2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全24件 (24件中 1-24件目)
1
・12.30.火午前中にあべのの鍼灸院。久しぶりにご主人の診察。彼はこのところほとんど姿が見えない。どうしてだろうと思っていると、どうやら何処か別の所に自分の手で家を建てているらしい。プロが使う道具を揃えて、一から自分で家を建てている。素人にそんなことが可能なのかどうか僕には分らないが、相当入れ込むタイプで、おかしな材料を使って、ホルムアルデヒドだらけのいい加減な家を建てられるぐらいなら自分で建てようと思ったのだろう。そのおかげで今大変な思いをしているらしい。でも楽しい作業だろうと想像する。午後からは阿波座でグループレッスン。どうやら皆さん風邪気味で、もう一つ調子が良くない。年末年始に皆体調を崩すのが毎年のこと。その後スタッフと共に阿波座教室の大掃除。すべて気持ちよく綺麗にしてから食事に行く。堺筋本町の入ったことのない海産焼きの店に入る。暗い店内はすべて個室で、ジャズの流れる落ち着いたところだった。河内長野に帰り着くと、またバスはもうない時間。乗り込んだタクシーの運転手と世間話。今テレビでは毎日のようにリストラや派遣切りされた人たちが次の仕事に有り付けず、自殺さえ考えているなどという報道が有るが、タクシーの運転手ならすぐにでもなれると彼は言った。死ぬ事を考える前に、職種を選ばなければ意外と可能性が隠れているのではと思った。
2008.12.30
コメント(0)
・12.27.土午後からNSK混声合唱団。今回は学園前西部公民館が26日で営業終了だったので、福祉センターにての練習。その前に久しぶりのワッフルの美味しいカフェ(渡邊珈琲館)にて、推進メンバーで昼食を取りながらミーティング。今年最後の練習の終わり30分にお茶とお菓子で短い茶話会。その後CAスタッフによる食事会。鶴橋の「白雲」という韓国料理店に久しぶりに行く。やっぱり韓国料理はここが最高である。たらふく食べて飲んでも3000円と安い。考えてみれば食べてばっかりの一日だった。河内長野の駅に着いたら11時半。ホームに下りると一人の男性(おそらく僕と同じぐらいの歳)が声を掛けて下さり改札まで腕を持たせてもらう。「何処へ行かれますか」と尋ねられたので「バスはもうないので、タクシーに乗ります」と答えると「僕は自転車ですが、タクシー乗り場まで一緒に行きましょう」と言って下さった。乗り場は長蛇の列で、彼も一緒に並んで下さりいろんな話をした。彼はあべの近鉄デパート6階の紳士服売り場で働いていて、今日はこの時間まで残業だったという。以前はそごうに勤めていて、倒産と共に近鉄に移ったということである。そこでそごうの経営状態について一通り話し、僕が先日もそごう劇場への出演があった話をすると「僕は酷い音痴で、カラオケを歌っても僕が歌い出すと皆下を向いて次歌う自分の曲を探し出します。歌がうまく歌えれば、それは楽しいでしょうね。」話が弾んでいるうちに僕の乗る順番が来た。「こんなに長くお付き合いいただいて申し訳なかったです」「いいえ、楽しくお話出来ましたし」「自転車を置いて家まで乗って行かれませんか?」「いや、明日も仕事に行くのに駅まで自転車を使いますので、またあべのの近鉄デパートに寄られることがあったら、6階の紳士服売り場を覗いて下さい」「はい、是非そうします」我々は挨拶して、僕はタクシーに乗り込んだ。
2008.12.27
コメント(0)
・12.26.金朝の女性合唱団で沖縄民謡を練習しているので、僕の知り合いの沖縄出身の方(70代前半男性)に奈良から来ていただき、意味の分からない言葉やその発音についてご教授いただく。初対面にも関わらずご婦人方とすぐに打ち解けて、女性に囲まれて楽しくお話されていた。文章の訳し方も説明もとても興味深く、皆さんいろいろと勉強になる時間だったと思う。この方もそうだが、沖縄の人たちは歴史の中で様々な悲劇に巻き込まれて来たが、気質としてとにかく明るく、くよくよとせずに前向きに生きて行く。そういった生き方にとても魅力を感じるし、もっと彼らの文化を知りたいと思う。昼は阿波座でグループレッスン。インフルエンザの予防注射が意味のあるものかどうかという話になる。医師の中でも、やるべきだという者とやるべきではないという者に分れるらしい。僕も予防注射はほとんど受けたことがない。はっきりとは言えないが、周りを見ていると予防したものも結局重いインフルエンザにかかっているし、いずれ露見しそうな副作用も気になる。「これはおそらく病院と製薬会社がぐるになっての儲けるための陰謀かもしれない、薬にはどうせ添加物だってどれぐらい使用しているか分らないし」と僕が言うと、参加している生徒さんたちに「また添加物か!それによくそんな捻くれた考えが浮かぶものだ」というような顔をされた。夜は混声合唱団。今年最後で、年明けすぐにあるコンサートに向けて仕上げの練習。やっと本来の寒さが訪れた夜風の中、一層寒い河内長野へ。
2008.12.26
コメント(0)
・12.25.木 午後の奈良クラスの前に菖蒲池のうどん屋。 僕たちに少し遅れて数人の紳士(皆60代後半か70代ぐらい)が入って来る。 奥の一つだけあるテーブル席に付いて、店主と親しそうに話している。 僕は天麩羅うどんを食べながら、彼らの話が耳に入って来る。 「あれから6年半か、この店も君もなかなか板に付いて来たじゃないか」「退職後に始めた俄か商売やけど、やる限りはいい物をしたいと思ってな」「う~ん、これ全部君が作っているんやろ、さすが大したもんや」 どうやら彼らは店主が商社マンだった時代の同僚のようだ。 皆あちこちの海外を飛び回って活躍されていたのだろう。 店は新年14日まで休みにして、どうやら海外旅行されるようである。 懐かしいところが其々の国にあることだろう。 何度訪れてもやっぱり満足して店を出る。 夜は阿波座でCAC混声合唱団。 さすがに年末ともなると仕事をしている人も、主婦も何かと忙しいらしく、欠席者が多かった。 次皆さんにお会いするのは1月10日の新年会。 大正区にある沖縄料理の「うるま御殿」が会場。 今練習している沖縄民謡を、またライブ演奏で聴かせてくれることを期待する。
2008.12.25
コメント(2)
・12.24.水 午後のレッスンで一人の生徒さんがケーキを買って来て下さり、レッスン終了後にいただく。 夜のレッスンでも別の生徒さんがケーキを買って来て下さり、レッスン前に参加者全員で床に円を組んで座っていただく。 どうして今日に限って皆さんケーキを買って来て下さるのだろうと不思議に思ってよく考えると、今日はクリスマスイブなのだ。 ドイツに居たころ、一人の牧師さんが「クリスマスに一人で部屋にいるのは余りにも悲しいことだ」と言って、我々外国人を田舎の小さな教会のクリスマスミサに呼んで下さった。 その村は何百年も昔からほとんど生活も風景も変わっていないだろうと思わせるほどの素朴で美しい所で、村の皆が同じイエスキリストへの思いに基づく本当のクリスマスを体験させてもらった。 それは彼らにとって深い深い意味を持つ大事な儀式なのだ。 村人全員が教会に集まって日付が変わるまでミサを行い、家族や友人への互いの親愛の気持ちを伝え合う。 そんな彼らの真剣な儀式は僕の心を打った。 あの時はすべての音を飲み込んだ雪が膝上まで村を覆い、教会の鐘だけが夜空に鳴り響いていた。 今日は雨の降る夜の中、河内長野からバスに乗る。
2008.12.24
コメント(0)
・12.23.火 今日はヘンデルのメサイアの本番でテノールソロを務めた。 またもや朝9時楽屋入りだったので、前の日からホテルに泊まる。 主催は「メサイア」奈良合唱の会。 会場はかしはら万葉ホール。 指揮者(30歳代ぐらいのフランス人)とは一度も顔を合わせていなかったので、ソリスト合わせから始り、通しのリハーサルが終わったら1時半。 その時点でもはやくたくた。 開演2時半までに急いで上のレストランで食事をして、楽屋に戻って来たら開演10分前。 焦りながら着替えて急いで舞台へ。 気も落ちついていないしお腹も一杯のまま開演。 このホールは初めてだったが、とても響きがよく気持ち良く演奏。 でもとにかくメサイア(抜粋にも関わらず)は長い。 自分の歌うアリアとアリアの間に舞台で眠りそうになる。 お客様にとってもハレルヤコーラスがあるから救われる。 もしくはメサイア通の人たちが集まって客席を埋めているのかもしれない。 物語をきちんと知っていればとてもすてきな曲だし、曲数の多さなど気にならないだろう。 4時半に演奏会終了。 宿泊しての出演は疲れも倍増。 でも気持ちの良い疲れである。
2008.12.23
コメント(0)
・12.20.土 朝の女性合唱団の後、金剛での出張グループレッスン。 その後阿波座へ。 一人の生徒さんを交えて、合唱団における輪を尊ぶ人間関係を持ち合わせない人について話す。 この世の中には様々な生きる方向性を持った人々が居て、一つのところに多くの人が集まって共に何かをしようと思えば、必ず意見の相違や、やり方の違いがぶつかることとなる。 でもそんな時に、いかに相手を尊重しながら話し合って行くかが社会に生きる我々の会得すべきテクニックであろう。 自分の考えを主張したり、また速やかに諦めたり。 その兼ね合いとバランスが難しい。 しかし世の中には、自分以外に何も見ようとしない人がいる。 自分のやりたいこと、自分が満足出来ること以外には興味はないのだ。 そしてそういう人々はおそらく子供のころからずっと人との関わりの中で、他人を自己客体として捕らえられず、そこからはじかれ続けて来たはずである。 でもそれを改めようとはもちろん思わない。 そんな自分の居所にすっかり慣れてしまっているのだ。 実は僕自身も多少そういう傾向があった。 それはおそらく、幼いころから長く盲学校という隔離された場所に居たことが原因だろうと考えている。 脳も人格も柔らかい子供のころからの環境がすべてを決める。 そして合唱団という輪の中でも、どうしても我を出さずにはいられなくなり、いずれまたはじかれることになってしまう。 意見や考えを主張して行くことと、我を通すことの違いを考えて行かなくてはならないのだろう。 この日本人社会においては、その境界線を見極めることは時にはとても難しい。
2008.12.20
コメント(0)
・12.19.金朝の女性合唱団の後、阿波座教室の近くにお住まいの知り合いのピアニストの方のお宅で、東京からお見えのソプラニストと三人で「ドイツ歌曲復興プロジェクト」についてお茶を飲みながら話す。まず小さくとも阿波座からその活動を始めて、いずれそれが東京や沖縄の同じ思いの人たちと繋がって行くことを夢見て話し合いを終える。これから歌い手、ピアニスト、音楽関係以外のドイツ歌曲愛好家、ドイツ文学に携わる人々など、様々な分野でのドイツ歌曲に思いを寄せる人に呼び掛けて、小さなサークルのようなものを作って行きたいと思う。これはすべて、日々衰退して行くドイツ歌曲の火を絶やさないための活動である。夜は混声合唱団。練習場は暖かく、僕はティーシャツ一枚になって指揮をする。帰りの電車やバスは、いつもにも増して一杯の人々。暮れも近付き、皆遅くまで働いているせいだろうか。
2008.12.19
コメント(0)
・12.18.木 昼のレッスンの後、シンフォニーホールのミキサーをされていた知り合いに阿波座教室に来ていただき、CDを作製するために必要ないろんなことを教えていただいた。 2004年をはじめとして、チャールズ・スペンサー氏と共に三回のリサイタルをいずみホールにて開催したが、それらの集大成のような意味で、今回CDを作製する運びとなった。 お話を聞くと、良い条件で録音するためには人材、場所、機材など多くの問題があることを知る。 それに費用の問題。 思っていたよりもかなり多くの費用が掛る。 それでも、今どうしてもそれをやらなくてはならない。 これからいろいろ教えてもらいながら、良い条件を探して行きたいと思う。 夜はCAC混声合唱団。 皆さん遠いところを、また忙しい中毎回きっちりと練習に出て来て下さることに感謝する。
2008.12.18
コメント(0)
・12.17.水 読売ファミリー主催の演奏会が心斎橋のそごう劇場であり、朝早くから楽屋入りする。 一部はピアニストがソナタを弾き、三人の歌い手(僕を含む)が其々に一曲歌った。 二部はベートーヴェンの第九。 それを11時からと2時半からと二回公演する。 両公演とも結構お客様は一杯お越し下さっていた。 司会はラジオのパーソナリティーで活躍しているアナウンサーと吉本の芸人さん。 さすがにお客様を退屈させない司会だった。 すべてが終わると夕方5時。 慌てて阿波座教室へ。 夜はアンサンブルクラスの練習。 四演目の稽古をし、疲れ果てた体と衣装の入ったスーツケースを引き摺って帰宅。 果てし無く長い一日だった。
2008.12.17
コメント(0)
・12.16.火朝自宅でのグループレッスンで、新しい生徒さんが見える。緊張して、トイレに何度も通っておられた。昼は富田林への出張レッスン。由緒ある旧家でのレッスンで、いくらストーブを焚いてもらっても足元が寒くて芯まで冷える。夜は阿波座でのレッスン。帰りは一人の生徒さんの車で家まで送ってもらい、楽ちん帰宅。明日はそごう劇場への出演。読売新聞主催の演奏会で、午前11時と午後2時の二回公演。そのおかげで朝9時楽屋入りと言われた。河内長野の田舎から出て来る僕には辛い時間だ。という訳で、もう寝ることにします。
2008.12.16
コメント(0)
・12.15.月昨日の日曜日はベートーヴェンの第九の本番。例によって楽屋はバスソロの歌い手と一緒。初めてお会いする僕より少々年下の人だった。もう最近はめったに年上の人と一緒にならない。狭い音楽界の共通の知人の話や互いの身の上のことなど話して、リハーサルから本番までの3時間ほどを過ごす。彼はとても親切な人で、舞台の出入りや楽屋内でもいろいろと気を遣って、見えない僕のために世話をやいてくれた。満員の客席の中、一年ぶりの第九に浸る。まあそれはベルリンフィルの伴奏で歌うのとは違うかもしれないが、それでも去年よりは第九のいろいろな部分を身近に感じることが出来たように思えた。ベートーヴェンにほれぼれとする訳ではないにしろ。水曜日はまた第九の本番。昨日とはまた違う部分を観察してみよう。今日は朝起きると喉が痛い。ちょうど午前中にあべのの鍼灸院に行く日だったので、先生に「風邪を引いたみたいです」と訴えた。先生は脈を見て「昨日の本番はどんなホールでしたか?」「かなり古い建物でした」「おそらく舞台の上か楽屋での黴か埃でアレルギーを起したのではと思われます。風邪の症状は見受けられません。強いアレルギーの反応が出ています。」そして鍼と捨血で腫れと荒感を取って下さった。思い起こせば、楽屋に古いカーペットが敷いてあり、空調も回っていた。その辺が原因かもしれない。全く、いろいろと大変なものだ。昼のレッスンの後、バリトン歌手の友人が阿波座教室に訪問され合わせをする。夜は混声合唱団。
2008.12.15
コメント(0)
・12.13.土今日は午後のレッスンのみ。やはり風邪による欠席が多い。レッスンを終えて、高校で英語の教師をされている生徒さん(30歳代の女性)の生徒や同僚の先生に対しての苦労について話を聞く。やはり人間相手の仕事であるだけに、毎日次々に訪れる問題に悩まされることは多いであろうと想像する。明日は演奏会の本番。ベートーヴェンの第九のソロを歌う。6月のリサイタルでベートーヴェンの歌曲を取り上げたこともあり、一年以上前からベートーヴェンを好きになる努力を重ねて来た。以前にも述べたが、ベートーヴェンの作品(歌曲以外)を好きになることが出来ない。この一年の間トリオやシンフォニー、ピアノ曲などのCDを買って暇があれば聴いたり、伝記を読んだりして、世間の人々が彼の音楽のどういったところを称賛しているのかを理解しようとつとめて来た。しかし僕的には未だモーツァルトやシューベルトと同じレベルに並べることは出来ない。でもシューベルトだってベートーヴェンを心から崇拝していたのだ。ただ研究の結果、一つのことに気付いた。ベートーヴェンがまだ耳が聞こえていたころ(20代から30代半ばまで)の作品は比較的納得出来る。でもそれ以降のものはどうもだめみたい。そのことから想像するに、聞こえなくなってからはさらに楽譜上の楽曲的理論を手掛かりに曲を組み立てていったのではないだろうか。怖ろしく頭の良い人だったから、そういった自分なりの道も切り開いて行って、また新たな分野を確立していった。彼以後の作曲家は、そういった作曲技法を称賛して来たのではないだろうか。でもやはりそれは紙の上の論理であり、感情と若さで沸き立つ血の成せる音楽という視点からはちょっと何かが違う。それが今のところ僕なりの見解である。もう一つ思い付くのは、彼の音楽はスピーカーから聴いてもだめ。生の楽器の響きとして聴かなくては楽しめないという可能性もあるかもしれない。そこがモーツァルトやシューベルトとは異なる点であるかも。これからも僕にとってのベートーヴェンの魅力について、諦めず探求して行こうと思う。さあ明日のベートーヴェンで、また何か新たな発見があるか。
2008.12.13
コメント(0)
・12.12.金朝の女性合唱団を終え、奈良クラスのレッスンに菖蒲池に向かう。さすがにうどん屋には寄らず、ニューウェージというパン屋のパンを買って、公民館で食べる。この店は知る人ぞ知る無添加に拘ったパン作りと、石鹸・調味料・お茶などその他いろいろな無添加製品を揃えている。そしてパンは他では例がないほど美味しい。もちろん少々値は張るが、余計なものを入れなくてもこんなに美味しくパンが出来るのかといつも感心する。昔この店の女店長の子供さんがアトピーで苦しまれたそうで、それが切っ掛けでこのような店を始めることになったという。レジからパン作りまで、店内で働く人はすべて女性。店内にも椅子と机が用意してあり、僕は時々ここでパンとオーガニックのコーヒーを取って昼食にする。夜は混声合唱団。一月の本番に向けて少しずつ熱が入る。帰りの満員電車の中では、相変わらず風邪を引いた人が多く、菌の巣といった感じ。僕はあべのの鍼灸院の先生に教えてもらったマスクを使用しているので、一応安心。院内インフルエンザ防止用のマスクで、一枚が高い。生活の中で、何処に費用を掛けるかが問題である。
2008.12.12
コメント(0)
・12.11.木 奈良でのレッスンの前に、レッスン参加者と一緒に菖蒲池のうどん屋で昼食。 うどんを食べたい一心で京都から参加された方もおられた。 店を出て裏通りを歩いていると、向こうで誰か叫んでいる。 ふと見ると黒いベンツの窓から、茶髪で大柄の男が手を上げて何かを叫んでいるのだ。 どう見ても自由業の怖いおじさんだったので知らん顔をしていると、彼は「ちゃき!」と僕の名前を呼んでいるではないか。 車が僕の横まで来ると、彼は名前を名乗った。 それは現在バリトン歌手として活躍している古い友人だった。 隣には奥様もご一緒で、懐かしく声を掛け合った。 今から第九の本番で、夫婦揃ってソロを務めるのだという。 「ここが例のうどん屋か?」と彼は尋ね「そう、一度寄ってみて」と言って我々は別れた。 彼も時々は僕のブログを覗いてくれているのだ。 きっとこの日記を読んで大笑いしていることだろう。 夜は学園前西部公民館にてNSK混声合唱団。 見学者の方も来て下さっていて、集中した良い練習であった。 来年春辺りに、NSKでミニコンサートを持つ企画が進み、皆で会場探しをしようという話になる。 2009年11月15日の第九に向けて、団員集めを目的としたコンサートである。
2008.12.11
コメント(1)
・12.10.水 昼のレッスンでは新しい生徒さんが初めて参加され、いきなり難しい課題の中、戸惑われながらレッスンを受けておられた。 CAのレッスン方法は、他では例を見ない特殊な方法だと思う。 グループレッスンで声作りを目的とした課題に、皆さんで共にチャレンジしてもらい、互いにレッスンを聴きあってそれによって自分自身の研究の手掛かりにしてもらう。 これはドイツの先生が取っておられたやり方で、先生いわく「17世紀、18世紀のベルカントの声楽教師たちは皆このような形を取っていた」とのことだ。 夜の皆さんにも同じ課題に取り組んでもらう。 僕が行いたいことを言葉で伝えるのは、ほとほと難しい。 ドイツの先生がよくドイツの笑い話を言ってくれた。 「一人の男が湖の畔でワンワン泣いていた。 空から神様が降りて来て、何故そんなに悲しく泣いているのかと尋ねた。 僕は声楽教師です!と男が答えると、神様も脇に立って一緒に泣いた」
2008.12.10
コメント(0)
・12.9.火昼の金剛への出張レッスンは、皆さん風邪が続出ということで延期になったので、阿波座教室にて雑務と練習。夜レッスンの後、いつもの電車、いつものバスで我が家のある住宅街に向かう。何故か僕の降りるバス停のための放送が流れず、うっかり僕は一つ先の停留所まで行きそこで下車。歩き慣れない真っ暗な公園をそろりそろりと抜け、住宅街の裏通りに出る。昼間は犬の散歩でよく通る道なので、何の心配もなく街灯を頼りに歩き始める。夜は僕の視力はほとんどないに等しくなり、道の脇の街灯や、家々の門灯だけが見えている状態。白杖を頼りに歩いていると何だかおかしな感じ。道は坂となり、見たこともないような場所。急いで引き返すが、元の所に帰れない。あっちこっちをうろうろしているうちに、何処を歩いているのかさっぱり分らなくなってしまった。時間は夜の10時半を過ぎていて、辺りはしんと静まり返っている。途方に暮れたが、とにかく歩き続けて大通りに出るしかない。そうすれば何とかなるかもと思い、ひたすら僕にとっては真っ暗な裏通りをくねくねと歩き続けた。道は湾曲し、行き止まりがあったり、複雑な四つ角があったりして、この住宅街はこんなに複雑だっただろうか、まるで別の世界に迷い込んだみたいだった。そしてこのまま一晩中さ迷っていることになるかもしれないなんて、思ったりもした。何といっても昼間は僕はまだ少しは視力がある。全く見えない者が一人で歩行するというのは、どれほどの恐怖と勇気のいることかと改めて思った。闇雲に歩いていると突然バスのエンジン音が聞こえ、そちらの方に行ってみるとそこはいつも僕が下車する停留所だ。全く違う方向に歩いていたように思ったのだが、何だかキツネに抓まれたような気持ちで、そこから慣れた道を歩いて我が家に着いた。時計を見ると、僕がさ迷っていたのは30分ほど。ぐったりと疲れていた。
2008.12.09
コメント(0)
・12.8.月 昨日の日曜日は、NSK混声合唱団推進メンバー計6人で天理市に出向き、天理シティーフィルの代表と数人のメンバー、それに常任指揮者、計7人とミーティングを行う。 先方とは初めての顔合わせだったが、皆さんとても温かく迎えて下さり、大変協力的な意思を示して下さった。 また指揮者の方からも親切なアドヴァイスと励ましのお言葉をいただき、我々は温かい心持ちでその場を後にした。 その後近くのラーメン屋で昼食を取り、そこから4台の車で10分ぐらいのところにある「ゆらくの里」という障害者の方々が利用されている施設に伺い、建物内を見学させていただいた後、施設課長の男性とミーティング。 我々の取り組みを説明した後、こちらの利用者の方々にも合唱に参加してもらえないかと訴える。 そうしたところ、この施設に月に何度かある音楽療法の授業の担当の先生がご協力いただき、利用者さんたちに呼び掛けていただけることとなった。 ここでも我々はまた温かい心持ちになり、実りのあった一日に感謝して解散した。 今日は昼のレッスンと夜の混声合唱団。 昨日は少し体調が悪く風邪を引いたかなと思ったが、今日は元気に戻っていた。
2008.12.08
コメント(0)
・12.6.土 突然真冬になった朝の冷たい空気の中、女性合唱団の指導。 この合唱団はいつもとても難しい曲に挑戦し、またそれをすばらしくこなされて来た。 そのお陰で周りから見ると「あんなレベルの高い団には入れない」と思われてしまうみたいだった。 決してレベルが高いのではなく、努力する才能を備えているのだ。 でも団員は一向に増えない。 そこで皆さんが知っている優しい曲も演奏して、団員募集の手掛かりにしようということになり、今日から源田俊一郎編曲の「ホームソングメドレー(イタリア編)」を練習し始めた。 ポピュラーなナンバーだが、僕にとっては料理するのに苦労しそう。 夕方に一つの小包が届く。 開けてみると、先日(11月15日)に講演に伺った河内長野東中学の生徒さんたちが、其々に一言ずつ僕の歌と話について感想を書いてくれた用紙が、担当の先生の手紙と共に束になって入っていた。 一年生、二年生、三年生合わせて300枚はある。 すべてに目を通し、僕は今までにない喜びを感じた。 とても真面目そうな文章、少し幼稚な文章、悪そうな文章、中学生とは思えない優れた表現力を持った文章。 どの文章にも大人の世界にはない正直な思いが読み取れた。 もちろん先生に言われてか、決められたような当たり障りのないものがほとんどだが、その文章の中にチラっと本当の感想が見える。 皆の思いを集約すると「人間の声の持つ可能性が人の心を動かしえる」「障害を持って苦難のどん底で、諦めたり絶望を抱えたりしていても、前向きに人は進むことだって可能なのだ」「今まで知らなかった音楽に出会えたことが嬉しい」 その他「メッチャよかった!半分ぐらい寝てたけど、歌も話もちょっとは聴いてた」 「見えへんのに、マイクとか水とかをスッと取ったり、いつも舞台の真ん中にちゃんと立って歌ってるんを見て、ほんまに見えてへんのかいなとおもた」など、大笑いするものもたくさんあった。 しかし彼らの感想を聞いて、僕が思っているより遥かに彼らは深いところまで聴いたり、感じたりしているのだ。 その受け入れる力に驚愕した。 そしてそれらから、今までに僕が感じたことのない勇気を与えられた。 心温まり、励まされたプレゼントだった。
2008.12.06
コメント(0)
・12.5.金 朝の女性合唱団では、夕方のように暗い雨模様の部屋の中、引き続き沖縄民謡の練習。 リズムが極端に難しく、慣れるまで時間が掛かりそう。 今日の昼はレッスンがなかったので、一人で阿波座教室にて過ごす。 今月控えている本番のベートーヴェン第九、ヘンデルメサイアの練習をする。 夜は混声合唱団。 一月のコンサートに向けて本番指揮者が来られる。 僕より幾分若い小柄な男性で、この合唱団の本番指揮者としては初めて納得の行く指揮者だった。 音楽家は大きく二つのタイプに分かれる。 「職業音楽家」と「アーティスト」 高名な音楽家でも前者に属する者もいれば、無名でも後者に属する音楽家が存在する。 今日の彼は後者に属するとお見受けした。 僕も無名でも、お金がなくても、アーティストでありたいと思っている。
2008.12.05
コメント(0)
・12.4.木 昼のレッスンに来られた生徒さん(60代半ばの女性)が、ニュージーランド旅行のお土産にマヌカハニーを下さった。 この蜂蜜はニュージーランドでしか採取出来ず、デパートの自然食料品店などで見ると小さなビンで5000円ほどする。 下さったマヌカは殺菌作用15で、かなり良いものだった。 風邪で喉が腫れた時などお湯で割って飲むと、気管支の腫れまでよく利く。 これもあべのの鍼灸院の先生に教わったことだ。 夜はCAC混声合唱団。 一人の団員さん(沖縄出身の70代の男性)が、沖縄に帰って浅地・紺地の昔からの伝統的な着物を持って来て下さった。 浅地の着物は芭蕉の木から作った生地で編んだもので、今はもう生産されておらず貴重なものだそうだ。 涼しそうで丈夫で、実用性の高い着物だと感じた。 これらの生地は、今練習している沖縄民謡に出て来るのだ。 現代にもまた生産技術が再び伝えられ、いろんな製品に利用されるべきだと思った。
2008.12.04
コメント(0)
・12.3.水 午前中にあべのの鍼灸院。 先生がおっしゃった。 「年々ノロウィルスは成長して、今年もそろそろ猛威をふるおうとしている。 毒牙に掛ってしまう原因の一つに、年配の方の昔ながらの考え方があります。 昔はこれで大丈夫だったというやり方が、今は通用しないことが多くなって来た。 温暖化と様々な菌の成長が原因です。 例えばおせち料理を夜に涼しい玄関などに置いて眠るのも今は注意するべき。 冷蔵庫の中の常備食も注意。 そして一番多いのがカレー。 カレーは作ると数日食べることが多い。 度々火を入れているから大丈夫と思って、暖かい部屋に鍋ごと置いたままにしているとこれも危ない。 家屋の質も昔とは違う。 いろんなことで常識への考え方を変えて行かなくてはならない時代です」 ハムに当たって13回も吐いた患者さんもいたそうで、よく数えていたなと感心するが体は著しく衰弱するし、先生の方も快復させるまでの治療が大変だそうだ。 特に暮れと正月にそんな目にあう方が多いらしく、今年の暮は30日まで。 新年は3日から診察をするそうである。 「去年はたくさん休んで、新年に症状を拗らした患者さんで溢れて、大変な目に合ってもう懲りましたから」と笑っておられた。
2008.12.03
コメント(0)
・12.2.火来日しているチャールズ・スペンサー氏と会う。来年に初めてのCD作りを計画していて、それに向けての打ち合わせをした。いつものことだが、彼は僕が提示する曲目や、方針に何一つ口を出さない。「スペンサーさんにいろいろ助言いただけていいですね」とよく言われるが、リサイタルの選曲、プログラミングはいつもすべて僕が一人で行っている。よほど目に余ることが無い限り、口を出さないと決めているようである。今回のCD作りについても、一人のプレイヤーとして接してくれていることを感じる。夜のレッスンには、全員男性女性ともに低音の声質の方が揃う。ドイツの先生がよくおっしゃっていた。「低声の歌声に、聴く者が母性、父性を感じることが出来ればその歌い手は魅力溢れる演奏者である。それは声のテクニックだけではなく、人間性が成せる音色である」
2008.12.02
コメント(1)
・12.1.月昨日の日曜日は「京都命輝け第九の会」の演奏会に、京都コンサートホールに出向く。舞台に乗っている合唱団は300人。そのうちハンディーを持った方々は約80人。情熱に溢れるすてきな演奏だった。四人のソリストのうち三人は僕の同輩だったり、後輩だったりで彼らの歌声は懐かしいものだった。ただ指揮者の音楽は、納得の行かないもので残念だった。最後に主催者の女性(おそらく70代半ば)が舞台で挨拶され「来年は京都から発信するこのような取り組みが奈良で芽を吹く予定です」とNSKのPRを述べて下さった。今日は昼のレッスンの後、最近中年のおじさんが少女を象った人形を競って買い集めているという話題になり、今おじさんに何が起こっているのだろうと疑問を抱く。何を好もうと自由ではあるが、それが犯罪予備軍にならないことだけを祈る。
2008.12.01
コメント(0)
全24件 (24件中 1-24件目)
1
