムが機能しなくなってきたってこと。世の中「本当のこと」をそのまま言ってしまっては身も蓋もない・・・ってことかな。でもそろそろそれも考え直すべきでは・・・
August 15, 2004
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今でこそあちこちへ飛行機、新幹線(船はだめなので)で行ってはいるが、学生のことの旅行ってちょっとわくわくものだった。もちろん一人旅となるとちょっと不安と期待がいりじまるものがあった。成人してからは海外へも一人で行くことがあってものだが、その頃はまだそこまで(母親には留学したらなんて言われていたが)は考えていなかったので。まだウォークマンなんてものはなかったので、旅に音楽を道連れはできなったけれど、その街、街で聴ける町中の音楽も時代が反映されていた良かった。この曲はもちろんビートルズなんだけど、カーペンターズで聴いたって人も案外多いのかも。ビートルズで聴くともちろんビートルズなんだが、カーペンターズのそれはひどく違っていたので、最初はなんだかポップスであんまり彼らのバージョンは好んでは聴かなかった。しかし、これも大人になって聴くとまたひと味違っていいなと思い始めた。こうして改めてカーペンターズを聞き直してみると原曲とは違った味わいが相当あるもので、そうした楽しみ方もできるものだと、ちょっと新しい発見めいた気分になった。
August 14, 2004
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お気に入りだった、今でもそうだけど、のはオードリーの映画。もう小学生の頃から(どこかの映画評論家みたいじゃない)テレビで見るモノと言ったら映画。なかでもオードリー・ヘップバーンの映画はもう大好き。綺麗という印象より、かわいいと言う方がその頃の印象だったけれど、大人になって見返してみると、やっぱりかわいい。「ティファー・・・」が一番可愛かったかな、でも歳はすでに結構行っていた頃の映画かな?歌も本人ではなかったのだけれど(私の記憶が正しければ・・・確か、それでアカデミー主演女優賞を逃した。代わりにオスカーを手にしたのはジュリー・アンドリュースだったかな。もちろんそんなことは覚えていない・・・後になって知ったこと)。「ローマの休日」も美しかった。キュートな感じがしたかな。イタリアって舞台は全然意識になかったモノで、これも大人になって見返しての認識。こうして思い起こしてみると、子どもの頃見た映画をまた観たくなった。たまには古いあの頃に観た映画を見直してみるのもいいかな。
August 13, 2004
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青春・・・の次は「朱夏」というらしい。燃えさかる夏。青春よりももっと青春しちゃうのだろうか。青春時代、はやっぱり「高校時代」だろうか。受験にスポーツに遊びに恋愛・・・ま、ちょっと大人になりかけのなんら責任感のない、世間からもまだまだ子ども扱いされていた、そんな時代。でもその当時はまったくそんなことなど思うことなどあろうはずもなく過ごしていたモノ。今想い出してもイヤなこともあったはずだが、一番楽しい時期を過ごせた時期だったと思う。中学時代から音楽が好きで、ギターも引き始めたのもその頃。なので高校時代はバンドもやったりと結構はまっていた。とにかくギターを弾くのが楽しくてしようがなかった。それと同じくらいに音楽を聴くことが何よりも好きな時だった。友達の交遊、中本連んでの毎日も楽しかったし、本当に胸が痛くなるってこれか、ってくらい女の子を好きにもなったもの。そんな頃の音楽は今聴いてもなんだか、ウソのようだがついこの間のように胸を締め付けられるモノ。映画も良かった。まだレンタルビデオなんてなかった頃なので、映画はもちろん映画館。デートの定番も映画・・・だったかな。もう好きな子と都心へ出て喫茶店にはいるだけで・・・なんてうぶだったもの。青春映画も結構観たな。「ロミオとジュリエット」わお!「ジェレミー」これは結構かなしかった。「ある愛の詩」もちろん哀しかった。名ぜりふあったな。「アメリカン・グラフィティ」もうこれで50年代の曲はほとんど聴いたもの。「グローイング・アップ」ちょっとHだった。「リトル・モー」テニスの映画。でも青春だった。「小さな恋のメロディ」いやかわいかった。枚挙に暇がないね。
August 12, 2004
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今時「ラジオ」なんて聞かない・・・だろうか。子どもの頃は試験勉強中はもちろん、夜、夕食後自分の部屋へ戻り、夜中までよく聴いたもの。もっぱらFM放送ばかりで、民放はまったく。当時はエアチェックも楽しかった。FMラジオ雑誌も出始めた頃。小学館のFMレコパル(今もあるのだろうか)提供の番組があって、神太郎さんがパーソナリティを務めていた。その当時は録音機器、ソニーの通称「でん助」なんてのも、が多数発売され、録音テクニックをその番組でたしかやっていた。自分も高校の放送部に在籍し、バスレフ型のスピーカーなどお手製でこしらえていたので、よく聴いていた。ステレオはまだ高価でバイトして買えるような値段ではなかった。なのでせめてカセットラジオでエアチェックが関の山だった。そんな学生生活を過ごしていた頃の毎夜ラジオの向こうから流れてくる音楽が今の嗜好性を形成する上でもっとも影響が大きい。カーペンターズやビートルズ、ストーンズはもちろん、70年代ロックはリアルタイムで聴いていたので、今はとても懐かしいし、今時のものと比べてもイイ時代を過ごせたと思っている。新しい音楽ももちろん聴いてはいるが、いまだにあの頃の「ラジオの向こう」から聞こえていた音楽が途絶えることはない。
August 11, 2004
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なんだか小難しいお話ですが、近頃よく思うのが、何かものを考えるときのあり方。いろんな意味で「壁」にぶつかっている、あるいは、停滞、平たく言ってなんとなくうまくない、充実感がないって感じがしている。ま、そうした一種の「閉塞感」を払拭したい、したくなる。そんな時、ふと今の考え方、あり方に限界があるのではないか、何か新しいもしくは違ったやり方なりを見つけなければならないような気になる、なっている。認識や認知の面で何か新たなものを見いださせたとしたら、たぶんそこには新しい展開、必ずしもイイものとは限らないが、待っている、といった錯覚のようなものを覚える。何が内部で何が外部かなんて哲学的なことを考える訳ではないのだけれど。例えば何かを認識したとき、それは「内部」として認識されたのか、それも「外部」なのか。感覚で捉えたものを具体的な文字としてそれを捉え直すとした場合、そうした捉え方が必要ではないか。例えば、目の前に何か物体があり、それを目で捉えた時点で、その物体はまだ外部に存在するものとして位置づけることができる。しかし一旦その物体を手に取り、実感した場合、それはもうすでに内部に取り込まれた存在、経験としての存在になりはしないか。例えば言葉、文字で知っていても、それになんら利害関係や具体的に何か自分自身に影響するモノがない場合、それは自分にとっては現実ではないはず。自分にとって何か関係がある、影響があると言う場合、それは現実化する。外部にある状態ではそれは、ただそこにあるだけで、自分自身には一切関係がない。現実ではない。そういうこと。現実とはなにがしか自分に影響をもたらすモノ。それ以外は現実ではない。現実と非現実、存在と不在、内部と外部・・・実際にいま身の回りにあるモノをそうした捉え方で整理してみる。そうすることで、自分にとって重要かそうでないかが判断できるようになるだろう。
August 10, 2004
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漠然と「家」と言ってもいろいろあるんだけど、やっぱり庶民の夢としては「庭付き一戸建て」なんてのはもう古いのだろうか。古い、新しいは別にして、家って自分の家族だけってイメージがあるけれど、よ~く考えてみると意外にそうでもない。穿った見方ではあるが、住宅はすべて「水道管」や「電線」「ガス(都市ガス)」に繋がっている。なんだか、瀕死の病人のように点滴やいろいろな管が体につきささっているようだ。そうした「人工的な家」とは切り離して生きていくことはできないのだろうか。どうにも今の(世の中にある)家は、まるでスーパーか何かで買ってくる商品のような印象すらある。人が住まうってのはもっともっと深いものが底流に流れているモノではないのか。家を建てることを考えるってのはそれなりに楽しいモノ。なんだけど普通に流通し普通に手にはいるような家ではあまり面白くない。建築の歴史ってモノを紐解いてみた方が良いのかも。歴史と言えば「家」に限ったことではないだろう。
August 9, 2004
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みんなしょっちゅう何かを真剣に考えちゃいないわけで。しかしいざ考えなくちゃならい時に考えようと思ってもなかなかそう簡単にできるモノではないってのもなんだよね。じゃ、日頃から考えるトレーニングなんてやるかってやるわけない。現実に直面したときにしか考えないモノだろう。物事について深くはね。何について考えるのかって問題も別にあることはある。またどの程度深く考えるのかってのも。普通は利害関係やなんらかの悩み事で考える行為をするわけなんだけど、もうちょっとその辺を押し広げて世間一般について、考えてみようと言ってもたぶん誰もピンとは来ないはず。そこには意見交換も必要でしょう。刺激し合える相手がいると会話もはずんで脳も活性化されるのではないだろうか。こうして書き込んでいるときも考えてはもちろんいるわけだが、それも単なる一方通行、一方的な発信にしかなっていない。そこがこうしたことの限界。なんだな。
August 8, 2004
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今日は家庭の事情で早退。夜、同僚の携帯にメール。ひとりで呑んでるらしい。彼とはよく一緒に呑むが、自分は一人ではよう呑みません。行きつけの店もない。大勢の呑む方が好き。一人って寂しいし、しゃべらないでただ酒を飲むってのもなんだか疲れる。酒は楽しみながらがいい。でもちょっと一杯ひっかけてってのもよ~くわかる。一人と言えば一人旅もそんなに好きではない。旅はやっぱ道連れがいいかな。一人でいいのはちょっとそこまでの買い物くらいか。と言っても本屋にCDショップは入り浸ってしまうから他の人間と行くとそちらに迷惑がかかってしまうってのもあって概ね一人。これからの季節、やはり日本酒。だから帰りに一杯、ちょっとだけってのはよくわかる。けど一人はやっぱりつまらん。
August 7, 2004
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もう9月も末だっていうのにいまだに暑い。蒸し暑い。じとっとした暑さがぶり返したって感じかな。ま、秋っぽくもなっては来たんだろうけど。日本はもう温帯ではなく、亜熱帯。いやもうひょっとすると熱帯?なわけはないか。にしても暑かった。暑さに加えて今年もまた大雨、台風に地震にと自然災害が猛威を振るった。しかも日本だけではない。やはり心配なのは地震。9月の頭には愛知から大阪方面にかけて揺れたし、今は浅間山が・・・やばい・・・かな。来てもおかしくないとテレビ、マスコミはこぞってかき立てるが、実際の所はどうなんだ。備えあれば憂い無しだから、災害時の準備はしておいた方がいいかな。
August 6, 2004
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一頃は男が早々に仕事を切り上げて帰宅するなんてのは、男じゃない、亭主じゃないといった風潮、暗黙のルールのような、無言のしばりみたいなものがそこかしこに対流していたが、最近は結構「お父さん」達も不況のせいもあってかご帰宅が早いようで。中には「主夫」をされる方もいますね。男は男らしく、女は女らしくって今小学校じゃ言えないことらしい・・・ジェンダー・フリーってそういうこと?ちょっと違うのでは?そもそもウーマン・リブってのも女性が強くなったとかってことではないはず。社会的には平等であるべき、しかし肉体的にはあきらかに違う、ってことは誰もがわかっていること。自明の理。だのに「権利」だけは主張しようってわけですかね。ところでそうした早々に帰宅しちゃうのもよく聞く話になってますが、子どもとよく遊ぶお父さんが増えているのか、この間ある公園に大きな公園に子供達を連れて行ったところ、大勢のお父さんが居てちょいとびっくり。ま、遊び場がないってのもそこいらに集中してしまう理由のひとつかもしれないが、多いこと多いこと。母親に言われてそうしているお父さんも多いかもしれないが、まそれでも結構な「子煩悩」だなと思わせる節は多々ありそう。面倒見がいいのか、まだ子どもなのかその辺は定かではないが、よく一緒に遊んでいる。自分は専ら子ども達が遊んでいるのを見ているだけだが・・・
August 5, 2004
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アメリカの大学でPhD(博士号)を取った人と呑むことがあり、ちょっとした英語談義になった。日本人がなかなか英語を話せない理由のひとつに「ちゃんとした英語を話さなければダメ」という潜在的な意識が強いため、って話が出た。確かにちゃんとした?英語を話せていないと自分の話す英語がちゃんと相手に正しく通じているのか不安になったり、よく物真似で見る中国の人が日本語話すのと同じようなのではないか、と思ったりしてヘジテイトすることはあるだろう。学校英語が弊害というのもあるが、受験英語は決して捨てたモノではない!むしろ受験英語を嫌っていた人が、語学留学なんかして学んだ英語の方が話せているようで話せないし、まったく書けないということもよくあること。書くことはまた話すのとは違うが。でも「ちゃんとした英語」ってなんだろう?日本にいる外国人の日本語がちゃんとしている?そうは思わないし、ちゃんとコミュニケーションしている。そう、問題ないってこと。それに英語なんて結構な国の人たちが使っている。中国人の英語もあれば、ハワイの英語もあるし、シングリッシュ(シンガポール)だったある。フランス人の英語もなまっている。だから少々発音がヘンだからと言って気にすることもない。要は「何を話したいか、伝えたいか」だ。そうした「内容、中身のある」会話が成り立つかどうかは英語が話せる以前の問題だ。ついアメリカ人の会話を聞いていると「かっこいい」なんて思ってしまいがちだが、どんな話をしているかわかったもんじゃないし、あれはあれで方言みたいなものもあるのでアメリカ人だからと言って皆が標準語を話しているわけではない。ずーずー弁もあれば、関西弁みたいなものもあるだろう。気取る必要はない。英語はあくまで道具!目的がなければ、話す内容も意味のないものになる。英語学習の弊害、と言っていいかはわからないが、そういう意味では「文法」ってのが「英語嫌い」を量産しているのかも。あれって「後付」で作ったモノらしい。なので必ずしもちゃんとした「理屈」があるわけではないそうな。あとから取って付けたようなものがあるそうだ。だから日本人が英語学習する際、あんまりにも「文法」に固執すると躓いてしまうわけだ。それから英語検定ってのもいかがなモノかと。スコアや得点いいから「話せる」わけではない!いくらスコアを上げても肝心な英語圏の人とのコミュニケーションを怠っていてはいつまで経っても話せるわけがない。あんまり神経質になる必要なないってのが、結論でスカね。
August 4, 2004
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今夜の食わず嫌い王はいろんな意味で楽しめた。ベッカムって意外(でもないが)結構シャイなのと、おちゃめなのがかなり笑えた(ファンの方、失礼)。宇多田はちょっとやめて欲しいしゃべりだが・・・ま、いっか。UCLAだし(何の意味もない)。しっかし二人の英語が面白かった(笑いとしてではもちろんない)。ベッカムは当たり前だがクイーンズだし、ヒカルはもちアメリカンなんだけど、意外にベッカムの方が聞き取りやすかったりして・・・ま、そこまででなくてもかなりわかりやすいしゃべりではあったかな・・・あまり難しいことは言ってないと言えば言ってないわけだけど・・・全米デビューって・・・果たして売れるのだろうか???
August 3, 2004
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中途半端な休みはかえって疲れる。ぶっ続けて休みたかったところだが、仕事が入っていてはそうもいかない。かといって休みが連続してあるからと言って何かまとまってできるかというとそれも案外そうはいかないもの。そう考えると日々の生活のなかにそうした私的な時間をしっかり継続して持てるようにしなければ、きっとずっと永遠にそうした時間を持てずまとまったことなど何もできないのだ、と思うには思うのだけれど・・・
August 2, 2004
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「球界再編を巡る労組・日本プロ野球選手会(古田敦也会長=ヤクルト)と日本プロフェッショナル野球組織(NPB)の協議・交渉委員会が23日に開かれ、7項目で合意、25日、26日に予定されていた第2波ストライキは中止となった。」熱狂的プロ野球ファンではないので「それはそれは」としか思えないのだが・・・どうしてもこれ関連の報道を見ていると、球団側が「悪」で選手会側が「正義」のようなイメージで受け取られがちな気がするが、果たしてそうなのか?経営が成り立たなければ、選手も給与はもらえないもしくは仕事がなくなるわけで。選手にとっては死活問題。かといって赤字ばかりで続けられるほど、企業側も楽ではない。企業経営は慈善事業ではないのだから。ならば、本来的にもっと双方のことをよく考えて、例えば選手側も自分たちのことばかり主張せず、経営者側のことも考慮に入れ、少しくらい自分たちの年俸をさげるなんてことを言っても良いのでは、とも思える。どうもそうした選手側の「歩み寄り」はなかったように見受けられる。そうした球団側と選手側とのもめ事の隙をうまく利用したのがあの2者ってことになるんですかね?そう見えてしまうのは私だけでしょうか?
August 1, 2004
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