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腰の弱い私は今日は午後から静養中。午前中ちょっと痛かったのだが無理して草刈りしていたのがいけなかったようだ。 そこで午後からベッドで背中をまるめてDVD鑑賞。「ターミナル」「キッチン・ストーリー」「容疑者室井信次」 それから「タイガー&ドラゴン」の何話か見忘れていたのを観た。 「ターミナル」 トムハンクスのキャストアウェイを思い出す。一人芝居のようなトムハンクスワールドに引き寄せられる。そして何故ニューヨークのホテルに行かねばならないか?その約束とはなんなのか?真実を知ったとき約束の大切さとその人を思う気持ちの強さを知って、人ってこんなに尊いものなのかと思わされた。良い映画だった。「キッチン・ストーリー」 一人暮らしの男のキッチンでの動線を部屋の隅で高台からチェックしノートに書き込む係員。相手の生活に干渉したら良い統計がとれないので「話してはいけない」という規則があった。しかししだいにお互いに興味をもっていく・・・。係員をチェックする管理官が渡した統計資料を見て博士が言った言葉がおもしろい。なんの刺激もない映画なのだが目が離せないのは何故だろう。不思議な映画だった。「容疑者室井信次」 まえに「交渉人真下正義」を見ていたせいか、よりつまらなかった。だいたい室井管理官のピンチに青島が出てこないのはないだろう。少なくともなんか助けがあってしかるべきだ。最後の場面でも切れの悪さが目立つ。踊る大走査線のような完成度を期待することがいけないのかもしれないが、ストーリーが貧弱に感じる。田中麗奈扮する弁護士の成長する有様だけが救いだった。でも「逃亡者木島丈一郎」「交渉人真下正義」「容疑者室井信次」 がこれからサイドストーリーとして踊るシリーズを支えるだけじゃなくて越えてもいい勢いも欲しいと思った。 「タイガー&ドラゴン」は何度見てもおもしろい。表面上では「夢をかなえること」「生きがい」などがテーマだが、底辺に流れているのは「家族愛」であり「和解」なのだ。こんなに笑わせて泣かせるのもしっかりとした脚本のお陰であろう。いまやってる「マイボスマイヒーロー」もおもしろい。
2006年07月31日
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6時起床なのに5時から子供たちは起きはじめた。さすがに早く寝ると早起きになるな。今日もいろんなプログラムが待ってるぞ!ラジオ体操をして朝食だ。朝の礼拝をしてクラスに分かれる。そのあとはポイントラリーだ。6 人ずつのチームが9組ある。時間差をつけながら送り出す。時間も限られているので数組は逆コースで出発してもらう。アトラクションにはスタッフがいて点数 を書き込んでくれる。全員でやるものもあれば、うち3人とか代表で1人がするものとかある。雰囲気作りに焼いて古地図にしたのだが今日は風が強いため 「ビリビリ」と破けてこなごなになった地図をしっかりとつかんで帰ってきたチームもあった。あとで書いてもらった感想にも「楽しかった」という言葉があっ て嬉しかった。 帰ってくると昼食。風が吹く中そうめん等をいただく。軽い砂が飛ぶのは気になったが、しばらく食べている内にそんなことは気にならなくなってみんな美味しく食べたようだ。閉会の前の時間にデジタル紙芝居を見る。大きな画面に映し出される絵とナレーション。音楽や効果音の助けもあり結構長い時間だがみんな集中して見ていた。終わったあとの拍手が嬉しかった。さて閉会式。無事にみんなが大きなけがもしないで楽しく過ごせたことが何よりだった。神様の導きを感じると共に用いらる喜びを感じた。中学生が帰るときに「すごく楽しかった。来年も来たいよ!高校生になるけどどうなりますか?」と言ってくれた。「来年からはスタッフとして手伝ってくれれば嬉しいよ!」と、答えた。子供の笑顔に囲まれたWBC(わくわくバイブルキャンプ)が終了した。感謝である。
2006年07月30日
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今日は礼拝日。大人は上の階で通常のプログラム。しか~し、下の階では年に一度のWBCがある。受付にはネームプレートが並び、子供達を待っている。すこしづつ懐かしい子供たちに出会う。また新しい顔もあるが、みんな期待に輝いている。三育小はもとより東小沢小、坂本小・中、久慈、太田、東海等広範囲からやって来た子供たち、そして中学生達だ。さて時間になり、開会のお祈りそして説明を終えるとJCSで行っている児童礼拝の始まりだ。今日はいつもと違って参加者だけで55名。スタッフをいれると 75名がいっしょにアクティブな礼拝をするわけだから熱気むんむんである。はじめての子供もMEBIG形式の礼拝は入りやすい。ゲーム・そして体を動かしながら歌うのも楽しそうである。クラスで 礼拝の時に聞いたG先生のお話について考え話し合う。 昼食はスタッフによって用意された美味しいカレー。何人もおかわりをしていた。午後は工作から始まる。私の担当は1~3年な のだが一番多い。でもスタッフも多いので大丈夫。ブラックフィッシュ・・・黒い魚を作って釣るのが今回の工作だ。結構作業工程が多いがそれぞれに個性的な 魚を作った。終わるとつり上げてみる。勢いよく引っ張って釣り竿が折れた子もいた。(竹ひごなので) おやつを食べ、夕食の準備。夕食は色々メニューがあってまた美味しかった。アトラクションもあり子供達は十分楽しんだようだ。食後は分かれてお風呂に行く。子供達を並べて一人ずつ洗っていく。他には誰もいなかったのでいつものように注意することなしにのびのびとお風呂で騒いでいた。夜は花火。風が強いので危ぶまれたがみんな注意をよく守って出来たのは良かった。そして就寝。こんな機会でもないとみんなで寝る事はないからか、いつまでもおしゃべり&笑い声の子もいた。「早く寝て!」といった感じに前半が終わった。30人定員が55名でどうなるかと思われたがスタッフの気配りと参加者の協力で無事に過ごせて良かった。明日も神様の導きとお守りを願いお祈りする。
2006年07月29日
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明日からWBCといっても野球のことではない。昔は「夏期聖書学校」といい、英語でVacation Bible Schoolを略してVBSと言っていた。なんでWBCかっていうと、「わくわくバイブルキャンプ」の略なのである。昔ここにおられた牧師さんが沖縄の教会でも「わくわくバイブルキャンプ」の名称でやっているとのこと。うれしい!さ て、明日の一泊お泊まりキャンプなのだが今回は水遊びの代わりに「ポイントラリー」をすることになっている。各ポイントのアトラクションはほぼ決まってい るのだがコースがまだなので、グーグルアースで地図を作りさらにそのうえから海賊の地図みたいな雰囲気にしたくてフリーの怨霊フォントをつかって文字をい れる。さらにガスで地図を焦がしたり端は燃やしたりしてみた。いい雰囲気になった。一応コースを鉄馬セローでひとまわり。1.8kmちょうど距離だろう!なにより、今週初めは雨の予報だったのが、晴れてポイントラリーも出来そうなのはうれしい!
2006年07月28日
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先週、肘を痛めてある整形外科のクリニックに行った。先生に診てもらったら雑菌が入ったのかもしれないということで抗生物質の点滴をすることになった。看護婦さんが私の右手に点滴をしたあと、左肘の消毒をしてくれる。そこで私はこう言った。「このクリニックって笑顔がステキな人が多いですよね。受付から看護婦さんまでみんな明るくて気持ちいいですよ!昨日レントゲンを撮ってくれた技師の方もニコニコしていて嬉しかったです。」すると「えーそうですか?私は『笑顔が少ない』って言われるんですよ」と、恥ずかしそうに言うので「そんなことないですよ、ステキな笑顔ですよ!」レントゲン技師もそこに居合わせたのでその場に花が咲いたような明るい雰囲気になった。 3日後、点滴と肘の消毒をしてもらった。この前の看護婦さんが10倍くらいの笑顔で話かけてくれた。もともと感じのいい看護婦さんだったがさらに笑顔が増してこっちも嬉しくなった。 けがや病気は出来るなら避けたい。でもこんな出会いもいいものだ。かれこれ一週間。昨日でホントに治ったようだ。でももう行く機会が無くなったと思うとちょっと寂しい。
2006年07月27日
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ダイス畑を耕しているとサギが40羽くらいやってくる。掘り返されて出てきたカエルなど狙っているのだ。それにしても久しぶりに晴れて嬉しい!
2006年07月26日
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今日は午前中からお昼すぎまで小学校の床張りのお手伝い。金槌で釘を打つのは楽しい。見る見るうちにきれいなフローリングに変わっていく。今日は一教室だけのはずだったが作業が思ったよりも早いので明日の作業分も終えてしまった。人手も多かったこともあるが、実に準備がしっかりしていて改めて「段取り」の大切さを感じた。 さて夜は・・・ 週末から「わくわくバイブルキャンプ」が始まる。子供向けの一泊お泊まり聖書学校だ。募集定員を160%も超えているのでスタッフ一同、気合いを入れて準備をしている。さて、その中でデジタル紙芝居をするのだが、その音楽編集作業を担当している。マルチトラックの編集だが、ナレーションを軸に効果音、BGMを入れていく。フリーソフトで使い方がイマイチわかっていなかったのだが今回使うことでかなり理解できた。ありがたい。ただ、いくつかのソフトを立ち上げて使うことになる。たとえばクラシックの曲の最初から40秒は100%でそののち2秒間で25%まで落として、とかは別ソフトでグラフィック編集する。全体像をしっかりつかんでいないうちはやり直しを繰り返す。必要なところは余白をインサートして、脚本に細かく時間を入れたらあとは楽だった。つまり、「段取り」 が大事って事。今日は一言で言えば「ダンドリ」の一日だったかな。無事完成しました。
2006年07月25日
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長雨で大豆の間を耕すことが出来ないでいる。今日は久々のくもり。でも畑は急に乾かない。湿っているが今日を逃したら・・・明日はまた雨の予報だし。とい うことで中耕に大豆畑に行く。結構草が生えている。これだけ湿度が高いと草の伸びは最高なのだ。草刈りにしても伸びる草は梅雨時には一日に3cmくらい伸 びるんじゃないだろうか?「ふざけんなよ!」と、言いたくなるが「雑草」とはそれほど力に満ちている。 それに比べて、大豆は弱い。雨が多いせいか湿害を受けているようだ。伸びが悪く色も薄い。こうやって耕すことで、根に酸素が取り込まれ元気になりグンと伸びる。 やっぱり根っこって大事なんだな。
2006年07月24日
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今日は食品部の注文品の発送と秋のブドウジュースジュース作りに向けての倉庫の片づけをする。必要のない機械を別倉庫に移動しそちらに置いてあったジュース関連品を作業場に持ってくる。朝から沢山の人が来て作業してくださった。本当にみなさんすばらしい!男の人が多いと力仕事は断然早い。女の方は丁寧に発送作業をしてくださってるし、なんかうれしい。そうやって和気藹々と作業は終了した。今日はまだ畑もかなり湿っているので中には入れないし、ちょっとお昼寝でもしようか?
2006年07月23日
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先日「赤いクリップで一軒家を手に入れた人」の話がニュースになっていました。この人インターネットの物々交換のサイトで交換を続け最終的に一軒 家を手にしたというのです。「赤いクリップ」を他の物と交換しながら14回目に「一軒家」を手に入れるのです。赤いクリップは魚の形をしたペンに、次に顔 の形をした取手に、キャンプストーブ、発電機、パーティーセット、スノー モービル、ヤークという町への旅行、車、レコーディング契約、米フェニックスの家に1年間住む権利、ミュージシャンのアリス・クーパーと半日一緒にいられ る権利、KISSのスノーグローブ、ハリウッド映画に出演できる権利を経て、カナダのサスカチュワン州キプリングという町の一軒家にたどり着いたのです。 昔は物々交換でした。自分が持っているものと同等かそれ以上の価値のある物となら交換していました。ある時は今必要だからという理由で価値が高くなった場 合もあります。エサウにとって長子の特権よりも今目の前にあるおいしそうな鍋の方が価値があったのです。 私達は今はお金がある時代、お金が安定している 時代に生きています。これは幸せなことです。物々交換だったら大変です。価値のある物を持っていかなければならないし価値が低い物だったら一杯担いで重い 物を持っていかなければ買い物が出来ません。レジでお金で済むのは本当にありがたいことです。でも本来、物の代わりとして出来たお金自体に価値が出て、今 やお金を集めることが人生の目的になっている人も少なくありません。あ る幼稚園でのことです。牧師さんが「世の中にあるもので一番大事なものはなんです か?」という質問をするとある子が「ハイ!」と手を挙げたので「ハイ言ってみて」というと「お金」と答えたそうです。母の日に招かれた牧師さんは「お母さ ん!」って答えてくれるのを期待していたそうですが、後ろに並んでいるお母さん達のなかには「ウンウン」うなずいている人もいたそうです。またある子供が こんな作文を読んだそうです。「僕は一杯べんきょうして良い学校に入っていい仕事についてお金持ちになって、お母さんを良い老人ホームに入れたいと思いま す。」なんか違うような気がします。あ る店にずらーと並んだ行列・・・おもしろい光景が見れるのです。そう宝くじです。ここの近く店でも行列になっていま す。壁には「またまた出ました3億円。」の張り紙が。もし当たったらどうしますか?一回大当たりしたために人生が狂ってしまった人が大勢いるようです。理 性が欠けているからそんなことになってしまうのでしょうか?それは大金を持つと人は物の価値を見失ってしまうのかもしれません。お金は大事 な物ですが必ず しも人を幸せにはしないということです。お金で買えない物を見分けておく必要があります。そしてお金は人生の目的でもないことを。若い人よりも熟年のかた のほうが人生経験を積んでいるゆえに、お金よりも大事なものが人生にはあると言われるのではないでしょうか?私はお金持ちの気持ちはわかりませんが、かの ソロモン王は自分でもわからないくらいの富と700人の妻、300人の妾がいたが、晩年に言った言葉は「いっさいの事は空である。」虚しいでした。物や金 では心を満たすことが出来ないと言うことでしょう。先 日こんなおもしろいアンケートが発表されてました。ネットのニュースに「幸せですか」ランキングが 載っていた。世界中で自国の幸せ度を調査したらしい。ランキングのトップはバヌアツ共和国。2位以下はコロンビア、コスタリカ、ドミニカ、パナマ、キュー バと続く。中米地帯は軒並み上位に入っています。わが日本はというと95位。先進国ではドイツが81位であとはイギリス108位、フランス129位、アメ リカに至っては150位。とあります。世界の富の多くを持っているとされるアメリカですが幸せは持ち物によらないようです。さて聖書には、私達が本当に注目すべき「価値ある物」が書かれています。「 天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのであ る。また天国は、良い真珠を捜している商人のようなものである。高価な真珠一個を見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのであ る。」 マタイ13:44~46その当時、戦争や略奪に会う危険な時代でした。大事な物は土の中に埋めて自分しか知らないようにしていまし た。でも家や目印にしていた木とかが焼かれて しまった時にはどこに埋めたかわからなくなってしまう人もいたそうです。まして持ち主が死んで宝だけ残っている場合もあったそうです。畑を耕して いる時に宝が見つかった喜びを隠して家中価値のある物を売って、その土地を買うのです。なぜなら自分の土地になった所に宝が埋まっているのを知っているか らです。ここに教訓があります。一つは「宝は私達で、それを手に入れるために全てを売り払い買い戻してくださった神様がいる」というとらえ方。もう一つは文字通 り「天国つまり神様のそばに行くためにはわたしたちの全てを賭ける価値がある」と言うことです。そしてどうやって手に入れることが出来るかも書かれています。「神 はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。わ たしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛 がある。」ヨハネ第1の手紙4:9、109節に「彼によって私達が生きるようにしてくださった」とあります。じつは私達が探す以前に私を捜してくださるおかたがいたということです。ここに歴史上最大の物々交換があるのです。これはキリストの十字架の死によって、私達に永 遠の命を与えられたということです。フ リーマーケットでは色んな物が売られています。兄がアメリカのフリーマー ケットで「錆びて曲がった釘」まで並べて売られているのを見たそうです。錆びて曲がった釘を買う人がいるのでしょうか?でも「もしかしたら錆びた釘に価値 を見いだす人もいる」と思って置いているのでしょう。「物の価値は払われた金額によって決まる」と言う言葉があります。それ なら、私達に払われた代価を 持って私達の価値がどんなに高価な物であるかわかるのです。私達の命はイエス様がご自身の命と交換しても手に入れたい程価値のある物だったのです。このこ とをお信じになりますか?クリスチャンの方でも知識的には理解していても体験として捕らえているでしょうか?新改訳聖書イザヤ43:4には「わたしの目に は、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」とあります。た しかに現代は自分の価値を見失いやすい時代です。小さい子は小さい子なりに、学生 は学生で、社会人になってもいい仕事、良いポスト、そして高い年収。みんな同じくらいの人と比べては自分は幸せだろうか?と考えているひとが多い。日本も 総中流階級感覚から、勝つか負けるか?勝ち組に入らなければ生き抜けない。そういう時代でもあるのです。社会の価値はこのように変わりやすいものです。で もそんな時代であっても、聖書は違った価値感を私達に教えてくれます。「 たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。」マタイ16:26不公平な世の中に平等にやってくるものが「死」です。人はどんなに金儲けをしようと多くの物を集めようとも何一つあの世に持っていくことは出来ないのです。天国に持っていけるのは心だけと言われています。さて天国は魅力ある宝です。だから多くのクリスチャンが命をかけてあるときは捨ててまでも神様の側を選んだのです。そして天国は遠くにあるものではなくこの世にいても体験することが出来るのです。それは「天国の平安」という形で。祈祷会で学んだことですが、使徒は投獄・むち打ち・脅しに遭いますが彼らは「感謝と讃美と喜び」で乗り越えていきます。それは彼らがこの世の平安でなく神の与える平安を持っていたからに他なりません。「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。」ヨハネ14:27真 珠を見つけるとは:天国の約束と、クリスチャンになって生活する喜びを含んでいます。クリスチャンの喜びと楽しみとはなんでしょうか?それは神様が一緒に いて下さる喜びです。ですから一見災いと思えることをも受け入れ越えていけるのです。悲しみを喜びに苦しみを感謝に変えてくださるのはイエス様に私の全 てを委ねているからにほかなりません。犬がもらった骨を隠して忘れてしまう場面を見たことがありますか? 自分にとって 価値ある宝をそっと土の中に隠している人はいませんか?このたとえ話をされた夜弟子達は、嵐の中で自分たちの乗っている舟の中に高価な真珠であるイエス様 がおいでになることを忘れてしまったのです。宝の在処を忘れたとき人は不安になるものです。クリスチャンであってもイエス様がそばにいてくださること、愛 しておられることを忘れてしまうときがあります。その結果、恐れおののき失望とつぶやきの言葉と態度をしてしまうのです。そんなものです。しかしいつまで もそれで良いと思うのは間違いです。キリストの愛をしっかりと確信し、信頼して人生を送ること。それこそが「高価な真珠」を手に入れた人の歩みでありま す。宝箱にしまって自分が見るだけで満足してはいませんか?もし高価な真珠に自分の持っている物全てを交換するほどの価値を見いだせたなら、その人は本当の幸福を手にするのでしょう。キリストこそが「高価な真珠」です。キリストが本来無価値である私の持っていたむなしさ寂しさ悲しみと神の平安そして永遠の生命とを物々交換をして下さった方だからです。こ のことを信じる人には「キリスト」という高価な真珠を持つことが出来るのです。「神の平安・愛・喜び」はこの世のものではありません。この宝を手に入れる かどうかは実はあなたの選択しだいなのです。先に救われた者もこれからの人もこの悩みの多い世の中にあってもあなたの宝箱に「高価な真珠」があったら安心 ではないですか?それはお金儲けに寄らず、宝くじのように運にもよらない、平等に与えられているのです。なんとすばらしいニュースではありませんか?最 後にもう一度。あの「赤いクリップ」と「一軒家」の交換を思い出してください。もし一回だけの交換だったら赤いクリップで一軒家と交換できたでしょうか? 出来なかったでしょう。で もイエス様はそれ以上の物々交換をしてくださいました。イエス様が十字架の死によって私達の寂しさ、悲しみ、不安、恐れそして罪と引き替えに、永遠の生命 そして神の与える平安をお与えになったのです。そしてこのプレゼントは喜びとなって毎日体験できるのです。ですから私たちは喜んで「神の物々交換」に応じようではありませんか?
2006年07月22日
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テレビで白バイ隊員の訓練風景を見た。3ヶ月の徹底した訓練のなかには当然のようにスラロームやスムーズでクイックなターンもある。何回も転びながら教官に檄を飛ばされながら一日中練習しているのをみる。いつもはこっそり隠れていて人のあら探しをしているように感じていた白バイのイメージも違ってくる。違反者に対応するときでも走っているときでも「交通事故の抑止こそが目的であるとのことを忘れないように」と指導員から教わっている。「交通事故抑止」のために一見いやな役回りをかってでくれているのだとも言える。ありがたい。時 にはトライアルバイクでの練習もある。被災地の道なき道に備えての練習らしい。でも300kg近くあるバイクの性能をフルに使えるようにあらゆる訓練をし ているのだろう。バランス感覚、アクセルワーク、ブレーキワークそれらを駆使してこそ、違反者を取り締まれるし結果として事故の被害者や加害者を減らす働 きをすることができるんだろう。白バイ隊員を見たら手を振りたい気持ちになった。ところで片手運転って違反にならないよねぇ?(即、捕まっちゃったりして。)
2006年07月21日
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夜中1:30に帰宅し「お知らせ」&「夏休み出席カード」を印刷するところまでやって寝る。朝起きると肘が腫れている。昨日の夜から肘が痛かったのだがそれが悪化している模様。そこで整形外科クリニックへ行く。診てもらった後レントゲン・血液検査をし痛み止めの注射をしてもらう。湿布をしてもらい飲み薬も飲むようだ。けっこう病人気分になる。クリニックで今週の礼拝説教の下書きを3色ボールペンで修正していたが、骨はできているのだが、なんとも肉付きが良すぎてかなり削り落とす必要がある。週報係に題・讃美歌・聖書朗読箇所等は今日までに連絡なので一応は完成させ後は明日時間をかけて作り直す。今回のテーマは「神の物々交換」だ。でも眠気のせいか集中力も続かないので古いPCをいじくりまわしたりして好きなことをやってみる。そしてローラーベットで背中をぐりぐりしたりと・・・本を読んだりして・・。今日は早く寝るはずがもう次の日になってしまった。もう本当に寝るよ!
2006年07月20日
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これでもかってくらいに連日雨が降る。お陰で今日は排水機場に詰めている。こんな時、雨がイヤにもなるがそこはすぐに心の切り替えをする。今から20年前にあった洪水の時は危うかった。堤防が切れそうなくらい。まぁ今回のはかわいいもんだ。夜中までかかりそうだが被害がなければ何よりだ。竹瓦の橋は当然水没!
2006年07月19日
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ジョイフル本田にアウトレットモールが出来て昨日まで3日間大盛況だったようだ。神田うのトークショーもあったらしい。混雑を避けて今日来たのだが やっぱり混んでる。みんな同じ事を考えていたのか?来る途中の道も混んでいた。しばらくは国道245号は混む道になりそうだ。車も離れたところに止める。中はジョイ本からスポーツオーソリティやペットショップがやって来た以外はレディースのファッション関係が多い。小物屋で、なかなか良い店を発見。これからたまに来てみよう。そうそうピカチューにも会ったぞ!内原にはジャスコ&専門店街、大洗にはアウトレットがあるのだがこんなに近くて大丈夫かなぁと思う。 中身は違うけど。ジョイ本に仕事着で部材を買いに来ても、ついでにファッションクルーズの方には来れない雰囲気。車で着替えする人が増えたりして・・・。 ファッションクルーズ ちなみに「じょいふるほんだ」をふつうに変換すると「女医古本だ」になる。「女医、古本だ!」というシチュエーションもないもんだ。
2006年07月18日
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秋田の事件の真相がわかりつつある。自分の子供を「疎ましく」感じていたとある。「疎ましい」 とは、「いやな感じがして避けたい」「気味が悪い。」という気持ちらしい。誰 しも自分と合わない人がいる。でも実はそれは相手の中に自分を見るからだと聞いたことがある。親が子供を見るときに自分のいやなところがまざまざと見せられることがあ る。見せられるからこそ自分を変えていこうと子供を通して成長させられるのだろう。でもこの母親のようにそれが逆の方向に向かうことも多い。あまり娘の世 話をしなかったということがどれだけ自分を守ることに精一杯であったかがわかる。でも残念なのは誰かが、この母親の気持ちを聞いて今までの膿を出すことができたらこんな事件は起きなかったのではないかということである。学 生時代の色紙に書かれた言葉は彼女の存在を否定していたものだった。書いた人は「暗いから、盗むから・・・」と理由をあげる。でも暗かろうがどうであろう が存在を否定する必要はない。「生きていていいんだ」ということを家庭で教育の場で教えることが出来なかったものかと思う。も ちろん、いじめられた人が必ず事件を起こすわけではない。その後の人生の出会いや経験を通して成長し良い方向へ向かうことも出来る。自分の責任は大いにあ る。みんなのせいでこんな自分になったんだと責任をなすりつけるほど自分に無責任なことはない。その無責任さが自分の子供を手にかけその後他人様の子供に 手をかける事になったのかもしれない。 いつも最後の被害者になるのは弱い立場にある者であり子供たちなのだ。彩香ちゃんはどんな気持ちでいたのだろう。豪憲君はどんな気持ちだったのだろう。 周りに気を配りながらこんな事がもう起こらないようにしたい。
2006年07月17日
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教会97周年記念葉書を作った。自分が与えられたスキルが教会(神様)のために役に立つなら嬉しい。そう考えて生活していると神様から素敵なプレゼントを頂くことがある。それをまた神様のためにお返しすることは再々嬉しいことだ。中央と右を今回は使った。次はどんな写真がとれるかな?楽しみである。
2006年07月15日
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昨日は雨が降っても草刈りをしてたのに、ちょっと夕方から腰が気になっていたが今日はちょっと痛い。晴れで仕事がしたいところだが、無理をしないのが一番。ゆっくり涼しい部屋で過ごす。今日はここら辺も32℃の予報。風が吹く「田園通り」の温度計もお昼に30℃を表示していた。きっと今日は熱中症にならないようにゆっくりしていなさいってことなのだろう。明日は10年ぶりに函館のK牧師が教会97周年のゲストとして来られる。嬉しい。もう梅雨明けでもおかしくない。来週の雨が終わったら本格的な夏になるのだろう。夏の計画立てなくっちゃ。夏は苦手だけどいいこと見つけて楽しくいこう!
2006年07月14日
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ネットのニュースに「幸せですか」ランキングが載っていた。世界中で自国の幸せ度を調査したらしい。ランキングのトップはバヌアツ共和国。2位以下はコロンビア、コスタリカ、ドミニカ、パナマ、キューバと続く。中米地帯は軒並み上位に入っている。わが日本はというと95位。先進国ではドイツが81位であとはイギリス108位、フランス129位、アメリカに至っては150位。とある。世界の富の多くを持っているとされるアメリカだが幸せは持ち物によらないようだ。貧しい国にすんでいる人たちに海外協力をして生活を豊かにしようとする先進国。素晴らしいことであるが、実は自分たちの方が幸せから遠い存在になっているとは皮肉なモノだ。こんな話を聞いたことがある。ある国の人たちにいろいろな技術を教えようとしていたら、彼らから質問が出た。「なぜ、そんなに一生懸命働かなくてはならないのか?」「それは、生活を豊かにすることが出来るからです」「生活を豊かにって言われてもそんなに困ってもいない。毎日食べて寝れてなにか問題でもあるか?」「いや、今からお金を貯めて歳をとったらのんびり暮らせるんですよ」「それならもうしている。自分たちはゆっくりのんびり暮らせているよ。」中米の人たちの心の持ちようにヒントがあるのだと思う。忙しい毎日を送る日本人は学ぶべきところが多いようにも思える。こんどは中米紀行の本を読んでみたい。ちなみに1位のバヌアツ共和国はキリスト教国。私達の教会もある。いつか行ってみたい気持ちになった。
2006年07月13日
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祈祷会で使徒行伝6章を読む。ここには2つの事が書かれている。クリスチャンが急速に増えて諸問題が起きてきた時、使徒たち(イエス様の12弟子)から任命を受けて7人の執事が選ばれた事。そして7章に続く執事の一人ステパノのお話だ。グループも小さい内は問題が少ない。でも大きくなるといろいろな問題が起きてくる。それは不平・不満というかたちで。しかし選ばれた執事の模範と配慮と指導によって問題はうまく処理されていたことがその後の発展によってわかる。ステパノの働きは執事が教会の諸問題だけでなく福音を伝えることに関しても大胆に証ししていたことがわかる。彼は当局に憎まれ捕らえられる。それは偽の証人の「偽証」(十戒の一つを破っている)の言葉によってであった。ステパノは自分に不利な証言をする人たちの中で、平和な時間を過ごしている。「その顔は天使のようであった」と書かれている。祈祷会のあるメンバーが「わたしだったら『そんなことは言っていない!』と、言うでしょう」とコメントしておられた。それが普通だと思う。交通事故が起きた時も自分から「すみませんでした」と簡単に謝ってはいけないという世界に私達は生きている。不利なことを避け自分の正しさを積極的に主張するのが普通だ。しかしステパノは自分の発言の時が来るのを静かにまっている。順境の時にも逆境の時にも神様の栄光だけを求める姿はステパノが師匠であるイエス様を見続けていた結果であることがわかる。ステパノは、この世のものでありながらこの世を超えたところに思いを抱いていたのだろう。
2006年07月12日
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教会組織97周年記念の葉書を作ることになった。200組程なので我が家のプリンターで印刷。ジョイ本や家電屋さんで光沢葉書を購入するが、テスト印刷すると同じ原稿なのに青っぽかったり、赤っぽかったりする。インクは同じでも紙によってこんなにも違うんですね。赤い方が明るいのでその紙を購入。写真の1枚は、教会へ向かう道を走っていると偶然虹が見えたので携帯で撮影。横長を2枚繋いでパノラマにした。幹雄さんの日記に載せてありました 2枚目は、教会と青空と十字架の影が道に映っているもの。今日と明日で終了の予定。皆さんに喜んでもらえたら嬉しい。
2006年07月11日
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そうそう、昨日一つ書き忘れていたのが、午前中1時間ちょいとだけ行くことが出来た農業機械の展示会。 毎年展示会はいろいろなアイデアの機械が見れるので楽しい。 あれもこれも欲しくなるがそうはいかない。 土・日・月の3日間の開催なので今年は行けないかなぁと思っていたら認定式が午後からなので少しの時間だが見てくることが出来た。受け付けで買い物用のポリ袋を渡されて「長靴代わりにどうぞ!」って、どうなの?今年はずっと雨でそこいらじゅう水浸し、泥だらけの展示会だった。でもこんな経験をすると、あたりまえのように舗装道路を雨の日も汚れないで歩ける事もありがたいことなんだなと思える。それから「備えあれば憂いなし」 。長靴さえあれば泥もまた楽しい。「あめあめ、ふれふれ、かあさんが、蛇の目でおむかえうれしいな。ピチピチチャップチャップランランラン。」だっけ。 夜に娘が広島から帰ってきた。一緒に過ごす夏休みが嬉しい。
2006年07月11日
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WC終わっちゃいましたね。まさかイタリアが勝つとは。というよりフランスが負けるとは。なにはともあれ終わった。祭りの後の寂しさを世界中が味わっているのかも。今日は水戸の素晴らしいホテルの大広間で農業関係の認定式に出席。県知事からの認定なので少し緊張する。記念写真を撮って解散。役場に寄って認定の報告をする。夕 方からは、ジョイ本で買い物。文具好きなわたしは手帳を購入。高嶺の花だったモールスキンをとうとう手にすることにしたのだ。この手帳、かのヴァン・ゴッ ホも使っていたメーカーである。インディージョーンズでは考古学のメモを書き綴っていたのがこの手帳である。もともとフランスで作られていたが工場がつぶ れて現在ではイタリアの会社で作られている。まぁ「イタリア優勝記念」として購入したというところだ。この手帳、表紙をめくると「この手帳を落としたときには下記住所にお返し下さい。お礼は○○円お支払いします」の文面(英語)が書かれている。たしかに他の人には意味のない情報でも本人にとっては宝なのだから戻ってきて欲しいものだ。自分の手帳の内容にいくらの価値をつけるだろうか?迷ってしまった。で も、この手帳には一つ欠点がある。筆記用具を挿す場所がない。手帳は携帯していたのにペンがないでは意味がない。今のところ前の日記で紹介したように、右 の100円ショップの財布と縦長リングメモ帳がベストである。そのうちモールスキンを使いこなせるよう筆記用具の仕舞い方を検討中である。
2006年07月10日
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今日は野田にある清水公園に行く予定だったが着いてみるとちょっと前に降った小雨で「お昼に入場見合わせが解けるかどうかわからない」とのこと。大人で集まって相談しアスレチックは断念し近くで遊べるところをさがす。坂東市に自然博物館があったと思い出し携帯等で調べてみるとすぐ近くなので決定。ここ、私は初めてなのだがかなり楽しめる。模型が多いし1日ゆっくり見て回れるくらいだ。昼食を早めに終えて今日は急ぎ足で回る。 茨城県自然博物館そのあと広い野外エリアを歩いて移動。キャンバス地のテントのような遊具でしばらく遊んだ後記念撮影。最後に噴水のある水のエリアで過ごす。 今日は水上アスレチックに行く予定だったので着替えも用意してある。そこで子供達は噴水の水に浸かって座って水浸しになりながら遊んでいた。大人はシャッターチャンスとばかりに写真やビデオで撮影していた。 代替え案でもかなり楽しめたのでありがたい。今日はこれが最善だったのだろう。でもアスレチックにも行きたいので10月15日に予定を入れとこう。
2006年07月09日
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[JCS] 子供のための礼拝である。メビック形式で子供達はゲームや踊りつきの歌で心が開かれる。お話はCさん。クリスチャンメルマガや本から「シロクマ」の話。北極圏にすむクリスチャン郵便屋さんが犬ぞりで仕事中にイヌたちが食中毒で死んでしまう。しかたなしに自分で犬ぞりを引いて歩く。孤独に「一人で寂しくて死にそうです。誰かをよこしてください」と祈る。すると寝ている自分の上でもぞもぞしている誰かがいる。目を開けるとシロクマがいた。でも彼は驚かなかった。シロクマのお陰で体も心も暖かく過ごした。再び歩き出し町に近づいたとき、くるっとシロクマは向きを変えて帰っていった。彼は神様が自分の祈りに答えてくださり、思ってもいなかったシロクマをよこしてくれたのだという。不思議な話だが神様はおもしろい方だと思う。必要であれば自然のルールを変えてまで助けを与えてくださるのだ。 [未来委員会]3回目の今日は「自分を知る」というテーマで進める。自分の事は自分が一番解っていると思っている人が多い。でも理解している事は少ない。しかも本当にそれが正しいのだろうか? そこでまず「自分の良いところ探しシート」に、書いてもらう。80個数字をいれたが、15分でどのくらい書けるかな?十数個書いた人も60個以上書いた人もいる。ヒントは「当たり前と思わない事」だ。自分の良いところ:手がある。目が見える。歌が好き。歩ける。テレビが好き。人に笑われるのが好き・・・どんな事もじぶんの良いところと思えたら嬉しくなっていく。さて、今度はグループに分かれその中で自分の良いところを他のメンバーに言ってもらうのだ。やってみると、人の良いところを探す訓練にも表現する訓練にもなる。自分の番にはメンバーの言葉を聞いて体温が上がったような気がした。だれも褒められて悪い気はしないだろう。それぞれのグループですっかり褒める事に慣れて、盛り上がったようだ。さて今回は自分についての「自己評価」と「他己評価」をしたわけだが、良い事に限定しているのには訳がある。大事なのは自分の本当の姿ではなく、自己や他己を含めた前向きな評価なのである。真実よりも夢や希望の方が力があるのだ。ただ、きつい事を言ってくれる友人がいるならそれはそれで宝である。一人一人が自分の存在感の確かさをしっかりと持っていることほど光を輝かせる事はないと思う。なぜなら神がそういう目で私たちを「尊い」と言われているからだ。教会の未来は私たち一人一人がどんなに愛されているかを体験しているかにかかっているのである。 [会議そして] 夜の会議が終わると最近恒例になっているラーメン&温泉だ。まぁ夜食のラーメンはダイエットには絶対あかんのやけど、たまには良いやろ!そして温泉は同じところに行っている。露天ぶろに出ると涼しい。お風呂があたたかくてちょうど良い。岩盤浴をしながらいろいろ話す。こういう時間がいいんだなぁ。
2006年07月08日
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いつのまにか草が田んぼに広がっている。手取り出来る量ではないので、一度はずした除草ユニットを付けなおして、もうかなり伸びている稲の間を除草機で走る。 すると条間の草はかなり減る。こんなに伸びても除草機が使えるとは発見である。あとは出来るだけ手で取ってみるか!
2006年07月07日
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おもしろいドラマが終わってしまった。「医龍」は「白い巨塔」以上におもしろかった。大学病院の医局、派閥の権力争いの中・・・命を救う事に専念するバチスタ手術チームの話である。主人公、朝田龍太郎(坂口憲二)の驚くべきテクニックが気持ちいいのだが、それとチームを構成するメンバーがお互いに信頼している姿が胸を熱くする。最終回は特に良かった。(「弁護士のくず」は録画で見る事にした程)最後までチームの邪魔をした因縁の敵、霧島が朝田に「おまえは最高の外科医だよ」と告白する事で今までの事を許し合う瞬間だった。ハリウッド的に敵が壮絶な消え方をするより、和解して敵でなくなる事の方が見ていて気持ちがいい。良くできたドラマだと思った。じつは再放送を見だしたらおもしろくなってぎりぎり最終回に間に合ったのだ。拡張型心筋症の手術の際に「変性部位の特定が・・・」という言葉が多く使われる。かっこいいので、小麦刈りでコンバインが故障したとき、ついJAの農機担当者に「故障部位が特定できないんですよ」と、言ってしまった。かなり影響を受けていたようだ。そうそう、病院の外のシーンで使われた建物は茨城県庁舎らしい。行った事がないが、今度見に行こう。
2006年07月06日
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使徒行伝5:21~42を読む。キリストの事を伝えたために使徒たちは当時の宗教指導者から尋問される。使徒たちは「人に従うよりは神に従うべきである」と言う。殺意をもった人たちの中に神の助けが用意されていてピンチは脱するが、むち打たれ脅されたうえで釈放される。彼らはむち打たれ脅されるが、イエス様の名のゆえに恥を加えられた事を喜んだとある。誰も脅しや暴力、辱めはイヤである。なぜなら痛みや辱めはその人の体と心に痛みを感じさせるからだ。体の傷もそうだが心の傷が治るのには時間がかかる。プライドが傷つくからであろう。しかし彼らはすぐに出ていって福音を人々に語った。何故だろう?それは彼らのプライドは神によって守られていたからだといえる。どんなに理不尽な事をされてもその出来事を許された神を信じ委ねていく信仰が彼らをそのように成長させたのだと思う。「私はあなたがたに平安を残していく。私の平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな。またおじけずくな」ヨハネ14:27この世の平安と使徒が持っていた平安は確かに違う。過酷な境遇にあっても感謝と喜びで乗り越えていくのは尋常ではない。使徒達は福音を伝えて最後には殉教していく。しかしその恐ろしい死ですら平安をもって乗り越えていけるとしたら、この世の平安とは全く違うといえる。聖書は、神に愛されている事を知ってその人生を神に委ねるなら誰にでも、その平安が与えられると約束している。
2006年07月05日
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中田ヒデの突然の引退表明。新聞の一面記事に載ったほど日本人にとって大きな関心事であった事には違いない。大リーグでは野球を引退後に別の分野で仕事に就く人が多いと聞く。今までの日本人の考え方からするなら限界までプレーし、その後は自分の蓄積した技術や能力を使って評論や指導の道を歩むのが普通だ。特に上まで上りつめた人ならばなおさらである。しかし世界的な視野でみるなら、他の分野でも自分の能力が活かされる可能性があるならそれに挑戦するのは良い事だ。三浦カズが使ってもらえる内は現役でという生き方もすばらしい。中田ヒデのように新しい道に(何を目指すかわからないが)進むのもすばらしい事だと思う。世間ではどういう引退がベストかと問うが、引退は通過点であって人は生き続ける。その人が目標を持って生きてさえいれば周りがどうこう言う問題ではないと思う。問題は人に勧められたからとか世論に押されてとか周りのせいにするのではなく、自分の意志で道を選んでいく事で、人生の終わりになっても満足できるのだと思う。カズもヒデもそういう意味では一致した選びだと思う。拍手!
2006年07月04日
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一ヶ月ほど前、姉夫婦が娘の大学卒業セレモニーに立ち会うために渡米した。帰ってきて電話から聞いた言葉は「飛行機から下を見て日本って美しいなぁって思ったよ」だった。アメリカ西海岸、LAあたりは砂漠色が広がっている。ていうようり緑が本当に少ない。もともと雨の少ない大地に人が住んでいるわけで当然と言えば当然だ。たぶん水源はローキー山脈で水を引いてきているのだろう。緑は人に育てられて生きているとも言える。LAからフリーウェイで1時間くらい東にあるロマリンダの町には大学と病院があるのだが、そこに行くまでの風景も赤茶けた風景だ。日本では大地は春夏に青々としていて、秋に色が落ち冬こそ枯れた感じになる。しかしここでは冬以外は乾期で、冬の方が雨が降るのでおもしろい事に山々は冬のほうが青々と緑色している。そんなところから日本に帰ってくると、緑に包まれている国を「美しい」と感じるのだろう。そう考えると生活の中に当たり前に見ている風景もどんなにありがたい美しさであるかと思わされる。新緑に覆われた春。濃い緑で太陽の日差しを遮ってくれる夏。葉色を落としながら憂いを感じさせる秋。何も身につけずに凛としている冬の木々。一本の木でさえ、僕らの幸せを願っていてくれているように思える。そう思うと、ここに自分がいることが当たり前でなくとても恵まれていると感じるのだ。
2006年07月03日
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TOYOTAのCMでご存じMR.CHILDRENの新曲「箒星」がcountdownTVに登場した。もちろん短いバージョンだが充分ポップ感は伝わってきた。目を瞑っても消えない光 夜空に託した祈り 今日もどこかで光ってる 誰の目にも触れない場所で 悪いとこばっかり見付けないで 僕ら一緒に探そう ずっと優しく淡く弧を描いて夜を撫でてく「箒星」光り続ける「箒星」 暗い時代に僕らは生きている。でも希望を放つ星となって光る事も出来る 「箒星」のように。歌詞が昨日の礼拝メッセージとオーバーラップして僕は嬉しくなる!
2006年07月02日
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千葉・茨城地区合同礼拝が行方市で行われた。今回は北浦三育中学校がホストだ。久慈川からもバス2台で参加。小学生1.2年生の讃美歌礼拝から奮っていた。手拍子で体も心も目覚めて準備が整っていく。光風台と久慈川の合同の讃美は特にすばらしかった。プログラムは教課(聖書の学びの時間)また音楽の間にも映像による歴史のおさらいがあって良く計画されている。さて礼拝メッセージは理事長の東海林牧師のお話だった。(録音しなかったのでブーミンの耳を通して聞こえたメッセージになってます)ある気象予報士が「1日に1回は空を見上げてみること」を勧めていました。人は身近な物ばかり見ているとそれらの事に心が捕らわれてしまいます。でも遠くの物(神の視点)に目を向ける事で希望を見付ける事が出来るからです。悲惨な事件や事故の多い時代です。私たちにはこの時代に愛と希望の福音を伝えていく使命を負っています。でもその前に私たち自身がキリストの愛と希望に満たされている必要があります。不平や不満を口に出すのでなく感謝と喜びに生きるものとなって星のように輝きたいものです。クリスチャンになったから痛み苦しみ悲しみが無くなるわけではありません。でも次の3つの事を信じて生きるときそこを越えていく事が出来るのです。1.神は愛の神であるということ2.私のすべてをご存じで共にいてくださる神であるということ3.私の未来を見通した上で最善をなしてくださる神であるということ使徒パウロとシラスがキリストの事を伝道したために捕らえられ牢獄に入れられたその夜に、彼らは傷ついた体や手枷足枷を理由に嘆いたり不満を大声で叫んだりはしませんでした。むしろ感謝の言葉と喜びの歌を口にしました。その時なにが起きたでしょうか?獄の中にいた他の囚人は彼らの姿を見て感動し「何故そんな状況で喜ぶ事が出来るのか?」と驚くと同時に「自分たちもそんな人間になりたい」と思ったのです。事実、夜中に牢獄が地震で崩壊した時、看守は囚人達が逃げ出したと思い自殺を図りますがパウロがそれを止めて囚人が一人残らず逃げずにここにいる事を告げるのです。看守は感動してキリストを信じるのです。つまりパウロとシラスの感謝と喜びの姿勢が囚人の行動を変え、看守を救ったのでした。万事を益としてくださる神がいると信じ、委ねて生きる姿勢には感謝と喜びがともないます。世の中がどんなに暗くなろうともキリストの愛と希望を信じて、星のように輝いて生きようではありませんか?すばらしいメッセージだった!そうなんだ。目の前の暗闇が僕らをうつむかせようとしたって僕らは神様によって希望を持って輝き続ける。そんな星になりたいと思った。
2006年07月01日
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