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仏領タヒチ島在住の直木賞作家の坂東真砂子氏(48)が、自分の飼い猫には避妊手術をせず、生まれた子猫を「殺している」と日経新聞に書いたエッセーに対し、「不快だ」などの抗議が相次いでいる。この中で板東氏は野良猫対策としての避妊手術は認めているが「人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。生まれた子を殺す権利もない」とぶち上げた上で「自分の育ててきた猫の『生』の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。」「生まれてすぐの子猫を殺しても(避妊と)同じことだ。子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ」「もちろん、殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである」との独自の論理を展開した。この行為が明確に犯罪であること以上に、この論理はすでに矛盾だらけで破たんしていることについて多くのもっともな指摘が寄せられている。親猫の「生(性)」を尊重しつつ、自ら「権利がない」と認める子猫の「生」を無残に奪う行為。もう、狂人に理論を説くくらい、矛盾をいちいち指摘するのは大変だ。「自分の育ててきた猫の『生』の充実を選び…」彼女は避妊手術に対し、野良猫には認めるが、自分の猫には「そんなことをする権利はない」と言い放つ。どうも、避妊手術=悪だと思っているようである。獣医学的には、猫の避妊手術は手法として十分に安全であるし、人間でいうところの婦人病(特に悪性の乳がん)を防ぐための有効な手段である。少なくとも猫においては、避妊手術より出産の方が健康を損なう、場合によっては命を落とす確率が高い。どのような動物も、出産を繰り返すほど、生殖系(子宮・卵巣)が傷み、感染症や腫瘍を発生しやすくなる。統計的に見ても、避妊猫の方が、未避妊猫よりも長寿である。健康に長生きすることを「生の充実」というのなら、彼女は猫の飼育者としてあまりに知識が足りない。また、動物本来の姿を尊重することが「生の充実」だと言いたいのであれば、尚更、知識不足である。なぜなら、動物の生の充実とは、その命かぎりの刹那的なものではなく、「種の繁栄」「命のリレー」だからである。だから、野生動物は卵や赤子を命を賭けて守り抜く。子猫の命を育む行為は、雌猫にとって最高の「生」の充実であるという自然の摂理に、なぜ彼女は行き当たらなかったのか?自然の摂理か、猫の病気についての知識があれば、どうやっても自由繁殖の子猫殺しという結論にはたどり着かないのだ。この傲慢な物書きの思慮の薄っぺらさ。「社会に対する責任として子殺しを選択した。」完全に社会に対する責任を全うしたいなら、猫を飼わないことである。そうすれば、愛猫家にも、猫嫌いにも迷惑はかけない。それでも、自分の「猫を飼いたい」という欲望に負けて、猫を飼うとする。それならば、最低限の社会に対する責任として「社会のルール(法)を守る」ことである。言うまでも無く、日本でも仏国でも、動物虐待は違法である。既に複数の動物愛護団体が板東氏に対し司法手続きを行う構えを示している。実現すれば、裁判所は板東氏の違法行為を社会に対する背任として厳しく裁くであろう。「社会責任」の意味も知らぬまま、大見得を切る姿は傍痛しとしか言いようが無い。「生まれてすぐの子猫を殺しても(避妊と)同じことだ。子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ」避妊は妊娠の機会を無くすこと、不幸な生を作らないこと。子猫を殺すのは、いまそこにある生を不幸にすること。この違いが分からない板東氏は、コンドームをつけたSEXは子種(精子)を殺すことだからいけない。妊娠したなら堕胎すればよい、と若者に訴えたら良いだろう。彼女の言う「子種」とは卵巣のことだろうが、卵巣は生体の一部で、生命そのものではない。卵巣は体組織である。体組織と書くと大げさだが、盲腸も体組織だ。盲腸を切っても生命を絶ったことにならない様に、卵巣は閉経してその機能を終えるが、猫は生きつづける。要するに彼女は、スーパーのパック卵と受精卵との違いが分かっていないのだ。今では小学校の理科でも遺伝学の初歩について習う。これでは小学生にすら笑われる。「殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである」これについては断言してもいいが、彼女はなにも引き受けてなどいない。彼女が感じているのは、単に自己の内面から湧き上がる不快感である。いったい誰から・・・子供を奪われた悲痛の親猫から、恐怖と激痛の中で死んでいった子猫から、彼女が何を「引き受け」られるというのか?もはや偽善というより欺瞞だ。このように、彼女の論理は破たんしつくしている。だが、彼女が好んで動物を虐待する者であるとはいえないであろう。動機の矛盾はともかく、彼女は不快感を感じながら子猫殺しをしている様に思われるからである。むしろ、子猫殺しの告白を、日経新聞にコラムとして掲載したことに、彼女の歪みを感じる。彼女の行動に認められるのは「肥大化した自我による欺瞞」であろう。文学家として彼女は高度な創作力を持っている。(あえて知性とはいわない)作家として立派な地位を築き上げた彼女。ミステリ小説、ホラー小説で生と死を多く題材としてきた彼女。これは推測だが、彼女の中に「自分には生と死に関する独自の生命観がある」「その生命観を背景にしたからこそ、自分の小説は多くの人に読まれるのだ」といった自負があるのだろう。飼い猫と子猫は彼女の支配できる動物だ。この動物をどうしようと、彼女は思いのままにできる。この動物の「生」をどのように定義するかも、彼女の思いのままである。「生」の価値や意義を定義したいという「神」の動機(=自我肥大化)が優れたを創作力を回転させ、立派に間違ったストーリーを導き出した。ただ、どんな変てこなストーリーを作ろうと、作るだけなら個人の内面の自由だからよい。しかし、それを実際の行動に移して法を犯し、それを大衆に告白することにどんな意味があるのだろう?私は精神の専門ではないが、このエッセーは、彼女の「画期的な」生命観を世に知らしめ、世間に生命観の見直しを迫ることに目的があったのではないか。実際、彼女のエッセーから伝わってくる不快感は「私は生について、あなたがた民衆とこんなに違った観点をもってるのよ」という押し付けがましさが多分に手伝っているような気がしてならない。おそらく、この草稿を書いた時の彼女は、風車小屋に向かうドンキホーテのような高潔な決意に満ちていたことだろう。生と死のテーマを多く扱う直木賞作家・坂東真砂子がショッキングな独自の理論で示す「現代人が考える生のありかたへの疑問提起」彼女はこの提題を産経新聞という巨大なマスメディア(波及効果も含めて)を通じて発表することで、今の猫の避妊手術は是という社会に対する、アンチテーゼとしたかったのだろうと思う。ただ、その内容はあまりにお粗末、物書きを名乗る者すべての肩身が狭くなるほどのグズグズ理論。文化人によるアンチテーゼどころか、社会知らずの物書きの独りよがりとして、大いに非難され、あるいは嘲笑されるだけの愚論として完結した。創作活動が他人のプライバシーの侵害に優先すると主張して当然のように裁判で完敗し、神戸児童殺害事件の犯人少年の犯行文を絶賛して各方面から冷笑された芥川賞作家・柳美里氏がそうであるように、板東氏のエッセーも自分の独自性をアピールしたい欲望ばかりが強く、内容が伴わない。彼女達はアンチテーゼを世に投げかけるには、思考力が足りなさ過ぎる。いうまでもないが、作家と思想家・文化人とは別のジャンルである。優れた洞察力と思考力、社会見識、一定レベルの教養を持つものが思想家・文化人となれる。くれぐれも作家=思想家ではない。作家の中にたまにそのような優れた資質を備えた人がいるか、優れた思想家や文化人がよい文学作品を書くというだけのことだ。板東氏は少なくともそのどちらでもない一介の「物書き」にすぎないことを、計らずも露呈した。芥川賞作家・柳美里氏直木賞作家・坂東眞砂子氏物書きの浅はかさ、ここに極まれり、の感だ。坂東眞砂子(ばんどう まさこ) (プロフィール)高知県生まれ。奈良女子大学住居学科卒業後、イタリアで建築とデザインを学ぶ。帰国後、童話作家やライターを経て、「死国」を発表、一躍注目を浴びる。その後も「狗神」「屍の聲」「蟲」等、ミステリ・ホラー作家としての地位を確立。「山妣」で第116回直木賞を受賞。
2006/08/26
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日刊スポーツ新聞社が行った読者アンケートによると、小泉首相の靖国参拝について7割(67.8%)が「支持する」と答えた。さらに、「終戦記念日の8.15でよかった」が63.7%、「次期首相も参拝すべき」が59.6%と靖国参拝反対を大きく凌いだ形となった。興味深いのは中韓問題に対して「両国の批判に影響されずに参拝を行うべき」が64.7%と約3分の2を占めたこと。さらに、興味深いのはマスコミへの反応「マスコミは小泉バッシングのため中国・韓国寄りの論理を展開しすぎ」「マスコミの取り上げ方が疑問、靖国=悪の誘導が見えてそれも怖い」さらにはある識者は編集部へ直接メールを送り、首相官邸のHPに小泉首相の記者会見のやりとりが詳細に載っていることを指摘した上で「こんなに詳しく説明しても、マスコミでは削除、意図的な編集、説明が足りないとまで書き、紙面によっては“逆ギレ”とまで。実に怖いことです」と指摘した。靖国問題については、日本人と、中国、韓国の人々(および一部の日本人)との間に、大きな認識の違いがある。日本人は「戦没者への慰霊」「戦争への慙愧」「恒久平和への誓い」と参拝を捉えている。一方、中・韓の人々は「戦争犯罪者の英雄化」「軍国化への序曲」と捉えているようだ。まるで真逆。少なくとも、一般的な国民の感覚からは、両国民の批判は大きく的外れであり、杞憂であると受け止めるであろう。実際、日本と中韓の関係を悪化させているのは、中韓の方であると米国、英国ほかアジア諸国を含む諸外国の新聞が断じている。しかし、日本のいわゆる4大新聞は、むしろ、両国の批判を「素直に」受け入れている。実に奇妙だ。1.両国の批判の妥当性は?少なくとも現時点で、日本国首相が「あれは侵略戦争であった」と認めていることは事実である。しかし、侵略戦争を行った国に対して、参拝を理由に首脳会談を行わないなど、非理性的な対応をする国家は国際的にきわめて非常識であることについて、日本のマスコミは触れない。侵略戦争といえば、アレクサンダー大王、チンギス・ハーン、ナポレオン。彼らは既に英雄や神格として祀り上げられているが、そのことについて侵略や攻撃を受けた側の国(日本を含む)が、国家レベルで反応することはない。これは、なにも大昔の侵略戦争に限られたことではない。実際、中国は19世紀に、英国から「アヘン戦争」というれっきとした侵略戦争を仕掛けられ、大量虐殺と香港割譲を経験しているが、アヘン戦争を正当化する英国の教科書に抗議したことはない。2.ユダヤ人への質問第二次世界大戦において、ヒトラー率いるナチスドイツが欧州圏に、日本がアジア諸国に侵略戦争を展開した。そして、ドイツ、日本とも、それぞれ講和条約の条件とされた「ニュルンベルク裁判」「東京裁判」を受諾し、この結果、多くの「戦犯」が生まれたというのが、世界共通の歴史認識である。しかし、その戦犯に対する「被害者」の対応が欧州と中韓ではかなり異なるようだ。小室直樹氏の著書・痛快!憲法学の中で「ユダヤ人への質問」という非常に興味深い体験談がある。(以下引用、文意を変えない範囲で一部省略)私の知人にはイスラエル人やユダヤ人の学者がたくさんおりますが、彼らにこんな質問をしたことがあります。「もし私が『ヒトラーは疲弊したドイツ経済を救った天才政治家である』と著書に記したらどう思うかね」すると答えは「(ドイツ復興は事実なので)それはちっとも問題ではありません」というものであった。そこでさらに私は重ねてこう尋ねた。「じゃあ、『ヒトラーがユダヤ人を皆殺しにしようとしたのは、実に正しい判断であった』と私が書いたら、どうするかね?」彼らの答えはこうだった「あなたの考えを批判することはあっても、それを弾圧したり、意見の撤回を求めたりはしません」韓国人や中国人の前で、戦争の正当性を主張する日本人はいないだろうが、例えば「仮に南京で30万人の殺害があったとして、2万トンもの遺体はどこに消えたのかな?」「南京の目撃者として東京裁判で証言した米牧師が、日記で『実は何も見ていない』と書いていたことについてどう思う?」などと質問しようものなら、身の危険を考えなければならないのが現実だ。ユダヤ人の回答について、小室氏はこう考察している。「彼らは寛大さから、そんなことを言ったのではありません。民主主義の精神を明晰に理解しているからこそ、こういう立派な返答になったのだと思います。」日本人が「チンギス・ハーンやマッカーサーは偉大な戦略家であり指導者だ」と言われたら・・・多くの日本人はこう答えるだろうと私は思う。「そういう考え方もあるでしょうね。」さて、同様の質問に中国人、韓国人はどう答えるだろうか?3.卑劣な「歴史カード」外交今回の問題を考えるとき「歴史カード」というキーワードを忘れてはいけない。中韓は日本の近隣国であり、いろいろと競合する立場にあるので、国際的優位性を保ちたい。これ自体はきわめて自然で、悪いことではない。しかし、その手段が経済力や教育水準の向上など正等な手段ではなく、「歴史カード」によって心理的プレッシャーをかける方法であるなら?「歴史カード」の概要はこうだ・かつて侵略戦争行った日本は「悪い国」である。・日本は悪い国なのに、ろくに反省をしておらず、賠償もせず、十分な謝罪もしない。・だから、日本はいつ軍事国家として「悪い国」に戻るかわかったものではない。こう繰り返して、日本人に罪悪感を植え付ける。悪いことに「平和教(狂)」といおうか、極端に歪んだ平和主義を唱える一部の日本人は、この歴史カードの理屈を鵜呑みにし、支持すらしている。すると、世論は罪悪感に苛まれ、政府や国会の対中韓姿勢を弱化させることができる。先の歴史教科書問題で、中韓側が日本に内容の訂正を求めるのであれば、日本側が中韓の教科書をチェックする権利もあると解するのが、ごく一般的な国際感覚だ。だが、日本はそれをしなかった…いや、できなかった。これが歴史カードの威力である。今回の自民党総裁選の報道だけを見ても、歴史カードの影響が分かるであろう。日本人は、中韓政府は表向きは怒りを示しながら、実は冷静に有効かつ卑劣な歴史カード外交を行っているのだということに気づかなければならない。4.目覚めつつある中国・韓国の若者たちこの歴史カードを有効にするため、中韓では国民への反日教育が積極的に行われる。日本批判は政治家や国家元首ではなく、民衆から沸き起こっているとする方が、日本人の心理負担を大きくすることができるからだ。両国の教科書では小学生から、倭寇~太平洋戦争まで、日本による侵略の歴史が叩き込まれる。しかも、その内容は、捏造・歪曲だらけ。反日教育というより憎日教育というべきものである。だが、最近になって、中韓の若者の間には、日本の漫画やアニメ、ファッション、芸能など「ジャパニーズ・カルチャー」が導入され、自分達の受けてきた教育に疑問を持つ者が多くなったという。私の知人の韓国人留学生(20代男性)は、来日して5年、最近はワンピースと熊田曜子(!?)にハマっている。彼は「日本軍が行った蛮行は許せないが…」と断った上で。「中年以上はともかく、都市部で育った若者で、日本の再軍国化を本気で信じている奴なんていない。」「本国の歴史教育が反日政策の一環だということなんて、若い世代はとっくに気づいている。」「日本のマスコミは、反日デモの狂ったような人々ばかりを映像で流して、韓国民全員が洗脳されたバカ(本人言ママ)みたいに報道する。とても不愉快だ。」と語るインターネット先進国の韓国で、極端な反日教育に疑問を持つ若者が増えるのは当然なのかもしれない。5.台湾・陳総統「小泉首相を評価する」 さて、詳細は別にゆずるとして、国際的に認知された事実だけを端的に述べてみよう。次に述べることは、世界史教師、大学教授に確認してもらってもいいほど常識である。ただ、疑問に思ったのであれば、是非ご自身でお調べいただきたい。この問題を理解するよいきっかけになると思うからである。・東京裁判は国際司法にもとづく裁判ではない。・太平洋戦争の「戦犯」は取り消され、生存者は全員釈放されている。・東京裁判について、米大統領が誤りであったことを公式に認めている。・他国の国内行事について不当な圧力をかけてはならない。この基本が分かっている諸国は、今回の靖国問題について、あまりに露骨な日韓の歴史カード外交に苦言を呈してしている。●米国・ラムズフェルド国務長官 「中国は日本の靖国参拝への干渉を自制すべき」●シンガポール・リー元首相 「靖国問題は中国が心理的なプレッシャーをかけている」 ●台湾・陳総統 「中国の反発に負けずに靖国参拝をする小泉首相を評価する」●インドネシア・ユドヨノ大統領 「国のために戦った兵士のためにお参りするのは当然の行いである」●ベトナム駐日外交官 「我々は中国や韓国のような卑怯な外交手法をとるつもりはない」中韓の歴史カードは、自国民への影響力も低下しつつあり、国際的にはきわめて非常識な「紙くず」である。他の国に持って行けば鼻息で吹き飛ばされ、アメリカやイギリスなら目の前でライターで焼かれるだろう。ただ、日本国民の善良さ、生真面目さが歴史カードをプラチナに変えてしまった。日本国はこれからも永久に侵略戦争の再発を拒否し、恒久平和を願う。歴史カードの拒否はその理念に矛盾するものではない。むしろ、今回の問題で沸騰したような中国・韓国への敵愾心を無くし、調和の道を開くものである。もちろん、歴史カードを否定しても、中韓の「正当な」国益を損なうことはない。日本国は、中国・韓国に対し、国際ルールに則った対応をする。すなわち、真の意味で友好的でありつづけ、非常識な要求には応じない。このことを、粛々と実践しつつ、世界に訴えつづけることだ。必ず各国は日本の理性的な対応を支持するだろう。そもそも、日本の同盟国でもない国のトップから「心理プレッシャーをかけている」「卑怯な外交手段」と非難されるようなカードだ。中韓はこれを引っ込めざるを得なくなるだろう。そのときこそ、安心と信頼が芽生え、本当の意味で相互理解が可能になる。我々がアジアの盟友として協力できる日がくるのではないだろうか。真実はどこへ・・・
2006/08/19
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苦しみの本質は理不尽であり、理不尽をどのように理解するかが宗教である。ウオルトマン(劇作家)
2006/08/17
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人は自分にとって都合のいい…分かりやすく、受け入れやすい…信仰を信じるにすぎない。ウオルトマン(劇作家)
2006/08/15
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疑惑の判定で奇しくも実力とTBSとの黒い関係を露呈した、ボクシング・亀田興毅。判定についてコメントを求められた元・現役ボクサーもこれには答えづらい。「引き分けかと思いましたが」「王者になったからには頑張って」などと、亀田勝利を積極的にアピールする者は皆無に近い。実際、知人のボクサーは、具志堅、飯田らを育てた名トレーナーF氏が「2、3ポイント差で興毅の負け」「ボクシングがスポーツでなく見世物になる」とジムでこぼしたと語っている。さて、そんな亀田父がテレビでコテンパンにやられた。リングは「スーパーモーニング」相手は漫画家でコメンテーターとして人気のやくみつる。戦いでは平常心を保った方が勝つが、その様子を見れば亀田父がいかに惨敗したかを知ることができる。実際のスーパーモーニング、亀田父vsやくみつるの映像をご覧頂きたい。携帯で見る人のために、文章でラウンドを説明すると以下の通り。亀田父「ほんでなぁ、おたく・・・」やく 「おたくじゃねぇ『やくさん』て言いな。俺は47だ。」亀田父より年上のやくみつるに丁寧語は常識。いきなりのカウンター。 やく1ポイントやく 「今日は土産があるんだ。金亀印のしつけ糸。その糸で亀をしばっとき。」亀田父「・・・(無言)」きついギャグに一瞬固まる亀田父。まったく切り返しできず。 やく1ポイント亀田父「(声を震わせながら)あんたなぁ・・・」やく 「ほら、腹立つやろ? あんたのせがれ、これと同じことやっとるんや。」実際、怒り心頭で声ブルブル震わす亀田父。完全に術中。 やく1ポイント。やく 「俺は1時間半にもわたって、安っすいパフォーマンスだらだら、だらだら見させられるのが嫌だって言ってるんじゃ。」亀田父「(体ぶるぶる震える)お前、見らんでいいんや!それやったら!」やく 「いや、俺、ベネズエラ応援しとったから見とったんじゃ。」亀田父「・・・(固まる)」嫌なら見るな、という個人の自由を無視した不条理反論に、今回1番の会心の切り返し。亀田父ダウン寸前のダメージ。 やく1ポイント。亀田父「(やく氏の態度に)興毅にな、教育っていうことないやろうが!その言い方やったら!」やく 「ワシは怒らせるためにわざとこうしとるんじゃ。 普段やったらこんな格好ようせんわ。(司会席から笑い漏れる) 今日はあえて『おたくのせがれは人にこういう態度で接してるんだぞ』 ということを見せつけるためにこういう格好で来たんじゃ。」グラサンにアロハシャツ。安っぽいチンピラのような格好、チンピラ口調も、興毅を真似たもの。「お父さん、こういう人にこういう態度で接されて、あなたはどう思いますか?」見事な疑問提起、そしてそれまでその挑発に見事に乗っていたことに気づいた亀田父は完全に沈黙。やく2ポイント。見かねたレフェリー・ガッツ石松が間に入る。(ガッツ石松、冷静で大人な対応。見直した!)ガッツ「やくさん、これは試合のパフォーマンスだから・・・」亀田父「勝負の世界は命がけやんか、駆け引きがあるやんか。相手を挑発するのも駆け引きやんか。」まるで敗者のインタビュー。スポーツの駆け引きはリングの上でするもの。相手を汚い言葉で挑発しないと勝てないような、下品で弱い王者は日本には要らない。やく 「俺は挑発にきたんや」亀田父「ほんなら後で表で話しようや!」まんまとやくの挑発に乗ってしまった亀田父。激怒した段階で「私は挑発に乗ってしまいました。平常心を失いました。」と言ってる様なもの。この時点で亀田父にまったく見せ場無し。やくのT.K.O.勝ちはこの時点でどの視聴者にも明らかになった。はっきり言って、このようなヤクザまがい、トレーナーとしての実力は疑問符だらけの人物に、才能ある若者を預けるのは日本ボクシング界の損失だろう。実際、今回のファン・ランダエタ戦の作戦は、危なくて仕方なかった。地力で、1ダウン(前出F氏によるとアウェイならスタンディングダウンを取られてもしかたない場面が2回)で乗り切ったという点で、亀田にそれなりの評価をしていいぐらいだ。余談だが、今回の疑惑の採点は「亀田のボディを取ったか?ランダエタのジャブを取ったか?」というジャッジの見かたよるという。しかし、F氏はこう切り捨てたという「どっちが有効打だったかって?足にきてた方がダメージが大きいに決まってるじゃないか!」それにしても、バッシングや疑惑を取り払うには、今回の対戦相手ファン・ランダエタを倒すしかないのに、早くも階級を上げると、逃げ宣言。レベルの高い日本人選手との対戦は行わないと強固な方針。それも、トップクラスから逃げるならともかく、WBC10位の格下日本人選手との防衛戦からも逃げるありさま。メディアは自分らでヒーローを創って、そして壊す。その過程を視聴率として食い物にする。もしかして、メディアは亀田親子というチンピラまがいの態度を続ける下品な主役(すなわち悪役)を一度持ち上げておいて、しかるべき正義の味方(礼儀正しく勇気ある日本人選手?)に倒させるシナリオではないのか?と疑ってみたりもする。実力のないボクサーが倒されるのは勝負の世界だから仕方ない。しかし、意気盛んな若者が、知らぬうちに大人に人生を弄ばれていたことすら気づかないまま、リングに顔から落ちる光景は寝覚めの悪いものではある。
2006/08/13
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おとぎ話を現実的に作るから感情移入できる ジョージ・ルーカス(映画監督)
2006/08/12
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