全29件 (29件中 1-29件目)
1
カップヌードルのCMに使われている地球の映像と共に流れているのがミスチルの「僕らの音」という曲だ。今朝妻が、娘からの情報で「僕らの音」に出てくる歌詞に意味があるという事を聞いたという。それは「キミは9月の朝に吹き荒れた通り雨」のところの「9月の朝の通り雨」とは9.11のテロを指しているとの事だ。となるとその後の「虹を見たんだ。そこで世界は変わった」という言葉にも世界平和の願いが込められているように思える。ラブソングもテロを意識した上で聞いてみると、深い意味に聞こえてくる。嬉しくなった。僕らは平和に過ごしているこの瞬間に、今も銃を手にしている子供達がいるということを意識していたい。たしかCMでは「そこで世界は変わった」というところで太陽が暗闇から昇って青い光が地球に広がっていく光景が映し出されていたと思う。今度見るときはちょっとそんな事を考えて見てみよう!↓カップヌードルのHPhttp://cupnoodle.jp/
2006年01月31日
コメント(2)

昨日、温めた方が腰痛の治りが早い事に気づいた。だから今日は温泉(お風呂)だ。温まるためなのだがどうせなら見晴らしのいいお風呂に入ろうということで「湯楽の里」へまたやってきた。午前中からこんなお風呂にはいるなんて贅沢である。やっぱり良い景色だ。体も心も癒されていく・・・ひとときだった。前にも書いたがここの露天風呂はほんとの展望風呂で、お湯が海側に流れ落ちているのでそこにあごと手をかけて入るのである。それから今日は空いていたので「壷風呂」にも入る。これもいいな!ここは2/1から深夜1:00までの営業になるとの事。仕事で夜遅く帰宅する人も利用できるので良い。今度、満月の時に月に照らされた海を見にこの温泉に来てみようと思う。
2006年01月30日
コメント(2)
腰痛友の会(ホントにあったりして)の私はずっと腰を冷湿布してきた。しかし治りが遅い。もしかして冷やすのが悪いのかなと今度は暖めてみることにする。「押してだめなら引いてみな」である。お風呂に入ってみるが痛みが消えて良いではないか!幹雄さんのアドバイスでは急性の場合は冷湿布、慢性の場合温湿布ということだが、暖めた方が利くとしたら慢性なのか?どちらにしても早く治る方向性がわかってよかった。感謝である。これで思い切り温泉にいけるぞ!
2006年01月29日
コメント(0)

この夏公開の映画「フラガール」は福島県いわき市にあるスパリゾート「ハワイアンズ」の前身「常磐ハワイセンター」が創業されるまでのお話である。私自身、小学校の頃からよく行ったハワイアンセンターの映画化なので興味深い。しかし当時の人たちの発想のすばらしさとパワーには学ぶべきところが多い。 http://www.5801.jp/news/cinema.htm以下はHPよりの転載しました。「昭和40年、閉山に追い込まれた炭鉱の町。危機的状況の中、炭鉱で働く人々はツルハシを捨て、北国の村を常夏の楽園に変えようと立ち上がった。 村の少女達は腰蓑をつけ、肌も露わに、当時誰も見たことがなかったハワイアンダンス~フラダンスを踊り始めた。彼女達の人生のために、家族のために、そして村のために。その踊りは一大ムーブメントを巻き起こしてゆく。常磐ハワイアンセンター(現:スパリゾートハワイアンズ)の誕生を支えた人々の涙と笑いを、癒しのハワイアンミュージックと本格的なダンスで贈る感動娯楽大作。」 なお、ただいま5000万人ありがとうキャンペーンをしている。5000万人目が何月何日に出るかを当てると抽選で5組10名に「ホテルハワイアンズペア宿泊券」が、また5000万人目のかたには未来永劫無料パスポートがプレゼントされるとか。すごい! 5000万人目になって近くに引っ越すのもいいかも?スパリゾートハワイアンズ
2006年01月27日
コメント(0)
それから「ナルニア国物語」を見始めている。BBC版でディズニー版ではない。公開が3月4日ということであたりまえか。DVDが3本で約160分x3で480分。合計8時間もある。といっても3本で4作までしか入ってないから全7作あるというからこの倍はあるのだろう。「ハリーポッター」は宗教関係者から否定されているらしいが「ナルニア国物語」は総会の会議場の所でも売っていたので推薦されているということか?ネットでもかなり期待されているようだ。ディズニー版はロードオブザリングスタッフによる圧倒的な映像美で再現されるようだから見応え十分だろう。見所は窮地に陥った主人公達をアスランの驚くべき計画によって超えていくあたりか。寝てばかりでは筋肉も萎えてしまうのでそろそろ歩き出してみる。だいぶいい。そこで町に出かける。新型エスティマとアウトランダーに試乗してくる。(車の運転なんかもってのほかなのに・・・)勝田のトヨタカローラ店でエスティマに乗ってみる。V6ー3.5L版だ。スタイルも極良だが走りも満点だ。低速では280psを感じさせない上質な感じを受ける。乗り心地もタイヤがぴたっと吸い付く感じで段差のショックもほとんど無いのにコーナーでロールを感じない。完成度が高いなぁ。アウトランダーは堅いの一言。かなり売れているらしいが別物である。7人乗りとはいうものの3列目はほんとに非常時で「ここに座ってください」と言うのは勇気が要る。とはいえ5人ならかなり良い選択である。そんなこんなで水戸の100円ショップによって内原まで行く。腰がだいぶん良くなった証拠である。昨日祈祷会でみんなが私の腰のために祈ってくれたとの事。ありがたい!
2006年01月26日
コメント(2)
腰痛ってキツイ!座る姿勢が良くないようだ。先週も4日間会議で座っていたからな。会議も終わりになりかけたときやばかったから。でもなんとか治ったつもりでスキーに行ったんだけど、帰ってから悪化してしまった。まぁ休める次期なのでしっかり休んでいるのだが。(食品部の注文書発送もしたんだけど)しばらく姿勢を良くして座っていたのだがぜんぜん良くならないのでしっかりこたつで「上を向いて過ごす事」にした。DVDをみたり本を読んだりしている。これが良かった。もちろん湿布を貼ってであるが・・・。そういえばこんな話を聞いた事がある。海外で打撲をして薬屋さんで「湿布」を説明するが伝わらずつい「サロンパス」と言うと「オー、サロンパス」と意味が伝わったそうな。言ってみるもんだ。この間に幹雄さんから借りた「ぽっかぽか」を読み、DVDは「宇宙戦争」「交渉人真下正義」「戦国自衛隊1549」を立て続けに観る。CDも平原綾香の「from To」、中島みゆきを2枚、佐藤竹善「Okra」を借りる。平原綾香のカバーアルバムはかなり良い!槇原のカバーアルバム1&2も良い(ついでに)。歌唱力があるアーティストは何を歌っても上手い。
2006年01月25日
コメント(2)
昨日MP4-21がシェイクダウンを果たした。やはりオレンジカラーに包まれている。一番目を引くのはフロントだろう。これってアリクイノーズと言われたのMP4-18・19のフロントセクションじゃないの?と思わせる。ちょっと安定性の意味で不安だ。もちろんフロントウイングや繋がるところは別物なので「先進技術を投入しすぎた」という18・19時代のフロント部分に他の部分が追いついてきたのかもしれない。実際のところ去年のルノーの細さは成功しているんだしマクラーレンも負けてはいられないという感じか?空力は現代F1で勝つには特に重要である。この前読んだ本には「高速で1500kgくらいのダウンフォースを発生させ路面に吸い付かせる」と書いてありさらに「それはトンネルで逆さまに走れるくらい」だとあった。わかりやすい説明だ。見た目の急激な変化は安定させるのに時間が掛かる。各チームが急激に変えてこないのも納得がいく。2004年のマクラーレンの「アリクイ」やウイリアムズの「セイウチノーズ」が良い(悪い)例である。そういった面ではマクラーレンは全体に変化の幅が広いように思える。今回もMP4-20をベースに中盤からリアにかけてもより絞り込んできた感じをうけるし、リアセクションの曲線の使い方なんか芸術的でさえある。各チーム、序盤にどれだけまとめてくるかが問題である。速さも大事だがまず入賞、できれば表彰台を獲得できなければ後で苦しくなるのは去年勉強済みである。自分の中でしだいにF1熱が高まってきている。
2006年01月24日
コメント(0)

昨日行ったスキー場でのこと。お昼はビュッフェスタイルのレストランだった。主食のほかにフライドポテトをひさしぶりに取る。前の若者が給仕をしている人に何か頼んでいる。 「ポテト山盛りでお願いします」「落っこちない程度に一杯!」笑顔でほんとに山から落ちるまで載せていた。私の番になった。 「さっきの人ぐらいお願いできますか」「見ちゃいましたから!」というと、 「見ちゃいましたか?じゃあ・・・」といいながら、ホントに一杯載せてくれた。次の人もそれを見ていたらしく同じように頼んでいた。たぶん5,6人は山盛りになったのだろう。みんながいるテーブルに着くと普通に頼んだ人の2倍くらいあった。「大盛り」設定がないところでもお願いしてみるものである。裏技だが「大盛り100円増し」というところでも「多目でお願いします」という言葉も有効だと聞いた事がある。まるでお給仕しているひとに「大盛りじゃないんだけど多目にしてください。あなたの心の広さくらいでいいですから」みたいな響きである。なんともファジーな言葉。「あぁ、日本語っていい!」
2006年01月23日
コメント(0)

昨日は茨城県海側のこの地域に珍しく大雪が降った。結局10cmくらい降ったのではないだろうか?さてそういうわけで昨日の朝は「明日はレインボークラブのスキーなのに、何で今日大雪になるんだろう?」と、明日の事を心配して不安になった。しかし「いやいや、そうじゃない。神様は一番いいことをしてくださるんだっけ!」と、思い直した。今日は早朝、教会に集合し出発する。常磐・磐越高速を走っていくと例年でさえ雪が残っている道が乾いている。そして高速から降りてスキー場に向かう道ですら普段より雪が少ない。ミラーバーンなどない。つまりあの雪は福島では降らなかったのだ。結果いつもより早くスキー場に着いた。感謝である。スキー場は雪雲の間にたまに青空が・・・そして大きめの雪が降っていた。今日の参加者は全部で38人。参加している大人たちはほかの子供にも関心をもってよく見て助けてくれる。これがレインボークラブの良さでもある。「スキー楽しい!」「また来たい!」とは子供達の声。明日(学校)があるので早めに帰ってきたが、短い時間でスキーやスノボーのコツをつかみ滑る楽しさを覚えた子供達の笑顔が印象的だった。帰ってから神様に感謝の祈りを捧げて解散した。心地よい疲れである。
2006年01月22日
コメント(4)
「ファイブドアの人が自殺したんだって」と、母が言う。シリアスな話題に笑いが含まれていて笑えなかった。「ファイブドア」じゃなくて「ライブドア」だって。今度のライブドアにかけられた嫌疑はどうなのかはわからない。でも死ぬような事では無いと思う。生き恥さらしていいじゃないか?生きている事ほど尊い事はないし、責任を取るなら生きて取るのがしかるべきだろう。
2006年01月20日
コメント(0)
録画しておいたジェネジャン「命スペシャル」を観た。自殺未遂を繰り返す若者・集団自殺未遂者の言葉に、虐待を経験している大人が語りかけるがなかなか心は開かれない。それぞれの立場で必死に生きてきて死を選びたいと思っているのだから難しい。(語り合う場に出てきただけでも意味があるとおもうのだが)中には「こんな場所に出たからって希薄な人間関係に変わりなく、深いつながりを持ちたいと思うとみんな逃げていくんだ」と言う。それに「おまえが思ってるほどみんな友達がいる訳じゃない。ホントに数人いればいいほうなんだ。みんな孤独なんだよ」と慰める人もいる。後半は故人となった奥山貴宏さんの映像を通して死ぬ事生きる事を考える。彼は末期癌と戦いながらジェネジャンに出ていた。「自殺なんて考えなくても勝手に死んじゃうわけなんだけど・・・。でももうあまり生きられないとわかってから、誕生日に自分が生きているだけでラッキーって思えるようになれる。そんな当たり前の事が楽しくなってきたから、俺は結構いま幸せなんじゃないかって思えるんですよ」と言う。彼の言葉を聴いていた人の中から「死ぬ事より生きなければ・・・」のような前向きな言葉が出てくる。奥山さんの生き様に語りかけられたのだと思う。死ぬ事を考える事は実は生きる事を考える事でもある。「死にたい」と言う人のホントの気持ちは「生きたい」なのだと思う。今や日本中で1日に90人ものひとが命を絶っているという。家族を含め数百人の人たちが毎日泣いているのだ。公共広告機構のCMに「命は大切だ。命を大切に。そんなこと、何千何万回言われるより、『あなたが大切だ』誰かがそう言ってくれたら、それだけで生きていける。」というのがあった。今の時代たしかに生きにくい時代だと思う。わたしがあなたが誰かの心の叫びに応えていけたらと思う。
2006年01月19日
コメント(0)

総会最終日である。総会の議案を検討する作業も良いが、食事をしながら話す時間も楽しい。若い?牧師さんの本音を聞けるのも総会ならではのものである。証しや普段知る事の出来ない他の教会の事を聞けるのがうれしい。さて下の写真が幕張プリンスホテル。右が別棟の会議場を4?階から撮影したもの。重責を担う事になったY先生は「今までも血を流すごとく働いてきたが『もっと血を流しなさい』と、言われているように思えた。そして『(究極的には)死になさい』と言われているように思えた」という。神様の召しに従うとはすごい事なのだと思う。私達も主のために働き、祈りで支えなければならないと思った。この総会のエイムは「キリストによる変革をめざして」だった。英文で用いられた「transformed」という言葉は「生き物が変態する」という意味を含んでいる。私はこう思う。私達は福音という変えてはいけないものを持ちながら、現代のめまぐるしく変化する時代という因子によって変態していくべきなのだと。キリストの愛という絶対的なものをいただいた者に「救い」以外にこだわるものなどないからこそ「変われる勇気」を持てるのだと思う。日ごとに私達が教会が脱皮していく事が求められている。この期間2つの総会があったが、このために準備し働かれた先生方に感謝したい。そしてすべてを導いてくださった神様に感謝します。
2006年01月18日
コメント(2)

総会3日目。報告を聞き、次期計画を検討し承認する。手を挙げるだけなのに疲れてきたし、腰も痛い。昨日選出された役員の中には、ほとんど寝る間もなく働いている方もいると聞く。私は何というていたらくなのか?さて、会場の幕張プリンスホテルのネット環境は、電話回線かブロードバンド回線(約一泊525円)が入っている部屋、それにロビーにおいてあるPC(10分100円)が使える。それからHOTSPOTがあり、ロビー等で無線LANが使える。「1day passport」という24時間利用できるカードが500円で利用できる。何と総会会場でも使えた。便利である。ただパソコンは許可制だったとの事。知らずに使い切ってしまって申し訳ない。議案に集中するためらしい。私自身は代表で来ているので報告のために各種コメントをwordで打ち込みながら、用語をネット辞書で確認するのに利用してみた。そろそろ標準TOOLとして認めても良いと思うが・・・・モラルの問題である。
2006年01月17日
コメント(0)

総会2日目。朝食は展望レストランへ。あいにく曇ってはいるが見晴らしはいい。すぐ下に千葉ロッテのマリンスタジアムが見える。遠くに東京のビル群を見る事が出来るが写真ではよくわからないな。総会は新役員選出を優先させながら報告を検討する。過去を振り返る事も大切だ。ただそれは前向きに進むための材料に過ぎない。みんながそう意識していればよいのだが・・・そういう意味で議長が大きな役割を担っている。しかしいろいろな意見がでる。それだけ真剣に考えているという事だろう。
2006年01月16日
コメント(0)

朝から千葉に向かう。教団総会に教会代表として出席するためだ。今日から3日間会議である。場所的には幕張ということで幕張メッセ、国際会議場など催しもの関係の建物、ホテルが多い。総会の前に「希望の讃美歌」の奉献礼拝がもたれた。三育の大学(千葉)、高校(広島)、中学(北浦)から聖歌隊が来てその新しい讃美歌を歌ってくれた。曲によって3つの聖歌隊がそれぞれに歌うのであるが、一緒に歌う曲はやっぱり良い。そのあと総会が始まる。あまりこういうところは好きではないがこういう場所でも「前向きさ」は有効である。こころのなかで「総会を楽しもう」と思うだけで自分の姿勢も違ったように思う。夜9時過ぎに1日目が終了する。
2006年01月15日
コメント(2)
今日は今年初めてのJCS礼拝(小学生以上対象)だ。今回から今年小学生になる年長さんにも招待状を送っている。そういうわけでゲームもわかりやすいものを用意する。歌は3曲。踊り付きでみな楽しそうである。お話はTさんで神様が自分の人生にどう関わってくださったかをお話ししてくれた。午後はレインボークラブで宝探しをする。秘密の宝を宝の地図の切れ端に書かれた手がかりを元に探していく。ヒントから次の切れ端を探す。そうやって8枚の切れ端を合わせると一つの地図ができあがるそこに書いてあるキーワードを並び替えると宝の在処がわかるのだ!このゲームには大人も参加したが大いに盛り上がった。私も参加したかったぐらいだ。今度は誰か別の人に作ってもらおうっと。
2006年01月14日
コメント(0)

カップヌードルのCMが変わった。歌が「僕らの音」に変わった。良い!さて、たまにテレビで宇宙から見た地球の映像を見ることができる。カップヌードルのCMでは「NO BORDER」とのコピーが出てくる。国の存在理由が自国の利益だけなら悲しいことだ。それでは人間の心の垣根が国境を作り上げているようなものだから。そしてCMからは「この青い星には国境なんて無いんだ!」って言われているように聴こえる。この青い空と白い雲の下で民族紛争、食糧難、災害、様々な問題が起きている。2時間くらい(映画の時間)地球をこうしてずっと見ている方が人を変えるのかもしれないと思う。そんな映画が出来たらいいな!
2006年01月13日
コメント(0)
久しぶりにF1の話題。マクラーレンが好きなんだけど今回のアロンソ獲得にはがっかりさせられた。勝つための選択だからチームとしてはしかたないかもしれないが現ドライバーにはきつい話だ。可能性としてはライコネンが出ていくのだろうな。ロンデニスが昨年の負けを序盤のドライバーのせいにするのもおかしいと思う。あきらかに車のせいだろう。エンジン壊れすぎだぞ!ライコネンが勝てるチームに移籍してどこでも勝てるところを見せてほしいものだ。とりあえず今年勝ち続けて惜しませて去っていくのがベスト。それにしても、マクラーレンの開発が遅れ過ぎじゃあないの?
2006年01月12日
コメント(0)
聖書箇所ルカ15章には「失われた羊」「亡くした銀貨」「放蕩息子」の3つのエピソードがあるがすべて天国を表している。みなさんと話していて「失われた羊」は自分から出ていって迷った事はわかっていても帰る事の出来ない者を表している。「亡くした銀貨は」迷った事さえ気づかない者を表していると知る。「放蕩息子」は好きなたとえ話である。自分が放蕩息子なのかその兄の立場かで考えるべき事柄が変わってくるが共通しているのは二人とも父の愛を理解していなかった事である。父の愛に先に気づいたのはむしろ弟の方だったと言える。放蕩するやんちゃな弟タイプ、真面目だけど自分しか信じない兄のようなタイプ、どのようなタイプであろうと神様は「帰っておいで」と言われているのだと思った。
2006年01月11日
コメント(0)

今日は息子が千葉へ帰っていった。親にはあまり学校の話をしないので他の情報源から回って聞く事になるが、楽しくやっているようで嬉しい!午後から2ヶ月ぶりに献血に行く。今日はDVD鑑賞はやめて車の雑誌を2冊読む。車も進化してるなぁ!TYPE2が欲しいんだけどかといってメンテナンスフリーの車がいいしで、やっぱ国産ミニバンになると思うな。隣でDVD鑑賞していた人は途中で採血が終わりになって看護婦さんから「みなさん3回くらいに分けてごらんになってますよ」とアドバイスを受けていた。わたしなら我慢ならん見方だ。いつも早めに終わる私なのであるが今日は違った。先に始めた私の方が遅かった。不思議に思っていると妻が説明してくれた。成分献血は採血と必要な成分を取った残りを戻す作業を普通4回繰り返す。だが今日は妻が検査の段階で看護婦さんに「すごい!すごく(たぶん血小板の数値)多い!これなら3回で終わるかも」と言われたらしい。普段通り4回した私よりも早くホールでくつろいでいた。お礼ということで今回は入浴剤をもらった。そしてよく見ていなかったが袋の中に↓レッドバンドが入っていた。「TSUNAGOURING」と文字の入ったいかしたやつだ。ホワイトバンドといっしょに付けると更に良い。日本赤十字社
2006年01月10日
コメント(2)
長い休みも終わって娘が広島へ帰っていった。3学期も頑張れよ!学校が楽しいのがわかるのが嬉しい!午後は息子とサッカー&野球の練習をしてみた。休みで体が鈍っていたので思いっきりバットを振るのが気持ちいい!そして今日はT君の成人式。「T君、成人式おめでとう!」Hさんも成人式の着物のフォトメールを送ってくれた。おめでたい一日だった。
2006年01月09日
コメント(0)
昨日は礼拝担当も終わった事で本当に解放された感じでハイになっていたように思う。でも嬉しいときに気分がハイになるのは自然なことだ。人に迷惑をかけなければという程度の問題でもあるが。夜にmp3で録っておいたものを確認する。自分の声って恥ずかしいものだが、終わってすぐに確認することで自分の足りないところ(だらけだが)に気づけるのも恵みである。私はもっと語尾をはっきり話さなければいけないな!それに特に重要なところではゆっくりと話す必要も感じた。それにしても昨日は礼拝の時間が普段より早く始まったので時間に余裕がありすぎてどうしようかと思ったが・・・でも不思議に予備の話も用意してあったので使うことでちょうど良いくらいの時間で終わることができた。全体につじつまがあって納得できるものになっていたし、神様のなさることはすばらしい。
2006年01月08日
コメント(0)
「暗闇から始まる」・・・今回は私の担当。正月にふさわしいメッセージをと言う事で用意してみました。子供のお話まだ留大橋が出来る前、木で出来た橋を渡って教会に通っていました。木の橋は雨になると滑りやすかったことを覚えています。さて橋につながる道は狭く特に堤防の上では車がすれ違えないので、普通は速く頂上にたどりついた車が優先されます。でもある時ちょうどどっちも同じくらいで頂上にさしかかりました。はたしてどうしたらいいだろう?と思った瞬間向こうの車のおじさんが「グウ」にしたその手を振っています。なんだ怒っているのか?でも顔は怒っていません。わかりました!じゃんけんだったのです。「じゃんけんぽん!」わたしの勝ちでした。おじさんは首を傾げながらバックしてくれました。どんな時にもゆとりをもっているって楽しい事なんだなぁと思いました。ゆとりがないと怒りたくなってしまうものです。このおじさんのようにゆとりをもっていたいものですね!さて、初日の出を見に出かけられた方はいらっしゃいますか?多くの方が初日の出を見にまた拝みに出かけていきます。何故でしょう?一年の始めのけじめとしてという気持ちがあるのかもしれません。でもきっと「今年こそは良い年にしよう!今年も良い年にするぞ!」という願いを込めて行くのかもしれないですね。植物が光に向かう習性を持っているように人も本来光を求めるものなのではないでしょうか?さて、聖書の創世記1:2,3には天地創造の第1日目が「光」出会った事がわかります。しかも神の言葉によって光が出来たと言っています。「地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。神は『光あれ』と言われた。すると光があった」(創世記1:2,3)この聖句から思うのは「闇」の存在と「言葉」の有用性です。まず「闇」についてですが、ここで言う事の闇がどんなものであったのかはわかりません。が一説には「真っ暗闇」であったと言われています。レインボークラブで目隠しをして木を当てるゲームをしたことがあります。手を引いてくれる子供達に「もっとゆっくり歩いて!」と言いながら恐る恐る歩いたのを思い出します。言葉には力があります。例話→内原の田んぼの中に大型のジャスコが出来ました。そこで昼食に和食の店に入り「梅と高菜のじゃーじゃー焼き」というものを食べました。おっきな紀州梅と練り梅をご飯に混ぜながら焼くと「プーン」と梅の香りが漂ってきて・・・とお話ししているとお腹がぐうっとなったのではないですか?また口の中に唾液が広がられた方もいると思います。食べたわけではないのに見てもいないのに「言葉」が体に影響を与えるのです。さてわたしたちの暗闇は何でしょうか?経済的な不安、健康問題、子育て、人間関係、あるいはより個人的な問題であるかもしれません。人類に罪が入ってから全ての悪が始まりました。いろんな悩み苦しみという「暗闇」が始まったのです。今の時代は本当に愛が冷えた時代であると思います。昨年の暮れにかけて起こった痛ましい事件がそれを表しています。いわば暗闇の時代と言っても良いと思います。暗闇をうち破るのは光です。光とはどこからくるのでしょうか?さてみなさんは盲導犬を知っていますね。では「介護犬」というのを聞いた事がありますか?人の心を和ませ癒してくれる「犬」のことです。ある牧師さんがこう言っています。「人のことを思いばかる介護犬の条件は、すんなり平和に育った犬ではなく、捨てられた犬とか過去に痛みのある犬がいいのだそうです。」暗闇をもったからこそ過去に傷を持っているからこそ人を癒す事が出来るというのです。イエス様もそうではないでしょうか?十字架の身代わりも確かに救いではありますがそれと同時に傷を負った方だから人間の痛みを苦しみを孤独を癒す事がおできになるのです 。神様の業は「何の不足も感じない人」には必要ありません。しかし足りなさやむなしさや悲しみを持っている者にこそ「神の業」は、表されるのです。「私の力は弱いところに完全に表れる」と聖書にあるではありませんか?私達がその傷をイエス様の傷によって癒されたのなら、私達も回りの傷ついている人を癒すためにその傷が与えられたのだと考えられないでしょうか?神様はこの時代を生きる私達に「光を掲げなさい」と言われます。私達が光を輝かすためには、個人的に神様から光をいただかなくてはなりません。元旦礼拝のメッセージでF牧師が「察する」ことの大切さを話されていましたが、察するとは「思いはかる」ことです。つまり関心を払うということです。神様が私達にどれだけの関心を払って下さったかを天国で知る事でしょう。神様は滅びる魂のためにも驚くべき愛をもって行動されていた事を知ります。K牧師はそのことをわかりやすく説明されています。「聖書の髪の毛一本までも数えられている」の意味は神様が正確に本数を知っておられると言うことを意味しているのではありません。(10万本以上あるそうですが)年とともに危険が増えていきます。髪を洗うときも抜け毛が心配になるものです。それでも1日に何百本も抜けたらわかりますが1本抜けたのに気づく人はいないでしょう。でも神様は自分でも気がつかない髪の毛1本が抜けたのさえ気づくほどにあなたのことを思いはかってくださっているというのです。つまりあなたが何故今むなしい気持ちであるのか、何故苦しくなっているのか、あるいは何故赦せないのか「知っている」と言われるのです。私を愛してくださる神様はこんなに私のことを思いはかってくださるかたなのです。みなさんはそう思われませんか?昨年、食品部のジュース作りをしているときにブドウを最後に絞る機械が動かなくなってしまいました。そこでこの機械をよく知っているTさんに尋ねると、すぐに「モーターのあつくなっている場所に濡れないようにゆっくり水をかけて冷やしてごらん」とアドバイスをしてくれました。その通りにするとすぐに直って作業を続けることができました。Tさんは工場の機械のことを熟知していてどういう構造になっているのか、どこが弱くて調子の悪いときにはどうすれば良いのかを知っているのです。神様も私たちを熟知しておられる故にあなたの暗闇に光を与える事がおできになるのです。「そのように霊的暗黒の夜に、神は「光あれ」と仰せになる。神の民には、「起きよ、光を放て。あなたの光が臨み、主の栄光があなたの上にのぼったから」と言われる。見よ、暗きは地をおおい、やみはもろもろの民をおおう。しかし、あなたの上には主が朝日のごとくのぼられ、主の栄光があなたの上にあらわれる」イザヤ書60:1.2神様の光はひとそれぞれ違うかもしれません。私にとっては「神様がいる。」「その神様は愛である。」という確信です。そして私をすごーっく愛していてくださる神様がいるという思いからは、ゆとりが生まれます。また感謝が生まれるのです。主のわざは くらやみからはじまる たとえ今くらいよるの さなかにいてもよろこびおどる 朝をむかえる なにが悲しいのか なにが苦しいのかすべてのことを 主は知っておられ わたしをみちびいてくれる主のわざは くらやみからはじまる たとえ今なみだの谷を 歩いていても感謝に満ちた あさをむかえる どんなかなしみでも どんなくるしみでも主がこの腕を ささえておられる つまずいても たおれはしない olive「暗闇から始まる」より太陽が昇る事によって暗闇が一掃されるように、あなたの人生にどんな暗闇があっても神様は「大丈夫!」と言われます。この一年、イエス様の御手から出る光(神の愛)の中を歩みながら、共に夢を希望を語り合っていきたいと思います。
2006年01月07日
コメント(0)

前回は行かなかった子供達と一緒に、再度内原ジャスコへ行く。待ってる間にやる事がある。明日の礼拝メッセージなのだが全体が出来ても一度テーマに合わない枝(不要な文章)をばっさり落としてみる。そしてよりテーマに合った枝や小枝を延ばしていく。これをくりかえしてつくりあげる。しかしモバイルノートは便利である。昼食待ち合わせの時間にすぐに開いて使えるし、みんなが来たらすぐに閉じて腰に巻くB5サイズの鞄につめて移動できる。ちなみに昼食は「梅と高菜のじゃーじゃー焼き」にした。おいしいが明太子の方が好みかな?追記 31アイスクリームの前の広場には鳥が飛んでいる。もちろん本物ではない。でも鳥好きにはいいかも?
2006年01月06日
コメント(0)
10時過ぎに千葉の叔母に会いに出かける。そして東京の病院にお見舞いに行く計画だ。「大栄」ICから「富里」まで東関道を走り、東金に出る。しかし休み明けで結構車が多く時間が掛かる。そこで東金から東金九十九里有料道路を使い大原町へ向かう。しかし空いていてこの道はいいな!速い速い。予定通り13:00に着いた。外に出ると千葉も今年は寒いなと思う。昼食は待ち合わせの店でアジフライ付きの「大よし定食」を食す。その後東京へ。カーナビは便利だな。全然知らないところを通り抜けてきちんと着くんだから。帰りは常磐道を通り20時には帰宅した。子供達はノートPCで「トリック」の最新ドラマを見て笑っていたし、私はみんなが寝てる間ミスチルを歌いながら楽しいドライブをした。
2006年01月05日
コメント(0)

午前は実家に帰ってきているJ君といろいろ話す。私の最近の興味は聖書の黙示録に出てくる「千年期」である。私としては納得がいっている解釈があるのだが正しいのか色んな人に聞いているのである。この日もJ君に聞いてみた。聖書や神学書のなかから角度を変えて考えるのもまた為になる。楽しいひとときだった。さて最近は「システム手帳」の使い方について考えることが多い。そんな本を数冊買ってきては読んでいる。その中から気に入ったところは・アイデアが消えないうちに描いておく事。覚えていなくてもいいから・夢を書き込む事の大事さ。具体的に写真等を手帳に貼り付ける。・年間52週しかない事。一週毎に計画を立てて行動する事。などである。「忙しい人ほど充実して仕事も趣味もやっている。」とは確かに納得できるものである。最近気に入り始めたkangooを早速手帳に張ってみた。オデッセイやTYPE2も張ろう。「しかし車ばっかりじゃないの!?」追記 妻は携帯の日記がいっぱいになって書き込めないらしく日記帳を買ってきた。文庫本型したものでページには日付が入っている。何も書いてない本は確かに日記になる。丁寧に目次もついてるし、あとがきも書けるようになっている。発想がおもしろい。新潮文庫で税込み340円也
2006年01月04日
コメント(0)

昨年11月に出来た内原のジャスコへ行くことにした。昨日のカラオケで疲れているだろうから母は行かないと思っていたら、行くとのこと。全然元気だ。ありがたい事である。常磐高速を使い約30分で着いた。朝9時台なので道も空いていてメイン駐車場に止めれたしラッキー。イオンショッピングセンターというジャスコと専門店街がある大型モールである。なんと北関東最大規模だそうである。お昼は「46時中」という食事どころで「明太子とじゃこのじゃーじゃー焼き」を食す。焼いた後でお茶付けのように専用のたれをかけるといっそうおいしい!帰ってきてから「湯楽の里」という温泉に行く。ここ日立店は露天風呂が気に入った。太平洋を一望できる温泉は近くではあまり知らない。ここはコロンブス時代の世界観のように(地の果てに行くと滝のように途切れている)水が海側の方へ流れ落ちているのでそこにあごをかけて体全体あたためながら海をみて過ごすのもまた楽しい。湯楽の里HP温泉の行き帰り昨日録画した「里見八犬伝」(前編)をみる。夜はM家が帰った後、プロジェクターで「里見八犬伝」(後編)を見る。昔の事だが、角川映画版は真田広之・薬師丸ひろ子主演のもので、怨霊の住む城(?)に乗り込んで罠や敵によって一人また一人と命を落としながら、残る主要キャラクターで怨霊を退治するあたりは「荒野の7人」ばりだと思って見た。今回は怨霊に「人は殺し合う生き物」と言わせて、人間はどうやれば平和を作る事ができるのか考えさせようとしたのか?作り手の意志を感じた。娯楽番組以上をねらった感じがした。そういう意味では八剣士がみんな生き残って良かったといえる。ミスチルの「タガタメ」の歌詞に「だめな映画を盛り上げるために簡単に命が捨てられていく」というのがあった。仲間が次々にやられることで視聴者の復讐心を煽っといて最後に敵がこれまたすごい死に方をすることで「スカッ」とするやりかたに慣れすぎているのかもしれない。ハリウッド映画はこういうのがいまだに多い。
2006年01月03日
コメント(0)
夕方M家族がやってきた。そこで夕食は「すしカントリーくろいそ」という回転寿司に出かける。私はあまり魚を食べないので「たまごサラダ」「スタミナガーリック」「めんたい納豆」「キムマヨ」がお気に入りである。残念ながら「焼きめんたい」が今日はやってなかった。この店は納豆の本場と言う事で納豆メニューが多々ある。納豆にレモン汁をかけた「たかちゃん納豆」というのもあるし。魚があまり食べなくてもそれ以外のメニューで十分満足できる店である。夜はカラオケに行き24時まで歌う。80を超えた母も楽しく歌っていた。歌うことはストレス解消にもいいし、ダイエットにもいい。曲毎に何カロリー使うかがでてくるのでおもしろい。
2006年01月02日
コメント(0)
明けましておめでとうございます!今年もよろしくお願いします。朝から「初詣は教会へ」ということで元旦礼拝に出席。やっぱりまず神様を第1にしなくちゃね!地域の新年会に出席したあと、だらっと過ごす。夕方からTV三昧。新春隠し芸大会をまともに見た。杉田かおるの一人芝居をみてさすが女優だといたく感心し、マチャアキの出し物にうなった。今年はどんな年になるんだろう?いい年にしたいものだ!夢を語り、希望をもって一日一日過ごしていこうと思った。今日はダラダラ過ごしたんだけどね・・・。
2006年01月01日
コメント(0)
全29件 (29件中 1-29件目)
1