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小倉さんの新作は高知県北川村にあるモネの庭という庭園の1コマを描いたものです。 画面全体がとてもカラフルで明るさを感じ、太陽の光の強さを感じます。モネの時代に印象派という絵画の流れが生まれました。印象派が生まれるまでは画家たちはアトリエの中でランプを使って制作するのが当たり前でした。そのため出来上がる絵画はどこかランプのオレンジっぽい色を感じる作品が多かったようです。ところが印象派の画家たちは太陽の光のもとで制作してみようと試みました。油絵の具の保存の仕方が格段に進歩したことも理由の一つですが、太陽の光の素晴らしさを感じたいということが一番大きな理由だったように思います。そして印象派の画家たちは太陽の下で見える風景に今まで感じられなかった様々な色が存在し、その素晴らしさに気づいたのでしょう。小倉さんもこれと同様に風景から見える色の素晴らしさに気がついたように感じます。 小倉さんの新作は目の前に広がるこの景色に存在する色そのものが、さんさんと降り注ぐ太陽の光の下で更に光り輝いていると感じ、その感動を画面いっぱいに表現しているように感じました。この作品全体を見ると光の当たっている場所はもちろん、影の部分にも色の美しさを感じます。光の当たっているところに美しい色を見せようとすることは当たり前かもしれません。でも影という光が当たっていない場所にも色の美しさを表現しようとすることは難しいことですが、素晴らしいアイデアで注目すべき表現の一つだと思います。この作品にはその影の部分にも色の美しさを表現されていて小倉さんの今後の作品にも大きくプラスになるように感じました。 この作品は画面全体から光を感じると同時に、それぞれの色が響き合う美しいハーモニーとリズムもあります。絵画を制作する上で具象画であれ、抽象画であれ、色のハーモニーとリズムはとても大事な要素です。音楽ではよく言われますが、絵画においてもハーモニーとリズムを中心にして作品を鑑賞することも大事かもしれません。 小倉さんの描く作品は基本的に風景画ですが、描写する風景を正確に表現するというより、その風景から感じる雰囲気、香り、風、温度といった視覚とは違った感覚の正確さを表現しているように感じます。そして小倉さんはそういった目に見えないモノをできるだけ正確に表現するために実際の風景の描写に変化を加えることに対して躊躇していないように思いました。実際の風景に変化を加えることはとても度胸がいることで、迷いも生じますが、小倉さんは怖さを吹き飛ばすような度胸が備わっているようです。失敗を恐れない強い心といっても良いかもしれません。そこから新しくて強い表現が生まれるのかもしれません。私自身もこの絵から学ぶことがたくさんあり、とても嬉しく思いました。 よく頑張りました、小倉さん!
2024/07/05
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KONさんは動物を描くのが大好きです。特に猫とか犬に関しては上手に短い時間の中でさらりと描くことができます。犬猫の特徴をしっかり捉えている証なのかもしれません。 今回はそういった中で、ツバメの雛が巣の中にいる様子を表現しました。見てわかるように雛が赤い風船をつまんでいるという、こんなことはあり得ない!という姿を表現しています。実際にこういう状態の雛たちを見たらスマホでパチリと撮り、SNSに投稿して、いいね!が何万回も押されてしまうのではないかなと思いました。 私自身もこの作品を見て、思わず笑ってしまい、とても温かい気持ちになりました。 絵画の表現というのは時代を通してその時の私たちの状態を表現することが基本となります。写真がまだ存在しなかったときには、人間社会の様子、風景、人物を丁寧に絵画として残すことを目的として描かれていました。写真が誕生してからの絵画の役目はリアルに外見を写真のように表現するより、人間社会の内面、或いは自然を通して見えてくる社会の内面といった目に見えないモノを表現する傾向が強くなってきました。 そういう意味で現代では人間の持つ感情、喜怒哀楽の表現がとても注目されるようになってきたのです。ところが美術の世界を含めた社会一般では怒・哀の表現がどういうわけかもてはやされました。現代もその傾向は強いと思います。怒・哀の表現は高尚的で喜・楽は少し大衆的と感じられてきたのかもしれません。私は喜・楽にもっと注目して表現されても良いのではと常々思っています。描くことは本来とても楽しい行為で、喜びがあります。その嬉しさとか楽しさをもっともっと前面に押し出した絵画があってもいのではと思います。葛飾北斎も「富嶽三十六景」のような素晴らしく高尚な作品を描いたと思えば人のおかしな行動を漫画的にサラッと描く表現もしています。そして一般の人たちはそれを見て、娯楽として笑い、生活の中に楽しみを見いだしたのかもしれません。そういった笑いを誘うような表現も社会には必要不可欠なのだと思います。時代の要求ということもありますが・・・・ KONさんのこの作品は喜怒哀楽の中でいうと楽の感情が感じられます。笑いを誘う感性が溢れています。今までのKONさんの作品群を見ていると楽に対しての表現を常に思い描いていると感じています。生活の中での小さな1ページにも笑いがあり喜びがあるよ!と優しく呼びかけているように感じます。ツバメの4羽の雛たちの目線が全て方向を変えて描いているのはKONさんの思いと考えが強く感じられます。また風船のうえに描かれた顔、そして糸をつまんでいる雰囲気も雛たちが私たちに何か言ってるように感じがして、思わず「うんうん~」と頷いてしまいました。よくがんばりました、KONさん!
2024/07/03
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久保さんが描いたのは九州宮崎県にある高千穂峡です。長い時間をかけてこの峡谷の姿を描いていました。最終的にこの状態で完成ということになりましたが、久保さん自身はまだまだ納得していない作品になったようで、「この作品は上手く描けなかった!」と愚痴をこぼしていました。 ちょうど1年前に教室に訪れ、絵を描き始めました。「何十年ぶりかで絵筆を握った。」と言ってました。ですから全く素人の状態で昨年から絵を描き始めたと言って良いでしょう。 その久保さんが1年でここまで描けるようになったというのはとても驚いているし、とても嬉しい限りです。1年の間に描くことに対して様々なことを学んできました。描くことが段々とわかってくるようになってくると、面白いことに自分が満足するレベルもそれにつれて徐々に上がってきます。1年前には見えなかったことが、今は見え始め、そしてここはこんな描き方をすれば良いのでは?とか、全体のバランスを工夫しないと! というふうに今よりももっと良い感じで表現したいという意欲が沸いてくるのです。 今回の高千穂峡は久保さんにとって何か足りないところがあると感じました。その気持ちはどこから来るのかということを私と少し話しました。風景の作品は全体が一つの空間の中にある、全体の空気の一体感ということがとても大事になるということを話しました。部分部分が上手く表現できても、全体で見ると何かバラバラに感じるという印象は空気の一体感に欠けていることが原因になることが多々あるということも話しました。 この作品を見ると渓谷のひんやりとした水の色は透明感を感じさせ、とても上手に表現されています。渓谷の中に流れる水の音までもが聞こえてくるような色合いです。ところが、久保さん自身も気づいていましたが、渓谷の右下に見えるボートがどこか別世界から現れたような感じに描きました。上手く一つの空間にボートを組み込むことが難しかったようです。久保さんは何度もやり直し、何とか渓谷にフィットするボートにしようとしましたが、完全に満足するところまではいかなかったようです。 でも表現する上で非常に大事な事は、諦めないこと、試行錯誤を繰り返し今より更に良い表現を目指す心を持つことです。 幸い、久保さんは次の作品として新しい高千穂峡を別のアングルを持って描き始めました。数週間後に完成するであろう作品が見られるのはとても楽しみで、久保さんにとっても新たな次のステップになるような気がしています。 私自身はこの高千穂峡の作品もとても気に入っています。水の色にも深みがあり、色の中に水の音、鳥のさえずり、風の音までもが聞こえてくるような空間になっていると思います。どこかひんやりとした空気の流れも感じますね。 制作することは100点描いても、本当に満足できる作品は1点ぐらいしかないというのが当たり前です。99点はどこか満足できない、どこか足りないと感じるのが当たり前です。今回、久保さんがあまり満足できなかったと感じたのは、次のステップを踏む上でとても良い経験になったかなと思っています。 よく頑張りました、久保さん!
2024/07/02
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高橋さんは以前から一貫して四角という形と線を使いながら抽象イメージを追求しています。 作品の中で、色彩を強く見せず、どちらかというと中間色的な灰色に集約していこうという意図があるようです。 今回の作品もぼんやりとした曖昧な色を使いながら、その中に四角という形が微かに浮かび上がってくるような趣を創り上げています。色彩がぼんやりとしているため、作品から発する視覚言語を読み解いていくためには少し多めの時間を必要とするかもしれません。 現代、特に21世紀に入って美術自体もわかりやすく短い鑑賞時間で理解できる、明瞭であるといった単純明快に鑑賞できる作品が多く好まれてきています。これは時代の流れでもあり、感覚的に時間の流れが速くなってきている現代に求められている芸術の方向性なのかもしれません。 逆に言うと一つのモノに長い時間をかけて理解する、深く読み解くという行動は避ける時代なのかもしれません。 それに対して、高橋さんの作品を鑑賞する場合、しっかりと作品を読むという少し長い時間が必要で、ぼんやりとしたイメージの中に隠された視覚言語を読み解く時間も必要で、今の時代に求められる単純明快とか分かりやすいという観点からは逆の方向性にあるかもしれません。 ただ単にこの作品がわかった、わからない、綺麗、美しいといった単発で時間をかけない判断は高橋さんの作品には当てはまらないような気がします。 高橋さんの作品を鑑賞するためには、1冊の本をじっくりと味わいながら読むといった感覚が求められるでしょう。 この作品は画面の空間にたくさんの四角が浮遊しているように描かれています。1カ所にしっかりと根を生やして留まっているのではなく、ふわふわと浮遊している四角を感じます。その浮遊感は僅かの動きを感じさせているのですが、ここに高橋さんの新しい試みをしてるように感じます。その動きは左右ではなく、画面の前後に動いているようです。画面の空間奥から微かに前に動いている、或いは前から奥に微かに動いているように感じます。 こういった動きを感じさせる作品は、あまり他では見られません。20世紀前半では未来派というイタリアの1派が時間の流れを見せる作品を公開しました。現代ではアメリカのスーザン・ローゼンバーグという女流画家がダンサーの動きを見せる作品を1時期創っていました。高橋さんの新作ではそれらの動きを見せる作品とは少し違いますが、空間の中で感じられる微かな動きという面では似ているかもしれません。 いずれにしても高橋さんの作品を見る場合、しっかりと時間を使って作品と対話してほしいと思います。そしてそこから、鑑賞者は人間にとって大事な何かを感じるような気がします。 よく頑張りました、高橋さん!
2024/07/01
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