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KONさんの新作は彼女が以前飼っていた(家族として一緒に住んでいた)2匹の猫です。名前も教えてくれていましたが、忘れてしまいました。ごめんなさい。 とてもリアルに表現した猫たちです。リアルといってもただ写真を見るような表面的なリアルさだけではないことを感じます。2匹の猫がじっとこっちを見て、何かを訴えかけてくるリアルさがあります。思わず声をかけたくなるようなリアルさです。私は「いつごはんくれるんだい?」といった現実的な訴えしか浮かびませんが、飼い主であったKONさんはもっと別の訴えが聞こえてくるのでしょう。 絵画の中で特に写実絵画に当てはまることなのですが、写真のようにとても細かいところまでリアルを追求するスーパーリアリズム(フォトリアリズムともいいます)というのがあります。ルネサンス期から西洋絵画で芸術家たちが何処までリアルに表現できるかを追求してきました。19世紀後半に写真という技術が生まれ、その写真に負けないようなリアリズムをある芸術家たちが求めました。それが20世紀半ばに誕生したスーパーリアリズムです。鑑賞者はそれらの作品を見てあっと驚きました。写真と変わらない技術に驚いたわけです。ところが何か足りないモノがあると気づいたのも芸術家たちでした。それは作品の中に見られる心、或いは精神性は何処にあるんだろう?と言うことでした。逆に芸術家たちが現代の空虚感とか何か空しさを感じていれば、スーパーリアリズムは的確な表現方法かもしれません。でも芸術家たちはそのことだけを求めているだけではありません。多くの芸術家たちは自分の存在、そして存在することの身体性と精神性を表現に求めました。その尤もたるところが作家自身の心の在り方でした。簡単に言うと喜怒哀楽も作品に表現できないか。その喜怒哀楽という心で感じるモノを絵画にどうやって見せられるかということです。この課題は今でも多くの芸術家たちは追求しています。 KONさんのこの新作はリアルに猫を表現しました。2匹の猫からリアル以上のリアルさを感じます。それはKONさんの心をこの絵の中に感じるからでしょう。こうすれば絵の中に心が表現できるという方程式はありません。ただKONさんが何処まで猫たちを愛していたか、愛おしく思っていたか、制作中ずっと感じながら描いていたことが一番なのかなと思います。 白い猫の目が左右色を変えています。片方が青い目に変化しているのは耳が聞こえないということから色が変わるらしいです。KONさんが絵を面白くするために色を変えたということではないということでした。でもこの2匹の眼力は凄いですね! 圧倒されました! 頑張りました、KONさん。
2024/02/15
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久保さんの作品は1枚1枚描くごとにどんどん進化しています。 数ヶ月前の最初の頃の制作はおそりおそる、描けるかな?大丈夫だろうかという不安な気持ちをベースにした作品でした。面白いもので不安な気持ちがあると、どれだけ丁寧に上手く描けていても、その不安感を投影した作品になります。私自身はそういった不安感を感じさせる作品も人の微妙な心のあやを感じて好きなんですが、久保さんのこの新作はそういった不安感を感じさせてくれるというより、久保さん自身の心の内にある強い意志というモノを感じさせて圧倒される作品になったなと感じています。 これは高知県の山の中?にある小さな滝を描いたものです。滝の名前はあると思いますが、私には分かりません。久保さん自身は知っていると思いますが・・・。久保さんが描く前にこの滝の写真を見せてくれました。その時はこの作品のように激しさはあまり感じませんでした。激しさというより冬場の寒さとか津々とした流れが感じられる写真でした。それが制作を続けている内に、滝の勢いと激しさが画面に溢れんばかりの強烈なイメージに変化してきました。 絵画というのは平面で静止した状況の表現です。ある意味全てが静止して動かない状態の表現です。ところが作品の裏側から音が聞こえてきたり、動きを感じたり、香りまでも感じることがあります。じっと作品を見つめていると作品が動き始めるように感じることもあります。久保さんのこの作品からは音、香り、動きを正に感じさせてくれる絵画になったと思いました。そこには久保さんの制作する上での大きな成長があるのでしょう。自分自身の心と正直に向き合って描いた証なのかもしれません。 現代は映画、テレビ、アニメと画面がどんどん変化してストーリーを追いかける表現がメインです。私たちはそれが当たり前と感じていますが、逆に静止した表現の奥深さと面白さをもっと感じても良いかなと思いました。 久保さん、頑張りました!
2024/02/14
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高橋さんの新作はより一層、~わびさび~の雰囲気を醸し出してきました。画面を構成する形態は高橋さんがモチーフとして使用するシンプルな抽象的な形(幾何学形)が所々に見られます。今回の新作はそのモチーフである形態を画面から剥ぎ取っていくような技法が見られ、画面から見えてくる風情は朽ちていくモノに対しての愛おしさ、心の中に生ずる哀れみというものが感じられます。この感覚は日本独特のものでしょう。 西欧、或いはアジアの国々においては古いものに対して愛おしい感情を持ち、そこに美を感じるというより、常に新しいものに憧れ、新しさに美を求める感覚がより強いと思います。そういった流れでも欧米にも日本的なモノの見方、考えに影響された芸術家もたくさんいるのも事実です。スペインの芸術家であるタピエスもその一人かなと思います。またイタリアの画家のモランディから感じられる雰囲気にも似通ったものを感じます。高橋さんの作品にはタピエス、モランディの作品のような雰囲気を醸し出しているようにも感じています。画面、右側に少し盛り上がったマチエールが見られます。和紙を画面に貼り付けた跡のようです。高橋さんは以前、「このキャンバスを使って作品を描こうとし、和紙を表面に貼り付けていった痕跡がそのままこの場所に残ってしまった、そしてそれを今の作品の一部として使ってみた」と言っていました。このキャンバス自身には長い時間的な流れを含有している軌跡があるのでしょう。以前作品として使われたキャンバスを、少しの痕跡を残し、その痕跡を新しい作品の一部として再表現の一部にする。こういったプロセスも画面から感じられる「わび、さび」の印象に大きく影響しているような気がします。 全て計画的に構成され表現されているわけではなく、時間の流れの中で移ろいゆく表現の曖昧さが上手く美しさと響き合ったのかなと思います。日本語に「無情」という言葉があります。永遠に不変であるものはなく常に移り変わっていくはかなさの中に一瞬の美を感じる意識というのでしょうか~。高橋さんの作品にはそういった感覚を呼び起こされます。高橋さん自身は「まだこの作品は完成しているわけではなく、まだ不十分に思える箇所がたくさんある」と言っていました。私は逆にこの不十分に感じられるところにも、もしかして「わび、さび」の感覚があるような気もしています。秀作ですね!
2024/02/02
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