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高橋さんは試行錯誤を繰り返し、彼女自身が本当に求めている「美」の追求は留まることがありません。この作品も、今はもう既に変化し、見られない状態になっています。新しいイメージに変化した作品を見せるべきでしょうが、私が写真を撮り忘れていたことと、この状態であっても高橋さんが求め続けている「美」はかなり表現されていると思い、ここにアップしました。先週、高橋さんと制作の過程について、また追求しているところは一体何なのか,かなり詳しくディスカッションしました。美学的なこと、哲学的な視点から言うと、日本という国における伝統的な美に対する意識は高橋さん曰く「幽玄」或いは「うつろい」ということに繋がるのではと言うことでした。そのことを現代における抽象絵画で、どのように表現しうるかという難題に立ち向かっているようです。別の言葉で言うと曖昧模糊とか焦点がないとか確立されないイメージの中に美しさをどのように表現できるのかということでしょう。この絵画においてもはっきり焦点の絞られたイメージは見られません。全てがなんとなくふわふわとした浮かんでいるようなイメージが目の前に広がります。ではそこに「美」を感じるかと高橋さん自身は自問自答しているようです。そしてまだ「美」に繋がるような感じではないといって更なる表現の変化を求めているわけです。人が「美」を感じる時と言うのは永遠の美とか形而上学的な見方につながりますが、高橋さんにとっての「美」とは形而上学的と言うより、もっと現代的な現象学的或いは実存的な捉え方なのではと思います。そこに日本的な幽玄というのがつながったのだと思います。少し難しくなりましたが、もっと分かり易く簡単に説明すると、幽玄の中に美を感じるのは一瞬であり、その美を感じるのはずっと続くものではない。幸せを感じるのは永劫的ではなく、一時の感覚であり、その時を外れると美しさも消えてしまい、もしかして醜く感じるかもしれないということです。高橋さんはその一瞬を追い求めているのかもしれません。そして高橋さん自身も時間の中に生きているわけですから、これは美しいと感じても次に見ると何でもないとなってしまうのかもしれません。では作品としてどのように残せば良いのでしょうか?うつろい、幽玄的な焦点のないイメージを作り続けて、その制作過程で美しさを感じたときに、作品は完成するというふうに自分自身の意識を変えていくのが大きな方法と私は考えています。見る側の立場とすれば、高橋さんのこの絵画から曖昧、うつろい、幽玄は既に強く感じられ、その表現に対して、私は”ある時間”に、素晴らしく感銘し「美」を感じる事実が存在します。秀作ですね!
2023/01/28
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馴田さんの新作は作品の題名がまず浮かんでくるような感じです。私であれば「赤いパラソル」とか「赤いパラソルを持つ人」のような題名にしたいなと思います。それほどに赤い傘が作品の中で強烈に輝きを放っているということかもしれません。この作品の画面構成は至ってシンプルです。山、空、木、そして赤いパラソルを持った女性、そして緑の野原です。色の組み合わせにしても多くの色を配合した画面構成ではなく、とてもシンプルに6色以内に抑えて分かりやすくしています。流れのある構成、色を抑えた画面づくりをすることによって、鑑賞者にとてもダイレクトにイメージを印象づける作品になっています。そのなかでパラソルに使った赤色は、他の色と比べると色彩的にとても強く、またパラソルのところだけ強い暖色を配色することで際立ったイメージに仕上げています。画面全体を見ると画面右下から左上に上昇するような動きを感じます。木の枝、山の稜線、パラソルの傾きも左上に流れるような画面構成になっています。絵画的に全てが一方向に流れていく構成になると画面のバランスが崩れてしまう可能性があります。馴田さんのこの作品も構成的に崩れてしまいそうな感じがするのですが、その崩れそうな危険性を上手く引き戻し、何とかバランスを保つ細工を馴田さんは施しています。私からすると妙技!と言っていいかもしれません。それはパラソルの形に使った3つの波線が右上に伸びていき、画面全体が左上に流れる構成に対比させ、上手くかみ合わせようとしているところです。細かいところですが、こういった制作する中での小さなアイデア、思いつきが画面全体をより大きく、そしてベターに見せるのでしょう。そして鑑賞する時、作者のそういった小さなアイデアを画面の中で発見すると、作品によりいっそうの愛着がわいてくるのも確かなことですね。
2023/01/20
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高橋さんの制作は平面絵画の基本である色、面、線を長い間探求しています。色、面、線が織りなす画面に彼女自身が美を感じ、一つの美術作品として捉える、或いは、平面にどうすれば美の存在を定着させることができるか、暗中模索していると言っていいのかもしれません。私たちが美を感じる対象物に対して、こうすれば美につながると言った方程式はないような気がします。人間は時間の中に生きて、常に変化しています。一人の人間が時間とともに意識が変わるのは当たり前のことです。永遠の美と言う言葉もありますが、人間の移ろいやすい感性では究極の美と言われるものが、次の日には全く何でもないものに変わってしまうこともよくあります。高橋さんは自分自身の心がどのように感じているのか、そしてその時間とともに変化する自分の心に正直に向き合おうとすることで己の立ち位置が定まらないといった状態なのでしょう。高橋さんの新しい絵画から、私が感じるのは作者の心の浮遊感であり、時間とともに止めどなく流れている心の有様の日本的な無常観を感じます。日本的な無常観かもしれません。私はこの中にも人間のはかない刹那的な心情が見られ、独特の美しさを感じます。ここには決して機械的な冷たい心情ではなく、どこまでも自然に寄り添う温かい心情が満ちあふれているのではないでしょうか。アメリカの作家であるサイ・トウィンブリーの絵画と同じような印象ををうけるのは私だけではないでしょう。
2023/01/09
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