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こんにちは、ご無沙汰です。 今日は、久々のベスト5ネタっす。 オイラは自他共に認める歴史好きですが、最近は「歴女」という言葉が新語として国語辞典に載るほど若い女性の間で歴史がブームなのだとか。 ある調査によると、彼女たちが歴史に興味を持ったきっかけは、テレビの時代劇や小説、ゲームの影響が強いそうですね。 最近の大河ドラマに、イケメン俳優が多いのも、わかるような気が…。 私事で恐縮ですが、オイラも小学生の頃に見た時代劇の影響で歴史好きになったみたい。 その作品とは、山口崇が木下藤吉郎を演じた「亭主の好きな柿八年 女房太閤記」。 若き秀吉が、いろいろなアイデアを発揮しながら出世していく様が痛快でした。ちょうど、高度成長の絶頂期で、視聴者も自分たちの姿にオーバーラップしたのか、と…。 それまでも大河ドラマは見たりしていましたが、この作品から豊臣秀吉に興味を持って戦国武将の子供向きの偉人伝を読み始めたのです。 当時は、時代劇のテレビドラマが大流行。 一日に最低一本は、大作の時代劇が放映されていたのでした。 ドラマの内容はもちろん、その主題歌のまた秀逸な作品が多いのですよ。今でも、その音楽を聴くと、元気だった日本の姿が蘇ってくるようで。 そこで、本日は、ビジベンが昔見ていた時代劇の主題歌ベスト5をお送りしようか、と…。 …ということで、早速発表に移りましょう。 オイラが完璧に自己チューで選んだ、時代劇の主題歌ベスト5は以下のように決定しましたぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~第五位 大忠臣蔵 → それはこちら 三船敏郎主演による当時のオールスターキャストの時代劇。昭和46年ですからオイラが中学生だった頃の作品です。 日本が誇る大映画スターだった三船敏郎が、一年間この作品にかける!というので、当時かなり話題になったのを記憶しています。 その一回目がすごく印象的だったのですよ。浅野内匠頭が当時、尾上菊之助だった現在の尾上菊五郎。吉良上野介が同じく歌舞伎役者の市川中車。 凛々しいイケメンの内匠頭とこれ以上憎たらしい人間はないのではないかと思わせる上野介のコントラストが絶妙でした。 市川中車の演技は今思い出しても鳥肌モノ。でも、ドラマの放映途中で亡くなってしまい、討ち入りのときは別の役者が上野介を演じたのでした。浅野内匠頭をいじめる演技で、額に青筋が立ってピクピク震える迫真の演技でしたからね。 これが寿命を縮めてしまったのではないかと当時は考えたのですが…。 大オーケストラの勇壮な主題歌ですが、やはり作曲は富田勲ですか。 一年間のドラマなので、途中はちょっとだれてしまった感じもあったのですが、この感動的な音楽とともに討ち入りシーンの迫力は今でもよく覚えています。第五位 水戸黄門 → それはこちら 同じく五位は、今でも時代劇の定番として人気のある水戸黄門っす。 里見浩太郎の黄門様もいいけれど、人気投票をやったら恐らく東野英次郎がナンバーワンかも。 この主題歌は、時代劇のなかでもっとも有名でしょうね。助さん格さん役のいろいろな役者さんが歌っていますが、オイラ的には、長く格さんを演じた横内正の歌声が一番好きです。 声に張りがあって、格さんの律儀で真面目な性格がよく現れていて。ちなみに、動画のバージョンでは、里見浩太郎も助さんとして歌っていますよ。 実はオイラ、東野英次郎に会ったことがあるのですよ。銀行に勤めていた頃、オイラの担当地区に黄門さまが住んでおられたのですね~。 残念ながらお取引はなかったので、ご自宅へ得意の飛び込み訪問を。 意を決して、インターホンを押したのです。 当時は芸能界を引退されていたのですが、もちろん大俳優ですから、お手伝いさんが出てくるのだとばかり思っていました。 そしたら、ガラッと縁側のサッシを開けて本人がいきなりお出ましなられたのですよ。 目の前にご老公が現れたので、ははぁ~と思わずその場にかがみこんでお辞儀をしたのです。 さすがに、土下座はしませんでしたが…。 体は小さかったですけど、声は大きくて迫力がありましたね。 銀行のパンフレットを渡して、ご挨拶させてもらったのですけど、ご老公モードではなく、黒澤作品の飲み屋のオヤジモードでした。 機嫌が悪いときの…。 もっとも、誰でも、銀行員がいきなり営業に来ればいい顔はしないと思います。 でも、パンフレットは受け取ってももらえたし、ご老公様とお話ができただけで空を飛んでいるような気分。 ルンルン気分で支店に戻り、みんなに報告したのを覚えています。第四位 国盗り物語 → それはこちら この番組も、オイラが中学校のときに熱心に見ていた作品です。 このドラマによって、司馬遼太郎の大ファンになったのでした。前半が斎藤道三編で主役は平幹二郎。後半は織田信長編で主役は高橋英樹でしたね~。 当時の大河ドラマは、今より時代考証もしっかりしていて、何より主役に迫力がありました。 高橋英樹演ずる信長が、近藤正臣演じる明智光秀を怒鳴るシーンなんか、鳥肌が立ちましたもんね。 二人の戦国の英雄にあこがれ、この当時は大きくなったら京都にのぼり、室町幕府を倒して天下を統一するのじゃ~なんて、友人たちと話していたのを思い出します。 関白になるか、将軍になるか悩んだり…。 今考えると、身の程を知らないと言うか、若かったですな。 天下を統一するどころか、いまだに自分の頭の中も統一できないくせに…。 オイラに、そんな大それた野望を抱かせたのは、この勇壮なテーマ音楽でした。 ♪人は誰も人生につまづいて~ 人は誰も夢破れ、振り返る~♪ 北山修作詞のはしだのりひことシューベルツが唄った「風」の一節が身にしみる今日この頃です。 第三位 木枯らし紋次郎 → それはこちら リアルで見てはいなかったのですが、高校時代、午後4時から再放送がされていて学校から帰るとよく見ていましたね~。 主演の中村敦夫は、この作品が出るまではあまり有名ではありませんでした。俳優に先入観がないからか、それだけに渡世人の演技がリアルに伝わってきましたね。 小学校時代は関白や征夷大将軍にあこがれたのですが、高校時代はすでに自分の限界を嫌というほど感じていたので、木枯らし紋次郎のような渡世人にあこがれました。 今でもお散歩と称して、いろいろな場所をほっつき歩いているのは、潜在意識の中に木枯らし紋次郎がいるのかもしれませぬ。 「あっしにはかかわりあいのねえこって」 という台詞が流行しましたけど、この台詞は誰かがかかわってくれないと話せないんですよね。 オイラがほっつき歩いていても、いつも放置されるからこのキメ台詞が使えないのが残念っす。 それはともかく、この番組の裏番組に「必殺仕掛け人」を放映していた時期もありました。 今年亡くなった、緒形拳さんの藤枝梅安は、「必殺仕事人」の藤田まこと・中村主水に並ぶ名キャラクターとして記憶に残っています。 よく、シャープペンの芯を口にくわえ、音もなくクラスメートの背後に忍び寄り、頚椎にブスッと刺す遊びをやりました。 逆に、やられることもありましたが…。 今考えると、かなりやばい遊びだったような。良い子は真似してはいけませんね。第二位 柳生十兵衛 山口崇 → それはこちら この主題歌の作曲も富田勲なのですな。 豪快なオーケストラの演奏とチャリンという刀が触れ合う効果音が印象的でした。 柳生十兵衛の役者といえば、千葉真一をイメージする人は多いでしょうね。型にはまらない人生を歩んだ剣豪らしく、体育会系の豪快なキャラクターはぴったりかも。 オイラも千葉真一の柳生十兵衛は好きですが、さらに魅力を感じるのは山口崇の柳生十兵衛。 こちらは、見た目はそれほど強そうではない。むしろインテリでスマートなイメージ。 その彼がいざ剣を振るうと、いかにも豪傑そうな剣豪を軽くあしらってしまうのですね~。 いわば文武両道の達人といいますか。 そして柳生十兵衛も剣を携えて諸国を巡るのです。ここにもオイラのお散歩の原点があるような。 それにしても、当時の山口崇はすごい人気でしたね。彼の主演作には、緒形拳や田村正和も脇役で出ていましたし…。 その後、大河ドラマで忠臣蔵の大野九郎兵衛など悪役を演じる機会が増えましたけど、若い頃の颯爽とした演技は今でも心に残っています。 あと、柳生十兵衛?役としては児島みゆきも有名でした!? …ということで、 いよいよ第一位の発表っす。 ビジベンが昔見ていた時代劇の中で、もっとも心を躍らせた主題歌ナンバーワンは ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ… (← ドラムの音?)第一位 仮面の忍者 赤影 → それはこちら テンポのいい音楽と、オープニングのナレーションが超かっこよす。 怪獣が出てきたり、戦国時代の設定なのに空飛ぶ円盤や核兵器を連想させるようなシーンもあったりして時代劇とは言えないかもしれませぬ。 何でもありの力技も、この心躍るようなテーマ音楽を聴くと、これくらい荒唐無稽な設定でないと沸き起こるパワーを持て余してしまうような気がしました。 ドラマは四つの部に分かれていて、それぞれ、金目教篇、卍党篇、根来篇、魔風篇に分かれているのですな。 今回紹介したのは、第二部の卍党篇です。 当時は、ナレーションをあまり気にかけませんでしたけど、今聞くと、子供番組とは思えないほど練られていますね。 それは…「織田信長の活躍した頃、海を渡ってきた奇怪な妖術者の群れがギヤマンの鐘を求めて各地を襲撃した。世界制覇を狙う卍党の仕業である。強烈なエネルギーの製法を秘めたギヤマンの鐘三つ。日本の平和を願う信長は、卍党の野望を粉砕すべく飛騨の国から仮面の忍者を呼んだ。その名は…赤影参上!!」 オイラも、「仮面の便利屋」を目指そうかと考える今日この頃です。
2009年11月28日
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こんばんは。 名優・森繁久弥さんがお亡くなりになりました。96歳の大往生ですね。 日本人に、これほど好かれた俳優は少ないかもしれませぬ。 とくにイケメンというわけではなかったですが、味のある俳優さんという言葉がぴったりでした。 オイラが物心のついたときは、すでに大俳優になっていて、重役や社長、駅前シリーズの人気はリアルでは知りません。 子供の頃知ったのは、確か、向田邦子原作のテレビドラマ「だいこんの花」だったような。 竹脇無我演じる主人公の父親役で、元海軍大佐。よく覚えていませんが、戦争中は艦長として活躍したものの、今は隠居の身で妻に先立たれて息子と二人で暮らしている設定だったと思います。 この元海軍大佐が、二言目には戦時中の自慢話をするんですよ。 近所に、同じ艦に乗っていた元部下が住んでいて、今も「艦長」と呼ばれて悦に行っている。 今もはっきり覚えているシーンがあります。 ある女性が家に訪ねてきて、たまたま彼女の父親が戦争中は海軍にいたことを元海軍大佐が知る。 そのとき、「私は、戦時中は大佐で、艦長をしていたのだが、君の父親は、一兵卒かね、二兵卒かね」なんてことを言ったのですよ。 女性が、「いえ、確か少将だと…」 それを聞いたとたん、真っ青になってその場で昏倒してしまうというシーンなのでした。 本来なら、その元海軍大佐はすごく嫌味のある人物なのですが、森繁さんが演じると実に愛嬌があって魅力的な人物なのですよ。 話している内容や仕草は、魅力のないオヤジの典型なのに、どうしてあんなにほほえましく見えるのか、と…。 やはり、森繁久弥氏本人の人間的魅力でしょうか。 オイラも、あんなオヤジになりたいと感じる今日この頃です。 さて、今日もお散歩ネタ。 前回、千葉県の東金へ行き、今回は同じ千葉県の小金です。 お金のご利益がありそうな場所ですが、前回書きましたとおり、実はお金とは縁もゆかりもないネーミングなのでした。 それでは、今回行った小金は? …と調べてみたのですが、地名の由来はわかりませぬ。 あまり詳しく調べたわけではありませんけど…。 でも、戦国時代は小金城が築かれ、江戸時代は、小金牧と言って幕府直轄の軍馬を養成する牧となった歴史もあるらしい。 かなり古い地名なのは間違いなさそうですね。 さて、ウォーキングのスタートは、JR常磐線の北小金駅。 駅前のロータリーがある出口と反対側の北口に出て、商店街から住宅街へテクテク歩いて行きます。 信号のある大通りにぶつかると、いきなり目の前に、道の左右に松並木が続く参道が見えました。 この松並木は、なんと水戸光圀公が寄進されたのだとか。 行った日は日差しが強くて、暑かったので、黄門様から思わぬ日陰のプレゼントをいただいた気分で、涼しい木陰の参道を歩きます。 やがて、朱塗りの重厚な山門が見えてきました。 ここは、本土寺(ほんどじ)。 京都や鎌倉の本山となっている寺院に勝るとも劣らないほど立派だと思ったら、こちらも日蓮宗本山の寺院だそうですね。 なんと、池上本門寺(長栄山)、鎌倉妙本寺(長興山)とともに「朗門の三長三山」と呼ばれているらしい。 入り口へ向かうと、「拝観料500円」の文字が目に突き刺さります。 仕方なく、財布を出して払おうとすると、受付の女性から「今は無料ですから、どうぞご自由にお入りください」と言われました。 おお~、ラッキーと一瞬思ったのですが、実はこのお寺は「あじさい寺」と言われ、6月には境内や庭園にあじさいの花が咲き乱れるそうな。 あじさい寺として全国的にも有名な鎌倉の明月院に対し、このお寺は「北の鎌倉」とも呼ばれるのですな。 また、庭園には菖蒲田があり、ハナショウブとアジサイがコラボで楽しめるとか。 あじさいの季節ではないから、無料で入れるのですね~。 現在の本土寺のある場所は、源氏の名門、平賀左近将監忠晴の屋敷だったらしい。 その後、鎌倉時代の1277年に、当時この地方の領主だった曽谷教信が開基。 お寺の名前は、日蓮上人より授かったということからもわかる通り、日蓮宗屈指の名刹なのですね。 境内でまず目が行くのは、やはり五重塔。 最近、作られたみたいですが、やはり五重塔があるとお寺はビジュアル的にも、高ポイントかも。 塔の横に建つ鐘撞堂には、県下で二番目に古いといわれる国指定重要文化財の梵鐘がありました。 そして、本堂へ行ってしっかりお参りをします。 お寺は、今までかなり訪れているという自負はありましたけど、本堂正面にこれだけ大量の卒塔婆があるお寺はあまり記憶にありませぬ。 卒塔婆は、故人の供養追善のためにお墓のうしろに立てられますが、これはどういう意味なのでしょうね。 お墓を拝むということなのかしらんと考えつつ、あじさいは咲いていないけれども、あじさいをイメージしながら境内を歩いてみることにしました。 本堂から程近い場所に古いお墓があります。 解説板を読んでみると、なんと徳川家康の側室で、武田信吉を産んだ秋山夫人のお墓なのですか。 秋山夫人とは、甲斐武田氏家臣・秋山虎泰の娘とされる人物。武田信吉は、家康の五男ですが、21歳の若さで早世してしまったそうです。 でも、すでに水戸25万石の大名だったそうですから、彼が早死にしなければ、徳川光圀も水戸のご老公ではいられなかったかもしれませぬ。 そのまま境内を歩いてゆくと、菖蒲田の緑が陽光に輝いてとてもきれいでした。 藤棚や日本庭園のコラボもあったりして、やっぱりあじさいの季節に来ればよかったと悔やむことに…。 本土寺をすっかり堪能したあと、かつて広大な田んぼを切り開いて作られた住宅街を歩き、幸田貝塚へと向かいます。 貝塚といっても、現在は何の変哲もない児童公園に解説板があるだけでした。 でも、今からおよそ6000年前の縄文時代前期に形成された貝塚で、その分布範囲は南北約250m、東西が約180mにも及ぶ広大なものらしい。 度重なる発掘調査の結果、縄文時代前期をはじめとする竪穴式住居跡が160軒以上も確認されたとか。 全国でも指折りの大規模集落の跡なのですな。 貝塚があるくらいですから、こんな内陸まで海が入り込んでいたのでしょうね。 地球温暖化で海面が上昇すると騒がれていますが、地球の長い歴史から見れば過去に何度もあったことなのだと実感できました。 小金は歴史のある街だけあって、古刹が多くあります。 廣徳寺もそのひとつ。 このお寺は、室町時代、小金城を築いた高城胤吉によって開基されたそうで、その後も高城氏の菩提寺として栄えたらしい。 広い境内には、江戸時代に建立されたという高城氏の墓碑がありました。 さて、次はいよいよ本日のメインイベント、小金城じゃ~ 東金城を見損なった分を取り戻すぞ~と、勇んで向かう道すがら、松本清記念会館なる古びた建物が…。 そういえば、ここ松戸はマツキヨ発祥の地なのでした。 マツキヨは商品券が使えるので、ネットアンケートでゲッツしたギフトカードでよく買い物します。 松本清は、その名の通り、マツモトキヨシ創業者にして、千葉県議会議員や松戸市長などを歴任した人物。 オイラが子供の頃は、松戸市役所の「すぐやる課」がマスコミで取り上げられていましたが、そのアイデアを出した市長としても知られていますね。 もしかして、マツキヨ創業の建物?と思ったのですが、ネットで調べてみると直接の関係はないみたいでした。 でも、建物の裏には、松本清氏が昭和40年代にこの辺りの土地改良に尽力したという巨大な記念碑が。 ちなみに、松本清記念館で検索すると、「松本清張記念館」の検索結果がダダダダ~と出てしまうのですな。 それはともかく、小金城っす。 調べてみると、城の大きさは東西800m、南北700mにおよび、12もの郭を備えて、当時の下総国北西部においては最大規模を誇った平山城だったとか。 それはすごい、と大谷口歴史公園の小高い丘をのぼると、土塁や畝堀、障子堀などの遺構を見ることができます。 障子堀はあまり確認できませんでしたが、畝堀は底のほうにしっかりと畝が残っていて、待ってました~後北条氏のお城じゃ~と、なんだかうれしくなって眺めました。 さて、他には何が? …と思ったのですが、これでお仕舞い。 えっ、こんなに狭くないよね、と当時の縄張り図を確認すると、公園になっている部分は、小金城の末端なのですな。 入り口部分がかろうじて残っている…みたいな。 どうして小金城址というネーミングで紹介しないのだろうと思ったのですが、ここは城跡といっても端っこだからでしょうか。 城の中心部分は市街地の中にすっぽり埋もれているみたい。 しかし、小金城の遺構はほかにも、近くに達磨口跡として残っていました。 普通の崖のように見えているものが巨大な土塁だったりして。 当時はかなりの規模の城だったのがわかります。 その後、小金城は、豊臣秀吉の小田原攻めの際、後北条氏方として戦ったものの、豊臣氏方の浅野長政らに攻められ開城。 徳川家康の五男、武田信吉が居城としたが、1593年に廃城となったとの由。 武田信吉の母上のお墓がどうして小金の本土寺にあるのだろうという疑問がこれで解けました。 今回は時間がなかったので、当時、城の中心部だった「本城」や「中城」などへは行きませんでしたが、きっと地形に何らかの痕跡が残ってはいるのでしょうね。 またいつか、訪れてみたいと思いました。 そして、最後に向かったのが、JR常磐線の線路を越えたところにある東漸寺。 このお寺は、今から約500有余年前の1481年に創建。江戸時代には徳川幕府の手厚い保護を受け、関東十八檀林の一つとされた名刹だそうです。 至るところに、徳川家の紋所である三つ葉葵があしらわれていて、水戸黄門好きのオイラとしては、思わず、ははぁ~とひれ伏したくなるお寺でした。
2009年11月14日
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こんにちは。 今回行ったのは、千葉県の東金市。 実は夏休みに行った場所なのですが。 以前、成東もとい山武市や茂原市へ行ったとき、いつか訪れてみたいとチェックしておいた場所です。 オイラが行ってみたい場所といえば、当然、城跡があるのですね~。 しかも、「金」がつく地名なんて、行けばなんか、おカネのご利益がありそうで…。 埋蔵金の伝説なぞ、あったりして。 …が、しかし。 東金の地名は、「金」には関係ないみたいです。 この場所は昔、鴇(とき)が舞い飛ぶ丘陵地だったそうな。 街の西方に「鴇ヶ峰」と呼ばれる丘があり、そこに「鴇嶺城(ときがねじょう)」という城が築かれたとか。 この「ときがね」が、後に「東金」になったと言われているのですな。 うぬぬ、「ときがね」から「とうがね」は文字にしてしまうとかけ離れていますが、話し言葉では「とー」と伸ばしたほうが言いやすいのかも。 文字の意味よりも、話しやすさを優先させる昔の人の思考方法が興味深いっす。 当時は、文字による伝達より、伝言ゲームみたいな形で知識が広がって行ったのかニャーと思いました。 伝言ゲームで村人の誰かが言い間違えた言葉を、現代の人たちは何の疑問もなく使っているのかもしれませんね。 どこにも、東の金なんて、意味はないですし…。 …ということで、ウォーキングのスタートは、JR東金線の東金駅。 昭和を感じさせる駅前商店街をゆっくり10分ほど歩くと、まぶしい緑に囲まれた美しい池に着きました。 ここが最初の目的地、八鶴湖(はっかくこ)。 池と言いましたが、名前的には「みずうみ」なのですな。 でも、面積は3.4ヘクタールで、周囲は約800メートルほどだと言うから、どうみても「池」としか見えませぬ。 それにしても、日本の原風景を見るような美しい景色。 池の三方を取り巻く丘は、東金の地名の由来にもなった「鴇ヶ峰(ときがみね)」ですか。 確かに、今でも鴇が舞い飛んでいても納得できそう。 でも、この「池」は元からこの大きさではなかったそうですね。 池のすぐそばに、千葉県立東金高等学校があるのですが、この場所は江戸時代初期には、東金御殿があったそうな。 東金御殿は、なんと徳川家康が鷹狩りの際宿泊した御殿とのこと。 御殿建設の際、もとは小さな池だったものを多く広げられ、現在の「湖」の姿になったとか。 確かに、背景の丘を借景にした美しい佇まいは、かなり吟味して作られた日本庭園の趣がありますな。 その八鶴湖の東岸にあるのが最福寺。 これは一見して由緒ある寺院だと思ったら、なんと807年に伝教大師最澄によって創設されたらしい。 「湖」に面する高台に位置するローケーションは最高です。 しかも、この元禄時代に建立されたという本堂は、一部、江戸浅草、浅草寺の古材を譲りうけて作られたそうなんですよ。 ほかにも、広い境内には興味深いアイテムがたくさんありました。 たとえば、このお墓。 歌舞伎「お富・与三郎」の切られ与三郎のモデルになったという4代目、芳村伊三郎のお墓なのだそうですね。 この話のあらすじは知りませんでしたが、解説板を読むと、実際にもすごいストーリーだとわかります。 8代目団十郎が、このフィクションに目をつけ、善玉、悪玉を誇張しておもしろく書きあげたのも頷けました。 西洋の「モンテクリスト伯」や「オペラ座の怪人」にも匹敵するのではないか、と…。 江戸の町民たちは、現代人が上記の芝居を見るような感覚で、ワクワクドキドキしながら観劇していたのかもしれないと思いました。 境内には、鐘撞堂も。 鐘撞堂があるのはお寺として全然珍しくないのですが、「鐘の音の余韻まで心で受け止めてお撞きください」という表示があったのですよ。 えっ!? 撞いてもいいの? 実はオイラ、20年以上前に、長崎で平和の鐘なるものを撞かせてもらってから、一度も撞いていないのです。 鐘を見れば撞きたくなるのだけれど、どこのお寺も、勝手に鐘を撞かないでくださいと張り紙があり…。 それじゃ、お言葉に甘えて…。 …と大きく振りかぶり、心をこめて撞き棒を鐘にガツゥゥゥゥゥゥ~ンと。 ごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ~ん。 おおお~、心に染み入るような美しい鐘の音じゃ~。 鐘の余韻がいつまでも周囲に響き渡り、煩悩にまみれたオイラの心に涼風が吹き渡るのがわかりました。 すっきりした気分になり、「湖」のほとりを歩いて今度は西岸にある本漸寺へ向かいます。 このお寺は、鎌倉時代に禅宗の寺として創建されたものの、戦国時代に、この地を支配していた酒井定隆によって顕本法華宗に改宗したそうですね。 その酒井氏の菩提寺で、裏山には鬱蒼とした杉林。 とても、花粉症の時期には来れないと思いました。 でも、この険しい崖の上に、目指す東金城があるのですね~。 いざ、城攻め。 …と勇み立ち、本漸寺の裏山へ立ち入ろうとすれど、どこにも登り口がな~い。 本堂の近くにあるお墓では、東金城主だった酒井氏のお墓を見つけることはできたのですが…。 東金城は、立ち入り禁止なのかも。 城跡に入れないのは残念だけど、遺構を守るためでしたら止むを得ませぬ。 そう自分を言い聞かせて、無念の撤退を余儀なくされたのです。 でも、自宅に帰ってネットで検索してみたら、東金城の本丸や土塁、空堀、郭の写真がたくさん載っているじゃあ~りませんか。 どうやら、入り口は東金高校の隣付近にあったみたい。 本漸寺の境内からは行けないのでした。 しかも、東金高校は、小倉優子、別名ゆうこりんの母校でもあるそうですね。 やっぱり、ウォーキングの前には、ネットでしっかり情報収集をしてから行けばよかった。 知っていれば、東金高校にも、ゆうこりんのこりん星の痕跡を探したのに、と後悔する今日この頃です。 高校周辺を不審なオヤジが歩き回っていると通報されていた可能性も皆無ではないので、塞翁が馬なのかもしれませんが…。 それにしても、東金城、見たかったっす。 下から見上げた感じでは、かなり土塁は急峻ですし、丘の上の縄張りも巧みなのがわかります。 酒井氏は戦国時代の70年間もこの城を居城としていたそうですから、かなり実戦的な仕掛けがいろいろ凝らされていたの思うのですけどねえ。 あとで悔やむことになるとは夢にも思わなかったオイラが次に向かったのは日吉神社。 ここの神社も由緒あるらしいのですが、1615年に徳川家康がここに御成りしたそうな。 そのとき、神社の復興を命じられ、200メートルにわたる参道に杉並木を植樹されたらしい。 杉並木といえば日光を思い出しますが、ここの杉並木も巨木が建ち並んで壮観でした。 花粉症の時期に来なくてよかったっす。 たぶん来ていたら、杉並木の植樹に一役買った徳川家康に文句を言っていたかも。 神社の近くにある丸山公園は芝生の緑が最高に綺麗でした。 青い空と緑の木々、花粉の飛ばない爽やかな空気。 暑くなければ、夏は最高なのだけれど…。 そこから、炎天下、汗をドバドバかいて、舗装道路をトボトボ歩きながら考えました。 ああ、水をガバガバ飲みたいっす。 …と思う頃、最後の目的地、雄蛇ヶ池(おじゃがいけ)に到着。 池というより、こっちのほうが「湖」ではないですかねぇ。「池」と「湖」の定義にこれだけ頭をひねる場所も少ないかも。 しかも、こちらは人口池なのだとか。元々は江戸時代の干害対策として周辺の村を救う為に作られたものだそうな。 この広大さは、こちらのほうが、モノホンの湖に見えるのだけれど。 ウォーキングガイドブックでは、この池を見るだけで終わっていたのですが、せっかくだから一周してみることにしました。 池のまわりは約4キロもあるらしい。 さきほどの八鶴湖は、確か800メートルでしたけどね。 池のまわりは遊歩道になっていて、アップダウンもそこそこあって、池の景観の変化が楽しめました。 この池は、近年はバスフィッシングの名所としても有名だそうで、ボートを浮かべて釣りを楽しむ人たちを大勢見かけました。 ネットで調べてみると、雄蛇ヶ池は心霊スポットとしても有名だそうですね。 女性のすすり泣く声がどこからともなく聞こえてきたり、笑い声が聞こえてきたり…。 ワハハハハハハハハハハハハ~!!! ブロロロロロロロロロロ~ ドォ~ルゲェェェェ~!!! オイラが、一人で遊歩道を歩きながら、誰もいないとよくやる癖は、黄金バットの真似とか、超人バロムワンの悪役ドルゲの真似。 実は、ここでもやってしまいました。 心霊スポットだと知っていれば、こんな恐れ多いことはやらなかったのですが。 知らない人がたまたま聴いて、都市伝説のひとつに組み込まれてしまったかも。 ちなみに、あの押尾学氏もここを肝試しで訪れ、女性の霊を見たと告白しているそうです。
2009年11月07日
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