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徳弘さんはこの作品を鉛筆1本で仕上げました。前回、濵田くるりさんの鉛筆での作品をデッサンとして講評しましたが、徳弘さんの作品はデッサンではありません。絵の具ではなく鉛筆という媒体での絵画表現です。 1本の花と思いますが、そのイメージを白黒で表現しています。かなり細かい作業を諦めることなく最後まで集中して仕上げています。鉛筆の黒の色を画用紙に刻みながら一つ一つの線を根気よく画面いっぱいに広げていきまひた。 この作品で注意深く観察してほしいのは花の植物に見える幾何学形態(三角形)と背景に見える幾何学形態(四角形)を最後まで繰り返し繋げながら表現しているところです。 現代美術の中でとても重要な概念として繰り返し(リピート)の構造というのがあります。画面構成する上で同じ形態を繰り返すことで一つの単体としてのイメージをできる限り排除し、逆に全体で単体とは違ったイメージを感じさせる捉え方があります。そのことがよく分かるのはアンディ・ウオーのコカ・コーラの作品があります。コカ・コーラ1本のイメージだとコカ・コーラだとすぐに把握できますが、それが100本並ぶ(繰り返し)と、鑑賞者はコカ・コーラとすぐには把握できなくなります。単体での特徴が消えてしまうのです。 徳弘さんの作品にはそれと同じような概念が感じられます。花のところでは三角形、背景は四角形がびっしりと敷き詰められていますが、三角形、四角形とすぐに把握できたでしょうか?鑑賞者は一種の模様ととして全体を認識したのではないでしょうか。 徳弘さんは本格的に絵画を描き始めてまだそれ程長くはありません。でも今回仕上げた作品を見てると、表現するって面白いなあと彼女自身が強く感じたように思います。この作品にはたくさんの新しい情報あるいは宝石の原石のような宝物が含有されています。これから徳弘さんはそれらの情報を整理しながら、そして更に新しくてキラキラ輝く面白い情報を加えながら作品を作っていくのでしょう。頑張りました、徳弘さん!
2024/03/28
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濵田さんの新作はデッサンです。 デッサンというと習作のイメージですが、一つの作品として成り立たせるためには、制作者のしっかりとした思い、考えが画面に見えてこないと習作としての作品とはなりません。 濵田さんの新作はデッサンとしても完成されているとは言いがたいと思います。ところがこの作品から見えるのは濵田さん自身が何を見ようとしているのか、何を求めて表現しようとしているのか、かなりはっきりと見えています。具体的な対象物を画面の上に正確に表現しようとすることだけがデッサンの役目ではありません。描く対象物を前にしてそれを写し取りながら、その中に作者自身が何を見ようとしているのか、何を求めているのか自分自身の心の中を探索し、自分自身の心の内を把握することがデッサン、スタヂィの大きな役目です。つまりデッサンは対象物を描きながら、その中に自分自身の心を見つめ、己を振り返り、自分の心を正面から掴み取る作業です。 ピカソ、マティス、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロなど美術史の巨匠たちもたくさんデッサンをしています。それらのデッサンを見れば分かりますが、写真のように正確なデッサンとは言いがたいかもしれません。でも彼らが何を見ようとしたのか、彼らの心の中で何を求めていたのか、はっきりと見えてくるのが彼らのデッサンです。制作者は常に自分自身と対話をします。そして様々なアプローチを試しながら自分自身が本当に求めるモノとは何なのかを探っていきます。 この作品の中で濵田さんは自分自身が求めているモノは何なのか?そして分からないと感じながら手探りで必死に自分自身の心と向き合おうとしていることが見えます。 作品には鳥の嘴、蟹と全く関係ないような2つの対象物が見られます。でもこれらは濵田さんにとってとても大事な描く対象物なのでしょう。その全く違ったモノを濵田さんは必死にシンクロさせようとしてるのです。最後の完成の域まで入っていません。でも濵田さんが自分の心と向き合って取り組んだ表現には大きなパワーを感じます。濵田さん、よく頑張りました。
2024/03/27
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とてもスケールの大きな作品になりました! この作品を描く前に小倉さんはカナダのバンフに旅行に行って日本では見られない壮大なロッキー山脈が目の前に迫ってくる景色に圧倒されたことを話してくれました。その圧倒された情景を絵画として描いてみたいということでした。それがこの作品になりました。 自然の景色が持つ力強さ、荒々しさ、壮大さが溢れていますね。言葉でイメージを表現するより、言葉無しでこの作品を目の前にすると強烈に圧倒されるインパクトを感じられるのではないでしょうか。 小倉さんの描くイメージはとても表現主義的で、心の中で感じ取った思い、イメージが外に向かって弾け飛んでいくような感じです。 小倉さんはカナダの場所で壮大な景色に全身が包み込まれる感覚を受容し、その自分の心に強く残った感覚を今、画用紙の隅々にまでキラキラ輝く星のようにちりばめ、描いていったんだろうなと思いました。 小倉さんの表現は絵画はこうあるべきだとか、こうしなければならないといった制約をそれ程気にしていません。それより小倉さん自身が直感的に感じる色とか筆のタッチをとても大事にしています。絵画では制作者が感じる思いをどうやって表現するかということがまず第一に考えないといけません。そのためには伝統的な技法とか見方を敢えて逸脱して自分自身が納得するイメージを作り上げることも大事になります。 小倉さんの作品を見ているとそういった既成概念にチャレンジすることの大切さがとても強く感じられます。そして小倉さんのアプローチは間違いではなく、正解であるんだということを改めて感じ取りました。 頑張りました、小倉さん。
2024/03/25
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KONさんは動物を描く対象物に選ぶことがよくあります。特に猫が描かれることが多いでしょう。何故?と聞かれると、Konさんには猫の存在が身近にあって、まるで大好きな友達のように感情移入できる存在なのかなと思ってます。 この作品を見てるとKONさんが深く愛情を注いでいる子猫を優しく描いているように感じます。前回描いた2匹の猫は、以前飼っていた猫を描いたといっていましたが、今回はKONさんが実際飼っている猫ではないと思います。でも愛らしい子猫の姿、そして子猫の周りの風景の描き方を見てると、KONさんの優しさが画面全体に現れていて、作品を見ている鑑賞者を優しく包み込む空気が感じられます。 作品から見られる情景は冬の終わりか春先の夕暮れ時のようです。雪が積もった田舎の小道に1本の大きな木があり、その木の陰から子猫がこちらをじっと見ているような雰囲気があります。子猫の目を見ていると、何か訴えているような、思いがこもっているように感じます。その語りかけている感じはKONさん自身が鑑賞者に語っているようにも感じられます。強く訴えているのではなく、優しく語りかけている感じで、なぜかこちらも優しい気持ちにさせられる雰囲気ですね。 そういった情感は主に画面構成と色の使い方に大きく左右されますが、最も大事なことはこの情景の空気感を表現することだと思います。モノの形の細かい正確さを追求するのではなく、その場の空気感の正確さを追求することがとても大事になります。そしてその空気感の中に作者自身(KONさん自身)の心の揺れを漂わせるのがポイントと思います。今回のKONさんの作品は彼女の思いとか心がかなり表現され、鑑賞者に優しく訴えかける表現になったなと感じました。 頑張りました、KONさん。
2024/03/24
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高知では冬の季節にとても有名な「だるま夕日」という夕焼けが見られます。特に高知県の西端にある宿毛市で見られる「だるま夕日」は有名です。安芸という東にある場所でも見られますから、宿毛市だけで見られる夕焼けではないのでしょう。海に沈んでいく夕日と水平線が交わるところに少し幅が広がっているように見えるわずかの時間があります。そのわずかの時間がまるでだるまのように見えるところから「だるま夕日」と言われるようになったらしいです。 久保さんはその「だるま夕日」を表現したいということで、チャレンジしました。久保さんはスマホの中に入れてあった「だるま夕日」の写真を元に表現したのですが、色のグラデーションにとても苦心しました。写真で見られるようなグラデーションはなかなか難しく、色のばらつきが現れてしまいます。 私とすれば、絵画と写真は違いますから、写真のようなグラデーションをあえて求めなくても良いかなと感じてます。絵画には絵画独特の良さがあります。それは描くという手作業に制作者の強い意志が感じられ、その中に鑑賞者に直接響いてくる面白味があることと思っています。写真であれば、視覚的美しさが全面に表れ、制作者の時間をかけて試行錯誤している移ろいは省かれてしまいがちです。 この作品では久保さんはグラデーションの表現に苦労しました。でもその苦労した表現が、逆に久保さんの制作中に感じた思いというものが大きく表現されていると思います。「だるま夕日」も少し歪になっていますが、それも絵画では逆に良いことだと思います。完全な形ではない人の手作業としての不確かさが、逆に作品の中に制作者自身(久保さん)の暖かい心を感じさせてくれます。 海の右側に浮かぶ船、そして画面左上には逆光で黒く見える木(松でしょうか?)が画面のバランスを作り上げています。そして船、木、岩場のシルエットはただ単に暗く描くだけでなく、オレンジ色のアウトラインを入れて夕日の光を感じるように描いているのはとても考えられていますね。 絵画というのはただ写実するということではありません。あくまでも制作者の心のフィルターを通してどのように感じているか、どのように思っているかという制作者の素直な心の表現だと思います。この作品から久保さん自身の心が素直に表現でき始めていると感じました。 久保さん、頑張りました。
2024/03/07
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高橋さんの新作は先月見せて頂いた作品を、更に筆を加え、変化させたものです。私個人的には先月見せて頂いたところで、ストップしても良かったかなと思っていたのですが、高橋さん自身はどうしても納得いかない色と形が画面にあり、そこから更に試行錯誤を加えて、ここまで辿り着いたということでした。高橋さんは良くなってきてはいるけれどもまだ何か足りないところがあると、更なる改良を匂わせていました。 絵画制作、或いは美術制作というのは非常に繊細な制作プロセスがあります。他の人が仕上がったと思っても、制作する本人が本当に納得していなければ、まだ制作途中であり、制作は続行となります。また、あと少しで完成すると感じ、あと一筆加えた途端、完成形から遠く離れたところに放り出されることも多々あります。最終的には制作する本人が完全に納得のいく表現になっているか、その本人がしっかりと感じないと作品は完成とはならないのです。往々にして周りの人たち、或いは指導する立場の人が「完成したね」と口添えし、、筆を置く制作者が多いと思います。 高橋さんは周りの意見も聞きますが、あくまでも自分の感性、見方を大事にしています。そして自分自身がまだダメであると感じたら制作を続けていきます。 私はこれが本当の制作する姿かなと思っています。あくまでも自分の思い、見方、自分の心に忠実であることが制作の基本であると思っています。 この作品は高橋さん自身にとってまだ終わっていないと感じています。その終わっていないというのは色であったり、画面の僅かの「ズレ」といったところでしょう。私は画面から感じる「ズレ」ということに、とても注目しています。それはキャンバスは長方形という基本的な幾何学の形をしています。ところが高橋さんは制作する上でキャンバスのエッジの表現の仕方、微妙な色の組み合わせなどから長方形という幾何学形態の強さを排除しようとしているのかもしれません。 何故かキャンバスが歪んで浮遊しているように見えます。高橋さんはキャンバス自体に人間の心の在り方、機械ではなく、有機体として心の有様を表現し、その浮遊した状態をもっと見せようとしてるのかもしれません。社会がどんどんと変化していく中で、自分自身の存在、在り方を問い直しているのかもしれません。 来月、高橋さんは更に変化させた作品を持参するでしょう。
2024/03/07
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