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「知るを生きる」第14項 人間存在の構成-5 単一電子宇宙仮説-5<単一電子振動宇宙創生・構成論-3> 2:宇宙生成終焉論 現代物理学の考えでは、インフレーション以前の宇宙の構図については、いくつかの理論が提案されています。以下に代表的な理論とその展開を紹介します。先ず第一はビッグバウンス理論。ビッグバウンス理論では、現在の宇宙は以前の宇宙が収縮して特異点に達し、その後再び膨張した結果であると考えます。この理論によれば、宇宙は膨張と収縮を繰り返すサイクルを持っている可能性があります。ビッグバウンス(Big Bounce)とは、宇宙の起源について仮定された宇宙論的モデルの一つで、もともとは、最初の宇宙的事象は前の宇宙の崩壊の結果であるというビッグバンの周期的モデルです。あるいは「振動宇宙論的解釈」の一段階として提案されたモデルでもあります。宇宙の大規模な構造を明らかにする観測技術の進歩によって生じた「地平線問題の解決策」としてインフレーション理論が台頭して後、本格的な検討から遠ざかって久しい。2000年代初頭には、インフレーションはその様々な変数がどのような観測にも適合するように調整可能であるという点で、問題含みであり反証不可能であるため、インフレーション理論によって観測可能な宇宙の特性が偶然の産物であることが、何人かの理論家によって発見・発表されています。ビッグバウンスを含む代替的なヴィジョンは、地平線問題に対する、予測可能であり且つ反証可能で有望な解決策を提供する可能性があり、現在も活発な研究が行われています。単一電子振動宇宙創生・構成論にもその思考は生かされるでしょう。<単一電子振動宇宙創生・構成論>にしても「虚虚なる存在(存在を問うても意味ないもの)」を肯んじていないのでビッグバウンス理論は受け入れられるでしょう。参照画像:Big Bounce哲学・思想ランキング
2025年01月31日
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「知るを生きる」>第14項 人間存在の構成-5 単一電子宇宙仮説-4<単一電子振動宇宙創生・構成論-2> 1:宇宙生成終焉論 宇宙の起源を量子振動論で説明することは、非常に興味深いテーマです。量子振動論は、宇宙の初期状態やその進化を理解するための理論の一つです。マルチユニバースであれ単にユニバースであれ、此処では認識者が「全有」と捉えるものすべてを「世界」と概念します。「全有」とはすべての存在や存在物を包括する概念であり、「世界」という言葉もそれに近い意味を持ちます。したがって、認識者が「全有」と捉えるものすべてを「世界」と考えることには矛盾はないと思われます。しかし、哲学的には「世界」の定義や理解は個々の視点や文化によって異なることがあるため、さまざまな解釈が存在するかもしれません。特定の哲学的な立場から見れば、異なる見解が出てくる可能性もあります。哲学的な議論は常に新しい視点を提供してくれますから人間の認識も其の俎上に乗るのはカント的観点を待つまでもなく重要です。宇宙そのまたその起源を量子振動論で説明ができますでしょうか。でき得るとしたらそのメカニズムの詳細ににも疑問を持つのも人間の性(さが)でしょう。とりわけ、此処で取り上げられる宇宙生成終焉論では、宇宙は虚無から始まった、無から生じた、其の終焉も、虚無に帰す乃至無に帰すという問題は根幹的志向概念であるので、其の言語概念が曖昧性を持つことは許されません。著者は単一電子振動宇宙創生・構成論を弁ずるに宇宙生成終焉論を先ず第一義的に取り上げるのは、世界とはそもそもが「有」であり虚妄ではないとの立場から其の生成は「有」から生じ「有に対語とする無」なるものの状況、大乗哲学に云う「無常」を深層的に捉える立場から「有」を「常有・常住」と概念します。哲学的に「有」を定義すれば生じもせず滅することもなく、変化することもないものと概念と捉えるのですが、誤謬でしょうか。この定義は、古代ギリシャの哲学者パルメニデスの「存在論」に近いものです。彼は「有」は永遠で不変であり、生成や消滅、変化を否定しました。この視点から見ると、著者の定義は一貫しています。しかし、他の哲学的立場からは異なる見解が存在します。例えば、ヘラクレイトスは「万物は流転する」と述べ、すべての存在は変化し続けると主張しました。また、仏教哲学では「無常」という概念があり、すべてのものは変化し続けるとされています。したがって、著者の定義が誤謬であるかどうかは、どの哲学的立場を採用するかによります。哲学は多様な視点を持つ学問であり、異なる立場からの批評や議論が重要です。参考画像:単一電子宇宙哲学・思想ランキング
2025年01月27日
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「知るを生きる」第14項 人間存在の構成-4 単一電子宇宙仮説-3<単一電子振動宇宙創生・構成論-1> 人間存在を成り立たせる「この世界」において、時空間そのものを生じ、かつ消滅させる「単一振動」、すなわち「時空間そのもの」と「それ自体」とは無関係で、振動の共鳴・合同が現実世界に反映して次元を生じさせる単一電子の振動仮説とは異なり、現在の人間感覚が捉える時空間を現実世界に構成しているものが、重力や各種素粒子であるとする。そして、それらの観測可能な方法論の研究から生じたのが量子論と相対性理論である。どちらの理論も現在では宇宙の構成に組み込まれることに誤りはないとされているが、両者を統合して統一性をもたらすには、相対性理論のブラックホールの中心点の矛盾点「特異点解消」問題が浮上し、統一に陰りが見え始めた。「単一電子宇宙仮説」にはこの矛盾点が現れないという利点があるが、社会的には量子力学と一般相対性理論が上位を占めている。単一電子宇宙が何故に社会的認証評価に、現代物理学の統合宇宙論に比肩されないのは何故か、また其の解消は可能なのだろうか。単一電子宇宙仮説が社会的に認証評価されない理由はいくつか考えられます。先ず第一は実証性の欠如です。単一電子宇宙仮説は理論的には興味深いものの、実験的な証拠が不足しています。量子力学や一般相対性理論は、数多くの実験結果によって裏付けられており、実証性が高いのです。第二には其の理論の複雑性と理解の難しさがあります。 単一電子宇宙仮説は非常に抽象的であり、理解するのが難しいため、広く受け入れられるのが難しいのです。量子力学や相対性理論も難解ですが、長い歴史と多くの研究者による検証が行われてきました。第三の問題は研究資金とリソースの集中に難があります: 科学研究には多大な資金とリソースが必要です。既存の理論に基づく研究が優先されるため、新しい仮説に対する資金やリソースが不足しがちなのです。更には第四のの課題が科学コミュニティの保守性です。意外かも知れませんが、科学コミュニティは新しい理論に対して慎重であり、既存の理論を覆すには非常に強力な証拠が必要です。単一電子宇宙仮説が広く受け入れられるためには、さらなる研究と証拠が必要とされているのです。単一電子宇宙仮説が社会的に認証評価されるためには、これらの課題を克服する必要があります。具体的には、実験的な証拠を増やし、理論の理解を深めるための教育や普及活動を行うことが重要です。また、研究資金やリソースの確保も不可欠です。この仮説が現代物理学の統合宇宙論に比肩されるためには、さらなる研究と証拠の積み重ねが必要ですが、可能性は十分にあります。参照画像:resonance哲学・思想ランキング
2025年01月19日
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「知るを生きる」第14項 人間存在の構成-4 単一電子宇宙仮説-2<単一電子仮説と宇宙の振動> ジョン・ホイーラーの「単一電子仮説」は、エネルギー状態が普遍的な様態を持ち、宇宙全体に一様に波動や振動として現れるという考えに基づいています。この仮説は、エネルギーの状態が顕在化と潜在化を繰り返すことで、宇宙のあらゆる場所で観測される現象を説明しようとしています。カルロ・ロヴェッリの「世界は関係でできている」という観点は、この仮説をさらに深めるものです。彼の理論では、物理的な現象はすべて関係性によって成り立っており、単体の因子が他の因子と相互作用することで新たな現象が生まれるとされています。仮に、宇宙の因子としての「振動」が単体では変化を起こさないと仮定します。しかし、これらの単体振動が他の振動とぶつかり合い、相互振動の「共鳴」や「合同」によって莫大なエネルギーが生じる可能性があります。このエネルギーがビッグバンのような現象を引き起こすと考えることもできます。この仮説は、宇宙創造説としては単純すぎるとの批判もあるかもしれませんが、物理学の古代からの進化の流れを考慮すれば、決して無視できない仮想理論であると言えるでしょう。このように、仮説の背景や関連する理論を説明し、仮説の意義や可能性を示すことで、読者に理解しやすく伝えることができますがいかがでしょう。参照画像:resonance哲学・思想ランキング
2025年01月17日
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「知るを生きる」第14項 人間存在の構成-4 単一電子宇宙仮説(The one-electron universe)-1 ジョン・ホイーラーの「単一電子宇宙仮説」は、非常に興味深い理論です。この仮説は、すべての電子と陽電子が実際には単一の電子であり、その電子が時間を前後に移動することで、私たちが観測するすべての電子や陽電子が現れるという考えです。具体的には、ホイーラーは、宇宙全体が一本の巨大な糸のように絡み合った結び目のように構成されており、その糸の一部が時間を前後に進む単一の電子によって走破されると提案しました。この電子が前方に進む部分が通常の電子であり、後方に進む部分が陽電子として現れるというのです。この仮説は、量子力学の重要な概念である「重ね合わせ」に基づいています。重ね合わせとは、量子物体(電子など)が複数の状態や場所に同時に存在する現象を指します。ホイーラーは、単一の電子が時空全体で重ね合わせの状態にあり、そのために私たちが観測するすべての電子は実際には同一の電子だと考えました。ただし、現在この仮説はあくまで興味深いアイデアにとどまり、科学的に立証されたものではありません。現代の物理学では、この仮説が説明しきれない多くの現象が観測されているからです。著者は宇宙創生に関する推敲を進めるにあたって、このような異なる視点やアイデアを取り入れることはとても興味深いし、加えて此の仮説が私の魂の直感には正当性を訴え続ける夢を与えます。参照画像:The one-electron universe-01哲学・思想ランキング
2025年01月12日
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「知るを生きる」第14項 人間存在の構成-3 超弦理論の弦が異なる振動モードで異なる素粒子を形成する。これが単一電子宇宙仮説(The one-electron universe)の肝でしょう。単一電子宇宙仮説は、すべての電子と陽電子が実際には時間を前後に移動する単一の存在の発露であるとする、のちにはアルベルト・アインシュタインの共同研究者として、統一場理論の構築に取り組んだジョン・アーチボルト・ホイーラー(John Archibald Wheeler/1911年2008年)からの1940年春に電話によってリチャード・P・ファインマン(Richard Phillips Feynman/1918年-1988年)へ提案された仮説であるとします。ファインマンによると私はプリンストン大学院でホイーラーから電話を受け以下の様な会話をした。「ファインマン、すべての電子が同じ電荷と同じ質量を持っている理由が解ったよ」、ファインマンが「なぜ?」、ホイーラーが答える「なぜなら、これらはすべて同じ電子だからだ!」。此の応答の概要は、すべての電子が時空全体に追跡できる世界線に基づいている前提に基づく。 ホイーラーは、そのような追跡線を無数に持つのではなく、一本の糸が巨大に絡み合っている結び目のように、宇宙の全てが時間を前後に進む単一の電子によって走破された1本の線の一部であると提案した。任意の瞬間は時空を横切る線の断面として表され、結び目となった世界線の無数の結節点であるとする。各結節点は、その瞬間の実在の電子を表す。線の半分は時間的に前方に進み、半分はループして後方に進む。ホイラーは、これらの後方進行する部分が電子に対する陽電子などの反粒子として現れることを示唆した。陽電子よりもはるかに多くの電子が観測されており、電子は陽電子より多く存在すると考えられている。ファインマンによれば、彼はホイラーにこの問題点を指摘した。ホイーラーは、失われた陽電子は陽子の中に隠されていると推測した。ファインマンは、反粒子は逆の世界線で表すことができるというホイーラーの洞察に感銘を受け、ノーベル賞の受賞演説で次のように述べた。「----私は、陽電子が未来から過去に向かう電子として、世界線の逆行部分で表現されているという当初の観測を真剣に受け止めたのと同じくらいには、ホイーラーからのすべての電子が同じものであるという考えを真剣に受け止めていませんでした。盗ませてもらおう。」ファインマンは後に、1949年の論文「TheTheory of Positrons」で、陽電子を時間的に逆行方向に移動する電子として解釈することを提案した。自発的対称性の破れの発見により、2008年にノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎は、粒子と反粒子のペアのすべての生成と消滅にそれを適用し、「時々発生する可能性のあるペアの最終的な生成と消滅は、生成でも消滅でもなく、移動する粒子の方向の変化だけです。過去から未来へ、または未来から過去へ。」参照画像:対称性の破れ哲学・思想ランキング
2025年01月10日
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「知るを生きる」第14項 人間存在の構成-2 超弦理論の異なる振動モード 超弦理論は特に、一般相対性理論と量子力学を統一する「究極の理論」として注目されています。現代物理学における最も重要な未解決問題の一つである重力の量子化を含む、様々な現象を説明するための枠組みを提供する可能性があるからです。大いさも質量もない振動する紐だと表現されることもありますが、それは小ささを表現として取り立てて述べているのであって、間違いであるのは前項で述べました。超弦理論における「弦(紐)」の基本概念について、もう少し詳しく説明すれば、超弦理論では、基本的な粒子(*例えば電子やクォーク)は実際には非常に小さな振動する「弦」として扱われます。この弦は、極めて小さく、「1次元的」な線状の存在です。然し乍ら、弦は実質的な大きさや質量がないとはいうものの、決して位置をもち、部分を持たないものである「点」ではありません。単なる位置情報の代わりに、弦の振動モード(振動の仕方)によって粒子の質量や他の特性が決まります。弦は異なる振動パターンを持つことができ、これらの振動が異なる素粒子を形成します。例えば、弦の特定の振動モードが電子を、別の振動モードがクォークを生み出すという具合です。更に、超弦理論では、私たちが普段認識している3次元の空間に加えて高次元の空間が存在すると仮定しています。これらの追加の次元は、弦の振動パターンに影響を与えます。最も物理理論的な重要性は、是迄、重力を量子力学的に説明するのに矛盾を生じていた過去の量子論と相対性理論の統一の可能性に展望を開けることでしょう。参照画像:superstring theoryオカルト・ホラー小説 ブログランキングへ
2025年01月07日
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「知るを生きる」第14項 人間存在の構成-1 単一電子宇宙仮説 「世界」、此処では人類の感覚では捉える可能性が薄い若しくは不可能な虚・不可視・無の世界までをその構成要素として考察。その推察される世界から何故に精神を持つと云われる生命体としての人類が登場するのか。将又、それには何か隠された因子があるのか。その「結果因子」の登場は必然性が背後にあるのか。物理科学技術の革新的発展に伴い、その理論が高度に高まる程に、逆に疑問が疑問を呼ぶ深淵へと人類は追い込まれているようです。但し、現代の多くの宇宙理論は「起因と終末、乃至は、循環」を根底にするものが多く、因果や創造を考慮しなければならず、宗教の教義を完全には断ち切れていません。著者はそこから完全に離れた「単一電子宇宙仮説(The one-electron universe)」が宇宙の実相なのではないのかの立場で、人類の存在意義とその構成を探索したいと思い立ちました。すべての電子と陽電子が実際には時間を前後に移動する単一の存在の発露であるとする1940年春にジョン・ホイーラーの電話によってリチャード・P・ファインマンへ提案された仮説も現在では、量子理論仮説の大いさも質量もない振動する紐から成り立つ「超弦理論」に席を譲り渡しますが、その発想、思考過程はほぼ同様なので此の思考を探求しましょう。参考画像:超弦理論の振動する紐-1記:超弦理論は、物理学における理論の一つで、宇宙の基本的な構成要素を微小な「超弦(紐)」として考えるものです。通常の物質の最小単位が粒子(*電子やクォーク)とされるのに対して、超弦理論ではそれらの粒子は実際には非常に小さな弦(ひも)の振動によって構成されているとします。この弦の振動パターンが異なることで、異なる粒子が生まれると考えられています。弦の典型的な大きさと質量は、弦の長さのスケール (弦長)$L_s \approx 10^{-35}$メートル、弦の質量スケール (弦質量)$M_s \approx 10^{19}$ギガ電子ボルト (GeV) / $c^2$です。これらの数値は非常に小さく、大きなエネルギースケールでのみ測定可能です。例えば、弦の長さはプランク長、プランク長は、理論物理学において最小の意味を持つ距離であり、これ以下の距離では、現在の物理学理論が成り立たなくなると考えられています。超弦理論や量子重力理論などの理論において、このスケールが重要な役割を果たします。その同じオーダーなのです。著者が期待するところの完全「ゼロ」とは程遠いものでした。オカルト・ホラー小説 ブログランキングへ
2025年01月06日
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「知るを生きる」第13項 ルシファーとサタンを知る-6 興味深いのは、上述したことの結果、ルシファーとサタンは必ずしも同一視されるわけではないということです。ルシファーが天から堕ちた天使としての側面を強調しているのに対し、サタンは神に対抗する敵対者、当然から在るべきものとして、屡々著されているのが常だからです。文学や美術(アート)においても、この二つの形相「モノ」はさまざまな角度から描かれており、それぞれの解釈が文化的文脈に応じて変わっていく点にも興味が惹かれます。ルシファーとサタンの実相は、文献や文化的コンテクストに応じて多層的に解釈されており、両者についてさらに掘り下げるためには、その変遷やそれぞれのテーマが宗教や文学でどのように描かれてきたのかを探ることが重要です。例えば、ルシファーとサタンの関係は、時代を経て文明の変遷によって徐々に結びつけられてきました。ある時代では、ルシファーという名前は、天使の堕落として認識され、特にキリスト教文学や詩においては、神存在への「彼の反逆」として描かれました。一方で、サタンの役割は常に「告発者」や「敵対者」であり、ヨブ記における試練の場面など、神の許可を得て人類に試練を課す存在として描かれています。更には、現代の大衆文化におけるルシファーとサタンの描写も多様です。例えば、小説、映画、テレビシリーズなどで、彼らの特徴が洗練され、さまざまな、時には恐怖の対象として残忍酷薄、将又、ルシファーは人間を愛し、神に反抗するまでの解釈が進行中です。これにより、歴史的および文化的な視点からの理解がより豊かになりましたが如何なものでしょう。どの角度から捉えるかで、新たな洞察が生まれる可能性もあります。サタンは告発者という天使で、人の悪行を神に報告する警察のようなものでした。人々はその役職の天使を恐れて、悪いものとしてとらえていったのかも知れません。同じように見張る者という天使群がおり、彼らは人間の女の色香に迷い、地に降りて彼女らと交わり、ネフィリムという巨人族を生み出します。この見張る者たちは、神によって天から追放され、悪魔となります。注意すべきはサタンが悪魔として落とされるのは、聖書によればイブに知恵の木の実を与えたからなのですが、「女と誘惑」という語彙には同じキーワードが伺えます。さて、ルシファーは元来金星を指すもので、天の星は神の姿であるというのが、基本的に地中海文明にはあります。ユダヤ教では天の星は天使と考えられるのです。その名も、光をもたらすものという意味で、明けの明星がやがて太陽を導くことを意味します。旧約聖書のひとつ「イザヤ書」の一節に、バビロニアの王が死んだことに関する以下の詩があります。「黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった」と。王を金星に喩えているのですが、これがルシファーに結び付けられ、堕天使の汚名を着せられることになります。中世の神学においては、サタンとルシファーは同一視されるようになりますが、元来は別の存在です。人智学のルドルフ・シュタイナーは、サタン=アーリマン(Satan = Ahriman)として、物質的な欲望で人を駆り立てる悪魔とし、ルシファーは好奇心や精神的な欲望を人に与える悪魔としています。彼はこれら悪魔がいないと、人類は進化しないとも述べていますが、悪魔に惹きつけられすぎると人としての本質を見失うとも指摘していなす。参照画像:Satan = Ahrimanオカルト・ホラー小説 ブログランキングへ
2025年01月05日
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「知るを生きる」第13項 ルシファーとサタンを知る-5 神の意志から創造され最も愛された大天使長ルシファーを、魔王サタンとして堕落を決意までして神との対決を決意さすまでに嫉妬させた神の意志「神は人間を自己に似せて作られた。」その真相は今までに取りざさされた文献は枚挙に暇がない程です。創世記第1章26節では「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」。天地創造の六日目、いよいよ神が人を造られたという大詰めの盛り上がり、クライマックスです。神が人間を造られた、これがどういう意味を持っているか、それを明らかにしたいと思いますが、そのためにはさまざまな問題を持ち上がり、それぞれにクリアしなければ我々は肯んずることがなりません。例えば、神は神自身というものがあれば、御身を表すのに「我々」と言います。キリスト教では、神は「唯一の神」だと教えられてきたの何故に複数形なのか。次には「我々にかたどり、我々に似せて」とは一体どういうことなのか。人間が神にかたどられ、神に似せて造られた。それは、外形的なことなのか、あるいは、内面としての精神的なことか。これも昔から長い間議論されてきたことです。聖書は神の意思によってこの世界のすべてを造られ、すべてのものが神によって「よし(*良し、善し等の幾つかの文字が考慮される。)」とされて存在していると語ります。ただ哲学的にもその存在の仕方は、大きく二つに分けることができます。一つは天然自然です。いわゆる「もの」の世界。もう一つが生命としての形相を持つ人間存在です。その違いをはっきり示しているのが第1章26節なのです。天然自然の「もの」と「人間」との違いが、ここでは二点挙げられています。第一は、人間が他の物と違って神のかたちに、神にかたどって造られたという点です。神の「かたち」とは人間に与えられた自由、あるいは主体性のことです。天然自然と人間とを区別する第二の点は、魚、鳥、家畜、獣などを人間が支配する権限を与えられていることです。天地創造の業は、すべて神の意思通りに直ちにできました。光をはじめ、海の魚、空の鳥にいたるまで、造られたものの意思や主体性や自由はありませんでした。草や木、月や星はすべて神の意思に従う以外に道がないのです。例えば、水を取り上げてみましょう。水は「高きより低きに」流れる。流れざるを得ない。そのように定められています。ですから、物理学上、水は、自からの意思で低い所から高い所へ流れようと思ってもそれはできない。このように、天地万物は、自らの自由、自らの意思、自らの判断によって、その在りようを自ら選択するということができない、そういう可能性は与えられていない。これが「もの」の世界、自然の世界の大きな特徴です。では動物はどうでしょう。動物は植物と比べてはるかに自由ですし、意思を持っています。判断能力も十分にあります。最近、「犬語翻訳機」があるそうです。それは犬の鳴き声にも犬の判断や意思がそこにあるという前提で構成されています。とはいえ、動物は本能に従って行動する限りにおいて、やはり「必然性」に服していると言わざるを得ません。最近の理学はヒトの遺伝子の(DNA)の塩基配列総数は3万ぐらいで蝿の約2倍であることが判明しました。こんなに少ないのはたかだか人間は蠅の王ではないかと勘ぐりました。また、ヒトの遺伝子の脳設計は精々猿よりはましな程度だとされています。それを究めていくと蝿の動はほとんど遺伝子が決めている本能行動。ヒトにも本能的な部分もありますが、大部分の行動は遺伝子では決められていなくて「後天的」なものです。大部分の行動は遺伝子では決められていなくて、「後天的」なものだそうです。ヒトだけがもつ言語、芸術、文化や科学、技術など、人間の人間らしいところは遺伝子には書かれていなくて、豊かな環境と教育によって後天的に脳が発達するとされています。神が「初めに創られた人間」は、遺伝子だけを創られたのか。自由や主体性、その意思は先天的か後天的か完全には判明し得ません。ともあれ、動物の行動はほとんどが本能行動だとわかりました。いまはそれだけで十分です。蛇は蛙を飲み込みます。それが本能行動だからです。然し乍ら、人間の社会活動では、カエルを飲みこむヘビ(*事実は存在しますし、子どもを餌として捕食する蛙も存在します。)は、小国を侵略する大国とは区別しなければなりません。ヘビは生きていくために、時にはカエルを飲み込まざるを得ませんが、大国は小国を侵略せざるを得ないとは決して言えないからです。悪魔のささやきが聞こえそうです。聖書に著(あらわ)された「神のかたち」とは何か。神のかたちとは自らの意思を持っていること、自由と主体性をもって自らが判断できること、自ら考え、自ら決めた通りに行動することができること。それが神のかたちに似せて、神のかたちにかたどって造られたという意味です。人間はまさに神の本質に似せて造られたということです。ルシファーはこの特権を持たされていたのでしょう。それ故に人間ごときに此の能力を与えられたことは甚だ我慢できる限界を超えていました。これを漢字の「内容」と書いて、それを「内なるかたち」と読ませています。神がそうであるように人間もまた自由意思をもった主体として造られたのを明快にするために、これを漢字の「内容」と書いて、それを「内なるかたち」と読ませています。参照画像:蛇を捕食する蛙オカルト・ホラー小説 ブログランキングへ
2025年01月04日
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「知るを生きる」第13項 ルシファーとサタンを知る-4 旧約で特に違和感があるのがアダムとエヴァに知恵の実を食べさそうと誘惑するのを、多くの名作を生み出した画家の画像が、サタンを下半身を木の幹に絡ませた蛇として象徴していることです。疑問が湧くのは、旧約聖書にはこの神との約束を破った人間の原罪、エデンの園では、蛇がエヴァを誘惑し、善悪の知識の木の果実を食べさせるシーン。蛇はエヴァに対して、果実を食べることで神のように善悪を知るようになると嘘をついたにしろ、エヴァはその言葉を信じて果実を食べ、アダムにも勧めたこと。この出来事がきっかけで、アダムとエヴァはエデンの園から追放され、原罪が生まれたのです。然し乍ら、旧約では此の業によりサタンは地を這うものとされたからとする画像の矛盾です。確かに、蛇とサタンの関係については聖書解釈の中で議論の余地があります。旧約の「創世記」では、蛇がエデンの園でエヴァを誘惑し、知恵の実を食べさせた結果、神は蛇に対して「地を這うもの」としての罰を与えたのです。一方、新約聖書では「黙示録」により、サタンが「古い蛇」と表現しして言及されることから、原罪以前に伝統的にサタンと蛇が結びつけられています。この結びつきは、後のキリスト教神学や美術作品においても反映されています。絵画に顕れるサタンの肖像には可能な解釈としてと象徴的なものとしての解釈があげられます。蛇とサタンの関係は象徴的なものであり、直接的な矛盾を避けるために、蛇の形相はサタンの象徴のひとつであり、これにより、エデンの園の蛇が後に「地を這うもの」となることと、サタンが「古い蛇」として描かれることが両立できます。旧約聖書と新約聖書は異なる時代と文脈で書かれており、それぞれの文脈において蛇とサタンがどのように解釈されるかは異なります。旧約の蛇は具体的な動物として描かれ、新約のサタンは象徴的な存在として理解しようとしています。また、後世にもこの伝統の影響があります。中世以降のキリスト教美術や文学において、サタンと蛇が結びつけられることが一般化し、その影響が現代にまで及んでいるのです。これにより、アートや文学の中でサタンが蛇の姿で描かれることが尋常となりました。この解釈は、聖書の異なる部分を統合し、神学的な一貫性を持たせる試みとして提案されます。参照画像:Satan is an old serpentオカルト・ホラー小説 ブログランキングへ
2025年01月03日
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「知るを生きる」第13項 ルシファーとサタンを知る-3 キリスト教のルシファーについては非常に難解なことが多く解釈上厄介です。神に最も愛された、当然に尊重もされたであろう大天使が、あろうことかどうして堕落することまで神に敵対したのでしょうか不可解です。キリスト教の堕天使ルシファーについては非常に難解なことが多く解釈上厄介です。神に最も愛された、当然に尊重もされたであろう全ての天使の長に立つ大天使が、あろうことかどうして神に敵対したのでしょうか。その経緯や動機については様々な解釈があります。主な解釈の一部を示します。多くの伝統的な解釈では、ルシファーの堕落は彼の傲慢(Pride)が第一とされています。彼はその美しさと知恵によって自分を過信し、神に対して反逆したとされるのです。ルシファーは神の位置に就こうとしたため、天から追放されたとさえ記述されます。また、ある解釈では、ルシファーの反乱は彼の自由意志(Free Will)の行使の結果と見なされています。天使もまた自由意志を持ち、その選択の結果として神に反逆することができるという考え方です。更には、神の人間の創造に対する嫉妬もまた、ルシファーの反逆の一因とされています。彼は人間が神に愛される存在であることに嫉妬(Jealousy)し、これに対抗しようとしたとされます。一部の宗教文学、啓示文学(Apocalyptic Literature)では、ルシファーの物語は象徴的または啓示の一部と見なされています。これらの物語は、霊的な教訓や警告を伝えるために使用されることが多いからです。我々はこの解釈を受け入れられるでしょうか。天使は神喉の部分から創造されたのかについては、宗教や伝承によって異なる説明があります。キリスト教やユダヤ教の伝統では、天使は神によって直接創造されたとされており、特定の身体部分からではなく、神の意志によって存在するとされています。彼らは神の指示を伝えたり、特定の使命を果たす役割を持っています。ここには神の意志の欠損があらわれていますが如何でしょう。参照画像:falling luciferオカルト・ホラー小説 ブログランキングへ
2025年01月02日
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「知るを生きる」第13項 ルシファーとサタンを知る-2 旧約関係の文献は専門分野が相違すれば、読めば読み込むほど、そこに登場する「ルシファーとサタン」は異相を帯びています。その名称を彼らが自ら名乗ったとも思えず、各文明文化の呼称したものであると思えますが、その実相が極めて曖昧であるので掘り下げて思考してみたい衝動に駆られます。ルシファーとサタンの名称と実相については、非常に多層的ですし、宗教、文学、歴史、文化などさまざまな角度から考えることが必要となルのは言わずもがなでしょう。まず、ルシファーはラテン語で「光をもたらす者」という意味で、キリスト教の伝統ではしばしば堕天使として知られています。ルシファーの物語は、イザヤ書14:12において「明けの明星、ルシファー」として言及され、この言葉が後には一般にサタンと同一視されるようになりました。ルシファーはかつては神に最も愛された天使であり、その高慢から神に「反逆(*その理由が甚だしく曖昧)」し、地獄に追放されたとされています、然し乍ら、その高慢なるものが何か。一方、サタンはヘブライ語で「敵対者」「告発者」を意味し、旧約聖書や新約聖書を含むさまざまな聖典で言及されています。サタンは神の意に反して活動し、人間を試みたり、惑わしたりする存在です。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教それぞれの伝統において、その存在と役割は多少異なりますが、共通して神の敵役として登場、人間には上辺では味方面(みかたづら)することが多いです。古史上に記(しる)された各種事物を詳細に見れば、サタンとしての悪魔は旧約には関わらずに各宗教や伝記に記されており神の存在と同時に生じており、世界を善悪交々の社会にしていたようです。旧約のサタンは古史の「デビル」や「デーモン」及び「邪神」を必要とした文化に必須のものだったのでしょう。サタンや悪魔の概念は古代の多くの宗教や文化において、善悪の対立を象徴する重要な役割を果たしていました。各宗教や文化におけるサタンやデビル、デーモンの役割について詳細を検討してみましょう。サタンの役割と起源について、ユダヤ教においては、サタンは「敵対者」や「告発者」として描かれています。ヨブ記やゼカリヤ書において、サタンは神の許可を得て人間を試みる存在として登場しますが、必ずしも神に完全に反抗する存在ではありません。キリスト教では、サタンは堕天使ルシファーと同一視されることが多く、神に反逆した存在として描かれています。新約聖書では、イエスの試練の場面や黙示録での最終的な敗北が描かれ、サタンは人類を惑わす悪の象徴とされています。イスラム教におけるサタン(シャイターン)は、神に背いたジンの一種であるイブリースとして知られています。クルアーンによれば、イブリースは神に従うことを拒否し、人類を試みる存在として描かれています。古代のデビル、デーモンは、邪神として古代メソポタミアの神話では、悪霊やデーモンは病気や災難を引き起こす存在とされていました。リリスやアシュメダイなどのデーモンが知られています。ギリシャ・ローマ神話においても、悪霊やデーモンはしばしば登場します。例えば、パンやハーデスなどの神々は、闇や地下世界を支配する存在とされていました。旧約聖書のサタンは、他の宗教や文化におけるデビル、デーモン、邪神などと同様に、世界の善悪のバランスを象徴する存在として描かれています。これらの概念は、古代社会において、善悪の対立を理解し説明するための必須の要素として機能していたと考えられます。それ故にサタンやデーモンは人間側が必要としたもので、人類が創造したものであるとも云えますが如何でしょう。参考画像:Satan as the Accuser記:ユダヤ教におけるサタンは、裁判における告発者として描かれることが多いです。彼は神の命令に従い、人間の行動を試し、神の前で告発する役割を果たします。このようなサタンの描写は、しばしば法廷の場面や天使の姿で表現されます。哲学・思想ランキング
2025年01月01日
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