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・8.30.土朝、松原市の合唱団に行き、秋の合唱祭で演奏予定の曲を練習する。皆さん僕のいないところで音取り自主練習をして下さっているらしく、大変難しい曲にも関わらずしっかり歌っておられた。秋の本番が今年も楽しみになって来た。夕方からはCAC混声合唱団の有志14人で、大正区にある沖縄料理の店「うるま御殿」に行く。沖縄出身の男性の団員さんが、どうしても我々をその店に連れて行きたいという強い思いをお持ちで企画された会だった。料理だけではなくライブがあるということで、内心「料理はどうだろう」「ライブ演奏と言っても退屈なものでは」など少し心配していた。店に着くと想像していたより随分狭い店内で、お客さんでひしめき合うよう。出て来た料理はどれもすばらしく美味しかった。一時間ほどすると演奏が始まる。沖縄三味線、太鼓、男女二人の歌というもので、沖縄の民謡や流行歌を演奏してくれた。広くない店内なので演奏者の息遣いまでよく分かる近さで、それが逆に親密感があり良い感じ。我々が今CACで練習している数曲の民謡もリクエストに答えて演奏してくださり、本場の歌を勉強する。その後お客様の飛び入りの歌もあり、少しして6歳の男の子による「シマンチュウタカラ」が歌われた。三味線や太鼓の伴奏で彼はすばらしく歌い、大拍手を受けニコニコしながらお客様皆とハイタッチをして席に戻って行った。お店の子供たちによる獅子舞もあり、その後店内全員一緒になって曲に合わせて踊り、会は終わりとなった。沖縄の人々の明るく陽気な気質と、島独特の人の温かさを感じることの出来たすてきな会であった。また是非行きたい。
2008.08.30
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・8.29.金 四年前、2004年に開催したいずみホールでのリサイタルの録音を久しぶりに聴いてみる。 記念すべきスペンサー氏との最初のリサイタルである。 スペンサー氏と出会って、演奏会を企画し、プログラムを吟味して組み立てたプロセスが懐かしく思い出される。 声は今より随分若く、音楽的には歯がゆいものを感じる。 若いと言えば聞こえがいいが、何だか幼い感じ。 プログラムも何とか未熟さをごまかし隠す工夫が見え、少々起伏に欠けるようにも思う。 それでも一生懸命さは伝わるし、僕自身の世界のようなものが感じられなくもない。 年月をおいてから見返すと、とても客観的に昔の自分を見ることが出来、何だか息子を見るような厳しく、また愛おしい目で観察することが出来た。 あのころの僕も、なかなか熱い男だったな! 希望としては、少なくても後20年は歌い続けるつもり。 それまでドイツ歌曲に熱くいられるといいが。
2008.08.29
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・8.28.木 昼の奈良クラスのレッスンの後学園前駅近くのドコモショップに行き、ラクラクホーン「弱視者用の携帯」の新しい機種について説明を聞きに行く。 一番新しい進んだ機種で¥67000。 値段を聞いてたまげる。 その後CAC混声合唱団。 3月の曽根崎警察サロンへの出演に向けて、沖縄の民謡を中心に練習する。 帰宅してラジオを付けると先日僕を取材したMBSの記者さんが、堺市にある「故郷の家」という老人ホームを取材され、番組でレポートされていた。 この施設は、在日韓国人のお年寄りと、日本人のお年寄りが共に暮らす所で、国内でも珍しい例であるらしい。 彼らは国民性の違いや、歴史的な思いから多く喧嘩もあったが、今はお互いを個人的に理解し、友情を手に入れ暮らしているらしい。 CAC混声合唱団で是非ミニ演奏会を申し出たい思いに駆られた。 今我々の生活では書類上の国籍など関係なく、共に友情のもと音楽をやっている。 この老人ホームこそが、孤立した島国からグローバルな日本への入り口であると思うからである。
2008.08.28
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・8.26.火 シューベルトの「美しい水車屋の娘」の2曲目は「何処へ」という題名である。 一人で旅に出ることの出来た青年は、小川の流れに沿って旅を続ける。 小川を友とし、川の流れに誘われるまま谷を下って、杖を手に下へ下へと進んで行く。 小川に尋ねる。 「何処へ行くんだい?教えてくれよ」 小川はただ楽しく歌い、青年もまた歌を口ずさみながら歩を運ぶ。 歌の後ろで、ピアノ伴奏は小川のせせらぎを表す爽やかで繊細な音を奏でる。
2008.08.26
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・8.25.月昼のグループレッスンに来られた女性の生徒さんが言われた。「茶木先生は厳しくて、怖くて、今まで何度も辞めようと思った。でも辞めるのは何時でも出来ると思って、なんとか3年が経ちました。いまは続けていてよかったと思っています」生徒さんの立場になれば、僕のような者と付き合うのも大変だと思う。僕は厳しくやっているつもりはない。ただ一生懸命にやると結果厳しくなってしまっているという訳だ。そして生徒さんに恨まれることにもなる。いつも「ああ、一生懸命仕事しちゃだめ!」と自分に言い聞かせるのだが、これがB型にはなかなか難しい。なにしろB型は0か100しかないのだ。夜は混声合唱団の指導。ここでもまた一生懸命にならないよう注意しなければ、えらいことになる。人様に何かをお教えして行くというのは、心理学や自己コントロール学なども自分なりに学んで行かなくてはならないようである。
2008.08.25
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・8.23.土 CAが主催している童謡グループが奈良の菖蒲池で活動している。 普段は女性の先生に指導に当たっていただいているのだが、風邪を引かれたので急遽僕が指導に伺う。 慣れない童謡の指導で、普段の合唱団で言うみたいな難しいことを要求してしまったかもしれない。 でもとりあえず楽しく練習を終え、昼から福祉センターの近くの例のカフェ(渡邊珈琲館)で昼食を取りながら、NSK推進メンバーによるミーティング。 2009年の春咲きコンサートへの出演に向けて第九を練習していたが、NSK混声合唱団主催で自分たちの演奏会を企画し、第九を演奏することへと目的が変わった。 これから自分たちで一から準備に掛からねばならない。 予定は2009年秋ぐらいである。 その後福祉センターにてNSKの練習。 福祉センターに行くと必ずと言っていいほど僕の頭痛が始まる。 何が原因だろうといつも考える。 建物もかなり古いので、管理の悪い空調のせい? 窓の外に見えるゴミ焼却場の煙の関係? これが帰宅してもずっと痛みが続き、結局頭痛薬を飲んで眠らないといけないことになる。 でも他の人たちは全然大丈夫みたい。
2008.08.23
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・8.22.金 一日忙しい金曜日。 昼のグループレッスンに来られた一人の女性の生徒さんがイタリア旅行から戻られて、イタリアの印象は良いものだけではなかったとお話された。 彼女は英語が達者なのだが、イタリアでは英語を話すといやな顔をされ、フランス語やドイツ語ならOK。 片言でもイタリア語を話せば突然フレンドリーになる。 英語を話せないからではなく、英語を好まないのだ。 昔からのアメリカとヨーロッパとの関係がそんなところに出ているようである。 ドイツ人もそういった傾向はあったが、英語を拒否するような風潮はなかったように思う。 ヨーロッパ人は昔のことでもいろんな思いを忘れないように努力しているのかもしれない。 アジアでも韓国や中国は日本に対しての思いを忘れないようにしようとしている。 日本だけはすっかり忘れて、きれいさっぱりだ。 政府がそう仕向けて来た成果である。 ローマやミラノのような都会では、レストランの食事は美味しくなかった。 「今度行くなら田舎が一番」と言っておられた。
2008.08.22
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・8.21.木生徒さん、合唱団員、電車の中でもすでにたくさんの人が風邪を引き始めている。気温が少し下ると途端に皆風邪を引き始めるのは、どこに原因があるのだろう。寝ている際の油断?空気が乾燥しだすから?それともお盆の海外旅行で皆変なウィルスを持ち帰る?風邪菌をここまで嫌うのは僕ぐらいかもしれない。僕は脂性の反対で、肌がとても乾燥しやすい。ドイツは大陸なので空気がひどく乾燥していて、いくら保湿クリームを塗ってもかさかさになって苦労した覚えがある。そういう人は内側の粘膜もやはり乾燥するようである。脂性の人は風邪を引きにくいというのが僕の調査の結果である。そういうと周りの友人たちは「そんなことを調査してどうなる!要は自分に抵抗力を付けるようにすればいい。ちょっとは運動すれば!?」と言われる。
2008.08.21
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・8.20.水 大学院で一緒に勉強していた同級生の女性が、現在ドイツのシュトゥットゥガルトでドイツ人のご主人と住んでいるのだが、夏休みを利用して帰国しているので時間を見付けて会った。 昼食に韓国料理店に行って、その後カフェでいろいろ話した。 「日本では貴方が白い杖を持って歩いていても誰も気を付けないね、どういうことかな!」と怒りをあらわにしていた。 「それぐらいがいい、障害者を甘やかしちゃだめ」と僕が言い「それにしても!」と彼女は不服そうだった。 もう長くドイツに住んでいるので、日本語の発音も少しドイツ語的な彼女と話していると、日本人的ではない大きな視点が感じられた。 夜はアンサンブルクラスの練習。 一人の男性の生徒さんが一人でインドに旅行されて来て、その土産話を皆で聞く。 インド人のとてもフレンドリーな部分と、巧妙に旅行者の財布から金を出させるテクニックのことなど、もっと話を聞きたかったが練習時間となる。
2008.08.20
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・8.19.火 朝昼晩レッスンで疲れた反面、充実した一日だった。 今日のお昼の富田林クラスでのレッスンでは85歳の女性の生徒さんがおられ、先月にお渡しした新しい曲を今日初めて歌われたが、やはりいつものように暗譜だった。 10月12日にあるCA発表会の申込み書をお配りしたところ、その生徒さんは「私のような年寄りが歌ったら、皆さん耳を塞がれるのとちがいますか?出るべきかどうか悩みます」と言われ心配されているようだった。 僕が「87歳の男性の方も意欲的に出演されますよ」と答えると「えっ、87!?負けたな!それなら勇気付けられます、安心して出演いたします」とおっしゃって申込み書を提出された。 我がCAに80代の生徒さんが二人もおられることは、いつもながら僕の自慢である。 お二人よりも年下のものは「もう年やから」と言って逃げることは出来ない。 お二人の歌への情熱と粘りと努力には感服する。
2008.08.19
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・8.18.月年を取れば誰だって耳が遠くなる。他人の話すことが聞こえ難いと会話がものすごく疲れることだろうと想像する。何処が疲れる原因かというと、聞こえていないことをごまかさなくてはならないからである。相手の言っていることを想像で判断する労力や、想像の上での受け答えなど、人との関わりが億劫になって行くはずだ。かと言って会う人すべてに「私は聞こえ難いのではっきり大きな声でお願いいたします」と断るのも大変だ。またその一言がなかなか言えない。ずっと長い間正常に使って来た自分の体の一部が衰えて来ている事実を認めて、隠さず他人にそのことを告白する難しさは、五体満足な者には理解不可能な領域なのだ。でも誰でもいつかは経験する。その時に初めて事実を隠そうとする自分、繕おうとして疲れ果てる自分を知るだろう。
2008.08.18
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・8.16.土 昼のグループレッスンに、芸大で一緒に歌を勉強していた同級生の女性が参加された。 大学を卒業してから結婚されて、歌は全くやめてしまっていたとのこと。 不思議なものでもう何十年経っていても、学生時代に話しているのと全く同じ感覚だった。 こうして見ると年月は本当にあっという間に過ぎて行く。 お互いにいろんなことをして来たようにも思うし、大して何もして来なかったようにも思う。 期待していた雨はやはり一瞬にしか降らなかった。 今夜も蒸し暑い夜になりそうである。
2008.08.16
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・8.15.金お盆にも拘らず、阿波座事務所にて昼にグループレッスンを行う。お仕事を持っておられる方などは、意外とお盆に時間があるという方が多いのだ。その後梅田のメンズ館に買い物に行く。バーゲンの残り物で夏物の衣類を探すためである。店員の女性に「ウエストのサイズは?」と尋ねられ、小さな声で告白すると、クスッと笑われた。その後シャツを試着してみて、首のボタンが締まらないとまたクスッと笑われた。メタボのおじさんにはすでにサイズが残っていなかった。それでもシャツを二枚購入して帰る。明日にはようやく待ちに待った雨が降るそうだが、期待せずに待とう。
2008.08.15
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・8.14.木 昼のレッスンでは、生徒さんの年齢が16歳から87歳まで、幅広いメンバーで行われた。 そのような年齢差のある人たちが一緒に何かをするという機会も、世の中には少ないと思う。 「あんた今幾つや?16歳!わしの年齢になるにはあと70年生きんならん。一杯歌練習出来るな(笑い)」 80代で電車に乗って、意欲的に歌のレッスンに来られるだけでもすごい話である。 僕はこの年で少々夏バテ気味で、80になってどうなっているか自信がない。 夜のレッスンは欠席者があり早く終わったので、生徒さんを交えてお茶を一杯飲んで雑談。 経験がないので、一度ゲイの人たちがいる店に行ってみたいという話しになる。 でもこれは実現しないだろう。
2008.08.14
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・8.13.水 また通常の生活の始りである。 昼と夜のグループレッスンで、普通声楽の世界でそうあってはいけないと言われていることをあえてする。 周りの人が禁止していることをあえてすることで、何かが開くということがこの世には有りえる。 もちろん勇気のいることだが、失敗覚悟でやってみる。 自分の目で禁止されている理由を確かめるという訳だ。 確かめてみると意外と良いことだったり、そこを回り道することに大きな意義があったりする。 生徒さんは僕が「あの歌い手はよくない!」といった歌手の演奏は聴かないようにしてしまうようだが、これもまたよくない。 もちろん僕の意見だって絶対に正しい訳ではないのだ。 何でも自分の耳で、目で確かめることが自分を育てることに繋がるような気がする。
2008.08.13
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・8.12.火日曜日から滋賀県の五箇荘(ごかしょう)というところに二泊三日した。僕の妹夫婦は京都の実家に住んでいるが、ごの五箇荘の藁葺き屋根の古い家を買い取って別荘代わりにしていて、この数年間は毎年僕も夏に遊びに行っている。周りはこれまた古い近江商人の大きな屋敷が並び、裏通りにはお堀のように小さな川が流れている。夕暮れに床机(収納可能な縁側)に座って涼んでいると、近くのお寺の鐘の音が聞こえて来る。大阪よりも一足早く秋の気配がし、夕闇でこうろぎの声が聴こえていた。家の中は昭和初期を思わせる暗い電球と傘。囲炉裏端があり、冬は実際に使用する。玄関口には行灯(これはさすがに電気)という凝り様。もちろん電話、テレビ、ラジオ、パソコンなどは存在しない。退屈したらその辺を散歩するぐらいしかない。買い取った時の酷い状態から改造するに当たっては、拾い物と貰い物だけで賄ったという。そして屋根裏部屋にはオーディオがあり、階下の箪笥の引き出しにスピーカーが忍ばせてあって、レコードでジャズを聴く。便所は建物の外にあるが、ランディ・ウェストン(世界的に有名な80歳を超えた黒人のジャズピアニストで身長が190センチ)が来た際にさすがにポットン便所は使用不可能ということで美しい木造の水洗トイレにしたという。手入れされた庭にはすでに萩が咲いていた。
2008.08.12
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・8.9.土NSK混声合唱団の推進内容のことで、ホールの方と話し合う。いろんな提案と困難な部分をお話いただき、また一つ方向を絞ることが出来た。まあとにかく今は、動かない部厚い壁を日々皆で汗だくになって押しているような思いである。その後そのまま福祉センターに向かい、NSKの練習。皆さん其々に家での練習に精を出していただいているようで、段々形になって来た。練習が終わり外に出ると猛烈な暑さ。河内長野に電車が到着するとどしゃぶりの雨。おかげで今は窓から涼しい風が吹いている。
2008.08.09
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・8.8.金 朝昼晩と忙しい中、一日MDウォークマンで昔シンフォニーホールでそっと録音したマルティヌッチというイタリアのテノールの歌を聴いていた。 部屋の整理をしていて偶然見付けたMDだった。 生で聴いた時も大層感激したが、今録音を聴いても鳥肌が立つほどすばらしい。 僕が最も好むタイプの声だ。 彼が若い時のオペラのビデオを見たことがあるが、その時はあまり感心しなかった。 でもこのMDの録音はおよそ50歳ぐらいの時だったろうか。 熟した音色で脱帽である。 日本人ではやはり望めない音に感じる。 南欧の人々の筋肉は特別であるという話を聞いたことがある。 テクニックを磨くだけでは超えられない悲しい壁がある。 次生まれて来るなら、絶対イタリア人だ。 そう言ったら友達に「次生まれても歌をやるつもりか」と言われた。
2008.08.08
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・8.6.木昼のグループレッスンと夜はCAC混声合唱団。その間にシンフォニーホールのミキサーをされていた知り合いの方と電話で話す。先日のリサイタルをいずみホールが録音してくれたものを、記録用にCD化するためにその方に編集を頼んでいたのだ。本当に良い質で録音を取るというのは難しいことなのだと実感する。マイクの質、その指向性と多向性。マイクで捕らえた音を受け止め録音する機械の質。歌い手とピアノのバランス。機械のことは全く分らないが、微妙な音質の違いが聴くものに好印象を与える。いつもいろいろ注文を付けてCDを作製してもらうが、大変なご苦労を掛けていることを知る。CDが出来上がれば、希望して下さる方に聴いていただきたいと思っている。
2008.08.07
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・8.6.水 音楽の勉強を始めた時には、子供用の熊と兎と猿の絵が表紙に描かれた三段の大きな五線紙を使い、それにマジックで写譜して譜読みしていた。 学生時代には友人が考案してくれた大きな五線紙を作って、それをファイルに挟んでそれに写譜していた。 そのファイルは部厚い紙で出来ていて、2つ穴を空けて挟むものだったが、その後妹の考案で24こ穴のビニール性の硬い表紙のファイルを使うようになった。 そして今もその方式を取っているが、今では普通の楽譜をルーペで見てそれを大きく写譜することは不可能であり、母が書き換えてくれている。 演奏会が立て込んで来ると母の作業も大変な量になる。 そして今では、母が写譜してくれた大きな楽譜を見るのさえ困難を極めるようになって来た。 先日のリサイタルの譜読みも相当時間を掛けて眼球の痛み、疲労に耐えて暗譜した。 それほどに視力は著しく低下している訳だが、これからどうしたものかと考える。 2年ほど前に恩師が他界されたが、最後に交わした会話が「点字を勉強しろよ」という先生からのお言葉だった。 怠慢からいまだ点字の勉強には手が付けられていない。 パソコンがある現代なんとなく事が足りてしまい、点字がどうしても必要であるところに追い込まれなかったのだ。 しかし譜読みの問題においては、点字を避けては立ち行かないかもしれない。 ところが点字楽譜とは、学校での音楽の授業に必要なぐらいの使用目的でしか開発されておらず、専門的な記号や歌詞、その他スラーや標語などを書き込めば混乱して訳が分からなくなってしまうだろう。 目で見る絵文字のようには行かない。 世の中には全盲の音楽家も活躍されている。 やはり彼らもすべて点字の楽譜だけで事足りている訳ではないようだ。 その中でも声楽の視覚障害者は極めて少なく、これは全く新しい独自の手で触る楽譜を発案する必要に迫られるかもしれない。 しかしどうすればいいかは全く名案が浮かばない。
2008.08.06
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・8.5.火シューベルトの歌曲集「美しき水車屋の娘」は、本来は小川が主役であるべきだと僕は思う。例えば「小川の子守唄」という終曲の題名が歌曲集全体のタイトルなんてどうだろう。青年は家を出て小川に沿って旅を続ける。野性的でもなく、力も体力もないどちらかと言えばひ弱な青年にとって、旅に出ることが出来た自分に酔いしれる。それが第一曲目である。ドイツでは昔から15歳を過ぎると親元を離れ、一人で旅に出るのが男の子にとって儀式のようなものだった。そして自分の落ち着くべき土地、場所を精神的に哲学的に探し続ける。そういった苦悩によって「さすらい人」という歌曲がたくさん生まれた。こうして青年と小川の友情に結ばれた旅は始まる。
2008.08.05
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・8.4.月 昼のグループレッスンでは、ご両親の介護に忙しい生徒さんが貴重な時間の中レッスンに来られ、元気に歌って帰られた。 夜の合唱団までの間の時間、パソコンで南北戦争のことを調べる。 コープの通販で「大草原の小さな家」のDVDを購入し、その時代背景が知りたくなったのだ。 黒人の奴隷制度を巡っての大きな戦争。 アメリカ合衆国が大きく二つに分かれ、奴隷を解放して、自由貿易に踏み切りたい北部と、古来の奴隷制度を守り、自己生産システムを継続したい南部が長い間殺しあった。 リンカーンが奴隷解放宣言を発令した後も黒人に対する差別は続き、人間として扱われない酷い差別意識が存在した。 「大草原の小さな家」では時々この差別に対しての憤りが描かれている。
2008.08.04
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・8.2.土 朝の女性合唱団。 昼からは何もなかったので家に帰る。 夕方まで待って犬の散歩に行く。 アスファルトが熱を含んでものすごく熱くなっているので、6時ぐらいにならないと犬も歩けない。 このところまた少しずつ詩を書いている。 7月の作品も詩遊の会の先生に送って、講評を受けた。 僕がよく言われるのは、理屈で詩を殺してしまわないこと。 「あなたはなかなか弁が立つし、理屈っぽい人だということは他の人の作品に対する批評でよく分かります。 しかし、詩は理屈を前面に出してはだめです。 理は理において詩を殺してしまいます。 あなたの初期の作品はとても感覚的でした。 雨の匂いを感じるような感覚で私たちを魅了したものです。 感覚を前に出して理は隠しなさい。 理があっていいのですが、それを読者に嗅ぎ付けられてはだめです。 あくまで感じさせることを忘れてはなりません。 批評家は理を前面に出します。 感じさせて、批評家には理として翻訳させればいいのです。 詩人はそんなことは百も承知の上で読者に感じさせるのです。」 これは音楽にも通じる教えであるように思える。
2008.08.02
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・8.1.金 朝昼晩と忙しい一日。 特別な出来事もない日だった。 合唱団員の皆様は、交代ごうたいに旅行に行かれる。 僕も何処か温泉旅行にでも行きたいものだと思う。 そういえば温泉など何年入っていないだろう。 あれは八年ほど前に長野県の何処か田舎の方で寂れた温泉に入った。 ぬるぬるしたお湯で、コップでそれを飲んだりもした。 その後牧場にも行ってアイスクリームを食べた。 ああ、温泉は遠い記憶の夢である。
2008.08.01
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